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2007年3月までは
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読者専用の質疑応答用の掲示板でしたが、
2009年7月より禅書道日記に変更。
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[1405]
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禅書道日記その139●無無心の書と、禅書。 最近の作品の「ビデオ」
by:
鈴木崩残
2010/06/25(Fri)05:10:20
【禅書(カウンセリング書)】
【無無心の書と無心の書】
■写真の左下に、小さく「文字」と「書の種類」が書いてあります。
_______________________________________________________________
【戴いた感想】
>上述の「無無心の書」についての感想です。
>お題は「逆」「逆転」「死人禅」の三つでした。
こんなに、御苦労して良い仕事をして頂いて、本当に有り難う御座いました。
深く深く感謝しております。
さて、感想です。
見てすぐに、感想メールを入れさせて頂きましたが、
その時は「圧巻、絶句」につきました。
今、しみじみ感じるているのは、
崩残さんの勝手な、「乗り」で、枚数が増えた、
と言っておられましたが、
依頼者のお題によって、増えるのですから、
やはり、崩残さんのみの、「乗り」だけではないと思いますから、
ちょっと、複雑でしたが、
自分にとっては、計り知れないものを頂いた、
変な話ですが、一生分の「お題」を頂いた、というくらい自分も、
何か、虚脱しています。
>増える場合と、注文数どおりに、きっちり収まる場合があり、
>増えたとしても、結局は、私が選ぶ問題ではないので、最終的には、
>依頼者の方に、選んでいただいています。
それで、今回送られてきた「青墨の書」は無為でした。
今の私は「創作書」の無為より好きです。
ほのかな感じ、でも、しっかり主体がある、というか、
優しいに、実は存在感もしっかりしていて、
画像で「創作書」を観た時、無為に一番魅かれ、
それで、到着した「創作書」も無為が一番好きでした。
>梅の間でも少し前に書きましたが、
>普通の墨と青墨の、どちらにも捨てがたい一面があります。
>コントラストがくっきりしていて、遠くから見た場合には、
>普通の墨がよく、青墨は、迫力が落ちます。しかし、手にとって
>間近で見る場合には青墨の方が、ぐっと味わいはあります。
>ディスプレイの仕方によってどちらも使い道はあります。
でも、結局、他のも、見ているうちに、
どんどん好きになってくるところが、
崩残さんの書の不思議な魅力です。
それと、崩残さんが、DVDで言われていましたように、抽象的になる、
というのも、私の好みかも知れません。
絵画で、いいな、と思ったのはカディンスキーで、
まるで音楽を見ている(聴いている?)ような絵がありました。
また、実際に来る前に見た「逆転」はまるで、
自分の宇宙での意識状態と言えばいいのか、
その都度の、始まりと終わりの間を見ている様な錯覚になりました。
依頼した「無無心の書」には、効果は、あったら、あったで、
いいですけれど、さほど期待はしていませんでした。
どちらかと言うと、崩残さんから出て来る書に魅せられていたからです。
>アートとして楽しんでいただくのが、
>最も正しい楽しみ方であると思いますし、私もそれを望んでいます。
>ただ、普通のアート以上に、瞑想的な性質を持ってしまうのは、
>それは、いわゆる普通の書家による書が生み出される工程とは、
>本質的に違うからだとは思います。
>「分割自我復元」のDVDの書の説明でも少し触れましたが、
>書道家や書家の人が、いくら無心になろうとしても、
>それはほとんど不可能なんです。
>そのような振りを自分に対しては出来たり、一瞬思考が停止しても、
>それでは、単に、無我夢中で書いたか、さもなければ、
>禅かぶれして、無心になったつもりで書いた自己満足的なものにすぎません。
>以前にも説明しましたが、
>私の禅書を支えているものは、書の技術ではなくて、
>何十年もかけて培われた「自動書記」だったのです。
その時々の自分に応じて、どの書といるのがほっと出来るのか、
または、ちょっと辛いのか、
わざと、その辛いように感じる書といると、
どのような意識になっていくのか、そんな事を今は考えています。
ほのかなのに、主体もしっかりしている「青墨の書」と今、
一緒にいて、これを書いています。
とても、静かで、いいです。
ところで、崩残さんの個展ができればいいのに、と思いました。
一堂に、作品を見れたら、すごいだろうな、と思います。
でも、自分でも二度と書けないだろうな、という作品を皆さんの手元へ、
旅立たせて上げるのでしょうから、個展など無理なのでしょうか?
せめて、本くらい出版して欲しいとは思いますけれど、大変ですものね。
>これに関しては、私自身ではどうにも出来ません。
>私が書道家と違うところは、作品を自分の作品だとは思っていない点です
>むろん、作業費やアートとしての価格はつけてお譲りしていますが、
>これは自分史ではないのです。
>ですから、最高に出来た作品は全て依頼者に届けます。
>私の手元には、途中での習作しか残りません。
>今までに、無無心の書を書かせて戴いた方は、数人おります。
>さすがに価格の面でも少し高いですから、人数は少ないですが、
>私がいつか他界した後にでも、その人たちが、書を持ち寄れば、
>「個展」は成立すると思います。
>無無心の書を受け取られたどなたかが、
>「集まれ・無無心の書」とかいうブログでも作られて、
>そこで、私の無無心の書を持っておられる方たちだけが交流して、
>それで、持ち寄って私が他界したあとに、追悼個展をやるとかですね。
>むろん、普通の書や作品みたいに、「鑑定」なんて必要ありません。
>なにしろ、そのために(ほとんどのケースで)証拠そのものである、
>DVDがついているのですから。
>しかし、地域が北海道から九州までおられるかもしれないので、
>どこに集めるか、どなたが主催を仕切るかは、難しい問題ですね。
>もっとも、その時には、私はこの世に存在していませんが。
>全ての作品は、写真だけは、私も記録してあります。
>しかし、特に「無無心の書」を受け取られた方の多くが、
>あまりにも写真と迫力が違うのをご存知のはずです。
>写真では、書の現物が持つ、「生き物」のような躍動を伝えることが
>どうしても出来ません。
それから、こんな、低価格で、提供していただいて、ありがとうございます。
>今回は特別でした。
>理由は、既に申しましたように、
>せっかく書けたものですから、なるべく依頼者の人に
>受け取っていただきたかったのですが、
>もしも正規の私の価値観の感覚で価格をつけてしまいますと、
>一部、購入できないものが出てしまう可能性があると推測しまして、
>あのような価格にしました。
>おまけの「無心の書」の「逆」の中にも、
>実は1万超えしている作品がありました。
>見るとそのクオリティーからどれかは、お分かりになると思います。
>実は、もうお一人、そういう方がいました。
>私の勝手な都合で増えてしまったのですが、
>どの作品もが傑作だったので、私から逆に受け取っていただきたいと
>思った作品は、無料でつけたり極端に価格を落としました。
>あくまでも、依頼者の希望で書いたものであり、
>依頼者なくしては、その文字が生まれなかったわけですから、
>選ばれずに残ったものを「一般販売」というのは、
>可能なかぎり、したくはないのです。
そういえば、どうして、人によって、シリーズで、出て来る時と、
そうでは無い時があるのでしょうか?
書いている崩残さんにも意味不明なのでしょうか?。
では、以上です。何か、無無心・無心の書と居まして、
変わった事がありましたら、報告させていただきます。
>シリーズ(連作のような形)で自然に書かれる場合には、
>かならず一点一点に、相当の「変化」が出る傾向があります。
>市販されているdvdにある他の特定の方や、
>市販されたdvdには記録されていない「無無心の書」の制作では、
>一枚か二枚だけ出来る、という事もたびたびありました。
>ところが、依頼者によっては、連作になる場合があります。
>こちらの都合で大変に申し訳ないものですから、
>枚数が増えてしまった場合には、依頼者の方に対してだけは、
>価格を落としています。
>あくまでも傾向といいますか、私個人の主観的な印象なのですが、
>美術鑑賞が好きな人、あるいはアート感覚を本人も知らずに
>どこかに持っているほど、なぜか、変化に富む連作になりやすいです。
>もしかすると、書それ自体も、
>理解をしてくれる人のところには多く行こうとするのかもしれません。
*****************************
私と書(その2)
以前にも、梅の間で、このテーマで書いた覚えがあるので、
簡単にですが、説明します。
ときおり、私は無明庵を全く知らない人や、
私と面識のほとんどない人に書を差し上げる機会があります。
私自身は、「いわゆる」プロではありませんし、
書道連盟とか現代書道の連盟とかにも全く興味がありません。
そもそも、一般的な意味での書道だとは、思っていないですから。
また、技術的にも、最低限度「全くの素人ではないという程度」であると
自分で思っています。
しかし受け取られた方から、「達筆ですね」とか言われるのですが、
「いえ、全くの素人の趣味です」と断言します。
●それで、そのときに、私は自分の母が書道家だったことを
極力言わないようにしています。
というのも、それを言うと、相手の人は、
あまりにも物事を単純に考えるからです。
「あー、やっぱり、それでお上手なんですね」
・・・おいおい、書の才能なんて、決して遺伝するもんじゃないし、
第一、目で見て覚えられるわけもないです。
私は、母が書を書くところを少なくとも60年見てきましたが、
一度も教えてもらおうとしたことはありませんでした。
確かに、子供のときから、それを「見て育った」ということは
影響しているとは思いますが、
ただし、私に影響したのは、母の書風や、用筆法ではなく、
書を書くときの、母の「楽しげ」な様子です。
もしも私に受け継がれたとしたら、最も重要なのは、それです。
母は、いつもこのように言いながら、書を書いていました。
「これは、面白く書けた」「これは思いがけなく面白く書けた」
つまり、良くかけたとか、上手く書けた、という事は
母には問題外で、「面白い線になった」と、一人で喜んでいるわけです。
母にとっては、書は「面白くなければ」意味がないようでした。
学生時代に、書の賞を一人で総なめにした実力のあった人ですから、
基礎は充分に出来ていますので、美しい字は書けて当たり前なのです。
しかし、母にとって、最後まで趣味として残ったのは、
唯一、書だったことを、本人も生前に言っていました。
他に、多くの(茶道、花道、三味線、琴、水墨画など)
日本の伝統芸能の習い事をしたのですが、残ったのは書だけだったようです。
あ、言っておきますけど、うちの母親は、芸者さんではないですよ。
●それで、面白い書になったときに、楽しげにしている母の姿が、
それが今の私に遺伝した最大のものです。
私にとっては、「予想外の、思いがけない線」や「かすれ」が
私の意志を無視して、そこに現れたもの、
それだけが、唯一、無無心の書としては、価値を持ちます
予定した線や、自分の美観や、自分が思うところの良い書など書いたら、
どれだけ、美しく書けても、それは、ちっとも面白くないのです。
そういう「意図的な創作活動」をするのは、書道家や画家の役目です。
●ちなみに、現代創作書道という流れを明治に作った人に
関するサイトですが、以下の作品を見ると、
いわゆる「日本の現代書道」とはどういうものか、よく分かると
思います。
実は私個人は、これらの中にとても好きな書があります。
また、作風がどこか似ているものもあります。
■リンク先が表示されるまでに、少しもたつくのですが、
ここにある「作者名」をクリックしてゆくと、作品が見られます。
↓
http://www.shodo.co.jp/tenrai/tenrai-org/tenrai-org02.html
■ちなみに、もしも私がお金を出してでも買うとしたら、
下記のような作品に対してです。
技術が上手いとか、あるいは権威があるとか、抽象的であるとか
絵画的であるとか、そういう基準では私は全く選びません。
書体の種類や、作風の違いには関わらず、
私の中には、私自身の美観で選ぶポイントというものがあります。
何かその人を超えたものが、その時に入り込んだ形跡を感じる書、
それだけが、私にとっては意味を持ちます。
↓
http://www.shodo.co.jp/tenrai/tenrai-org/sakuhin/exhibit002.html
http://www.shodo.co.jp/tenrai/tenrai-org/sakuhin/exhibit012.html
http://www.shodo.co.jp/tenrai/tenrai-org/sakuhin/exhibit013.html
http://www.shodo.co.jp/tenrai/tenrai-org/sakuhin/exhibit016.html
http://www.shodo.co.jp/tenrai/tenrai-org/sakuhin/exhibit018.html
http://www.shodo.co.jp/tenrai/tenrai-org/sakuhin/exhibit021.html
http://www.shodo.co.jp/tenrai/tenrai-org/sakuhin/exhibit024.html
http://www.shodo.co.jp/tenrai/tenrai-org/sakuhin/exhibit029.html
http://www.shodo.co.jp/tenrai/tenrai-org/sakuhin/exhibit035.html
http://www.shodo.co.jp/tenrai/tenrai-org/sakuhin/exhibit041.html
http://www.shodo.co.jp/tenrai/tenrai-org/sakuhin/exhibit043.html
http://www.shodo.co.jp/tenrai/tenrai-org/sakuhin/exhibit053.html
http://www.shodo.co.jp/tenrai/tenrai-org/sakuhin/exhibit054.html
http://www.shodo.co.jp/tenrai/tenrai-org/sakuhin/exhibit060.html
http://www.shodo.co.jp/tenrai/tenrai-org/sakuhin/exhibit069.html
http://www.shodo.co.jp/tenrai/tenrai-org/sakuhin/exhibit078.html
http://www.shodo.co.jp/tenrai/tenrai-org/sakuhin/exhibit096.html
http://www.shodo.co.jp/tenrai/tenrai-org/sakuhin/exhibit110.html
http://www.shodo.co.jp/tenrai/tenrai-org/sakuhin/exhibit116.html
http://www.shodo.co.jp/tenrai/tenrai-org/sakuhin/exhibit130.html
http://www.shodo.co.jp/tenrai/tenrai-org/sakuhin/exhibit146.html
http://www.shodo.co.jp/tenrai/tenrai-org/sakuhin/exhibit152.html
______________________________
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