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2007年3月までは
「虹のオーガズム」と「性のレシピ」
の
読者専用の質疑応答用の掲示板でしたが、
2009年7月より禅書道日記に変更。
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[1308]
■
■禅書道日記−その51
by:
鈴木崩残
2009/09/14(Mon)17:49:16
皆様からの感想と、私からのコメント
まず、少しだけですが最近の作品です。
真ん中の字は「道」という字なのですが、
「形」としては、最近の傑作のひとつで、
たぶん、第14巻のDVDのジャケットに使うと思います。
>■さて、これは注文メールですが、↓■
崩残さんが、思ったことをズバズバ言ってもらいたいです。
耳に心地よいことより、真実の事の方が、遥かに価値がありますので。
では、よろしくお願いします。
いつも言いますように、どうなるかは、「書」が書かれるまで、
全くわかりません。
実際、ご自分のDVDだけではなくて、
市販のDVDを何本かご覧になった方は、
名前と注文文字しか情報がなく、
私が全く何の面識もない人に対して、
私が、一部(あるいは終始)ボロカスに言っている場面があったり、
逆に、何の面識もない人を、何の根拠もなく、褒めちぎったり、
あるいは、しんみりとした、カウンセリングのようになったり、
あるいは、そうはならなかったりと、
全く私も予測が出来ません。
仮にご注文のときにも、相談事が書いてあったとしても、
書を書き始めたら、何も言わない場合もあります。
どういう経過をたどるにしても、
私からの「答え」は、同封された「書」だと思ってください。
頼まれてもいないのに、名前しか分からない人に対して、
何の躊躇もなく、私が、べらべらしゃべる事もありますし、
頼まれてもカウンセリング的なことを全く言わないこともあります。
結局、書が書かれ始めた瞬間から、そのプロセスは分かれます。
●また、以前に有料購読のときに、購読者であった人についても、
私はほとんど何も覚えていません。
よっぽど印象的な人の場合には、少し覚えていますが、
それらの記憶は、書を書くときには、むしろ邪魔になります。
ですから、書に向かったらその瞬間から、
過去にその人がどうであったかは私には関係ありませんし、
またその記憶を完全に排除しています。
そうでないと、その人に合う書を見つけることは出来ないからです。
ですから、以前の有料購読の時にメールを戴いたときには、印象の悪かった人のことも、
書を書くときには、それは私には全く関係ない事ですし、
結果として、とても良い書になる場合も多くあります。
逆に、有料購読のときのメールでは、良い状態に見えた人でも、
今回の企画で書を書くと、問題がいろいろと出た場合もあります。
ですから、何度も言いますように、
すべての「答え」はDVDの中で私が口で言っていることではなくて、
「書」そのものの中にあります。
■DDDさん より■
DVDは「書」が出来上がっていく過程がとても興味深いです。
その後あらためて「書」を見るとまるで生きているような、
生々しさを感じました。これは一生モノです。
あと枚数ですが、なんと22枚も入っていて嬉しかったです。
DVDを見るとその何倍もの書を書かれているので恐縮してしまいました。
金額の方ですが、7700円ではとても申し訳ない気持ちです。
そこで私の方で最低限これくらいは払う必要があるのではないか、
という金額を考えて、少しばかり加算させて戴きました。
いや、本当のところは、価格をつけるというのは恐れ多いのですが。
DVDの中での「語り」には、私のかなりの部分を見透かされてしまい、
もう、なんというか驚きあきれを通り越して、口あんぐりの絶句状態です。(滝汗)
間をおいてまた落ち着きましたら、感想などを書かせていただきたいと思っています。
実は、同封する枚数については、やや悩みながらやっています。
多く書を同封すると、逆にどれが主要なものか、受け取られる方が
迷うかもしれないと思うからです。
そのために、落款を使い分けていますが、それでも20枚を越えてしまう
場合がよくあります。
近所のおばさんとかも、「沢山入れると、ありがたみが、なくなるんじゃない」
とか言ってくれるのですが、そうかといって、私は、
書かれる工程で自然にノリで枚数が増えたものを、
自分の手元においておくことには、意味がないので、
最も良く出来たものは、すべて依頼者に渡します。
そのときに、どうしても増えてしまったものは、しかたないのです。
習作も含めて、これぞというものだけを残すのに、
相当数を振り落としているのですが、それでも枚数が増える場合があります。
●金額については、ご自由にお考えください。
私達日本人は、相手に対する礼儀とか、非常に敏感で繊細ですので、
私が決めた価格に上乗せをすることが、「逆に失礼になるかもしれない」と
危惧されることもあると思います。
これは、日本人に特有の、とても繊細な気遣いで、私にもよく分かります。
7700円という価格は、いかなるプロセスを経て書かれたとしても、
最も枚数が少なかったり、もっとも労力がかからなかったと仮定しても、
必要だと思ってつけた適正価格です。
実際、結果として、枚数が10枚以下になる方もいます。
これには二種類の原因があります。
ひとつは、その人に必要な書だけに極端に絞り込んだ結果として
枚数が減ったもの。
もうひとつは、注文された文字の中から、
書ける字が一個だけだったり、
書ける字が全くなくて、私が新しい文字を選択した場合です。
言うまでもなく、この「書ける文字、書けない文字」というのは、
私の側の技術的な都合によるものではなくて、
「注文者の精神状態」によって変わるものです。
私の側では複雑な文字でも書ける状態に常にあると思いますが、
ただ、依頼者の人にそれが必要か否か、
またはその人の今の精神状態を文字にすると
「書としての文字にならないケース」がかなりあるわけです。
「道」「意識」という字も、傑作のような作品になる人と、
全くその字すら書けない人とに、分かれることもよくあります。
●そして、最終的な書の枚数が少なくても、
それにいきつくまでに生ずる試行錯誤は、実際には、
スムーズに書けるときの倍もかかるのですが、
結果として、お届けできた枚数が少ない人もいます。
ですから、その下限のラインの枚数を同封した場合の価格が、
7700円と思ってください。
といいますのも、
人によって枚数や手間が大きく変わるからといって、
それによって「定価」というものを変えるわけにはいきませんので。
そして、結局は、注文された文字は一度全て書きますので、
書けるか書けないを割り出す為に必要な時間というのは、
あまり変わらないのです。
(これも結論が出るのが、とても早かったり、逆にとても遅くなったりします)
●現実問題としては、
これ以下では「もう無理!」というぎりぎの価格なのですが、
これ以上に価格を上げると、
今度は、皆さんが、せっかくのこの禅書の企画に気軽に出会う機会が、
減ってしまうという事から、この価格に今は固定しています。
あとは、プロの書道家の人たちには、絶対にこの低価格では無理であることと、
また、このように、依頼者の今の状態に応じて、
文字ごとに違う雰囲気の書を作ることは、書道家には絶対に不可能で、
しかもそれは、
たとえ完璧な助言や占いが出来ても、
個別の人に合う作品を作れない霊能者にも不可能で、
書道ゼロ級で、直観と無心だけを頼りにやっている
「このド素人の私」でなければこの書は絶対に無理、という、
「ある種の自負」のようなものも私の中にはあるのです。
「霊能者でも書道家でも、やれるというなら、この価格で、
これと同じ濃度の作業と、同じ量と質の作品とトークの提供を、
実際にやってみてください」といった、
誇りのようなものが私の中にも「少し」はあるのです。
●また、私が注文する立場だったとして、私の金銭感覚からしますと、
いかに内容が濃密であったとしても、
初回から、1万のラインに触れてしまうと、躊躇すると思います。
なにしろ、今は、本当に世の中が不景気ですから。
●しかし、皆さんのお気持ちは、ありがたく、
何の遠慮もなく、受け取らせて戴きます。
かといって、決して無理はされないでください。
それぞれの方の経済状況に負担にならない程度のお気持ちに留めてださい。
300円の加算でも、私はその皆さんの気持ちを、
本当に、ありがたく感謝して受け取らせて戴いております。
●しかし決して無理をしないでください。
そもそも、現金書留の手数料を皆さんに負担していただいて、
本当に申し訳ないと思っていますので。
初期のころに、あまりにも苦しすぎて、何度か価格を訂正しましたが、
今は、7700円(送料込み)で、私は納得していますので、ご安心ください。
●さて、書の話ですが、
ちなみに、たまに私のテンションが変に「軽く」といいますか、
テンションが高くなって、キャッキャッ言いながら書く結果になる人がおりますが、
そちらの書も、そうだったことを記憶しております。
そうですね、お名前しか分からないのに、
図星で口あんぐりの内容になることもあるでしょうし、
逆に、全く的外れで、そうならないこともあるので、いろいろです。
いずれにしても、答えは「書」なのです。
■EEEさん より■
崩残様
今回は、的を絞って依頼させていただきました。
その中で、必要な文字を多数認めていただき、
厳選した書だけを届けていただきまして、
本当にありがとうございました。
DVDの中では、多数の示唆をいただき、
ありがとうございました。
また、崩残さんから、
『・・・、満足のいく仕事ができて嬉しく思います。・・・』
という、こちらが恐縮することを仰っていただき、
本当に依頼して良かったと、思いました。
いただきました「書」とDVDのメッセージを活かして、
今回の難関は突破できると、感じました。
この方の場合は、依頼の経緯が原因で、
私も特別な緊張感を持った内容の仕事になりました。
文字の写真については、この方と私との間で分かればよい
プライベートな内容で、当事者間で理解していれば良いことなので、
詳細は、省略します。
まず、最初に、
今回、書を認(したた)めていらっしゃる、崩残さんの迫力が漲っていて、
最初にDVDを見た時、身体が覚醒(興奮)する感覚があり、
見終わった後、頭を動かすのに少しクールダウンする必要がありました。
普段は、割と淡々としており、このようなことは滅多にないことです。
「運」のところで、文字をサーチする過程を全てDVDに収録いただきました。
智慧とも重なりますが、‘無’から‘有’に仕立て上げる
正にその試行錯誤を見せていただき、大変参考になりました。
「智慧」の書を見たとき、なんて素晴らしい造形なんだろうと
感じ入りました。
そして、「慧」の「心」に、前に認めていただいた「心」と同じく
竜が躍動しており、活き活きとした感じがしました。
最終形に至るまで、本当に多数の文字を書いていただきました。
DVDの中で、試行錯誤して、これだ!と納得できるまで
念入りに繰り返されていました。
正に “上から降りてきたものを、受けて、形にする。”の
お手本を見せていただいたようです。
「愛猫」について、開封して最初に書を見た時、
血肉が湧き上がり、思わず涙が浮かびました。
“私と家内と●”の3人が、お互いに支え合う文字に
仕立て上げていただき、3人での生活が脳裏に蘇ってきます。
この「愛猫」は、家内に認めていただいた「美猫」と共々、
“●”の写真の横で、巧く溶け合っています。
家内は崩残さんの夢を見たそうです。(笑)
『崩残さんが夢に出てきたわ。
夢の中で、「意」の文字が映し出されていて、
崩残さんは私に、「意」はこのようにして調整していくと、
手順のようなものを、私に見せてくれたわ。
こんな風にして文字を調整してるんだ!!。』
と、夢の中でびっくりしたそうです。
で、この日は朝からしんどくて、寝込んでしまっていたそうです。(笑)
家内は、
『前の晩、たっぷりと睡眠取れたのに、
朝から直ぐに眠くなって、1,2時間眠っては起き、
起きてもまた1時間ほどするとまた眠くなって、
眠っては起きて、を繰り返して、気がつくと夕方だったわ。
この間、何回も変な夢を見たわ。
どうしても、起きていられなかった。』
と、驚いていました。(笑)
既に何度かご注文を戴いているので、
これは冗談ですが、私の書机のある場所と、そちらに見えない何かのラインでも
出来ているのかもしれませんね。
そうすると、そのうち、博士やブリジットも、奥様の夢に
登場するかもしれません。(ここは冗談です)
今回も、“力強い書“と“示唆に富むDVD”を届けていただき、
ありがとうございました。
また、新たな感想がでてきましたら送付させていただきます。
■FFFさん より■
今回は書の感想です。
梅の間を見ていると、ほかの方々は自分の書に関して、
いろいろ悩んでいるようですね。
当たり前ですよね、真剣に考えた文字ですからね。
私の場合は、虫付の書をどうしようかという事ですけど。
お返事で、破棄してもいいとおっしゃっていましたが、
そんな事は絶対に出来ません!
なのでファイルに入れて眺めようかと思っていましたが、
崩残さんが、虫が付いていてもわざわざ送って下さったものですから、
じっくり見てみようと思いました。
小さな虫ですが、私の住んでいるところでは見たことがない虫でした。
初めて見たとき蚊なのかな?と思いました。
確かDVDで蚊が居るとおっしゃっていたので、もしかして・・・と思ったのですが、
蚊よりは小さかったし、足も短かったです。
近くでじっくり見なければ分らない小さい虫なので違いますね。
墨にくっついてそのままの形で死んでいったようですが、
もがいている様子もありませんでした。
虫は人間より潔いのかもしれませんね。
DVDを見直したんですが、崩残さんが真剣に書いて下さったのに
書き終わった後に虫がつくんだよね〜とか思ったら複雑な気持ちなりました。
はい、何しろ、天気が良いと、
下記の写真のような環境で乾燥することもありますので。
むろん、ブリジットが寝転ぶのは書が乾いた後ですが。
通常の気温20度で、室内で乾燥させると、8時間かかってしまう
こともよくありますので、なるべく日の光と温度を利用しています。
ただし風がある日は、外での乾燥は出来ません。
●それと、気になったのは、どうも虫たちが、
広げられた書の白黒の色か「何か?」に、反応して集まるのです。
最初は、白い画用紙を広げたので、
いつもそこにいる虫や蟻たちが、「たまたま、多く目に見えるように
なっただけだろう」と思っていたのですが、
どうも違うのです。
写真に写っている綺麗な虫は、蛾らしいですが、
近くに林があるせいか、なんだか、いろんな虫がいます。
この付近は、蜘蛛が特に多いです。
それで、どうも白と黒の模様の書を広げると、
あきらかに、彼らの「複眼」には何かが奇妙に映るのか、
彼らの興味を引くのかわかりませんが、虫が来るのです。
「墨」には彼らの好奇心をそそるような「香り」はないはずなので、
集まってくる理由が、よくわかりません。
一度、スズメバチまで書の上を旋回していったのには、焦りました。
DVDは、一方的に崩残さんが話しているだけなのに、
まるで私と会話しているみたいで、
私も画面に向かって返事とかしちゃってましたね。何回見てもそうなります。
それに、「翔」を導き出した後の間がすごく怖かったです。
ああいうDVDで無言になると怖いですね。
次は何を言われるんだろう、私の病名って何?って感じで怖いです。
名前だけで症状を言い当てていっているのはやっぱりすごいです。
しかもその原因まで特定してしまうなんて。
文字が確定してからのアドバイス?は、
重度の生活習慣病の人に対しての注意事項を言っているようでした。
治らないわけじゃないけど、普段の生活から気をつけないと、
取り返しがつかなくなるよ・・・という感じです。
書は他にもありましたが、虫付君が一番かわいいですね。
他のものがダメというわけではありません。
この虫付君が一番親しみが涌くのです。
「翔」はなんか主張が強いように思います。
思わず正座したくなる感じです。
とにかく静かになります。頭の中の騒音も静かになります。
例えるなら水戸黄門で、印籠を見せ付けられた悪代官みたいな感じになります。
そこに「地」の字が付くと、雰囲気が変わって一気に和み系になります。
同じ文字なのに、こんなに変わるなんて不思議ですね。
それで今回、虫付君を額縁に入れて飾ってみました。
近くで見るのもいいのですが、やはり、飾るために書かれた書なので、
思い切って飾ってみました。
飾ってみたら、かわいさ倍増になりました。
虫くらいで文句を言うなんて、私は心が狭いなぁと思いましたよ。
それで、目が覚めてすぐ見えるところに飾りました。
私はなぜかこの虫付君のことを、「翔ちゃん」と呼んでいます。
寝るときも、翔ちゃんおやすみ、朝は、翔ちゃんおはようと声をかけています。
呼び方に特に意味はないのです。
とにかくかわいいんですよ。(*´Д`)
以前にも言いましたが、ちっちゃな虫がついたのはおそらくそちらが
初めてか、あってもあとは、蟻が墨を引きずった足跡があるものです。
普通は、めったにそういうことにならないものですし、
虫が墨に入ってしまったら、普通ならば、依頼者には送らないのですが、
なぜか、「これはこれでいい」と、あのときに思いました。
たぶん、書の出来栄えが、どうしてもボツには出来ないものだったので、
自分の中で、天秤にかけたら、
「ちっちゃな虫のおまけつきでも良い。あとは受け取った人が
嫌だと思うなら、捨てればいい」と思ったのだと記憶しています。
部屋の中で書が飾ってある場所だけ、空気が違うように感じます。
まるで清らかな湧き水のように澄んでいるように感じて、
世の中の汚いものと一線を画しているようで、とてもほっとします。
それにかわいいだけではなく、嘘や誤魔化しが一切通じなくなるというのは、
今の私にはありがたいものです。
強い味方と一緒に生活できるのは心強いですね。
相変わらず荒削りで意味不明なこともありますが、
自分の気持ちを吐き出せる機会に恵まれたのは幸運だと思います。
当たり前ですけど、みなさん精神世界の知識をしっかり持っているんですよね。
私は全くないので、場違いなのかなと思ってしまうことがあります。
他の方の感想を読んでいると、私は竹の間の話についていけないのに
よく何年も読んでいたなぁと思います。
あまりに知識がなさ過ぎると、誤解も混乱もしないのでしょうね。
ただ読んでいて面白いから読んでいただけなんですけどね。
■前から言おうと思っていたことがあります。
いろいろ過去の自分を思い出してみるとですね、
大学生のときに無明庵の本を見ました。大学の生協で売っていました。
初めて見たのは大学2年生のときですね。
新学期が始まって、授業の教材やテキストを買いに行った時、
表紙が強烈な本がありました。
その本は「小さなブッダの大きなお世話」でした。
すごく強烈な表紙で目を奪われましたね。
でもそのときはまだパソコンを持っていなく、インターネットなんて
一度もしたことがないし、パソコンの操作も全く出来ない時だったので、
無明庵の存在も、崩残さんのことも全く知らない時でした。
だから最初、この本が何の本だか全く分からなかったんです。
ジャンルが全く分かりませんでした。
ただ、絶対普通の書店にはない本だろうな、
大学だから置いてあるんだろうなと思いました。
ちょっと読んでみようかなと思ったのですが、
怖い本だったら嫌だったので、結局中身を見ていません。
なぜうちの大学にあったのでしょうか?
一体誰が読むのでしょう(ごめんなさい)。
授業で使ったのでしょうかね?
確か3年生の時も見ました。
相変わらず強烈な表紙でしたが、やっぱり読みませんでした。
それで3年生の夏休みに、ネットサーフィンで昔の「梅の間」に行き着きました。
それでいろいろ見ているうちに、大学で売ってた本があったので驚きましたよ。
私は本を通じて崩残さんを知ったのではないので、
他のみなさんとは入り方が違うのですが、
もしあの時本を読んでいたら、いろんな意味で汚染されていたのかもしれませんね。
それに今思えば、本に「無理して読まなくてもいいよ」と言われたように感じます。
話がずれてしまいましたが、書って良い事ばかりでもないんですよね。
何しろ、もう逃げられないようになったのですから、
自分が今まで目をそらしてきた事が全部やって来てしまいました。
毎日しんどいですが、かわいい翔ちゃんが来てくれたから、なんとかやっています。
早く心から笑える日が来るのを願っています。
そうなったら今度は、どんな書が私に必要になるのかと今から考えています。
もし決まったらお願いすると思います。
ちなみに今日は私の誕生日なので、自分へのプレゼントとして
6巻と10巻を注文しました。
見たらまた感想文を送らせていただきます。
来年の誕生日は楽しく過ごせられるようになりたいですね。
ありがとうございました。
***************************
■GGGさん より■
まずは食事を終えほっとしたところで、
妻と一緒に封筒を開けて鑑賞会を行いました。
DVDを見るのは大変楽しみですが、
見たあとで印象が変わってしまうかもしれませんので、
見ない今のうちに感想を書き留めておきます。
この三日月のようなすっとした「夢」に歓声が上がりました。
続けてさまざまな夢が出てきたのを見たときに、
そもそも同封された書の枚数がものすごく多いことに気づきました。
三日月型の「夢」について、
これは夢っぽくない夢だね。
ドリームでもファンタジーでもなくて、これは現実だね。
というのが妻の感想。
私は、この「夢」を見て妻の姿だと思い、
母性と女性性を感じました。
その他の「夢」はそれぞれ別の味わいがあって
さらに何かの別の謎を含んでいる気配がしましたが、
感想の形ではまとまりません。
またの機会にゆっくり味わってみます。
「猫」の字の形は、好きか嫌いかでいうとちょっと微妙。
嫌悪を催すわけでもないが、手放しで美しい感じはなく、
少々とっちらかっていて怠惰に足をとられながらも
一応頭を上げてしぶとく生きている。
理想化されていない現実の猫という感じ。
自分の現状が表されたものなのかな、と思いました。
これはこれで否定する気はありませんが、
客観的に見るとその不細工さに少し不満を感じます。
猫は、おっしゃるとおり、もしもそちらが猫になったら
ああいう猫になるという現状ですかね。
でも、私はあの書は、好きですよ。野性的で。
他の方に書いた猫は、「創作書の一形体」としてはいいのですが、
逆に、猫の「野生」の部分は書に出ていません。
三日ほど前にも、あのブリジットが、小さなネズミのプレゼントを
倉庫の前においてゆきました。
「気持ちだけでいいから、もう獲ってこなくても、いいからね」と砂手が
ブリジットに、ぼやきながら「穴掘って、埋葬」していました。
猫はスズメや鳩も襲って食いますし、
それが彼らの良い意味での野生なのです。
「図」は、びっくりしました。
たいへん面白い造形で、へぇーへぇーへぇーとうなりながら眺めました。
「意識」を注文して、それが外されて「図」になったということに
意味があるのでしょう。
言葉の意味ニュアンスからすると、
「意識というものを突き放して見てみたい」
という私の科学的興味に近い意図が外されて、
もっと自分の行動の意図を見たほうがいいよ、
ということなのかなと思いました。
ただ、この字形を見ているとそういう解釈とはまた別の
ぐるぐるしたおもしろさを感じます。ゆっくり味わってみます。
「崩」の落款つきの書には、またまた二人で歓声があがりました。
今は、これをお部屋に飾っています。
手放しでかっこよく、やさしく、かわいらしく、気持ちの良い書です。
落款が「無」でなかったのは何故だったんでしょうかね。
「図」を書いているときに、理由は不明なのですが、
私は、しきりに、焼き物の「壷の形」を感じていました。
だから、外側を陶芸の壷のようにしたかったのです。
さて、
「無」の落款を最終的に押すか、それとも押さないで「崩」の落款にするか、
あるいは、同封しないでボツにするか、
これらには、非常に複雑な要素があります。
書が完成か習作どまりになるかは、私の中では次の6つの要素が
全て書けたかどうかで決めています。
1=私の筆が、風に乗れたかどうか。その「風」を捉えたかどうか。
これは強いて表現すれば、帆船が帆に風を受けて、動き出すような
「ある瞬間」が、私の書を書く場面にあるのは、
書を注文されてDVDを見た皆さんは、御存知だと思います。
その「風」のようなものを捕らえて書いたかどうかで、
その書がボツになったり、合格になったりします。
別のたとえを使うと、「虹が見えたかどうか」と言うことも出来ます。
つまり虹を見るためには、太陽の位置、大気の状態、観察する人の位置、
この三つが条件が揃って虹は、虹であり得ます。
この三つのうち、どれか一つ欠けても「虹」は成立しません。
それと同じように、私の禅書には、
「それが書ける状態が揃う、わずかな瞬間」というものがあります。
もしも、そのチャンスを逃したら、数秒後には、
それまでなんなく書けていた文字が、それまでのようには書けなくなるのです。
2=無心の要素が混入したかどうか。
それがうまく反映されたものには「無」の落款を押しますが、
途中で無心が途切れたものには、押しません。
3=筆の強弱、力強さと柔らかさの両方のバランスの比率はどうか。
4=適切な大きさと適切な位置に書けたかどうか。
文字の大きさも、その文字や受け取る人によって微妙に違います。
大きければよいというものではないので、
画用紙の真ん中や、隅っこに、
比較的こじんまりと書かれることもよくあります。
次に、画用紙の中で書かれた「位置が適切だったかどうか」です。
(位置が適切でないと、後で紙の一部を切り取っていることも
あります。
その為に少し縦長だったり、真四角に近い紙の作品があります。)
5=注文者の人に必要な文字を把握し、
その変形が正しく出来ていたかどうか。
この部分は、主に、その注文者の人に特有の形を
きちんと表現できたか、あるいは私が新たに創作できたか、
という「文字の形」の部分の問題です。
6=技術的なミスはなかったかどうか。
これは以上の5つの要素がすべて完璧だったのに、技術的に
ミスをしてしまうという、もったいないケースです。
たとえば、部分的に太すぎた、細すぎた、かすれ過ぎた、かすれなさ過ぎた、
私の意に反して、墨が不必要な所に、はねたりしかなったかどうか。
■これらの6つの要素によって、最終的に満足がいかないものは、
どんどん振り落としますので、その結果、
「無」と「崩」の落款に分かれます。
単にアートとして見たい人にとっては、崩の落款の中にも
気にいるものがあると思いますよ。
それは単なる形の美しさですから。
しかし、影響力という次元や、私なりの基準での完成度では、
やはり、「無」の落款でない「崩」の作品は、
前述した6種類の要素の「何かが少しだけ劣る」のです。
しかしとてもボツにしたり、捨てる気にはなれないし、
その人に届けるべき何かの要素を持っている書、
それが「崩」の落款の書なのです。
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