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[3951]
■
■秋葉原通り魔の原因 その-2「親に問題があるはず」
by:
崩残
2008/06/17(Tue)08:16:13
宗教など、誰1人も助けられない
たまたま偶然見かけた、おそろしく頭と性格の悪い書き込み。
その主旨はこういう言い分。
>>誰も指摘しないが、宗教の力が弱くなっていると思われる。
>>若者にウケているのは宗教。
>>加藤容疑者も、まともな宗教に入っていれば無差別殺人はしなかっただろう。
おいおい、こいつは、学会か? それとも統一教会か? と言いたいところだが、
いやいや、これは、残念ながら、
地球上に存在する全ての「宗教」が、言いそうな、
「最も低俗な意見のひとつ」であると言える。
なぜならば、これを書いた者は、宗教というものについて
何ひとつも洞察したことがないからである。
■実際には、この地上に存在した、9割以上の宗教というものは、
そこに「単なる想像上の神や仏」を置いて、それに
愛情や慈悲のふりをした権力、支配力、恐れを信者に持たせることによって
成立している「行動規制」か、
よくてせいぜい「行動療法」に過ぎないのだから。
■たとえば、オウム信者が無差別殺人をするかといえば、
実行した幹部とその下っ端の関係者を除いては、おそらくは
9割の信者は、少なくとも「不殺生」ぐらいの戒律は守ることだろう。
その点においては、信仰しているものが麻原だろうが、
あるいは、そいつが、オウム原理主義だろうが、ある意味では
戒律に縛られて「飼いならされた無害な信者である」ということになる。
しかし、だからと言って彼らがアホウであることには変わりない。
>なぜならば、彼らは「加藤容疑者以下」なのだから。
■そして、多くの精神世界信者が、加藤容疑者以下だということの
その根拠を隣の「梅の間」で、砂手が解説しているのである。
↓
http://www.mumyouan.com/k/?U1243
■宗教というものとスピリチュアリズムは一点で、
「大きな差」を持っている。
世間のアホウなコメンテーターは、未だに、
宗教と、(江原系のような)スピリチュアリズム、この二つの「差異」が
全く理解できていないようである。
スピリチュアリズムには、本質的には、
戒律というものが皆無である。
それは、行動指針を与えない。
それがもたらした最大の嘘は、進化するわけでもない魂が
「進化する」と言いふらしたことにあるが、
その一点を除けば、
宗教や共産主義、社会主義、そして資本主義よりも
遥かに、健全な一面を持っている。
■「魂は学習しながら進化する」という彼らの言い分については、
私はまっこうから、スピリチュアリズムのボケ老人のような
論調には、矛盾と間違いを指摘するが、
ただし、それは世界中のある主たる宗教、
(ただし老荘思想のみは除外する)に、比べたら、
遥かに、人間性、つまり私が言うところの自立した個人の自我を
形成するのに役に立つことだろう。
■なぜならば、本当のスピリチュアリズムは、
神など説かない。
信仰する対象も崇拝する対象も持たない。
何か布施をしろとも言わないし、
何をするなとか、何をしろという、戒律すらもない。
ただ一点、それは、自分がどうしたらいいかを
自分自身の頭で考えて、自分でその責任を引き受けろということを
言っているのみであって、
前世とかオーラの問題は、そのための手段のひとつでしかない。
■このように、スピリチュアリズムが、「個人が個人であること」を
基本的な姿勢として推奨しているのに対して、
その一方で、「宗教」というものは、
宗教団体の維持や、本尊への信仰心や、
権威の維持や、戒律の厳守、グルへの帰依といった、
>「組織や教義の維持」の方が、「個人よりも優先されている」のである。
そもそも、個人が、自分の頭と感情と身体の三位一体で、
価値観そのものからそれを自己責任をもって生き抜くことを決断したならば、
宗教「信者」というものは、全く存在し得ない。(教祖の知人ぐらいにはなれても)
■一方で、「宗教」というものは、その価値観や行動指針そのものを
他者に「下駄を預ける」という、最も幼稚なシステムのことである。
その点では、カルトのオウムは宗教であり、学会も宗教であり、
カルトでない一般の、どこぞの、のうたりんの馬鹿者のいう
「まともな宗教」も、すべて、
無差別殺人をした、加藤容疑者以下の人間を生み出す巣窟にしか
なり得ないのである。
■それらの信者は、行動指針を規制されているという点では、
社会的には、加藤容疑者よりも「無害」ではあるかもしれない。
(ただし、それは現段階ではというだけの話で、
こいつらは、すでに、犯罪予備軍になっている事だろう。)
ただし、これらの予備軍は、
「1人の人間として」は、「加藤容疑者以下の状態にある」。
それがまだ分からないような者は、何度でも「梅の間」を読めばいい。
■弱くて無害だが、でも、それでも、宗教によって、
犯罪はしないだけでもいい、
とか、そんな人間を量産したいと言うのであれば、
>それは、この世界を加藤容疑者以下の人間の住む
>「最低の社会にしたい」と言っているも同じことである。
■彼、加藤容疑者がすべきことだったことを言うならば、
それは、「消極的な解決法」としては、
彼は、他者ではなくて、まずは母親を殺して、
次に父親を殺すべきだった。
それで、少なくとも社会的害悪には発展しなかっただろう。
しかし「積極的な解決法」としては、彼は、そもそも、
両親にめいっぱい、怒りをぶつけて、
親と完全に精神的にも、絶縁すべきだったのである。
まともに怒ることも出来ない人間は、彼以下だと私は断言する。
ただし、その怒りは、機能不全家族で育ったACの場合には、
常に、自分の親に向けるべきである。
■彼自身が、結局のところ「親に向けられなかった怒り」を
無差別殺人という歪んだ形でやってしまったのであるから、
彼に対する弁護の余地などは、全くないが、
ただし、以前に書いたように、彼の親の責任を問うためではなくて、
>「原因解明のため」に、彼の両親はカウンセリングを受ける絶対的な義務がある。
この秋葉原通り魔事件や、ここ最近起きた数件の、
無差別通り魔事件には、
>社会的原因や、複層的な原因など一切ない。
ある意味では、そのことを秋葉原の事件は、人々に教えようと
しているとすら私には見える。
あまりにも、社会とメディアが、
>「無差別殺人者が殺したかったのは、実はその親である」という
>本当の原因から目を避けていたために、
最も分かりやすい形で、それを叫んでいるのが、加藤容疑者であると
私は認識している。
>この最後とも言える、解決法を探ることの出来るチャンスを、
>その機能不全家族の問題に光を当てることに
>生かせなかったら、
>それこそが、犠牲者に対する、最大の侮辱であり、
>銃刀法などいくら規制強化しても、
>犠牲者の人たちは、全く浮かばれないことだろう。
加藤容疑者の言っていることは、ことごとく「責任のすり替え」だが、
>ただ、一点だけ、彼は少なくとも「怒りと悲しみ」を嘔吐している。
この一点は、非常に大きく、また宅間その他の、
事件後、長時間無口だったケースとは、「非常に違う」。
最近では、この「加藤容疑者」だけが、
(彼は全く無自覚で、自分では自分が何をしているのか知らないだろうが、)
>彼のみが、唯一、大声で、
>この手の全ての、無差別殺人の本当の原因の所在を、
>社会に向かって、叫んでいるのである。
■ところが、犯罪を抑止できると期待して、宗教に傾倒するということは、
大切にする価値もないような親、虐待をする親、または
軽蔑する必要のある親、殺さなくとも、
少なくとも、大きな反抗ぐらいはすべきだったような馬鹿親に対して、
「親や先祖を大切にしなさい」とか、宗教が吹き込むことで、
>ますます、子供たちの心の病理は地下に潜伏するのみである。
なぜ社会はそんな事をくり返しているかと言えば、
冒頭に書いたような、馬鹿なことを言うやつや、
メディアに登場している彼ら本人が、
自分たちの子供に対して、まともな接し方が全く出来ておらず、
結局、彼らは、犯罪予備軍である自分たちの子供を
擁護したいだけなのだ。
つまりは自分たち親にも責任があることから目を避けて、
その話題からとことん逃げたいのである。
■そして、ここで私は予測をしておきます。
もしも、この加藤容疑者の事件を、最後のチャンスとして、
機能不全家族の問題に、目を向ける気が、マスコミや社会や、
個人、日本人そのものに、なかったならば、
次に起きるかもしれない事件の様相は、おそらくは、こうなるだろう。
あえて、私が社会心理学的な視点で見ればであるが。
>それは「複数犯による無差別殺人」の増加である。
もっとも、そうした複数犯による無差別殺人は、過去にも起きているが、
それが今後は、増加するかもしれないと考えられる。
つまり事件の危険性が、
今回の加藤容疑者の場合よりも、もっと増すのである。
加藤容疑者というものは、いわば「悩みを1人で抱えた」犯罪者の
最後のサンプルとなってしまうかもしれない。
そして、私が冒頭に述べた、
「加藤容疑者以下」の人間、
たとえば、まともといわれている宗教に入ったり信じるような、
そういう自主性のない人間、
そしてまた、オウム信者やその他の宗教信者のような、
戒律によって飼いならされている、単なる「無害、無力」な者たち、
こうした、意識化されて、親からの被害を明確に感じている、
加藤容疑者よりも以下の状態にいる「無自覚AC」の場合には、
>1人では、その感情すらも、爆発する一定量に沸点が至らないために、
>彼らは、「複数でやっと1人分の感情を爆発させられる」といった
>半端者という性質をもっている。
だからこそ、加藤容疑者以下のオウムの幹部たちが、
「何人かでつるんで」無差別犯罪をしたのである。
そして、いじめというものも、
個人で何かをやり通すだけの「自分」すらも無い馬鹿者たちが、
学校でも、会社でも、集団イジメを行うのである。
■こういっては、非常な誤解を生ずるが、
まっとうな犯罪者(とりわけ殺人犯)は、けっして「組織犯罪をしない」。
いわば、どっちが「マシか?」という低次元の話である。
■さて、最後に、スピリチュアリズムについてだが、
そもそも、有史以前から、宗教というものの発生には
「何種類かのパターン」がある。
そのほとんどは、まず基盤にしているのが、
「恐れ」すなわち、恐怖心である。
宗教というものは、そもそも、愛などを基盤になどしていないのだ。
キリスト教でさえもである。
世界中のすべての宗教は、
「自然の脅威」に対してであれ、何かの特殊な能力のある個人に
対してであれ、
まずは、子供の教育と全く同じように、
>「罰すること」「脅威」「恐れ」「罪の意識」からはじまり、
>次にそれらの病苦や災害による苦痛を、自分たちがどう回避するか
ということの利用のために、
教祖や偶像崇拝物を使ったのである
すなわち、そもそも、宗教というのは、
>「悪いことは起きないでくれ」「信じるからご褒美をくれ」
>という「ご利益宗教」が発生の根本原因なのである。
そのご褒美というものが、目先のものでは、
病気治療であったりするわけで、
また、一方では死後の世界の保証といった全く信用のおけない、
仮想上の、ご褒美だったりするということの違いがあるに過ぎない。
■一方で、スピリチュアリズムも、
死んだ後の世界でよくしてもらおうとか、次回の転生をよくするためという、
そういう魂胆を持っている点では、宗教とほとんど変わらないが、
ただし、既に言ったように、
それは、宗教組織や、教義や、戒律や、本尊や、崇拝の対象物を
個人より優先するのではなくて、
>あくまでも「1人1人の個人の生き方」を最優先しているという点と、
>行動指針を、あえて与えないで、本人に任せるという点で、
宗教よりも私は、江原系のスピリチュアリズムを支持している。
なぜならば、それは、
個人の自我が、きちんと自立するのに、
まず最初に必要なことだからである。
むろん、道は長いだろうが、その部分で、まず
宗教に汚染された状態から脱して、個人が自分の宗教を自分で作る
というぐらいの意気込みがなければ、
それは、人間として生きている意味がない。
■この、宗教信者の「心理学的恐怖心」と
繰り返される、宗教の愚かな歴史については、
既に、だいぶ前に、砂手が明確に詳細に書いている以下の文を、
きちんともう一回でも、もう100回でも、しっかりと読んでください。
■重要なことをいくら言っても重要さを読み取れないのが、
愚かな人達のいつもの悪癖なのですから。
これでは、これから先、
何百年と、何度も何度も、同じ重要な事を言われても、
そういう人達には、自分の人生のたったの「コマひとつ」を
進めることすらも、出来ないでしょうね。
【有史以前から、
宗教の信者たちは、どうやって、馬鹿になったかの原因】
↓
http://www.mumyouan.com/k/?U1194
http://www.mumyouan.com/k/?U1195
http://www.mumyouan.com/k/?U1197
■つまり、いつの時代であっても、
愚者たちというのは、
自分の保身の為の「取引」に、賢者たちを利用するしか、
頭になかったのである。
◆英語のジョークにこんなものがある。
___愛の定義___
愛とは、
一人の人間と残りのすべての人間との違いを、
大袈裟に誇張することである。 (ジョージ・バーナードショー)
愛とは、
一時的な精神異常状態のことで、結婚によって治癒する。(アンブロース・ビア ース)
愛とは、
お互いまるで知らない男女の間で起こることがらである。(サマセット・モーム )
___嘘___
一回嘘をつけば嘘、
二回嘘をつくと宗教、
でも三回嘘をつくと、それは政治になる。
____________________________________________________
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