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[3533]
■
家庭も国家も同じく「病んでゆく」、その原理
by:
崩残
2006/05/27(Sat)06:22:11
>世の中には、親との関係を別に斬る必要もない人も多いが、
>現代では、大半は、本人の願望や精神的な目的自体の中に、
>親の毒が入り込んでいる。
「毒になる親」という本は、多くの人が知っていると思いますが、
AC問題の現場で、もっとも重症である家族は、
問題が表面化しない家族である、という事も重要です。
家族のうちの誰かに心理的苦痛の自覚症状が出て、
問題行動を起こすならば、まずは、その群れの中で、
とりあえず正常化しつつある可能性がその人には出てくる。
しかし、何も問題がほとんど表出しないように見える家族
これがもっとも重度に病んでいるというのも、
ACの研究体系と、私の見解が、共通する見解である。
痛むならまだマシだが、痛みすら感じないということは、
痛みを感じないように、親から子供へと「調教」されたという
ことなのである。
アダルトチルドレンの問題は、
私は、「ゾンビ化する人々」の著書や、「悟りなき悟り」の中でも
周辺問題として少し取り上げたように、いくつかの特徴があるものの、
簡単に言ってしまえば、
@
>大人社会のルールに子供が巻き込まれて、親に洗脳されたということ。
A
>子供同士で遊ぶことで、子供らしく感性や思考が生きること、
>それが、家庭環境や地域環境によって疎外されて、
>子供が、大人の目(損得の考え方)を気にするようになってしまう。
B
>機能不全家族の親は、決して子供を自立できないように工作する。
>たとえ経済的には自立していたり、物理的に離れて暮らしていても、
>その後、決して精神的には自立できないペット状態に子供を置くための
>仕込みを子供の中に植えつけておくことをしている。
C
>肉体や、心的な虐待といった派手な虐待にかぎらず、
>兄弟間差別、親の被害者意識の感染、夫婦の不満の八つ当たりに
>子供が使われるなどといったケースが多い。
D
>それに対して、子供が「嫌だ」と拒否することを親から制圧されたり、
>または子供自らが自分で我慢してしまい、
>抑圧した「拒否感情」の膨大な蓄積をしてしまう。
______________________________
◆そもそも、AC問題は、もともとはアルコール依存家庭の問題が
アメリカなどで問題になったことが発端であったようだが、
突き詰めてゆくと、それは、アルコールや麻薬中毒だけではなく、
買いもの依存、セックス依存、宗教依存、
おしゃべり依存、ギャンブル依存、仕事依存症、
最近では、ネット依存やメール依存などの問題に、
すべて共通する原則が見出されたわけである。
最近では、パニック障害や、うつも、多くの原因が、
それに、かなりからんでいるケースが多い。
そしてこの依存とともに、その依存や病理に陥っている哀れな人を
>「自分の出番をつくるために利用し」、
>自分の存在意味の維持のために
>「常に自分が世話できる病人を必要とするもうひとつの依存症」、
>つまりは「共依存者」というものへの観察と定義がされてきた。
●それらの病理は、表面化しないほどに、深刻で有害である。
これは、多くの人にとって、他人事ではない。
が、自分のこととして観察しなおせる人が、物凄く少ないのである。
また、さらに屈折した病理は、
表面化しない「機能不全家族」の中で心の病理を持ったことに
無自覚な者は、自覚的に表面化している「自覚AC」の人のことを、
ムキになって、しつこく否定し、罵倒し、いじめるということである。
この構造というのは、私はネットのいくつかのサイトで、
その典型的な例を見たことがある。
たとえば、ネットの主催者が「コンプレックスや、虚勢を張るといった、
非常に、誰にでも、わかりやすい精神的な病理を持っていて、
かつ、その機能不全家族の病理的側面を、本人が自分である程度自覚し、
自分の問題として痛みを感じているとすると、
そうした「自覚的AC」の者に対して、
ふだんの生活では、ほとんど「無気力な人間であろう者たち」が、
そのときだけは、異常なほどムキになって、感情的なほどに、
その「自覚的AC」の者を、集団イジメのようにして、
つるし上げるのである。
数例だが、私は今年の初頭あたりまでは、
そうしたサイトを、ひとつでなく、数例、観たことがある。
こうしたことが起きる動機は、極めて明確である。
それは、そのときに、イジメに回る側が、
実は、自分がその家庭の病理に無自覚に毒されていて、
他者の中にそれが表面化しているのを観るのが本心では、つらく、
「自分のことを見たくもない」という動機から、
言葉によるイジメで、それを誤魔化して発散するか、
さもなければ、「自分はあいつとは違う」ということの材料にしたり、
または、もう少し屈折すると、
「その自覚的ACの者に手を貸す」といったポーズを取ることで、
「自分は、少なくともあいつよりは上だ」、という自分への慰めに
陥るわけである。
たいていの場合において、それは、
多勢で1人をつるし上げるといった、集団性を持っていることも
特徴である。
●そして、面白いことに、それらのもっとも重度な病理にある、
無自覚ACの大きな特徴は、リアルの世界での「無気力さ」である。
また、自分の汚点を自覚させるような、
イジメの対象者が見つかったときだけには、しらけるどころか、
妙に、熱くなるといった病理をあらわにするものである。
■近年で、その病理が最も露見したのが、
実は、あのオウム事件である。
あれほど馬鹿げたエセ宗教集団はなく、あれほどうさん臭い
集団もなく、あれほどACの集まっているところもなく、
まさに、お笑いの種でしかないほど、漫画チックな犯罪集団であった
のであるが、
それと全く同じ愚かさを持っていたのが、
マスコミなのである。当時の報道を指揮して、それに携わった世代というのが、
まさに、敗戦の敗北感を背負った世代であったり、
または、その親に育てられた子供なのである。
結局のところ、彼らがあれほどムキになって、
ある種の人権侵害の領域にまで、報道がエスカレートした原因というのは、
まさに、オウムという、喩えれば、学校内での、落ちこぼれた集団
に対して、同じような病理をかかえた、「もうひとつのグループ」
としてのマスコミが、
ここぞとばかりに、誰も異論を唱えないというお墨付きに
安座して、その「社会的正義」を振りかざしたのであった。
あれは、まさに、オウム、マスコミ、
その双方にある「機能不全家族性」そのままが
「社会現象として露見した瞬間」であった。
どっちも、「お互い様」というほどにその本質は愚かなのであるから、
類は友を呼んだという意味で、当時のマスコミは、その本質においては、
オウムと等質程度の愚かなものなのであった。
神経がまともな、視聴者が当時あれを見ていたら、
「ありゃ、一体、どっちが、カルトなんだよ」と思ったことだろう。
事実は「どっちもカルト ショー」だったのであるが。
すなわち、オウムに「身勝手なカルト教義」が巣食っているなら、
マスコミには「マスコミ教」なる勝手な正義が巣食っているわけである。
そうしたマスコミ教や、国家権力から独立している、
ほんのわずかなジャーナリストを除いたら、
本物の「強いものイジメ」を出来るジャーナリストというの、
今では本当に少なくなったのである。
_____________________________
■さて、そこで、次は、これらの病理を形成した、
「社会的な背景」というものが「全くないわけではない」という話を。
私は大学にいたときに、自分より下の後輩というのが、
まるで個性が欠落し、無気力で、どれも同じような雰囲気しか持っていない
ということを不思議に思ったことがある。
当時は、単なる世代交代であるぐらいにしか思っていなかったが、
今にして、思えば、「無気力」というのは、
単に、しらけて冷めていることでもなく、むろん冷静なのでもなく、
単に「鈍感」なだけなのであるが、
それが「誰にとって得になっていたか」を考えると、
そこに「機能不全家族」の構図がもうひとつ見えてくる。
「鉄は熱いうちに打て」というがごとく、
人の精神というのは、熱い状態にないと、変形することは出来ない。
熱い状態というのは、感性が過敏で、感情や痛みもそこにあり、
ある意味で分子が不安定な状態であるが、それを可能にしているのが
「熱」である。
ところがこの熱が欠落した人たちは、文字どおり、
どれだけの圧力がかかったところで、「悪い意味で」変化のしようがない。
ずっと、怠惰で、鈍感で、何もリアリティーを感じられない。
しかし、そうなった原因の「ひとつ」が、
そうした子供を産み育てた「親の世代」にあるのである。
日本に限ればの話であるが、
そうした最初の「無気力な子供」を生み出したのは、
団塊の世代とか、いわゆる学生運動に足を突っ込んだ親たちである。
そして、その後の、バブル絶頂期の経済の中を生きて、
なんでも金さえあれば出来ると思い込んだ親、
学歴社会というコマーシャルに乗せられて、
わが子を、安定収入のための受験戦争という、
「親に都合の戦争」に追い込んだのも、この世代の親たちである。
そして、この親たちのうち、特に父親たちが味わったのは、
学生運動の敗北。
もっとも、そんな敗北は、「東京や都市部近郊」に限ったことであるから、
問題の本当の根は、学生運動に関係したか否かでなく、
たとえ、田舎であっても、その親たちが、
>何かの敗北感を感じた、ということにある。
たとえば、国民が共通して感じた敗北感、
それは言うまでもなく「敗戦」である。
この時点から、国民的な
「敗北感」「被害者意識」「劣等感」といったものが心に巣食い
その反動に、そうした親は、自分の敗北感、劣等感、といったものを
克服する道具として、子供に「期待をかけた」のである。
むろん戦中を生きた親たちは、自分たちが食うことに困ったから
せめて自分の子供にはそういう思いはさせたくないとの
親心もあっただろうが、そこは、それこそ、次の言葉を思い出す
必要がある。
「人はパンのみにて生きるにあらず」
>人間にとって、重要な問題は、
>どうやって食う(生きる)ということでなく、
>何のために食う(生きる)かである。
>とりあえず食い、満腹したら、生の目的はあとで考える、
>それでは「人ではない」。
>飢えながらも、何で食ってまで生きるのか、その目的を思考するのが
>人というものの「最低限の資質」である。
●さて、そうした戦後を生きた親たちは、
良い子、また自由な子、安定収入で、老後の面倒を見てくれる子、
彼らが、自分たちの世代には、手に入れられなかったものを、
自分の子供に押し付けたのである。
そして、表向きは、子供の幸福や自由を支援する、
平和を大切にしなさい、という偽善的なポーズをとりながら、
実のところ、機能不全家族の親がやっている実態というのは、
>子供を自立させることではなく、
>自分の中の、劣等感、敗北感、被害者意識、差別感といったものの
>八つ当たりの場として、自分が感じたものと同じことを子供にする、
>そのための仕込みに、子供を無気力化して、
>親に反逆的にならない、親に都合の良いような
>表面的な平和を好む子供にすること。
ということであるから、飴と鞭を使って、
子供にお金やオモチャという飴を買い与えては、
一方では、親に逆らわない子供に育て上げてゆく。
この場合には、たいていは、
親も子供もその自分のやっている事には全くの無自覚である。
●逆に、全くおいしいところもなく、
ただ心理的、肉体的に虐待された、という子供の方が、
「ある意味」では、まだマシな面を持っている。
というのも、そうされた子供は親に何も期待しないし、
傷を受けているという自覚かあるからである。
ところが、鞭だけでなく、親からコントロールされるために
「おいしい飴」を与えられてきた子供の方が、
より無自覚的に重症になるものなのである。
そうした子供は、全くわからないうちに、親の手口に
完全に一杯食わされて、騙されてきた、ということであるから。
「自立を支援するかのように」子供に見せて、実は縛り、
「自由に考えていいよ」と、放任したフリをしては、実は縛り、
そうやって、自分の不満をぶつけていると悟られないようにして、
実は、自分の不満を子供にぶつけ、
大人の駆け引きの中に子供を巻き込み、
>「いつまでも、自分が、八つ当たりの対象として、いたぶれる子供」
>「いつまでも、自分なしでは生きられない依存症の無力な子供」
=自分の虐待の対象をそこに育てあげたのである。
彼らが育てたのは、
動物学的な意味での生存能力を持った次世代の子供でなく、
単なる「虐待の連鎖をするための子供」だったのである。
________________________________
●この世代の親が育てた多くの子供の陥った病理が、
いわゆる「エセ平和主義」「物質主義」なわけであるが、
一番、私が問題だと思ったのは、その子供たちの「無気力さ」である。
「集中力がない」というのも特徴。
そうした敗戦経験をした親に育てられた世代の子供と、
さらにその子供という世代に連鎖してゆくに従い、
結局のところ、親が自分が死ぬまでずっと、
それとわからないように、子供を縛るのである。
子供を自立できないようにして自分の支配下に置き、
子供を自分の不満の八つ当たりの対象にするのに、
もっとも効率の良い方法とは、
>子供から、気力そのものを奪うことである。
>子供から、疑問する能力を奪うことである。
「お前たちは無気力だ」と子供に文句を言ってきたその親そのものが、
実は、ほかならぬ、その「無気力な子供を望んで作った」ということなのである。
>無気力な子供は、親に都合がいい。
>疑問を持たない子供は、支配する側には都合がいい。
>自分の不満や夢を背負わせるための子供を、
>それと知らずに、悪意を持って育てた、ということなのである。
その親自体は、無気力人間どころか、むしろ、
戦中を生きた兵士崩れであったり、その後の戦後の日本で
モーレツ社員と言われた「熱い」人種なわけであるが、
ところが、敗北感、劣等感、といったものを投影する場所を、
それを、本来の「自分の敵」に対してではなく、
なんと、自分の子供や結婚した相手に向けてしまったのである。
______________________________
■こうした構造から、世界中の特に先進国で蔓延する
機能不全家族というものの原則は、
その家系の何代前からそれが始ったかという個体差はあるものの、
原則として、どこかで誰かが、
>「差別されたという意識」「自分たちは被害者だという意識」
>「自分は劣っているという意識」「自分は負けたという敗北感」
これを生じてしまった時点で、すぐにそれは、
その次の子供に感染する。しかも直接にではなく、
子供が本能的に、最も信頼しているはずの、自分の親から、
「緩慢で、巧妙なイジメ、過剰な期待、
または自分の不満の八つ当たり」を受けてきたのである。
>その結果、機能不全家族の親というのは、
>決して、自分を超える子供は許さない。
>自分より幸福になる子供は、許さない。
だから、いつでも自分以下の状態に子供を置いておくために、
子供の精神的な自立を妨げることをし、
その方法のひとつが、適当に褒めたりしかったりしながら、
>鞭と飴を与えて、
>「考えない子供」にし、
>かつ「反抗することは悪い」と洗脳し、
>「みんなと歩調をあわせなければイジメられる」といった
>恐怖を植えつけてしまい、
その親が、猫も杓子も陶酔した「学歴重視社会」の歪みが、
子供がその受験戦争や、
または家族の不和の中で生じた自分のストレスを、
「弱い立場の生徒に向けて発散する」という形で
「子供の中の、イジメ社会」という形を取って表面化したのである。
「支配者に都合の悪いことを考えられない、
非反抗的な子供を作る」という構造は、
「カルト教団が信者を縛る方法」と全く同じであるのだから、
>この世で最大の、「最も有害なカルト教祖」とは、
>「歪んだ親」だとすら言える。
●そして、その底流にもうひとつずっとあるもの、
それは、「無気力さこそ、洗脳と支配がつけこめる最大の穴だ」ということ。
これこそが、日本が、アメリカの八つ当たりを受けているのと
同じ構造である。
いつまでも、日本が自立できないように、調教しようとしているのである。
いつまでも、日本が、アメリカに対して「ノー」を言えない、
陰湿な構造と同じなのである。
_____________________________
こうした、「敗北感」というもののはけ口が連鎖するために、
だからこそ、機能不全家族や、各種依存症の病理問題は、
かつて、黒人に対する人種差別の大きかったアメリカで発生し、
また、ベトナム戦争で辛酸を舐めたアメリカで、家族問題が発生し、
敗戦後の日本で、それは蔓延し、
同じことは、同じように、
「他者に差別された意識を持ってしまい」
「他者に侵略された、虐待されたという意識を持ってしまい」
「他者に負けたという意識を持ってしまい」
「他者との比較劣等感を持ってしまった」
「そういう社会」で、この機能不全家族は、発生しやすい。
例をあげれば、古くは、ユダヤ人社会などは、
自分たちは、国を追い出されたという主張からして、
その典型的な「被害者意識」であるし、
キリスト教などは、劣等感を植えつける「脅迫文」の塊でしかないし、
仏教経典なども、極楽と地獄という、飴と鞭でしかないし、
しつこく、いつまでも日本を侵略者として、ののしる韓国や北朝鮮で、
そうした「被害者意識」の作り出す病理は蔓延している。
とにかく、そこに、
「人道的、社会的な正当性が、あろうがなかろうが」、
>「自分が被害を受けた、負けた、差別されている」、という
>意識を持った時点で、それを「持った方の側が、病理に陥る」
という大原則の心の法則を、よくよく覚えておかなくてはならない。
問題になるのは、法律でも国際法でも、世論でも、
世間常識でも、人間性でもない。
>正当な言い分があるからといって、病理が治まるわけではない。
>裁判に勝ったところで、病理が治るわけではない。
問題の本当の最大の根っこは、家庭の内部であれ、
国家的な影響であれ、
人間という生物は、自分が、
>「何かの被害者だ」「差別された」「虐待された」「敗北した」
>ということを「感じて、それを嫌悪した時点」で、
>その病理は開始するのだということ。
>加害者を特定できたり、加害者を裁いて、焼いて「殺したところで」、
>その心の病理の連鎖は、絶対に、止まらないということである。
_______________________________
●ちなみに、
>「敗北感」と「挫折感」は大きく異なる、
という区別は、しておいてください。
敗北感というのは、相手あってのことですから、敗北感には、
加害者と被害者といった対立構造が生まれます。
しかし、「挫折感」というのは、「自爆」であるわけですから、
自分が自己責任において目指したものに到達できなかった
ということで、あくまでも、その「挫折感」は、自己嫌悪だけに留まります。
それは誰かのせいではなく自分のせいであると本人は知っているからです。
これに比較して、「敗北感」というのは、その責任を
他者に押し付けます。そして責任を押し付けるのでない形を取る
場合には、ただ、ただ、イジメや、虐待や、罵倒や、
自分よりも下だと見た人間や、自分の子供にたいして、
つまりは「弱い者いじめ」に走るのである。
それらのすべては、自分が経験したものを
自分ひとりで解決しようとせずに、他者を巻き込んで、
それによって、自分の問題を直視することから目を背ける、
という動機から発生している。
>依存症や機能不全家族の最大の特徴とは、
>それは、自分個人の問題に目を向けることから逃避するために、
社会的正義、社会常識などを振りかざし、
時には、宗教教義を振りかざし、金を振りかざし、
愛とか平和のスローガンを振りかざし、
多数意見が正しいと思い込んでしまい、
偽善と、エセ・ボランティア精神を振りかざし、
そうやって、「自分の問題に取り掛かることから逃げまわる口実」を
次から次へとあさっては、
その不満と心の歪みを、
自分が「確実に優位な立場に立てる」弱者としての
「自分の子供や伴侶」へと向けるのである。
そして、それでもまだ、不満と余力が「余っている」と、
(経営者の場合には)その心の歪みを「社員に」向け、
カルトの教祖は、その心の歪みを「信者に」向け、
政治家や首相という立場の場合には、
その全くもってして、「単純な」ただの心の歪みを、
政策決定というサド行為によって、「国民に向ける」のである。
小泉さんは、「芸者の首」を締めたお次は、
「国民の首を絞める」という歪んだ行為をしているのだろう。
だから、これからの世の中は、
政治家になろうとする者は、まずは、その資格を得るために、
金では絶対にカルテを買えない、
不正なき、本物の「カウンセリングを受ける」という法の制度でも
作ることですね。
_______________________________
●
もしも、無明庵というものが、皆さんに対して、やろうとしている事
そのような大げさなものが、仮にあるとしたら、
それは、ゆがんでしまった大人を、もう一度、子供に戻すこと。
親や社会のために我慢することを覚え、
親や社会に無気力にさせられてしまった「大きな子供」に、
もう一度、「子供を生きること」を教えること。
素朴で、当たり前の純粋な、子供に当たり前にあった、
「疑問する頭」を奪ってしまうような、
宗教組織、宗教教義、
国家教義、親の考えには、「考えて疑問を持ち」「逆らえ」と教えること。
たとえ、その相手が神だろうが、
創造主だろうが、
高度に発達した意識を持つ異星、異次元の存在だろうが、
社会的反逆者になどなる必要はないから、
「魂だけは、誰にも売るな」
「湧き上がる疑問があるなら、それを決して、捨てるな」
「自分の問題を直視しろ」
「何かを、おかしいと思ったら、刺し違えるつもりで戦え」
そう語ることで、
もう一度、子供の持つ純粋さに戻って、
「子供らしく生きられる大人」を
私は、育てようとしているのである。
子供の欲望、
子供の甘え、
子供の恋愛、
子供の知恵、
子供の疑問、
子供としての遊びかた、
大人が子供に洗脳してきた大人の損得勘定のルールによってではなく、
損得のない子供の、自発的な生き方と遊び方を、
もう一度、取り戻すこと。
しかし、今の社会は、防犯だ、危機管理だという方向へと進み、
かつては、大人社会とは別に、きちんと「分断をされていた」
「子供同士が作った社会」が失われてしまい、
子供たちが、外で、日が沈むまで遊んでいるという光景が、
この国からは、失われてしまった。
だから、今、歪んだ大人になってしまったあなたたちが、
もう一度、「子供として」、
「自分の中に、植え込まれてきたものに反逆する」しかないのである。
そして、それには鉄則がある。
子供は夕暮れまで外で遊ぶ。
しかし、今、大人になってしまったあなたたちは、
昼、社会の毒と関わっているときではなく、
逆に、真夜中になったら、
他者や、ネットやメールなどを一切離れて、
「たった一人になって、自分の中を観ること」。
それが、今、皆さんに出来る、
もう一度、当たり前に子供を生きるための基礎なのです。
それを、過去の中に中途半端に残してきたままでは、
何ひとつも、次の一歩を進めることは出来ません。
_______________________________
★
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