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[3954]
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秋葉原通り魔の原因 その-5 「依存」「親の責任」と「本人の責任」
by:
崩残
2008/06/19(Thu)07:46:21
【秋葉原通り魔事件、その時若者は】
■「週刊現代」の記事において、決して、
見過ごしてはならない記事は、以下である。
詳細な原文は、月曜日発売の「週刊現代」を必ず購入して熟読ください。
**************************************************
事件発生から30分後、現地ではあちこちで懸命の救助活動が続いていた。
そのすぐそばで電話をする十代の少女2人。
「聞いて、聞いて、チョーすごいこと起きてるんだけど!
うん、わかった。写メール送るね!」
電話を切ると悪びれる様子もなくケータイをかざして、
路上に横たわる被害者の写真を撮っている。
少女たちだけではない。
"観客たち"の多くはデジカメとケータイを携えて
画像を撮り続けていた。
近くのコンビニの前では中学生らしき少年たちが、嬉しそうに
事件の速報が入ったケータイの画面を眺めている。
「スゲー! 祭りが起きたよ! 祭りが!
あー、ちくしょう、さっきまでアキバにいたのに。
最高の瞬間、見逃しちゃったジャン!」
少年たちは興奮した様子で秋葉原に向かってゆく。
事件現場を目撃していた青年が報道陣に向かって雄弁に語っていた。
「たしかに、あんなことするやつも悪いけど、
なんで自分の身も守れなかったんだろうね!
あいつら(被害者)、しょぼいっすよ。
マジ情けない。 警察もずっと訓練してんだろ?
あんなやつに刺されるなんて信じられんないね」
_________________________________________________
記事は、これを「歪んだ日本社会の一断面」と締めくくる。
さて、これを読んだあなたは、この現場にいた、
若者や青年の、この「人間のクズのような発言」をどう感じただろうか?
■私は前のこのシリーズの投稿で、
秋葉原という土地で起きる必然が、もしもあったとしたら、
それは、こうした"容疑者と類似するが、容疑者以下"の人種が、
そこに潜在していることにあると書いた。
むろん、それは渋谷であっても似たようなことになるかもしれないし、
また人間というものには、野次馬根性というものは確かにある。
ただし、これらの発言というものは、野次馬根性というレベルのものを
完全に逸脱してしまっている。
被害者の人々に罪はなくとも、
秋葉原という土地そのものに集まる人間の傾向に原因は
確実にあるだろう。
そして、この見物人らの「ケータイ中毒」と、
その上さらに、口から出てきている、これらの会話、それは、
加藤容疑者のことを、どうこう言えたものでは、とてもないことだ。
■怒りや不満が、爆発的な破裂をし、それが元の親に向かわずに
行き場を見失って、無差別殺人になるといったケースと比較した場合には、
この見物客の「馬鹿連中」は、
社会的には、とりあえずは「無害」に見えるだろう。
しかし、殺人事件が起きているというのに、
それを「祭りだ」と称して、馬鹿騒ぎをしている、こいつらの言葉の全てが、
「この上もなく暴力的」で「有害」あることを、
あなたは感じないのだろうか?
■親であるあなたの子供は、秋葉原にいて、
加害者にもならず、被害者にもならなかったかもしれない。
しかし、もしも、あなたの子供も、こいつらと同じ言葉を言い、
事件を面白がり、はしゃいでいたとしたら、
その自分の子供を、あなたはどう思うか、
そして、それをもしもあなたが見たら、
どのような言葉を子供に言うのか、よくよく自問して戴きたい。
************************************************************
■ところで、弟が手記を寄せた文は
来週に後半が掲載されるようなので、興味のある人は、
早めに、今週号を、コンビニなどで買うと良いだろう。
しかし、その弟さんの手記の内容を読むと、
弟は、本人の自己申告とは裏腹に、
大きな心理的な病理をまだ抱えたままであることが良く分かる。
つまり、実際には、母親との和解など出来ていないということが。
また結局のところは、家族間で会話がなかったために、
重要な部分が不明のままである部分がある。
たとえば、父親がなぜ借金をしたかなどは単に弟さんの推測にすぎない。
どうやら、両親に「うまく取り込まれた形で」なんとか安定を保っている
という感じである。
奇妙な事に思うかもしれないが、
結局は、憎しみと悲しみを声にした兄が、実は「救われかけていて」、
弟は、逆に中途半端な和解をしたことで、
脱出のチャンスを失ったと私は見ている。
これが隣の「梅の間掲示板」でも言っているところの事で、
虐待的な行為を親から受けたことに明確な自覚のある子供よりも、
どこかで親に「うまく飼いならされる結果」となった「無自覚AC」の方が
回復の可能性が非常に低いということなのである。
_____________________________________________________________
●ここで、機能不全家族になるそもそも原因は何かということを
もう一度、復習して学習しておいてください。
機能不全家族の「結果として」、
アダルトチルドレンというものが生ずるが、
これは、あくまでも本人が「自分はACである」と自己申告するものである。
つまり医学的な定義や診断基準が明確にあるわけではない。
一般にACというのは、この自覚ACを指していう。
身体や言葉による親からの虐待行為以外にも、
親の心配を常にしなければならなかった子供や、
なんらかの理由で、幼少期に、子供として当たり前の経験が
欠落した場合に起きる症状を言う。
それらは、何らかの形で、親に対して爆発する形を取ればいいが、
その爆発が、壁などの物を壊すなどの傾向を強めた場合には、
それは親に向けていないという意味で、無差別殺人に発展する
危険性を持っている。
■一方で、無明庵では「無自覚AC」と定義した人間は、
子供のころに、親は馬鹿で理不尽だったのに、
その親と「ご褒美と引き換えに、取引き」をしてしまった場合の子供である。
これは、怒りを、自覚的ACよりも、
「さらに屈折した形」で無意識の中にしまいこむこととなる。
これらの無自覚ACは、一見すると、1人であると、おとなしくて無害に見えるが、
少数でも集団になって、つるんで徒党を組むと、
大犯罪を平気でやってのけるタイプである。
■さて、そもそも、どういうものが「機能不全家族」であるかといえば、
それは、機能不全家族の領域とは少し別の領域に昔からあった、
「依存症」に目を向けなければならないことになる。
よく知られたものでは、アルコール依存症だが、
アルコールでない形の依存症で知られたものには、
「パチンコ依存、ギャンブル依存、買い物依存、薬物依存、
ゲーム依存、最近ではケータイ依存、オンライン依存」などがある。
●ここで、依存症の原因をなしているものが何であったかを思い出して欲しい。
このテーマは、何度も何度も竹の間で行ってきたことなのであるから。
依存症というものは、
何らかの心理的、あるいは暴力などの身体的痛みを受けたときに、
それと向き合うこと、闘うことから逃げて、
「神経を麻痺させる」ために行われることである。
>自分を麻痺させることで、苦痛を回避しようとすること。
>そして、それによって、自分の本当の問題から目をそらせて誤魔化す方法。
これが「依存症」の最も大きな特徴である。
だから、アルコールは最も手軽な「麻痺」の手段として使われる。
(ただし、無害な「お酒が好きな人」と依存症は違っている。)
その他の、依存対象も同じ動機で使われており、
それは、「気分を誤魔化す」ということを期待して、使われ、
それはやがて、中毒になっている。
結果として出来上がるのは「鈍感さ」のみである。
こうした状態に陥った人間の特徴はいくつもある。
・話の論点が常にずれる。(ずらしている)
・親に飼いならされたことに全く気づいていない
・斜にかまえて、他者の苦痛など全く理解できない
・偽善者になる。(口先では奇麗事や一般論を言うだけの者)
・物事を解決しようと全力を尽くすのではなく、
起きている物事からどうやって逃げて誤魔化すかしか頭にない。
●このように、最初の問題は、
1-まず、「自分の現実に、向き合わないように逃げる」癖から始まり、
2-そのための逃避できて中毒できるものを見つけて「依存」し、
3-それは家族間、親戚間ですらも「感染」し、
4-自己存在の為に子供や他者を利用して、自分の存在意味を
保持しようとするといった「共依存症」などを作り出し、
5-それが結果として、ACや、無自覚ACを作り出す。
この連鎖が、
そもそも、子供を持っている「その親自身」の段階から始っているのであるから、
責任の所在は、親に半分は確実にあるのである。
■ただし、残りの半分は本人の生まれつきの「自尊心」に委ねられる。
昨日、ちょうど、私は、日本人で、
性同一性障害だった1人の男性が、性転換手術をして女性の戸籍を取った
というレポートを見た。
その人の家庭環境は、なんとも「時代遅れな」ことに、
彼のことを家族は「全く理解せず」
青山学院大学の生徒さえも、
なんと、これだけ性同一性障害に関する情報のある現代にあっても、
彼を白い目で見て、差別したのである。
彼の周囲の環境は、家族も大学も、ことごとく彼を受け入れなかった。
しかし、そんな「全く自分に対する理解のない」環境であっても、
彼は、ニューハーフとして、自分の「本当の性」を取り戻した。
なぜ、それが彼に出来たのか、
私はその番組の断片情報を見ていてよくわかった。
それは、彼が、(彼女といった方が正しい)、
決して親の反対には、屈しなかったこと。
絶対に、自分の意志と感性に、一切の妥協をしなかったことだった。
結果として自殺を考えるまでに至ったが、
結局は、最後には最も彼女を理解しなった
彼女の母親が、その後、「彼女」の最大の理解者へと変化した。
そのような、親の認識さえも変えうる力を、
その彼女は、既に一貫して、生まれつき持っていたといえる。
●こうした最近では、非常に珍しい「家族の復帰」の事例も、
結局は、本人の自尊心が決して死ななかったからこそ可能になることは
間違いのないことである。
_____________________________________________________
■一方で、
今回、書いた、秋葉原の「外道の見物人」、
宗教とか、無差別殺人の抑止、になるのではないか、
とアホな事を平気で言ってしまう無自覚ACの弁護士。
ちなみに、この大馬鹿は、要約すれば、次のように言っているのである。
「どこか(オウムではないような)まともな宗教に入っていれば、
加藤容疑者は、事件を起したかもしれないが、
無差別大量殺人は起さなかったかも」、、、って、
おいおい、お前、
「宗教に入ったら、犯罪をやってしまう人間は作り出すかもしれないが、
無差別殺人をするほどの人間は作らないから、
だから、まともな宗教に入れだと???
なんなんですか、これは?
「無差別殺人でないタイプの別の凶悪犯罪をする人間を育てるかもしれないけど、
オウムや統一教会以外のどこかの宗教に、どうぞ、入ってください」
と言いたいのか?
だったら、無差別殺人をしないならば、まともな宗教だと言うならば、
今のオウムは、お前さんのいう「まともな宗教」にカテゴライズ
されるということである。
つまりは、この弁護士は、善悪の区別すらも、ろれつが回らないほど、
「完全な論理破綻」をしているのである。
この原因は、この愚かな彼が、
オウムの脱会信者を、彼の歪んだ形で心情的に擁護しようとあがき、
一方では、教団や幹部や教義は社会悪として位置づけようとするものの、
結局のところは、浅はかな「同情ごっこ」の形で自己投影をしては、
「彼らは、元々は、いい人間なのだから、
オウムでない、どこかのまともな宗教に入れば良かったのだ」
という屈折したスタンスを取ろうとして、
結果、自らの、
「その精神状態そのものが、ひっくりかえってしまっている」ことに
全く無自覚なのである。
砂手に言わせれば、
この人間は、「人間の尊厳に対する理想が、あまりに低すぎる」。
つまり、彼は自分に対する理想があまりにも低すぎ、しかも
その自分を、常に、「自分で甘やかしてきた」のであろう。
そして、その彼自身に対する、甘やかしの、その「道具に」、
オウム信者や元オウム信者を「利用しているのみ」である。
そして、彼の元に集う脱会したオウム信者は、
そんな人間に集うのであるから、同じく、
身勝手な自己満足のために、他者を自分でも無自覚に利用する
というタイプが多いことだろう。
こういうのを「無自覚偽善者」、
しかも、その上、「馬鹿者」という。
ここで格言・・・・加藤容疑者に伝えたい、格言がある。
>不細工には、社会的な罪は一切ない。
>しかし馬鹿は、社会的 大罪である。
●さて、話を戻しますが、
無害なだけで、実際には「犯罪予備軍ですらあり得る」宗教信者や、
精神世界の人間たち、
物事をごまかし続けて、完全に鈍感になってしまった、
こんな人間たちに、
どうして、まっとうな子供など、育てられるというのだろうか?
【関連記事】「無差別殺人の原因 その-6」も参照のこと。
↓
http://www.mumyouan.com/k/?U1244
___________________________________
■しかし、皆さんは、では、理想的な親子関係の
モデルケースというのは、どういうものかご存知だろうか?
そもそも、理想的なサンプルを知らねば、
本当は、家族はどう在るべきか、それすら分からなくて、
欠陥箇所を指摘されるだけに終わることだろう。
この家族がどうあるべきか、という問題についは、
いつか、砂手が、梅の間に書くかもしれません。(未定)
それは、他ならぬ、この私の家庭がどうだったかという話になる。
今、私は、砂手に私の親がどういう親であり、
どういう家庭環境であったのかを口頭で、ときどき話している。
私は、自分の家庭環境が、どれだけ、
子供の成育環境という点で、恵まれていたのか、
いかに、自分の親が、並外れて1人の親として優れていたのか、
「子育て」という意味では、最も良い形のひとつで私を育てたのか、
砂手の話を通じた「他の親と比較」することで、
改めて痛感することとなった。
その話は、きっと皆さんにも、興味深い話となるだろう。
私自身には、あたり前の事だったので、あまり意識はしなかったが、
砂手の知る他のいくつかの家族の事例と比較すると、
どうやら私の母は、本当のところは、
かなり「珍しいタイプ」の母親だったようである。
●さて、誤解してはならないことは、
家庭に問題がないのが良い家庭とイコールなのではない。
その問題を、家族がどう解決したか、ということが問題なのである。
単純に良い親だったから良いといった問題でもない。
はっきり言ってしまえば、
「愛が大切なんだ。愛だよね」、などと、
目も当てられない軽薄な「いびつな愛情」を子供に向ける親よりも、
子供と「絶妙な距離を取れる親」のほうが、
子供をまともに育てられるということである。
その私の親についての話は、いつか別のときにでも。
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