▲
控えの間
-
全館目次
- 松の間
■
BBS
- 竹の間
■
BBS
- 梅の間
■
BBS
- 桜の間
■
BBS
■
松竹梅の間:ログ表示
松の間
竹の間
梅の間
桜の間
★ 番号指定:
1ページの表示件数:
件
☆ 検索語 :
検索表示 新着から
古い方から
タイトルだけ表示
タイトルと5行
全部
「性と死のホームページ」 http://www.mumyouan.com/
.
より詳しい使い方の説明(9月11日変更)
▲竹の間へようこそ▲
掲示板
Title
島流しリンク
自殺
宇宙・悟り・意識の変化の問題を中心とする「間」です。
性と死のホームページ
★
「竹の間自薦投稿集」
★
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[3312]
■
「インターネット四方山話」◆第B章◆
by:
方山
2005/01/02(Sun)09:06:14
「インターネット四方山話」◆第B章◆
【インターネットの負の要素】
「正の要素」というのはあるのだが、それはひとまずおいておいて、
負の要素にはどういうものがあるのか、
これも、今年内閉鎖にあたっての締めとして抑えておく部分となります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●ところで、「杉の間掲示板」について、お知らせしておきます。
前回書いたように、新たに招待したいと思う客人はいませんでしたので、
招待という形を取らず、機能制限つきの公開掲示板というものを
現在予定しています。
閲覧も書込みも自由に出来ますが、あくまでも全員がゲストとしての
もので特別なライセンスはないというものです。
この新設の掲示板は、昨年の12月からすでに、一部の招待客には
テスト利用に参加して戴いてきたもので、管理者のほうでも、
いろいろな機能テストをそこで繰り返してきたものですが、
近日中に管理人から、公開にあたってのお知らせがあると思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて、本題に戻りますが、
このインターネットの負の要素というのは、新掲示板の方でも、
竹の間の皆さんと論議したいテーマのひとつですので、
その問題のスレを、掲示板を公開したら、こちらで立てておきます。
◆非生産的な集中力の弊害
昔、ゲーセンに入り浸ったことがあるのは、私の世代では
多いと思います。まー、儲けのないパチンコみたいなもので、
あれだけの騒音の中で、他のゲーム機の音が意識から排除されてしまう
という現象からも、それが大変な集中力を人に強要する玩具である、
ということは確かなようです。
しかし、同じ集中力を他の事に応用することは出来ませんね。
ゲームの目的はそのゲームで点数を稼ぐことなわけですが、
生産性のない集中力はいろいろな弊害を精神にもたらすようです。
そして、ネットサーフィンも、生産性のない分野にかかわると、
人の精神状態も体力もどんどんと狂ってゆくようです。
かつてゲームセンターに行っていたときには、
百円玉を積み上げて、何時間か遊び、そして意識の切り替えが起きて
回復するわけですが、当時はそういえば、パソコンのことは、
まだ、マイコンと言っていましたね。
そして、それがファミコンと名を変えて、家庭の中で
座っていてもゲームが出来るようになった瞬間に、
いくつかのゲームをして、私はテレビゲームの世界を以来、
全く離れました。
初代・元祖のゼビウスとスーパーマリオをクリアした段階で、
このままこういうのやっていたら、人間は異常になる、と思いました。
もっとも「限度」というものを設ければいいのですが、
なかなか、それが出来る人はいないようです。
家でゴロゴロしてて、出来てしまい、人の観察力や思考力を疲労させる
その中毒的な娯楽は現在では、広い世代に浸透しているようですね。
◆さて、私がインターネットに興味を持つまでには、
今の人たちとは違い、少し時間がかかりました。
1995、6年ごろに増殖をはじめたネットですが、
私が始めたのは、1999年の夏です。
そこには5年ほどの空白がありました。
理由のひとつは、まず第一に、興味をもてなかったことです。
はじめるまでに、何度か他人のパソコンの画面で
様子を見ていたのですが、全く興味がわかなかった。
価格がまだ高いということもあったが、それでも
興味がわくものであれば、すぐに購入する私でも、
インターネットには興味はわかなかった。
パソコンそれ自体は、マックでの作図などをしていたので、
便利なものであると知っていたが、
ネットの情報網やその効果には、全く興味がわかなかった。
今、思えば、それが正解だったのである。
◆あるとき人から、プリンターをいれると、
30万近くもするであろうパソコンを新品でプレゼントされまして、
もらってしまったからには、少しは、いじるか?というのが、
その始まりでした。
皆さんは無明庵のサイトは、1997年から開始しているのは
ご存知かと思いますが、では、それまでどうやって私の投稿が
なされていたかというと、それは、
最初は、私がfaxしたものを、なんと、ここの管理人さんが
手打ちで入力していたのです。
その次の段階では、私から、管理者にワープロで
作ったフロッピーを渡してそれを変換していたのです。
つまり初期の無明庵サイトのコンテンツは、すべて「書斎」で
生まれたものです。静寂な、誰にも邪魔されない、
騒音のない、まったくの「一人の空間」の中で。
●そして、1999年にはまだ自前の掲示板というものはありませんでした。
それが出来たのは、2000年でしたかね。
よく私が言うように、ホームのコンテンツなき掲示板にはロクなものがない、
わけですが、無明庵は、まずホームのコンテンツだけで、
3年ネット上を走らせていました。
◆さて、いよいよここから、
掲示板論を含むネットの負の要素についてですが、
掲示板というものを最初に見ていて思ったのは、
最初は、皆さんの感想と同じです。
つまり、「ただの病気」「吐き溜め」「共同便器」のようなものです。
しかし、そこに、どこまでの可能性をテストできるのかというのが
ネットに参加した大きな目的のひとつでした。
もしも私が文筆ということをしない人間であったら、
おそらく、ネットには何の興味も示さなかったことでしょう。
たとえ、情報収集ツールとしてすらも。
しかし、ネットの特に掲示板で行われていたことは、
まさに、私の本業の「文字」の文化です。
文書表現、言葉による表現、文字による表現、記号による表現、
ただし、筆跡はなく、フォントや色が限られ、
ただ、純粋に文章だけがそこにあるという形態です。
では、その制限の中で、何がそこで伝達されるか、
何が伝達されないか、ということに興味を持つのは、
他の文筆家の人とて同じことです。
インターネットの一部の領域が、自分のなじんだ「文字文化であったこと」
これが私がネットに興味を持った最大で唯一の理由です。
同じように、それまでの時代に、文通とか、機関紙発行、
同人誌発行のようなことを自前でやっていた人たちも、
おそらくは、今まで自分たちがコミケでやっていたことを
ネットでは、どこまで出来るのか、には興味を持ったことでしょうね。
しかし、多くの「文字を大切にする人たち」は、
ネットという媒体を去りました。
そこでは、文字や言葉が、あまりにも軽薄に扱われていたからです。
それは文化ではなく、汚物。作品ではなく、ゴミの山。
ちなみに、商業サイトは、あれは「チラシの広告の山」が
情報としてディスプレイされているだけのものですから、
あれはあれで、文化ではなく、「店舗」です。
そこには、店の品格や、サービスのよしあしはあっても、
別に主張も精神性も論議も対話も糞も、何もありません。
◆さて、1999年からしばらくの間、
カルト教団とか、セックス相談の、あちこちの掲示板を覗いて
書込みなどを試験的にしてみたわけですが、
私にとって書き込むという行為は、たとえ一日に30の掲示板に
出入りして何千行の書込みをしたとしても、なんら苦でもなく、
自発的に文を書くということに関しては、
空気を吸って吐くぐらいの労力しか使わないものであったので、
いろいろなものをそこで観察できました。
ただ、誰かとの論議や相談事が、「詰めの段階」に来たときに、
メールで直接にコンタクトする以外に、
「余計な外野を排除するすべがない」、ということで、
私がネットに参加してから、わずか、5ヶ月後には、自前の掲示板の
松竹梅が管理人によって作られました。
そしてご存知のように、くだらない質問や投稿を排除した結果、
敷居をどんどんとあげて、
最終的には、私と管理人の「書斎がわり」に使ってきたわけですが、
その間に、私は逆に、重要な論議に関係のない外野が邪魔をする
という形態そのものを、そっくりそのまま、
「何かに利用できないか??」という事を模索していました。
そしてそのテストの中で、最終的にひとつ可能だったのが、
普通はディスプレイされない、「人の差」というものが、
如実にディスプレイされるという効果でした。
ネットには差別はないとよく言う人がいますが、
ネットというのは、つなぐだけなら何のライセンスもありませんから、
小学生でも繋いだり、発言は出来ます。
しかし、ライセンスがあろうがなかろうが、
いったん、その世界に踏み込んだら、そこでは、自由も意味を失い、
差別や区別、区分は、しっかりと存在します。
それどころか、
普段、差別的な扱いをしている者がネットなら自分も参加できると
思ったら、大きな間違いで、普段差別をされているならば、
それ以上の差別がネットには待っているということです。
そのあたりを何を勘違いしてか、
匿名性に甘えて、ネットで発言の自由とか、
対等性とか、無差別性を主張する馬鹿な人も多いようですね。
◆通常、管理された掲示板というものは、管理者のデザインという
制限の中で進んでゆきますので、そこには明らかに差別、区分、
制限があるものなのです。
ただし、その制限の中では論議というものが成立しませんから、
それが比較的成立する掲示板を探してみると、
政治系論議のところが当時、私の関心の対象に残ったわけです。
しかし、私は、政治ではなく、人間の精神構造にしか
興味がありませんでしたし、また、文章の表現がネットでは、
どこまで進化できるかというのがテーマでしたから、
主に、テーマ管理されていない雑談とか相談系の掲示板を検索し、
その中で、最初は、セックス相談の掲示板のみを主な場としていました。
なにしろ、性の問題に関しては研究と試行錯誤の専門ですから、
ネットでいいげんな情報を見かければ、多少の修正のための
発言はしました。いまだと、そうした作業に参加する場合には、
ウィキぺディアのような「共同制作の辞典」という形がネットにありますね。
最近、私は唯一、ここへの投稿だけは、
ちょっと、ハマりかけています(笑)
↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD
◆そして、自前の掲示板では極度に制限を設ける一方で、
外の掲示板では、なるべく制限のない環境の中で、
人は、どうなってゆくか、ということを観察するために
それまで掲示板の散歩をほとんどやめていた私は、
いくつかのサイトを検出して、再び、人間を観察しに行ってみました。
その中で、ひとつ長居をすることになったのが、
新掲示板の試験場として選んだ「男と女の」の掲示板です。
管理者の管理がほぼ放置であることにおいては、2ちゃんと同じなのですが、
恋愛相談や家族問題を主体とするという、
いちおうの方向性がありますから、そこでは各自の自主性がある程度
他の掲示板よりは、「よくも悪くも」現れていたわけです。
他の掲示板の一番よくないところは、
管理人にコビる者がグループを形成するということです。
今回、一年という期間限定の中で公開する無明庵の新設の掲示板は、
管理人にコビることが全くの無駄でありますし、
媚びると、たたき出され、かといって、つまらない投稿をすると、
消されるということでは、竹や梅と全く同じですが、
ただ、わざと、それを消さないで「ディスプレイする」という試みが
今回の掲示板の特徴のひとつです。
今までなら、首の間に移送されていた質のものでも、
ある程度記録として残され、それに対して、参加者が突っ込むなり
論議を進展させるというものです。
◆さて、余談が多かったので本線に戻しますが、
参加者が、荒れた掲示板を自主的に修正するという「試験場」として
選んだ、あの掲示板で最終的にもっとも大きかった収穫は、
むろん、「人類の3種論」です。
ただし、「3種論の確立に貢献した」というよりは、むしろ
別の側面が際立った、収穫でした。
それは、なぜか、私が呼んだのでもないのに、
まるで、何かに引き寄せられるように、
その典型的な3種を代表する人物が、
どこからともなく、ある時期から、あの掲示板に登場してきたことです。
そして、そこで起きた事は、たった一つです。
まともな投稿者と、そうでない投稿者のはっきりとした
「あまりに明白な、意識や思考の差」です。
今まで、その差というのは、
いろいろな投稿制限の中に埋もれて表出しないものでした。
しかし、単なる雑多な意見を持った者がおりなす、
一般的な自由討論といった、どこにでも、よくあるパターンではなく、
白熱する真剣な論議の結果として、
自然に分割されていった「3種の代表的な人たち」が、数人、
「一箇所に集まった」ということが、
あそこでの、もっとも不思議な現象のひとつでした。
まー、厳密に言うと、パー、と、チーと、正常なグーを代表する人たち
というのは、たった数人しかいないわけで、あとのほとんどは、
かなり濁りの危険のあるグーか、もしくは濁りのゾンビなわけですが、
その差は、通常は表面化しません。
しかし、「世界を見ている視点そのものが違う」こと。
そして「自分に対する自覚の精度」が、
その視界にかなり影響されているという推測からも、
そもそも、論議とか対話が成り立たない人には、
そこに人と人とを「分断」したり、分割したり、区分けする作業の
必要を感じたわけです。
これが、つまりはこの、インターネット四方山話のシリーズの
最初で書いた、「分断作業」の事です。
なんでも、よく考えもせずに、統一ししたり、互換性を持たせたり、
分かり合えるはずだの、差別するなだの、平等のはずだだとか、
コミュニケーションを大切にしろという主張をする人間ほどに、
逆に、彼らは、まったく対話もなっておらず、対話姿勢もだらしなく、
言い訳やコビや、はったりや嘘が多いのが、ゾンビの特徴です。
◆ところが、きちんとした「分断」ということをすると、
分断された領域は「そのままで生きる」が、
それが相互に影響しあうことの
弊害、つまりは、思考や感情が「混線する」という弊害を避けることが
出来ます。
自分をグーかパーかチーに位置づけるということは、
今後、自分がある領域以上には距離を縮めない方がよい種族の人が
誰であるかが明確に分かりますから、
これが何にもっとも役立つかというと、
実は、恋愛とか、同居とか、結婚とか、仕事場選びです。
自分の所属する種が分からないということは、
相手を理解もできず、自分も理解されずに誤解だらけとなり、
人生の貴重な時間やチャンスを見失って、混乱するだけです。
それまでまったく音楽をやっていなかった人で、
特別な訓練もしていない人で、
「自分の出している音」がわからない人が、もしも楽器をひいたら、
どうなるか、を想像してみればいいです。
ゾンビとかアラシというのは、そういう「音痴」または
「自覚障害者」なのです。
■ただし、自分のパターンを知り尽くした暁には、
グーとチーとパーは、一定の距離を保ったままで、
一時的に相互の「視点」を、一時的に交換することが出来ます。
◆かつて、ベルリンの壁が崩壊したときや旧ソ連の解体時には、
統一とか国境のデメリットばかりが言われていましたが、
今では、逆に、混線したものを正常化するために、
物事を「分断し」、「壁を作ること」という手法が必要になっています。
●だからこそ、試験場の掲示板でも私は、
「アラシもいてけっこう、何がいてもけっこう。
ただし、スレによって壁をつくりなさい」と
言ってきました。
そのことで、スレに分断されれば、各スレはそれなりの位置づけを
持ってきますから。
そして、最低限の、そんな事すらも出来ない人間というのは、
非常に簡単なことを意味しているわけです。
彼らの頭の中は、
全くそれと同じ状態に「症状が進行している」ということです。
つまりは、あまりにも無自覚なも妄想で自分の頭が混線してしまい、
まさに何を発言しても、ゾンビのように、夢遊病状態となり
自分の思考の発生の原因について、全くの無自覚となります。
その結果、そもそも、「自分が何のために生きてゆくのか?」の
「視点」や「軸」や「壁」すらも完全に失ってしまい、
惰性と、習慣と、中毒、の中に、埋没して、
2度とそこから帰還できなくなるということです。
そのような精神状態になった者は、
たとえて、「家」で言うなら、
もうその精神は、柱も壁も窓も天井も崩れて、
「倒壊」しているも同じことです。
倒壊した家屋というものには、「人の魂」は住み着かなくなります。
◆さて、そういうわけで、管理人とも少し話したのですが、
今後、あと1年このサイトをどう運営するかについては、
まず、
新設掲示板においては、管理人と私との意見にはやや違いがあり、
管理人の黒間氏は、「視点の異なる者の、その投稿の違いのディスプレイ」
ということにやや興味があるようです。
私は、たぶん、そのディスプレイからフィードバックされるものを
また、原稿に落とすと思います。
ただし、今回は、すでに言いましたように、
対話によってではなく、外からの観察によってになるでしょう。
対話は、もう、私は、短期間に、徹底的に、
何千、何万と、やり尽くしましたので。
だからこそ、私は、新掲示板での参加を今までよりは控えますが、
その分、参加者が自主性を発揮できるように、
他人のスレにレスをつける事に依存しての投稿者ではなく、
「自主的に面白い話のスレを立てられる人材」を探していたわけです。
その結果、数週間、皆さんの投稿を、傍観して見させていただきましたが、
残念ながら、非常に少ない人数しか、本当の意味での主体性のある人、
またはその主体性の内在する人は、いませんでした。
◆掲示板ではなくて、一方の無明庵ホームのコンテンツは、
今後、売り切れて絶版になる本や
サイトが消えた段階で資料が永久に失われるものについては、
無料で年内にホームにダウンロード用にアップするか、
それとも、新たなデザインをしたCD-ROMの形で有料で販売するかは、
今後、検討してゆきます。
>続く
★
.
<<-- これ以前の投稿 10件
(3312 番)
これ以後の投稿 10件 -->>
竹の間 の最新投稿
全館目次
C mumyouan 当サイトのコンテンツの無断転載は著作権法により禁じられております。
- BlackVoid BBS CGI 2006.08.30 -