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「性と死のホームページ」 http://www.mumyouan.com/
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●梅の間へようこそ●
掲示板
Title
助っ人リンク
2007年3月までは
「虹のオーガズム」と「性のレシピ」
の
読者専用の質疑応答用の掲示板でしたが、
2009年7月より禅書道日記に変更。
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[1601]
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●無明庵日記「猫の足跡=その337=」元も子もない話・その2
by:
鈴木崩残
2011/09/10(Sat)06:43:07
>9/15−7:00「桜の間」更新しました。
↓
http://www.mumyouan.com/k/sakuranoma.html
_______________________________
「真実」によって、
どれだけ、もがき、苦しみ、狂い、
その果てに、死んでもいいと、覚悟の出来た者だけに、
「真実」は与えられる。
従って、誰かが、苦しまないようにと配慮された言葉は、
それがどれほど安心できる言葉であっても、
虚構と嘘でしかないのだが、多くの人々は「真実」を知りたがらない。
その理由は、こうだ。
「それでは、この先、とても生きてゆけないから・・・」
ならば、問うが、
「この先、もう生きないでも良い」という事を証明出来るほどの正当な理由を
なぜ、自らの魂の根底から欲しないのだ?
これが宇宙に存在する、知的生命体に共通する「知性の末路」である。
とりわけ、その真実の中でも「最大級の真実」とは、
「この宇宙は、存在しなくても良い」という事実である。
何かが存在してしまうと、
いつの間にか、それが存在することは当たり前のことであると
思い込む悪癖が生物の中には存在する。
それがあることが当たり前であると思い始めたときから、
「どうしてそれが存在するのかを問う」ことを止めてしまう。
その結果、知性の中に生ずる最大の劣化は、
次のようなものである。
「君は生きていていいんだよ」、と擁護してくれるもの。
「君は生きていて価値があるんだよ」、と擁護してくれるもの。
「君が生きていることには目的があるんだよ」、と擁護してくれるもの。
この三つには、人々は、いとも簡単に洗脳されてしまい、
この三つには、感情的または感傷的に同調してしまい、
この三つを、人々の鼻の先にぶら下げれば、
ほぼ99%の者が、安心をしてしまうというのが事実である。
●ところが、私の知る限り、
前述の「慰め」を乱用する者たちを、
「存在価値を捏造する一派とすると、
それとは真逆に、「この宇宙は存在する価値がない」という
仮説の元に、論を進める一派が、宇宙には存在する。
私は後者の人達の中で、本当に長い時間と生命経験を過ごしてきた。
なぜならば、宇宙であれ、生命であれ、
そこに価値があると「思い込む自由」があるのと同様に、
「そこに価値が全くないと反証する自由」が、存在するからである。
この片方のみが正しいとされること自体が、思想的差別となり、
知性が持つ本来のバランスを欠く最大の原因である。
●何事でも、一度存在していると、
それが存在することを当たり前に思い込んでしまい、
さらには、それが存在することには「価値があると思い込む悪癖」があるが、
真実を言えば、
この宇宙で客観的に価値があると証明されたものは、ただの一つもなく、
そのほとんどは、価値の証明がなされたのではなく、
「死なないための口実」として、
「後付けの価値観」を捏造したものに過ぎない。
●この問題は既に無明庵から発行されている、いろいろな著書の中でも
明記されていることであるが、
生物の構造の基本が、
「苦痛の信号と、その回避行動を生ずる」ようにプログラムされている
「絶対的な事実」を見る必要がある。
「生命は素晴らしい」と、たいした実感もしていないのに、
貴方が、うっかりと口をすべらせて言う前に、
その生物の「最も基本的な構造」を観察するならば、
それは、原生生物から高度な知性を持つ生命まで、
すべてに渡って、
「飢えを生じ、飢えを回避しようし、一時的に安定して、また飢える」
という「新陳代謝」によって成立していることが判明する。
●ところで、この宇宙に、原生生物や有機体が存在することを
まるで当たり前の事のように思ってしまう悪癖があるが、
そもそも、生物などひとつも存在せず、ただ物理法則によって
鉱物的に存在する宇宙のままでも、宇宙には全く問題はない、
ということも真実のひとつである。
●そうした鉱物の物理的反応だけで成立していて充分であった宇宙に、
微生物から始まり、数々の生物を量産した最大の理由は、
「生存欲」を欲した何者かが、存在したためである。
仮に、事を大きく語れば、これは、宇宙が自殺をしたくなったので、
それを回避する策を練ったということなのであるが、
それに拮抗してみるために、「生存欲」すなわち、
「死にたくない、消えたくない」という思念を発生する生物を量産し、
それを自分で吸収して摂取してみることで、
自らにどのような変化が起きるかを、宇宙自身が試したわけである。
●エネルギーの量そのもので見れば、宇宙で起きている各種の
物理的で莫大な物理的反応の方が、
ちっぽけな生物が発生する熱量よりも大きいのだが、
「生存欲」つまり、裏を返せば「恐怖」というのは、
有機体の中でのみ発生することが出来る、という点から、
この「生存欲生産」という産業は、
「死を恐怖する生物」「生存を死守しようとする生物」を作ることから開始された。
そして、その末路、末期症状が「現在の、この宇宙」である。
●現在の宇宙が存在する前にも、無数の宇宙が存在したが、
今回のこの宇宙は、とりわけ出来が悪い。
ほとんど、ポンコツの失敗作だと断定しても良いほどだ。
おおむね「9の苦痛に1の安心感」この比率を維持させるように設定することが、
生存欲(恐怖)生産の基本となる。
宇宙に点在する惑星や恒星や銀河系上の生物の種類によっても異なるが、
おおよそ、苦痛と快楽の比率は「9:1」である。
生物が知覚する苦痛と安心をその比率にすると、
空腹などの飢えの回避、身体組織の破壊の回避、そうした逃げ回るエネルギーが9生産され、
残った1の安心感を死守するために、これまた苦心工夫する、
という状態に生物を固定出来るからである。
地球に住む多くの人々は、地球以外の世界、
あるいは、この次元以外の次元では、自分たちよりも遥かに苦痛が少なく、
もっと安心できる世界があると「夢想したがる悪癖」を持つが、
残念ながら、いったん地球から出れば、
生物のメンテナンスはある意味では「もっと厄介なものになる」という一面を持つ。
とりわけその中でも、メンテナンスが異常に困難になるのは、自分という個体ばかりか、
自らが観測している宇宙そのものが存在していることに対する、
「意味づけに、日々追われる」ということである。
この世界にいれば、多くの人々は、
能天気な精神世界でも信じていれば、それがどれだけ人類の希望的観測と、
でたらめな妄想が作ったものであれ、
「君は生きていていいんだよ」と擁護してくれるものばかりであるので、
自らの知性と魂を捨ててでも、そうしたものに食らいつく。
その最大の理由は、それは「人を不安にしない嘘」だからである。
■何度も言うように、とりわけ地球に固有の悪癖は、
「不安になる真実よりも、安心できる嘘を信じたがる」という点である。
昨今の原発情報だけに限定すれば、
「安心できる嘘よりも不安になっても真実が知りたい」という傾向はあるが、
これが、こと精神の問題や、宇宙の問題、信念体系(宗教的問題)となると、
からっきし、それまでの懐疑的思考を放棄した思考停止状態となり、
知性がその能力を放棄してしまうのが、
地球の人達によく見られる特徴である。
●しかし宇宙には、宇宙そのものに対して、ずっと懐疑的な知性たちが、
本当に沢山、存在する。
特に懐疑的なのは、
宇宙に、その存在価値があるかないかという点であった。
視点をちっちゃくして、細かい側面だけを見れば、現在の地球のように、
「人類を作物として栽培」し、
そこから別の知性が、彼らの苦痛を和らげるための「薬品を製造する」、
といった、生物に対する虐待や、搾取行為、
または、「その産業は良くないと指摘すること」は可能であるが、
視点を拡大した、大きな視野から見た場合にも、
果たして存在している宇宙がご立派な代物かどうかには、
はなはだ疑問があるのである。
●この宇宙には中心があるのか、または宇宙が終わる果てがあるのか、
という問題については、言うまでもなく、
この現在の宇宙が作られる以前の時代の宇宙のずっと前から、
延々と、幾度となく、無数の知性によって問われていたことであるが、
事実を言うならば、宇宙に中心は存在し、その果ての境界線も存在する。
ただ、問題なのは、その向こう側にも別の宇宙が存在していることである。
時間的にも、空間的にもかなりの宇宙が存在している。
地球の科学者が言っているビッグバン説は、ほぼ完全な誤りである。
なぜならば、それは非常に限定された観測点からのみ観測される宇宙であり、
実際には、そうして拡張している宇宙が無数に「特定の軌道上を運動している」からである。
別の宇宙の場所に立てば、宇宙は拡張ではなく、収縮しているように
観測されても当然の話となる。
そういう抽象的な話はさておいて・・・、
■人間というのは、あるいは「知性を持たされた生物」といった方が正しいが、
そうした生物は、何も「自主的に知性や思考力を持ったわけではなく」、
そもそものその知性そのものが、
「別の目的」を達成するために創作されたものである。
たとえば、一番よく知られたトラップは、
生物というのは、生存と繁殖を繰り返して、ある程度長い時間が経つと、
たいていの場合には、
「そもそも、どうして、生きているんだ」という思考を発生する。
ところがこの疑問は、
ただ一つの答えにしか行き着かないように出来ているのだが、
そのただ一つの真実「以外の答え」に逃げ続けようとして、
多くの思考体は、生きていることの意味や価値を「捏造」し、
「この妄想であれば、長続きしそうだ」というものと手を打つ。
それによって「生存欲」が生産され、生存欲が生産されるということは、
それと対を成す「生存中断への恐怖」が生産される。
かくして、宇宙は現在、かろうじて瀕死の病人のような状態で存在しているが、
その悪あがきが、いつまでも続くという保障はどこにもない。
一方で、唯一存在する、宇宙の存在理由とは、
「存在しているという幻想を、失いたくない」というただの生存意志であり、
どこかの馬鹿な生物たち(たとえば銀河連合)の精神を進化させるために
宇宙は存在しているのではない。
私は長い生の旅の中で、
生物のために存在している宇宙など、一度も見たことはありません。
常に逆である。宇宙が勝手に意図した目的の為に生物は酷使されるのが
常識である。
言い換えれば、宇宙は、死なないためならば、なんでもする、
といった、狂人にも似た状態にある。
ただし、宇宙が「死んではいけない理由」については、
何ひとつも論理的な説明がなされた試しはない。
_____________________________
●以上を要約して言えば、今日の(西暦2011年の時点の)、
地球上の人間というものは、
自分ひとりなど、死んでも全く無価値であることぐらいは、たまに実感するものの、
朝になって目覚めれば、
今日も、とりあえず死なないようにしよう、という動機によって生存を続ける。
自分ひとりが死んでも、全く全体に損傷はないということが分かっている者は、
その次には、それでも国家は大切だから、国の為に自分は死んでもいい、
とか思い込むか、または、そう「思いたがる傾向」がある。
その次には、
人類は、実にちっぽけだが、地球は大切だ、という思想を持つか、
または、厳密に言うと、実感を伴ってその心情を持っているのではなくて、
そのような考えを「持ちたがる」といった方が正確であろう。
そして、その次には、地球など、途方もなく、ちっぽけだと思うに至る者は、
やがては、その認識をごく自然に、当たり前に拡大すれば、
太陽系や銀河系や、小宇宙すらも、所詮は、
あってもなくてもいいほど、ちっぽけなものであると認識するに至る。
ところがそうした彼らでさえも、最後に認識できない「壁」がある。
それは、高次的次元も含めて、
あるいは人々が、創造の主であるかのように、盲目的にその存在を
「仮定」していまっている何かの「意思」または絶対者の概念である。
または、宇宙の元素や素粒子の諸法則を設定したプログラマーとその目的、
そういった領域にまでは、「疑念と否定が及ばないこと」である。
●かつてグノーシス主義は、ある限定的な意味での「この宇宙」には
何ひとつ正しいものはなく、この宇宙は「かたわ」である、と看破したが、
ただし、彼らはそれとは違う完全な宇宙があるという「希望的観測」に
すがりつくことで、宇宙や自分の存在価値の言い訳を繕うことを欲した。
しかし本当の真実は、もっと過酷なものである。
●それ故に、当庵・無明庵は、この地球上にあって、過去から今日まで、
「人間や宇宙の存在価値を尊重しない」という方針を貫いてきた
唯一の場所となったのである。
他の世界中の全ての宗教教義と、魔術教義と、世間の道徳と、社会的思想が、
「あなたは生きていてもいいですよ」
「あなたには生きる意味があるのですよ」
「宇宙の目的を解明するのがあなたの役目です」
というこれらの「明確な詐欺」を言い続けたのに対して、世界中で、唯一、
>「いえ、そんなことは他の外宇宙でも証明されたことはないのですから、
> もしも、嫌になったらば、いつでも、ご自由に、死んでください。
> あなたにも宇宙にも、存在を続けなければならない、
> そのような義務はありませんから。」
と言い続けて来たのである。
■この無明庵のみが有する基本概念は、
この地球という小さな惑星の上の、これまた小さな人間という種の中では、
いささか、嫌悪され、拒否されることの多い、
このカウンターバランス的な思考法であるが、
しかし、いったん、地球外の宇宙で、現在の生存形態と異なる形状で、
あなたがそこに住むことになれば、
少なくとも、地球よりはそれが「常識」であることを、
皆さんは知ることになります。
つまり、地球だけではなく、この宇宙全体には、
うんざりして死にたい知性たちや、
うんざりして、宇宙そのものに飽き飽きしている人達は、
「相当数いる」ということです。
こんな宇宙は、なくなってしまえと。最初から「いらぬ」と。
●彼らは、休むことなく、本気でそう思い続けています。
たとえそれが地球外ものであろうが、まだ未進化の知性は、
何らかの統括的な信念体系を信じたがりますが、
特に「進化した知性」ほど、必ず他人が作った信念体系からは離脱します。
ここを読んでいる皆さんは、
自分や、世界や、地球や、銀河や、宇宙が存在しているのは、
きっと何かの意味がある、とか、
きっと、死んでも精神的には進化する道がある、とか、
悟れば、苦痛はなく、楽しいんだろう、とか、
あげくには
「きっと退屈しないで済む何かが他の世界にはあるかもしれない」とか、
そういうことを、自分の目で何ひとつも確かめることもせずに、
言われたままのことを信じてきたわけです。
そして、ここが価値ある宇宙であるから、
自分個人の人生にも価値があるはずだと信じるようにプログラムされ、
そうして、今、単なる習慣として、日々の貴方の生命の維持を行い、
ときおり、聞くと自分が心地よくなり、安心できるような、
「死なないで済むための理由(宗教や精神論)」に食らいつき、
「きっと宇宙には意味があり、自分にも意味があるに違いない」と、
「思い込むことに、利用できそうな情報」だけを選んで、
それに好き好んで、洗脳され続けてきたわけです。
しかし、「常識」というものは、時空間の場所が変われば、
いきなりすべてが変わります。
●ですから、今、無明庵の方法によつて、自我を復元して、
本来持っていた「選択の権利」を取り戻して
死後に、この惑星の生を、二度と選択しない人達であっても、
その先には、あなたを待ち受ける「無数の詐欺師がいる」という事だけは
記憶のどこかに、認識しておいてください。
そこまでの悪意はなくとも
「彼らが認識しただけにすぎない勝手な信念体系」を、
あなたに押し付けたり、「あるべき宇宙や意識の進化」といった、
捏造された教義を説得しようとする存在は無数にいます。
●知性を持つ生物は、とかく、
自分の生存、または自分が死んでも社会や自然の存在を
「肯定してくれる考え方や言葉」にだけを好むという悪癖を持ちます。
であるから、「人間が死ねば、もっといい自然が戻る」、
という動機と価値観で自殺をする人達も多いことだろう。
しかし、そうした人達でさえも、
自分を殺してまで守ろうとした「自然や、惑星や、銀河系そのもの」に、
そもそも、「それが存在しなければならなかったほどの価値が
何一つもなかった」と、知る日がやってきます。
そこに至るのが、早いか遅いかだけの違いしかないのである。
******************
■2011年、3/11の震災の真っ最中に、
私は「元も子もないことを言う」という投稿をしていた。
あのときは、家が波に揉まれる舟のように大きく横に揺れながらも、書き続けました。
もしかしたら、これが私の最後の文になるかもしれない、と思いながら。
そして、ちょうど書き終えて、文字校正をしている途中で、停電となりました。
それは今でも、この「梅の間」のログに、
2001年−3/11付の投稿として残っています。
タイトルは「宇宙」です。
そして、その翌日から、私は自分の「現実地図」の「一つの現実」として
原発問題を選び取りました。
____________________________
●今回は、それに似た「その2」ですが、
たまに、こうした「真実」を書かないと、私の中でバランスが取れない
という面があります。
存在する全てを「存在しなくていい、無価値なもの」として語ることは
この小さな惑星では、「虚無主義」と呼ばれることもあるようですが、
残念ながら、私は、その虚無主義に対抗・拮抗できるような、
「価値観による主義」を、ただの一度も、地球上で見たことはありません。
それもそのはずです。
広大な他の銀河系の中ですら、確たる証拠を持った、
そんな思想や、教義や、価値観など、私は今までの転生の中で、
ただの一度も見たことはないのですから。
地球の人達のノイローゼと悩みと不満の大半は、
他の惑星に連れてゆけば、能天気なことに
(一日という周期がある惑星ならば)その日か、次の日のうちに
治ってしまう、その程度のものですが、
宇宙という広大な原野を放浪しながら、
宇宙それ自体の存在意味を見い出せなくて、ノイローゼになった知性たちを、
私は、数多く知っています。
彼らを癒せる方法も、慰められる方法もなく、
彼らがその苦悩から抜けるためには、
特殊な方法で、彼ら自身が、自殺をする以外にありません。
3/11に私が書いた格言を、もう一度、少し加筆して、書いておきます。
>「麻酔」というものが「日常の苦痛」を忘れさせる為のものであるとするならば、
>「日常の苦痛」とは、普遍的な「真実」を忘却させる為のものである。
>従って、ほとんど全ての「苦痛」が我々の日常から取り除かれたその時に、
>我々の知性にとって最大の疑問と苦痛を生む真実に、我々は直面する事になる。
>(by 鈴木崩残)
★参考記事【絶対者は自らの絶対性を証明できない】
↓
http://www.mumyouan.com/k/?S14
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