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[3513]
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■「わかりやすい」禅問答講座
by:
崩 残
2006/04/16(Sun)17:04:32
最終回は、次回の投稿にするとして、ここで、もう一服、
夕暮れの、お茶の時間にしましょう。
出題ではないので、気楽に読んでみると良いでしょう。
こんな問いがあったら、皆さんは、どうしますか?
> 【 まるを描かずに まるを描いてみなさい 】
これは、まるで、すべての禅問答の、真髄のようなものです。
いわば、論法そのものが全く成立していない。
質問にもなっていない質問です。
これは、骨組みだけにしたら、
「aをせず、aをせよ」、と言っているのと同じことです。完全なナンセンスです。
しかし、これが、ほとんどすべての禅問答の基本となる、
パラドックスの骨子なのです。
●さて、ここで、小馬鹿にしておいた、あの浅田幽雪君が、
先の「竹を斬れ」の問答に答えて「言おうとしたこと」は、
こういう事です。
もしも、この問いを突きつけられたらば、
彼の場合には、指で空中でも、テーブルでも、
さっさと円を描いておいてからに、
あとで、こう言い腐るわけです。
「これは、円ではありません。今という点が動いただけです」と。
「今、今、今の点があるだけで、円なるものは幻想だ」と。
あるいは、他の多くの読者も、
「すでに円は描かれています」とか適当に、
何もわかっていない足場から、いいかげんな事を言うに違いないでしょう。
禅寺の坊主ならば、それほどまでに、
仏法を、さもわかったような事を言うのであれば、
>だったらば、
>その、点と円を、「不二」にしてみなさい、
と私は言うだろう。
すると、彼は、また屁理屈を言うのである。
「点も円も、そもそも、作り物だ。今には、何も問題はない」と。
●しかし、こんな程度のことは、
竹の間を、たったの1年見ている人(ただの思考)でも、
言えるんですよ。
事実、皆さんは、がんがん、言ってきますからね。
_______________________________
●さて、ここで、再び、竹の間の読者の皆さんへです。
禅問答の「抜け道」とは、
「どうやって抜けるか」、でもなく、
「どうやって、後づけの理屈を言うか」、でもなくて、
「問いが、どうなっているのか?」への「凝視」の中にこそあります。
ここで、あなたが、問いに、完全に縛られてみれば、
問いが、どうやって「あなたを縛っているのか」をただ観ればいいのですよ。
しかし、簡単に「分かった気にだけ、なりがちな人」は、
「円を書くということは、人の思考の中にしかない」
などと、さも、それで分かったような気にだけなります。
しかし、「本当に」分かっていないから、
つまり、あなたの「意識状態そのも」が、「現に今そこで」、
そのようになっていないからこそ、
多くの皆さんの答えは、
ことごとく、中身のない、味のない、意識の輝きのない、
死んだものばかりになるのです。
●たとえば、その「死んだ答え」のひとつの例を言うならば、
こういう答えが、まずひとつあるだろう。
>問いを聞いて、びっくりした小僧は、 目を丸くした。
なるほど、あるがままに、進退窮まってしまい、目を丸くして、
実に「正直でよろしい」が、
まー、よくて「漫才」ってところです。
小僧が、途方にくれて、口をあんぐりあけても、同じこと。
「一休さんのトンチ程度」といったところの「低レベル返答」です。
「まる」を、物理的な形にしてしまったところが、落ち度なのです。
●これが、「中レベルの返答」になってくると、こうなるでしょう。
>「まるを描かずに、まるを描いてみなさい」
>「痛てぇーじゃないか!!
> おいらが、一体、何の悪さをしたって言うのさ? 三蔵法師様!!」
解説は、ヤボなのでしませんよ。
_______________________________
●そして、「上級レベルの、駆け引き」になってくると、こうなります。
> 老師「小僧さんや。
> まるを描かずに、まるを描いてみなさい。」
> 小僧「まるとは、何ですか?」
> 老師「実は、ワシも、まるの事は知らんのだが・・、
> 何ですか? の方は、わかっているんだ!」
> 小僧「では、何ですか?とは、何 なのですか??」
> 老師「それは、まる なんじゃよ。」
_______________________________
【解説】
老師は、ごく簡単な基本的な問いを小僧にしてみたわけである。
小僧としても、まる や 描くことに囚われたら、してやられてしまう。
そこで、小僧も負けじと、老師に食い下がる。
「まる とは 何ですか?」
小僧としては、
自分がうっかり「まる」の観念を持たないように気をつけ、
逆に、老師の頭の中に、なんとか「まる」を描かせられないかと
無力に反撃してみたわけである。
すると、老師は言う
「実は、ワシも、まる が何であるかは知らんのだ・・・」
と、ここまでなら、小僧にも予測できる言葉である。
小僧もそんなことは、わかっている。
「そうだよな。老師だって、まるなんて、知らないんだ。
そんな観念には、頓着してはいないんだから・・・・・」
ところが、老師はこういう
「だが・・何ですか?の方は、ワシは知っておるぞぉ」と。
これも小僧にしてみれば、
「何ですか?というのは、人間の中の疑問だな。つまり迷いの元だな」と、
この程度の「解釈」をしているわけである。
そこで、小僧は、確認をすべく、こう言うのである。
> 「では、何ですか? とは、何 なのですか?」
ところが、どっこい、
老師は、トンデモないことを言うのだ。
> 「それは、まる なんじゃよ」
______________________________
問いと答えが、同一の平面にあることを、
完全に見切った意識が「体現」した
「結末」です。
「まる」と、「何」と、「描く」の不条理が、
問いの不条理さよりも、もっと巨大な不条理によって、
「ひとつ」になる瞬間。
○
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