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禅書道日記その165●おたよりと、自我の希釈率について●
by:
鈴木崩残
2010/10/30(Sat)01:43:37
おたより
このたびも、たくさん書いていただきありがとうございます。
すべての文字をみて最初に感じたのは
「うわ〜線が太い!」ということです。
前回は、一部どっしりした文字もありましたが、
どちらかというと細めの動きのある文字でした。
今回は、線も太く男性的にも思えます。
崩残さんも思い出されたようで、おっしゃっていましたが、
線がクルクル回って遊ぶところが共通しているようでした。
前回お願いした時から数カ月の間に
私の中で何かしらの変化があった結果だと自分勝手に解釈しています(笑)
いろいろな場面で「くすぐったいことが好きな人かも」
という同じコメントそのニュアンスは、なんとなくわかります。
心はいつも、どことなく子供のまんまで、
常識的でなく反骨精神があったり
人と同じことをするのが嫌いな天の邪鬼みたいなところがあります。
でも、世間ずれしているわけでもなく
集団の中でもある程度は協調性をもって動くこともできます、が
やっぱり一人で動くことのほうが楽です。
心の中で周囲を冷ややかに見ていたことが多かったように思います。
ある時期は、そういった世間の枠の中で
いつもつまらないと感じながら麻痺したまま生きていたこともありました。
だから精神的な自立をしている人、という言葉はとても嬉しかったです。
昔からそうであったわけでなく、いろいろな人生の局面で、
弱い自分に苦しみながらも現実と向き合って克服してきたといえるかもしれません。
「やればできるじゃん」と一つ一つ構築してきた感じです。
「遊」
とてもしっかりした太さなのに、
これも筆がよく動いて、本当に遊んでいる感じで、
観ていてとても楽しくなりました。
この地上でしっかり遊んでいる ワタシ かな(笑)
「空気」
「空(そら)」一文字でお願いしたのを、
崩残さんが「気」を加えてくださったおかげで
ダイナミックでほとばしるようなエネルギーが溢れています。
「空(くう)」というと、なんだかカビ臭い感じがしますが、
「空気」は、当たり前(すぎる)にあって身近なものだから親近感がいいですね。
「自我」「意識」
希釈率を教えてもらうためにお願いした字でしたが、
いや、まさかそれほど薄まっていないとは!
2分の1くらいあれば御の字だと思っていたので、
正直びっくりして受け止めきれませんでした。
それくらい、紆余曲折し迷いながら生きてきたからです。
でも本当にそうならば、この自我をうまく利用して
まだまだ心配性だったりヘタレな自分だと思い込んでいる癖を、
手放していこうと思います。
そして、崩残さんが言うように意識の深淵を知るためには
自我の濃さが不可欠だというならば、
私にも、もしかしたら可能性がまったくないわけではなく、
今はとにかく、やりたいことをやり尽くして、
タイミングを待ちたいと思います。
きれいな女優さんを例えにしてただいて恐縮ですが、
男っぽい部分があるという印象は当たっています。
見かけはかけ離れていますが、よく男前と言われます(笑)
男友達とも本当に女の部分は一切出さず、
カラッとした会話をしていますね。
崩残さんが、「近所だったら茶飲み話できそう」と
言っていただけたのは嬉しいです。
お茶と言わず、お酒でもいいです〜!と思いました。
猫の話とかしだしたら止まりません、きっと^^
いつも思いますが、文字だけでどうしてここまで、
その人のことが判るのか驚きです。
実は、私は何人か生徒を持っていて、
崩残さんのことを話すことがあるのですが、
おおっぴらに崩残さんのような人がいるよ、と
知らせするのはご迷惑でしょうか?
何か思い出したり気づいたことがあったら、
またメールさせてください。
映像の最後、満月、富士ではさぞや美しく見えたでしょうね。
すてきなおまけ映像ありがとうございました。
寒くなってきましたので、どうぞお体に気をつけて
新しい雪駄でご無理なさらずお元気でいてください(笑)
____________________________________________________
●いつも思う事ですが、私に書を書かせてくれるのは、依頼者の人です。
今回も、筆が自動的にその人を映し出して、それらは、
自分で書こうとしたら、決して出てこないような形になりました。
どの字もそうなのですが、特に今回の「遊」と「空気」。
偶然に出来る「かすれ」が、ある人にとっては絶妙になり、
ある人にとっては、逆に、ただの「荒さ」(雑な感じの墨の模様)
にしかならないことがよくあります。
●自我の希釈率を調べるために、「自我」と「意識」の二文字を使いましたが、
かなり、めずらしい、めったに見ない5/6という希釈率でした。
ほとんど、全自我です。
ほとんど全自我の人に会ったのが、かなり久々なので、
ちょっと私も、嬉しそうにDVDで語っています。
●以前にDVDか、どこかで話をしたと思うのですが、
希釈率は、必ずしも2の倍数ではなくて、1/3などもあります。
希釈率については、DVDの10巻では、
「修復方法も分からないのに、ただその人に宣告することは出来ません」
と言いました。
しかし現在では、修復方法が確立されているので、
最近では、依頼があれば、ですが、分割数をお知らせしています。
あとで最後に述べますが、1/5といった端数が出る人がいます。
●「空気」、というのは自然にふと浮かびました。
「空」(そら、または くう)、特に精神世界の人たちは、
「くう」を好んで注文することがあるのですが、
そもそも、この字って、部屋を飾るのに、少し抹香臭いといいますか、
仮に「そら」と読むにしても、なんだか、寂しい。
特に、今回の方の、味のある人間性を考えると、
もっと味わいが欲しくなって、「空気」としました。
「空気」と、意味としては、なんともさっぱりした字ですが、
そこらじゅうに普通にあるものも、あえて文字にすると、
なんだか、いつもの空気すら、
ちょっと違った親近感を感じてくるのではないかな、
と思ってのことでした。
結果としても、私も、とても気にいった文字になりました。
●ご近所だったら、お酒もオケーですよ。
どこに書いたか忘れましたが、私はお酒だけは、
気を許した人としか、決して飲みません。
私は、グデグデに酔うタチでは全くありませんが、
それでも、それは自分を無防備にさらすことになります。
どんなにお酒に強いと思っている人でも、
アルコールが入ると、オーラに穴が空きやすくなるということは
以前に言ったと思います。
ですから、影響を受けてもいいと思う人としか、私は決してお酒を
飲みません。
●そういう意味では、この方はOKです。
ほぼ全自我の方の場合は、お互いに干渉し会っても、
悪いことは何ひとつ起きません。
先日、旅行に行ったときにも、かなり久々にお酒を飲みました。
それが戸隠の「そば酒」というのだったのですが、
全く悪酔いしない良いお酒であったこともありますが、
なにしろ、自分がよく分かっている知人とでしたので、ご一緒しました。
今、私が一緒にお酒を飲んでもいいと思える人は、
現在、付き合いがある中では、おそらく3人ぐらいしかいません。
●文字だけでどうして分かるのかは、
私自身がそれを分からないでいいと思います。
何度も同じことを書きますが、
いつも、分かろうとは全くしていませんし、何かを言う場合には、
確信をもって言うか、または、問題を感じると、
いたたまれなくなって言う、という事のほうが多いです。
ですから、何も言わないで書だけ書くことに奮闘していることも
多くあります。
ただ、確実にはっきりと性格が出る人の場合には、
断定的にいいます。
でも、輪郭がはっきりしない人も多くて、
その場合には「もしも違っていたらすいませんね」と前置きしてから
いいます。自覚のない人だと、私もよく分からない場合があります。
実際、そういう場合は、全然言っていることが、外れていることも
当然あると思います。
存在や自我の輪郭が明確な人ほど、たぶん、言っていることが
当てはまっていると思います。
その点でも、私は別に占い師ではないのです。
占い師や霊能者たちは、相手がどんなにボケた人でも、
相手のことが分かるようですから。
でも、私は本人が分かる可能性のないことには、
チューニングできません。
それが霊能者と私の大きな違いです。
●というのも、強いて言えば、私がわかりたいと思うのは、
その本人がそれを自覚して、本人だけの力でなんとか出来るものに
対してのみです。
それ以外のことが、どれほど、正確に、
まるで透視でもするかのように分かろうが、
その人がそれを自分で解決できないような内容だったら、
その人は、結局は、霊能者や、拝み屋に、依存することになります。
その点では、霊的なことで、商売をしたい人たちは、
多くの場合に、相手を自立させる事を重んじるよりも、
相手が、無力な状態のままであったほうが都合がいいのですよね。
●さて、DVDで、私が何かカウンセリング的なことを言うか、それとも言わないかは、
たぶんですが、
その人に必要ならば言う、
必要ないなら何も分からないし、言わないという、
そういう事になっているような気がします。
●さて、おおっぴらに、私のような人間がいることを、
言っていただくのは全く構いません。
ただ、「私のような人間」・・・って、一体、何なんでしょうね?(笑)
オカルト、精神世界に、長年足は突っ込んできましたが、
基本的に、私は、それがどんなに違う世界の相手(たとえ高次元存在)であっても、
対等な知人として付き合い、決して服従や妄信はしない、
という点では、
精神世界という危ない世界に身をおきながらも、
決して、何も信仰などしない、「一種の」無神論者です。
宇宙やこの世界に、異形の存在たちがいることは認めますが、
自分を明け渡す気はありませんし、そういうことをするなと
しつこく皆さんに言うのが、私の特徴かもしれません。
「こんな人」という場合、どう表現されたいかとなりますと、
基本的には、当たり前だと思ったことを当たり前にしてきた、
ただそれだけのことだと思います。
私は霊能者じゃないですし、そもそも生まれつきそういう体質では
ありません。
むしろ極めて現実主義です。
だから、自分を定義するのって、難しいですね。
「セックスの本を書いてきた人」
「手裏剣を、たまに投げている人」
「ちまたの、馬鹿みたいな精神世界の論理に、文句をいい続ける人」
「猫が大好き」
「きれいなおねぇーさんも大好き」・・いや、綺麗ではなくて、
原則的に私は「性格も見かけも、かわいい」人が好きです。
それで、「ちょっと変な書を書いている人」
このように、結局は、
「具体的に、やってきたこと」でしか、
人は自分が、何であるかを、他人には説明できないのですが、
実際には、私は、「何もしていない」のだろうと思います。
自分で、自分は面白いとも、つまらないとも思いませんし、
優しいとも、厳しいとも、思ったことがありません。
●ただ、私を唯一、この世界に肉体を持っている私を突き動かすものというのは、
「違和感」かもしません。
ちょっと絵の額縁が曲がっていると、気持ちが悪いのと同じで、
ちょっとだけ、直したくなる、といった感じです。
何しろ、もしも死ねば、あの「至福の次元に浸っていられる」のは
私には、もう充分すぎるほど、分かりきった事ですので、
生きている間ぐらいは、ちょっとした苦しみも引き受けないと、
時間が、もったいないかな、といった感じです。
ただし、ここ最近の、あまりの希釈自我の蔓延と、
それに伴う、この世界に対する違和感も、ここまで強烈になると、
困ったもので、個人的には、
(この方のように、あるいは、ごく数人の私の知人のように)、
精神世界とか、そういうのと全く関係なく、気の合う人もいるのですが、
おしなべて「対外的にどうか」ということになると、
「自我修復のお手伝い」が出来るかどうかしか私は興味がありません。
それがなされなければ、何の訓練をしようが、どう瞑想ごっこしようが、
どこのパワスポに行こうが、家族問題を解決しようとしようが、
全く何一つも「マトモ」なことは始まらないのですから。
●しかも、それは、梅の間を見ている人の中でも、
それが、出来る人だけでよくて、ごく少数の人で構いません。
出来るならば、せっかく無明庵という、
かなり変わった論理でやっているところと、ご縁があったのですが、
ここを見ている人は、
この方法論が出来たというチャンスを無駄にせずに、全員とも、
とりこぼしなく、全自我に戻って欲しいのですが、
見ていると、どうも「全員」というのは、無理なようです。
たいていの場合には、自我復元に、問題意識を持てなくなり、
「自我の復元に興味がなくなった」とかいうパターンがほとんどです。
あるいはもっと呆れるのは、「自我が復元したと思い込みたがる人」です。
そんな嘘、自分や他人についても、すぐにバレるのですけど。
自我の復元というのは、
実際には、一生かけてでも、他の事を差し置いても、
やらなければならない事であるのに、
その人たちには、もっとささいな他の事や、よさげに見える事の方が、
重要に思えてしまうのですから、
それは、もう、私にも、どうにも出来ません。
自我の希釈率の一例
左の人は、四分の一自我ですが、
中央と右は、五分の一、という変則的な希釈率。
左の方は、自我という字は、なんとか形になるのですが、
意識の「識」の文字が全く形をなさず書けなかった。
四分の一自我と判断した理由は、自我の文字全体の変形率から。
■中央と右は同じ人ですが、どちらもとても弱弱しい線ながらも、
形を保っているので、八分の一自我ではないと判断。
ただし、四分の一に見られる典型的な、芯の強さが見られないことから
四分の一自我よりは、少しまださらに欠損があると見て、
かなり慎重に分析したのですが、1/5の希釈率と判断しました。
このお二人、どちらも、この「判定用」の書は、
人生の指標には出来ないことには注意してください。
これはあくまでも、判定用に書いたもので、
ご本人の現在の意識状態、自我の状態を、ただ鏡に映しただけだからです。
ただ、お二人とも、とりあえずこれらの文字を見ても、特に害はない
と判断して同封しました。
また、書の作品として成立する要素が、いくぶんか含まれているからです。
●そういう意味では、最初にご紹介した、ほぼ全自我の方の書の場合は、
判定用という事でしたが、
結果的には、もう立派な「作品」として成り立っていたので、
「自我」の文字には、完成品の印の「無」の落款すら押してあります。
■これが、もしも「1/8自我」とかになってしまうと、
あまりにも歪んだ字になるので、
私としても、作品としても残したくありませんので、
それが、本人の自覚に必要であると私が感じたり、または、
本人がそれを見ても、そこからフィードバックしてくる弊害はないだろうと、
判断しないかぎり、ほとんど同封はしません。
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