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[3638]
■
仏に遭うては仏を殺し・・・・・・・・・
by:
崩残
2006/12/12(Tue)21:28:11
実は、松の間掲示板では、数日前から、
禅問答をやっていましたが、気づいた人は竹の間には全く
いないようですね。
そこで、ここでやりましょうかね。
今年、最後の「禅問答」です。
__________________________________________________________
柳生真陰流の極意書に、
「仏に遭うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し・・・」
とあるらしい。
しかし、その真意を会得している剣術師など、
この世のどこにもいませんよ。
何しろ、当の禅師ですら、ほとんど分かっていないのですから。
では、ここを読んでいる皆さんに、逆に、私から、
この問いを突きつけましょうか。
あなたは、この言葉をどう食うか?
この言葉を、
「仏に遭ったら仏を殺し・・・祖師に遭ったら」
と書いてあるからといって、それを、
「誰に遭おうが、己の道を究めるためには、それらを超えてゆけ」
と解釈するとしたら、「とんだ大馬鹿者」ですよ。
まったく違いますから。
そんなこと、考えたこともないし、
これを公案として持ち込んだ座禅もしたことなくて、
皆さんは、一体、この言葉を、どう理解していたと言うのでしょうね?
柳生真陰流の極意書には、
”仏に会っては仏を切り、よって剣の極意に至る”とあるらしいですが、
そもそも、剣術がこの言葉に、とんだ曲解をしようが、どうしようが、
関係ないですが、これは元々は、
「無門関 第一則」からのもので、肝心の「原文」が、
まったく抜け落ちていますよ。
仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、
■原 文■
↓
________________________________________________________
驀然として打発せば、天を驚かし、地を動ぜん。
関将軍の大刀を奪い得て、手にいるるが如く、
仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、
生死岸頭に於いて大自在を得、
六道四生の中に向かって遊戯三昧ならん。
しばらく作麼生か提撕せん。
平生の気力を尽くして、箇の無字を挙せよ。
もし間断せずんば好し法燭の一点すれば、すなわち著くに似ん。
________________________________________________________
「仏を殺し・・・」とは、この原文の、
「たったの一行」に出てくる句であるに過ぎません。
しかし、この原文の「他の部分」を皆さんが、いくら読んで解釈したところで、
真意だの極意だのは、この原文には、全く書いてありませんから。
(こじつければ、書いてあるとも言えなくはないのですが・・・)
では、この、
>「仏に遭うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、」
あなたは、どう会得しているでしょうか?
自分が本当に会得もしていないものを、極意だなどと語るとしたら、
その者は、とんだ愚か者ですよ。
いわんや、この句は、
「出会う者を、全員斬るぐらいの気迫で、人生の物事に当たれ」、
という意味でもなければ、
「自分に師を持つな」という意味でもなければ、
「仏といえども、自分の上に置くな」、という意味でもない。
「なんでもかんでも、無と斬り捨てろ」、これも全く違う。
そんなものは、まったく違う。これらは全て、とんだ誤解と歪曲。
まったく、全然、からっきし、まるっきり、違う。
●
この「仏に遭うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し」には、
少なくとも、2つの教えが含まれている。
それも、それは「禅」の教えであって、単なる倫理だの、
いわんや「兵法」や「生き延びるための方法」などでもない。
では、こうしましょうかね。
仏に遭っても、祖に遭ってもというのだから、
これは「たとえ、何に遭っても」、という事に、相違あるまい。
だとしたら、こうしよう、
**************************************************
侍である、あなたが、森を歩いていたとする。
すると、道端に、親子が倒れて横たわっていた。
近づくと、それは、ふたりして、息も絶えそうな母子であった。
それは、母子ともに、やがて死ぬことは、確実な事であった。
すると、母親は、あなたにこう言った。
「お侍様、御願いですから、その御刀で、私達を斬ってください。
もうこれ以上、苦しみとうございません。
後生ですから、どうか私達親子を、ここで切り捨てて下さい。」
**************************************************
さて、あなたはどうする?
仏に遭ったらと聞いて、
あなたたちは、仏像や僧侶でも、あなたの目の前に現れるとばかり、
思い込んでいるだろう。
しかし、もしも、こういう形で「仏」が現れたら、
あなたは、一体、どうするつもりか。
「仏に遭うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し・・・」
それをここで、あなたは、どう「体現」するのか、
真剣に、考えて、自分で自分に、答えてみてください。
釘を刺しておきますが、
この母子は、確実に数時間で死ぬ状態にあり、
助かる見込みは一切ない、という設定です。
_______________________________________________________
●この状況における、「正答」は、ただ一つです。
「それ」・・・すなわち、この答えは、
逆に言うと、次のような、私から皆さんへの「禅問答」(公案)に、
凝縮されるのですから。
松の間の読者に、崩残が問う、
>「母、子、己、この三者を、同時に、一刀で、斬ってみよ」
これが、みなさんへの問いです。
ただし、一刀で3者を斬るといっても、
刀を何かに固定して、3人とも串刺しにするというのは駄目です。
侍が、他の他人に斬ってもらうのも駄目です。
二刀流も駄目ですし、母子を斬ったあとで自害するのも駄目です。
>侍自身の手による、たったの一振りで、
>母子と侍の3者を、同時に斬ってください。
言うまでもなく、これはトンチでもなければ科学的クイズでもありませんから、
「大木を一刀で斬って、3人とも下敷きになる」、なんていうのは、
全くの不正解ですからね。
また、「棟打ちで母子を気絶させて苦しみから救う」、
そんな茶番劇も、駄目です。
それでは、「侍が斬られてはいません」から。
これは、どんな剣士にも斬れない、
禅問答(公案)である事を忘れないでください。
>ただし、斬る前に、母子に何か言うのは、かまわないですよ。
>「無言で斬れ」とは、私は言いません。
________________________________________________________
●さて、この句に対する、「二つ目の正答」は、
これまた、次の私からの問いに凝縮されることになる。
「仏に遭うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、」
これは、正しくは、「殺し」の部分が「全く意味が違う」のである。
仏門である禅宗で、
それが直接に、殺生や、あるいは師や仏との対立を意味するわけもあるまい。
あなたの心の中にある、仏や、師という「妄想」相手ならば、
それならば、存分にぶった斬ってもよかろうが、
ここで言われている「仏」や「祖師」は、「妄想のそれ」ではない。
相手は「本物」だ。本物の仏であり、本物の「祖師」である。
だとしたら、この原文にある「殺し」は、全くその文字とは
異なる言葉が入るのである。
そこで、私から皆さんへの問いは、
「虫食い禅問題」となります。
つまり、「次の【 】内に、正しい言葉を入れなさい」というものである。
「仏に遭うては仏を【 】、
祖に逢うては祖を【 】、」
______________________________________________________
●ほんの少しの「慈悲」からですが、
ヒントだけは、言っておきますよ。
そもそも、仏が何かすらも、わかってもいない者には、
仏を殺すどころか、
否、仏に遭うどころか、
仏を見ることすら出来ません。
そもそも、師が何かすらも、わかってもいない者には、
師を殺すどころか、
否、師に逢うどころか、
師を見ることすら出来ません。
このことが、本当に、理解されている者であれば、
【 】に入る言葉は、おのずと、たった一つしかありません。
それが理解されているのであれば、
正しくは、あなたの実存的なその意識に「会得」されているのであれば、
この「仏に遭うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し・・・」
という句は、
>兵法でもなければ、人の生き方を示すものでもなければ、
>何ものにも頼らず唯我独尊で歩めと言っているのでもない、
そんなものは、ちゃんちゃら、アホウの口にすることだと分かるでしょう。
だから、考えることです。
二つのことを、考え抜くことです。
ひとつ、
>どうやったら、母子侍の三者を、
>侍であるあなたは、一刀の一振りで切れるか?
>言葉をかけてから、斬るもよし。
ふたつ、
>【 】に、真意として本来そこに入るべき「言葉」を見つけること。
■
ふたつめは、さほど難しくはありません。
100人いれば、10人ぐらいは正解するかもしれません。
しかし、ひとつめの問いは・・・、
もしも、これに正しく答えられる人がいたら、たいしたもんです。
たとえ、禅を何十年学んでも、座禅を何十年座っても、
そう簡単に、解ける問いではありませんから。
私の方では、ひとつの模範解答を用意してあります。
もしもそれと同じか、それを超えるような回答を出来た人がいたら、
「無冥流手裏剣術」「DVD版」(6200円)を、送料も無料で差し上げます。
ふたつめの「虫食い問題」は、あまり大したことありませんが、
ひとつめの「3者を斬る」、これは分かった人がいたら、
メールでどうぞ。
俺は禅など分かっているという座禅者や、僧侶、
俺は仏法に通じていると自称する人たちや僧侶や師家、
俺はそんな程度の問題は、ちょろいもんだと思っている人、
どうぞ、答えてください。
>ちなみに、問いは、ふたつとも、答えてみてください。
>また回答には、ご自分できちんと「注釈」「解説」をつけてください。
●回答のあて先↓●
houzanあっとまーくmumyouan.com
いつもと同じように、ゴミメールと区分するために、
>件名に、必ず「禅問答」と入れてください。
>そして正解したときの為に、必ず住所と氏名を入れておいてください。
>また、かつて禅問答に、参加したことのある人は、
>必ずハンドルを統一してください。少なくとも一年間、ハンドルを
>同一に出来ないしない人を、私は相手にしませんので。
>(といっても、最近のメールは本名か、統一されたハンドル以外のものは
>来ませんので、来年からの指針としても、とても良い傾向ですが。)
●ところで、今回の問答、正解者なしの場合には、
正解発表は、来年の有料購読になってからにします。
ですから、年内に知りたい人は、
頑張って、正解出してください。正解出れば、
その時点で、こちらの手の内は明かしますので。
もう回答事例は、管理人のところに保存してあるので、
こっちが、突然に死んでも、
誰も回答がわからない、などという事にはならないですから大丈夫です。
_________________________________________________________
「臨在」。
別に臨済録にひっかけているわけではありません。ただの「臨在」です。
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