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[3886]
■
■現代版・禅問答・南泉斬猫
by:
猫然
2008/01/04(Fri)05:46:13
南泉斬猫の「その後」の話
■実は、南泉猫斬の話には、別の話が存在する。
言うまでもなく、それは私の創作である。
しかし、現代の禅家に決して出来ないこと。
それは新しい禅問答を創作する境涯である。
たとえば、現代にいくつある「うちは本物の禅だ」を自称する寺の師家などはも、
単なる知ったかぶりをした、古典の蒸し返ししかできない有様である。
彼らはまるで、仏法など知らないと、私個人は断定できる。
■さて、そこで、糞道場の話は、さておいて、
南泉の物語は、ここ無明庵では、原作とは全く異なる展開をすることになる。
もう一度、前半をおさらいし、その後、後半を続けることとする。
■堂の鼠を駆除するのに必要になる猫の所有権を巡って、
東西に分かれて僧侶たちが、言い争いをしていた。
すると南泉は、その子猫を拾い上げると鎌を振り上げ、こう言った。
「お前たちのうちの誰かが、
仏法の真理を言い表すことが出来なければ、この猫を斬る」
僧侶たちは、何も答えるとが出来ないでいた。
■そこへ、通りがかった旅人の1人が、南泉に向かってこう言った。
「お前さんが真の禅師ならば、猫で、その鎌を切ってみなされ」
そして、すかさず、南泉が何かを口にしようとしたその時、、、、
出先から戻ってきた趙州が、その様子を見て、静かに言った。
「チュー」
_____________________________________________________________
【チュー釈】
●以前ならば、「趙州はそこで何を言ったのか?」
それを竹の間の読者に出題するという親切さが、私にはありましたが、
もはや、そういう気持は全くありません。
従って、何ひとつも、皆さんに遊びを私は与えませんし、
また、趙州の答えの意味を読者に考えさせるという親切心すら
起きません。
従って、すべて注釈をつけておきます。
_______________________________________________________
■この公案の本質を見るためには、
ここで、どういう構造、どういう構図の絵柄に原作が
発展をしているのかをよく自覚することです。
これを読んだ、あなたたちは、
こう思ったに違いあるまい。
南泉に圧倒的有利、と見られた状況が、
旅人の出現によって南泉に一発食らわすものが現れた。
馬鹿な僧侶たちは、そこで「自分たちの責任から逃避できて、ほっとした」
に違いあるまい。
そしてその上さらに、今度は、自分たちが禅問答の被害者から、
気楽な観客の側に居座れると思い込んだに違いあるまい。
そして、南泉がどう困るかを楽しみにすらしている馬鹿も
多いだろう。
つまり、ここで僧侶とタブるのが、ここの大半の読者の心理状態である。
■しかし、この物語で、本当にひっかかっているのは、
南泉でも、旅人でも、趙州でもない。
この物語で、最も愚かなところで、本当に、つまづいているのは、
僧侶すなわち、読者である「あなた」である。
■そして、南泉が言いたかったこと、したかったことが、
その僧侶の愚かさを自覚させるために、猫を殺してまで
それを行った以上は、
私としても、南泉の教えを無駄にするわけにはいかない。
■よく自覚して欲しいことがある。
ここで人間の中に起きている「心理構造」とは次のようなものだ。
まず、最初に、
・「鼠よりも強い (と勝手に僧が決め付けた) 猫」の所有権を巡って、
馬鹿坊主どもが、言い争っていた。
・次に、その猫よりも、強い(または偉いと思い込んでいる僧侶)
つまり人間同士が、どちらが強いか、偉いかで争ってなどいる。
・その次に、その凡人僧侶よりも強い(または偉い)と(勝手に思い込んでいる)
師と弟子の間に、禅問答という形で争いが起きている。
・そして次には、師と旅人のどちらが偉いかというところに、
読者であるあなたの目は行ってしまう。
しかもその上、そこに趙州という南泉と同じぐらい「偉い」と、
勝手にあなたたちが決め付けている者が現れるという、
とんでもない物語の展開にしてみたのである。
さて、いずれも、ここであなたたちに生じてしまっている「妄想」とは、
「どいつが一番偉いか」という愚かな「格付けゲーム」である。
どいつが問答に勝つのか、
そのことに、あなたはすっかり心を奪われてしまう。
しかし、これは、
「どっちが偉いか」の「戦争のエスカレート」に過ぎない、
ということに、あなたは全く気づかない。
■そして、収集の付かない、
この「偉いもん勝ち」のくだらないゲームに、
趙州が、たった一言で、終止符を打つ。
「チュー」
すなわち、
「おい、そこの東西の坊主よ。
お前さんらは、そもそもの発端の鼠を、どこに忘れてきた?」
それが趙州の言いたかったことである。
●すなわち、第一の間違いは、
南泉が、あれほど日頃から畜生こそ仏性を知るものだと
言っていたにも関わらず、
鼠の中の仏性を忘れ、それが利害関係の発端となり、
あげくに、猫の仏性を無視し、所有権で争い、
そんなことをしているうちに、
最も最初の「利害関係」の原因を形成している「鼠」について、
全く自覚もしてない。
すなわち、言い争いの原因を全く忘れ去っているというその愚かさ。
そこに趙州は、一喝を入れる。
「おい、肝心の 鼠の仏性は どうした?」と。
そもそもの利害関係の原因が、鼠は駆除されるべき動物にすぎない
という固定観念にあり、
さらには、仏性まで忘れてしまっている。
鼠よりも猫が偉く、
猫よりも人が偉く、
人よりも師が偉く、
師よりもその上にある師が偉い、
そんな馬鹿げた「偉いもん勝負」にあけくれていた僧侶を、
ひとことで、彼は、
問いの本質である、振り出しに突き落としたのである。
_________________________________________________________
■すなわち、これは竹の間の読者や、世間の僧侶たち全員に言えることである。
自分は仏法に一生を捧げる覚悟だとかいい腐る。
自分は悟りたいのだ言い腐る。
そういいながら、ただ寺に属している「糞坊主」に過ぎなくなる。
悟るまでは、あるいは悟ってもなお、
何も終わるものはない。
しかし、それよりはるか以前に、
私は、その人が本当に僧侶になるべき運命(意志してきた者)に
あった者というのを、ほとんど見たことがない。
すなわち、そもそも僧侶になろうとしたり、
そもそも、寺に入ろうとしたり、
そもそも、カルト教団に逃げ込んだり、
あるいは、何かの宗教に入信した、
その、そもそもの発端たる「自己の中にいる鼠」の自己分析を、
誰1人として、やってはいなかった。
すなわち、
やれ、僧だ、やれ、仏法だ、
やれ、仏教だ、やれ悟りだ、やれスピリチュアルだとかほざいているが、
「一体、鼠は、どこへほっぽらかして、捨ててきたのだ?」と
言いたくなる、寺の僧侶や、精神世界かぶれの人々しか、私は見たことがない。
「鼠」とは、すなわち、仏法以前の、
あなた自身、あなた個人が逃げてはならない
「個人的な問題」だったのだから。
武道で言うならば、
武道が武術がどうあるべきだということを語るより遥かに以前の、
本当の「動機」の発端となった物事に対する自己分析である。
私は、自分からの逃げではなくて、
悟りのための修業をしていたと断言できるような人物を、
たったの1人しか知らない。
むろん、直接的に、という意味である。
実際、私は、この生涯で、
彼らが、全く眠りこけたままの、無意識の中て、
多くの嘘の「自己申告」する人々を見てきた。
むろん、書籍や歴史の中には、何人かは、
その絶対的な宿命性を認めることが出来る者は存在した。
だが、この人は、悟る以外に、目的もなく、道すらそこにはなかった者
つまり、「他のものではダメだから悟りしか興味ありません」、
などという「嘘つきの自己申告」によってではなく、
真実、他のものでは本当にダメだったと断言できたのは、砂手ただ1人しかいない。
多くの者は、他の代用品で充分に事足りるような願望であるにも
関わらず、その欲望をきちんと自分に対して形にすることに
怠惰であったに過ぎず、
自分の惨めな人生への不満を、
一発逆転劇に憧れて、
ただ、漠然と、ロクにその実体を知りもしないで、
ただ「偉い者」になりたかった、
ただそれだけの、「超俗物」でしかなかった。
そして、
こういうやつらこそが、仏法を最も汚し続けてきたのだ。
だから、私はそういう者には、
彼らが忘れ去って、捨て去ったと思い込んでいる「鼠」を
突きつける。
お前の本当の問題の発端は、「仏教だの、悟りじゃなかろう」
一体、どこに目をつけてんだい、このボケ人間。と。
__________________________________________________________
というわけで、
めでたく、話のオチは、今年の干支の「鼠」となり、
これにて、この物語は、終わりです。
「看 却 下 鼠」
子
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