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●梅の間へようこそ●
掲示板
Title
助っ人リンク
2007年3月までは
「虹のオーガズム」と「性のレシピ」
の
読者専用の質疑応答用の掲示板でしたが、
2009年7月より禅書道日記に変更。
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[1399]
■
●無明庵日記「猫の足跡=その133=」●自我とは何か?
by:
鈴木崩残
2010/06/10(Thu)01:04:15
「自我とは何か」という定義
●「分割自我復元」のDVDの中で、最初に定義しているのが、
この自我とは何かという定義からです。
そもそも、「自我」をどう定義したり、または言葉のイメージを
どう持つかということは、個人や領域によってかなり違います。
皆さんが検索で「自我」と入力すれば、主に出てくるのは、
形而上学に類するもの、心理学に類するもの、
そして精神世界に類するものとしての「自我」または、
その自我を使った「造語」です。
●たとえば問題のある人の「自我の発達」が、
正常か否かを論じるのが心理学です。
●自我とは何であるのかを論じるのが、哲学です。
●一方で、自我に対して、
大我というものを想定したり、真我という言い方をしたり
●またはあげくには、超自我と定義の曖昧なこと言い出したり、
●さらには、自我は悪いと言い出したり、自我とエゴを同一視してしまったり、
●無我ということを言い出したりと、
そのように、
自我をどう扱ったり、見るかは必ずしも同一ではありません。
一般的な意味で、自我を言葉の意味として理解しようとする場合には、
その「反対語」を探す必要があります。
自我の反対語は、無我ではなく「非我」と言うようです。
私はこの人生の中で一度も使ったことがない言葉かもしれません。
辞典によれば、【非我】とは、
認識や行為の主体たる自我に属さず、その外にあるもの。
自然・世界など。
自我の働きに抵抗し、自我の自己実現の手段となる。
●説明しているようでいて、実は、何も説明しておらず、
なんだか意味不明だと思う人がほとんどでしょうね。私もそう思います。
ただ、この辞書の定義の場合は最後に(人間の)自我の実現の手段となる、
というくくり方をしているので、ある程度、
私が今回のDVDで言った自我の重要性との共通項はあります。
自我と非我は、そもそもが、相対的なものですが、
自我の反対語が「他我」となっていない点は面白いです。
「自己」の反対語でしたら、「他者」になるはずですから。
●自我を私がどう定義しているかということについては、
今回のDVDの中では、人間という生命に固有の「個我」という定義と、
「それ以外の意味で自我」といっている箇所があり、
DVDをお聞きになった人は、その二つの違いはすぐに理解できたと思います。
●自我とは少し別の意味で「一般的な意味での自己意識」
というものがありますが、
それが、「記憶に依存しない」と主張する人もいるようですが、
それは間違いです。
記憶喪失の人たちが、記憶を喪失しているのは、「一部」の記憶であって
たとえば、その人たちは、トイレでの排便の仕方や言葉まで
忘れるわけではありません。
しかしすべての記憶を失ったとなったら、話は別です。
自分が人間であることの領域の記憶も失ったら、
そこにあるのは、なじみのある肉体感覚ですが、
それだけが残った場合、人がどうなるのかは誰も見たことがありません。
(事故などによる、重度の脳破損の場合には、
それに類するものはありそうですが)
●さて、そもそも、私たち自身が、現在ここにいて、
連続した自己感覚を持つのには、どれぐらいの記憶が必要でしょうか?
たとえば、私個人は、表面的な「具体的な思い出せる」記憶だけに
ついて言えば、過去20年よりも前の記憶がなかったとしても、
別に支障はないと思うこともあります。
実際、20代、30代のころの知人の顔や名前など忘れてしまった人も
沢山いますし、
一度しか行かなかった土地やお店などでしたら、
過去に行った場所の記憶も、ほとんど忘れていると思います。
●ただ、問題なのは、記憶というのは、単一の素子なのではなくて、
「連想ゲーム」のように連なっていることです。
たとえば、私が家族の一人である猫の博士を見たとします。
彼が私と出合った数年前のちょっと前からの記憶さえあれば、
それ以前の記憶がなくても良いかとなると、そうではなく、
博士と暮らしたり遊ぶには、それよりずっと以前の、
今まで私が、それまで猫たちと、どう付き合ったかという記憶が必要になります。
具体的な記憶においては私たちは、5日前に何を食べたかを
覚えている必要はありませんが、
もしもどこかで、とてつもなく美味いものを食べたらば、
「こんな美味しいものは今までに食べたことがない」というふうに、
今までの食の全記憶を総動員するわけです。
●あまりにも、習慣化しすぎているために、
わざわざ、いちいち意識化はしないが、常に機能しているという記憶が無数にありますから、
そもそも記憶とは何かという問題自体が、非常に「複雑」です。
ある意味では、記憶とは、現在私たちが使っているパソコンに
非常に似ている面はあります。
無数のフォルダーとデータベースが、からまったもので、
それこそ、あちこちにショートカットやリンク網が張られているわけです。
たとえば、あるソフトにデータを呼び出そうとしたら、
分類用のファイル名を変えたために、呼び出せなかったり、
あるいは元のファイルが壊れていたりすることが、たまにあります。
そのような仕組みで、思考というソフトを立ち上げて思い出そうとしたら、
元の記憶のファイルがなくなったということもあり得ます。
コンピューターと同じように、思考や記憶が、
「暴走」「バグ」「フリーズ」をしたり、
「ハードディスクの傷や劣化」が起きる点でも、よく似ています。
ただし、「錯視現象」はエラーではなくて、
元々の知覚ソフトが原因で起きるものですが。
●今回のDVDの中では、主題は記憶の話ではありませんし、
自我は記憶だけに依存して発生するものではありませんが、
自分という自己感覚がどうして生じているのかについて、
自問することは良いことです。
それは高校生のころ、私が常に毎日のように自問し続けていたことでした。
どの記憶が自分を個体であると思わせているのか?
どの感覚が自分を個人であると思わせているのか?
自己感覚を簡単に錯覚だなどと片付けられるほど、
そんな明確な根拠はあるのかどうか?
そもそも自己感覚とは何か?
さらには、基礎部分が、非自己感覚であるとしても、
生きていると感じている、この存在感覚とは、その実体は何であるのか?
***************************
■販売したDVDに、焼いたときのエラーや、壊れているファイルがないかどうか、
無作為にDVDをチェックするために、
3度ほどフルでもう一度見ましたが、
自分で聴いても、意外にも、飽きる部分がなくて、
疲れることもなく見られたのは不思議でした。
最後の50分ほどは、書の話になりますが、
それまでの、4時間半ぐらいは、雑話も含めて、精神世界の話でした。
■水かジュースぐらい用意して、しゃべればよかったのですが、
途中で、若干、舌が乾いてしまったせいで、
発音が少し聞き取りにく単語があるかもしれませんが、
それが大きな問題になるような部分はありませんでした。
●発売以前に、何人かの知人に聞いてもらいましたが、
「分かりやすくまとまっている。聞きやすかった」という意見が大半でした。
■今回、私がいつものように、文字として本にしなかった最も大きな理由は、
テーマが重要な問題であっただけに、
直接に、皆さんに声で語りかけたかったからです。
文章というものは、読み手の目に文字が入ったあと、
その全てが、本人の主観によって処理されます。
たとえば、「自我」という文字を見たときには、
それぞれの人たちが、勝手にその自我に対する自分の中の定義を投影し、
その後の文章や全体の文脈についても、
あくまでも、その人それぞれの個人的な主観で解釈をします。
これ故に、誤読や誤解というものが生じます。
■言葉からの連想によって、解釈や理解が成立している、
という点においては、音声でしゃべったとしても、
無論その「聞き手が誤解をしてしまう可能性」は変わらないのですが、
少なくとも、文字ヅラだけを見て、読み手が勝手に何かを思考してしまう
というのとは少し違った次元で、
私の声の中に、私が伝えようとしているものを感じて戴けるかと思います。
■「禅書」に付属しているDVDを見た人たちから、
「親しみやすかった」という感想を無数に戴きましたが、
それは、ひとつには、あれらの禅書の場合には、
その人「個人だけ」に対して私が語っていますので、
当然そうなるわけですが、
それとは別に、今回のDVDは、
「ある意味」で親しみやすいものだと思います。
■私が一人でしゃべっているのですが、
いつか、誰かと対談する声でも収録してみるかもしれません。
ただし、対談という形式でしたら、
「宗教に汚染された地球人」の特定の章では、砂手と対談していたときの
そのままの生の記録から、原稿を起こした事は既にありました。
■それに、そもそも、梅の間も、過去の竹の間も、
ある意味では、常に読者の人たちとの無意識領域での対談の結果ですから、
今回のDVDも、読者の人の全員ではありませんが、
何人かの人の無意識的な要望に応えて、しゃべっているという面もあります。
だから、すんなりと分かる人、
すんなり、説明された事が簡単に出来る人と、
そうでない人とに、きっぱりと分かれると思います。
そして、「希釈自我」の問題も、この掲示板で文章で読んでいたときには、
リアリティーを持てなくても、声を媒体にした説明になると、
すぐさまに、それがリアリティーを持って自分の中に響く、
そういう「先天的に意識が敏感な人たち」「直感的な資質のある人」
も、必ず出てきます。
そんなわけで、今回は、文字ではなく、声で説明してみました。
■DVDの中でも言いましたが、今回のDVDの感想については、
書の注文用ではなく、竹の間掲示板にある、
「感想専用」のアドレスからお願いします。
******************
●余談ですが、他人の顔を見ると、
その顔の表情を追ってしまう(または見た目に洗脳されてしまう)
という癖が人間にはあります。
それが聞き手にとって、良い場合と、悪い場合の両面がありますが、
しかし、ほとんどの場合には、実は、他人の話というのは、
目を閉じて聴いていたほうが、その真意や文意が分かるものなのです。
相手の目や、表情や動きから、
相手の思考や感情や嘘が分かる場合もありますが、
実際には、声だけで、充分に相手の本心が分かります。
●ですから、私たちの世代(現在30代から50代)ですと、
その昔、深夜放送をよく聴いたと思いますが、
そんな感じで聴いてください。
野沢那智と白石冬美とか、「ジェットストリーム」の城 達也とか、
あの当時の深夜放送のアナウンサーが、
どんな顔しているかなんて、高校生だった私は、ほとんど知りませんでしたし、
興味も全くありませんでした。
●そう、・・・・
そういえば、クリント・イーストウッドの映画の吹き替えは、
ある時期から、その野沢那智さんだったんだ。
これって、DVDを見た人にしか分からない話ですね。
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