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秋葉原通り魔の原因 その-3 「今後の危険性」
by:
崩残
2008/06/17(Tue)17:46:19
【秋葉原通り魔 弟の告白】
■原因分析も、発生の翌日ごろには、おおむね終わっていたので、
この話題はやめようかと思ったのですが、
意外にも、この問題は、根が深いように感じる。
どういう意味で根が深く厄介かというと、
おそらくは、この事件がひとつの日本という国それ自体のターニング
ポイントになり得るからです。
むろんそれは治安とか法律の問題ではありません。
少し、心理学、それも集合意識というものを持ち出さないと
説明のつかない領域になってきています。
■この秋葉原の通り魔事件が、今までの類似する事件と、
似た部分もある一方で、何か決定的に違っている部分があるように
私は感じていた。
まず、実質的にたったの1分少しの間に、7人も殺傷したという行為が、
あまりにも、奇妙で、(不謹慎を覚悟の言い方をすると)、
犯人すらも思ってもいなかった結果なのだろう。
■よく軽率なマスコミは、事件があるたびに、
たとえば、小学生の自殺などか起きると、
「何かサインがあったのではないでしょうか。
どうして周囲の人は気づかなかったのでしょうか」とか、
しらじらしいコメントを言い腐りますが、
私に言わせれば、この加藤容疑者そのものが、
「日本社会の今後の明暗を分ける、危険のサインである」とすら
いえる側面すらも見えてきます。
そして、その理由は、事件が異常で被害が大きかったからだけではありません。
異常な殺人事件が起きる場合というものは、
例外はあるものの、ほとんどの場合に、累積した集合的な人々の無意識が、
誰かを通じて、爆発すると見ていいです。
すると、その視点で見た場合、
>今回の事件を引き起こした「集合無意識」の震源地はどこにあるのかとなると、
>それは、実は、中学、小学校といった低年齢層と私は見ています。
■つまり加藤容疑者と、ほとんど同じ境遇または心理状態にある
子供が、非常に多くいるということです。
そして、ある意味では、その子供たちの集合意識が、
いいかげんに、家庭で起きている問題に気づいて欲しいという
叫びが、1人の犯行となって現れたという見方をしてみています。
そして、実は、現在、
>その大勢の子供たちの意識もされていない叫びと、
>それを親の命令で、さらにねじ伏せようとする力とか、
>集合無意識の領域で拮抗しているといった、妙な緊張感があります。
■そして、最も最悪な結末が、
これだけ分かりやすいサインを、子供たちの意識が、
加藤容疑者を通じて出したにも関わらず、
それでも、無視した場合、抑圧した場合には、
次のような形になって形を変えて、表出すると思います。
1--小学生と中学生の子供の自殺の増加。
2--今までにないほど残虐な、子供による、いじめのからむ犯罪。
3--前回の投稿でも予測した、少人数の集団による無差別殺人。
4--最後は、奇妙に聞えるかもしれませんが、国防の危機です。
なぜこのひとつの身勝手な男の無差別殺人が、
日本の国防といった、大げさに聞える危機にまで影響しているかというと、
もしも、ここで、
>機能不全家族の問題を、これを最後のチャンスとして
>社会的に認知させなかった場合には、
それは、次世代の子供たちの行き場の無くなった「無意識」に、
完全に投げやりな「諦め」を生じます。
すると、それは本人たちの無意識下では
>「こんな日本ならば、
>もうボクは、他者から殺してもらいたい」という意識を生じます。
すると、それは結果として、国防問題がゆらいで、
誰かとか、子供とか、個人ではなくて、
日本そのものが他国から侵略を受けるという「方向づけ」をする
可能性すらあります。
■ですから、今、もしもこの最後の機会に、
加藤容疑者を通じて、
>「対象が定まらないように見える、無差別殺人の本当の原因は、
> 親に対して表現されなかった憎悪や、
> 親から徹底して抑圧された憎悪にある」
ということを社会的なレベルでその叫びを開放してやらないと、
加藤容疑者とほとんど類似する意識状態にある
中学生や小学生の中で、すぐでも、異変が起きるはずです。
■そもそも、どうして場所が秋葉原であったのか、
当初は、いろいろな憶測をマスコミは流しましたが、
今ならば、その原因が、分かるような気がします。
秋葉原を訪れる人達のうちの何割かは、
むろん、家電などを買うという明確な目的によるものでしょう。
しかし、同時に何割かは、
実は、加藤容疑者と類似するような意識状態にある人間が、
秋葉原には集まっていたということです。
■というのも、あの事件は、銀座で起きることは全く想像できません。
しかし、秋葉原であれば、起きる必然性のようなものがあります。
加藤容疑者と、どこか類似する意識や趣味、志向性の人間、
たとえば、
>家が落ち着く場所ではないとか、
>家庭にいたくないので、秋葉原で遊ぶとか、そうしたタイプの人達が、
>もっとも多く集まる場所は、秋葉原ではありえても、
>銀座とかではありえないでしょう。
■よく、非常に平和な田舎の村で、突然に、残虐な殺人事件が
起きるというケースがあります。
村人も、「こんな静かな村で、はじめてのことです」
とコメントすることも多いのを報道で、皆さんが、
見かけることもあるはずである。
ところが、実際には、平和的に見えていたのは、ほんの上っ面だけで、
何らかの凶悪犯罪が突然に起きる、地方都市や、市区町村というものは、
>必ずそこには、水面下には、報道されることもなく、取材されることもない、
>集合的で、無意識的なストレスや地域問題が累積していることが多い
そのように私は思った。
■そうした意味でも、秋葉原自体に、加藤容疑者の状態と似た
ストレスをかかえた人が、他の地域よりも多かったという推測は
私の中では、成り立つ。
たまたま、容疑者がよく通った場所だからだけでは、整合性が
合わないのである。
■ところで、こうした犯罪で、「親」について報道することには、
むろん、問題も発生するだろう。
たとえば、親がどう接したかということが、
マスコミを通じて、あからさまにメディアに垂れ流しをされた場合、
被害者の遺族が、容疑者の親に危害を加えるということは、
充分にありえることである。
したがって、直接の加害者ではない親に、
法的責任を取らせることは出来ないのであるし、
被害者の恨みを受け止めるといった義務も、むろんないし、
親が悪役にされるといった形の報道は、それは「筋違い」である。
■よって、
>犯人の親の個人情報と身の危険が完全に守られ得る状態を
>まず確保してから、
>カウンセリングされた断片報道は、メディアに流される必要がある。
この点では、現在の報道体勢では、犯人の両親の身の安全を確保するのが
少し困難であることは、否めない。
しかし、
「親は加害者ではないのだから、報道するのはおかしい」、
という論理を、もしも、このまま無神経に、続ければ、
絶対に、原因究明には至らないと私は断言できる。
■私はあの事件の発生当初から、
これは「いわゆる社会問題ではない」と言い続けた。
それは、雇用とか、格差社会のせいではないという意味である。
しかし、これは、
「明らかに機能不全家族を原因としている」という意味では、
「社会に原因がある」という意味の社会問題ではなくて、
「家庭こそが原因になっているという意味」での、
社会問題にならねばならないと言っているのある。
もしも今回、最後のチャンスに、
機能不全家族が無差別殺人を生むという論議や洞察が、
一部ではなくて、メディア全体で、出来なければ、
予備軍として控えている、もっともっと小さな子供たちが、
無意識的な集合となって、さらに信じられないような悲惨な事件が
起きるかもしれないと、私は懸念している。
つまり、誰がそれを起すか、どこかの機能不全家族の1人が
それを起すのか、極めて特異な環境で育った誰かによって起きるのか、
というような問題では、もはやなくなっていて、
そこらじゅうにある、無意識のストレスが、どこかで、
今回よりも、さらに屈折した形で、噴火する危険性があるということである。
つまり、最早、今回のような事件を、
特異な例としては、片付けられなくなり、
しかも、子供たちの無意識の声を受け止めずに、
社会やメディアがまたも無視をした場合には、
犯罪の性質は、加藤容疑者のような、極めて分かりやすい形ではなく、
もっと複雑に歪んで、分析すら困難になるような事件になる危険性がある。
■沢山の子供たちの無意識の集合が、
「これでも、大人たちは、まだ、
僕たちのこと(==言い換えると同時に「親自身の愚行」)が、
わからないのですか」
と、機能不全家族の中から叫んでいるようにさえ、
私には思えてならないのである。
【彼の家庭環境】
以下はあるブログに掲載されていた、
「週刊現代6/28号」から抜粋した、
加藤容疑者の弟さん(22歳)の証言」である。
私も、誌面から直接に読みたいので、今朝「週刊現代」を買いました。
●読むと、まず、誤報があったようです。
「父親が酒飲み」これは誤報です。
ただし、母親の言動から見て、私個人は、この母親の両親の
どちらかが酒乱だった可能性を強く疑っています。
アルコール依存家庭の場合には、酒を飲まない家族には、
「別の依存症」が必ず表れるからである。
しかし、その結果取る行動は、アルコール依存のそれに酷似した
形をとるからである。
なお、文中で弟は兄のことを「アレ」と言っている部分がある。
また、まだ下記の羅列では引用が足りない部分があるので、
後日追加します。
_______________________________________________________________
『被害者・遺族の方々に与えてしまった、想像を絶する苦痛、
また、国民の皆さんに与えた不安を取り除くためには、
謝罪だけではなく、事件に関して何らかの説明をすることが必要だと
思いました。
“犯人”と同じ屋根の下で過ごした影響を説明することが、
今回の凶行を起こした原因をひもとくきっかけになればと思い、
この手記を発表することにいたしました』
『私の家の恥部をさらすことで、
犯人が犯行に及んだ説明の一端になれば……。
そのことが現在の私にできるすべてだと思っています』
>そして、その弟さんの語った内容はこうである。
弟は、母親の『厳しい躾や教育』を『洗脳』と呼んでいる。
また、加藤兄弟が通った中学校も
『生徒の個性などというものは存在さえしませんでした』
という『軍隊』だった。弟は、学校も『洗脳』と呼んでいる。
中3の時。口論の末、加藤容疑者が母親を初めて殴り、
以降、部屋の壁をボコボコにすることで感情を爆発させるようになった。
弟の方も、壁を殴ったり蹴ったりすることが“癖”になっている。
地域トップの高校に入り両親は有頂天になるが、
『あっという間に普通の人』になってしまった加藤容疑者を
母親は見捨てた。
『「俺より弟を優先して、俺を見放すのか!弟だけにしたいんだろう」
と詰め寄っている姿を目撃したことがあります』
高卒後、兄は自動車整備学校に進学し、
見捨てられたまま家を離れる。
同時期、優秀といわれた弟も3ヶ月で高校を辞め、引きこもる。
彼はその時期、『うまくいかない状況を母のせいにしてきました』。
しかし、引きこもること5年−20歳で、上京するときに
『母が、「お前たちがこうなってしまったのは自分のせいだ」
と、つぶやき、私に謝罪してきたんです』。
これで、『私は母の謝罪の言葉をきっかけに、
母を許すことができました』−弟さん。
弟は、自ら表現しているが、
母親と『邂逅(思いがけなく出会うこと)』することができた。
弟は母親の人間としての姿を見ることができたが、
兄は看守としての母親しか知らない。
『アレは今でも両親を恨んでいるはずだ』と弟は言う。
>(ここは以前の私の投稿で言ったように、アルコール依存症家庭で
>育った者が、たとえ本人が酒を飲まない人でも、妻を殴った直後に、
>いきなり泣きながら謝罪するなどと、同じ「習性」であり、
>何かの利害関係が、母親にそうさせただけであり、
>それが「口先だけの謝罪」であったことは、容易に察しがつくことだろう。)
弟が中2の時に『ルール緩和』がなされ、
テレビが見られるようになった。兄の中学時代とは雲泥の差である。
それでも弟は引きこもった。
『母は常に完璧なものを求めてきました』
作文は一文字でも間違えたり、汚い字があると、消しゴムで
そこを修正するのではなく、それをゴミ箱に捨てて、
最初から書き直させた。
そのために一つの作文が出来上がるまで一週間かかるのが常だった。
そしてテーマや構成を母親が指示した。
与えられるテーマの根底にあるのは「先生ウケ」だった。
それにしたがって、弟も兄もまるで機械のように文章や絵を描いた。
『自由にモノを買うこともできませんでした』
本を買うにも何を買うかのチェックが入り、
買ったら感想文を書かなければならなかった。
その他のものも許可を得る必要があったので、
弟は『モノを欲しがるということ自体しなく』なったそうだ。
『テレビは1階に1台ありましたが、見るのは禁止でした』
「ドラえもん」と「まんが日本昔ばなし」以外は、
加藤智大容疑者は高2になるまで見たことがなかった。
『ゲームは土曜日に1時間だけというのがルールでした』
『漫画や雑誌なども読んだことがありませんでした』
『母が食事を告げると3人が部屋から降りてきて無言で食卓を囲み、
また各々の部屋に帰る。そんな毎日です』
『友達を家に呼ぶことも、友達に家に行くことも禁止されていた。』
理由は、来る子供にお菓子をあげるのが面倒くさいということと、
ゲームをやられるのが嫌だということらしい。
(ただし兄には1人だけ特別扱いの知人がいて、その知人だけは
家に上がれていた。)
弟は『こうしたルールの多くがどこの家庭でも
行われているものと思いこんでいました』。
彼が衝撃と共に自分の家庭や中学が異常だったことを知るのは、
高校に入ってから。
『母は男女の関係に関しては過剰なまでの反応を見せました』
『異性という存在は、徹底的に排除されていました』
この母親は、兄に来た女の子から「スキ」と書かれた年賀状を
『見せしめのように冷蔵庫に貼られ』、
弟は、来たハガキを『バンッとテーブルにたたきつけて、
「男女交際は一切許さないからね」』と母親から言われている。
加藤智大容疑者が中1の時のこと。
『食事の途中で母が突然アレに激高し、廊下に新聞を敷き始め、
その上にご飯や味噌汁などのその日の食事を全部ばらまいて、
「そこで食べなさい!」と言い放ったんです。
アレは泣きながら、新聞紙の上に積まれた食事を食べていました』
父も、黙っているばかりで、助け船も出さず、
弟も横目で見ながら食べ続けている。
______________________________________________________________
■さて、これを読んで、世の親たちは、
この弟さんの告白を、「都合の良いチェックシート」に仕立てあげては、
>「うちは、こんなことはしなかったわ」
とか言っては「うちはこんなにひどくない」という安心感欲しさに
悪用する親が、どれほど多くいるか、私は想像できる。
ほとんどの親たちが、そういうことを始めるだろう。
だから、この弟さんの証言を、
「自分の家はここは違っている」という形で「悪用する馬鹿親」が
多く出る懸念はある。
しかし、これらの中にたとえ一個でも二個でも、
同じものがあれば、
それはもう危険性を告げていると理解すべきである。
よく、テレビでやっている、「家庭の医学的な番組」で、
チェック項目が5つぐらいあって、ひとつぐらい大丈夫だろうと
たかをくくっていたら、
実は、一個でも該当したら「あなたは●●病の予備軍です」と
言われるのと、同じである。
■私の知人が、その人の子供が、高校だか中学のときに、
暴れて、壁にバットで穴をあけたといった話は、聞いたこともあるのですが、
その親ときたら、誤魔化しばかりで、
全く「自分と親」との関係を見ようともしていませんでした。
そもそも、夫婦関係が、きちんとした人間関係で成り立っていたら、
決して子供はそのようなことはしません。
(たとえ学校や家庭で何があったとしても)
そして、そもそも、後で泣きを見るような旦那を選ぶのは、
必ず、本人に原因があるからに決まっています。
そのことは、もう嫌というほど、竹の間でも語ってきたはずです。
(男女逆でも同じです。
結婚で大失敗したと思った者は「性恋愛教本」を読むべきです)
子供は、母親の心の支えの「道具」でもなければ、
父親と闘う「子分」でもありません。
だが、そういう母親に限って、夫に対して闘う自分の姿に、
勝手に自分だけで酔っているだけで、
しかも、同じその「自己満足の祝い酒」を、(全く無自覚に)、
子供にも「飲め」、と言っているようなものなのである。
これと全く同じような「馬鹿な母親」は、
以前にも、数例見たことがありますので、
世間の「どこにでも、よくいるタイプ」だといえます。
しかし、そうやって、「自分自身の生育家庭の原因」を、
ほっぽらかして、子供の前で、
実際には離婚すらも出来ないのに、カッコだけつけているような親は、
そんな自分でも、少しぐらいの変化を起せたという
「陳腐な思い込み」をあさましく寄せ集めては、それに浸ることはできても、
一生、「機能不全状態」のままで、
他者の言うことも、まともに聞けず、べらべらと一方的に身勝手なことをしゃべり、
「誰からも、相手にされない、平凡以下の者」に朽ちてゆくのみです。
こうしたダメ親の場合には、
そもそも、幼いころから、コミュニケーション障害である場合が
非常に多くあります。
しかし、最悪なのは、そうした「身勝手な自己憐憫」の悪癖は、
確実に、その子供にも感染してしまい、
その子供はやがて、全く同じ家庭内暴力の連鎖を、
ほとんど同じ形で、引き起すということです。
こうしたケースでは、
運よく子供が、そうした機能不全の母親を完全に捨てて
縁を切って、自立して馬鹿親から脱出するのがベストであることは
竹の間で何度も言ったとおりである。
【家系まで分析する必要がある】
ただし、この機能不全家族の問題は、ひとつ大きな困難がある。
というのも、私がカウンセリングをした、ほぼ、ほとんどのケースで、
そもそも、その子供の親がどうしてそうなったのかの原因を見てゆくと、
確実に、それは少なくとも、祖父母あたりまで遡る必要があるからです。
たとえば、加藤容疑者ならば、彼の両親のそれぞれの祖父母にあたる
人物がどうだったかということです。
こうした分析をしようとしても、
親族の間に記録や記憶が残っていないケースも多くあるのだが、
私が他人のカウンセリングに関わった経験上では、
最低限でも、必ず祖父母までは見る必要があり、
そこにそもそもの発端の小さな事件を見つけることが出来ることが
よくありました。
そういう点で、機能不全家族の問題は、
震源地が、親だけに留まらなくて、その親の親までは
最低限見る必要があります。
そういう点からいうと、
家族の中でまず必要なコミュニケーションというのは、
親が自分のことをどこまで把握しているかであり、
>親自身が、自分の昔のことや、自分自身の親のことを「嘘や美化なく」、
>自分の醜態や苦しさ、楽しさも含めて、
>自分の子供に率直に話せる状態でなければなりません。
この場合に、両親でなくても、「片方の親」でも充分です。
子供にとってはそれだけでも充分なのである。
■■■
■それと、この事件、裁判が開始してしまうと、
そこはもう「真実を明らかにする場」ではなくなり、
弁護士と検察側の戦いの場になってしまうので、
本質は見えなくなるのである。
であるから、その前に、
出来うる限りの事実の提供と、社会的認識が必要なのである。
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