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●無明庵日記●猫の足跡-その414 【早めに死ねた人は幸運であろう】
by:
鈴木崩残
2012/01/23(Mon)08:53:56
多くの人々は、
早めに死んだ人を羨むようになる
●昨年の11月から、個人的に何かが止まっているという感覚がする、
ということを、この梅の間のどこかに書きましたが、
ようやくその理由が分かりかけてきました。
それは私自身が人生のデザインを今まで予定していたものから、
少し変える必要があるということなのですが、これは、同時に、
皆さん全員にも共通することです。
●今朝、見た夢は、核兵器が遠くに落ちた夢でした。むろんただの夢です。
核戦争の夢は、過去数十年の間に何度も見ましたので、
特別に変わったものではありません。
爆風とともに、無数のガラスの破片が自分の背中に刺さり、
そのまま熱風で自分の体がコンクリートの壁に押し付けられたまま、
体が燃えていってしまう、といった実に生々しい夢も見たことはありましたので、
夢の内容それ自体は、珍しいものではありません。
ただ、夢の中の「印象から拾ってきたこと」は、
今までとは、少し違っていました。
●核ミサイルが着弾した瞬間に、私が強く感じたのは、
その後、どういう世界で生きなければならないかを一瞬で理解した、
といった印象でした、
そして、その「死に際」は、私も含み、多くの人たちにとって、
「この上もなく不快である」ということでした。
多くの人たちは一瞬で死ぬでしょうが、それよりももっと多くの人たちは、
一瞬では死ねません。
死ぬまでの時間が、数日になるか、数ヶ月になるか、数年になるかはわかりませんが、
直接、または間接的な「被爆と被曝」によって、沖縄を含む国土の全部が、
現在の福島近辺の軽く数十倍の汚染地帯になります。
●いくら世界はやがては復帰するとは言え、それまでに一世紀近くも
時間が必要なのですから、
そこで生きていることの意味などほとんど何もありません。
その約100年間での、主な死因は、餓死、病死、自殺となります。
●世界全体が、そうなった時、そのとき、もしも私がまだ生きていれば、
私を含む多くの人たちが、まだ決定的な核戦争が起きなかった時代に
死ねた人たちのことを、幸福な人たちだったと思うことは間違いありません。
その相手がどんな馬鹿だろうが、ゾンビだろうが、悪党だろうが、
世界中が核汚染される前に、それを知らず、それを経験せずに死んだ人たちの方が、
生き残った人たちよりも、ずっと幸せだったと言わざるを得ない時代が来ます。
●この、神経のずぶとい私ですらも、
その時代の死(その多くは病死と餓死)を経験したいとは思いません。
経験に意味があるのは、それが不快であるか、快感であるかに関係なく、
そこから、得るものがあるかないかですが、はっきり言って、
>「その時代から得るもの」など何もありません。
それは、自分に起きる苦痛に対する精神的な修行や試練にすら全くなりません。
>世の中には、経験をして価値のあるものと、
>経験をすることに全く価値のないものが、確実にあります。
「何でも経験するのが、魂の学習だ」などという陳腐な説教は、
そうやって人間を家畜のように飼いならしておくための「大嘘」です。
●それに比べると、各自、いろいろな思いはあったでしょうが、
皆さんの近辺で、「この数年内に他界した人」がいたらば、
その人たちは、まだしも幸運なほうだった、と思った方がいいです。
仮に津波で数十秒苦しみながら何万もの人たちが突然に死んだとしても、
その人たちが味わった苦痛の時間よりも、遥かに長い苦痛の時間を
核汚染の後では、経験することになります。
その時代には「なんとかなるだろう」などという考えは一切通用せず、
はっきり言って、餓死するか、被曝するか、自殺する以外には、なんともならない時代となります。
はたして、その事態になったときに、
同じ日本人同士が、水や食べ物を巡って殺し合いをするかどうかは、
私には分かりませんが、所詮、生き延びた方も、長くは生きられませんので。
●「死ぬのを待つだけ」なのであれば、誰も大した苦など感じませんが、
>単に死を待つのではなく、さまざまな無力感と体の異変による苦痛を
>ずっと経験し続けた果てに死ぬわけですから、
そうなる前に、耐え切れずに自殺する人たちは膨大にいると思います。
●日本と世界が、その状況となった時代を想うとき、
私が皆さんに、とにかく今から薦めておきたいことは、
「死に際」を決めておくことです。
今後、全自我に戻った人たちであれば、
自分の末期のデザインぐらいは出来るはずですから、
どういう環境の中で自分が死にたいかを、
自我復元に併用しているスケッチブックに、
よく考えて、絵と文を描いておいてください。
むろんそれはまだ分割された自我の人も描いてください。
ただし、それが実現するかどうかは、自我率の復帰度合いにかかっています。
>多くの人たちは、死に際ぐらいは、苦しみたくないと願うでしょうから、
>その通りに、あなたが苦しまないような、死に際を、しっかりとデザインしてください。
●それは別に大規模な戦争の勃発を待つ必要はありませんので、
その前に死ぬというシナリオであっても構いません。
今、近辺にいる嫌な人から、静かな自分の死を邪魔されたくない人は、
そのように願うシナリオを思い描いてください。
今、あなたのそばにいる誰かや、動物と最後を一緒に、穏やかな気持ちで過ごしたい人は、
そのように「自分の未来の死に際」を「絵」と「文」として描いてください。
>明日死んでも、自分自身が、自分に悔いを残さない、ということを、
>他の何よりも、常に、自分自身の判断の基準としてください。
●【無明庵】という庵の思想・哲学・論法・手法を、
私は長年管理してきましたが、その中で、
とりわけ「死」の問題を重視してきたのは、過去と現在とでは、違う理由からです。
形而上学的な意味での、精神の死が必要不可欠とされるのは、
過去に無明庵で語られてきた、悟りという次元の話の場合だけです。
そこでは、死が「必要なもの」として語られてきました。
●しかし、私が今、問題にしている死とは、そういう死ではなく、
実際に、皆さんの肉体的な存在に対して今後やってくる死を、
どう、やり過ごすかという実質的な問題です。
悟りなど全く関係もない人たち、つまりこの地球の全員に共通する問題です。
●今現在、私が言っているのは、かつてそうであったような意味での
「精神の死が必要」という意味ではなくて、
「どういう死に際」をあなたが望むかだけは、はっきりしておきなさい、
という話です。
もしも出来るのであれば、むろん、そのあとは、自我復元をした人に関しては、
この地球という惑星に限定されることのない世界で、あなたは、
何をして、今後、生物としての体験を続けてゆきたいのかという「ヴィジョン」も、
今から明確に構築しておく必要があります。
死んでから考えたのでは、手遅れですから。
●今回の私の話は、たぶん、皆さんには、うまく伝わっていないと思いますが、
ここを読んでいる読者の皆さんには、
あのような近未来の世界を経験して欲しくはありません。
出来るならば、その時が来る前に、静かに、「自然に」他界できる
そういう余生を送って欲しいと思っています。
私がそう願う理由は、その時が来たらば、誰しもが、
>「未来の結末を見てみたいと思っていたが、こんなものは、絶対に経験したくなかった」
>「こうなる前に死んでいた方がずっとマシだった」と必ず思うからです。
とにかく、それぐらいに、その時代は「酷い」のです。
いくら、近未来を描いた映画を見ても、情報を頭の中で組み立てても、
実際のその世界は、皆さんには、想像できないと思います。
とりわけ、皆さんが、今ここでは想像できないのは、
そのときに、目や耳でみる外部の「惨事の世界の様相」のことではなく、
皆さんの心の中に起きる、耐え難い「不毛感」と「失望」と「失意」です。
実際、今の日本を見てみるといいです。
私も含めて、多くの人たちは、
M9という大震災と津波と原発事故そのものに絶望したのではありません。
それは、とてつもなく、対処するのが困難な災害と放射能汚染ですが、
もしも、政府や国民が、団結にして絶対に乗り越えてやろうという意志と、
情報開示という最低限の誠実さえあれば、私達は生きる気力までもは
失わずにいられました。
しかし、私達が今、失意の状態にあるのは、災害と事故それ自体が
もたらしたものによるのではなく、
それに対する政府や、業者や、原子力ムラの、あまりに非人間的で、
>ほとんど狂人のそれと断定していいほどの愚かさと狂気、
>それに対して、私達は、驚愕し、そして失望をしたのです。
地震の原発事故「そのもの」に対するショックの何十倍も、
私達がショックだったのは、日本は、法律も倫理も機能していなった
ということであり、
それを私達も、(悪意はなくとも)、許してしまってきたという事です。
つまり、「もう人間そのものが、駄目なのではないか」、
という疑念が、私達の中にある、失意と失望の本当のコアなのです。
本当に全面核戦争は起きるのか?
●この事に関して、私は100%と断言することは出来ませんが、
「ほぼ」100%であると思っています。
そう思うには、単に政治的状況の予測とか、予言めいた予感とかいうものではなく、
私の経験則からして「構造的」に見て、つまり「集合的な思考の流れ」から見て、
典型的な大規模戦争の前兆を感じてるからです。
●何事も、願わないことは起きないというのが、この世界の原則ですが、
では、多くの人たちは、無意識のうちに、何を望んでいるでしょうか?
あまり思慮がなく、能天気にポジティブ思考などしている人たちは、
鈍感すぎて、現実を理解していませんが、
多くの人たちは、無意識の中で、今、こう自問しているはずです。
「この今の人間の社会は、生き延びるに値するのかどうか?」
●なんとしてでも、未来が必要だ、子供たちに未来を残さねば、
などと口で軽々しく言う人たちは、一種の、「拝生存主義者」に過ぎないということは、
以前にも言いました。
しかし、それは、この世界における人間という種の持つ精神構造を、
暗黙のうちに「生きていれば、なんとか解決するだろう」という
希望的観測の歪んだ目で、見てしまっています。
人間はそれを、希望とか、未来を信じるとか、あげくには、
人間を信じると言っては、そうやって、今日まで、
くだらないドラマやSF映画を作ってきたわけですが、
自分たちが、生き延びるに値する個人であるのか、
また、自分たちが作った常識や、人間性や、愚かさや、社会が、
存続するに値したり、次の世代に引き渡せるほどの価値があるのかどうか、
その根本の疑問を自問したらば、
単純に「なんとしてでも、サバイバルをして、
人類という種を存続させなければならない」と思うだけでは済まないのです。
●つまり、現在、実際に、多くの人たち、特に日本人の無意識の中にある本音というのは、
「復興しよう」でもなく「頑張ろう」でもなく、「戦おう」でもなく、
「国を良くしよう」でもなく、「未来をなんとかしよう」でもありません。
●私が、人間の本音のエッセンス、とりわけ現在の日本の人たちの、
彼らすら気づいていない「無意識の中の声」を集めた場合には、
そのような声は、ほとんど聞こえてきません。
今、多く人たちの無意識の中にあるのは、
「未来を大切にしたい」でもなく、
「生き延びること」でもありません。
>「この人類は、この惑星で、今後生存するに値する生き物なのか?」
●そのことを、自問しているのが本当の本音です。
そして、それに対して、既にひとつの結論、または決定がおおかた済んだ、
というのが私の所見です。
●昔から、精神世界の阿呆どもが、よく口にしていた、電波な話のひとつに、
日本が世界の中心であるという、(おいおい、あんたら中国人やユダヤ人か?
と言いたくなる)妄想です。
私は、100歩譲って、その妄想に関して、
「たまたま、日本列島が、地球のグリッド構造の中で、世界に
多少の影響を与える位置にあった」とだけ、同意しておくと仮定します。
あくまでも仮定の話です。
●そうなると、それは、
もしも日本人の大多数が、人類の未来に失望すれば、世界そのものが、
その失望と失意の方向へと向かう、ということになります。
そして、それこそが、「現在起きていること」の正体です。
よく自問するといいです。
>私たちは、原発事故によって、強くなったでしょうか?
>全くなっていません。
ネットやツイッターやデモで、口先だけで文句を言っている人が大半です。
この有事だというのに、ネットや自宅でゲームをしている馬鹿もいるほどです。
アニメが日本の文化だというならば、そんなものは、とっとと潰れていいです。
それが良かったのは、せいぜい3.11以前までだけです。
もう時代は、次のサイクルに確実に入っています。
既にそんなものは時代遅れですし、そんな事に時間を使っている者たちは、
あまりにも馬鹿すぎます。
●話は戻りますが、日本人の大勢の人たちがまず望んでいることは、
実際には、原発の停止などではありません。
>本当に望んでいるのは、この国の「政治の停止」です。
そして、3.11以後の政府の対応を見て、
そして世界情勢にまで視野を広げている人は、ニューワールドオーダーの
暴君のごとき法改正や、権力の乱用や、虐殺の動向に注意しています。
●そうなれば、そこで出てくる結論というのは、
そうした者たちを許してしまった自分たち国民も悪いし、
むろん、そこまで堕ちてしまった彼らも悪い、
そんなものを、お金や、自分の生活のために許してきた自分達が、
この先生き延びたところで、またも同じような悪党を許してしまうだろうから、
いったん、世界はリセットすべきだ、となるのが自然なのです。
>●むしろ、ここまで来ても、まだ「人間の可能性を信じる」というのは、
>世間からは「良識的で常識的な感情」として支持されるでしょうが、
>私に言わせれば、ほとんどカルト思想そのものです。
>あまりにも人間を過大評価しすぎであり、自己評価が甘すぎます。
>それは、常識どころか、「誇大妄想」の領域に達してしまっています。
●そもそも、今の社会システムや、利権構造や、原発だけが
どうにかなればいいのではないのである。
それを原発に関して情報弱者であった私たちが、無知によって支えてしまったり、
無知ではなく、事情をよく知っていながらにして、支えしまった国民や、
村の貧困から抜け出るためだと、原発建設と、原発マファイとの取引を許した地方の地域の者たち、
そして、ここまで来ても「自分たちの産業のため」に、
消費者に平気で「汚染商品」を売り続けようとする人たちも含めて、
この人間という種自体が、一度、失意のどん底に落ちるほどの打撃を経験するか、
種そのものを絶滅させる以外にない、というのが、正常な神経の結論なのです。
●そして、口では命が大切だとか、地球惑星の環境が大切だとか、
未来が大切だとか、思考停止した状態の夢遊病患者のように言っていますが、
私が人々の本心の核の部分を見ると、
すでに、現在のこの「限界を持つ人間という種そのもの」に失望しています。
特定の悪党や支配階級にたいしてだけ失望していて、
大多数の庶民や、母親の子供への愛の力や、平和を尊ぶ人たちには、失望しておらず、
「彼らには希望を託したい」、などと多くの人たちは、
よく考えもせずに、漠然と思っているのでしょうが、
多数決で、悪党に負けたということは、
そのわずかな人たちにも、力は無かったということですよ。
●この世界には、幾度も、ごく少数の人たちが、歴史を変えたことはありますが、
>ただしその改変は、根本的なものではなく、単に「社会制度」を変えたにすぎません。
>それは、決して、「根本的な生死の価値観」を変えたのではありません。
●私に言わせれば、今の日本人は、ニューワールドオーダーと戦う資格すらもありません。
何かと戦う「資格そのもの」がないのです。
日本人というよりは、厳密に言うならば、今の自我の希釈率では、
戦う資格もないということなのですが、その話は、今回の本論ではないので置いておきます。
●ですから、今後の核戦争という未来の中で、
>自分が死ぬこと、自分や家族が病むことを、完全に覚悟して、
>失意・失望だけを感じて、その先にある「人類の存続への疑問」
>さらには、「人類の存続の否定感情」、これを「確定する」のが、
>強いていえば、日本人の役目だと、私は本気で思っています。
日本は世界に、希望や未来を発信するのではなく、
「人類に対する失望」を発信し、世界はそれに呼応するということです。
そういう意味での、「日本中心説」であれば、
今、現在、集合無意識の中でおきている事への所感とあわせて、
私の中では整合性があります。
何かが変わるとき、または何かを変えるときには、
否定的な思考や感情は、絶対に必要です。
何でも、都合の良いポジティブ思考で誤魔化そうとなどしないことです。
それは、皆さんが、個人のレベルで、
あなたを苦しめるような誰かと別れたい、離れたいと思ったときに、
とうぜんの事として、あなたには、それをネガティブだと断定して、
それを「拒否」し、それを「嫌悪」する、権利があるのですから。
●ただ、今回は、その「嫌悪」と「相手に対する見限り」が、
一見、表面だけを見ると、国民の感情の矛先が、原発マフィアの悪党だけに向かっていて、
被害者であると思っている国民には向かっていないように見えるものの、
実際には、政治家や政府や原発推進派や東電に向かっているのではなくて、
>「人間という種そのものに対する自己嫌悪」にも向かっている。
ここが本当の「作動点」なのです。
●地球と言う惑星上の人類という社会の中で、
最初に、人類そのものの性質に本当に失望し、その存続の価値を疑った人たち、
それが日本人となり、それがそのまま「世界の動向」へと波及します。
むろん、それは集合無意識的な現象としての感染です。
この流れは、それが「倫理的に良いか悪いかの問題ではなく」、
不可避の現象なのです。
●ですから、今、ここを見ている読者の人たちに出来ることというのは、
「日本の政治を見限る」だけではなく、
地球という惑星そのものや、そこに、たまたま一時的に繁殖した、
この「人類自体に対する見限りをつけること」です。
だから、私は言うのです。
>皆さんの未来は、地球に限定されたものではない。
>ましては、人間などという種に限定された存在ではない。
皆さんの個人の歴史は、もしも正しく遡れば、
それは地球の歴史よりも長いのだから。
だから、もう、地球を捨ててよいのです。
「牢屋の中だって、瞑想は出来るのだ」などと、
カルトの麻原みたいな寝言を言っている場合ではありません。
>●この程度の、自然環境の、ありふれた惑星など、広い宇宙には、いくらでもあります。
>また、この程度の知能と意識の生物などは、宇宙にはいくらでも存在し、
>この地球人という乗り物は、人間が作り上げた妄想によって考えるほどには、
>たいした生存価値など持っていないのですから。
●だから、自我復元によって、取り戻した主体性によって、
>「人間自体」脱ぎ捨てる準備をしてください。
>「地球自体」を去る準備をしてください。
●皆さんも御存知のように、私は厭世的な性質でもなく、
可能な限り、地に足をつけて、精神世界や宗教の言う妄想などに付き合わず、
この惑星での、独特の生命経験を、自分の目的をもって、きちんとしろと、
皆さんに、長年、常に言い続けてきた人間です。
その、普通の人間以上に、ある意味では「現実主義」であった人間が、
「地球型の肉体を捨てて、この惑星を去る準備をしなさい」と言っているのです。
「自分の死に際を、自分の望む形にイメージしなさい」と言っているのです。
これは、ただ事ではないと思ってください。
●何度も言うように、例のニューワールドオーダーの身勝手な、
完全に頭の狂った人類削減計画は、挫折し、「失敗」に終わりますが、
大量の人類が死滅することは、避けることは出来ません。
また、そのあとに続く「数百年の歴史」も、
今の私達が期待するほどに、面白いものでもありませんし、
むしろ、この時代の地球の人類を生きた私の目から見れば、つまらない未来です。
それ以上の面白い未来や、科学技術や、優れた精神構造を見たいのでしたらば、
皆さんは、何も、地球でそんなものを見ようとする必要は何もないのですから。
「難民キャンプでグルメ料理など欲しがる方が狂っている」と、私はかつて言いました。
これは真実なのです。
宇宙での多様な「生物経験」を楽しみたいのであれば、
先進国(先進星)へと移動してください。
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