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[3321]
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●今年の傾向と対策について
by:
ほ・う・ざん・
2005/02/03(Thu)12:41:14
●毎年、同じことを言っているような気がするのですが、
その年の最初の1月をどう過ごしたかが、
その一年を決定することが多いものです。
すっかり忘れて、だらだら、いつもの事をやっていた人は、
今年は、駄目ですね。
●今年がどういう年かという例年の予告を昨年はしませんでしたが、
平成タロットこじつけ占いによれば、「星」になるわけです。
物理的に目立った動きでは彗星関係の情報は増えると思います。
が、個人ではどういう集合的な動きになるかというと、
これが極めて、個人主義的です。
そして、今年は、新らしい事をはじめるのはNGで、
自分の中の古いものに整理をつけるべき年です。
たとえ、今年、何かの就職とか、転職とか、入学とか
動きを起こさなければならない年に当たっている人でも、
(むろん、おおざっぱな傾向にすぎないですから全員のことでは
ないですが)
今年は、動くなです。
そして、動かないときに何をするかは、
徹底した、自分の近辺整理です。
その流れからも、このサイトは今年をひとつのめどにして
閉鎖するか、広告だけは残すかなどを検討しました。
●個人において、具体的にすることは、
自分が死んだり、意識不明になった場合の伝言書などを
本当に作成することです。これは必ずやってください。
次に、新しいことをはじめないと、という強迫観念は捨てて、
キーワードは、使い古された言葉ですが、
「ありのまま」です。
無理な夢は一切排除して、精神的状態にしても、
物理的環境にしても、客観的に自分の状態を評価ないしは、
観察して、自分が本当に使いこなせる持ち駒と、そうでないものを
振り分けてください。
これは旅に出るとしたら、最低限何を持ってゆくかという自問に
似ていて、精神的な意味でも、本当に必要なものだけに
絞るということです。
また、実際に、いらないゴミを大量に捨てるのも今年です。
いらない人間関係も、ばさばさと、斬り捨てる方が正解です。
●このようにして、自分の立ち位置をまずしっかりと見極めて、
そのまま、見極めたままにしておいて、特に次のヴィジョンを
打ち立てることをしてはいけません。
なぜかというと、この心身の両方の「近辺整理」がなされると、
意識という部屋に、「空白部分」が多く出来るからです。
で、その空白部分こそが「星」の恵みを受け取る器になります。
昨年言ったとおり、今年は、今までにその人がやってきた事の
結果を、よくも悪くも、まともに食らうことになります。
地味にやっきた人は、その収穫を、予測外のところから得られるでしょうし、
ほんとうに、だらしなく、同じことばかりやってきた人は、
失うものも多いでしょう。
●それで、そういう点からも、今年の初めは、とにかく、
近辺整理、現状認識が重視されるということで、
非公開掲示板の方でも、個人個人が、人間に生まれてきたときに
持ってきた人生の設計図の掘り出しをメインにやっています。
人は、実は、何ひとつも、この世界では、
変えることは出来ないというのが私の結論です。
すべての設計図は向こうの世界にあり、
その設計図に従って、こっちでは、そのとおりに建築を出来るか
どうかだけ、つまり、この世界は「具体的にモノとして表現すること」
にのみ意味があって、ここで新しい何かを創作したり、発想するのではない
ということです。
向こうの世界には、自分で決めた、自分の人生の楽譜があり、
こちらでは、いかにその楽譜に添った演奏が出来るかということです。
つまりは、表現する実験場としてしか、
この世界は意味がないということです。
何か新しいことを発想したり、人生の設計を変更する
という作業は、「肉体がない存在期間」にしか有効ではない。
肉体を持ったら、すでに、ほとんどシナリオが出来上がっている
自分の計画を持ち込んでいて、ただそれをいかに表現しきるかのみ、
それが唯一、ここの世界で、問われ、採点対象となり、
評価されることであること。
ただ、おうおうにして、その設計図や楽譜を記憶喪失したり、
または、表現がぎくしゃくして、
「演奏失敗」「不良建築」に終わり、
次にまた、同じことをやり直しに来ている人は、
かなり多いということです。
・・この話は、これ以上は、ここでしたくないので、やめます。
ので、このことへの質問も疑問も、一切受け付けません。
●さて、今年の初めのちょうど、まる1ヶ月、
私は、ネットに関わる時間を、かなり大幅に減らしました。
そして、時間のほとんどを、眠るかさもなければ、
楽器に向かって、曲を作っていました。
これも、実は新しいことをしていたわけではなく、
次に作る「臨終の為の音楽」の前段階としての、
自分の整理と、吐き出し作業だったのです。
EO師は、そもそも瞑想などというものをする以前に、
人間は、欲望を十分に生きて、飽きるまでやる必要がある
といっていたのと同じで、
私の中には、音楽の枠を外れる実験をする前に、
音楽の枠の中で、やり残したことを生きて、やってみなくては
さっぱりと、次にいけないというものがありました。
それで、作ったのが「MOMENTO」です。
来週から、トラックダウンになり、また一仕事になります。
この作業が終わると、
本格的に瞑想的な要素を含む「臨終のための音楽」に
着手できることになりますが、それと同じぐらいに
重要なのが、まず、現時点での「表現しきる作業」です。
そういう意味では、今回のアルバムそのものも、
その瞑想的なプロセスの一部であり、
無心になる前には、とことん、考えるという事を
音楽でトレースしているようなものです。
そういう意味では、まずは、MOMENTOというものを
味わっていただかないと、次の臨終の音楽の持つ意味は
わからないと思います。
つまり、「Z-55」は下半身、
「MOMENTO」は、中部の中枢
「臨終音楽」は、頭部、
つまり、この3つのアルバムは、
3脳生物的な位置づけにあるわけです。
Z-55は、私の身体が作り出した音だとすると、
MOMENTOは、思考や感情が作り出したものです。
臨終の音楽は、思考ではないものが作り出すものとなります。
ですから、これらはシリーズ3部作として
3つ揃って、はじめて、バランスを持ったものとなる予定なのです。
●これと、同じ作業、つまり、
身体の各中枢で、やり残したことは、かたっぱしから、順番に片付けて、
余計なものをどんどん排除して、
意識の中に、より広い空白地帯を持つこと、
これが、17という数字の持つ、今年の傾向であると私は見ています。
そういう意味では、日本も下手な外交で変な手に打って出ずに、
じっと、いままでのデータをよく分析していた方がいいです。
むやみに、新しいことに手を出さず、
古いことを徹底して、整理整頓するわけです。
新しい動きを期待したり、作ろうとあがくよりも、
そのことが「結果」として、
新鮮なものを自分の中へと、持ち込むことが出来ますから。
●ということで、今年の1月に、普通のことしてた人は残念です。
いままでよりも、何倍も内省的に、
自分の問題だけを見ていた人は、正解です。
それも、今後の自分のことではなく、これまでの自分の人生全体に
描かれている地上絵を、空から傍観するような方法によってです。
現実の生活を、はいずるように生きているときには、
自分の地上絵の全体は見えませんから。
今年は不安定な年でもなく、流動的な年でもありません。
17という奇数ながらも、その根底あって機能するのは、
「16」が象徴する「記憶の大地」です。
自分について分かりきっていると思い込んでいることを
本当には、わかりきっていなかったことを知るべき年になるでしょう。
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