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●梅の間へようこそ●
掲示板
Title
助っ人リンク
2007年3月までは
「虹のオーガズム」と「性のレシピ」
の
読者専用の質疑応答用の掲示板でしたが、
2009年7月より禅書道日記に変更。
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●無明庵日記「猫の足跡=その128=」●自我復元は、当然の権利
by:
鈴木崩残
2010/05/18(Tue)05:06:46
外部から見た地球
●この世界(地球)には叶う望みと叶わない望みがあります。
ただし、望みが叶わないと嘆く人たちのほとんどは、
そもそも自分がそんなことを望んでいない、ということに
ほとんど気づいていません。
●たとえば、この世界で、極限まで努力しているのに悟れないと
嘆く人がいたとしたら、そもそもそういう人たちは、
自分がそれを望んでいない(望んでいなかった)ということに
全く気づいていません。
その他の日常的な望みについても言えるのですが、
望みというのは、どの望み一つとっても、
決して純粋に高尚なものなどではあり得ず、
「何かの反動」である以上は、
それは常に不満と嫌悪感を原点としている
といっても過言ではありません。
●たとえば、我々人間をはじめとして、すべての生物に、
それぞれに個性的な「捕食能力」が備わっているのは、
それ以前にまず、飢えるという苦痛と飢えに対する、
憎悪または嫌悪のようなものがそこに「前提」としてあります。
これが宇宙においては、
「幸福は、不幸なしには成立し得ない」という現実の本質です。
●ただし、その捕食能力を伸ばすということは可能です。
それはもともと自分が、許諾した苦痛(飢えの苦や神経的な痛み)と
対をなすものとして、最初から組み込まれているからです。
●一方で、悟り、そんなものは、そもそも
地球の人間経験の中には、課題として全く組み込まれていません。
数はかなり少ないのですが、それでも悟り人となった人たちというのは、
主に二種類あります。
ひとつは単なる事故としての自我喪失。
これは、自我を放棄しようとした人たちにおいてではなく、
むしろ逆に自我による探求(特に知的探求に多い)を極限まで
拡大した結果、本人の予測外の事として起きたケースが圧倒的に
地球では多いと見ていいです。
簡単に言ってしまえば、彼らは、「全く望まなかったものを得た」
ということになります。
ふたつめは計画的にそれを実行した人たちですが、
近代では、ほとんどいないと見ていいです。
●悟り人というのは、そもそも何かを望む、
その主体が死ぬということですから、
よって当然の結果として、心理苦というものは消滅します。
その変化の直前までは、知的な探求であったにしても、
あるいは、釈迦のように心理苦から逃げたかったにしても、
彼らがやっていたことといえば、
間違いなく、まぎれもなくそれは、自我による探求であり、
自我がなんらかの結果や成果を自分に見たかったということにすぎません。
この現代でも座禅ごっこをしたり、瞑想ごっこをして、
気を紛らわせているだけの者たちは沢山いますが、
それはまぎれもなく、自我に餌と言い訳を与えているものに過ぎませんので、
どれを見ても、実に醜いものです。
しかし、そもそも、その行為と動機それ自体が、
それは、醜いものでしかありえようがないのです。
●ところが、悟り人の場合には、最終的には、
楽になりたいとか、苦痛から自由になりたいとか、
宇宙の本質を知りたいとか、そうした一切の望みをもっていた主体自体が、
探求のその極限において、それ以上生きることが不可能となり、
探求を作り出していた核そのものが「自殺した」ということです。
私は実は「宗教に汚染された地球人」という本を書き始めたとき、
その最初の表題は「魂の自殺」でした。
書き上げたときに、内容と題名が乖離していたので、今の表題になりました。
●彼らは望みが叶ったのではなくて、望みを作り出していた核が
なくなったということに過ぎません。
ただ、彼らが最後に成し遂げた唯一の彼らの本心からの願望といえば、
「彼らは心底、次の転生すらも拒否した、
本当の死の中に死にたかった」という点だけです。
それだけは、本当に望んだことですから、叶ったわけです。
たまたま肉体が死ななかっただけで、
事実上「それまで存在していた彼ら」は死んだと言えます。
当然の権利
●さて、たとえば、悟りたいとか、今に及んでまで考えているような
梅の間の読者の人は、いないと思っていますし、
いたとしたら、無明庵読者など、早くやめていいです。
というよりも、ぜひ、読者であることをやめて下さい。
チープで効果のない瞑想や座禅ごっこを教えてくれるところは
いくらでもあるでしょうし、そういう人たちは、
インチキの癒しや神秘体験で、それで満足できる程度の人たちでしょうから、
とにかく、悟りたいなどと、そもそも望んでもいなかったことを
自分の望みだと勘違いするような無自覚な人は、
無明庵には存在しないで欲しいです。
●ついでにいいますと、地球以外となると話は別です。
私個人が知る限りでは、
地球以外という話になれば、最初から悟り人になることを目的とした
人たちが集まった組織的な天体や、哲学者が毎日のように
宇宙について論議しているところがありますので、
そうした天体に移転した方が、よっぽど間違いなく悟れます。
●一方で、この地球。そもそも、ここは、
哲学をする為の惑星でもなければ、瞑想や座禅をする為に
作られた惑星でもなく、
また初期にまだ全自我だったころに、
その当時、契約して生まれた人たちは、そのことを充分に自覚していました。
人間という形態ではない生命経験をしていたわけですから
皆さんも遠い過去には、それまで経験もしなかった経験に対する
「好奇心」というものが、この惑星と契約した動機の本質です。
ただしそれは純粋な好奇心というものではなく、
単純に言ってしまえば「退屈が苦痛だった」ということです。
そういう点では、現在の地球のオーナーが、
人間から搾取した感情作物を麻薬原料として売り飛ばしている
その「相手(買い手)」と、たいして動機は変りありません。
●ただし、当初は、それを生産する家畜として生まれることを
許諾したわけではなく、それを「経験する主体」としてここに
生まれるはずだったというのが事実です。
主体を維持したままで、自我を持つ人間の経験をして、
その中で苦痛と快楽の両方をバランスよく経験し、
それを持って帰還するというのが当初の予定でした。
ところが、まるで麻薬中毒よろしく、気づいたら、人間は、
一時的に主体的に経験するのではなく、
その経験そのものを「唯一の現実」と取り違えてしまい、最悪なことに、
経験を「食う側」ではなくて、経験を「生産する作物」の側になっていたわけです。
******************
●さて、ここからが、重要なことなのですが、
悟ることなど計画にもなく、環境整備もされていない惑星であるから
そんなことしたいなら、早く死んで、他の天体に行きなさい、
というところまで皆さんがしっかりと納得できたら、次の話です。
●さて逆に、
ここで最初の目的であった自我経験となると、
これは経験する当然の権利が皆さんにはありますし、
それは紛れもなく皆さんが「望んだ」ことなのですから叶うのが
当然のことです。
つまり年中、苦痛を感じ、年中何かを望み、その一部は叶い、
快楽を手にする、ということの繰り返しです。
それ自体は全く悪いことではありません。
むしろ、地球の人類の初期の時代には推奨されていた経験内容です。
●しかし、その経験主体となる自我を
誰も「分割」したり「希釈」してくれなどと頼んでいません。
これを読んでいる人の誰一人として、
そのようなことを最初から望んだ者はいません。
自分が背負う苦痛がつらかったので、
他人に頼りたかったという動機によって、
自分から進んで希釈自我を選んだ人たちは大勢いますが、
さりとて、そもそもそのような希釈自我は、当初の地球には
存在しませんでした。
生産もされていないのですから、買うことも不可能で、
当初は、どのような文句や不平を言ったところで、
自分が経験していることの全ての代償を自分で背負うというのが
当たり前のことでした。
●そういう点から、不良品の自我製品を選んだ側には
明確に落ち度はありますが、
ただし、何度も言うように、
そんな不良品人間の「器」を用意した側に大きな責任があります。
そこで、希釈自我が全自我を取り戻すというのは、
それは当然の権利であって、
この望みをもしも皆さんが本気でするならば、それは叶うと私は見ています。
●理由は簡単です。
そもそも、それを皆さんが望んで地球に接触したのが、
皆さんの自我の元を、時間的に遡った場合の事実だからです。
最初に存在した望みならば、それは叶います。
悟りは、そもそも最初に設定されていなかった望みだから叶わないだけの話です。
●そして、自我を経験したいというのは、皆さんの望みだったのですが、
ただし、自我を希釈して欲しいなどと頼んだことは決してありませんので、
それは人間の側の望みではありません。
よって、
皆さんには、分割された自我を、自分の手で、取り戻す権利がある
ということです。
望まなかったことであれば、得る権利はありませんが、
望んだことに対しては得る権利があります。
*********
希釈自我という乗り物を選んだ側には確かに自業自得という面はありますが、
私は、そこを極端に責める気にはなれません。
たとえばの話ですが、
「この家電製品は、機能は半分以下で、長持ちはしませんが、
今なら、安くしておきますよ。」
「予算がなくて、今すぐに必要なのでしたら、これがお勧めですよ」
といって、劣悪な製品をあなたに買わせた犯人は、
あなたよりも、もっと悪いからです。
消費者は、そもそもそんなものを作ってくれなどと言っていません。
それに支払うべき金など、向こうの世界には存在しませんから。
●もしも落ち度があったとしたら、
一時、あくまでも昔の話ですが、
まだ地球が今のような「廃墟」になる前の、
まだ人気があった惑星であったころに、「順番待ち」が出たケースです。
この場合に、「待ち時間を待てないから、早く人間に生まれたい」
と望んでしまった場合、この場合には、
あわてて人間に生まれようとした側に落ち度があります。
ただし、本来は、「美味いラーメン屋」は二時間でも待ってそこの
ラーメンを食うのが筋であって、
その近所にある「味が劣る店のほうが、早く食えるから」といって
別の店を選んだら、まずいラーメンを食ってしまった責任はあなたにあります。
●ただし、私がここで言っているのは、
「こっちならば早く人間経験を出来るから、
半分以下の自我でもいいかい?」などという悪徳商売は、
私が知る時代の地球には存在しなかったということです。
しかしそれでも、その悪徳商売が現れた遠い昔の時代でさえも、
人々は、「希釈自我」を自分が自己責任で「選んだ」、
だから、ある程度のまずさはあきらめる、という自覚ぐらいはありました。
●ところが、この惑星の時間でいう西暦の1500年以後は、
ひどいものです。
二分の一以下、または四分の一以下の自我が、
まるで「普通の標準的な製品」であるかのように扱われ、売られ、
買い手もそれを普通の自我だと思い込んでいます。
劣化していない「全自我」というものが、
本来のこの惑星の「名産品」であったことすらも隠蔽してしまいました。
こうした現象は、人間の社会やビジネスの中にも
頻繁に見出すことが出来ます。
オリジナルからは、比べようもなく、劣化した味の食材や料理が、
いつの間にか、それが標準であるような顔をして売られるという
現象です。
●ということで、買った側よりも売った側の責任を私は責める
というスタンスにいますので、
皆さんが自我を原型になるまで、復元し、
その為に、他者から自我を譲ってもらうという行為を、
消費者としての「正当な権利」として認識しています。
よって、この望みは、叶うべきものとなります。
また、それはその「ヤクザな悪徳業者」から見れば、
彼らには都合の悪い「行為」でしょうが、
太陽系や銀河法に照らし合わせれば、違法なのは明らかに
そのヤクザな悪徳オーナーの方であって、
自我復元に対してそれを処罰するような宇宙法は
地球にはあり得ないと私は見ています。
「まずいが、待たずに、早く食えるラーメン屋」
そんなものは、そもそも地球には、存在してはならなかったのです。
______________________________
現時点の問題点
●この日本のどこか、私すら知らぬ土地で、
今まさに、死ぬ直前にいる人たちから自我を提供してもらう、
ということをやってゆくうちに、
ひとつの問題点にぶちあたりました。
それは、こちらに譲渡されている自我が、本人が保有する
全量ではないようだということです。
●単純計算で言えば、
たとえば、あなたが1/8のゾンビ人間だったとします。
そんなゾンビであっても、本気で、どのような苦が増加しても、
自分が全自我に戻りたいと望めば、それは得た分の自我を復元してゆき、
やがて1/4となり、1/2となるベクトルに持ってゆくことは可能と見ていいです
●その場合、計算上は、
たとえば、あなたの現在の「起点」が1/8自我であった場合、
自分よりも上位の自我を集めることは出来ません。
自分と同じ希釈率の自我としか話が出来ない(接触できない)からです。
そうなると、1/8のゾンビ状態の人ですらも、
第一段階・・・1/8を得て、1/4に復元
第二段階・・・1/4を得て、1/2に復元
第三段階・・・1/2を得て、全自我に復元、
というたったの三回の自我の譲渡によって、復元が完了するはず
なのですが、そうはならないという現象に現在、直面しています。
私自体には自我の復元は必要ありませんので、
私の体外、外側で「合成」して、それからそれを、
私が目をつけた「他者の中に」移転させて実験をしているのですが、
1−集められるときに、取りこぼしがあるのか、
2−吸収する側の人の能力に問題があるのか、
3−あるいは全部は譲渡が不可能なのか、
という点が考えられます。
たとえば、1/2自我や、1/4自我らしき人から提供された
その自我の重さを意識で計ってみて、
他者の中に、投入しても、
結果として1/8自我にも満たなかったりしています。
●どこで、損失(ロス)が起きているのか分かりませんが、
もしも、自我の大半が、やはり、地球という農園と工場の「管理側」に
持ってゆかれていて、その中から、
「一部だけを横取り出来ている」とみなした場合、
こちらの方が、
見つかる可能性は低くて、かえって良いということになります。
自我が運ばれてくるときに、途中でどこかで落ちてしまった、
というなら話は、さらに困った問題になりますが、
そもそも、悪徳業者の手から、
ちょろまかして、持ってくることの出来る自我が少ないなら少ないで、
それはしかたありません。
管理側も、種の自我が全くない製品を回収したら、不審に思うかもしれませんが、
回収した人間の自我の種が軽いという程度でしたら、
気づかないと思います。
●この原因の正確なところはわかりませんが、
とにかく、計算上のような「単純な回数」では、
死者たちから自我を集めてくることが出来ないという問題に
現在は、直面しています。
既に5体の自我は回収できたはずなのに、その総重量は、
全自我どころか、また半自我にすら、復元していないのです。
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