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宇宙・悟り・意識の変化の問題を中心とする「間」です。
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[3953]
■
■帰還方法とその原則■
by:
崩残
2008/06/18(Wed)07:49:12
【振れ幅が全く足りない人達】
■原型自我を持つ人が、その出生地に帰還するという方法は、
個別に違うので、それは個別のメールなどで打診する方法となっています。
しかし、その話はおいておいて、
常に物事の「大原則」を忘れる人が多いので、記しておきます。
何かの二極の間で、どちらかの極に意識的に力を振った場合には、
同時的に必ず、その正反対へと向かう力が生じます。
■このことから、帰還する場合にでも、
もしも、宇宙に意識を極端に偏らせれば、必ず反対側の地上の問題が
浮上します。
それは意図的に浮上するのではなく、
「浮上の段階」までは、「自動的」にです。
ただし、浮上したものを見逃したり、無視してしまう人と、
それを明確に意識化する人とでは、その結果は「まるで異なってしまい」ます。
つまり何かの極に極端に力を振れば、
とうぜん、何もしなくても、反対側に向かう力が発生するまでは、
そこまでは、自動的なのですが、
問題は、発生した逆の力の意味するサインを、
ほとんどの人は気づかなかったり、
無視してしまい、結果として、最初に振った側のベクトルすらも、
同時に「台無しにしてしまうケースが多い」ということです。
■以前にも何度も言ったように、
たとえば、死人禅の行法というものは、
日常生活からは極端な落差のある「サハスラーラ」の機能と、
制限された形での「闇」の機能を酷使するわけですが、
当然のこととして、その調停を取ろうとする肉体(頭頂以下の中枢が)
日常的な物事の中に、処理されていない問題を浮上させて、
バランスを取ろうとします。
これ故に、無明庵の行法をやれば、必ず実生活で、
それまで以上に、問題が明確化すると言っているわけです。
ただし、せっかく明確化してきた問題を無視したり
それに不注意すぎる人が多すぎるために、
結果として、上に向かう方向も、実に中途半端に終わる人達がいます。
これとほぼ同じことが、出生地帰還でも起きます。
何をどうすればいいのかは、個人によって違うために、
必ずしも誰にでも合う方法というものは、ありません。
(より普遍性のある原理応用はあり得ると思いますが)。
●ところで、無明庵でなぜ、セックスの問題、
しかも、その単なる「技法」ばかりではなくて、
そこに内包されている「精神面の問題」を重視してきて、
それを理屈をつけて無視したり、実践しなかった者を、
無明庵から、全員、叩き出したか、には理由があります。
無明庵の方針というのは、行法がダメな人に対しては、
「顔を洗って出直しなさい」ではなく、
「お尻を洗ってから、出直しなさい」ということなのである。
■さて、皆さんは、恋人になりかけの時と、
その後に、セックスをする関係になった後から、
その相手との関係性が、極端に変わることを経験しているはずです。
ただし、それはあなたがセックスが下手クソだったり、
あなたが早漏で彼女の期待を裏切ったということも、
多くの原因かもしれません。
また、一般的には、
慣れあいとか、飽きや、「婚約などの所有の確定」といった
心理的な原因が、破局の原因とみなされることもあれますが、
私は長年、全く違う視点から、セックスというものを見てきました。
■セックスというものが、そもそも何であるか考えてみることです。
それは、生物学的には「子孫を作る」という動作です。
したがって、その行為中には、未来においては子供が形成される
というのが、一方の「未来への極」だとすれば、
同時にそこには、遠くは、あなたの先祖の記憶から、
あなたの親子関係、そして肉体の中の歪みなどが、発生するわけです。
これがつまり物事が常に同時的に、
「反対側の極方向にも作用する」ということの一例です。
したがって、誰かと肉体関係をもった段階から、
その2人は、血筋の上でも、何らかの交合(契約)や、「相手への調査」が
互いに起きるということです。
また、「虹のオーガズム」でも書いたように、相手を選ぶ判断を間違うと、
下手をすると、あなたに全く必要のないような、
相手の持つトラブルすら、あなたは背負うことにもなります。
このために、セックスをする「まで」は楽しかったのに、
セックスをしてから、急激に関係が悪化したり、問題が噴出するということが
世間の男女関係では、頻繁に起きるわけです。
●この問題の全ての回避方法は、私は
「性恋愛教本」に書きましたので、それを必ず参考にしてください。
「性恋愛教本」というものは、単なるセックスマニュアルではなくて、
結婚とかパートナー選びで、失敗を必ず避けるためにこそ書かれました。
あの本の「本当の主題」はそこでした。
そして、結局は、
付き合う中で、油断なく、相手と自分に起きるいろいろな
「身体と心理の変化」について、
ことこまかに、毎日「記録を取る」ぐらいのことをしないと、
セックスを通じて、それを自分の問題を掘り出す道にはなりません。
●セックスというのは、ほとんど自己カウンセリングを続けるぐらいの
大真面目さで向き合わないと、
単なる、欲情のはけ口と、子供の出産だけに終わることになります。
その結果として、家庭も、大崩壊です。
■私は「性恋愛教本」の中で、私自身が数人と交わしたセックスを
通じて、精神世界、つまりは「自己認識」との接点は、
どこにあるのかを探っていった経緯を書きました。
結局のところ、セックスという未来への通路を通じて、
その方向とは逆行する「自分の中にあるテーマが掘り出せる」
ということがその最大の恩恵です。
●こうしたことを考えるとき、
たとえば天体的な帰還といった道であっても、
性という領域で、集合意識にされているプログラムを掘り出すことで、
上の世界でも、それよりも自由な行動範囲を手に入れることも出来ました。
■なぜならば、「最も足を引っ張りやすいもの」を越えてしまえば、
足を引っ張るものは、ほとんど、存在しなくなります。
それは今までのように、足を引っ張るのではなくて、
自分で歩くための「足」そのものになるからです。
だから、
>自分の足を引っ張るものこそ、重視しろというのです。
>そして、それを自動的に噴出させて、自分で見出すための方法が、
>死人禅の行法です。
死人禅というものは、確かに、悟りの状態を強制的に
一時的に作り出すための方便であるが、
それが低次元に反動として作用する部分にも大きな応用性があるということは
何度も書籍の中で言っているとおりである。
そして行法によって浮上してくる「本人の足をひっぱるもの」は、個人で違う。
■ちなみに余談ですが、私の場合には、
有料購読でも書いたように、セックスのことは、既に遠い前世で、
まったく自分の自由に使える道具になっていたので、
行法で、浮上したものは、セックスではありませんでした。
もっとも、昔からの専門分野だったからこそ、
ああした、マニュアルが書けたわけですが。
■個人が行法によって反動として浮上させるものは、個人で違う
ということは、「虚無の微笑」に書かれている、砂手の記録でも
分かるとおりです。
砂手にとっては、
「知性」は既に幼いころから充分なまでに、飽和していたし、
「身体」の一部、使い切れていない部分はあったものの、
私との何百回というセックスのオーガズムで完成されて飽和していた。
しかし、やり残した分野であった、「感情」のみが、
それだけが「極度なまでに突出して、飽和するまで処理されること」を
砂手に要求してきたのである。
その結果、地獄絵のような精神状態を燃焼させつくして、
彼女は第5身体に移行し、
その後、ふたたび、「静かな大異変」を通じて、第6身体主導の状態となった。
■結果として、おおざっぱ過ぎる分類で、
抵抗感はありますが、意識、知性、感情、身体という四つのものが、
バランスが取れた状態では、
身体、感情、知性は、すべて、頭頂の言うことに従う部品として洗練されます。
>これを、「象徴的に」言うと、
>三角錐(正四面体)として「立体的に閉じた個体」となるわけです。
●また、この三体は、個別に機能を発揮もしますので、
感情が知性に影響することはなく、
逆に、知性が感情の邪魔をすることもありません。
身体とその他の関係においても同じです。
■このように、「セックス」というものの中に、
自己学習という大義名分を、もしも、でっちあげればの話ですが、
そこには、
1-身体との付き合い方の学習。
2-セックス相手の背景にある集合無意識や相手や自分の過去との接続
3-セックスの根底そのものに横たわる「トラップ」の解除
4-性センターを他の中枢の影響から一端分離して蒸留する作業
5-世俗的な利点としては、射精までの時間がほとんど自由に、
コントロール出来るようになるので、欲情の支配下になりやすい身体を
完全に、統制できるようになること。
といった具合に、セックスを通じた学習というものは、
これらの全要素を見事に全て、そなえています。
●ただし、よくよく注意すべきことは、
これを出来るようになるには、
恋愛初心者とか、セックス初心者には無理です。
最低でも、「3種類」の「全く異なるタイプ」の異性と、
私のように、徹底的に、大真面目に、セックスをして、
徹底的に、大真面目に、その過程での自己分析を欠かさず続ける必要があります。
■自分を、何かの一方の極に振れば、必ず変化が生ずるということは
むろん原則ですが、
ただし、多くの人達が、いくら魔術的な技法を誰か他人から教わっても
ちっとも、大した成果や結果が出ない原因がある。
その最大の原因は、「振れ幅」が小さすぎるということです。
上にでも、下にでも、未来にでも、過去にでも、
集団にでも、個体にでも、
どこに、自分の意識を振らせるにしても、
そこには「中道がいい」などという論理は一切なく、
常に、振れるときには「極端性」が必要になります。
平たくいうと、それは「持続的で、集中的な、関心の維持と実行力」です。
よく私がいう、徹底している、極端なまでにやる、ということです。
そんなことすらもしないで、
どうして、「非日常的」な移行が、起きるというのでしょうか?
この「極端さ」と「持続的な意志と実行力」をまず持っていないとならず、
それを、人間として、当然のこととして、当たり前にもっていたはずの、
「原型自我」の人達があまりにも少なくなったために、
その結果として、過去から残されてきた、せっかくそこにある、
いろいろな(当時は確実な効果があった)魔術的な技法も、
それを使える最低限の燃料すらもないような人々が爆発的に増えた
ということです。
「セックスの奥義について」の書籍
↓
http://www.mumyouan.com/i3.html
■私の哲学的視点からしても、最重要なのは「性恋愛教本」です。
■女性を自在に何度でもオーガズムに導いて、かつ自分の
持続力も限界まで高めたいという段階では「性のレシピ」がダントツです。
■セックスの基本と、訓練法、神秘学的結合との関係については、
「虹のオーガズム」がお奨めです。
しかし、原則として、三つのテーマともに、
すべて個別に重要です。
_________________________________________________________________
★では、最後に、今日のジョークです★
★パスワード
女性のコンピューターコンサルタントが、
気取った男のコンピュータのインストール立ち上げを手伝っていた。
彼女が男に「ログインするためのパスワードは何にするか」を尋ねた時、
この男は彼女を困らせてやろうと思って、
「P-E-N-I-S、ペニスにしてくれ」と答えた。
彼女は、まばたきもせず一言も発せず、
言われた通りの綴りを、キーボードから打ち込んだ。
コンピュータからの応答メッセージが浮かんできた、その瞬間、
彼女はゲラゲラと笑いが止まらなくなった。
画面表示:
___アナタ ノ パスワード ハ ツカエマセン。 ミジカスギマス。___
★
______________________________________________________________
●それと、ついでに言っておきますが、
「原型自我」とそうでない人間の大きな違いを、
私は、この約10年間に、あちこちで、見てきました。
原型自我ではなくて、希釈自我の者たちが
よく口にする言葉があります。
これは、たとえば上座仏教かぶれのダメ信者や、仏教系だけではなく、
各種団体の、瞑想ごっこをしている「ダメ信者」の口から、
なぜか必ず出る言葉である。
それは
>「雑念は、さして気にならないです」
である。
■これは、現実には、雑念が気にならない「のではなくて」、
実際には、二つの原因で起きている、精神的な「機能不全」である。
ひとつは、
>あまりにも頭がボケて思考停止しているので、
>それを雑念が少ないと勘違いをしている。
ふたつめは、
>あまりにも意識が朦朧としていて、
>実際には、雑念だらけであることに全く気がつかない。
●このいずれも、「希釈自我」にのみ、典型的な性質です。
そして、この連中は、大抵の場合に、
瞑想中に、「眠りこけている」。比率的には、女性に多い。
●そもそも、なぜ、過去の瞑想や座禅が、
雑念というものを、大きく問題視して、それを取り扱い、
また、実際にも、それに苦しめられた沢山の僧侶の話が登場するかといえば、
意識をしっかりと見開いて、我々が自分の頭の中を直視すれば、
そこには、
「たったの一秒間にすら、何回もの思考や雑念が去来している」からである。
すなわち、もともと、そうした座禅や瞑想というものは、
ごく当たり前に、そこに渦巻いている、無数の雑念や印象を
「明確に検知」できるだけの「最低限の感度」を持った、
「原型自我」の人のためのものであったのであり、
また、思考や意志の力が強いからこそ、
彼らはどんな小さな雑念とも、壮絶な格闘をしなければならなかったのである。
つまり、瞑想や座禅をしたならば、
「雑念と妄想の嵐に巻き込まれて当然」であるのが、
生きる力をきちんと十全に持った自我としての「あり方」そのものなのである。
■一方で、雑念がないとか、雑念は気にならないとかほざいている
連中は、それはまるで、
ろくに勃起もしない自分のフニャペニスのことを称して、
「ボクは、性欲ないから」と言っているのと同じことである。
●思考力もなくて、その上、観察意識の感度も使い物にならないほど鈍感すぎる、
そんな弱々しい「希釈自我」連中のいう「雑念は気にならない」などに、
一体、何の意味があるというのだろうか?
それは、彼らが、
自分たちの脳が「勃起不全であることを自白」してのみである。
ダイジが、彼が、
「・・・・にとっては、只管打坐は、地獄になる」
と言った真意を、全く理解も出来ないで、
思考力もないし、意識もボケている
「インポ脳」の、知ったかぶりが多いということである。
そんな者が、真似事で座って、雑念がないなどとほざいて、
一体、何の意味があるというのだろう。
■これを、ボケ頭で、否定する者は、
和尚が、光明に至る前の状態を、どう回想していたか、
思い出すがいい。
>私は、毎日、ほとんど気が狂いそうだった。
>実際、私はほとんど狂人のようだった。
>その時が訪れる前の私は、
>疑問に次ぐ、疑問だらけだった。
座って、なんとなく、リラックスした自分を褒めていて、
これでいいんだと、妄想しているような、そんなだらしない馬鹿者が、
一体、どうやって、
「もう死ぬ気で座った釈迦」に、
自分は仏教やっています、などと、ずうずうしく、顔向けができるのだろうか?
このように、常に、どのような真実を前にしても、
自分を慰め続けたいだけのエゴの言い分というものは、
あらゆる点で、全く狂っている。
全く、呆れかえるばかりである。
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