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無明庵日記●猫の足跡-その545● 【禅書の感想のおたより】
by:
鈴木崩残
2013/02/28(Thu)06:57:01
禅書作品の感想のおたより
●少し前に書いた作品ですが、詳しい感想を戴きました。
___________________________
崩残さん こんにちわ。
たいへん遅くなりましたが、1月に書いていただいた禅書の感想をおくります。
今回の「観」「醸」「識」「體」の四文字ですが、
いつもは一つだけ飾っていたのですが結局選ぶことができず、
4文字とも、お気に入りの文字を机の前(PCの前)に並べて置いて、
そのほかの文字はいつでも見れるように手元のファイルに入れておいてます。
四文字で1セットという感じです。
DVDを今回は手元に届いてから10回くらいは見直してます。
崩残さんが書いているときとても楽しそうで緊張感なく、
独り言のようにしゃべっている姿に、
こちらも微笑みながら、突っ込みを入れながら見てました。
あれーーこんなに笑っていいのかしら。。。と思い直し、
前回のDVDを見直したらとっても緊張してしまった。
自我判定を初めてしたいただいた時だったので妙な緊張があったのか・・・。
3回くらいDVDを見比べてみたけど、緊張と緩和ってくらいに違う。
緊張感が抜けた結果でしょうか?
同じ人が頼んで、同じ人が描いているのに、不思議ですね。
今回の文字を「潔い」と言ってくれたこと、うれしかったです。
今、私が必要としているものを一文字で表す字は何か?と、
こだわって文字を選んでます。
だから文字が浮かんでくるのに三年かかってしまいました。
*********
>『観』(行書体+創作書体)
かわいいでなく、ユニークというところが、うれしい。
スピード、スピ―ド、スピード!!
丸みを帯びた文字と右上がりの文字。
対照的。
丸みを帯びた字は、丸っこくて暖かくてぐるぐる渦巻きのよう動いている。
この字は動いている。
紙の上という平面の世界に書かれているけど、
ぐるぐる、もぞもぞしながら、お囃子に乗ってうごいてる。
テケテン、テケテンって音楽と一緒に、動いていて、
「これが私ですが、何か?」って自己主張してるな。
書を見るというより、一緒にいると、力みがなくなって、
「あんたさ〜〜、周りの顔色伺ってて、どうすんのさ〜〜〜
あんた、人とは違うんだからさ〜〜〜
ええかげんにしたら、どうや〜〜^」
上記のように言われている感じがします
今まで人に合わせようってしてたけど、
合わせることできないから、これでいいやーーと思えました。
私ってユニークなんだ・・・・ユニークでいいんだ・・・
それで、いいんだよね〜と、思えました。
右上がりの「観」
これは、スピード。
彗星のように流れ込んでくる感じ。
おらおらーーー!!観ろよーーって感じで、脳みその中に飛び込んでくる。
勢いがある。
現象に対して、リアルタイムに乗って対処していかないと、
すべてが、無かったことにされていくよ。そういわれている。
時間の流れが早いんだから、時流に乗れよって言われている。
小さなことにこだわらない、こんなことしたら恥ずかしいとか、
怒られるとか、笑われるとか、が怖くて体が動かないなんて言ってる暇ないよ。
もう、ちゃんと流れに乗れるようになってるんだから、動かなきゃね
細かいことは、「もう、どうでもいいやーーん」っていってる。
DVDのなかで崩残さんが、
「どうでもいいですよーーーーーん」と言われてましたが、まさにそんな感じ。
力みないけど、力強い。
筆の入り方が、バン!!とはいってそれから、
ささっと滑るように撫でるように、動く筆、一気に書き上げる雰囲気が、
「おお!!そんなのでいいんですか?
そこまで適当にやっちゃっていいんですか?」
あっ、でもちゃんと字になってる。
作品として成り立っているし、いい感じじゃないですか。
乗ってる崩残さんも見ていると、クスっと笑ってしまいました。
>『醸』(楷書体+創作書体)
この字を見た、最初の感想。
龍の背中に乗っている。
(龍の背に乗っている観音?もしくくは、竜の子太郎のような)
もしくは、ベンハーの映画に出てくるチャリオットに乗っている様。
スピ―ドのある乗り物に乗って進んです様子がありました。
書いているのを見てたら、泣いてしました。
布団かぶって(コタツの上でパソコンを見ていたので)号泣しました。
力を抜いて、ささ〜っと動く筆先や、崩残さんが、
>>「全体的に筆のタッチがソフト、力が抜けている、
>>いい意味で力が抜けて、部分的には正しい字ではないが、書いていて私が心地よい。
>>今まで、そちらにあった完璧主義がなくなっている。
>>必要以上にプレッシャーをかけない、完全であろうとしないのがいい。
>>いいですよ〜〜〜〜ん」と言われているのを見ていると、
あーー、力抜いて、適当で、いい加減でいいんだ〜〜
それでよかったんだ、と思えて泣いた。
何度見ても「醸」のところを見ていると、泣けてくるのです。
一度はトラウマを見ているとき、あまりに辛かったので、
DVD見ていたら 私、、つらーいい。苦しいよーーって泣いてしまったり、
その時にわたし、辛かったんだ。
この辛い、苦しいという感情を押しこめて、感じない様にしてたんだ。
私よりもっと苦しい人や頑張っている人がいるのに、
だらしなくて、何もできない私は、
「弱音を吐いてはいけないと無意識におもっていたのだ。
子供時代も結婚してからもずっと、
私辛かったの、苦しかったの。
そんな心の声を吐き出したかったし、誰かに認めてほしかった。聞いてほしかった。
そんな感情があふれた涙でした。
完璧であろうと、(完璧というよりは理想の姿をもとめて)、
これでないと、認められない、これ位出来て当たり前で、
周りから文句が出ない様に、怒られない様にしようとやってみたけど、
出来なくて、出来ない自分にもっと完璧にしないと普通ではないと、
追い込み、自分を責めてましたね。
誰にも責めれず突っ込まれない様に知るためにも、
完璧にしないといけないプレッシャーもありました。
昨年の5月から「だって、私、できないんだもーーん」と認め、
「力まない」「脱力」これをテーマにして、出来なくても責めない。
完璧を求めずほどほどに80%くらいを目安にOKを出す。
やりたくないことは、やらない。適当でOK。
これをやってきたので よっしゃ―!!効果が出たぞ〜〜、
ざまあみろ!!って言う涙でもありました。
旦那やその両親(旦那はもう個人ではなくて、「・・家」という旦那と、
その両親一塊のような存在になってます)、そして実母に、
散々に、駄目出しされて何もできない、だらしない、ルーズな奴と言われてつづけ、
何をしても、何を言ってもお前には無理、できるはずがないといわれ、
散々バカにされてきたけど、
お前ら、何もしないで人の批判ばかりしてしているだけなのに
私は自分の力で乗り越えてやったぞ、ざまあみろ、という涙でした。
いままで、コツコツとやり続けてきたことに対して、
褒められたり認められたことがなかったので、
今回の「醸」で今の状況を、それでいいだよって言われたようでした。
本当にうれしかったし、がんばってきた私にたいして、
よし!よくやった、それでいいんだと、自分自身に対して褒めてあげました。
うれしくて うれしくて 今も書いていると、ウルウルしてきます。
書いてもらってよかった。
頼んでよかった。
ジャストの字を選べた私、えらい!!
自画自賛してます。
だから、少し気分が落ち込んだり、停滞を感じた時に、
DVDを見ていたんだなと思います。
いままで 褒めてもらったことないんですね。
どんなことをしても、母親は、自分のことしか話さないし、
私の話は聞かないし、話したくても、話すと、
「私はもっと大変だった」などなど、自分の話に持っていき、
自慢話や愚痴が始まり、
もう、この人に話したり褒めてもらうなんて無理だと思ってたので、
誰も、まともに私のことなんか相手にしてはくれない、
真面目に、テレビに出てくるような理想、
に何でも完璧にこなす人ではないとダメなんだと思い込んでいたようです。
とにかく 一番のお気に入りは
崩残さんの「いいですよ〜〜〜〜ん」という言葉です。
ほんと、「いいですよ〜〜〜〜〜ん」の伸び加減がいい味出してます。
そんな伸び加減でかかれた字は存在感があって、
かなりかっこよい字になっているので、
字を見るたびに、それていいんだよ〜〜〜んと言われているようです。
>『識』(草書体)
「意識」をお願いしたのが、
「識」という字に、熟語が全部凝縮されています。
崩残さん、本当にセンスがいいなと思いました。
がつっと始まった字は、私の「識」はたくましいんだ。
以外に転んでは、ただでは起きない。
がっつりとた逞しさがあるんだ。
そう思いながらみていると、
小学生のころから苛められていたことを思い出しました。
小学校の時の担任が、今思えばクレームもんの教師で、
忘れものをした児童が多かったりすると、
授業をすることをやめて、黙り込んでしまうことがしばしばあって、
それを起こすきっかけを作ってしまうのが私でした。
良く忘れものをする私に怒り、カバンを持たせ、家へ帰れと、
教室から追い出したりされたし、
授業をせずに、机の上で俯いたままで、
児童は先生のご機嫌が直るまでずっと待つことがおかったです。
本当によく怒られたし、バカにされたし、
そんな姿をみている同級生は、
当たり前のように、無視したり、バカにしたりしてました。
今思えば、それは、苛められても仕方がないな、
私もそんな子がいたら絶対嫌って無視するな、と思います。
でも、でも、、、良く考えたら 教師の注目を一身に集めてたんです。
方法はどうであれ、
私を見て!私を認めて!!という存在をアピールすることには成功してたんだ。
すごいな。・・・私、40数名の児童を振り切って、
ダントツで先生の注目を集めていたんだ。
そんな風に思えました。
他の児童にしたらいい迷惑だったでしょうが、
他人の迷惑顧みず、欲しい!やるんだと思うことは、
やり遂げる力はあったことに気が付きました。
ただ方法は、あまりにも悪かったとは思います。
これは母親からきていると思います。
毎日他人の悪口を言い、私は被害者であり、
こんなに頑張っているの誰もが私を悪く言う、
感謝しないなどなどを言い続ける人でしたから、
ダメな子、手のかかる子になっていないと、母は注目してくれないので、
苛められることや、ダメな自分を演出することで、
相手から気を向かせようとすること学習していたんだと思います。
>『体』(草書体)
この字は「骨」に「豊か」。
確かに「からだ」は、骨が豊かだよね、とおもいました。
いろいろ字を書きながら探っている雰囲気が、おもしろかったです。
この字は自分のためでもあるのですが、
仕事場に飾りたくておねがいしたので、
ほかの文字とはすこし違った注文でしたので
その違いを感じている崩残さんを見て、すごいなと思いました。
體って固定したものだと思いがちですが、
とても繊細で細かい動きや作用が行われていて、流動的だと思います。
そんな感じを、力強く書いてくれてありがとうございます。
失礼な言いかたですが、
「崩残さん、わかっているじゃないですか!!」
とDVDみてつぶやいてました。
この字は額縁にいれて自分の部屋に飾って、仕事場にも飾ってます。
*********
今回報告が遅くなったのは、過去の禅書の時のDVDを見直したり、
DVDを何度も見たり、字を眺めていたり、
そんな時間が流れていて、気が付けば2か月近くたっていました。
今回の禅書で、初めて感じたことは、
呪符というか、書自体が、とても作用があるのだと思いました。
いままで思いもしなかったことを思い出したり、吐き出したり、
「禅書」は 「滲み書」より、
より個人的にダイレクトにサポートしてくれているんだと、はじめて思えました。
書いてくださってありがとう。
心からそう思えます
自我復元を初めて三年目になり、
初めのころから崩残さんからサポートしてくれたこと、
砂手さんの心使い、いろいろしてもらっていたのに、
それに気が付かず、気が付く余裕もなかったようでした。
自我率が上がってくることで見えてくる、余裕が出てきたのかとも思います。
この2か月で、旦那とも話あい、
強引に私にセックスを迫る旦那と、
なぜ私がSEXしたくないのかも、きちんと旦那に直接に話す事ができました。
今までは、漠然とした思いを言葉にすることができなかったものが、
それを言葉として伝えることができ、
今は、旦那からの「させろ」という暴力的なプレッシャーはないです。
おまけに、ひとりで海外旅行してきました。
海外旅行と言っても現地集合・解散のツアーなんですが、
出入国を一人ですることは、自分で考えて行動することの心地よさ、
達成感とともに、味わう充実感を感じてきました。
私でも出来るもん!!という感覚を思い出しました。
今まで、旦那や家族に、いろいろな事を「やるな」と、
抑圧されていたんだな、と思います。
ここらは、トラウマ堀りの報告として、
また別メールで報告させていただきます。
何度もお礼を申し上げますが、
書いてくれて、ありがとうございました。
今回の禅書で、感情の解放が起こったようです。
しばらく、この字たちとともに、
トラウマ堀りの作業や感情の解放を行っていきます。
「禅書」と類似する話
●そもそも、私が「禅書」という時には、
それは、私が独自に定義した言葉で、一般の禅書とは意味が違います。
たとえば、禅師が書いた、書や水墨画だからと、
その作者が禅師であったというだけで、
おっそろしく下手くそな書が評価されたり、
また、逆に、確かに技術ではない「力」がそこにある事を評して、
禅書ということもあります。
もっとも、中は、ただ「丸」を書けば禅書だと思っている馬鹿もいる。
●私の場合の禅書は、今回の感想をくれた方が表現したように、
「カウンセリング」の要素を、かなり含んでいます。
もしも、私が本当に純粋に「禅書」と定義するものを欲しい方は、
「無無心の書」を依頼すればいいだけです。
●しかし、通常私が、「禅書」という場合には、「無無心の書」とは
分けています。
しかし、言うまでもなく、禅書を注文されたことのある方は、
「無心の書」を私が頻繁に差し挟んで、その人に合う文字を探り、
時には注文した字ではなくて、もっとその人に合う、別の文字を選び出したり、
その人が注文した文字でも、その人に利するような変形を試みて、
あーだこうだと、奮闘しているシーンを見ていると思います。
●わずか数秒か、十数秒で書かれる書を、20枚前後同封して、
それに対して私は価格をつけているわけですが、
ほとんどの場合に、2時間以上の時間がかかっています。
書くのはたったの数秒ですが、
そこに至るまでに、捨てられる紙の量が100枚を超えることは、
個別のDVDで見ていると思います。
●禅書の依頼を受けるというこの仕事(手法というか作業)は、
2009年頃から、はじめましたが、
以前にも書いたように、書など書いたことがない自分が、
そんなことを引き受けられると確信するまでに、さらにその前に、
何年かの準備期間がありました。
自動書記にいたっては、その経験は、私が20歳の初頭から続いていますので、
かれこれ30年を超えました。
また、近年では、手裏剣術でそれを体現する無心剣も、ほぼ完成しました。
●厳密に言えば、人様からお金を取ってもいいと決めた書は、
2009年から始まったわけですが、
この4年間で、私が練磨したのは、技術ではありません。
もしも四年間に技術を養いたいと思ったのであれば、
私は、4年間、臨書を続けていたと思います。
書道教室に通うか、通信教育で、いわゆる「美しい文字」を書く、
訓練をしたと思います。
●しかし、4年間に私がやり続けたことは、
どこの誰とも分からない、面識のない人(面識のある人も含む)から
突然に来る予測外の文字を、ただ書くのではなくて、
それがその人の、部屋や、手元にあった場合に、
その人にとって、自分の実態を認識する鏡となったり、
または、その人の助けになる文字を書くことに費やされました。
その感覚を磨くためには、書の技術などは二の次で、
何百という、いわば、対戦というか、
注文者の精神状態や、内面と向き合うという、
ぶっつけ本番の実戦のようなものでした。
●書の落としどころは、あくまくでも、注文者に利するかどうかですから、
私が書きたいと思う、かっこいい文字を書くのではありません。
実際、これも何度も言いましたが、
私は、自分のためには、書が書けないのです。
何度か書いてみましたが、他人の要請か、何か他人のきっかけがないと、
まるっきり、かけません。
書いても、自分の為のものは、しっくりこないので、
ほとんどは、すぐに捨てることになります。
●もし、欲を言うならば、
一枚ぐらいは、自分が残しておきたいと思える、
私が個人的に、やったぜ、すげぇー、かっこいい、と思える書を
書いてみたいとは思うのですが、
それが出来たためしはただの一度もありません。
おっそろしくカッコ良く「結果として書けた」ものは、
すべて、依頼者の手にあるか、または読者の誰かの手に渡っています。
たまに、偶然に出来たが、依頼人にはどうも調和しないという良書を、
短期間、ストックしておくことがありますが、それは、私ではなく、
別の誰かに受け取られるのを待っている書だったのです。
●そんなわけで、私は、いわゆる俗に言う「書」には、全くド素人で、
未だに、書体や書き順の「辞書」を見ないと書けない文字も沢山あります。
しかし、依頼人、注文者の内面から書の形を引き出すということは、
私以外の人間には、そんな簡単には出来ません。
ほとんど不可能です。
これは、私にしか出来ないぞ、と自慢しているのではなくて、
そのあまりの難しさを、私自身が、誰よりも知っているから、
その事実を言うのみです。
●口だけで、「これはあなたに合う字にしました」とか、無心で書きました、
なんていう、模倣の詐欺をやる馬鹿はいそうですが、
受け取り手に、何も起きませんので、すぐにバレますし、
そうい文字は、見るからに、「雰囲気が稚拙」なので、
誰が見ても、すぐに分かります。
霊気を込めましただの、趣味で無心で書きましただのという、
スピ系連中の書など、とても見れらたものではないばかりか、
彼ら自身の精神の歪みも投影されていますので、見たり飾ると、
有害ですらあります。(むろん私見ですが。)
●実際には、私個人は好きではないような形に、
文字が仕上がることもありますが、
それは、依頼者にそれが必要なのでしょうし、
一方では、今回、掲載した方のように、
私がその人の楽しさと一体になるような書き方になる場合もあります。
とにかく、形が決まっていないので、結果は、いろいろです。
意志や、主体性が、はっきりしない人の書は、
やはり、最終的にも、はっきりとしない書になります。
●ですから、私にとってのこの4年間、そして、その前をいれた数年間は、
「お習字」の練習ではなくて、
「自動書記」を、カウンセリングに応用し、
かつ、デザインとしても、その人が楽しめる次元に落とし込むことの
実験に次ぐ実験でした。
確かに、2009年の初期のころは、
創作的な要素よりも、露骨に、技術無視だが、効果はある、
という「無心の書」の要素が強かったものが、
その後は、季節の気温ごと、あるいは書く文字によって、
墨の濃度や、水温の調整をしたり、
使う筆の選択にも、多少の気を使いつつ、
多少なりとも、書の持つ芸術性を含ませることも試みてきました。
最初は筆は、たったの一種類しか使いませんでしたが、
今では、主に5〜6種類ほど使い分けています。
ですから、2011年あたり以後の書は、
ずいぶんと、「一般の普通の書」とも「交差する要素のある」、
仕上がりになっていると思います。
ただし、「無心の書」の応用を随所で小出しに使うという、
この私流の書の、最も重要な価値を左右している、
「本質的な要素」は、今日でも、依然として希釈されていません。
●で、ちょっと「無心」とは、テーマは、ズレるのですが、
一瞬の技の背後には、何年もの稽古や、実験や、研究がある、
という事について、語られているブログの記事をリンクしておきました。
↓
【濱田庄司に見る、「一瞬」の厳しさ】
http://saitamagyoda.blog87.fc2.com/blog-entry-404.html
『 私の仕事は、15秒プラス60年 』、
実に、イカした、深みのある言葉ですが、
安易に真似しちゃいけませんね。(私の自戒です)
●さて、一方で、次の記事の「軸」についてなのですが、
私は、武術経験は、(ゼロではありませんが)とても少ないですが、
前述した、「禅書」の作成の中では、
一枚の紙の中に書かれる書作品においても、軸というものがあります。
どれだけのびのびと、暴れた文字や、紙の外側に飛び出しそうな書、
または、前衛書のごとく、抽象化された書や、
どれだけ、一見すると均衡が崩れたように見える書も、
そこには、移動してゆく軸の痕跡が記録されており、
「全体」として、必ずバランスを保っているものなのです。
そうしないと、作品を見る人の精神の軸が定まりませんから。
私は武術における軸には、全く、うといですが、
「書」の世界となると、そこでの軸の構造については、嫌というほど分かります。
さしずめ、
「楷書体」は、「型」どおりに、軸を守る稽古でしょう。
「行書体」は旧字が多く、また、ものによっては、
楷書体よりも丸みがあり、少し柔軟性があるのですが、
それでも分類としては、まだ「型」における軸の稽古かもしれません。
それが「草書体」ぐらいになると、
「約束組み手」での軸の稽古あたりに該当するかもしれません。
そして、
「創作書」になると、もうそれは「自由攻防」での軸の使い方になります。
「創作書」というのは、多くの製品ロゴや、店の看板に使われている、
いわゆる「デザインとしての書」で、
単に習字の練習だけを積んだだけの人には、不可能であり、
高度な技術と、柔軟な発想と、臨機応変さを持たないと書けません。
これは、武術で言うと、極めて「実際の対戦」に近いです。
そして最後に、
「無心の書」、さらには「無・無心の書」までいくと、
もうそれは「戦い」ではありません。
市村氏の記述を借りれば「夢想剣」なの「かも」しれません。
【佐藤忠良にみる、「軸」の捉え方】
http://saitamagyoda.blog87.fc2.com/blog-entry-403.html
★ちなみに、そもそも、「日本の書道って、何?」という方の為に、
昔、「書道の種類」を、解説しておいた記事があります。
↓
http://www.mumyouan.com/k/?U1358
_______________________________
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