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2007年3月までは
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読者専用の質疑応答用の掲示板でしたが、
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[1772]
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無明庵日記●猫の足跡-その523● 【希釈自我の大きな弱点】
by:
鈴木崩残
2012/12/13(Thu)02:28:01
希釈自我の弱点の一つについて
●まずは、写真からです。
私がいつも行っているこの裁判所が、年内に取り壊されるということで、
最後の雄姿を撮影しておきました。
来年は、市内の別の場所にある新築の建物になります。
一番右の写真は、裁判所の裏手の駐車場から撮影したもので、
遠くに、真っ青な海原が見えます。
これを見ていると、私は東北大震災の津波を思い出しました。
ちょうどよく似たロケーションで、津波が高台の真下まで押し寄せる
報道場面がありました。
この写真の裁判所も高台にあり、
東海地震で15メートル級の津波が起きても助かりそうな位置ですが、
ただし手前にある木の下まで津波が来るのかもしれないと思いました。
つまり、その向こう側に広がる平地は、すべてあの震災の時のように、
流されるかもしれないわけです。
問題なのは、来年から利用する新築の裁判所は、
この写真で見ることのできる平地部分、
つまり海抜ゼロで、今よりも、ずっと海岸に近い位置にあるということです。
もしも調停中に、東海沖地震で津波が来たら、
5階か6階まで逃げないと、ひとたまりもないですね。
_____________________________________________________________
■さて、以下が本論です。
これは、この梅の間ではなく、桜の間での話題なのですが、
桜の間には、「新刊情報」を載せたので、ごちゃごちゃにならないように、
この梅の間で書いておきます。
■昨日、裁判所で思ったのは、
「希釈自我の人だったら、こんなとき、どうなるのだろう」という事です。
調停内容の詳細は書きませんが、
昨日の調停では、私から見ていて、明らかに、少し怪しい空気といいますか、
「これは、少しまずい動きだな」と思えるものがありました。
■結果としては、その怪しい流れを、
私の方の主張で、大きく軌道修正をすることが出来ました。
そして、そのときに、ふと、こういう局面で普通の人は、
どういう対応をしてしまうのだろうと考えたのです。
つまり、日常生活の中で、職場や家庭、あるいは得意先との交渉、
その他、事件や事故に巻き込まれたり、とにかく、
「面倒なこと」「物事がまずい展開」になった場合、
希釈自我はどういうことをしてしまうのかです。
■私の結論は、希釈自我の人、またはそれなりに全自我に近い人でも、
全自我でないかぎりは、何かのトラブル、特に予測していないトラブルに
なった場合に、次のような思考や意志が、自動的に作動してしまうだろう、
と言うことです。
>>1.「なんだよ、そんなの聞いてないよ。予測外だよ。
>> え?、何だよ、状況がわからないよ!」
↓
>>2.「ああー、なんだか知らないけど、面倒なことになってきたな。
>> 面倒なことは、嫌だ嫌だ。」
↓
>>3.「なんか、気分悪い展開だな。とにかく面倒なことは嫌だ。
>> これ以上、めんどくさいことは、言いたくない、したくない。」
↓
>>4.「あー、もういいや、相手の言う通りにすれば、楽になる。
>> もう考えなくて済むんだ。
>> それで、この嫌な気分や面倒が終わるならば、いいじゃないか?」
■と、これが、希釈自我の人が、簡単に陥る「逃避」つまり逃げる姿勢です。
自分に何か都合の悪い状況が起きたときに、
よく深く考えた結果、そこから逃げたほうがいいと判断するのではなく、
気分が悪くなった時点や、不安にかられた時点で、
もうすぐに、後ろ向きに向きを変えて、逃げたがってしまうわけです。
■もしも、一生、そんなことをしていたら、
敵対する人や、困難な状況が現れるたびに、
常に、相手の言うことに妥協し、我慢し、自分の不機嫌さを見ないようにして、
そして、結果としては自分の意見や自主性を失うことが、
「習慣化」してしまいます。
■実際、隣の「桜の間」に今までに掲載した、
読者の方からの、トラウマの報告を読むとそのことがよくわかります。
特に親からトラウマを受けた当時、その人たちがとっていた行動は、
そのほとんどすべてが、「嫌な思いをしたくない」「痛い目にあいたくない」
ということを動機とした「現実逃避」または、親への「妥協」や「服従」です。
■この幼少期の「逃避癖」は、その後大人になって、
家庭を持ったり、職場へ行っても、同じように作動します。
何か面倒なことが起きるたびに、それを解決しようとする意志をもって、
状況をよく観察して判断して、自分の意志をしめすよりも、
「面倒なことになって、自分が気分悪くなったり、不安になることから早く脱したい」
というほうが、反射的に優先されてしまうわけです。
■こんなことを人生の中で繰り返していたら、
あなたは、あなたよりも自我率の低いゾンビを相手にしてすらも、
その相手の身勝手な言い分を、受け入れたり、妥協したり、
相手に服従させられるハメになります。
ようは、自分に不利な状況、
自分に、不愉快な状況、
自分に、不安な状況、
こうしたものが訪れたときに、
全自我の人であれば、それを「解決」しようするアクションを起すのに対して、
希釈自我の人は、状況から受ける不愉快さや、不安から早く逃げたいになり、
その逃げる手段として、
「妥協」「我慢」「服従」をしてしまうのです。
■今回、裁判所の調停の中で、私が計算したのとは違う、
まずい展開になりそうになったのですが、
そのときに、私は、「全体の状況」がどうなっているのかを総合的に判断して、
その上で、打てる手を打ってみました。
それによって、状況は180度ぐらい変わりました。
しかし、そういう私の中にも、「一瞬だけ」ですが、
「うぁ、めんどくせぇーなー」という思考がよぎり、
そのときに、
「あ、これだ。
希釈自我の人たちの最大ともいえる弱点は。
面倒なことは嫌だ。
不愉快なことは嫌だ。
あー、もうどうでもいいから、
この状況を早く終われるならば、
相手に妥協してもいい、
という、その後ろ向きさ」。
そんなことをしていて、自分は誰かのせいで不幸になったとか、
言い訳をしてる人がいたら、そんなのは自業自得です。
そういう人の人生のほとんどが、「不戦敗」なのですから。
戦ってもいないで、負けているのです。
■しかし、ある状況を「面倒だな、いやだな」と思う癖というのは、
希釈自我の人だけではなく、全自我に成りたての人にもあります。
しかしそこで面倒だから、不安だから、不愉快だから、
で理由をつけて逃げるのではなくて、
どうしたら、解決できるのかを探るのが、元から全自我の人達です。
もしもそうしなければ、全く働く気のないニートと同じです。
何も、やってもみないで、不安がるだけ。
また、やっても、ちょっとしかやっていないのに、
すぐに「不安だ」「めんどうだ」と言い出す。
しかしこれは、ニートだけではなく、
主婦だろうが、一家の主人だろうが、誰であろうが、
必ずひっかかりやすいトラップです。
■それを克服するために唯一の方法は、
現場での戦いに慣れておくことです。
特に、自分にとって都合の悪い状況が生じたときに、
面倒なのと、不愉快なのは嫌だという、条件反射的な逃げ腰に入らずに、
「どうやったら解決できるか」に全力を使うことです。
■こういうことを、平素の家庭内や、社会生活の中で、
ふだんから、繰り返しやっていない人は、
死んだりなんかしたら、とてもではないですが、自分の意志など、
通せません。
たかが人間相手にすら、尻ごみしたり、何かを面倒臭いと思ったり、
不安になると、逃げたくなる心理、
そんなことでは、死後に、自分の意志を通すのは不可能です。
それが不可能ならば、また、再び、現在と同じかそれ以下の環境との契約に、
あなたは妥協したり、服従することになります。
■私が見ていると、「全自我ではない人」は、危ないです。
また、たかが「小悟程度」しかしていない者も、完全に、駄目でしょう。
ロクな転生をしないことは間違いないです。
さらに言うならば、生まれつきの全自我なのではなく、
自我復元によって「全自我まで自我回復した人」ですらも、
それまでの希釈自我時代に、正しい戦闘をした経験がないので、
今回、生きているうちに、「トラブル解決」の「勝率」を、
実生活の中で、実績として上げておかないと、
経験不足を原因として、
希釈自我と同じような「逃げ腰」をやって失敗します。
とにかく、希釈自我の人は、どの人も、
>物事が自分に圧迫をかけてきたときに、戦うのを諦めるのが、早すぎます。
>それは、もはや異常な精神状態と断定出来るほどに、諦めるのが早いのです。
私に言わせれば、
自分にふりかかるトラブルや不愉快さや、面倒な展開を、
どう解決できたか?という実績だけが、その人間の価値を決める。
自我が全自我になっても、中途半端な小悟だけしていても、
そういう人よりも、私から見れば、たとえ希釈自我の人でも、
精一杯、物事を解決しようとしてきた人の方が、
ずっと人間、または生命体として、賞賛に値する。
結局そのことが、
全自我になるまでの自我復元の過程でも、全自我になったあとにも、
大きく「存在している価値の差」として出てくる。
駄目な人間の口癖は、対立したり、トラブルになったり、
不安になったときに、相手に対して、
何かあると、すぐに、
「もういい!!!」
「うるさい!、もういい!!」
「もうやめて!!」と、軽々しく言う連中です。
それを言った瞬間に、彼らは、不安やトラブルから早く逃げて、
うやむやにして、自分で進んで「神経麻痺」するため、
彼ら自身の自我も意識も、捨てたのです。
口で前述のような事を言って、面倒さから逃避することもあれば、
酒を飲んで逃げる者も多くいます。
そんな人間の未来には、
自業自得の、つまらない人生が待っていて当然です。
なぜならば、自我も意識も、大切にせず、
ないがしろにしたのですから、
「意識や自我の側」に言わせれば、
「私のことを、大切にせず、私をきちんと使わないのならば、
私は、今後、お前には力を貸すことはしない」と、
自分自身の、意識や自我に見放されてしまうからです。
あなたが、相手(あなた自身の大切な意識や自我)を捨てたのですから、
あなたも、相手に捨てられて当然です。
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