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「性と死のホームページ」 http://www.mumyouan.com/
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より詳しい使い方の説明(9月11日変更)
●梅の間へようこそ●
掲示板
Title
助っ人リンク
2007年3月までは
「虹のオーガズム」と「性のレシピ」
の
読者専用の質疑応答用の掲示板でしたが、
2009年7月より禅書道日記に変更。
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[1471]
■
●無明庵日記「猫の足跡=その209=」●分割自我理論の補足と、分割自我の【判定】メモ●
by:
鈴木崩残
2011/02/12(Sat)09:13:52
ある意味で「朗報」
■個人的なことなので、特に書く必要もないので書きませんでしたが、
今年のはじめに、親類から連絡が来て、うちの父親が他界した知らせを
受けました。
父親とは約30年ぐらい、音信不通で、疎遠でした。
で、面白いのは、うちの父親が「頓死」だったことです。
母親は、前日まで元気だったのに、翌日の朝、脳内出血で、ポックリ。
父親も、当日ぴんぴんしていたのに、心臓麻痺で、ポックリ。
どちらのケースも、苦しみは、ほとんど無く、
病院に搬送されてから、数時間後に他界。
特に母親のケースでは、危篤だったときに、医師に尋ねたところ、
「おそらくは、頭を殴られたような感覚がした直後に、
意識を失ったでしょうから、苦しみはほとんど感じなかったでしょう」
と説明されました。
心臓発作は、それに比べると、少しの間苦しんだかもしれませんが、
倒れて、すぐに意識不明になったもよう。
いずれにしても、
長い歳月、ずっと病院の世話になる、長患いをする事に比べれば、
周囲そして、何よりも、死亡した本人としても、
満足できる「大往生」だったのではないでしょうか。
●ということで、私は両親とも「ポックリ死んだ」わけで、
わりと、そういうのは、珍しいと思います。
もしも運よく、その「血筋」を私が引いていたら、
私も、最後は、ポックリと逝きたいところです。
何しろ、ポックリ死の両親の落とし子ですから。
これで、私がポックリ死んだら、砂手が女宮司になって、
「ポックリ祈願」の為の「無明神社」でも、作ってもらうか。(爆)
ある意味「朗報」その2
●今回は、現在、約85人の方が、自我判定を受け、その後、
注文者の家庭や、ご本人の問題で、
複雑で重篤な問題(深刻度の高い問題)を抱えた方たちには、
メールなどで、かなり細かく、または深く突っ込んだ、カウンセリングも、
自我復元の「補助手段」として、多用・併用しております。
その為に、皆様からの大量の相談をこなすのに、時間がかかります。
◆従いまして、極端に無意味なメール(=すなわち、報告になっていない、
無意味性の強いメールを、何度か繰り返し送信された方)については、
現在までに、4名の方を、撥ねました(=今後のメールや注文受付の制限)。
あまりにも「極端」なまでに「敷居」を低くしますと、
他の大勢の方たちの足をひっぱってしまう形となるものですから。
しかし、それは全体の、たったの約5%ですので、今回のプロジェクトは、
その昔に、竹の間で行いました禅問答の正解率や、
有料購読時の、個人相談の通過件数よりも、
格段に成功率が高く、有機的なものとなり、
かなり良いペースで、作業が進行しています。
沢山の皆様から、データベースに成り得る有益な報告を戴きまして、
ありがとうございました。
残念ながら、自我復元が、先に進むほどに、
変化した物事の内容の説明が濃密で、
時には、非常に複雑なものになりますので、それらを公開は出来ませんが、
復元の途中で、各自我率を通過する時に生ずる変化と、その対処については、
個別に、アドバイスをさせて戴いております。
__________________________
当掲示板の過去ログの読み方
■最近、新しく無明庵サイト、または、当掲示板に来た方の為に、
過去ログの見方を簡単に説明しておきます。
この掲示板を一番下までスクロールすると、左下に、
「もっと前の投稿」のいうのが、あります。
それをクリックすると、前の10投稿が表示されるとともに、
「上部に、検索用のツール」が出てきます。
ここのチェックボタンを、
「1ページの表示件数」を20にしたり、または、その他のボタンを
読みたいものに応じて、設定してください。
■ここ最近の「梅の間」の数個の投稿は、
そのまま、書籍にしても良いぐらいの、濃密な内容ですので、
読み流さずに、幾度も読んでください。
■皆さんが利用している、携帯電話のメールや、ツイッターや、
単なる日記的なブログのような、
「どうでもいいようなこと」を、ポツリポツリ、あるいは、
ダラダラと書き連ねるということは、
最近の「梅の間」では、極端に減らしています。
私の個人的な雑話の部分以外は、
すべて、「書籍」としての価値を持つぐらいの内容となっていますので、
充分過ぎるぐらいに、反芻するよう、お読みください。
*******************************************************
>2/16-6:05 文頭に、適当に、いくつか追稿しました。
>2/13-19:40 文末に「ちびまる子ちゃんのアニメに見る分割自我」
>についての文を追加しました。
>2/13-7:20 文頭に、内容を追加しました。
>2/12-23:00 文末に、内容を更新しました。
____________________________________________________________
2月以後から自我判定を受けた方へ
■私からの質問があります。
2月から、昨年とは全く違う「新方式」で、判定を再開しましたが、
2月以後に、判定を受けられた方だけに、質問があります。
判定を申し込まれたその日から、約4日以内に、
身体に「何かの感覚があった場合」には、「感想送信」用のアドレスに
メールを下さい。
原理から推定すれば、「全く何も感じなかった」はずです。
前回、昨年の方法(私がダウンした旧式のやり方)では、
全体の約20%の人に、
脳内に何かが拡張する感覚と、胸に熱を感じた、という報告が頻発したのですが、
今回は、どうだったのかデータを取ってみたいと思いました。
ただし、既に言いましたように、今回の新方式は「原理的には」、
「全く何も感じない」と私は推測しています。
なお、「何も感じなかった」といった御報告は、しないで下さい(笑)。
_____________________________________________________________
医療関係の職業の方への質問
■読者の方の中に、何名か、医師・医療が本職の方がいらっしゃるので、
お聞きしたいことがあります。
私の個人的かつ主観的な経験ですが、
私個人の瞑想状態に「影響を与える薬品」と、そうでない薬品があります。
影響を与える薬品は、局所麻酔と、漢方薬全般です。
一方で、妙なことに、抗菌目的の抗生物質は、
なぜか、それほど影響しません。
対象としているものが、抗菌か、脳神経かという薬品分類の違いかも
しれませんが、私は専門ではないので分かりません。
そこで、お聞きしたいのは、影響したりしないのは、
どうしてかということです。
ただし、ここで定義が必要になるのは、瞑想ということの定義です。
たとえば、単に神経を使う細かい作業は、漢方薬や麻酔によって、
それほど損なわれることはありませんが、
思考、特に、イメージや記憶の再生を形成する際に、
麻酔薬と、漢方薬は、私の能力をそぎます。
■余談ですが、
外部的な原因によって、自我判定を全く出来なくなったことが、ありました。
それは、歯科の局所麻酔を受けたときです。
その後、最低でも、4時間は、自我判定が、全く不可能になりました。
麻酔を受けているのは、歯茎だけのはずですので、そんなわけはあるまいと、
いろいろと、局所麻酔の主成分の性質なども調べたのですが、
特に脳に対する副作用があるようには書いてありませんでした。
しかし、信じられないほど、全くイメージの焦点が合わず、
この時だけは、私は、希釈自我の人たちが、どんな状態で生きて、
世の中を見て、どのように思考しているのかを、
生まれて初めて経験した気がしました。
ざっくり言いますと、注意力が、頻繁に飛びます。
ひとつのことに全く集中できずに、気がついたら、
その時の記憶が空白になっているか、
または、関係ないことを思考しています。
こういう経験は、私の人生ではほとんどありませんので、
やや新鮮な経験でした。
ただし、これは、自我判定のような、
非常に繊細な作業をしてみて、初めて分かったもので、
普通の、「習慣的な生活動作や、行動」をする分には、
全く何も問題にはならないと思います。
強いて言いますと、受験生の人や、面接試験を受ける人たちは、
試験当日には、漢方薬の服用と、麻酔は受けないほうがいいのでは、
と思ってしまいました。
●さて、局所麻酔に、そのような影響力があるとは、思えないのですが、
その点についての、見解を分かる方がいましたら、
感想用のメールアドレスにお願いします。
なお、漢方薬は、そこまでではありませんが、やや影響します。
そして、最も私が不思議だったのは、
抗生物質は、ほとんど何も影響しません。
抗生物質が、なぜ脳を使う作業には、ほとんど影響しないのか、私には
不思議なものですから、説明を聞いてみたいと思った次第です。
ちなみに、最近、歯の治療で飲んだ抗生物質は、
最初は、よく処方される「トミロン」、その次に、トミロンをやめてから、
「ジスロマック」という、けっこう強い薬です。
言うまでもなく、1時間半後に、下痢しました。
なお、素人ですので、
説明は分かりやすく、お願いできればと思います。
>この質問に関しましては、既に、ご回答を戴きました。
>ご回答を戴きました方には、お礼申し上げます。
>結論を言いますと、
>「麻酔」「向精神薬」などの神経系薬品については、影響あり。
>抗菌を目的とする「抗生物質」については、影響なし。
>漢方薬については、
>種類、症状、個人差による複雑な要素があるために、
>脳への影響の有無は「不明」となります。
スタートが困難な人たち
●世の中には、自我復元のような、これほどにまで、オープンに
されている方法ですら、出来ない人、またはやっているつもりの人、
今は、まだやらない方がいい人というのが存在します。
ただしそれは自我の希釈率には関係ありません。
1/8自我あたりから、立派にスタートできている人もいます。
一方では、1/4自我よりも上にあっても、スタートできない人がいます。
●まず、非常にスタートを切りにくいのは、合法、非合法に限らず、
薬物使用の人です。
これは、やめたとしても、その後遺症をどのぐらいの期間引きずるかは
個人差がありますので、何年とはいえません。
人によってはその後遺症(心理的後遺症も含む)を抜けていて、
数年後には、もう大丈夫な人と、
人によっては、まだ駄目な人がいます。
まず、このタイプの人は、復元は、相当にスタートしにくいはずです。
■薬の服用の是非について、異論のある方は、
何も無明庵でなくとも、ごく普通の街中の、
あなたに、とっても優しくしてくれる、チャラチャラした「瞑想教室」
でさえも、そのほとんどが、
>「抗うつ剤や向精神薬を処方されている方は、お断りします。
>「精神科にかかっている方はお断りします」
>「●●病と診断された方は、お断りします」
とか、
>ヒーリングは、医療行為ではありません。
>疾患がある場合には、必ず医師と相談の上、
>お申込みいただきますようお願い申し上げます。
とか、
>セラピー、ヒーリングは、医療行為ではございません。
>また過去に精神分裂症(統合失調症)など精神疾患の診断を
>受けたことのある方、または現在、精神科に通院され治療中の方で、
>精神疾患の告知、診断を受けている方、アルコール依存症、
>てんかんの方のお申し込みはできませんのでご了承ください。
と、明記されていたり、事前に説明をしています。
何もそれは無明庵に限ったことではないという「現実」を認識すべきです。
また、もしも、そのような注意書きのない瞑想団体や教室があったとしたら、
よっぽどの馬鹿者の団体です。
__________________
●その次は、精神的に問題がありすぎる人。
私は、禅書を受付け始めてからは、
黙ってこの1年半ほど、いろいろな人たちからのメールに、
ある意味では、昔の無明庵(2008年以前)では、考えられないほどに、
無分別に応対してきました。
以前の、有料購読の時の無明庵でしたら、最初の一回目のメールで
受信拒否にされたような人たちのメールにも、この数年だけは、
あえて、「現状調査」の為に、扉を少し開いてみました。
そして以前でしたら、即刻アウトになる人たちとも、
「禅書」という、敷居を極端に下げた中で、交流を持ってみまして、
しばらく、いろいろな人たちのメールにおける、ふるまいや、
その様子を観察していました。
というのも、「禅書」は、アートですから、誰にも隔てなく、
私の筆が、その文字を自然に書けるかぎりにおいては、
書の制作はしてきましたし、その感想メールも、受止めてきました。
なぜならば、禅書と、無無心の書は、
私にとっては、精神世界ではないからです。
●一方で、こと、自我復元法に関しては、
死人禅や悟りに向かうメソッドとは異なって、
これこそ、どんな希釈率の底辺にいる人にとっても、
優先課題であることは間違いないのですが、
ただし、ここのところ、数件、
私の中に「判定行為が、自然に起きない人」というのがいました。
おそらく、その人たちというのは、時期をずらして、
数ヶ月後ないしは、数年後に、ずれたときに、
なんとか復元法を出来るようになるのかもしれませんので、
むろん、切り捨てるつもりはありませんが、
ただし、自我復元に限らずとも、
ジョギングやダイエットであってさえ、どんなことであれ、
それを「スタートする、モチベーションが煮詰まる時期や、チャンス」、
といったものがあるものです。
従って、ごく一部ですが、
一般的な、他の「梅の間の多くの実習者の人たち」のように、
すぐに始められる、というのとは、違うタイプの人も、いるようです。
■また、いくら本人が、
「やっています」「最優先します」「そのつもりです」といっても、
報告などが全く何もない、送信する意味もないような、
短文のつまらないメールが来たりします。
しかし、このプロジェクトにおいては、
「判定依頼」の時、またはそれ以外の時に提出される、
「変化した内容の、具体的かつ明晰な、報告書」だけが、
すべてを物語りますし、
このプロジェクトにおいては、それ以外のものに価値はありません。
それは、調査している私にとって価値がないというだけではなく、
何よりも、それは、
やっている「皆さん自身にとって」、
結果が出るかどうか、それ以外のものは、何も価値がないのです。
■ですから、その報告内容にすら、
本人が、今の段階では、
気づく可能性もないほどに、無自覚的な問題がありすぎる人や、
または、
私にも理由は分かりませんが、自我判定のスイッチが起動しない場合には、
私は判定をお断りしますし、
また、今の時点では、復元作業や、自我判定そのものを奨励しないことも、
「稀に」ですが、あります。
いずれにしても、皆さんの目的とすべきことは、
無明庵サイトや、あるいは私にしがみつくことではなくて、
>貴方自身の自我に、今度こそ、しがみつくことです。
>今度こそ、あなたの周囲の他人に妥協して、それを手放したりしないように。
■かつて、和尚がこんなことを言いました。(意訳であるが)
「偽善的な愛よりも、本物の憎しみの方が、はるかに美しい。
なぜならば、
少なくとも、それは、嘘っぱちではなく、本物だからだ。」
それと同じように、中途半端な、瞑想やリラックスよりも、
正真正銘の、本物の「緊張」と「ストレス」と「自虐性」の方が、
遥かにマシである。
●希釈自我というものだけは、絶対に許せない「大間違い」であるが、
ただし、原型であった「自我それ自体」は、どこも間違ってはいない。
また悟りも自我も、双方ともに、それ自体は、どこも間違ってはいない。
ただし、それが、「全一的」でない「中途半端なもの」であれば、
その、どちらも、間違いである。
否、間違いや正しさ以前に、
それは、とことん「不潔」で「醜い」。
俗っぽい話題ですが、
●一見すると、俗っぽい話題ですが、
実は、けっこう、物事の本質をついている問題について、一つ。
まず、皆さんは、同性から好まれる人間になってください。
女性の場合には、女性たちから好かれる女性になってください。
男性の場合には、男性たちから好かれる男性になってください。
ただし、どちらも、ネットではなく「リアルの世界で」です。
これには明確かつ簡単な理由があります。
●女性が女性たちから好かれる為には、
そこでは「性」という武器は無効になります。
「性」という武器は、鼻の下を長くした男性にしか通用しません。
従って、「性」を武器に出来ない女性同士、
または、それを武器にしたら、対立するであろう女性同士では、
「人間性」だけが武器となりますので、
女性たちから人望を得られない女性は、「人間性が駄目」ということです。
また、性でなくとも、あるいは中高年の女性であっても、
「女性という立場」を悪用しようとするのはアウトです。
●一方で、男性の場合には、
地位や権力や資産や、女性だけに対する優しさといったものは、
これまた、鼻の下を伸ばした女性にしか通用しない武器ですので、
男性同士では、それは通用しませんし、逆に男性からは反感を持たれます。
よっぽど、お馬鹿な政治家のパシリや、権力者や上司に、
ゴマをすっている、お調子者に対してでないかぎりは、通用しません。
なお、上司と部下では、利害関係がからむので、
会社内での人望の有無というのは、あてになりませんのでご注意ください。
従って、男性同士の間では、そうしたものは武器になりませんので、
同じ男性から人望のない男性は、
やはり、人間性が駄目ということになります。
●その点では、昔からよく言われている、「同性たちから好かれる者」は、
ある程度、その人間性を信頼できる、というのは正しい一面があります。
つまり、異性に対してしか通用しないような、
人格や、性格や、外見や、作戦しか、持たないような人は、
「性別を超えた人間同士」という土俵では、
全く使い物にならない、ということです。
●これと同じことは、
「子供に対してしか、通用しない言動をする人格」や、
「自分よりも年下の者にしか通用しない言動をする人格」のケースでも
同じです。
「また、師弟間や、教師と生徒との間でしか通用しない人格」も駄目です。
>ようは、貴方と相手が、
>「何の、心的、物理的な、利害関係も持たない」関係の中で、
>「同年代か、それより上の世代から」の信頼で、なおかつ、
>「同性たちからの信頼」を得られたら、
>まずは、あなたの人生の状態は、悪くはないということです。
私の素朴な疑問
■判定の結果を受け取られました、数名の方から、
「判定結果に納得しました」というメールが来ることがあるのですが、
私は、これには、とても「疑問」を持ってしまいます。
たとえば、私は、「無心の禅書のDVDの10巻」で、ほんの少しだけ、
かなり大雑把すぎる話をしまして、
しかも、今から思えば、雑すぎる分類で、厳密に言うと、正しくない部分もあります。
その後は、梅の間でも、ごくごく「断片」しか書いていません。
たとえば、1/8以下はゾンビかも、とか。
この投稿内で、つい先日、
「船の状態」の喩えと、
ちびまる子のアニメのキャラクターを例として書きましたが、
しかし、あれで、簡単に、自我率の分類や、
パーセントごとの性質分類が出来るほど、単純なものではありません。
そういう点では、判定の自我率の数値に「納得」するという人が、
たまにおられるのですが、
私にはまるっきり理解できません。
「私ですら、毎回、毎回、納得できないで悩む事が多いのに」
納得できる読者の人というのは、「すごいな」と思います。
■私ですら納得できないというのは、
今までに私に送られてきた、その人の文面、
性別、職種、年齢、社会的立場に関係なく、
それらをベースにした、期待や不安を、
「見事に裏切るような判定結果」に、
何度も遭遇するのは私だからです。
文面を裏切るような良い自我率の人もいれば、
文面を裏切るほどの低い自我率の人もいます。
ですから、判定用の文字を書く時には、
私は、その人に関する情報や、先入観を排除しますので、
その人の、今までの言動や社会的立場や年齢は、
特に「初回判定」では、判断のベースにしません。
だものですから、自我判定を受けて、ご自分の結果を見た人が、
「納得」するというのは、まるっきり私には分かりません。
その人たちが、
自我分割率別に割り出された、どのような分類のスケールを、
持っておられるのだろうかと思うと、
逆に私の方が、
「そちら様は、何を理由として、今回の判定の数値に、納得されたのですか?」
とか、聞きたくなってしまうのです。
その人たちは、ひょっとして、
私よりも「各分割率別の、性格や行動特性の詳細」について、
知っている?ということになってしまうからです。
■分割率と言っても、3/4、1/2、1/4、1/8、1/16といった
大雑把なものに関する私の書いたことは、
何ひとつも、皆さんにとっては、正確な自己判断の尺度になりません。
なぜならば、分数の分割率だけですら、現在16種類の分母があります。
たとえば、5/16自我とか、3/11自我、、、その他です。
そしてそのひとつひとつに、法則的に推測できる、
ある性質が割り当てられています。
また、同じ、1/5自我の人や、同じ1/2自我の人でも、
その人たちの性質や、行動特性には、
かなりの違い、またはバリエーションがあります。
たとえば、1/7自我の人が、全員、永沢君みたいであるはずもありません。
特に微妙なのは、もしも12進法の時計の文字盤で言うならば、
5時や7時に位置する人ですし、その他の、
整数分数では割り切れない位置にいる自我も、実に多彩な個性を
持っています。
■そうしたデータが、ようやく最近になって、
ほんの少しずつ、蓄積しつつあるのですが、
それらは、個人的なメールで、必要なアドバイスの一環として、
ごく一部を語ることはあっても、決して、私はそれらを公開しません。
なぜならば、まだ研究段階である、そうしたものを公開すれば、
それは、「自我率のランキング表」として悪用され、
身勝手な「自己診断」に、悪用されるからです。
そんな分類表を見ては、
「あ、私はきっと、5/14自我にきまっている!」とか
そんなことで、簡単に判断できるものではないからです。
■分割自我論というものは、
今まで、生きてきて、貴方が、ずっと続けてきたような、
あなたの、知識欲や、暇つぶしの好奇心を満たすための、
大人のオモチャや、自慰補助製品ではありません。
そうではなく、
あなたに、残された、あとたったの30年から50年という、
わずかな人生の時間を使って、
あなたが、
元の自我に戻れるかどうかという、深刻なテーマなのです。
従って、私は、たとえこの体系の「一部」を構成している、
「分割率ごとの人間の行動特性の詳細なデータ」が得られる日が来たとしても、
それを決して外部には、公開しないつもりです。
■今回、「判定の結果に、納得しました」とメールされた方は、
おそらくは、別に、悪気はなくて、
ご自分が今までに読んだ「無明庵からの情報」を、無意識的に参考にして、
うっかり、
「なんとなく」漠然と、納得されてしまったのだろうと私は思います。
しかし、原則として、皆さんは、
生活の中で具体的な変化があった場合には、そのことには納得して良いですが、
私が弾き出した、自我率に、「納得するバックグラウンド」は、
皆さんの中には、何もないはずなのです。
なにしろ、理論構築と、データ収集をしている私自身が、
まだ納得出来ない点もあり、全容を理解できていないのですから。
■逆に、判定の結果に、「納得できなかった人」がいたとしたら、
その人たちは、判定された自我別の「詳細な分類法」について、
私よりも、よくご存知な人、ということですから、
その人たちは、私よりも、ずっと、分割自我理論に詳しい、
「ものすごい人たちだなー」、とか、私は思ってしまうわけです。
■分割自我について、
とても「正しい喩え」をしてくれた人がいましたので、
ちょっとだけですが、掲載します。
↓
自我を車に例えると、
全自我とは、別にスーパーカーではなくて
ちゃんと「安全に乗れる車」なのではないかと思います。
しかし、ディーラーが、
「すぐに納車できるのは、フロントガラスなしの計器類抜きで、
タイヤが一本欠けてますけど一応走りますから!
その分、値段も四分の一で良いですよ」
で、契約していざ乗ってみたら、
風をもろに受けて、全然スピード出せない。クラッチ入らない。
こんなイメージを持っています。
●まったく、その通りです。
「そんな車」に乗っている人たちが、
「人生は苦だ」とか、
一方では、「人生って、素晴らしいな」とか、
「人生は、あるがままで、楽しめばいいんだ」とか、
「人間にとって一番大切なのは、愛なのさ」とか、
「人生には、瞑想が必要だ」とか
(ハンドルとブレーキなしの瞑想って、「どんだけ」の瞑想なのやら?です)、
「この世は、生きる価値がなくて、くだらない」とか、
「人間って、結局は、この程度で、くだらないもんさ」とか、
あげくに、最悪なのは、
「自分には、悟りしかない」と、言っているのを見ますと、
>「あちゃー」の一言です。
そういうことは、
「正常に走る車」に乗ってから、言ってください。
また、もしも、
「自我と肉体の持つ重要性と希少価値」を理解できずに、
「その車を捨てるのが自分の目的の悟りだ」とか「的外れな事」を
言っているような人は、
ぶっちゃけ、
自殺して早く死んだほうがいい、と私個人は思います。
___________________________________________________________
結果が、1/10自我以下だった方へ
■既に何度か、エールを送っているので、同じ事を言うのは、
これを「最後」にしますが、
希釈率がどうあれ、その位置から、
自我復元を始めるか、始めないかを、貴方自身が決断する、
というだけの事です。
そして、復元が、出来るか出来ないかは、
スタート地点の自我率には、ほとんど関係ありません。
■これだけ言っても、まだ、ふて腐れたり、
落ち込んでいるような暇のある人がいたとしたら、最後に言っておきます。
(無明庵の古くからの読者の人たちには、そういう人はいないと思いますが。)
■自我の分割という不正行為が急激になったのが、(仮にですが)、
西暦の1700年頃と仮定します。
そして、仮に、現在あなたが40歳だったとします。
そうしますと、たとえ貴方が最初は、全自我の状態で生まれても、
西暦1700年の誕生時に、もしも、希釈自我を選んでしまったらば、
これまでの、約270年間の間に、各人生を60歳の長寿まで生きたとしても、
次の転生までの「待機期間」が短かった場合には、
少なくとも、あなたは、「4度」は、
「分割、または、希釈」をされているのです。
実際には、その過去の戦争や病気の多かった時代に、
一回の生を、全部70歳まで生きるのは、難しかったでしょうから、
あなたは、既に、4回以上は、自我の希釈や、
自我のレベルダウンを繰り返したことになります。
そうなれば、1970年ごろに生まれたあなたが、
1/10自我になったとしても、そんなのは「当たり前のこと」です。
■これが、この世界の「地獄絵」であり、
分割自我理論における見解なのですから、
ご自分の、自我の希釈状態を、他と比較して、落胆している暇、
あるいは冷え切った心で、斜に構えて、ヘラヘラ顔をしていたり、
酒を飲んで、気晴らしをしている暇と余裕があったら、
その恨みを、近代の地球という惑星そのもののシステムや、
管理者にでも向けて、そこから、自分だけの力で、這い上がってください。
■ちなみに、私は、この地球上の誰一人からも、恨まれる覚えはありません。
なぜならば、自我の分割をしたのは、高次の管理職の存在であり、
私は、全く私には関係もない「他者」が行なった、
「不祥事と不始末」の、「尻拭い」をしているのみだからです。
また、私は、悟りや意識変容の問題を扱う場合のような、
極度に、人選や論調が、厳しくなるケースとは全く異なり、
こと、この「自我」の問題に関しては、
いかなる差別もせず、どんなに希釈された自我の人に対しても、
この「梅の間の投稿」とDVDで、分け隔てなく、
自我復元法を提供しているつもりだからです。
従って、もしも、「分割自我理論」それ自体が、
あなたにとって、とても「心地悪いもの」であったり、
あなたが今、一生懸命に信じている「信念体系」にとって、
信じられなかったり、全く受け入れられないのであれば、
それは、私にとっては、とても助かりますので、そのように扱ってください。
なぜならば、そうなれば、私は、
自我復元法を実習していて、明確な変化報告をしてくる人たちだけに向き合って、
今よりも、もっと、この実験作業だけに徹底的に集中できるからです。
■もう一度、言いますが、
私が誰に対しても、等しく提供できるのは、自我復元法のみですし、
それ以外のものを、私は人間の「最優先課題」だとは、全く思いません。
それ以外のことについては、カウンセラーや、どこかのワークショップや、
宗教や、瞑想会へでも行って、貴方の相談事や悩みを持ち込んで下さい。
■もしも「分割自我理論」そのものに信頼を置けないのであれば、
それはそれで、私にとっては、大変に、都合のよろしいことですので、
「自我の分割なんか絶対に存在しないのだから、
自分の意志と努力で、
生きたり、あるいは自分の意志で死んだりしてやる」、と、
しっかりと、貴方自身で、「決してブレのない決断と覚悟」を決めて、
以後、二度と、自我判定を無明庵に、頼まないで下さい。
この事(エール)は、メールでも掲示板でも、
これを最後に、これ以上は、二度と再び言いませんので、
これが、私からの「最後の激励」となります。
■■■
「分割自我」と「希釈自我」の違い
■この二つを「混同」している人もいると思うので、定義しておきます。
■分割自我=
二分割、または三分割、その他の整数分割などに、
主体性の器となる自我が分割されること。
・たとえば、全自我の者が、同意の下に、1/2自我や、1/3自我などになる事。
文字通り、「割られる」という雰囲気のもの。
■希釈自我=
主体性の器となる自我が、部分的に「搾取」されること。
・たとえば、全自我の者が、同意の元に、20%自我を奪われること。
この場合、本人は4/5自我となり、
残った部分は、1/5自我として扱われるか、
またはストックされている他の自我原料に合成して販売される。
文字どおり、「薄められる」または「切り取られる」という雰囲気のもの。
転生の主体性それ自体が分割される
■分割自我理論を理解できていないと、過去から言われてきたような、
単純な「転生の概念」に囚われるので注意してください。
多くの人たちが、単純に「漠然と」イメージしていまいがちな、
転生のイメージは、「自主性と記憶を持った主体」が、
肉体という衣服を着替えるように、死後に別の胎児または受精卵に
入り込んで、再び生まれるというイメージです。
■しかし事実はそう単純ではなさそうである事を、私は、
「分割自我復元」のDVDの中で語りました。
もしも、皆さんが、私がDVDの中で言っている、意識というものを
単純に、「転生の主体となるもの」と勘違いしてしまうと、
「意識は主体性を保てるはずだから、
自我が分割されても、主体は、無傷なはずだ」、
という勘違いをしてしまいます。
それゆえに、私はあのDVDの中で、一番最初に、
転生の主体となるものが仮にあるとすると、
俗に「魂」などとも呼ばれることもあるその「核」は、
「意識、自我、記憶」というトライアングルによって形成されている、
という話を、冒頭でしています。
■しかし、この三つが一体となって、主体を構成している、
というふうに理解せずに、
この三つのうちの、意識だけは主体性や意志があり、
その主体性が転生の主体性であると勘違いをしていらした方からの
メールを最近見ました。
しかしその考え方をしてしまうと、
分割自我理論そのものを、誤解してしまうことになります。
そこで、まさか、同じような誤解をしている人が、
ここの梅の間の読者の中にいるとは思えませんが、
念のために、ここに、説明の一部を記しておきます。
■ざっくりと、要点を言うならば、
「分割自我」というのは、新しい「概念の名称」として、
あくまでも、「便宜的に」私がつけたものであり、
実際には、「分割」をされてしまっているのは、自我だけではなく、
「意識、自我、記憶」という、
この三つとも、同時に分割がされてしまう、ということに注意ください。
つまり、正しく言うと、「自我の希釈」とは、
「希釈自我」と同時に「希釈意識」であり「希釈記憶」であるということです。
その基本を分かっていないと、誤解や曲解や、理解不足から、
次のような考え方をしてしまう場合があります。
↓
意識が知覚、転生の主体であるのなら、
自我を分割、希釈して増やして自我の乗り物が増えても、
そこに意識が乗り込まなければ人間は生まれないのであれば、
増えた人口分の意識はどのようにして調達しているのですか?
>回答。
自我と意識と記憶は、
一つのセットとなって、一つの主体性を維持しますので、
その三つも、セットとして分割されます。
たとえば貴方が死んだ場合、
あなたに残ったわずかのアイデンティティーは、
現在の半分以下の自我の中へ、意識も半分に希釈されて、
送り込まれます。
残ったあなたの意識と自我素材と記憶のは、場合によっては、
「他のユーザーに使われるもの」となることもあります。
それらは分割し、あなた以外のユーザーに分配することも可能だからです。
もしも自我が、分割された場合には、
アイデンティティーが自主性を発揮してカバー出来る記憶の範囲も、
そのとたんに「制限」を受けます。
この分割による希釈を、何度も繰り返すと、
どんどんと、僅かな意志決定力しか持たない存在になります。
また記憶などというものも、
あなたは、いくらでも他人のものを使ったり、
他者もまた、あなたの記憶を使うことになります。
自我と意識はセットとして分割されることはわかりました。
しかし、たとえば全自我の人が死んで、その人の意識が自我とともに分割され、
それぞれ半分になったとすると、地上には二名の人間が誕生するわけですが、
元の全自我の意識が選択した1/2自我の人は、
その全自我の転生として理解できるのですが、
もう一人の1/2自我の人は誰が選択できるのかに疑問があります。
地上の人間が死んで、自我と意識が分割され続けるのなら、
常に余剰分の自我と意識ができるわけですから。
外部から選択権を持ったユーザーが入り込まない限り、
それを選択する者はいないのではないかと。
それとも、分割自我を選択するということは、
複数の人間として生まれ変わることになるのでしょうか?
>回答。
転生の「主体」という問題について、ご理解されていないようです。
たとえ肉体を持たない主体の行なう選択であっても、
「選択」というものは、そもそも「記憶」によって形成される、
「一時的な主体」に生じます。
つまり記憶がなければ、固有のアイデンティティーは生じません。
しかも記憶やアイデンティティー(主体という「錯覚感覚」)すらも、
個人の所有物ではなく、複数で共有することが出来ます。
そして、自我を二分割するということは、
意識量の二分割とともに、
アイデンティティーのデータベースとなっている記憶も、分割されます。
記憶の大半は、管理側によって勝手に分類や合成をされることも多くありますし、
主体性を持った者の手で、選択や合成をする場合もあります。
これ故に、DVDで述べたように、一人の人間の生の記憶は、
他人の生の記憶と、「混合」される場合があります。
だからこそ私は、
仮に「今は存在しない、他人の過去の記憶」を持っている人間がいても、
その記憶を持っている人間が、
その記憶の中にある人物の生まれ変わりだとは言えない、と主張します。
しかも、単なる、ちょっとしたテレパシーで読み取っただけであったり、
憑依のようなものに過ぎないものを、転生の証拠だ、とか誤認している
ケースが沢山ありそうです。
●従って、全自我からの、「最初の二分化」では、
たとえば、その者の片割れの分割自我と、半減された意識の乗り物に、
アイデンティティーを形成する記憶として乗るのは、
あなた自身の「断片の記憶」であり、
それもまた、あなたから分離された後に、
「ひとつの主体性」を持ってしまいます。ここが最も重要な点です。
つまり、もしも一度でも、分割自我を選択してしまうと、
その時点で(その直後に)、
主体人格とそれを形成する記憶そのものが二分化されますので、
事実上、それは、あなたの「分身のようなもの」と思って構いません。
ただし、その後は、一回の生を経験したあとには、
「二つの別の人格」となりますので、
「帰還時」には、事実上は、
「全く別の主体性を持った二つの人格=主体」となります。
どちらが本当の主体であるか、ということは、
この時点で、なくなってしまいます。
また、その二つの人格は、もうその時点では、
お互いが元は「同じものの断片であったこと」は、
全く「認識」できなくなり、
すでに事実上も、もはや同じ断片ではありません。
●この希釈状態について、「極端に分かりやすい話」をしますと、
もしも、二分割されたあなたが、
死後に、受付の「待合室」にいるときに、
あなたの片割れだった者が、同じベンチのあなたの隣に座っていても、
あなたも相手も、お互いに、自分の分身とは思わず、
相手を自分とは無縁の「他人」だと思うということです。
これが何度も繰り返されるために、
時には「魂」とも呼ばれることのある、「転生の主体そのもの」が、
「量産」または「増産」されるということです。
>つまり「主体性など、そんな程度のものである」ということです。
この様子は、地球上でたまに見られる「多重人格」と「似て」いますが、
(あくまでも「比喩」であり、多重人格者の中に複数の意識や自我がある、
ということではありません)
多重人格の場合には、
ひとつの肉体に異なる人格が去来したり、共存していますが、
それが、物理的にも異なる、複数の「別の肉体」に散らばるのと似ています。
希釈自我を選択した直後で、すでに別の主体として分れると言うことだったわけですね。
記憶は様々に操作される代物のようですが、その記憶が主体性にとっても
重要なものであるとわかりました。
>補足回答。
おそらくは、そちらの場合には、古典的な昔の概念のように、
転生の「主体」というものを、
ずっと変わらず「単一の自己同一性」を持ったものであり、
その背景となる記憶も、保存されているはず、
と誤解されていたのではないかと思われます。
幽霊や悪霊ほどには、ひどくはありませんが、分離されたものが、
「それ自体の意志と主体性」を別者として持ってしまうのは、
非物質世界の常であるようです。
その点で、既に説明をしましたように、
分割自我というものは、どこか、多重人格の状態にも似ております。
しかも、精神医学で言うところの、「主人格」が、
分割後には、存在しなくなってしまうのが、希釈自我の特徴です。
なお「記憶」の調達は、分身化した対象からではなく、
復元されてゆく自我の体積と意識の容量に伴って、
「現在の環境の中」から調達されるものが多くあります。
アカシックレコードや、死んだ他者や、生きている者から
自分の失われた記憶を補充するいうようなものではありません。
【補 足】
しかし実際には、我々が「意識、自我、記憶」と認識しているものすらも、
こういう言い方が許されるならば、
「次元の異なる複層」に、またがっているために、
本当の意味での「主体とは何かという定義」は「もっと複雑」です。
もしも、神秘学や、オカルト用語をあえて「乱用」するならば、
エーテル層の記憶と、アストラル層の記憶と、メンタル層の記憶、
スピリチュアル層、コズミック層、ニルヴァーナ層などは、
記憶の記録媒体が異なり、
自我の性質や、意識がカバーし得る範囲も違う、ということです。
●私が、分割自我理論で展開している「自我」という概念は、
あくまでも「地球の人間」が構造的に持つ「自我」の話であることは、
常に、充分に留意していてください。
すなわち、
我々が、この地球にいて「この知覚世界の中」にいる以上は、
「地球での自我」と、「分割自我」という難病の問題しか、
皆さんにとっては、差し迫った問題ではありません。
もしも、地球の人間とは違う、
「他の構造を持つ、自我や、記憶や、意識状態」を経験したいのであれば、
まずは、ここから出て、「地球人をやめてから」
そのあとで、お好きなように、経験してください。
___________________________
現在の問題点
■いくつかありますが、まず、
問題点1-
復元を延べ日数にして、かなりやっていると自己申告している人の中で、
まったく復元されていない人がいること。
原因は、復元作業を「していない」か、
あるいは、イメージ不足などによって復元作業そのものがされていない。
ただしこれは希釈率にあまり大きな関係はない。
例えば、1/7自我か1/6自我の人であっても、復元の結果を出していると
思わしき人も何人もいるからである。
また、一方で、5/6自我あたりであるのに、
ほとんど全く復元できていない人もいる。
つまり、スタート地点の自我率にあまり関係なく、
出来ない人、または、「やっていない人」がいるようである。
問題点2-
復元作業中に起きる眠気。
これは、多かれ少なかれ、眠気を生ずるのはしかたない事である。
それは、自我復元がアクセスしようとしている世界が、
「どのような領域」なのであるかを、きちんと把握していれば、
それは、顕在意識とは完全にズレた領域なのであるから、
たまに眠気を伴うことがある理由は、簡単に理解できるはずである。
ただし、もしも、他の瞑想ごっこや、何かのイメージ法や、
勝手に頭の中で、何かを夢想する事は出来る人なのに、
(たとえば、エロい夢想はいくらでも出来るのに、ちゃんとしたイメージ
となると出来ないという変な人が)、出来ないという場合には、
イメージや雑念が、本人がコントロール出来ずに、
勝手に沸いてしまうことは頻繁にあるのに、
「自分から意識的にイメージする」という事自体が出来ない人とも思われる。
このケースで、復元法をやっている時に眠気を生じてしまう人の場合には、
復元は上手くいっていません。
問題点3-
自我率を検出する時の、微妙なゆらぎ。
これは判定をする側の私の問題と改善課題であるが、
以前にも書いたように、判定時に、ターゲットの自我の外郭が、
振動しているために、判定にズレが起きる可能性がある。
これは今のところ、どうにも改善できませんし、
また、その振動の影響を、現在の私の「判定法」が受けているのか、
それとも、影響を受けていないのかすら、まだ分かりません。
この、判定時にターゲットの自我の外郭が振動、つまり揺れているために、
現時点で、もしも判定結果に誤差があるとなると、
その誤差は最大で約5%生ずる「可能性」があります。
(この最大誤差が、3%なのか5%なのかは、まだ、はっきりとは分かりません)
私は常に、1%単位での、厳密な自我率を割り出しているつもりですが、
もしも、自我の外郭の伸び縮み運動による誤差がある場合には、
約5%ほど、判定結果にズレが起きる可能性があります。
(あくまでも「可能性」です)
■したがって、もしも、私の判定結果に「ご不満のある方」、
つまり、「自分の自我率は、そんなに低いはずかない!」とか、
思っていらっしゃる方が、もしもいらっしゃるのでしたら
(そのような方は、いませんが)、
もしも、「どうしてもそんな結果は、嫌だ!」と言うのでしたら、
「最大で5%まで」を加算した自我率を、あなたの自我率として修正して
構いません。
もっとも、この逆パターンの「謙虚な人」は、絶対にいないでしょうが。
(つまり「いや、私の自我は、そんなに高くないはずだ!」と言い張る人。)
ただし、何度も言いますが、私がこの約5%の誤認をしているかどうかは
「分かりません」。
また、仮に5%の誤差が生じたとしても、例えば、私が、
自我率1/2の人を、自我率1/6と誤認するとか、そういう事はありません。
希釈率の分数の「分母」が大きくなりますと、
分母の整数上では、1か2ほどの誤差がある「可能性」があるということです。
分かりやすくいいますと、自我率15%を、自我率20%と誤認する事が、
「あり得るかもしれない」、ということです。
もしも誤差があったと「仮定」した場合の「最大誤差の分かりやすい例」は、
1/5自我を1/4自我と誤認する、というケースです。
(1/5=20%、1/4=25%)
さらに、たとえば、自我率が、低くなってゆくと、
1/9自我や、1/10自我や、1/11自我などは、ほとんど1%しか変わらないので、
誤差はあり得るということです。
たとえば、「一例」ですが、
判定結果が、1/12自我(8.3%)だった人の場合、
「最大に」誤差を修正したければ、
2/15自我(13.3%)まで引き上げて良い「かも」しれないということです。
また、1/10自我と判定の出た人が、ご自身のことを、
「いや、私は、1/7自我ぐらいはあるはずだ!」と思いたければ、
お好きなように、そう思っても別にかまいませんが、
ただし、逆に言うと、もしも、私が判定した自我率が、
たまたま、その人の意識状態が、最も不活性で、低い時の自我率を、
判定時に検出した、と「仮定」すると、
原則的には、現在、皆さんに出した判定結果を「ボトムラインの基準」
とした方が、
ご自身を、必要以上に、買いかぶらずに済む、とは思います。
■たとえ自我の外郭が振動していても、その「平均体積」を捉える、
という検出法は、昨年から今年の初めに、さんざんにやりましたので、
そうそう誤認することはないと、自分では思っています。
もしも、これを検証しようとすると、
一人の人間の自我判定を、数時間か、一日おきに、何度も何度も行なって、
もしも、その時の判定に、最大で5%の誤差が出る結果となった場合に、
それらの「平均値を割り出す」という方法になりますので、
いつか、もっと私に体力があるときに、試してみる予定です。
■しかし、もしも、それでも、なお誤差が出る場合には、
現在の「分割自我理論」を一部、訂正する必要が出てきます。
つまり、現在の私の分割自我理論では、2%ズレたらば、
その人の理解力の変化や、対外的な対人関係や、
「金運」にすら、差が生まれるといった具合に、
「自我率のエリア」が、厳密に「細かすぎる」ぐらいに分けられています。
しかし、これが、もしも一人の人間の自我体積が、
微妙に5%もの伸縮をしているとなると、
(ただし、5%もの伸縮はしていないと私は観察していますが)、
ある希釈率の範囲で、「群れる人」、「理解できる物事の範囲」、
「自覚出来る範囲」、そして「関係を持つ事の出来る他人」といったもの、
つまり、【自我エリアの区画】は、
もう少しだけ広い「幅」を持つ、ということになってきます。
そうなると、自我判定の時に、
「あなたのMAXは、1/8自我で、MINは、1/10です」とか、
どえらい、面倒で複雑な判定をしなくてはならなくなってきます。
あくまでも、まだ仮説ですが。
これだから、ジャングルみたいな未知の分野というのは、
行く先々に、分からないことに、いちいちぶつかり、毎回、苦労します。
___________
朝の回収は大切にして下さい
●復元が上手く言っている感じがしないという方も、
そうでない方も、皆さん全員への助言です。
●日中や夜に、儀式を「通しで、回収までやった場合」であれ、
「呼びかけ」だけで眠った場合であれ、どちらの場合であっても、
朝の回収だけは、たとえ短い時間でも、必ず行なって下さい。
なぜならば、仮に日中または夜に、「通し」で儀式を全部やっても、
重要な作業は、「睡眠中」に行なわれるというのは、DVDで説明したとおりです。
その点は、変わりません。
ですから、朝の回収は、起きた直後に、
数分であっても、必ず行なうほうが、復元率は上がることは間違いないです。
■ただし、むろん、呼びかけも重要です。
復元が、うまく行かないよう感じている人は、よく考えてください。
私達がやろうとしている事は、
ほとんど、OOBE(体外離脱)に「似た事」を、やってのけようとしているのです。
OOBEをするのに、お題目でも唱えるように、あるいは、
「修業するぞ」とか1万回言うような、馬鹿なカルト教団みたいなことで
済むと思いますか?
あるいは、ハートに瞑想してオープンになるんだとか、
目的を持たず、あるがままでいいんだ、とか、
そんなことで済むと思いますか?
OOBEで最も重要なのは、意識を失わずに、意識の進路を決めて、
決めた進路どおりに行くという意志の力です。
ただし、むろん、自我復元法は、OOBEではありません。
ですから、自我復元では、自称「OOBEが出来る」という読者の人が、
「全く復元ができていないケース」も、いくつか見ました。
■一般的に言われるOOBE体験や、その内容に、
私は信頼を、あまりおいていませんし、
自我復元は、もっと単純に、
昼間や寝る前に「仕込んだ内容」を、
睡眠中に、自動的に、起動させようとする方法です。
なにしろ「皆さんが、相手にするのは、普通の生の世界ではない」のですから。
■そして、最近、分かってきたことは、
普通の人間同士の世界で、最低限のコミュニケーション能力もない、
というタイプの人は、
「向こう側の世界」でも、コミュニケーションを取れないということです。
復元作業に、極端な個人差があるのは、これを原因としているのではないかと、
ここ最近、感じはじめました。
もっと正しく言いますと、コミュニケーション能力などという
そんな表面的なものではなく、
他者との最低限度の「ラポール」を形成できる資質を持っていない人は、
回収以前の作業が、そもそも出来ていないと思われます。
最近、そういう事例を何人も見ましたので。
_________
自我の外郭は伸縮している?
●いろいろと試して、考えているのですが、
やはり、振動していると見なすと、とても分かりやすい事がいくつかあります。
ただし、伸縮率が、何パーセントかはまだ分かりません。
例えば、一例にすぎませんが、
ある人の「最大自我率が、1/6自我」で、
「最低自我率が1/8」だったとします。
もしこの人が女性だった場合、そして結婚した場合、
この女性が、最大自我率の時に選んだ、結婚相手であれば、
その女性は、結婚してから、それまでよりも良く変わるわけですが、
もしも、この女性が、最低自我率のときに選んだ相手であれば、
その女性は、結婚によって、相手に足をひっぱられて、人生が転落します。
これは立場が男女逆になっても同じです。
●つまり、よく世間では、結婚を機にして、好転するケースと
悪化するケースがありますし、
また、結婚だけではなく、
「就職、転職」、あるいは「重要な決定をするとき」に、
そこから、その人が、悪化するか、良好になるかという、
二つのケースがあります。
一般的には、こうした、俗に言う「運気のリズム」というものは、
占い師などが、その読み取りを受け持っていて、
たとえば、ホロスコープや、各種の占術や、バイオリズムによって、
相談者にとっての「良い時期と悪い時期」を計算するようです。
しかし、
「分割自我理論」では、その人の意識の状態によって、
自我の外郭の皮膜が「伸縮振動」をするために、
隣接する「前後の自我率の領域」を、その人が移動しており、その結果、
周囲との関係性や、その人の判断力が、ある範囲内で変化し続けている、
という仮説を立てています。
●むろん、人間の自我というものは、
各自にとっての「平均的な大きさ」(自我率)は、ほぼ決まっています。
ただし、その内部の「内圧の意識」が外界に抵抗して作り出す葛藤や反発力によって、
時には、ゆっくりとした周期か、または速い周期で、
「伸縮するように振動」している、とすると、
その伸縮振動を原因とするような、その人にとっての、
ベストコンディションと、
ワーストコンディションというものが出てきます。
そして、自我が縮んだ時と、拡大した時の、
そのどちらの自我の状態で、「物事を選んだか」「判断したか」ということが、
その人の、その後を決定するとします。
●すると、その人の自我のボトムのライン、つまり最低自我率の時は、
その人が、「どういうトラブルに巻き込まれやすいか」の特性を持つ、
自我率の数値を表します。
たとえば、抗うつ剤に手を出さなくても、自分を維持できるはずの、
1/6自我を持つはずの人が、ボトムにまでダウンして、
最低自我率が、1/7自我などに落ちたときには、
うっかり、薬に手を出してしまうということが起きるわけです。
一方で、最高自我率は、
その人がどういう面でその人の長所や自主性を生かせるか、
ということを表す自我率の数値になります。
●このせいか、
私は、時々、こんなことを皆さんを見ていて思いました。
「この人は、自我率は、1/7のはずなのに、
どうして、まるで1/8のようなことを言うのだろう。
この人は、自我率は、1/7だったが、
今は、少し冷静になっているようで、まるで1/6ぐらいに見える」
●つまり、自我率は、実際には、やはり、5%まではいかなくとも、
僅かに、数パーセント、上下運動をしつつ、
その人の平均的な自我率というのがあると思ったほうが、
いろいろな現象に、整合性が見えてくるのです。
たとえば、どうして特定の自我率の人が、
その人から、出てくる、判断力や、表現に、
自我率の分母がひとつ違うぐらいの差が、出ることがあるのか、
ということの根拠としてです。
●この自我率が、とても分かりにくいという現象は、
私が、皆さんの自我判定をやっていて、何度も今までに遭遇しました。
振幅が少なく、形が安定している人の場合には、
非常に、すんなりと、自我率が分かるケースも多くあるのですが、
「無自覚的に、ストレスや激しい葛藤を持つ人」の場合には、
揺れが大きく、自我の外郭が、とても不安定で、
判定が難しいケースがあります。
●それで、私は、その揺れる自我の映像の中から、
一瞬のシーンだけを写真を撮るように、
ある瞬間を切り取って、それを元にして判定をしていますので、
その人から切り取られたその瞬間が、「伸縮振動」をしている時の、
「どの瞬間のものか」ということは、私が選ぶことは困難なのです。
この、写真機のシャッターを切るように、私が、ある一瞬を切り取るせいで、
たとえば「23.8%」といった、「奇妙な端数の小数点以下の数字」が、
自我判定の時に出るのかもしれません。
●しかし、だからといって、もしも、正確な平均値を出すために、
一人あたり、10回とかの判定をして、
その平均値を割り出さないとならないのでしたら、
一人の自我判定にかかる時間は、現在の1時間弱から、
その約5倍から10倍の時間になってしまい、
とても現在の料金では出来なくなりますし、
もしも、そんな事になったら、私は自我判定自体をやめます。
とてもではないですが、
たった一人の判定に10回ものリーディングを繰り返すことは、
体力的に不可能です。
時間にして、最低でも、5時間以上は、かかってしまいますから。
●ですから、私がターゲットの人の自我の状態を、
「切り取って読み取った瞬間が、どの瞬間だったか?という差」によって、
せいぜい、3%ぐらいの誤差しかないのであれば、
たとえ、42.3%といった、「細かい端数」が自我率のパーセントに出ても、
今後も、あくまでも、現在の判定法を続けるつもりです。
_______________________
■最後に、料金を加算してくれた皆さま、ありがとうございました。
■また、判定についての感想や、
このプロジェクトに対する応援のメールを沢山戴きまして、
ありがとうございました。
_______________________
ちびまる子ちゃんの登場人物に見る、自我の分割率を、
大真面目に論じてみると、こうなります。
(注・ただしモデルとなった実在の人物ではなく、
あくまでも、アニメの中で設定されて、描かれているキャラクターから
「推測」した場合に過ぎません。)
なお、これは、「単なる参考」なので、
本気になって、ご自分のことを、アニメのキャラと比較するようなことは、
お控えください。
この推定の遊びは、あくまでもアニメの中の「純朴な子供の世界」
における微妙な自我率の参考ですから。
これが大人の世界になったら、もっと複雑かつ、醜悪な側面も出てきます。
*********
さくらももこ(まる子)=5/8
ももこの友達:穂波たまえ(たまちゃん)=1/2
ももこの父:さくらヒロシ=1/3
ももこの母:さくらすみれ=5/8
ももこの姉:さくらさきこ=3/4
ももこの祖父:さくら友蔵=1/2
ももこの祖母:さくらこたけ=1/2
ももこの担任の先生:戸川秀之=1/2
花輪和彦=7/8
野口笑子=3/8
永沢君男=1/7
藤木茂=1/6
みぎわ花子=1/6
山田笑太=7/8
穂波真太郎(たまえの父)=1/4
丸尾スエオ=1/4
長山おさむ=3/4?
■特筆事項
このアニメの面白い点は、主人公の自我率が高すぎずに、
適度なポジションにいることによる。
つまり、他を圧倒していないことによって、
さまざまな人間関係が描かれていること。
それが、主人公の自我率が他を圧倒してしまうタイプの
ヒーローもののアニメにはない、独特の味を出している。
さて、自我率から見ると、
主人公のまる子は、母親と野口さんと気が合う事になる。
柔和なキャラには、1/2が多い。
たまちゃん、担任の教師、ともぞう、おばあちゃん。
意外に見えるだろうが、
実は、山田君は、花輪君と並ぶほどの高い自我率である。
特筆すべきことは、藤木君をパシリにしている永沢君は、
実は、藤木君よりも下の自我率。
自我率の低い者がその上の自我率の人間の足をひっぱる事は、
現実世界にもよくあります。
その藤木君は、みぎわさんと同じレベルの自我率。
ガチガチの丸尾君は、同じ自我率の、
たまちゃんの父親と気が合う可能性がある。
________________________________________
以下は、自我率不明
浜崎のりたか(はまじ)=不明
富田太郎(ブー太郎)=不明
関口しんじ
冬田みすず
笹山かず子
ケンタ
前田ひろみ
土橋(つちはし)とし子
城ヶ崎姫子
山根つよし
小杉ふとし
大野けんいち
杉山さとし
その他多すぎて、わかりません。
キャラクターの設定については、↓
Wikiで【ちびまる子ちゃんの登場人物】で検索ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A1%E3%81%B3%E3%81%BE%E3%82%8B%E5%AD%90%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%AE%E7%99%BB%E5%A0%B4%E4%BA%BA%E7%89%A9
__________________________________________________
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