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2007年3月までは
「虹のオーガズム」と「性のレシピ」
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2009年7月より禅書道日記に変更。
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[1420]
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禅書道日記その154 ● おたより ● と、希釈自我について。
by:
鈴木崩残
2010/09/15(Wed)15:28:51
おたより
こんにちは。
残暑きびしい日がつづきます、
そちらもまだまだ夏の気候でしょうか?
このあいだは暑いなか、追加分も作品を送っていただき、
ほんとうにありがとうございました!
松の間、拝見しました。
「還」が気に入ったのでとのこと、
文字のことなのに、なんだか照れくさく、嬉しいです。
わたしあてに書いていただいた書なんだけど、
あらためて画面でみると
「ビシッとしてるなあ!」と不思議な感じがしています。
とくに、「軸」と「意識」が。
墨の絵、大きな画面でみたいな、と思いました。
ほんとに、不思議な世界へ引きこまれそうな、
おもしろい味わいがして、いいな、って。
もっと早くに感想を書きたいなと思いつつ、
何をどこから書こうかな、とお伝えしたいことばかりがふくらんで、
なかなかうまく文章にまとめられずにいました。
もう少し、熟成期間が必要かな、と思い
まずは少しでもお伝えしなきゃ、とこれを書いてます。
私の自我の分割率も教えていただけて、嬉しいです。
ありがとうございます!
いつも、器をもっと大きくしたいな、と「足りない感」を感じてたので、
やっぱり足りてないんだな、と思う半面、
2分の1以上はある、といわれて、どこかでほっとしてる自分もいます。
それから「軸がしっかりしてる、文字が全体的に力強い」、
って言っていただけたことには、
驚きでいまだにぼんやりしてしまいます。
自我の状態が悪くない、というのも、あれ?そうだったんですね?というふうに。
ここでほっとしすぎずに、復元方法にチャレンジしようと思います。
お願いした文字と、本名で、こんなにズバッとみていただいて、
調和する文字を書いていただけることに、
あらためて、すごい!のひとことです。
いまは、こんなふうにしか表現できず、もどかしいのですが。
もちろん、いただいたすべての文字に感想をお伝えしたいのだけど
それにまつわる自己紹介をえんえんとしてしまいそうなので(汗)
お時間とってしまわないよう、少し圧縮しようと思います
(また、時をあらためますね)。
ですので、まずは、追加でいただいた分を。
「環」は、循環の「環」の字、のイメージでお願いしたのですが
崩残さんのおっしゃるように、「還」のほうがカッコいいですね!
わたしも還のほうが好きです。
「環」は「わ」でもあるのに、まるくないのもおもしろいですね。
いい意味を伝えていただけて嬉しかったです。
循環するのに、かくかくと進むのは、わたしらしいなあ。
どこか、硬いところもあるのも。
スーツは、仕事で必要だったので着る機会もありましたが、
いまはすっかりカジュアルばかりです
(はずかしながら、コドモっぽさが抜けません)。
ふんわりした部分もある服装(どちらかというとナチュラルな)が好きなのですが、
どこかにボーイッシュな味つけがないと、着てて落ちつかないし
ここ数年スカートはめったに登場しないので
ここでも、文字からだけでこんなに!すごい!と感嘆したのでした。
凜とした女性、憧れます。
これから仕事で必要な場面も出てくるかもしれないですし、
スーツのこと、心にとめておきます。
とりいそぎ、が、つい長くなってしまいました、すみません。
最初のうちは、ダメ出しがあるのでは?と緊張していたのですが、
DVDにも、お人柄がしのばれ、
リラックスしてお話きかせていただけて、楽しかったです。
追加分の、ダヤン君のメモとあしあとの落款も、
ほっこり嬉しかったです。
しばらくしたら、
続きをメールさせてくださいね。
それでは、
度々とりいそぎで、失礼いたします。
______
こんばんは。
前回のメールは、なんだかどたばたと、失礼しました…
あらためて、御礼申し上げます。
ありがとうございました!
書もDVDも、追加分もおまけも、ぜんぶ
嬉しい贈り物をいただいたような気持ちです。
書そのものも、DVDも、とっても情報量たっぷりで、
やっとこ落ちついてきたので、
あらためて、感想書かせてくださいね。
おたよりでおっしゃってた方がいらしたように、
わたしも、崩残さんの書は生きてる!と感じます。
生きてて、たくさんのいろんなポイントを押される感じがします。
受け取ってからいままで、
突然の泣き発作(?)のようなものが2回ありました。
(自分に「なんで、何にたいして泣きたいの?」ときくと、
「ただ泣きたいから」と。)
それから、さっきあらためて全部の書を眺めたら、
おまけで入れていただいた「風軸」で、また突然の涙。
「ひとを愛したい(ちゃんと)」って言葉と感情が
上がってきました。愛って言葉は不得意なんですが。
DVDで、文字ができあがるプロセスをみせていただきながら
語りかけてくださるのは、気持ちにすっと入ってきますね。
お声もいいなあ、と思いつつ、
わー!って叫んだり、時に爆笑したり(笑)
メモをとりながら拝聴しました。
おっしゃっていただくことみんな、
「ズバリそうなんです〜」だけでなく、
「あまり意識してなかったけど、そうかもしれない…」と
思わず、口からとびだしそうなことばかりで。
ひと文字ごとの、あらためての感想は…
★「意識」
最初の「怖い」はなくなって、
だいぶ親しんで、仲良くなってきました。
それでも、やはり他の文字とは別ものだな、と思います。
「いまのまんまじゃいけない」「打破したい」
「自分で自分をつまらないと思ってる」
…どんぴしゃです。
なかでも、いちばんのお気に入りがあって、
ことあるごとに眺めてます。
次の「意識」に向かうために活用します!
★「軸」
なにより「大丈夫」と言っていただけたのが心強かったです。
自分の軸はどんなだろう?と気になって、お願いした文字だったので。
何度みても、ビシッとしてるなあ、これがわたしの軸?と
いまだ、すこし不思議な気持ちではあります…
でも、大好きです!
カスレのあるのも、にじみ書も。
基礎ができてるとしたら、
仕事のことなのかなと思うのだけど(まだまだ熟練はしてませんが)
今後のことでまだ迷いがあるんです。
日々眺めて、具体的なことへつなげる原動力にしたいです。
★「還」
もう、これはほんとうに愛着たっぷりになってきてます。
大好きです。にじみ書も。
合う順番は「軸」の次といわれましたが、
いちばん、わたしらしいのかもしれません。
性格がのんびりしてる、といわれたときには一瞬で爆笑でした。
なんでわかるの〜?って。
なんだか気恥ずかしいのでこのへんで(笑)
崩残さんの勘違いがあったから、この文字と出会えたんですよね…
心から感謝です!
★「風」
勢いよくって、自由な感じで、みてて楽しくなってきます!
この文字は、四大元素の「風」をイメージしてお願いしました。
風が象徴するものを取り扱うのに、苦手意識があるので。
「抽象的で、未完な感じだ」とおっしゃってたのは、
そのせいかもしれませんね。
>後送で「環」の字を書いたのですが、撮影を忘れましたので画像はないです。
★「環」
いまは、なぜか落ち着かない気持ちになります…
なぜか、わたしのとっちらかった一面みたいに感じられるんです。
うーん、不思議です。
おっしゃってた
「バランスがくずれそうでくずれないことに、自分ではひっかかってる」
はい、そうなんです。
だから、みると落ち着かなくなるのかな?とも思えてきました。
おまけでつけていただいた、「無心」もしっくりきます。
わたしの「無心」なんだなあ、って。
それから「意識」で書きそびれたのですが
タロット、以前仕事にしてた時期があったので、
おっしゃるとおりで、ビックリでした。
確かに、普通には当たるというか指摘できてたけれど
それ以上のものがない、っていうのにも。
自我の修復したいと思ったのも、
そのあたりが、きっかけのひとつにつながってるように感じてます。
*******
お伝えしたいことがたくさんで、
長々とすみません…
何度でも眺めて、DVDも聴いて、日々大事にします。
書いていただけてほんとうによかったです。
追加分も入れると、清書だけで160枚以上だったんですね。
暑いなか丁寧に制作してくださったこと、感激しました。
ありがとうございました!
また、次にお願いする機会を楽しみにしています(気が早いですが)。
残暑、まだ続きそうです。
どうぞお身体大切にお過ごしくださいませ。
それでは。
肝心なことかきそびれたので、
追伸です。
博士君のおまけ動画、
嬉しくて、思わず鼻先ちかづけて「にゃー」と言ってしまいました(笑)
ありがとうございました!
__________________________
●実はこの方から「環」という字を注文を戴いたのですが、
私の完全なボケミスで、「還」という字を書いてしまい、
送った直後に、「しまった」と思って、追加をまた書いて送りました。
しかし、面白いことに「へん」だけが違うのに、
二つの字は、全くといっていいほど、違うものになりました。
急いで送ったので「環」の字の写真がありませんが、
全体にカクカクと角ばっている部分があり、それはそれで面白いのですが、
私が間違えてしまった「還」のほうが断然いいのです。
偶然ですが、結果良しでした。
もしも売るなら5000円ぐらいつけたい傑作ですが、
たぶん、二度と書けないと思います。
いつも言うように、その人にとって必要な書を書くからこそ、
そういう字がたまたま書けるだけなのです。
●それにしても、ちょっと嬉しいタイプの感想でした。
前々から言っていますが、
こういう極めて率直な感想って私は嬉しいのです。
それに、女性の方というのは何歳になっても、
可愛いなーと、今回、つくづく思いました。
(中にはそうでない人もいるのかもしれませんが。)
ずっと少女のままのようなところのある女性からの感想って、
何通か、私は戴きました。
ひねくれたところなど、微塵もない文で、
しかも、この禅書の本質を、感覚で正しく感じて戴ける人です。
今回の感想の方もそうでした。
おいしいツボは、全部、頭でなくて感覚でわかっていらっしゃる。
博士君やブリジットについて、感想メールで楽しそうな感想を
言ってきてくれる女性もたまにいますが、
けっこう、性格が、ごく限られていますね。
●なんだか、今回、あらためて、
女性というのは、本質的には、たぶん、おばあちゃんになっても、
ずっと内面は、可愛いいままの人もいるんだなーと、実感しました。
途中に、スーツの話が出てくるのは、
この方が、スーツ姿とかキマっているなーと感じたからです。
女性は誰でもそうなのですが、
ちょっとだけ、ボーイッシュな要素が「隠し味」に入っていると
魅力が二倍以上になります。
ただしそれはやり手だったり、男性的ということではありません。
結局、人間というのは、肉体をどけてしまうと、中性が基準値なので、
男性でも女性でもない、率直な知性か、または率直な無邪気さが
出ている人が、人間としての魅力を持ちますが、
そこに、あえて、明確な性別の差が加わることで、
より、「ぐっとくる人」になるわけです。
______________________________
【自我復元について】
●ほのぼのとした話題の後に言うのも、なんですが、
別の数人の人たちから戴いた、「分割自我復元」についての報告で、
少し気になったことは、復元作業すら、出来ない人がいるということです。
そうはいえ、そういう人は、たとえば他の何の体系をやっても、
似たようなものだと思います。
何かの講習を受けたり、本を読んで自己流にやったりしても、
好奇心のごく一部が満足するだけで、ほとんど何の足しにもならない
ということがほとんどです。
好奇心の「一部」というのは、
もしもその好奇心すらも全面的であれば、その人は、
数年後には、その道の専門家、あるいは少なくともプロになるぐらいには
なるはずだからです。
そうならないというのは、結局は、好奇心すら全面的ではないということです。
むろんそういう人には、そういう人が安心できるレベルに下げた
教えがあるでしょうから、そういうものに移行した方がいいです。
●そもそも、原則として、どういう問題においても、
切羽詰った自覚や、実際の状況に取り囲まれなければ、
何ひとつも、まっとうなモチベーションにはなり得ません。
自我であれ、生活の事であれ、
感覚として確実に迫ってくる死活問題にならないかぎりは、
動かない、または動けないのが、希釈自我の特徴の一つです。
これ故に、希釈自我の人間、または分割率の違う自我同士が共存すると、
非常にマズいことがよく起きます。
希釈率の少ない方、または全自我の人が、危機感を持っていることに
対して、希釈自我の人間は、口ではいくら何を言っても、
本当の危機感を、そもそも持てないからです。
●希釈率が1/2か、または全自我の人は、自分に起きる快・不快を
行動の引き金の基準とはしません。
そういう理由とは別に、何かが悪化する前に、事前に行動を起こします。
しかし、希釈自我の人間は、
「直接的な被害や不快感が自分に及ばない」と、動けないという
非常に大きな欠点を持っています。
だから、ほとんどすべての事、運命の流れにおいて、
1/4以下の自我の人は、タイミングを間違え続けます。
●また、もっと問題なのは、希釈率の違う人間同士では、
「生命経験の中での価値観」そのものが、あからさまに「対立する」ことです。
全自我の人と希釈自我の人とで最も異なるのは、
物事の「優先順位」です。
全自我の人、または希釈率の少ない1/2自我の人たちは、
本当の意味での「利他性」というものを持っています。
つまり何かの物事が起きている場合に、細部まで全体を見回して
そこから判断して、何をすべきかを決定します。
つまりは、何を一番大切にするかには、優先順位があるわけです。
その優先順位は、1/2以上の自我の人の場合には、
「物事を解決しようとする方向へと向かう性質を持ちます。
●しかし1/4以下の希釈率の人は、物事を絶対に解決できません。
特に、そこに他者や、社会といった問題がからむ場合には、
その人たちは、むしろ解決の足手まといとなります。
その理由はとても簡単です。
自我が小さすぎて「自分」を保持するので精一杯で、
それ以上の余力がありません。
●これはたとえ何かの間違いで、1/4自我の人が、
とりあえずその個体自我が消えて悟った場合も同じ結果です。
自我というのは、認識できる境界線の「範囲」を決定していますので、
本当の意味での他人の為に何が良いかとか、
集団全体の動きに必要なものが何であるのかは見えず、
見えるのは、ただ自分ひとりが、大丈夫かどうかとか、
自分がどう思われたくないとか、そんな程度のことに終始します。
●つまり自我の分割率が1/4を下回ってしまっていたら、
他人に無害であることまでが精一杯出来ることであり、
この世界の「仕事場」においては、出来ることも沢山あるでしょうが、
運命にうまく乗るということはほとんど出来ません。
常にすべてにおいて、タイミングを間違うからです。
それはタイミングを見るという観察力よりも、
「自分に起きる感情や思考のほうが」、1/4以下の自我の人間には
行動のスイッチとして優先されてしまうからです。
●たとえば、組織や集団、もっと平たく言えば
ある範囲の「全体」にとって、全自我の人が、何かを優先して
考えていても、
希釈自我は、「私はそんなの嫌だ」とか、
「この子のことはどうなるのか」といった
いきなり、「悪い意味での」目先の狭い世界を持ち出すために、
その組織が最も大切な仕事をしようとしている時に限って、邪魔をします。
たいしたことのない作業では、その害悪は目立たないで普段は誤魔化せているのですが、
「ここぞという大事なとき」に限って、
最も、全体の歯車を運行の邪魔をするような、
とんでもなくレベルの低い私見を挟んでくるのが、
1/4以下の自我の特徴です。
したがって、個我を超えた範囲でうごめいているものの
タイミングを計ることは絶対に不可能。
●もっと分かりやすくいいますと、
たとえば、何かの集団組織があったとします。
広く言えば、会社ですが、もっと少数気鋭であれば軍隊とか、
あるいは、何かの陰謀と戦うと称する団体とか、
何かの「運動団体」と考えていいです。宗教団体もそれに属します。
こうした団体に、
もしも1/4以下の自我の人間が紛れ込むと(ほとんど必ずそうなりますが)
その組織は、利他性を発揮することは不可能となり、
また、状況判断を必ず間違えます。
少なくとも希釈率が1/2でないと、起きている状況を正確に観ることすら
出来ないからです。
その場合には、一切自分の意見や見解を持たずに、
働き蜂として組織の命令どおりに動く分には、希釈自我の人は無害ですが、
1/4自我の人間が、いったん自分の個性や独自性を主張し始めた段階で、
それは組織、つまり全体の動きにとっては、完全足手まとい以外の
何にもなりません。
こういうときには、その組織から叩き出すのが一番です。
特に重要な仕事をする少数気鋭のチームならばなおさらです。
大集団で、ゾンビでも飼えるという、懐の広い組織ならばかまいませんが、
単位が、10人以下のグループや、何かの研究室とか、
あるいは家族のようなものである場合、
もしもその中に、全自我の人と、1/2自我の人、
これ以外に、1/4自我の人がいたら、可能な限り早く離別すべきです。
そうしないと、もしも、その1/4自我が、組織内で一人歩きをすると、
組織が向かうべき方向を邪魔されて、無駄なロスばかりが生じます。
>___________________________
●さて、話を精神世界に戻します。
技法の中には、切実な切迫感がないと出来ないものがほとんどですが、
特に、描いたイメージを使う、という場合には、
よほど本気でないと使えません。
オカルト的、あるいは瞑想的な技法に、おおざさぱに、二種類あります。
ひとつは、本人のイメージ能力や理解力や思考能力には関係なく、
本人を引っ張ろうとするもの。
これは、筋肉トレーニングや、シゴキと思ってもいいです。
馬鹿だろうがなんだろうが、やらせれば筋力が発達するというものです。
実は、死人禅の行法は、これに属する「部分(一部です)」があります。
だからこそ、万人向けであると1990年代には判断したわけです。
他のオカルト技法や瞑想法に比べれば、
心的な操作はほとんどありません。イメージもごく僅かしか
「ツール」「橋」として使いません。
死人禅の場合には、ある意味で、激しい絶え間ない日々の留意によって
脳に物理的な圧力をかけたり、
あるいは、闇によって、身体的な物理的な弛緩を引き起こすからです。
つまり死人禅の場合には、
作用するのは、思考やイメージ能力ではないということです。
むしろ思考や価値観は、どんどんと捨ててゆくものとして死人禅では扱います。
●それに比べると、世間に溢れている技法のほとんどは、
何よりも、「思考」を重視します。
つまり俗に言う、ポジティブとか信じるとかいう行為を必要とするわけです。
イメージしたものに対する信頼も必要ですし、思い込みも必要です。
したがって、思考力、イメージ力のない希釈自我の人は、
とうぜん、ちまたによくある瞑想法すらも、出来ません。
あれが出来るのは、そもそも最初から全自我の人だからです。
●では、希釈自我の人が、思考や知性を問わない、死人禅ならば
出来るのか?となると、無理です。
あらゆる技法をやりつくして、それが負担となって本気で、
うんざりして捨てたいという人以外には、死人禅は役に立たないのが
その本質だからです。
しかし、それでもなお、今回の分割自我復元において、
「自我」「記憶」「意識」のうちの「意識」の部分を補強するのには
必要不可欠なものとなったので、今回はもう一度活用することを
推奨したわけです。
●しかし、それでもなお、
「分割自我復元」で語ったことが出来ないとか、
イメージできないとか、変化が感じられないという人が、
稀にいるとしたら、それは、もうどうにもなりません。
そもそも、そういう人は、「分割自我復元」で私が語っていることの
内容を、理解も出来ていないし、誤解したり、勝手に違うことを
自我として定義していたり、あるいはあのDVDの内容に対して、
そもそも否定的で信頼をおいていないという事は明白です。
●どうして自我が分割されて、希釈されてしまったのかという
問題は、DVDの中のファイルにあるリンクにありますので
ここでは説明しません。
それに対して実感が持てなかったり、
その原因が、自我が希釈されたという事実によるものと信じられない
のであれば、復元など、全く不可能ですし、
そもそも復元したいとも、復元の必要があるという自覚すらもない
人たちである、ということになりますので、
その人たちは、復元作業からは降りて、
他の宗教で、癒されたいと思って、遊んでいたほうがいいです。
●実感とイメージが出来なければ、復元作業は不可能です。
しかし、そもそもそれらのイメージやいろいろな引き込み方法は、
少なくとも最低限でも、1/2以上の自我を想定した方法です。
それでも1/4自我の人が自分をどうにかしようとしたら、
自我を集めて取りもどす作業と、死人禅を併用するしかありません。
記憶の部分についての方法はDVDで言ったのでここでは言いません。
そしてもしも少しでも前進していれば、
自我の復元作業におけるイメージや復元できている実感が、
やればやるほど増すとともに、死人禅の行法も発達します。
逆に、やるほどに、最初のころよりも実感が薄れたり、
何も感じられなくなったとしたら、
自我復元という、無明庵で、現在も、これからも、
悟りなどという、希釈自我の人にとっては、完全な夢物語よりも、
近未来の限られた時間の中で、最も「現実的な大きな基礎問題」である
「自我復元」の作業からは、降りたほうがいいです。
>___________________________
■自我の希釈率に伴う「判断ミス」について最後に簡潔に書きます。
●全自我の人たち
自分に問題は感じない。実際に、問題はない。
あるいは、自分一人の中に問題が生じた時には、
金銭的にも精神的にも他人には一切頼らず、自分で解決します。
従って、全自我の人たちに、ほとんどの場合にあるのは、
本人よりも、「周囲に問題を持っている人が常にいる」という事です。
●1/2自我の人たち
この人たちは自分に問題を感じている場合に、
少なくとも、何が本当の問題なのかは、見失っていません。
正しい方向に問題意識を持てるのが、1/2の人の救いです。
だから、何かのカウンセリングを受けても、この人たちは、
それによって回復できます。
問題意識とした方向そのものは、間違ってはいないからです。
●1/4自我の人たち
この人たちの最大の欠点は、
本人が問題意識として持っていることが「誤認」であることです。
実は、違うことが本当の重大な問題や、優先順位であるのに、
それを全く自覚も理解も出来ないことです。
そして重要ではないことを重大だと誤認します。
従って、宗教にハマる人間のほとんどがこれ以下の希釈率にいます。
宗教ではなくても政治的な問題でも同じです。
仮に宗教にハマっても、それは自分に必要だったと判断して、
そこから得るものがあったと言えるのは、1/2以上の自我です。
1/2自我の人たちは、
仮に、一時だけ問題の解決法として宗教やオカルトに関心を持ったとしても、
それ自体の方向は、本人にとっては、間違いではないからです。
●ところが1/4以下の自我になると、
問題だと思ったものそのものが違っているので、解決はずっとしませんし、
混乱するばかりです。
逆に「何も問題もない部分」に対して、
執拗に、それが問題だと思い込んだり、言い張っているという
全自我から観察すれば、実に、滑稽な状況を私はよく見てきました。
それは全自我から観たら、
赤色を青色だと言い張っているぐらいに明確な間違いだからです。
しかも何度も、他人が「本当に問題な点」を指摘して言っても、
その本当の問題を、重要な問題として「実感できない症状」を持ちます。
●1/8自我の人たち
かろうじて、人間であるギリギリのラインですが、
私個人は、1/4までを「まだ、なんとかマトモな人たち」
としたいです。
今は自我復元の作業を見守っているので、
それが理由で、いちおう1/8自我の人たちまでを
書の注文などでも、注文を受け付けて、許諾していますが、
実際には、自我の回復は、かなりの努力をしないと難しい人たちです。
●この1/8自我の人たちは、
自分に問題があるということ、それすらも「自覚」できません。
おうおうにして、ゾンビが横柄で、犯罪者にまでなることが多いのは
自分自身に対する、この徹底した「問題意識のなさ」です。
1/4自我の人は、少なくとも自分に何か大きな問題が生じている
ということぐらいは自覚できています。
ただ、その問題とした対象が「大外れ」であることがほとんどです。
1/8自我は、(問題がないからではなくて、そこにあるのに、)
問題意識すら持てず、明確な自分独自の人生観の基準もないままに、
実に、全く空気読めない奴として、
「へんてこな常識を持ち出して、自分の正義を主張し」
その結果、周囲から総スカンを食らいます。
皆さんの学校や会社にも、かならずいたタイプだと思います。
昔は、いろいろな掲示板にも必ずいたのを私は沢山見てきました。
独自性のある論拠や、経験基盤には一切基づかず、
「やっぱり仲良くしなきゃ」とか
「争いはよくない、平和がいい」とか、
それこそ、「それって、お前のことだろう」と周囲が言いたくなるほど
言動が不一致で、周囲からも、ガン無視されるタイプのゾンビです。
■従って、自分に問題があることに対する自覚が、そこまで出来ない場合には、
精神世界的な体系や方法論は、全く何の力にもなりません。
こういうレベルにまで落ちた人たちは、
世間的な「常識の文言」だけに常にコビて、
多数決の中で、弱弱しく、個性なく、生き延びる以外に道はありません。
1/16の自我の人たち。
これは、他の宗教やオカルト体系ではどうだか知りませんが、
無明庵では、「論外」です。
自我や、いわゆる精神、知性、良心と定義されるものを全く持っていませんので、
その人たちの行動もモチベーションは、
ごく動物的な感情の欠落(認められたいという餓えなど)によって
脊髄反射的に動いたり、
空腹や痛みや威嚇、といったものにだけに恐怖感を伴って反応します。
とてもチープな見栄と虚栄心ぐらいは持てるかもしれませんが、
「誇り」というものは、決して持てません。
ですから、動物には申し訳ない表現になり、
「動物のようだ」と言う場合もありますが、
実際には動物たちの方が、遥かにゾンビよりもまともですから、
強いて、この1/16以下の自我の希釈領域は、私の中では、
「人間ではない」「亜人類」としています。
________________________
●以上の観点から、
私は、「分割自我復元」が、最もスムーズに行くのは、
1/2自我の人だと判断しています。
既に言ったように、この人たちが問題意識を持った場合には、
少なくとも、その問題の所在の選択には間違いはないからです。
●しかし1/4自我の人たちは、
問題の本当の所在を見失う、誤認するというのが、特徴なのものですから、
もそも「自我を復元すること」が解決法だ、
という、その重大性の認識が、実感を持っては出来ません。
一時的にその考えに、かぶれたり、ちょっとだけ乗ることは出来ても、
継続的な危機感を持てません。
だから途中で、復元作業を続ける気力や興味がなくなってしまう人たちです。
この手の人たちは何人か観察しました。
●これに対して、「1/2自我」の人たちが復元しようとするときには、
「本気」です。それが問題だと実感しているからです。
■しかし、それでも1/4の人も1/8の一の人も、
諦めることはしないでください。
そもそも、全自我というのは、何も他と比べて優れたものでもなく、
大それた目標でもなく、
本来は、「人間の、当たり前の状態」だったのですから。
その「当然の権利」を奪ったり、
騙して現在のような粗悪品を買わせたのは
人間ではない存在であるということに対して、
少しでも怒りを持てるのでしたら、
自我復元の作業以外には、
「普通の人間」にすらなれる可能性はありません。
>_____________________________
●ちなみに、蛇足ですが、
まかり間違って、1/4自我の人が、自我を落として変化した場合、
その人たちは、まったくもってして、利他性をもてません。
本人がどう思っていても、なんと悟ってすらも、
基本的には、自分の狭い価値観や「自分の感覚」を優先してしまうのです。
つまり、悟っても、周囲には「何の役にも立たない者」で終わります。
間違って、何かに口出しをしても、実らずに、不発に終わります。
この実例も、私は何人か見ました。
●しかし、1/2自我の人が自我を落として変化した場合も、
問題が生じています。
それは、逆に今度は、バランスを崩すほどに「利他的すぎて」、
個人の自我や正当な望みを省みないということです。
この人たちが極限的にその先に行くと、私が時々コケにしている
「スピラー」どもになります。
皆さんの多くが、一見すると博愛的なように錯覚してしまう連中ですが、
私に言わせると、単なる「精神的なカタワ」たちです。
●しかし、
きちんと、昔の地球でそうであったように、
「全自我」が飽和した状態から、その自我を落として
次の範囲の中に移動する形で悟った人たちは、
利他性と、利己性、そのどちらも理解できる中立的な視点にいます。
そもそも、宇宙では、利他主義も、完全な利己主義も、
どちらも、それが発揮される「位置とタイミング」さえ間違わねば、
どちらも意味づけがそこに存在するからです。
それだけに、部外者の無知な人たちが見ていると、
全自我から悟った人については、言動が一定ではないので、
単純には、判断できないことも多く出てきますが、
■とにかく、悟るなどという、そんな手の届かない問題以前に、
「魔法を駆使」したいとか、あるいはよくある「願望実現」とか、
「気功ごっこ」だの「やれスパースポットだ」「能力開発」とか、
悟りの意識の立脚点から見れば、
実に、しょうもないアホウな事を経験したい人を見たとしても、
全自我の人たちは必ず、
そうした事に対しても、一定の尊重をしています。
そうした自我が肥大して、限界にまて飽和して、
そうしたものに、本当に嘘なく満足しきった人だけが、
自我ごと、そうしたガラクタを、以後二度と振り返らないという形で、
「きっぱりと捨て去る」ことが出来るからです。
そうでない4/1や1/2の自我が悟っても、
それまでに満たされなかった願望の不満は、
必ず、まるで持病のように「再発」します。
ですから、現在の地球の、
この最悪の人間の状態を、まず「全自我」に復元することが
私が、一人の人間が、生きたり死んだりする方法として、
尊重できる、唯一の道です。
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- BlackVoid BBS CGI 2006.08.30 -