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ポジティヴ・シンキングの敗北
by:
ほ う ざん
2004/06/14(Mon)08:39:23
98.147.192.61.east.flets.alpha-net.ne.jp:61.192.147.98:Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; MSN 2.5; Windows 98)::::ja:
このポジ志向(思考)の被害というのがありまして、
それは、思い込みが激しい人が、周囲に与える悪影響です。
「おいおい、何勝手に思い込んでいるんだ」というタイプの人で、
これらのタイプの人に共通することは、
「他人を誉めるのも下手で、けなすのも下手」というものです。
ようするに、ピントが完全にずれた思い込みをしているわけでして、
そういう人に接する人は、
「絶対にあいつは、自分のことを理解しない。誤解だらけだ」
となりまして、
結果、どんとんと人から敬遠される者になっていくようです。
で、本人は、人から敬遠されるのが寂しくなり、
その結果、次の段階では、自分の解釈はひっこめてみて、
どうでもいい話で、お調子を合わせるという手段に
打って出るのですが、これがまた「軽薄なやつ」という
イメージを周囲に与え、ますます、孤立してゆくようです。
で、最後には、「私のことは誰も理解しない」と、逆切れに。
始末が悪いですね。
これは、「行きすぎた」ポジ型の弊害ですね。
精神世界系の掲示板でも、実に、よく転がっているタイプですね。
で、必ずといっていいほど、
そんなに、ポジに考えなければやっていけないのだから、
実体は、実は、思いっきり、ネガです、と宣言しているのと
同じだということですね。
ネガにも物事考えませんと言った段階で、もうネガなわけでして。
そこに、逆のものを上塗りして、済む問題どころか、
これがいわゆる、何重にも「屈折」した意志をからませることになり
しまいには、自分で自分が何考えているのかも
わからない人になりかねません。
どこからが、自分の本心の考えで、どこからが思い込みなのか。
で、結果「平気で嘘をつく人」が、いっちょう、出来あがりです。
ということで、しょせんは、ポジ思考など、「都合のいい妄想」ですし、
逆に「ネガ思考」も、実は、「都合のいい妄想」である場合が
あるということは、別の投稿でもいいました。
人を怨みつづけるには、自分の立場を実体をねじまげて、
常にネガに考えた方が、いつまでも、被害者ぶれるからです。
というわけで、
ネガもポジも、別に、考えなくても、
なんとかなってしまうものだと思ってしまいます。
ネガを意識してのポジには、しょせん、無理がありますから。
その無理を本人も意識しているのですから。
ただし、自分の中から、ふつふつとポジな感覚が
自然に沸くことまでは否定しませんよ。
同じく、自然にネガでかったるい感じが沸くのも
否定したくはありません。
いつも元気出してたら、怪我しますって。
なんとなくやる気がないということは、
やるなという自分からの警告なのですから。
それで死ぬと思ったら、死ぬ寸前まで、
何もしなければいいのですよ。
必要なら、体が勝手に食物でも探し出しますから。
ネガとかポジとか言っている頭より、
体の出す判断の方が、利口ですね。
>これらのタイプの人に共通することは、
>「誉めるのも下手で、けなすのも下手」というものです。
皆さんの周りにいますよね??このタイプの人って。
相手は自分のこと、誉めているつもりらしいのですが、
それが、ことごとく、居心地悪いというか、
「そんなところ別に誉めるなよー」「なんか違くない?」
というものばかりで。
で、逆に、何かを批判するときも、これまた
「???」という感じで、「何勝手に、怒ってんだいな?」
という感じの人。
これって、会社とか、家庭内とか、ご近所に、必ずいると思いますが・・・
まー、本人が自分を奮い立たせるための
「自己暗示に留まっていてくれれば」、それには
口出すつもりはないのですが、
他人に、あんたはこーだ、と「イメージの押し付け」を
開始されると、「勘弁してくれ〜」「無視しよっ」という感じですね。
一方で、私が信頼を置く人というのは、
まー、これも、一種の都合のいい選択のし方ではあるのですが、
自分の見解と一致する=価値観が似ている相手ですね。
まー、誰にとっても、これは当たり前のことですが。
で、むろん、見解は一致しないけど、
一目置く、というタイプの人もいます。
けども、見解も一致しないし、異論にも一目も置けない、
本当に、「切れちゃったような人」は、確実にいますね。
そして、それには必ず、
「ポジ切れ派」、「ネガ切れ派」「ポジネガ往復派」の
3種があるのも、見ていると、おもしろいものです。
◆
「ポジティヴシンキング」というのは、
カタカナであるからことからも、
もしも、これが日本語の造語でなければ、
舶来モノなのでしょうかね?
しかも、こーいう事を、叫ぶのはたいてい、
ストレス社会のアメリカあたりでしょうかね。
ワビサビの文化の日本では、あまりにもこれは無理がありすぎると
思います。
まるで、錆びたり、コケが生えたら、
一気に、漂白剤とかぶちまけて、ペンキ塗っちゃえみたいな
乱暴さを感じます。
それじゃ、「朽ちてゆくものをも 美に変える」、
「朽ちるものも 美として観る」という
日本人の美意識の気質には、
あまりにも合わないものだと思います。
それと、もともと、ポジティヴシンキングが、
そもそも、何を目指しているのかも疑問です。
洞察力を殺してまで、
あたりさわりのない明るい振るまいの出来る「無能人間?の量産?」
それとも、ネガになってしまって
仕事の効率が悪くなると困るから、と
企業が作り出した、「怠けるなプログラム」なんでしょうかね?
いずれにしても、
ポジティヴシンキングの「敗北」は、
この20年間に増加しつづけて、確実な治療法(根治法)もない
うつ病の実体を見れば、明らかかと。
で、今度は「元気出せ」は禁句だ、というのが
まかり通っているのですが、
これも、過ぎたるはなんとかなわけでして。
結局のところ、他人が、
「元気だせ」「前向きに」だとか、「あるがままでいい」とか
勝手な本からの「受け売り言葉」を、
そういう人達にかけないこと、
そっとしておくのが、1番みたいですね。
それで、死んでも、本人の選択なんですから。
下手に他人が口出すと、
「自分が死ぬ理由」や、「自分が死ねない理由」、
そのどちらをも、
口出しをしたその他人のせいに押し付け続ける、という病状に
さらに悪化してゆきますので。
◆ ◆ ◆
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