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自殺
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[3593]
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「あかべこ」 そして、集団的自「殺」権
by:
崩残
2006/09/26(Tue)10:50:43
プラモオタクとか、
軍事バカボンとか、
バニーガール好きと噂されたり、
はたまた、爆笑の太田君の天敵としても知られており、
クリスチャン家系3代目とも言われる石破氏であるが、
我が家では「あかべこ」と呼ばれている。
特に意味はありません。雰囲気が、似ているからです。
■安倍氏をどうこう見るよりも、私は石破氏を見ている方が面白い。
日本版のネオコンと言われたりもしていますし、
彼の著作などに目は通していませんし、
どういう権力的背景を持つか詳細は知りませんが、
安倍氏を見るより、石破氏の発言の断片をよく見ている方が、
これから、日本の進む方向が分かるような気がする。
個人的には好きでも嫌いでもないが、ただ、多種の情報と状況分析に対して
冷静であることだけは言える。そして、良い意味で、したたかである。
■バブル絶頂期の日本においても、政治家の一部が考えていたことは、
「いかにして、アメリカに従属しているポーズを形としては取りながらも、
アメリカから自立的な国にするか」というものである。
悪く言えば、ポチのフリをしてアメリカに一杯食わせる、
良く言えば「アメリカすら気づかないようにして、
うまく、自立国にスライドする」
という方法論の模索であった。
いわば、ある意味では、まじめな政治家たちも当時はいたのである。
(今も、現存しているはず)
■ただ、問題なのは、石破氏もよく口にする「国益」ということの概念。
国益の定義が、そもそも困難なのである。
石破氏としては、彼が考えるところの理想や、彼が考えるところの
「国益」というものがあって、軍事的戦略や、自立型の日本への構想が
あるのだろうが、
国益というのは、もともとからして、「二つ」に分離している。
言うまでもなく、それは、
政治家にとっての国益と、
国民にとっての国益は、違うという現状である。
そして、国民が思うところの国益を優先すれば、
国家の国益は損なわれる可能性があり、
逆も真なりで、
国家の国益を優先すれば、国民の国益が損なわれるという図式である。
この両方が、うまく歩み寄ることや一致することなど、到底不可能である。
■そもそも、国民の血税や収益が、政治家どもの権力闘争や、利権争いに使われたり、
予算の取り合いで、私腹を肥やす役人がいるという構造、
そして、何よりも、問題なのは、選挙制度そのものである。
民主的とか言っていますが、それがもたらした結末は、
票と金をどうやって集めるかという愚かしい政治にすぎません。
私は、昔から言ってきたことですが、
電子的に不正が不可能な状態で、またはアナログ的に紙で投票するのなら、
「国民投票」によって、「政策内容そのもの」を決定するという方向を
提唱しています。石破氏に言わせると、
「国民投票など採用している国は世界でほとんどない。それには問題がある」
という事になるのだろうが、
現状の、「人」を選ぶシステムの方が、よほど問題が累積してるのであるから。
どこの党の誰が言ったかは問題ではなく、政策の内容、その中身に
国民が票を投じる。これならば、国民としては矛盾を感じない。
むろん、それは、一種の「狂信的な多数決」「情報操作による洗脳」
「無知による多数決」という弊害は大きくあるが、
それでも、そうなれば、国民は、
軍事面の決定であるにしても、経済的決定であるにしても、
法律改正にしも、自分の生活に直接に戻ってくる物事となるのだから、
「自分の頭で考える」ということや、テレビでも「散々な論議」が
そこでなされることになるのであるから。
その結果、たとえば、戦争に突入した、あるいは、しない、
死刑に賛成した、反対した、年金制度をなくした、なくさない、
そうした問題に対しても、決定したことに対して、
それで、実害をこうむったとしても、国民としても、あきらめもつくのである。
そして、もしも
「こんな馬鹿な結果になる票を投じた国民のいる国にはいたくない」
と思ったら、海外に出ればいいのである。
●しかし、今のような、国民がどう選挙に投票しようが、
すべてが、ただの利権争い、政治家や企業の権力闘争に化けてしまうのでは、
そもそも、政治に興味を持つことすら、馬鹿らしくなるのである。
構造から言えば、政治家には、国民個人に対しては、
何の法的な拘束力も行使できない。
ただ、彼らは誰かに都合のよい法律を成立させるためだけに、
存在しているのみ。
一方で、実際に庶民に対して権力を行使できるのは、
警察、警視庁、自衛隊などのみである。つまりは武力。
裁判所は単なるおまけ。
ようするに、実質的な国民統制の「力」というのは、
「武力」であることには何も変わりないわけである。
民主主義を唱えようが、何主義を唱えようが、
「この武力による統率という本質(=逆らうと殺すぜ、投獄するぜ)」が
あるからこそ、アメリカをはじめ、どの国も、
テロリストのことを、どうこう言えたものではないのである。
統治の基本が、動物の支配力と全く同じ「武力の論理」であることには
何もひとつも変わりないのですから。
もしも、警察権力もなければ、武器も携帯しない、そういう組織が、
国を統治している国があったら、そこだけは「別世界」ですがね。
●そういった、「緩慢な武力」によって統率された国の国民が、
唯一、何かに反対できる力があるとしたら、
それは、簡単な方法では、何百万、とか一千万人規模の、
>莫大な人数による「不買運動」とか「不払い」による抵抗か、
>さもなければ、「十万人規模で、国会議事堂や、国家機関を
>取り巻いて、殺すなら殺してみろ、投獄したけりゃ、やってみろ」
という方法を取るしかないわけです。
そうした方法が取れない事が多いために、
結局は、武装勢力というのが現れてくるわけです。
たとえ、ピストル一丁と催涙弾しか携帯していない警察と言えども、
国が「武力で国民を統率している」かぎりは、
それに逆らう側も、武力を蓄積しようとしてしまう現象は当然であるわけです。
___________________________________________________________________
●で、政策内容に対して「国民投票」で決めるという方法を
部分的にでも採用することが、今のところは、根本的に何もかもが
腐った政治と、既得権にしがみつく連中の作る世界に、
多少なりとも、ヒビを入れることになると思います。
あくまでも、「一例」で、不適切なたとえではあるが、
かつて、「校則」で、いろいろともめた時代があったのを覚えている
でしょうか?
学校側が押し付けてくる、制服とか、髪型とか、その他を規制する
校則に対する反発とか、トラブルです。
そこで、ある学校が、生徒たち自身の協議によって校則を作らせたところ
問題のほとんどが解決したという話があります。
これをそのまま内政や外交政策に適応したら、
むろん、時には、「国益」を損なうことになることも決定される可能性は
ありますが、
少なくとも、個民1人1人が「自分の責任」ぐらいは感じますよ。
誰かを信じて投票したのに、あいつは、裏切ったとか、
どこかの党に投票したのに、嘘ついたとか、
どこの党は、宗教団体に金が流れるだとか、
どこの党はアメリカのポチだとか、
とにかく、人とか党が権力争いをしているところに、
私達の税金(年貢)など、投入しないで欲しいわけですよ。
■国民投票というものを中心に置くという、前代未聞の国家を
もしも構築できたら、諸外国の首相や政治家も、
特定の党とか、特定の人間とか
特定の企業とか、特定の層に「落としの」ターゲットを絞っても、
ほとんど無駄になってしまいます。
国外の首相も、「日本の国民の大多数」を納得させる得る
弁舌をしなければならなくなります。もう裏取引も、成立しません。
もっとも、そうやっても、金が飛び交うでしょうから、
その票には、不正とかの要素を完全に排除することは不可能でしょうが、
今の、自由だの、民主主義に見せかけただけの「独裁国家」よりは、
遥かに、マシだと私は思うのである。
政治家は、国民のことを(選挙期間以外は)、愚民どもだと思うだろうが、
その愚民が自分たち決定した政策で、愚民の国が滅ぶなら、
滅ぶ方も、本望ですよ。
もしも、国民投票で決めたのだったら、
イラクに派兵などしなかっただろう。
オウムなど、解体できただろう。
北への制裁にしても、もっと多くのことが出来ただろう。
中国や韓国の著作権侵害や、日本への言いがかりに対しても、
もっと、沢山の反論や経済的な抵抗が出来たことだろう。
その他、沢山のことが、
むろんときには、間違った選択をすることもあったかもしれないが、
少なくとも、自分の手の届かないところで、
勝手に政治や経済や法律が変化してゆくことへの、国民一人一人の
悔いとか、逆恨みとかは、もっと少なかったことだろう。
______________________________________________________________
だから、私は断言しておきますよ。
いいかげんにしないと、
「集合意識」の力を思い知ることになると。
集合意識というのは、古くはユングが提唱した概念ですが、
誰1人として、テロもしなければ、逆らいもしない、
従順で、役人や権力の言うとおり、適度なガス抜きで満足している、
そういう社会を作ったら最後、
絶対に、物理的に封じ込めることの出来ない力が累積する、ということです。
どんな武力や、核兵器や、どんな知力や、どんな言葉による洗脳や、
どんな電磁波や、どんな力をもってしても、
「全く歯が立たない力」というのが、この集合無意識というやつですから。
何しろ、それは世界の総人口よりも多いのですから。
なぜならば、そのネットワークには、
ここ約1000年間の「死者の数」が加算されるからです。
それが、今、非常に「速度的には緩慢」ではあるが、
地球や太陽系に、一体、何を引き寄せているか、
それは、政治家は、誰1人として知らないのでしょうね。
現在の人口の何十倍もあるその「集合無意識の層」に存在している
どんな、武力や、権力も「絶対に抵抗不可能な力」、
それは、「集団的自殺権」というやつですよ。
ただし、それによって自殺するのは、人間の肉体ではありません。
地球そのものがです。
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