▲
控えの間
-
全館目次
- 松の間
■
BBS
- 竹の間
■
BBS
- 梅の間
■
BBS
- 桜の間
■
BBS
■
松竹梅の間:ログ表示
松の間
竹の間
梅の間
桜の間
★ 番号指定:
1ページの表示件数:
件
☆ 検索語 :
検索表示 新着から
古い方から
タイトルだけ表示
タイトルと5行
全部
「性と死のホームページ」 http://www.mumyouan.com/
.
より詳しい使い方の説明(9月11日変更)
●梅の間へようこそ●
掲示板
Title
助っ人リンク
2007年3月までは
「虹のオーガズム」と「性のレシピ」
の
読者専用の質疑応答用の掲示板でしたが、
2009年7月より禅書道日記に変更。
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[1660]
■
●無明庵日記●猫の足跡-その411 『戦時中と原発を重ねる発言への違和感』
by:
鈴木崩残
2012/01/13(Fri)08:20:30
>1/13- 20:30 更新
極論の中に答え(またはヒント)がある
一仕事終わったので、まずは、ここ一時間ほどで書いた、ツイートのまとめから。
★私は一環して、人間は苦しかったらば、
そして本当に自分の意志で決めたのだと確信できるのであれば、
「自殺しても良い」という自殺権を支持する主義である。
自殺権は、人権だと私は断定する。
親の都合で生まれてきたのではなく、契約して自分の意志で
肉体を選択して生まれてきたのであるから、
途中で嫌になったら、自分で自殺する権利ぐらいは、誰もが持つ。
そんなものは、当たり前の人権の一つだ。
どうせ、そんなものは、長い宇宙での生活の中では、
ちょっとしたリタイヤと、リセットなのだから、気にすることはない。
★ただし、自殺を容認するには、条件がいくつかある。
その第一条件が、いかなる向精神薬も酒も使用していない事。
全くのシラフの頭で苦しみに向き合わなければ駄目だ。
★この世界で誰一人として同意しない事を、私はあえて言う。
この世界を本当に変えたいのならば「抑圧を全てやめろ」。
例えば、死にたければ誰も止めないので簡単に自殺出来る。
人を殺したければ山ほど個人で銃器を持っている。
どうなると思う?。
カオスは、本当に完全に野放しにすると、秩序に治まるのだ。
★つまり、恐ろしくわがままで、身勝手な人間が、
一部ではなく全員になった時、それは、全ての人間が、
それこそ差別なく「対等に拮抗する」ということを意味する。
そこまで欲望が開放された世界というのは、初期には混乱するが、
放置すると自分もやばいので、やがて収まる秩序を必ず模索し始めるのだ。
★一方で誰がが抑圧を抱え込み、誰かが本人は抑圧しないで、
やりたい放題するという不均衡が生ずると問題がとたんに発生する。
たとえば家族全員が暴力で暴れてみなさい。そうすれば、
「私だけが不幸だ、我慢しているんだ」と不満を言う者は一人もいなくなる。
実は、これと相似形にある構造が、
一人の人間の中の多重人格的構造なのである。
★動物には起きずに、人間に起きた最大の不幸が「抑圧」であると仮定した場合、
その人間が、人生で最初に抑圧することは何か?
それはトイレに行くまで尿意や便意を、しばし我慢するという極めて不自然なことから開始する。
そのあとは、知ってのとおり、親や他人の顔色を見て死ぬまで「我慢人生」だ。
★己の中において、すべてを自覚化し、意識化し、
その上で、一切の我慢と抑圧をしなければ、
我慢によるものではない秩序が「自然発生」する。
嘘だと思うならば、自己破滅するつもりで、一切自分の言動を我慢しないで、
殺される気で、死ぬ気で生きてみろ。
それ以外の生き方をしている者は全員偽善者だ。
★抑圧というものが、一人の人間の中では人格のゆがみを生ずるとするならば、
同じく社会の中でもそれは生ずる。
実際、原発問題を見てみるがいい。
もしも個人も、組織も、メディアも、政府も、
全く抑圧なしに本音だけをいい、
都合がよかろうが悪かろうが、情報を全部垂れ流したら、
混沌とした戦争の果てに、最後には結論が出るものだ。
★ただし、我慢することを、努力や美徳や平和的であるかのように錯覚して、
村社会や、組織や、ひとつの家庭の中で生きてきた日本人に、
今さら「我慢するな」と言っても、あたふたするだけで、出来るわけあるまい。
だからこそ「村意識で育った日本人」が同じ原子力村に勝てるわけがないのだ。
もし勝ちたければ傭兵でも頼む事だが、それでは自主独立ではないな。
******************
●という極論を書きましたが、机上の奇麗事ではなく、
実際、この通りの人生を、私は23歳ぐらいから続けてきました。
たとえば、こうした性質のまま、社会の企業で働くと、
どういうことが起きるかといいますと、(経験者だから言いますが)
まず、上司だろうが、誰だろうが、言いたいことは絶対に我慢しない。
とうぜん、言うときには、首を覚悟で言いまくる。
最低限の礼儀は、わきまえた上で、その姿勢を絶対にブラさないこと。
そうすると、崩残という男(社員)は、とにかく正直なことしか言わない、
という認識が周囲に出来上がる。
すると、それを嫌う上司や会社は、私を追い出し、私は自然にそこから去り、
一方で、そういう私だからこそ、意見を聞きたいというタイプの社員や社長というものが現れる。
つまり、自分の、わがままな軸を、出すときと出さないときといった、
御都合主義ではなくて、自分に都合が悪かろうが、出し続けて、ブラさなければ、
その本音の私を好む者が集まり、本音の人生を好まない偽善者は去るのみ。
社会の中での権力構造や雇用関係や主従関係がどうあれ、
つまり、私が首になろうが、なるまいが、
相手には悪いけど、人生の勝利は私にあったということであった。
だから、当時のやりたい放題人生を、私は一切悔やんでもいないし、
本当に面白かったと思う。
それだけやりたい放題やっても、人間というのは、
そう簡単には、死んだり殺されたりしないものだと分かりました。
当然、そういう生き方をしていると、上司や会社には嫌われるが、
社員からは、やたらに慕われるようになるのである。
ただし、保身に走る社員は関わりたがらない。
まっとうに生きてみたいという、人間だけが寄ってくる。
だから、自分の周囲からも、無駄な不要な人間が削除されて、自然淘汰される。
自分の好む人間関係を作るなどという、わがままを押し通すのは、
原理的には、実に簡単なことなのです。
自分が望まない異性は避け、好む異性を引き寄せるのは簡単なことです。
ただ、「原理的」には簡単でも、
それを最後まで貫いて実行するには、この地球の場合には、
我慢する人たちが多すぎて、なかなか大きい摩擦もあるので、
それらを屁ともしない「何か」が必要です。
その「何か」を、たまたま生まれる前から、ここへ持ってきたので、
私は良かったですが、そうでない人は、我慢人生をするしかないです。
それが嫌な人は、自我復元してください。
(と、話がまた、自我復元になってしまうのですよね。)
私が違和感を持つ軽薄な論調
●ちょっと仕事と私事が重なって忙しくなっているのですが、
どうしても、見過ごせない問題があるので、
ここの一日のツイートからまとめておきます。
●テレビのコメンテーターも言い、あちこちで、知識人ぶった者たちが言う論調に、
「東電や政府の発表は、大戦中の大本営発表と同じだ」というのがあります。
また、話が変な方向に飛び火して、あげくには、こんな事まで言い出す馬鹿もいる。
↓
>>「先の大戦(の責任)は、大人たちがこれはおかしいと 声を上げずに、
>>逆に異端の意見として全てを抹殺し、取り締まろうとしたことにある。」
●つまり、当時の戦時中の反戦や、あるいは「空気」と、現在の原発問題を、
非常に安易にオーバーラップさせる発言が目立つことがある。
しかし、これはかなりおかしく、一種、狂っているとさえ言える。
そのことについて、以下に私のツイートのまとめを記しておきます。
↓
★先の大戦の事を持ち出して戦争に反対しなかったかのが悪かったと言い腐る連中を全員、
当時の時代にタイムスリップさせてやりたいね。
そうしたら、誰一人も「憲兵」には逆らえまい。
(当時の憲兵や特高警察がどれほど恐ろしかったのか、
当時を生きた人たちは知っている)
★そもそも戦争というものを人間性の良し悪しで語ることが間違っている。
私は日本が戦争をさせられて原爆を落とされたのはしかたないと思っている。
★大戦に突入した理由を、当時の海軍の暴走のせいにする者は多いが、
そもそも大戦の原因は欧米諸国の日本への経済制裁から始まった。
そしてアメリカが参戦する口実にするためには、
何としてでも日本から先に攻撃をさせたかった。
そもそも論から言えば間違っていたのは、日本が資源自給能力を落とした事である。
★戦争というもの、あるいは殺し合いというものは、太古から続いており、
それ自体を単純に完全悪とするのは困難だ。
問題はそれを可能な限り避ける為にはどうしたらいいのか、
そもそもなぜ侵略したり、逆に、無防備に植民地として侵略されてしまう戦争が起きるのか
という戦争の原因を考えることもなしに、やみくもに反対するな。
★しかし戦争とは何故生ずるのかの論を、めいっぱい論理的に進めてゆくと、
最後にそれは「自給自足能力と人口管理能力が欠如した文明に特有の末路」だと分かる。
おそらく別の天体や宇宙中でも同じ事が起きているだろう。
ありあまるほどの資源と食料があり人口が少ない民族が他を侵略する事は稀だ。
★では、あの時、日本が第一次世界大戦にも第二次世界大戦にも加わらなかった
という想定で世界情勢を組み立ててみると良い。
そうしたら今、日本という国は存在しないのだ。
★<先の大戦は>とか言って、今日の原発問題と大戦を不注意に混同しなさんな。
★大戦が正か邪だったかの結論はあと200年しなければ出ない。
私は日本や世界の為だと信じて戦争に行った人達を貴方のように軽蔑はしない。
見てみなさいよ、欧米の横暴さに負けた結果が今日の日本だ。
★あの当時の世界大戦というのが複雑である事は歴史学者でない私ですら理解できる。
そこには正しさも間違いもあり、正邪は混在していた。
アジアを独立させ開放したのは正しい。
軍部の暴走や無策もあり、金儲けという利権もあっただろう。
また一方では海外からの明確な威嚇や脅迫もあっただろう。
そして何よりもアメリカの詐欺的な植民地計画の謀略がそこに絡んでいた。
★今回の原発では記者たちまでもが横並びに「大本営発表」だとか言い腐り、
今回の原発問題をあたかも「かつての戦争」になぞらえ、
「かつて戦争に反対しなかった者が悪いのと同じだ」と言う間違いを書いている。
だが当時と現代は全く違うのだ。単細胞に過去と比べるな。
★戦時中には信じて戦うに値すると思っていた物が現在よりあっただろう。
また戦中に存在した日本の男女が、もし現代にタイムスリップして、
今日のネットの原発情報を与えたらば、
気概のある彼らは絶対に国家と戦うだろう。
つまり悪いのは戦争に参加した当時の国民の性質それ自体ではない。
★いずれにしても現在が戦争にも匹敵する有事である事は事実だが、
ただし過去の大戦には、現在とは別の時代背景や国民感情や世界情勢があり、
何よりも当時は日本を信じて戦った人たちがいるのだから、
ドヤ顔で「安易なメタファー」として太平洋戦争を乱用(悪用)するなと言う事だ。
★戦時中の話を、自分の親からきちんと聞いていないような連中が、
安易に「大戦のときと同じだ、戦時中に反対すべきだった」の口調になるのである。
戦時中に戦争反対を叫んで投獄や監視されたのと、
今、この脱原発の空気の中で、逮捕も監禁も拷問もされずに、
群れて原発反対を叫ぶのはそこから受ける迫害と実害がワケが違う。
★戦時中と現在の大きな違いは、一に情報量。
二に脱原発を叫んだところで、憲兵にしょっぴかれて殴られて、
「赤(共産主義者)」と呼ばれて長期投獄などされない事だ。
★現在(原発問題に限らず)政府発表を鵜呑みにしている人たちは、
相当に平和ボケしているとは思う。
だが、かつての日本の戦時中に戦争に反対しなかった人たちの事を、
私は「戦争ボケで酔っていた」だの「戦争を止めなかった責任がある」
などとは、とても言えない。
私の叔父は上官に逆らって、しこたま殴られ続けて、片耳の聴力を失った。
★今、脱原発の空気の中で群れて安全な所から反原発を叫ぶのと、
戦時中の当時に、殴られ、投獄され、非国民と呼ばれ、
自分の家族にまで危害が及ぶ中での「反対」とは、
全くそこで失うものが違う。
また、戦争反対といっても国益を考えてではなく、実際の売国奴や、
ただの思想かぶれから言う者もいただろう。
だから断じて当時の一般国民を責めてはならない。
★つまり私が言いたいのは、
原発の問題を安易に日本の戦時中と重ねるなという事。
しかもその上「戦時中に反対すべきだった」などと軽々しい事を言うな。
★日本が敗戦が近づき、負け初めて食料が不足して空気がおかしくなってきた時には、
多くの人たちが疑いを持った。しかし勝ち続けていた時に疑いを持った者は少ない。
いわんや自分の家族や知人までもが迫害されたり投獄されても、
それでも戦争反対の声を上げる人はいなかった。
断じて当時の日本の国民を責めてはいけない。
★他界した私の母は大正生まれだったので、
私は、戦前、戦中、戦後に母が体験した話を沢山聞いた。
戦争を知っている世代といっても、それは現在85歳以上の人たちに限られる。
それ以下の世代は、物心ついていない子供の時で記憶が曖昧であったりする。
また東京で空襲を受けたか田舎だったかでも違う。
★実際に第二次世界大戦をいろいろ立場(つまり兵士・主婦)で経験した人たちの話を
本当に聞いた人間であれば、庶民が当時、特別に偏った思想なしに冷静に自主的に
戦争に反対できる可能性はほぼゼロに近かったと分かるだろう。
東京で戦中を経験した人間なら誰も「戦争責任が国民にもある」とは言うまい。
★現在、おおよそ85歳よりも低い年齢の世代は、厳密には「戦争経験者」とは言えない。
彼らは戦争に行く前に終戦になったり、その後の食糧難の時代の記憶しかない。
また田舎にいれば食料難の経験すらない。
だから大人の認識を持って戦中や東京大空襲を経験した人たちの意見は
単純ではなく実に様々だ。
★総論を言うと、メディアも個人も、
今回の原発問題について口にするときには、
「当時の大本営発表と同じだ」とか、
「当時の非国民扱いと同じだ」という論調は慎むべきである。
それは当時の日本国民に対する侮辱でもある。
それは、当時、日本を信じて戦って死んだ、兵士と庶民に対する、
不当な軽蔑でもあるからだ。
今は今である。
あの当時の戦中の情報統制下とは違うのである。
・そして最後に、
★「人間同士の憎しみが戦争を生む」これは完全な間違った認識である。
人間同士の憎しみや怒りが生むのは、小競り合いと、ケンカと、殺人事件のみである。
一方で戦争とは、何の憎しみも持っていない相手に対して、
「命令に従って殺人を行う事」である。
殺人数の規模の大小ではなく、そもそもの動機が全く違うのである。
★個人同士の憎しみが拡大したり、また民族同士の対立が拡大したものは、
極論すれば、まだしも「健全な殺し合い」と言える。
それに対して最も「異常な戦争」とは、
「何の為にしているか兵士が分からない戦争」
「特権階級の金儲けの為の戦争」
「憎んでもいない相手を、命令で大量に殺す戦争」であるが、
実際には、戦争の大半がこれなのだ。
ちなみに、私も、原発問題の中で、一度だけ、うっかり、
「非国民扱い」という言葉を使ってしまったことがあるので、
今後は二度と使わないようにするつもりである。
★
.
<<-- これ以前の投稿 10件
(1660 番)
これ以後の投稿 10件 -->>
梅の間 の最新投稿
オーガズムTop
全館目次
C mumyouan 当サイトのコンテンツの無断転載は著作権法により禁じられております。
- BlackVoid BBS CGI 2006.08.30 -