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掲示板
Title
助っ人リンク
2007年3月までは
「虹のオーガズム」と「性のレシピ」
の
読者専用の質疑応答用の掲示板でしたが、
2009年7月より禅書道日記に変更。
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[1331]
■
●無明庵日記「猫の足跡=その72=」 「自殺の名所・散歩日記」
by:
鈴木崩残
2009/11/10(Tue)08:14:53
青木ヶ原樹海の散歩
●樹海を散歩してみました。
紅葉シーズンの樹海は散歩してみたいと、
毎年、ずっと思っていました。
うちからは車でないと行けない距離なので、おっくうで
今までチャンスが無かったのですが、今回は、ようやく散歩できました。
●以前に竹の間掲示板で、
「樹海は原生林のような雰囲気が穏やかなので、
自殺者も、死ぬのは楽ではなかろうか」と書いたのですが、
今回現地を見て、大幅に以前の意見は訂正することにしました。
写真を見ると分かるように、一見すると自然を楽しめそうに
見えますが、これが、とんでもない曲者の森なのです。
●結論から言いますと、
死ぬのに選ぶ場所としては、あまりお勧めできません。
その最大の理由は、死んだ場合に移転される場所がどうも
「正常な路線」ではなくなりそうだからです。
ただしそれは自殺した人だからではありません。
問題はこの「場所」です。
詳しいことはあと数回行かないと分かりませんが。
●樹海の森全体が意志または一環した「性質」のようなものを持っていて、
決して静かな場所ではないのです。
もしも「ここが瞑想するにはいいんだ」とか言っている人がいたら、
かなりの「阿呆」で、単なる「鈍感な奴」だと思っていいです。
むろん、自殺者の幽霊がそこらじゅうにいても、全く不思議ではありませんが、
ただし、よくありがちな、そういうものが溜まりやすい場所でもなく、
また、個々の自殺者はどうやら、別の自殺者のことは認識できていないようです。
つまり固まって一つの怨霊になる可能性もないです。
単に、全く孤独なままで、そこに放置されるか、または森の何かに
吸収されるといった感じです。
また、間違ってもここをパワースポットとは考えない方がいいです。
何かの意志を明確に感じることの出来る森、
というのが最も適切な表現で、
むろんその何かというのは人格的なものではないので、
よくありがちな、中心的な何かの存在や建造物が、
ここを仕切っているのではありません。
おそらくは地形や溶岩や、または地下にあると推測できる
多数の洞窟網なども、ここの独特の気配を作ったことに関係しているのでしょうが、
ここは出来てから1200年と、かなり若い森なので、原生林とは
言えないようです。
●やってみると、空に向かうラインと、真下の地面に向かうラインには
特に変な感じはないのですが、水平方向は明らかに何かが異常です。
知人と二人で撮影に行ったのですが、
別に自殺者の遺体を捜していたわけではなくて、
ビデオ作品の風景の素材としての撮影をしたかったのでした。
ただ、そのときに、二人とも、遊歩道の上で、しばらく離れた距離で
個別に撮影をしていたのですが、
とても奇妙なのは、相手の姿が見えなくなった瞬間に、
「人の気配までもが完全にシャットアウトされること」です。
普通の場所や森ならば、たとえ姿が見えなくても、数十メートル先に
誰かがいれば、音がしなくても気配はあるのですが、
それが完全に絶たれるというわけです。
●そのために、お互いの距離はそれほど離れていないはずなのに、
相手が視界から消えた瞬間に、
そこには「自分以外には誰も存在しない」といった感覚が非常にリアルに感じられました。
そこから考えると、樹海での自殺者の多くが、
遊歩道から、さほど離れていない場所で遺体になっているというのは
よく理解できました。
遊歩道から20メートルも離れたら、全く人の気配が消えてしまうのですから。
たとえ周囲に10人の人間がいたとしてもです。
だから、常識的に考えれば、樹海で自殺をしようと思っていたら、
遊歩道からは何十メートルも離れて、
人の気配の全くないところを選ばねば、
世間や人間の邪魔な気配から逃れられないと思うものなのですが、
樹海の場合には、その必要はありません。
そもそも、人の気配そのものを、この森が食ってしまうか、
何かが消去してしまう、あるいは人の気配よりも強いシールドが
存在しているようにも思えました。
この森に一番よく似ていたのは、フィクションですが、
映画の「死霊のはらわた−1」に
登場する「生きた森」ですね。
それ以外に似たものを私は見た記憶がありません。
●ちなみに、音をつけて動画にしてみました。
↓
●遊歩道は、かなり広い道もある一方では、
うっかりすると本道を見失って、全く関係のない獣道を
遊歩道と間違えて、迷うこともありそうな「細い道」もあります。
ですから、ただの散歩に来ただけで、トラブルで迷って死ぬことは
ここならば、充分にあり得ます。
遊歩道を歩く分には安全ですが、
そこからわずか10メートル以上入っていったら、
周囲がどれも「全部同じ風景」なので、
簡単なはずの「戻るべき方向」すらも分からなくなります。
すぐそこにある遊歩道が見つけられなくなっても不思議ではありません。
そうこうしているうちに、どんどん森の中に入っていってしまうでしょうね。
●ですから、発見される遺体のうち、
その全部が必ずしも自殺ではないという理由も十分にうなづけます。
結論から言いますと、
ここで自殺する人のタイプは二種類しかありません。
1−よっぽど、文字どおり「空気読めない奴」で、
鈍感すぎてこの森の持っている気配を感じられない。
故に、何も感じずに、入っていってしまう。
あるいは、睡眠薬かアルコールでも飲んでいなかったら、
まともな神経していたら、ここで死ぬ気になる人間はいませんよ。
2−もうひとつのタイプは、あまりにも頭の中にある苦悩の方が、
ボリュームが大きくて、状況認識ができていない人間。
これも基本的には1と同じですが、
ただし、中には、この森の尋常ではない気配を感じていながらも、
それでも、なおもそれを押して死のうとするぐらい、
どうしても死にたいという根性を持っているか、または「事情」を持っている人ですね。
この二つのタイプ以外の人間であれば、
安全な筈の遊歩道の上ですら「何かがおかしい」ことに気づくはずです。
まー、唯一のメリットは、自殺目的の人が、
携帯電話とか、身元が割れるようなものを身につけていなければ、
ここで死んだ場合には、確実に身元不明の遺体となるので、
(遺体の回収をする警察や地元の人以外には)
面識のある他人に、なるべく迷惑をかけないで死にたいのであれば、
そういう意味では、なるほど、重宝がられてしまい、
今でも、ベストワンの人気がある自殺スポットであるのは、理解できます。
●そうは言っても、自殺しようとして半数近い人間が、
ビビって救助を求めるという事実もあることは忘れないでください。
こうした気配に免疫のある私ですらも、
何日も野宿しようとは決して思わない場所です。
もしもあなたが、薬をつかわずに、
意識があるままで、覚悟して首を吊るならば、
到着してから「早め」がいいですよ。
時間が経つほどに、たぶん、それどころではなくなると思います。
一晩でも、ここの真っ暗闇で過ごしたら、気が変わって翌日には
森を出たくなると思いますが、そのときには、手遅れで
帰り道は分からなくなると思います。
遊歩道は、広範囲に細かい単位で縦横に張り巡らされている
「というわけでは決してない」ので、
仮に方位磁石を使って、真っ直ぐに歩いても、遊歩道に行き当たるとは
保障できません
(磁石は伝説的に言われているほどには狂いませんし、
自衛隊の演習でも、ごく普通に磁石を使っているようです)
●ただし、もし森林浴とか、自然を楽しむという目的の場合には、
「たった一人で」歩くことがあったら、
それがたとえ遊歩道の上であっても、10分以上は、同じところに
立ち止まらない事をお勧めします。
たぶん、うろついている霊が寄ってきますよ。
なにしろ、毎年発見される遺体だけで70人が当たり前ですから、
発見されない遺体を含めた総数は毎年100以上だと思います。
それが仮に、約15年続いたら、ざっと1500体以上ですから。
ただし、1500人もいるから、にぎやかや「自殺霊のパラダイス」かというと
そんなことは全くなくて、寄ってくるとしたら、集団の霊の塊ではなく「個別」です。
●それと「あと2時間ほどしたら暗くなる」というような時間帯には、
自殺志願者でない「普通の人」でも、ここには入らないほうがいいです。
繰り返し言いますが、樹海で最も問題なのは、死霊ではありません。
むろん彼らを無理に刺激すればそれなりに出てきますが、
基本的にはここは、人間の手にはちょっと負えない、
別の空間に通じているとでも思った方がいいです。
私も回数を重ねて何度か行って観察しないと
詳しいことは分かりませんので、現段階では何とも言えないのですが、
横にいたはずの人間が、一瞬で消え去っても「何も不思議ではない」と、
現実感を持って思わせるだけの「何か」があるのでした。
●たぶん、
多くの人にとっては、心地よい自然の森ではないでしょうね。
昆虫は、多少は、いるのかもしれませんが、
鳥の声をほとんど私は聞きませんでした。
美味い木の実がないのか、別の理由なのか分かりませんが。
そういう意味では、原生林のような森なのに、
普通は森にあるはずの「生命感」が著しく欠落しているのも特徴でした。
■たぶん、多くの人は、森に入ると「視線のようなもの」を感じるはずです。
それを浮遊霊などの視線と勘違いをする人も業界には多そうですが、
どこか特定の方向からの視線ではなく「森全体から」見られている
というのが正しいです。
ということは逆に言うと、見ているのは人ではないということ。
そもそも、見られているという感覚自体が人間的に歪曲されたもので、
実際には、あの一帯の何かのシールドが強くてそう感じるのだと思います。
■ところで私は自殺者をまったく不憫とも思いませんし、
哀れにも思いませんし、むしろ、無明庵という立場からすれば、
「死を自分で選択するのは非常に正しい」というスタンスです。
生まれるのも本人の意志ですから、死ぬときに意志を使うのは
全く責められる点はありません。
そもそも私の認識によれば、この三次元での命というものは、
親から与えられたものでもなく、神だの自然が与えたものでもなく、
つまるところは、本人が生前に選んで契約した環境ですから。
■極端に言うと、どこのどういう環境に生まれるかは、
「買い物」と全く同じだと思ってください。
買い物には、大失敗もあれば、予想以上のものもありますから。
失敗した場合には、それこそ肉体というのは「一生もの」の
買い物ですから、ずいぶんと長い歳月、後悔することになります。
もしも今回の肉体と育成環境や国に不満がある場合には、
ぜひ、次回は「肉体との賃貸契約」で十分に慎重になってください。
私が見たところ、ちゃんと意志を持たずに契約したり、
どこかで、うっかり妥協したり、
あるいは手に入りやすかったからとか、「安物買い」をしたり、
またはブランドとか高価そうに見えて買ってしまう「人生」で
失敗する人が無数にいますので。
●さて、今回は最後に「早朝の富士山」でも見てください。
↓
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■ちなみに、以下のは、とてもよくできた「樹海」レポートなので、
ぜひ、どうぞ。
『いざ樹海へ』
↓
http://miraikoro.3.pro.tok2.com/travels/Fuji_Aokigahara/Fuji_Aokigahara02.htm
http://miraikoro.3.pro.tok2.com/travels/Fuji_Aokigahara/Fuji_Aokigahara03.htm
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