▲
控えの間
-
全館目次
- 松の間
■
BBS
- 竹の間
■
BBS
- 梅の間
■
BBS
- 桜の間
■
BBS
■
松竹梅の間:ログ表示
松の間
竹の間
梅の間
桜の間
★ 番号指定:
1ページの表示件数:
件
☆ 検索語 :
検索表示 新着から
古い方から
タイトルだけ表示
タイトルと5行
全部
「性と死のホームページ」 http://www.mumyouan.com/
.
より詳しい使い方の説明(9月11日変更)
▲竹の間へようこそ▲
掲示板
Title
島流しリンク
自殺
宇宙・悟り・意識の変化の問題を中心とする「間」です。
性と死のホームページ
★
「竹の間自薦投稿集」
★
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[3979]
■
●クロップサークル・中間発表
by:
崩残
2008/08/01(Fri)06:33:52
【7月までの秀作、傑作】
●中間発表としたのは、毎年8月が最も見事な作品が作られる時期だからです。
まだ、序の口といったところです。
今年は前半に偽物が多く見られますが、7月にはさすがに、
本物がいくつも出ています。
以下のがそれです。
●詳細はこちら↓
http://www.cropcircleconnector.com/2008/westwoods/westwoods2008.html
http://www.cropcircleconnector.com/2008/westwoods2/westwoods2008.html
http://www.cropcircleconnector.com/2008/southfield/southfield2008.html
http://www.cropcircleconnector.com/2008/wayland/wayland2008a.html
*********
【メール】
新刊についての多くのメールの中から、ひとつ紹介します。
新刊のまえがきは、手塚治虫の未来編の漫画を思わせました。
本当にそうなるのか、私にはわからないところですが
第3次世界大戦が大変な痛手になるということは、わかりました。
現時点で、宗教が無くなるということはとても想像がつかないことなので、
それは相当な惨劇になるということだろうと思いました。
宗教がなくなるということに関しては、私も異論がないです。
全く個人的なことですが、
私は12月の少し遠のいた太陽の白い光がとても好きで、
特にこの時期、いつも静かに過ごしたいと思っています。
枯葉の落ちきったほんのわずかなこの季節。
私は勝手に自分で「季節の無い季節」と呼んでいるのですが、
ちょうどこの時期、クリスマス、年の瀬とぶつかって騒がしくなる。
(私が都市部に住んでいるということもあるのですが・・・)
もしこの時期、人が自分の営みのみに立ち返って静かに過ごしたならば、
どんな音が聴こえているだろうとちょっと思うのです。
宗教が無くなった世界は、少しこういった様相に近づくのかな・・・
とも思いましたが、
かなりの管理社会になる様子なので、だいぶ違うようでした。
そして、戦争のトラウマをかなり引きずった形の社会になるのだと理解しました。
2100年頃の人間の笑顔を想像してみました。
戦争とある思想を乗り切った後の、
何か穏やかさがあるようにも思いましたが、何か淋しさが残る。
そこには、岡本太郎が闊歩して歩く姿や、
外山恒一が「愚劣なみなさ〜ん!」と演説をしている姿は想像できない。
このまえがきを読み終わった後、私は少し悔しい気持ちが残りました。
戦争が起こるからとかではなく、この結末が悔しい。
自分は生きていないですが。
自分の中にある「未来」という言語のレールに、この事実を乗っけたくないと思いました。
確かに地球は人類のためにあるわけではないし、
この地球だっていずれ太陽に呑まれてしまうわけで、
ちいさな人類の結末に一体何が問題で?という考えもあるかもしれませんが。
私は岡本太郎の「明日の神話」の絵を思い浮かべてしまいます。
人間の尊厳は、どこにも届かないのだろうか・・・と思うのです。
悟りに関する文章は、私の解するところではまったくなく、
また解そうとしても誤解しか生まず結局は汚してしまうということが、
今回の文章で特によく伝わりました。
小悟・中悟の様相を書かれた文章などは、まったく記憶にも残せないようでした。
ただ、第4章の砂手さんの「他人のまま」の文章は気になりました。
ここに書かれていることの1行も、いま私は解することが出来ませんが、
「実感」と「果て」のような感覚が溢れていて、
わからないのに気になってしまう、という文章でした。
P.399の絵も同様です。
全体を読み終わっての感想は、
結局は「自分がやり遂げたいたった一つのことをやり遂げるしかない」
ということにつきました。
もう時間が無いということも含めて。
今年の初め、購読者であった時、崩残さん、砂手さんより痛いメールを
戴きました。
それから考え続けました。
その時、行法を行っていましたが、自分がまったくその段階に無いこと、
自分がやろうとしていることが確かにあることを確認し、
瞑想を行うことを止めました。
私は詩を書くのですが、深く検証していくと、私は宗教や信仰、
食物、生活必需品が無くなっても、
最後に「詩」だけは絶対に無くならないと信じているところがあって、
それは最後の人間の尊厳というか、
意思表明であるはずだと思っているのです。
食べ物に飢えながらも私は詩を書くのか。
だからこそ詩を書くのか。
今の私には詩を書くことのほうが、よっぽど行法になると判断しました。
もし行法をする時が来るならば、詩すらも届かなかったと
自ら心底敗北する時で、それはいつになるのか、見当もつかなくなりました。
お手製詩集を配ったり見せたりする中で、いろんな反応もあり、
人間関係も変わってきました。
この「たった一つのこと」とともに、
この地球での一生を終えるつもりです。
読み終わった後は、
このことをもう一度自分で「確信した」という感じになりました。
___________________________________________________
■あえてコメントする部分が、一箇所だけあります。
>私は12月の少し遠のいた太陽の白い光がとても好きで、
●数週間前、私は庭先に椅子を出して、
満月の夜空を、何時間も見ていました。
この同じ月を紀元前の時代の人々、あるいはその時にもいたであろう
自分が見ていたということを、久しぶりに実感として思い出しました。
●その時につくづく感じたことは、
もしもこのような、地球のような惑星の上で暮らしていたならば、
どうしたって、そこにいる人間のような生物は、
太陽、月、星、この三つを何よりも、集合的な共通意識の中で、
「自分よりも上位にある何か」あるいは、何かがそこにある、
または、一種の信仰のようなものが生まれるだろうということです。
●そうして、夜空の月を何時間も眺めていると、
つくづく、私達の原点が「太陽信仰」にあったということを思い出します。
むろん月もですが。
夜空の月を地球用の照明器具ぐらいにしか思わないという意識は、
少なくとも地球の古代の人々にはありえようはずもなく、
まぎれもなく、星、月、太陽、この三つは、
世界共通の「宗教」とは言いたくありませんが、
地球人にとって何らかの指針になっていたことは確かです。
●私がもしも紀元前の時代の、あの砂漠にいたら、
月や太陽に対する畏敬の念は確実に生まれたと思います。
太陽や月が定期的に天空を周回する、そのことが、
何かを自分たちに示している、あるいは、何かが見ている
そのように思い込むことは間違いありません。
日本では、「おてんとうさま」に顔向けが出来るとか出来ない
という言葉がありますが、
私個人的な感覚では、占星術といった知的に加工、解釈された体系を
通じてそれらに意識の通路を作る方法論もあるでしょうが、
それよりも、直接的に、太陽、月、星といったものを
もう一度、地球にいるときの基本的な3つの軸として眺めるのも良いと
思いました。
●そもそも、星、月、太陽、そして地球、
これらは意識の中継基地ですから、
地球や太陽や月や星、そのどの通路を使ったとしても、
その「中心」に結合すれば、それよりも大きな範囲の銀河系、
そして銀河系の中心に結合すれば、それよりも大きな銀河集団の中心、
といった、ターミナルの連鎖が起きます。
●私達が肉眼や望遠鏡で見ている星や天体が、
そのままそれらの星の性質ではありませんし、
そもそも、大気がこのような状態にあって、
星が観察できるというのも、地球に固有のことで、
場合によっては、星というものを、このような暗い空間の中に見る
ということのない、厚い大気で覆われた惑星もありますから、
その点では、あくまでも天空に見る天体は、
「地球でデザインされた表現に過ぎない」ことの限定は受けています。
●しかしそれでも、もう一度、
太古からあり、
今もあり、
未来にもある(太陽が二つになるかどうかは別として)
という点で、下手な思想や宗教よりも、
よっぽど確かな「普遍性」を持つ
太陽、月、星、
これらを心を空っぽにして、観察することは、
自我のある人にも、ない人にも、お奨めできる方法のひとつです。
●新刊の「宗教に汚染された地球」にも書いたように、
そもそも、宗教が発生してしまった原因は3つです。
1-古代の異星文明を神格化してしまったこと。
2-霊媒体質の人間のあれこれの有象無象の「あの世情報」が蔓延したこと。
3-たまに知的に優れた思想家、哲学者が論理的または詩的な言葉を残したこと。
これらを元にして、ものの見事に、無残で下品な
「世界の宗教や神話」
(ユダヤ、キリスト、イスラム、道教、仏教、ヒンドゥー教、ラマ教、
神道、ケルト、その他)が発生したわけですが、
どの宗教も辿った末路は、新刊に書いたとおりです。
●それに対して、太陽、月、星、
これらは、「あなた個人とそれらとの関係」であって、
特定の神話や導師に「依存」するものではない。
●宇宙望遠鏡の発達のおかげで、
我々がいる地球の位置がどれほどに、無価値なほどちっぽけであるかを
現代の人々は知ることが出来るようになったが、
そうなると、今度は、広い宇宙の中で、
より中心的な軸がどこにあるのかという、中心探しが始ることだろう。
●しかしそうした作業を、もしも個人であるあなたが開始しようとするならば、
新刊の中でも書いたように、
少なくとも、現存する体系や、スピラーが残した馬鹿げた体系、
ぺらぺらの無価値な宗教教義、そうしたものにしがみついて、
無駄なおしゃべりをしている暇があったらば、
根源的に自分が生存している理由、これから生存する理由、
自殺しないでいる理由は何かということを、
自問する方がいい。
その自問こそが、真の宗教性なのであって、
自分勝手な心地よい答え(に見えるもの)に群がることが精神性なのではない。
■そういう意味では、この竹の間に、常に私は、
「アンケート」のボタンを置いていますが、それをクリックし、
その中に書かれた基本的な質問項目を、常に定期的に自問することです。
_______余談_______
●私の視点から見れば、
地球は、悟りの生育などは論外で、
そればかりか、まともに自我が生育する場所ですらもありません。
では、一体、ここでは何が「名産物」として製造、生産されているのか
ということになると、
私の視点から見れば、一言に言えば
>「出来るだけ脱出が不可能な不幸」を「好き好んで自分たちで作る」
この業績においては、かなり他の星よりも進んでいます。
「地球に行ったら、そう簡単には脱出できないぞ」
といった、トラップ、ゲームソフト「より大きな不幸」を
皆さんは、自分でもそれと知らずに、作り出している素子だと言えます。
●どこまで複雑に堕落し、脱出が困難な罠を作るか
ということにおいては、確かに私はこの惑星には一目置いています。
なにしろ、偉そうなことをのたまっている、スピラーなど、
実際に、「お前、だったら、地球に行ってみろ」と言えば、
この私達よりももっと地球に対する免疫がなく、
永久に脱出不可能にすらなりますから。
●「不幸のバリエーションと、複雑な不幸と、より強固な不幸」を作ること、
すなわち、平たく言えば、「新しい苦痛の創作」
それがこの惑星が管理された当時の、目的のうち、
いくつかある目的の中の、ティピカルな目的のひとつだったのは、
私の観察では、明確な事実です。
というのも、
新しい苦痛なくしては、それ以上に発展ができなくなった、
馬鹿な「特定種族」が、その当時存在したからです。
ただし、実際には、「不幸を作るゲーム」といった
そんな気楽なものではなくて、
地球で作られた「苦痛・不幸」のパターンは、
原油のようなものですから、二次加工をされたうえで、
搾取する側の手で、他の天体にも売却されてゆくと思います。
●だからといって、これを読んだあなたが、
「では、私もどんどんと不幸を作り出そう」などと出来るわけもなく、
そもそも、この地球の産業である「不幸製造」のシステムとは、
「不幸や苦痛をなんとかしたい」という
家畜である私達の「幸福追求」の飢えによってのみ、成立しているのですから。
つまり不幸すらも、
それは意図的に作り出せるようなものではありません。
>■まず前提として、
>不足感や、原初意識や、全体意識との分離感が発生するように設計し、
>また飢えるという構造によって、
>必ず不幸と苦痛が発生する設計にしておき、
>そこから脱出しようと、地球の生物があがくことで、
>より効率よく、不幸が複雑化する、
>これが本当の意味での「あるがまま」の地球管理の目的です。
むろんそれで「利益」を得るのは、
労働に従事する当時者である地球人自身ではありません。
★★★★★★★★★
______________________________________________________________
★
.
<<-- これ以前の投稿 10件
(3979 番)
これ以後の投稿 10件 -->>
竹の間 の最新投稿
全館目次
C mumyouan 当サイトのコンテンツの無断転載は著作権法により禁じられております。
- BlackVoid BBS CGI 2006.08.30 -