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掲示板
Title
助っ人リンク
2007年3月までは
「虹のオーガズム」と「性のレシピ」
の
読者専用の質疑応答用の掲示板でしたが、
2009年7月より禅書道日記に変更。
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[1244]
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秋葉原通り魔の原因 その-6 「親たちが本当の原因を隠蔽しようと必死になる構図」
by:
砂手
2008/06/20(Fri)06:42:46
http://www.mumyouan.com/k/?T3954
の「竹の間の内容からの続き」です。
つまり、「あの弁護士」の言いたいことはこうです。
『社会的に【無害】な対象に依存するなら良いだろう。』
この考えを持つ日本人は、実は、とてもとても多いのです。
?@つまり、こういうことを言ってしまう、思ってしまう人は、
人間の善し悪しを、漠然とした、
【いわゆる社会】【なんとなく社会】という観点から見ています。
個人より前に、社会がはじめにあったのでは決して無いのですよ。
『人間の発生は、社会より前に、人間個人がはじめにありきです。』
そのようなことは、わかりきったこと、と言う人も多いですが、
この順番をほんのわずかでも、踏み外すと、
【社会の為の個人】【集団の為の個人】
ここまで言わずとも、
【和の為の個人】
【家族の為の個人】【親の為の個人、子供】
という観点に、またたく間に転落します。
そして、その転落に対して
「え?どこが悪いの?」とも、真顔で言います。
こうして、個人の根本の尊厳を、いとも簡単に忘却します。
【個人としての自分】と【個人としての他者】その両方において
その尊厳をいとも簡単に忘却する、ということです。
?Aつまりは、このように、【個人としての自分】を
社会という大義名分の中で、家庭という大義名分の中で、
いとも簡単にないがしろにできる人は(日本人に多い)
『人間の【自尊心】とは、
そもそも【依存する対象】を必要としてはいない。』
ということを知らない。
もしも、自分の中の【自尊心】と出会うことがあったら、
「まともな??依存対象なら許可できる」などという、
劣悪な処世術など、自分に対してのみならず、他者に対して
お勧めすることなど不可能です。
「本当はお勧めしたくないんだが、」などという枕言葉をつけても、
「まともな依存対象なら許可できる」とは、口が裂けても言えない。
なぜなら、依存する限り【自尊心】を取り逃がしてしまうということを知って
いるからです。
なぜなら、依存する限り【自尊心】が寄り付かないことを知っているからです。
だから、「その依存対象から、更にマシな依存対象へと移行すれば良いだろう。」
などとは、とても他者に対して、言えないのです。
例えば、
カルト依存から⇒伝統宗教依存へ、
あるいは、ボランティア依存へ。
つまりは、社会的善行依存へ
麻薬依存⇒酒依存
酒依存から⇒カウンセラー依存へ、など。
ゲーム依存から⇒スポーツ依存へ、など。
こういうことを平気でお勧めする。
カルト信者を伝統宗教に乗せかえるという、
お粗末な手法を使うカウンセラーは、ごろごろいるようですね。
伝統宗教の定義とは、社会的に無害に成長したということでしょうか。
つまりは、長い歴史の中で、社会と適当に折り合いをつけて???
安全になったから良しと、言いたいのでしょうが。
どこが安全なんだかです。
伝統宗教は無自覚ACの巣窟です。
?Bこれは、余談ですが、
生来、日本人は個人単位の存在が難しいのか、
自分の自尊心に出会う人が少ない。
つまり依存性民族と言いたい。
そして、その依存者の、依存対象が、社会的に善と認められている対象なら、
その依存者は=『真面目ないい人』と言われ、社会的には善良とされている。
依存者は必死だ。だから、とても真面目?に依存対象に尽くすだろう。
それもそのはず、自己存在価値を、依存対象を通して証明したい、確認したい
と必死だから。
依存対象が会社なら、『とても真面目に働く良い社員でした。』と言われ、
無害で良い社員として、社会的に認められる。
また、
そのように、会社に認められない限り、その依存者は、自分を責めるだろう。
(本当に、真摯な会社なら、依存社員はとても容認できないと思いますが。)
一方、今回のように、加藤容疑者の母親のように、
その依存対象が、子供ならば、
『とても真面目な、お母さんね』と世間から言われる。
かなり異常な、今回の加藤容疑者の母親のケースであっても、
いまだに、このような無責任な世間のコメントが多い。
『真面目なお母さん過ぎて、完璧主義で、自分を追い込んじゃったのね。
でもお母さんは、子供を愛しているから、ここまでやっただけよ。
お母さん、一生懸命すぎたのね。もう、肩の力抜きなさいよ。
お母さんは、悪くない、悪くない。
だって、そもそも、すべての親が、子供を愛さないわけないから。
すべての親が、子供を愛してるって、ホント、声を大にして言いたい、信じて。
子供だってみーんな、ママを愛してるのよ。
だから、こういうケースはちょっと愛の表現の仕方が、アレだっただけよねぇ。
お互いのボタンの掛け違え。
というか、その愛をわからなかった子供が・・・やっぱりおかしいのねぇ。
あ、派遣法が悪いっけ。世の中の空気も悪いって感じ?
もう、ワガママな子供が増えてるってことよね。これって社会のせいよ。
旦那も、妻へのサポートが無いとこうなるってこと!』
という論調の、
同じように、子供を依存対象にしている親から擁護されている。
このような擁護は、原因究明の障害以外の何ものでもない。
その親の数のあまりに多いこと。
おや?おかしくありませんか?
その場合、母親は、(依存対象の)子供に対して、
本当に真面目だったのなら、
本当に子供に対して完璧であろうとするなら、
子供の気持ちがわかるはずなのだが・・・・。
子供依存の母親の場合には、
子供の気持ちは永遠にわからないというのが、子供にとっての悲劇である。
心底真面目だったら、子供の気持ちをないがしろにはできないはずだ。
つまり、母親が真面目に?尽くしているはずの対象は、
そもそも、『子供』では無いということを母親本人が自覚した方がいい。
しかし、こういう母親は建前として
『子供にはこんなにしてあげているのに。自分を犠牲にしても!』
と言ってしまい、世間への最大の言い訳となっている。
そして、この言い訳が通用しないと、
『母である、私が悪いんです、私が悪いんです』とお題目を唱え、泣く。
この『私が悪いんです。』は『堪忍してください』ということで
何を堪忍して欲しいのかというと、
『もうそれ以上、原因究明するな!!』という拒否反応です。
原因究明すれば、自分の都合のいいように、子供すら依存対象として
搾取しているという構造があばかれてしまう。
そして、この母親の泣きで、たいていの日本人は、
『もう、このお母さん、謝ったんだし、泣いてるよ、これ以上追求すると、
はっきりいって、こっちが気まずい。母親泣かして、罪悪感抱くの嫌だから、
もう、いいでしょう。帰ろう』となる。
日本社会が、
このような母親の悲劇のヒロインの台詞に騙されなくなるのは、いつの日か。
遠い未来にあり得るのか。
このマザコン社会では、難しいだろう。
だから、
最低限、この『真面目』とか『完璧主義』の言葉の定義を、
個々人が、定義し直した方が良い。
あなたにとっての真面目って何ですか?
あなたにとっての、完璧主義って何ですか?
あなたにとっての一生懸命って、どういうことですか?
何か、事が起こってしまった後に、日本人が使う、
この『生真面目』や『完璧主義』という言葉が意味するところは、
集団心理を利用して『情状酌量を暗に強要する』非常に厄介な逃げ口上だ。
この逃げ口上で逃げおおせるのは、その親本人であり
加えて、それに同調してしまったり、自分も同じなので、
進んで同調したがっている世間一般の多くの親達である。
しかも、日本人の場合、「この母親は、生真面目だったからよ。」と、
本人Aではなく、
必ず、おせっかいな他者Bが間髪入れずに擁護するところが厄介である。
その無責任な他者Bは、
自己投影の末、その他者B自身が許されたいばっかりに、
その本人Aを擁護する。
こうしたケースは、どこにでもある井戸端会議や、
ワイドショーに出ているコメンテーターや、
そして、そこらじゅうの掲示板にあり、
むしろ、このパターンを見かけない方が珍しいくらいである。
するとそれは、本人Aが「私は生真面目です。」と申告するよりも、
他者B、という他人が発したその評価【生真面目】という噂に、
他者Bと同じ性質の精神状態の「集合体B」が、
待ってましたとばかりにそこに乗ってくる。
日和見的流行や、ご近所の馴れ合い、他人の顔色伺いなどなど、
同調圧力に極めて弱い日本人の性質をよく表している。
そもそも、自分の意見が無く、他人の意見に乗ってしまい、
その他人の意見を、「はじめから私はこう思っていたのよ」と、
さも自分の意見だと思い込んでしまう日本人の性質から、
この他者Bの影響力の方が社会的には巾をきかせてしまう。
(本人Aの自己申告よりも)
つまりここでは、具体的に、
『一生懸命な母親という勲章=建前に乗って、子供を搾取し続けたい』
という集合Bが
【自分達を擁護するキャッチフレーズ】に乗り込んで、自己正当化して、
この先もそのままの精神依存=子供搾取を続けていきたいというわけです。
その集合体Bは、自分達を擁護してくれるっぽい噂に瞬時に乗り込む。
擁護してくれるっぽければ何でもいい。
その為によく使われるのが、このスタンダードな
『真面目すぎて』とか『完璧主義』とか
日本人の大好きな『一生懸命だったから。』
『がんばり屋さん』
『自分を追い込んじゃったのね』という文言。
これらの文言は、
自己憐憫や、自己投影の末の他者憐憫に使う場合は、
すべて真相究明、原因究明を避けるための、
【お涙頂戴フレーズ】です。
これでは、本人Aも、子供も、集合Bも、
同じ事を繰り返し、救われません。
これで、いいんですか?
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