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[3960]
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■秋葉原通り魔の原因 その-9 母親の異常な虐待と、立ち直れないままの弟。
by:
鈴木崩残
2008/06/23(Mon)18:13:17
秋葉原事件は「理解を超えている」のではなく、
自分の事として「理解する事を拒み続けて」
「現実」から逃げ続ける「親たち」がいるのみである
●約50年以上、生きてきて(幼少期の数年はアメリカにいましたが)、
この日本という国も、随分と変わったと、つくづく思います。
しかし、戦前、戦中から「全く変わっていない日本の部分」もある。
(戦前の昭和と戦後については大正生まれの母と、さらに祖母から、
何度も話を聞いたので、むろん私自身は、直接の戦争体験者ではありません。)
■さて、この事件で、最も大きくクローズアップしなければならないのは、
日本の社会全体が、犯罪心理学と家庭環境について、
欧米に比較したときに、あまりにも「後進国」であることだ。
そのために、日本社会に昔から潜在的にあった「家族内の病理」を
隠そうとする側面に、この事件を通じて光を当てる必要があることは、
何度もこの「竹の間」と「梅の間」の、
「秋葉原事件のシリーズ」で言ってきた通りである。
もしも、今回を機にして、今まで、マスコミも社会も、
漠然と、遠慮ばかりして、立ち入ってこなかった、
「家庭」という名の、「虐待の密室」である「震源地」に、
分析力を注がなかったらば、
こうした無差別殺人事件の「本当の主原因」を知るチャンスは、
二度とないと思ったほうが良い。
■ひとつ、私は、呆れたことがある。
それは、「そこまで言って委員会」に、作田明(犯罪心理学者)が
出演したにも関わらず、司会者をはじめとする「周囲の馬鹿な発言」が、
作田教授が言わんとした、重要な問題を、かき消してしまった愚行である。
作田教授は、それまでテレビに露出して、発言していた
それまでの原因についての「曖昧な論調」を、明らかに変えていたのである。
まるで、彼のところだけ、照明が当たっていないかのように、
彼の気配が、沈んでいたことに視聴者は気づかなかっただろうか?
それに比べて、コメンテーターは、的ハズレな論調をくり返し、
結局作田教授が出てきた意味など何もないまでに、
番組の論点は壊れたものとなった。
■しかし、作田教授は、事件後初めて「弟の手記」を読んで、
それが、いかにアメリカで分析されてきた「機能不全家族」と犯罪者の
関係に酷似しているのかに気づいたはずである。
だからこそ、作田教授は、番組中で、明確にこういう主旨のことを言った。
>「あの家庭では、明らかに、母親の虐待があったのです」
「虐待」ということを作田教授は、明確に断言した。
しかしそのあと、彼がその事を語ろうとした矢先に、
周囲の馬鹿発言が、その重要な論点を、潰してしまったのである。
マスコミが、あちこちに引っ張り出した、
いわゆる「権威ある」と皆さんが思っている教授が、
「あれは虐待である」と断言しているのだから、
もう少しは、専門家の意見に、黙って、耳を傾けられないのかね??
あの「そこまで言って委員会」の連中には、今回だけは、失望されられた。
_________________________________________________________
■さて、この掲示板を、弟さんが見ているといいのだが、
まず言わねばならないことは、何かを発言するということは、
インターネットであれ、記事であれ、
それによって起きる論議、論争に、
あなたは向き合うべき、自己責任があるということである。
■結論から言えば、推論どおりに、
「兄弟して、2人とも、完全に病んでいる」
(50%は、彼らも、母親の虐待の被害者とも言える)
弟は、どう母親を擁護しようとしても、
記者の前で「自分だけいい子ぶる」ことをしていること、
それ自体が、母親からの影響なのである。
事実関係の一部は、記事としての価値があるが、
弟の私見や、「自分は兄貴とは違う」といった記述には、
あちこちに、矛盾点が見られる。
>この矛盾点については、この投稿の文末に、
>砂手が続けて指摘をしてゆく予定である。
●たとえば、加藤容疑者とて、普通の生活を学習していたのであるが、
それを弟の彼は、さも、自分だけは異常な家庭教育の洗脳から
自力で脱したかのように、矛盾した弁解をしている。
実際に読むと、
世間知らずで驚かされるのは、むしろ、兄の方ではなく、
「弟の方が、あまりの世間知らず、常識知らずであること」は、
読者も、一読すればすぐに分かるだろう。
■いずれにしても、心理学に少しでも詳しい者が、
「週刊現代」の記事を一読しただけで、
「弟も、資質的には、ほとんど同じ」と明確に理解するだろう。
ただ、この状態であると、このような弟がいたために、
兄であり、差別をされた加藤容疑者は、
逆に、母親に対する憎悪を強めたに違いない。
(そもそも、実兄を、未だにアレとか犯人と呼称すること自体が異常である)
極端な言い方をすると、
よくある「一人っ子が両親の両方を敵に回してなるAC」とは別に分類される、
これも、よく知られたところの、
「兄弟間差別の結果」のACとしての加藤容疑者を生んだといえる。
この兄弟は、2人とも母親が作り出した、爆弾である。
ただし、特に会社でのトラブルを巡る「起爆装置」が
単に片方は作動しなかったということに過ぎない。
起爆装置は作動しなくても、
どちらも爆弾であることには、全く変わりない。
製造元は、言うまでもなく、あの母親である。
■強いて言うならば、犯罪を起す可能性、爆発する可能性は、
弟の方は少ないだろう。(既に親に取り入ってしまっているので)。
ただし、このタイプは、自分は爆発しないが、
爆弾となる人間を、無自覚に知らずのうちに「製造する側」、
つまり母親と似たタイプになる可能性がある。
■以前にも書いたように、
確かに、容疑者は自分の罪を今後、死刑などで償うことになるだろうが、
この事件を通じて、社会的にどうであるかということではなくて、
「人間としてどうであるか」という基準で見た場合には、
加藤容疑者の方が、正常に「向かいつつ」あり、
一方の弟は、全く正常になっていないと私は見ている。
■よって、供述調書においては、
この弟が言うような「ポーズ」も嘘も、現在の加藤容疑者にはなく、
むしろ、嘘やポーズは、この弟の方に見られるということを
現場で、事情聴取や、取調べを行っている警察の人達は、
それこそ、長年、人間を見てきた「勘」で「肌で」感じていることだろう。
■私の推測では、とんでもない事件を起して、
被害者を出したこと自体には、全く擁護の余地はなく、
死刑になってもしかたないが、
ただし、彼はとんでもない行動をしてしまったことによって、
親の洗脳と本当の意味で、闘っている最中にある。
むろん、それを直接に親に向けなかった加藤容疑者自身の罪は、
死をもって償うべきだろう。
それは、単に詫びて、泣いたから済むものではないが、
これから時間をかけて、彼の中では「整理」されてゆくことだろう。
社会的に償うべき罪と、本人の精神とは、また別問題である。
だから、もしも出来るならば、
加藤容疑者を死刑にすることになっても、
この容疑者に関しては、死刑までの時間を
なるべく、可能な限り、長くしてやってほしいと「個人的」には思っている。
彼は、その間に、弟が語らなかった手記を残すかもしれないし、
法廷でも、正直に、語ることだろう。
それのほうが、弟の手記などよりも、
よほど、今後の無差別殺人の原因分析に繋がるかもしれないのだから。
しかし、この週刊現代の「後半」の記事については、
「梅の間掲示板」担当の「砂手」が、
相当に、弟の勝手な言い分に、怒っているので、
続きは、竹の間で、この後に続けます。
おそらくは私が語るよりも、明確に容疑者の弟さんの中にある
諸問題を、浮き彫りにしていますので。
>■ 6/24 11:49 更新________________by 砂手
↓
容疑者の母親を擁護したがる
多くの日本人
加藤容疑者と、同じような境遇で育った子供達があまりに多く、
この場合の境遇とは
=『親にとって都合のよい自己存在価値証明の道具』にされていたということです。
つまりその間、子供の自尊心=自主性は、
親によって、ないがしろにされ続けるということです。
・今では加藤容疑者と同様に成人になった、そのかつての子供達が
その生育環境がいかに苦痛に満ちたものであったのか、
また、その生育環境が子供の自分に与え続けた耐え難い葛藤、無力感
そして、その生育環境が、後の成人後の人生に暗雲としてたちこめ、
いかに人生を支配してしまうか。
それを自分のこととして理解する人たちが多くいるという【現実】。
そして、親の都合のよい自己存在価値証明の道具にされてきた
子供達が多くいるという【現実】。
その圧倒的で深刻な、こうした【現実】に対して、
>そうした意見を、『安易な同情だ』と一蹴してしまう人たちが、
>それ以上に多くいることを知った。
なぜ、彼らはこれらの【家庭内の現実】を受け止められないのだろうか?
この現実を受け止める、ということを拒否する人は、
人間の尊厳についてあまりに無知であり、浅はかである。
したがって、人間の「生育環境の理想的状態」についても、
彼らは、あまりに「基準が低すぎる」。
この手の人たちは、まるで、示し合わせたロボットのように、
「犯罪を犯した張本人が悪い。親は悪くない。
いや、確かに間違ったところもあったかもしれないが
(と譲歩のフリはする)
しかし、親は責められるべきではないんだ。」と異口同音に言う。
■これらの人たちは、次の2つに大別される。
>?@・・・・
>悪びれることもなく、子供を自分の自己存在価値証明に使った
>現に今そうしている最中の『親達』
>?A・・・・
>親から、自己存在価値証明に都合良く使われきってしまい、
>更には、その親に迎合することで、
>狭い親子社会の中で、自分の立場を有利にしてきた立場の『子供』
つまり、「加藤容疑者の弟と同じスタンス」の者たちである。
■その「犯罪を犯した張本人が悪い。親は悪くない。」と言うたぐいの人達が
加藤容疑者の生育環境や心理的背景について言及する人に対して
「そんなこと言って、加藤容疑者の罪を軽くする気か。」
というような趣旨でからんでいる光景もよく見かける。
しかし、
>刑罰、量刑の云々と、
>『原因究明』は全く別の話である。
生育環境や心理的背景についての言及は、
減刑などの量刑とは関係は無く、
あくまで原因への考察であることは、
普通に読めば、理解できるはずである。
だが、前述のたぐいの人達は、
容疑者の生育環境に言及するスタンスの人達に対して
”加藤容疑者を擁護する社会悪派”という見当違いのレッテルを貼って
あくまでも、特殊な犯罪として、
容疑者もろとも葬り去りたいかのようにすら見える。
今回の事件に限らず、法廷闘争になった場合の量刑問題での「駆け引き」は、
純粋な意味での「原因究明の障害になってしまう」ことが多い。
■加藤容疑者は、極刑だろうし、
それはこの国の決まりだろうから異論は無い。
例えば、煮るなり焼くなり、殺害した人数分、
負傷させた人数分の日数をかけて、拷問の末、極刑でも良かろう。
それは、刑罰に部類されることだから、極刑になろうが、何になろうが、
何ら異論は無い。
そして、同様に、この国には、その親を罰する法律は無いから、
その親を罰する必要は無い。これに関しても問題は無い。
そして、加藤容疑者の生育環境がどうであれ、
情状酌量される必要も無い。
過失致死で無い限り、心神耗弱などの減刑や情状酌量など
まったく無い方がいいと個人的には思っている。
しかし、原因究明へのアプローチが何らされること無く、
刑罰のみがあるのなら、どんなに軽い罰則であれ、私は反対である。
●もしも両親が、子供の自主性を重んじ、
子供の尊厳についての洞察があったのなら、
加藤容疑者ならびに、このような凶行に走る子供が育つということは
100%無い。これは私は断言できる。
この事実を理解する一部の者が、
今回の事件に関して、容疑者の生育環境に関して、言及し、
その家庭環境を構築した両親に対して「憤る」ことは
「当然のこと」なのである。
しかし、この正当な憤りに対して、
「不当な中傷だ。」と言う者達の根拠は次の通りである。
『同じような生育環境にいても、
凶行に走らないものの方が多いのだから。』
そして、これらの者が、提示する「解決策」など、こんな程度のものだ。
↓
「子供の自尊心を奪うような、洗脳じみた、家庭環境は仕方ない。
親だってがんばっていたんだ。
凶行に走らない者の方が多いのだから、どう考えても
凶行に走ってしまう者の方が異常なのだ。特殊なのだ。
でも、そんな環境で育っても、凶行に走らない者の方が多い。
だから、そんな家庭環境の中でも、
凶行に走らない子供達の不思議についてでも研究して、
今後のより良い安全な社会に、役立ててみてはどうか?」
などと言って、
>あくまでも、『自分達の責任から逃げようとして』、その上
>「極めて劣悪なビジョンを抱け」と言っているように見えるのだ。
■そして、ダメ親たちの本音とは、次のようなものだ。
『子供に対しては、
親の飼い犬にでも成り下がって、
社会から、たまにご褒美をもらう環境でも整えて、凶行を水際で防げ。
でも、頼むから、私達の家庭には、原因分析のメスを入れないでくれ、
だって、自分達が、そういう親だから、立ち入られては困る』
しかし、?・・・・
この全く何の対処療法にもならない劣悪なビジョンの持ち主らである、
あなたたちにとっての「子供の尊厳とは、人間の尊厳とは」、
いったい何であろうか。
この手の人達(親や社会)は、
回りくどい、社会的大義名分や、世間体的大義名分という盾を使って、
結局は、「自分達の立場を擁護しようと必死」なので、
今回のような事件の核心にせまる事は、絶対に不可能です。
その一例としては、
「親は、やっぱり親だから。育ててもらったし。
血をわけた家族だから。親は大切にすべきだし。」
という生物学的事実を、
子供を支配することや、
自分が親に隷属してしまうことの究極的な正当性として、臆面もなく言うので、
「全く話にならない」のです。
*************************
「弟の告白」への疑問
今週の、加藤容疑者の弟の告白から。
記事の中で、疑問点がいくつもある。
■例えば、弟は、「家族に関する過剰な報道について」と言及しているが、
「家族に関する、過剰な報道」など、
いったいどこの局で取り上げたというのか。
つまりこれは事実誤認である。
むしろ、極端にそれは少ないくらいであり、
テレビに関して言えば、両親を責める論調にならぬようにと、
腫れ物に触るような気遣いぶりになっている。
(つまり原因究明につながるような洞察はほとんど聞かれないということです。)
■弟は「自分が小学校3年生になるくらいまでは、ハッピーな時期」
と言っていた、この時点で、兄である加藤容疑者は、すでに小学校6年である。
つまり、ハッピーであったのは「弟がそう思い込んでいただけ」で、
家庭そのものは全くハッピーではないのである。
事実、加藤容疑者が、小学校5年の時、つまり、弟は小学校2年で、
その弟の言う、ハッピーな時期であるはずなのに、
兄は、何度も、その母親に、作文の書き直しを強要されている。
このように、弟の発言は、
少しでも考えれば、思い出せそうな単純な記憶に関して、
時系列が正しくない部分が多くみられる。
■「母親の質問に答えられないと、『10秒ルール』にしたがって、
母親の10秒のカウントダウン以内に
『母好みの、教師受けする答え』を出せないと、
ビンタが飛んできて、それが延々と続く、」という記述もあった。
おそらくこれも、弟が、小学校2年か、3年のことだろう。
だとしたらば、あの家族がハッピーな時期があったなどという信憑性が
無いのである。
■またこの弟は、
「自分が、兄とは違い、積極的に、社会との接触を図るようになったが
兄は、どこで、道を踏み誤ったのか?」などと言っている。
しかし、この弟は、馬鹿じゃなかろうか?
兄も弟より先に、社会人となって、社会との接触をはかっていたのである。
また、弟は、「家で兄が異性を意識している素振りが無かったこと」を根拠に、
今回、兄が自分のルックスに対して、大きなコンプレックスを抱いていた、
ということが、「衝撃だった」と述べている。
そんなことに、衝撃を受ける弟の方が、聞いていてよほど衝撃的である。
なぜならば、20歳を過ぎて、家を出れば、
女性や自分のルックスに興味を持って当然だからである。
つまり、弟は、家を出た後の兄の状態について、何一つも知らない状態で、
兄について、あれこれのことを語っている部分が多くある。
■それと、この弟の最も、病的な言い分は、
「兄と血を分けた自分が、実際に兄に会えば、
謝罪がポーズなのかどうか、判断できる。」と言っている。
同じ環境の中で、育ったくせに、
しかも、兄を犯人とか『アレ』と呼んでいる、その一方で、
こんな時にだけ「兄と血を分けた」などという言葉を使って、
「自分ならば、兄の嘘を見分けられるんだ。」と言いたげなのである。
■しかもその上、「自分は親を許した」と断言し、
「兄にも両親を許してほしい」などという「傲慢極まりないこと」を
無自覚に口にしているのである。
しかし、弟がやったという、その、『許し』?とはいったい何なのか?
弟は、何を根拠に、自分は母親を許したというのか?
母親に何を見て、許す??ことにしたのか?
弟にとっての許しとは何で、
兄に要求する、その『許し』の内容とは何なのか?
兄と両親の関係はあくまでも、兄と両親の間でのことである。
そこに、弟が兄に対して、
両親への『許し』を要求する権利があると思い込んでいること自体が、
この弟の傲慢さなのである。
弟が、自分の要求を兄に押し付けてでも、
張りぼての『許しあう家族像』を整えたいと願っているに過ぎない。
というのも、その『許しあう家族像』とやらは、
蓋を開ければ、実は、アンハッピーだったのに、
トランプゲームに興じて『兄の苦しみなど全く見ずに』
上っ面の家族団らんを装っていた、
『弟が都合よく勘違いしているハッピーな時期』にしがみ付いている
弟自身にしか通用しない幻想に過ぎないのである。
弟からも、未だに解けていない
母親からの「ウケ狙い」の洗脳(虐待)
こういう弟のようなタイプは、
【現実】や原因の底の底を見ることから逃げて、
表面的な平和(あくまでも自分にとって)を、つくろうことばかりに終始する。
そして、また、同じ事を繰り返す。
ただし、同じ事を繰り返すとは、
加藤容疑者と、同じように犯罪凶行に走るということでは無い。
こういった、人の顔色をうかがう良い子ぶりっ子は、
社会的には、めでたく無害だろうが、
自分にとっての都合の良い平和をキープする為に、
無自覚に他者を利用してしまう者になってしまう。
■この弟は、兄を『アレ』と呼び、
忌物として断絶した距離を保っているのだということを、
弟自身が他ならぬ自分自身に、言い聞かせているに過ぎないのである。
「同じ両親のもと、育ったけど、
アレは、兄ではなく『アレ』だから、アレと自分は違う。」ということを
『雑誌への告白に乗じて』弟が自分自身に必死に言い聞かせている様子がうかがえる。
「アレと違って、僕は、母を許せたから、平和を得たんだ、
幸せなんだ。幸せなはずだ。
母を許せた僕には、母という場所を得られたんだ。
だから、僕はアレとは違うんだ。」
そのような悲痛な自己暗示が必要になってしまうほどに、
弟は、未だどこかで、
出来の悪い、凶行に走った兄と全く同じ状況下でさらされた
『洗脳からの影響』に恐怖し、おびえている事が見てとれるだろう。
今後、その弟の抱く、その【恐怖】は、弟の頭の中では
『世間からの、うちの両親への誤解から来る怒り』に対して、
僕は【恐怖】しているんだ。
『世間からの、不条理な自分に対する怒り』に対して、
僕は【恐怖】しているんだ。
と【恐怖】の対象を摩り替えてしまい、
本当に、弟が恐怖している【恐怖】の対象には、弟の自覚は行き着かないだろう。
これが、兄である加藤容疑者もやってしまった、『責任転嫁』である。
言い換えると、自分の【恐怖の対象】が、【親の呪縛】にあったのに、
兄は、それを、【社会への恐怖】と思い込んでしまい、
弟は、それを、今後、兄と同じように、【社会への恐怖】に摩り替えて行くことだろう。
■つまり、加藤容疑者は、
不細工な男を相手にしない女性一般を恨んでいたのでは無い。
>出来が悪いからといって、自分を相手にしなかった、
>「母親」を恨んでいたのである。
>加藤容疑者は、待遇の悪い会社を恨んでいたのでは無い。
>自分を蔑んでいた「家庭」を恨んでいたのである。
>これらすべては、両親に向けられるべき憤りが、
>加藤容疑者をとりまく社会的な周囲の不具合に、
>強烈に【投影】されてしまった結果の事件なのである。
つまり兄のほうの容疑者は、
責任を『両親』から『社会一般』に転嫁することとなった。
弟も、恐らくは、今後、同じ、責任転嫁によって、被害妄想に陥ると
予測される。
すると、あれもこれも、どれもが、
>「両親との関係の雛形」を判で押したような言動を繰り返すように
>なってゆくだろう。
■実際に、弟の『責任転嫁』が、
もう既にこうして、始まっているではないか?
>弟が本当に恐怖しているものは、
>自分が受けた『家庭での洗脳の影響』なのである。
しかし、この弟は、母親との邂逅(めぐりあい)によって
洗脳関係を乗り越えたとさえ思い込んでいるので
その思い込みのせいで、
自分の恐怖心の本当の原因に彼が気づくことは、難しいだろう。
それは、それまで築いてきた、
自分の思い込みによる平安が崩れること意味するので、
何としても、弟は、それを避けたい事だろう。
■だから、自分の中の自分でも説明のつかない、恐怖心、おびえを
「アレがあんなことを起こしたせいで、
両親がさらしものになってしまった。
そのことに対して私は、恐怖し、それにおびえているのだ。」
と、弟は、すりかえて自分を誤魔化すことだろう。
そのすりかえの理由の状況証拠を作る為に、
(あくまでの弟にとっての都合の良い証拠だが)、
「世間は自分達に不条理で大きな批判を浴びせた」ことにしてしまい、
「両親は、アレに追い詰められた結果倒れた」ということにしてしまい、
そうした「責任転嫁」の結果
(悪いのは両親ではなく⇒世間の一部または、アレが悪い)という被害妄想により、
弟は恐怖し、おびえて行き、追い詰められてゆくだろう。
弟は、自分自身の足元の恐怖が、一体、いつ何によって生まれたのか、
もう一度逃げずに、向き合うべきなのである。
しかし、現在の彼にはそれは不可能であろう。
・・・・
”ハッピーなはずの時期”に、兄に対して行われていた、
10秒ルールの、カウントダウンと、
母親から繰り返されるビンタ。
この弟は、今後、「誰好みの答え」を出そうと、
誰の顔色をうかがって、その言動をしてゆくのだろうか???
母親ウケか?
世間ウケか?
マスコミウケか?
会社の人ウケか?
友人ウケか?
そして、この自らの学歴コンプレックスと、世間の目におびえる
『支配者の母親』は、
「誰好み」のウケ狙いの作文を提出するのだろうか?
おそらく、それは、
「自分自身の親にウケる作文」となるだろう。
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