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[1364]
■
■禅書道日記-103 ● 無無心の書 ●
by:
鈴木崩残
2010/03/13(Sat)17:32:11
自称「傑作」です
「店主の気まぐれメニュー」
のようなものです。
●店主の気まぐれメニュー、みたいなもので、
めったにないことですが、
突然に、本日、書きたくなりまして、
無無心の書と、無心の書が、自然に出来上がりました。
注文された依頼品で、キャンセルされたものというのではありません。
自主的に私が、自然に書きたくなったので書きました。
無無心の書も、普通は注文がないと、何も書けないのですが、
稀にですが、珍しく、こういうこともあるようです。
●勝手な判断ですが、「自信作」ですので、販売しましたが、
通常の「無心の書・無無心の書」の「半値以下」になっています。
半額以下にしました理由は2つあります。
1−
第一に、どなたかに依頼されて書いたものではなく、
私が勝手に書いたものであること。
2−
第二に、突然に書き始めたものですから、撮影しておらず、
製作場面を撮ったDVDが付きません。
通常はこのサイズの書は、一点で1万前後になることがほとんどです。
特に自信作の場合には、一万を切ることは通常絶対にありませんが、
今回は、半額以下です。
この写真ですと残念ながら、私が見せたい細部の面白さが
分からないと思いますが、現物は、かなり味があります。
●そういえば、これを見た砂手が面白い喩えを使っていました。
>いつもの禅書は「自然」という感じ。
>無無心の書になると「大自然」という感じ。
自分では意識していませんでしたが、
言われてみると、確かにそうかもしれません。
無心の書と無無心の書・5点
●同じ時間内に書けた連作なものですから、
今回はバラでは販売いたしませんでした。
以下の「5点セット」のみで販売しました。
「逆」(無無心の書) 「逆転」(無無心の書)
「意識」(無心の書) 「逆転」(無心の書)
「意識」(無無心の書)
●部分写真●
●サイズ●
縦540mm 横380mm 画用紙(額なし)
この写真は、光の加減で黄色く写っていますが、
実際の作品は白地に墨のモノトーンです。
実際に今までに「無無心の書」を注文された方は、おわかりと思いますが、
通常のいつものサイズの作品と比べますと、迫力が、まるで違います。
_______________________________
完成作と習作の違いについて
●通常の「禅書」をご注文された多くの方はご存知のように、
私が同封するときには、「崩」という字の落款の習作が含まれています。
どういう基準で完成品の「無」の落款を押したり、
習作になったりするかについて、前にもこの梅の間で、説明をいたしましたが、
実際の作品の写真で簡単にですが、解説してみました。
↓
以下、すべて、左が「完成品」で右が「習作」です。
違いがお分かりになるでしょうか?
「逆」
「逆転」
「逆風」
●「料理」に例えると、この違いが、伝えやすいと思います。
「習作」の場合には、
確かに部分的には突出して面白い線や墨の動きがあったりします。
しかし料理で言いますと、ちょっとだけ甘みが強かった、
酸味が強かった、辛味が強すぎた、といった個性的な味のようなものです。
決して悪くはないし、美味しいのですが、
完成品に比べると「五味のバランス」が少しだけ偏っています。
その偏りが、逆に面白いので、習作の中にも傑作が混じっていることも
よくあります。
ただ、私が最終的に判断するときには、
注文された方との調和率、全体のまとまり、
そして、大切なのは、「ほんのわずかに足りない」ぐらいの味付けが
最も「飽きがこない」ということです。
私の「習作」の書は、この「味の濃さ」のさじ加減が
少し強かったものがよくあります。
また逆に、全体に味が弱かったりと。
線の動きとか大変に面白いものがあったのにも関わらず、
押しが強すぎたりしまして、味でいうと、
特定の風味が、でしゃばりすぎているのです。
全体として、少し薄味と感じるぐらいに、味がわざと抑えられている
といった、加減が、ちょうどいいワビ・サビになります。
そこに、渋い「ひねり」があるわけです。
それが完成品として「無」の落款を押されるものになります。
一方で、「習作」はストレートすぎる場合が多くあります。
しかし、とてもではないですがボツにして捨てることの出来ないもの
それが習作として入っていることがほとんどです。
●それにしても、こういう話って、ほんとに、
私たち日本人同士でしか、絶対に分からないし通じないと思います。
私の意見では、
「書」って、難しく考えるものでもなく、解釈するものでもなくて、
料理のように、食べて、味わうものだと思っています。
ですからその人の口に入って、咀嚼して、飲み込むまでの間に、
日本人にしか分からない、味の面白さがあると思います。
この線の「この墨の跳ねがたまらん、かすれがたまらん」、とかって、
むろん中国の書法にもあるのかもしれませんが、
どうにも、私には、それを言葉に出来ません。
一瞬で、見る人にとって、おいしいか、まずいか、
ただ単純に、それだけでいいと、私は思っています。
●ちなみに、無無心の書や無心の書が価格が高くなるのは、
「二度と書けない度」が、桁違いだからです。
普通の皆さんから受けている禅書ですと、
ある程度のデザインが固まると、何枚か同じようなものが書けるのですが、
「無心の書」の場合には、私ですら、二度とかけません。
またもしも無理をして、それを書こうとしたら、何百枚書いても
書けないと思います。
どこに墨が、ぼたりと落ちるか、最初にどこに筆が落ちるか、
その後、線がどう動くか、
全く計算外のことばかりが起きますので、二度と書けないのです。
というより、計算外のことだけで描くのが私のやり方ですから。
確かに、私の筆の「癖」というのは似ていますから、
「いかにも私らしい線の作風」にはなっていますが、
お習字ではないので、「似た形」にすらも、再現は出来ないのです。
●
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