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2007年3月までは
「虹のオーガズム」と「性のレシピ」
の
読者専用の質疑応答用の掲示板でしたが、
2009年7月より禅書道日記に変更。
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[1245]
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秋葉原通り魔の原因 その-7 容疑者の母親の責任
by:
砂手
2008/06/21(Sat)13:20:02
「あなたの育て方を間違った。」
「私の育て方が悪かったのかもしれない。」
という言い訳を、加藤容疑者の母親本人は”反省の句”として周囲の知人に漏らしているらしい。
少しでも思慮のある読者なら、この言葉で母親が言いたいのは、
「私は、育て方、つまり、あくまでもノウハウを間違えただけで、自分は悪くない」
ということで、
>母親が責任を免れる為の必死の抵抗だとわかるでしょう。
つまりこれは、
母親が自分自身を責めている言葉ではなく、
実は、本心では自分のことなど棚上げにして、
『失敗作の子供』とレッテルを貼り、しかもその上、
その子をさげすんだ状態で見せしめとして放置する、身勝手な言葉。
「あなたの育て方を間違った。」
「私の育て方が悪かった。」
>これは、親の立場にある者が
>最も子供の自尊心を傷つける言葉の一つであると、覚えておくと良いです。
それは、この言葉を言う人も、この言葉を言われた人もです。
そして、
「あなたの育て方を間違った。」
「私の育て方が悪かった。」
これを言ってしまう親は、
これが子供の自尊心を致命的に傷つける言葉であることに、
確信犯的な心理状態にある。
実のところ「子供の自尊心を傷つける”つもり”はなかった。」などということは、無いのである。
つまり、子供を傷つけることをはじめから承知していて、
そのことを全くいとわない親であることを露呈している。
「あなたの育て方を間違った。」
「私の育て方が悪かった。」
と言う両親には、まずこう言えばよい。
「いえいえ、とても、あなたらしい育て方をしたまででしょう。
それ以外の育て方など、ありえないほどに、あなたらしい育て方ですよ。
>育て方とは、あなた自身そのものですから。」
しかし、この親は、この明白な事実に気付くことから逃げている。
育て方のノウハウばかりいじくりまわして、成功したとかしないとか、
親自身はちっとも、親自身そのものを見ようともしないで、逃げ続ける。
>【親が己自身から逃げるのに必死な場合、
>その親は、子供からも逃げ続ける以外できないわけです。】
そんな親の姿を見て、子供は育ち、加藤容疑者は育ったのです。
そんな親の姿を見て、加藤容疑者は育ったのです。
>結局子供は、親の欺瞞、親の逃げを、よーく見ている。
加藤容疑者は、逃げ続ける親をなんとしても、振り向かせたかったわけですが、
結局、その願いは叶わない。
そこに、加藤容疑者の絶望があった。
何も、社会、会社、友人、彼女などという周辺事項に
加藤容疑者は絶望していたわけではない。
>「絶望的な親の存在を透かして見た社会」が、
>どこを見渡しても絶望色、一色になっていただけである。
子供にとって親は社会の代表であり縮図であり、導入部であることは、間違い無い。
したがって、その親が絶望的だった場合に、子供はどうしたらよいのだろうか。
親があまりにも強圧的で逃げることもできない管理下にあった場合、
子供の自尊心はどこまでその状況に耐えうるのか?
その親の縛りが、早期の子供に多大な禍根を残した場合に、
青年期に、親元から逃げおおせた子供が、自尊心を取り戻すことは可能なのか。
そこで、重要になってくるのが、竹の間に話にあった、
?@自己と自己との関係の確立の度合いです。
その【主体の自己】と【客体の自己】との関係を直視することによってのみ、
正確な洞察というものが培われ、
親との関係性を、整理することが可能になるからです。
余談になりますが、
親が発言しがちな、反省を装った、ずるい言葉の見分け方。
「あなたの育て方を間違った。」
「私の育て方が悪かった。」
と、いう言葉を、怒号に乗せて、大きな声で言ってみましょう。
しおらしく言っていれば、反省の言葉として騙されるような言葉の中に、
攻撃性を含んでいる場合、その言葉を怒声に乗せて言った場合には、
その攻撃の側面が大きく見えてくるでしょう。
そこで見えてくる攻撃的本心は、次のようなものです。
>「どうせ私の育て方が悪かったんでしょーよ。
>そう言いたいんでしょ?
>私だって、もう、こうやって、反省してるじゃない。
>私は、本当は悪い人じゃないのよ。
>だから、一生懸命に、育てたんじゃないのさ。
>もう責めないでよ。
>いうなれば、私は、この子供の被害者よ。
>これ以上、この哀れな母親を責めたら、
>責める、あんたたち世間の方が、旗色が悪くなるわよ。」
これを読んで、笑っている読者もいるだろうが、
これと全く同じことを、大きな猫に向かって掲示板で言っていた人たちを見ましたので、
そういう人は、他人事じゃないですよ。
あなたは、すっかり、ダメ親、毒親の遺伝子を継いでいるのですから。
そういう時に、大きな猫がなぜ、周囲から批判されても、
ごまかしの謝罪を許さずに、論点の追求をやめなかったのか。
それは、大きな猫が人間の自尊心というものが何であるかを
熟知して、人間の中からそれが失われることを最も憂いたからであろう。
また、大きな猫に追求されている人間にとってではなく、
それを見ている人たちの中に、自尊心が何であるかを知っている人たちや、
親たちのずるい誤魔化しに、今まで怒りを覚えていた人たちがいることを
察していて、その人たちに、大きな猫は、語りかけていたのである。
そう私は思う。
このことを話すと、大きな猫が続けて言った。
「『私の育て方が悪かったのかもしれない。』という加藤容疑者の母親の言葉を聞くと、
育て方が悪いのではなく、
「母親自身の生き方そのものが悪かった」ということに
母親自身が全く無自覚であることがよくわかる。
よく、マスコミが『若者は現実感が無い』
『バーチャルの世界でしかコミュニケーションが取れない』
と、批判するが、
一番現実感を失っているのは、加藤容疑者の母親だ。
現実感を失っているからこそ
『育て方が悪かった』などという【現実逃避】をしているのだから。
そしてまた、「私の育て方が悪かった」、というこの言い分は、
>すべての主導権が、親である、自分にあるんだ、と言っている、
つまり、この一言をもってしても、
>加藤容疑者の自尊心など、全く見てもいないことがわかるだろう。
例えば、まともな親ならば、
『私達の関係が間違っていた』と言うのである。
しかし、この加藤容疑者の母親と来たら、
反省の言葉の中にさえも、徹底して、子供の人格を認めないという
歪んだ姿勢が明確に見て取れる。
『私の育て方が悪かった』という言葉が、
いかに、一方的で、醜くて、
>この言葉は、子供である、加藤容疑者自身の反省すらもさせない、
というそういう態度であることに気付いて欲しい。
【間違ったかもしれないのも自分!反省するのも自分!】
>『そうよ、反省するのは、私の役目で、アレ(加藤容疑者)には、
>そんなことも、できやしないわ。いえ、させてなるもんですか。』
とあの母親は言っているようなものだ。
しかし、物事には、時として、
>子供自身が、自分のしたことの責任を取りたいと思っていることも多くあるのである。
それにも関わらず、その子供の自主性すら奪い、子供の代わりに、
しゃしゃり出て、頭を下げる親が居る。
そういう親を子供が見ていたら、
「自分の自主性は、全く何も認められていないんだ」、と痛感するだろう。
このダメ母の実例を言うならば、
吉兆の母親。
麻薬常習犯の子供を持つ、大空まゆみ。などである。
今回の加藤容疑者の母親の反省、茶番劇とて、
完全に、この母親の「一人芝居」ではないか。
子供としての存在の加藤容疑者など、
この母親の中には、どこにも存在していない。
>子供の自主性を奪った親の末路がこれである。
加藤容疑者に、生まれつき自主性が無かったのでは無い。
あの母親が、「彼の自主性を剥ぎ取って、奪い取ったのだ」。
なぜ、あの母親が、そのようなことをしたのか、の理由は、
言うまでも無く、あの母親が自分の親から、自分の自主性を奪い取るような
扱いを受けていたためと「推測」される。
そのことに対する、つまり、あの母親自身が、
自分の親に対する憤りを、自分の子供の犯した今回の犯罪を利用して
成就させようとしている形跡すらも、私は感じる。
もしも自主性を発揮することの楽しさを知っている人間ならば、
『先生ウケする作文』など、絶対に子供に要求しはしない。
だから、あの母親は、自主性の無い振る舞いで、
生き延びることしか、今までもしてこなかったのである。
『先生ウケする作文』を書かせること、そんなことをしなければ
加藤容疑者も弟も、その自主性を失わずに済んだのである。
なぜ加藤容疑者が自殺という方法を取らなかったのかと言えば、
自殺をしてしまっては、
>自分で責任を取る自主性の主体そのものが死んでしまうからである。
>つまり彼の目的は、自分を殺すことではなくて、
>親が責任を取れないほどの大事件を起こすことで、
>ある意味では、自分を取り戻そうとしたのである。
もちろん、その為に殺害されてしまった人々には、何の罪も無い。
大きな原因の一端があるとしならば、
それは、彼を結果として殺人者にしてしまった原因である
母親、父親にこそある。
>だから、この加藤容疑者の引き起こした事件は、
>世の中に、次のことを周知させなければ、この事件は終わらない。
>【子供の自主性を剥ぎ取るような親は、
>子供を、無差別殺人の加害者にする危険性がある。】
なぜならば、
>目に見える形の、「鞭」による、子供への暴行や虐待であれ、
>目に見えない形での、「飴と鞭」による、子供の調教(洗脳)であれ、
>どちらも、その結果として奪うのは、
>子供の自尊心と自主性だからである。
今回の事件で、メディアを通じて政治家も、マスコミも
最も学ばなければならないのは、
この実に「単純な事実」なのである。
親であるあなたは、程度の差はあれ、
自分の子供の自主性を奪ったり、
子供の自主性を弱めるようなことをしていないか。
よくよく自己分析してほしい。」
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