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宇宙・悟り・意識の変化の問題を中心とする「間」です。
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●バーナデットロバーツと禅●第一回
by:
崩 残
2006/04/18(Tue)06:26:12
ちょうど、禅という「カビ臭い」世界が、一段落したので、
今度は、意識の旅の「観光ガイド」の矛先を、
「西洋」に向けてみて、新しいシリーズを始めてみましょう。
このシリーズでは、
「バーナデットロバーツ」を題材にしてゆく「予定」です。
ただし、
今回のこの投稿には、彼女の直接の言葉というのは、登場しません。
そこで、初回の今回は、
いくつかの、「私からの言葉」を、ここに残しておきますので、
それを、これから、意識の「旅への扉」にしてみます。
>________________________________
> 人が、存在として、 最後に見るものは、
> 宇宙が、存在として、最初に見たものである。
>________________________________
>小悟とは、喩えて言うならば、
>いつまでも「鏡」の前で悟りの様相を見ている状態である。
>すなわち、まだ悟りを対象化しているのである。
>大悟とは、「鏡を鏡が見ている」状態に「似て」いる。
>そこで見られるものは、すべてが悟りであり、
>正しく言うならば、そこに「在る」のは、悟りだけであり、
>悟りを「知る者(見る者)」はない。
>鏡の無限の反射が生ずるという、
>その「現象そのもの」が、「在る」のみである。
>すなわち、
>見ている「鏡」と、
>見られている「鏡」と、
>見るという状態。
>それぞれが、もうひとつの鏡を反射する現象の中にある、
>この「3つ」の要素は、
>区別されることなく、一瞬のうちに、そこに「在る」。
>_______________________________
西洋には、こういう言葉がある。
「神は、自ら助くる者を 助く」
この言葉は、何世紀もの間、完璧に誤解をされ続けてきた言葉である。
これは、正しく言い換えるならば、
>「全体」は、「個」が自分で自分をなんとかしようとする個の中に
>入ってくる、
という意味においては、普通の解釈でも「部分的には」正しいが、
仮に、その状態を、「悟りが人の中に入った」と言い換えるならば、
「その次の段階」では、
>「全体」は、「全体それ自体」が、全体で在るために
>個を破壊する。
ということになる。
これを西洋風にいえば、すなわち、
>はじめに、神は独りを助けにくる。
>が、最後には、
>神が神自身を助ける。
>そのとき、言われる言葉があるとしたら、
>「神は神なり」である。
>もしも、それ以後も言われる言葉があるとしたら、
>「神」の一言である。
>そして、もしも、それ以後にも言われる言葉があるとしたら、
>「 」・・・無言のみである。
●ここでまた、この構造を、神という用語を「悟り」に置き換えると、
東洋の人たちには、構造が、とても、わかりやすくなるだろう。
>はじめに、悟りは、あなた一人を助けるために「生ずる」。
>次に、悟りは、個ではなく、「悟りそれ自体のための悟り、に入る」。
>そのときに、語られる言葉があるとしたら、
>そこでは、「悟りが、悟っている」である。
>そのあとに、まだ言われる言葉があるとしたら、
>「悟り」である。
>さらに、その上に、言うべきことがあるとしたら、
>「 」沈黙するのみである。
______________________________
●「悟りなき悟り」の本を持っている人は、
「悟りの段階の定義」の部分を、今、開いてみるとよい。
そこでは、
・ゾンビ的な完璧な「無意識」と、思考と感情の混乱の状態」を4とし、
・思考に対する客観観測がなんとか成立している状態を3とし、
・思考が完全に停止して、知覚現象のみの状態を2とし、
・「在る」という存在感の形での知覚対象(主体感覚)も消えた
「存在性」を1とし、
・絶対無を0(ゼロ)と位置づけた。
______________________________
ここで、これを、幼い子供にもわかる、
「絵本」の物語のようにして語ると、
それは、次のようになります。
なお、各数字から数字への「移動の中間領域」をも説明するために、
「0.5」単位の「少数」も出てきます。
______________________________
>タイトル
【 家 地 獄 】
>●【ゴミ屋敷】=4●「混乱と苦痛」
思考と感情と苦悩と喜怒哀楽で、その人の部屋は、
ゴミだらけでした。
窓はひとつもなくて、部屋には悪臭が漂いました。
しかし、その人には、その世界が、すべてでしたので、
それを何とも思わないでいました。
時おり、外の世界で楽しげな声がしますが、
その人の家の窓も、ゴミで塞がっていましたので、
外を見ることは出来ませんでした。
ただ、外で誰かが楽しくしているのだろう、
でも、自分には関係ない、と思って、
その人は、部屋の中で暮らしていました。
>●【窓があった】=3●「観察点との遭遇」
あるとき、ふと地震が起きて、その人の部屋のゴミの一部が、
崩れ落ちました。すると、それまで窓などないと思っていた部屋には
窓がありました。
そこで、その人は、その窓の外を見たいと思いましたが、
その窓は、とても僅かにしか空いていませんので、
外は、あまりよく見えませんでした。
その人には、外は見えませんが、しかし、
時折、すーっと、爽やかな風が、
部屋の中に、かすかに入ってくるのを感じました。
その日から、その人は、部屋のゴミを少しずつ、片付けてみたいと
思いました。
>●【ゴミが減らない】=2.5●「自分の問題をひとつに絞り込む」
ところが、その人が、ゴミを捨てれば捨てるほどに、
新しいゴミが部屋に入ってきます。
実は、新しく入ってきているのではなくて、その人は、
ただ、ゴミを、自分の部屋の中にまとめて捨てていただけなのでした。
ゴミは、一箇所にまとまりましたが、何も捨てられていません。
そして、窓から風に乗ってやってくる新しいゴミまでも、
その人は、部屋の中に、どんどんと溜めてしまったのです。
それでも、その人は、ゴミを袋にまとめたおかげで、
窓のところだけは、すっきりと、空間が空きました。
すると、窓の外では、楽しげな声がし、窓からはきれいな空気が
流れ込んできます。
だから、その人は、
なんとかして、「ゴミの袋」を捨てようとしたのですが、
ゴミを捨てる「方法」を、その人は知りませんでした。
>●【ゴミが消えて、部屋だけが残った】=2●「小悟の瞬間」
あるとき、その人は、窓から外を覗いていたら、
滑って、その窓から偶然に、外へ転がり出そうになりました。
体半分が、窓の外に出てしまったので。
その人は、あわてて、部屋の中に戻りました。
すると、どうでしょう。
(リフォーム番組のナレーション的に言うと、
「・・・なんということでしょう・・・」)
振り返ると、部屋の中のゴミは、すべて消えていました。
その人が、窓から外を覗き込んだときに、
その人が抱えていたゴミは、その人の背中から、
すべて、外にすべり落ちてしまったのです。
こうして、その人の部屋には、もうゴミはなくなりました。
しかし、実は、その人が捨てたのは、ゴミではなく、
ゴミを捨てられないでいた者、
そして、ゴミを集めていた「本人そのもの」でした。
それは、つまり、その人の中の「私」なのでした。
その人の「私」が、窓の外へ消えてしまったと同時に、
部屋のゴミも、幻だったかのように、消え去ったのでした。
>●【風通しの良い部屋】=2●「小悟での停滞」=ゆったりとした大河
その人は、今まではゴミだらけだった部屋から何もなくなったので、
窓を開け、空気を満喫しました。
外からは、暖かい光が差し込んできます。
その人は、とても幸せで、安心しました。
その家は、とても安らかで、安住できる家となりました。
その人は、何日も、何ヶ月も、何もなくなった部屋の中を
風や光が満たしては、去ってゆくことを楽しみました。
>●【窓の外の世界に興味を持つ】=1.5●「入り江を見る」
やがて、部屋の中での安息の日々を過ごしたあと、
その人は、ふと、窓辺から、外を見ました。
そして、外の世界に、以前よりも、もっと興味を持ったのです。
すると、ある日、朝起きて、気がつくと、
壁の4つの窓が、以前よりも、何倍も大きくなっていて、
壁の半分以上が、窓になっていたのでした。
そんなことが、何日か続き、そのたびに、窓枠は、大きくなり続けて、
とうとう、その人の家は、壁も床も天井も、
すべてが、ガラス張りになってしまいました。
そこで、その人は、
手をそっと、そのガラスに触れると、こう思いました。
「このガラスは、何だろう」
「もう、外からはまる見えだし、家の中からもまる見え」
「これでは、このガラスのベールは、なぜ存在しているのだろう」
>●【暗夜】=0●「入り江が迫ってくる」
ある新月の夜、とても深い暗闇がやってきました。
そして、遠くの地平線から、
「何か得体の知れないもの」がやってきました。
それは、ゴーっという音を立てて、こちらにやってきました。
その人は、とても怖くなりました。
ガラスで出来た家など、あの何かがきたら、ひとたまりもない。
しかし、その人に、なすすべはありません。
闇の台風のような「それ」は、その人の家を直撃しました。
その人は、そのまま気を失いました。
>●【さら地】=1●「河は、大海とひとつになる」
翌朝、その人が目を覚ますと、
「家」は、どこにもありませんでした。
その人には、枕するところは、もうないのでした。
そして、その人には、ガラスの壁と天井すら、必要がなくなりました。
その人は、外の空間と、ひとつになったからです。
>●【色即是空】=十牛図・第十図●「大海の、荒波 のみがある」
またの名を「はじめであり おわりであるもの」●
その人が、その平原に立っていると、
ひとりの、品のいい老婆が、その人に、こう尋ねました。
老婆「あなた、こんなところで、何をされているの?」
その人「私には、家がなくなったのです」
すると、老婆は続けて、尋ねました。
老婆「家がないと、言っているそのあなたは、
今、どこにいるのですか?」
その人「はい。今は、老婆のそのお声の中にも、います。」
すると老婆は、消え去りました。
そして、その人も、消え去りました。
・○・
_______________________________
以上が、最も混乱した人間の状態が、
もっとも初期の状態へと帰還するプロセスの、
非常におおざっぱな「概略」です。
人が、その旅の「最後の 死」で出会うもの。
それは、
神が、その創生の「最初の 誕生」に出逢ったものである。
_______________________________
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