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2007年3月までは
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読者専用の質疑応答用の掲示板でしたが、
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無明庵日記●猫の足跡-その457 【子育てで、親が子供に、絶対にしてはならない事】
by:
鈴木崩残
2012/05/04(Fri)07:33:11
『子育てで、絶対にしてはならない事』
●現在、自我復元をしている読者の一人と、いくつかメールのやりとりをしていて、
私は、ある非常に重要な要素に、初めて気がついた。
しかし、この問題は、あまりにも根が深く、しかも簡単に見落とされやすい。
それは次の問題だった。
「自分の子供を、ある程度は、躾として、叩いても良いか?」、
という問題になった場合、
>問題は、その子供の「年齢」です。
もしも、「大人の言ってる言葉がもう分かる」のでしたらば、
4歳ぐらいになったらば、やってはいけない事をしたら、
怒鳴ったり、少しなら、弱く叩くのはかまいません。
ただし、母親に、どんなに「育児ストレス」が溜まろうが、
夜鳴きをしようが、絶対に、怒鳴ってもならず、ぶってもならないのが、
>まだ、赤ん坊が「歩けない時期」です。
個人差はあるでしょうが、だいたい1年から1年半です。
●この時期だけは、絶対に、どんなに子供が大声で泣こうが、
絶対に、叩いてはなりませんし、怒鳴ってもなりません。
子供が一人で歩こうとして、立つということは、
それに伴って、文字通り自分の足で立ち、自分の意志を体に伝達し、
自分で体をコントロールしようとし始めたのですから、
それと共に「自我」も並行して、起動し始めます。
しかし、この時期より「以前」は、あらゆる点で「無抵抗」です。
>唯一、親に何かを伝えるときに出来ることは、「泣くこと」だけです。
●さて、まだ小学校低学年の頃から、学校のクラスで、男子生徒に殴られたり、
また、親類の変態オヤジや、年上の子供に、露骨な性的なイタズラをされたり、
中には、レイプまでされてしまうという事件があります。
また、いじめられやすい子供というのがいるのは確かですし、
さらには、なぜか、性的な犯罪被害に遭いやすい子供というのがいます。
おそらくは、精神科の医療現場でも、
レイプ被害に遭いやすい女性または幼女、あるいは男子には、
「何かの共通した性質があるのではないか」という点までは、
現場のカウンセラーは、気付いているはずです。
●私は長年、それが何であるのか特定をすることは出来ませんでしたし、
特にそのことに、関心を向けたこともありませんでした。
●人間が3歳ぐらいまでの子供のときに受けるトラウマが、
その後死ぬまで重大な欠陥を作り出すということは自明の事実ですが、
なぜ、レイプ犯罪や、その他の暴力や、いじめに遭いやすい人がいるのか、
その原因は、今まで特定できませんでした。
●しかし、読者の方のトラウマの分析をしていまして、
ようやく、おそろしく根源的な「水脈」または「活断層」を見つけました。
そして、これはその人だけではなく、世の中のほとんど全ての
「性犯罪の被害者、または、イジメの被害者」に共通している可能性を
私は推察しました。
その最も注意しなければならないのは、冒頭に述べた、
>「子供が、二本足で立って歩くまでは、絶対に殴るな、怒鳴るな」です。
●よく、考えてください。
まだ立てない子供や、乳幼児が、
「お腹がすいた」
「おむつの、おしっこや、うんちが気持ち悪い」
「どこかが痛い」「何かが不安だ」
という、こうした時に、赤ちゃんが「泣いた」とします。
これは言うまでもなく、赤ん坊が、自分ではどうにも出来ないので、
近くにいる者に、「どうにかしてほしい」という事を伝える為に出来る、
「唯一無二のサイン」です。
しかし、このときに、もしも親が、泣き続ける赤ん坊に対して、
>「うるさい! お願いだから泣き止んでよ。もーう、嫌だ、うんざりだ」と怒鳴ったり、
>さらには、大人の力では、軽く叩いたつもりでも、
>パシンと、赤ん坊を叩いたり、もっとひどく殴ったりしたらば、
その時に、赤ん坊がどう感じて、何を考えるか、想像してください。
●困ったことがあり、苦しかったり、不快だから泣いているのに、
泣くたびに、殴られる、怒鳴られる。
もしもこれを、数ヶ月でも、一定期間繰り返したらば、
>その赤ん坊は、何かあっても「泣かなくなります」。
>あるいは「泣く回数が減る」または「泣き声が小さくなります」
泣くと殴られたり、痛い目にあったり、怒鳴られ続けたらば、
その赤ん坊は、こう思います。
「苦しいけど、ここで泣いたら、
また、叩かれる。
ここで泣いたら、また大きな怒鳴り声がする。」
>そうやって、生まれて初めての「必死の我慢」を子供は覚えてしまいます。
それも、まだ乳幼児や、歩ける前なのにです。
●さて、この幼児期の最も幼く、未発達な時に、
最初に自分が「守られるべきだった親」から、
不快だから、泣いただけなのに、
「怒鳴られ」「殴られ」「叩かれ」したら、子供はこう思います。
>「苦しいときに、泣いても、誰も助けてくれない」
>「そればかりか、泣くと、余計に、叩かれる」
>「だったら、泣かないようにしよう」
●さて、こんなに小さな赤ん坊のときに、この「歪んだ自衛」を
覚えてしまったらば、その後に、その子供は、
幼稚園や小学校に行ったとき、あるいは近所で遊んでいるときにも、
次のような状態になります。
何か怪我をしたり、何か不快な思いをした、
友達から、理不尽な扱いや、子供同士の暴力を受けた、
こうしたときに、「叫んだり」「泣かないという癖」がついているのです。
また、最初は泣いても、すぐに自分で我慢をします。
泣くと、殴られたり、怒鳴られて、状況が悪くなることを、経験したからです。
これは、赤ん坊のときに、覚えてしまった「間違った我慢」ですが、
その後、一生消えません。
●そして、もしも、そういう子供に、性犯罪者や、変態男が近づいて、
イタズラや、レイプをしたらば、その子供は、それでもその事を親にも黙っています。
親は自分を助けてくれないということを、幼児期に知ったからです。
そればかりか、自分が不快な苦痛を受けているのに、その時に、
助けを呼んだり、騒いだり、声をあげたり、逃げたりしません。
つまり、「不快だ、嫌だ」という心と身体の声を、泣いてはいけない
という間違った習慣的思考で、抑圧してしまうのです。
●そうして育っていった子供は、学校や、さらには社会に出ても、
男女の性別を問わず、特に子供のような敏感な生き物から見ると、
>「こいつは、いじめたり、殴ったりしても、泣かないし、助けも求めないな」
というその子が放ってしまっている「雰囲気」「気配」を、
弱い者イジメをしようとする側に読み取られてしまうのです。
●その体や心に染み付いてしまった、
「我慢癖」「泣かない癖」「助けを呼ばない癖」こそが、
性的なイタズラや、いじめをする側が、一番「鼻でかぎつけやすい」気配なのです。
なぜならば、イタズラをしたり、殴ったりしても、
>その子供やその人が、抵抗しないことを気配や雰囲気で感じるからです。
●ですから、もしも、学校で、転校しても、まだイジメにあう、
または、なぜか何度も、性犯罪に遭う、そういう経験をしている
子供を持つ親と、そしてそういう経験をしている本人があなたである場合には、
まだ、立って歩けなかった幼児期に、
あなたの両親または親のどちらかが、あなたが泣いたときに、
まだ言葉の分からないあなたを、怒鳴ったり、殴ったり、叩いたりして、
あなたに、恐怖感を与えなかったかどうか、
親に、強く問い正してでも聞き出してください。
これはあなたが何歳であろうが、関係ありません。
あなたが50歳ならば、80歳の親に対しても、問いただして下さい。
そして、もしも、その家庭で、泣くと叩く、怒鳴るという傾向があったら、
あなたは、この世界で、最も最悪のトラウマのひとつを背負っていることになります。
●何しろ、親から絶対に「無条件に、守られるべき時期」、
どんなに、「泣いても良かった時期」に、
それを我慢することを強いられ、しかも、泣いたら親に叩かれる、という、
「根源的な恐怖感」と痛みを、あなたは記憶に植えつけられたからです。
それは、気付かないままでいたら、死ぬまで消えません。
●だから、もしもあなたが親になったら、父親であれ、母親であれ、
少なくとも、子供が立って歩くまでは、
どんなに、気が狂うほど、夜鳴きをしても、泣いても、
まずは、泣いているその原因を理解して、解決しようとし、
それでも泣くのであれば、赤ん坊に不快感を与えることなく、
その泣き声が小さく聞こえるよう工夫をすべきです。
>どんなに乳幼児が泣いても、絶対に、叩いたり、怒鳴ってはいけません。
>それをやったら、あなたは、「犯罪被害者」になりやすい人間を
>育ててしまう事になるからです。
●一方で、幼児期に泣いても、親から叩かれたり、怒鳴られなかった子供は、
自分が危険な目に遭いそうになったときには、
迷わず、声をあげて叫び、抵抗します。
つまり、幼児でも、大人でも、「自分を守る」ために最初にすることは、
率直に「叫ぶこと」「嫌だと言うこと」「泣くことです」
これこそが根源的な「自我の、そして生き物としての、正常な自己防衛」なのです。
これゆえに、トラウマが一部でも溶解、氷解するときには、
多くの人が、泣くのです。
子供を、躾のために、叩いていいのは、
親子で「巨人の星」を目指すような、年齢、
つまり、小学校か、その少し前あたりでいいのです。
または、明確に、簡単な言葉を理解したり、
自分が、どうして怒られているのかを理解できたり、
または、親が、怒った理由を子供に説明できる場合のみです。
これは、動物、特に自分のペットに接するときも同じです。
あなたのペットにとって、
自分がどうして、怒られたり、叩かれるのか、
その理由が分からないような状態では、絶対に殴ってはいけません。
●狩猟目的とか、明確にその動物を殺害するという目的や、
あるいは危険な動物が寄ってきたので威嚇するためならば許される怒鳴りや暴力でも、
自分の家族であるペットにそれをすることは絶対に許されません。
●最後に、こうした根本的な「トラウマ」に少し気付き始めた、
ある自我復元実習者の方のメールの一部を掲載しておきます。
______________________________
崩残様へ
なぜそんなことになったのか、思いだそうとしても、
覚えている限りの一番古い記憶で、それより先は全く思い出せません。
なので、母に尋ねてみました。
どうしても、あのときのことを思い出せなくて、母に聞いてみた。
そうしたら、「そう言うことはなかったよ。記憶違いじゃない?」
と、明るく言われた。
記憶違いなわけはない。
でも、母が、こんなに自信満々で、
「そんなことはなかった。」と言うのは、
母にそう言う記憶がないからなんだろうか?
それとも、嘘を言ってるからなんだろうか?
わからない。
でも、確かにそういう事実(事件)があった。
ただ、自分の記憶に自信がもてないので、
記憶違いなのかもしれない。
そう思った。
気持ち悪かったのは、母の態度。
妙に優しくて、私のことを気遣ってくれてるようなことを、
ぺらぺらとしゃべる。
もっと気持ち悪いのは、
その母の態度に喜んでしまっている自分。
「お母さんは、私のこと、心配してへん訳じゃないんや。」
「私は無理矢理お母さんを悪者にしようとしてるんちゃうやろか?」
そう思った。
今までと、何も変わってない私。
前回、母に電話して、
「もう話もしたくない」と思った私は吹っ飛んで、
今までのように、母と仲良くしてる方がいいんじゃないの?
と思う私が、
過去を思い出して、怒りを覚え始めている私に、
「もう、お母さんも反省してるんやから、怒るのはあんたがわるいねんで。」
と言いたげで、とてもイヤだ。
・中略・
もう一つ、大事なことを思い出しました。
小学三年生の頃のこと
同じクラスの男子生徒に、
クラス全員がいる教室で、
何度もおなかをおもいっきり蹴られた。
些細なことで、喧嘩になって、
激高した相手が、蹴ってきた。
イスに座っていた私は吹っ飛ばされて、
何度も執拗に蹴られた。
泣きはしなかった。
休憩中のことで、みんな見てた。
でも、助けようとしてくれたひとは、一人もいなかった。
先生が、仲裁して止めてくれたけど、
とくにその男子生徒を叱ったわけでもなく、
親にもわたしは話したけれど、
「大丈夫やったか?」の一言だった。
私は、蹴られたのは痛かったけど、
それ自体は許せないけど、
それよりも、クラスみんな見てたのに、
誰も助けてくれなかったこと、
先生も何も言わなかったこと、
親も何もしてくれなかったこと、
そっちの方が悲しかった。
でも、そう思うのは、私が悪いんだと、思った。
そして、わたしは、またこのときも、泣かなかった。
自分のことを守ろうとも思わなかった。
今朝、思い出して
仕事に行かなければならないのに、
大泣きしてしまった。
「自分を守ろうとしなかった自分」に怒りが沸く。
何で!?なんで反撃もしなかったの?
何で、泣いてでも誰かに訴えなかったの?
この事件は、私が、
「どうせ誰も助けてはくれない。」
と思うには十分でした。
・中略・
どのケースでも、私は、
「この程度のことが、トラウマになるわけがない」
と、自分に言い聞かせていたのです。
でも、そんなことはありませんでした。
特に、蹴られた時のことを思い出すと、
全身に怒りが駆けめぐってものすごくしんどいです。
蹴ってきた男子に対してもですが、
「自分自身」に対してものすごく怒りがわきます。
そして、私のことをこんな風に、育てた親にも、怒りが沸きます。
・中略・
小学生くらいの頃、寝ようとしても、
「何かしなくてはいけない。胸がざわざわして、くるしい。」
「でも、何をすればいいのかわからない。
焦りだけが募って、どうしようもない。」
という、感覚に困る日がたまにありました。
そういうときは、疲れはてて、意識が無くなるまで、
ひたすら耐えることで、やっと眠っていました。
高校生位まで、あったのですが、最近はありませんでした。
原因が全く分からず、不思議に思っていたのですが、
今は、このトラウマからくる「怒り」を、
自分で、ずっと押さえ込んでいたからだと思います。
自分の中に、こんな怒りがぐるぐる渦巻いていて、
それが、何にも影響しないなんてこと、あるわけない。
こんな感情に、今まで蓋をし続けてきて、
私は、自分をなんだと思ってるんだろう。
崩残さんが、私に、
「貴女が、押し込めた怒りは、一度、爆発させないといけない」と、
何度も言っていたのは、このことだったのだ。
そう思いました。
ただ、今も、私は、この怒りを、ずっと、押し込めたままです。
それは、とても苦しいことです。
「自分で自分を守ろうとしなかったこと」、
こんな私に育てた親、
誰にも、助けてもらえなかったこと、
言葉で勝てないからといって暴力を振るってきた相手、
すべてが憎い。
そんな感情を抱く自分に対する自己嫌悪。
それがイヤで、わたしは自分にこう言い聞かせました。
「私は、大したことをされてない。
子供の喧嘩なんだから。気にしてはだめ。
親類の、変態のおっさんに体を触られても、別にレイプされたわけじゃないし、
大したイタズラじゃないんだから。
母親に、言いつける必要もない。
小学生の時に、中学生の男子に、
物凄く、汚らわしい、いやらしいことを強要された時も、
我慢すれば済むんだから・・・」
そうやって、自分から「忘れよう」としてきました。
いやなことがあると、ずっとそうしてきました。
だから、こんな風に、鈍感になってしまったんですね。
>>メールはここまで。
______________________________
●さて、こうした事の始まり原因が、その「本当の最初の始まり」は、
言葉が分かるようになった時期の子供のころの、親からの暴力や性的虐待よりも、
>実際には、それよりも、もっと以前の幼児期、乳幼児の時期に
>刷り込まれてしまっている可能性があるのです。
そうして、幼児として当たり前の権利であった、
「泣きわめく」ことを、抑圧して我慢させられた人たちは、
「泣き叫ばない」「助けを求めることで、自分を守る術を知らない」
というその弱み(心の欠陥)に付け込まれて、
その後に、親や、仲間からの暴力やイジメを受けたり、
暴力夫(妻)と、結婚してしまったり、
性犯罪のターゲットにされたりする「予備軍」になってしまうのです。
■こうした事態を、あなたが避けたければ、
特に、母親が、とりわけ最もストレスになり、
ヒステリーを起す原因は、「泣き止まない」ことでしょうから、
泣く幼児のあやしかた、を自分でどこかで学んで下さい。
昔は子供が多かった時代には、なんとなく感覚で、それを
分かっていた御母さんも多かったのかもしれませんが、
最近では、あやしかた一つでも、どこかで学ばないとなりません。
世の中には「ベビーサイン」という手法もあるようですが、
あれは、子供がよちよち歩きを始めたころ以後に相互のコミュニケーションを
取る方法に見えます。
ですから、それよりももっと何もいえない時期には、
「泣き続ける」場合に、怒鳴ったり、叩いたり、つねったりせずに、
あやす方法があることを知ってください。
一例として、次の内容は、ごく「常識的範囲」の話ですが、
赤ちゃんがなぜ泣くのかについてと、その対処方法です。
↓
http://allabout.co.jp/gm/gc/197785/
http://allabout.co.jp/gm/gc/197785/2/
どうせ、父親は何んにも出来やしないのですから、
お母さんがするしかありません。 ( -ω-)y─┛~~~~~
_____________________________
■ただし、最後に言っておきますが、
私がこう説明したからといって、
何でもかんでも、このせいにするのはやめて下さい。
こうした「セッカン」が原因で、トラウマになり、性犯罪にまで遭う
などという人は、それほど多くはありません。
うちの読者の中でもごくごく一部の人だけです。
その他の人達は、ほとんどが、自我が希釈されすぎていたか、
もしくは、だらしない生き方をしてきた事が原因であるにすぎません。
他人の原因やトラウマを、安易に自分と重ねないようにしてください。
トラウマというのは、基本的に一人一人ですべて違うのです。
とにかく、精神世界でも、精神世間でも、
どこかで、見聞したことを、すぐに、
「あー、それは自分も覚えがある」
「あー、それは自分も経験した」
「あー、それは私もよく分かる」
「あー、自分も、もしかしたら、そうかもしれない」
と、軽率な関係づけをする人達が多すぎます。
その結果が、悟りの問題を扱っていた、
過去の「無明庵」に、集まってしまった読者の人達です。
慢性的な虚無感や、ちょっとばかりの神秘体験、
絶望感や、自殺願望、ちょとした、トラウマの解消感覚、
そんなものは、石を投げたら当たるほど、どこにでも転がっているものであり、
いちいち、「他の人や、他の賢者も、自分と似ていたんだ、」
などと、安っぽく関連づけるような、価値のあるものではありません。
物事には、根深い共通の原因は、そこにあることはあっても、
厳密に言えば、
全ての経験は、すべての個々で違います。
それが、どんな相手や、どんな知識であっても、
その他人様の経験を、自分の現状の自己正当化や、余計な美化の為になど、
決して悪用してはなりません。
______
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