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無明庵日記●猫の足跡-その604● 「他人に不幸になれと思った理由」【アンケート回答】
by:
鈴木崩残
2013/08/19(Mon)05:13:25
アンケート回答
二つ前の投稿のアンケートへの回答のいくつかです。
*********
>あなたは、
>1/「相手も、自分と同じように、不幸になれ」と思ったことはありますか?
1:
弟に対して、
「なぜ、私と同じように、手伝いしろとか、言われないのか?
お前もやれよ。そういわれろよ。」
と、思ってもよさそうだったのですが、そうは思いませんでした。
結構頻繁に、母に、
「なんで弟には言わんのに、私にばっかり言うんよ。」
と、聞いては、
「あんたが女の子やから言うねん。」
と言われていて、
「私がダメだから、言われるんだ。女だから言われるんだ。」
と、自分のせいにしていたからだと思います。
ただ、「ずるいな。いいな。」とは思ってました。
これが、弟に、ベクトルが向くと、、
「お前も不幸になれよ。」とかになるのかもしれませんが、
私は、彼のことを憎むなんて嫌でしたし、
その、「ずるい」と思う自分も嫌いだったので、そうは思いませんでした。
ただ、根本的には同じだと思います。
2:また、一番初めにちゃんと付き合った彼と別れた後、
彼の不幸を願ったことはありますが、
「自分と同じように」とは思いませんでした。
今のそのままで、誰かに、ボロボロに言われて、傷つけばいい。
そうやって、自分のダメさを理解しろ。
と思いました。
別れる前に、自分で言ってれば、こんなことは考えなかっただろうな〜と、
今では思います。
でも、のちに、出来れば幸せであってほしいな と思うようになりました。
>2/その場合、具体的に、どう不幸になればいいと思いましたか?
1は、不幸を望んではいませんでしたので、とばします。
2:とにかく、彼は、自分の病気のことを、両親のせいにしていました。
彼は、****病という難病を患っていましたが、
その原因は、親から受けたストレスのせいだと、いつも言ってました。
それで、その腹いせに、スネをかじって、生きてやる と、当時の私から見ると、
情けないことを考えている人でした。
でも、当時の私は、彼に対して、自分の思っていることを、何も話せませんでしたので、
「私が考えているようなことを、誰かに言われて、傷ついて、不幸になればいい。
それまでは、そのまま情けないまま、不幸なままでいるがいい。」
と、思いました。
次に付き合った人に、ぼろくそに言われて、ボロボロになって、
振られて、傷ついて、私が感じた気持ちを少しでも理解して、
変わってほしいと、思ってました。
>3/その他、どうして、そういう思考になったのか、
>(無理をして、分かったふりをせず)、
>ご自分で理解できている範囲で、解説をしてみてください。
他人に対して「不幸になれ」と願ったことがあるか?と問われると、
ない。とは言えません。
でも、それは、
「私から見て、ダメなところを、あえて言わずに、
勝手に自爆して、不幸になれ。」
ということだったので、今回の話とはちょっと違うかもしれません。
どちらかというと、私は、
「私が不幸なのは、私にしか、わかるわけがない。
お前らなんかに、わかるはずがない。」
という、全く逆の考え方をしていました。
ただ、根本的に理由は同じ気がするので、掘り下げてみました。
私の場合は、そうやって自分の「不幸自慢」をしていたようなものなのです。
キーワードは、
『そうでも思わないと、自分が無価値に感じて、自分を保てなかった』
になるかなと思います。
自分の家のことや、父のキチガイのような行動、母からの仕打ち、などから、
私は、自分のことを、「みじめで不幸だ」と本心では思っていました。
ただ、その感情は、とても「不快」なので、認めたくないものでした。
その「不快感」から目をそらすために、私は、心の中で、自分と同年代の子に対して、
「お前らが私と同じ目にあったら、きっと耐えられないようなことも、
私は経験し、耐えてきた。だから、私はすごいんだ。
お前らなんかに、この私の気持ちなんかわかるわけない。
だから、わたしはみじめなんかじゃない。不幸じゃない。
同情されるなんて、許せない。」
という考えを持っていました。
なぜ、こんなことを考えていたかというと、
『そうでも思わないと、
自分が「みじめで不幸で」生きていても意味がない、と感じてしまい、
そのままではとても、自分のことを保てない。』
と感じたからです。
なので、私は、「他人の不幸」をあんまり望みませんでした。
みんなが不幸になってしまったら、
私が握りしめていた「不幸」に価値がなくなってしまうからです。
ただ、これは、「本心」とは矛盾します。
私は「不幸」なんて、欲しくない が本当の本心ですが、
「不幸」にしがみつかないと、自分のことを保てませんでした。
なので、「不幸はいらない」と思いながらも、
その「不幸」であることに、「価値があるんだ」と思いこもうとしていたのだと思います。
「不幸であることが、無意味、無価値であったらば、
今までの私の人生って、いったいなんだったんだろう。
ただの、無意味で、無価値なものじゃないか。そんなのは嫌だ。」
これが、私の握りしめていたものです。
・「自分と同じ目にあって、不幸になれよ。」って思う人の、本当の望みってなんだろうか?
と考えると、
「私の気持ちをわかってよ。助けてよ。」
になるのかな・・と思います。
元彼に感じた恨みの感情も、結局、
「私のことを、もっと、ちゃんとわかってほしかった」というところから来ていました。
不幸である自分のみじめさからくる「不快感」を見ないようにするため、
もしくは、解消するために、
同じ「不快感」を相手にも、味わってもらって、
「同情してほしい。私のことを認めて欲しい。すごいって言ってほしい」のかな?と思います。
この場合は、自分のことを「不幸である」とは感じているけど、
認めたくなくて、
それが、「自分だけ不幸なのは、不公平だ」となってしまい、
さらには、「あいつが私より不幸であれば、私はそんなに不幸じゃない」と思いたくて、
「私より不幸になれよ」と、さらなる不幸を他人に求めるのかな と考えました。
つまりは、「自分の今までの人生に価値がない と思いたくない」
というところから来ているのかなと、考えました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
もともと、あんまり他人に不幸になってほしいとか、
つらい目にあえよとは思わないので、いまいちまだ良くわかってません。
なので、あんまり参考にならないかもしれませんが、
私なりに考えてみたことです。
******************
>次の方のは、状況説明の部分はカットしました。
この会話があった前後の5月、6月頃は、この同僚のことで頭がいっぱいでした。
関心マップもほとんどこの内容でした。
今、思い出しても、またフツフツと頭が沸いてきます。
初めは、この同僚が悪いから、僕の怒り(?)は正当なものだと疑いもしませんでした。
しかし、どんどんと違う方向に思考が拡がっていきました。
ぶん殴りたい。ボコボコにしたい。
お前なんか、失敗しろ、それでしこたま怒られろ。俺のように。
俺のように苦しめ。よくわからない業務で右往左往し、
それで「使えねえヤツ」と罵られればいい。
罵られても、ずっとずっと我慢してろ。俺のように焦りと不安の中にずっといろ。
俺は毎日、罵倒されたのに、なんでお前は怒鳴られないんだよ。不公平だろ。
課長も、なんで俺の時みたいに、コイツを怒鳴らないんだ?
その同僚がいないところでは、文句いってるくせに、面と向かって言えよ。
5月、6月は毎日毎日、会社に行っても、会社から帰っても、
引いては休日の時さえも、執拗に、これが頭から離れませんでした。
><設問3>(その他、どうして、そういう思考になったのか)の現状認識
思い返してみると、こういう思考は、この同僚だけのケースだけではなく、
私の人生の中で、しばしば顔を出してきました。
ほとんど、梅の間に書かれてある通りなのですが、
「おれは我慢したのに、なんでお前は我慢しないの?お前も我慢しろよ」
でも、実際は、私も事あるごとに他人に助け舟を頼み、
自分で出来る努力を惜しんだこともままあるのです。
常に不安と焦りがあって、精一杯やっても成果が上がらず、
それを仕事が出来る上司や先輩社員から見たら中途半端で、
怠慢なヤツだと思われても不思議ではありません。
不安がって、焦るだけで消耗してしまっています。
なんで不安と焦りを感じるのか、我慢したって、何を?
確信は持てません、が、小学生になる頃には、
両親と兄弟の顔色を伺っていた、というより、
私を含めた子どもたちの素行が両親の機嫌を損なわないか、
こう考えていたことは確かです。
少し前に、3人兄弟の真ん中は、ACの傾向になりやすいという記事がありました。
記事に書いてあったからといって、自分もそうだと結論付けるのは早い、
と思っていましたが、この思考が発生する状況に少し傾向があるのです。
それは、「母に手間がかかるケースにその思考が発生しやすい」です。
・自己破産問題をウチにまで持ち込んだ叔母
・ロクに勉強もしなかったくせに、母を奨学金の保証人にさせた従妹
・結婚して独立したくせに夫婦間の問題を持ち込んでくる弟とその嫁
・いつもかまって欲しいオーラを出しながら、母を守るは俺だと強がっていた父
お前ら、そのくらい自制しろよ。お母さんに手間とらせるんじゃないよ。
・・・・・・・・・
お母さんの愛情は俺が独り占めしたいんだ??
まさか、私はそう思っているんじゃないか。
私は、3,4歳のころにはすでに、常に母を探していた。
母がいないとすぐ泣くし、出張の時はいつも熱を出していたそうです。
まだ確信がもてませんが、完全に外れている気もしません。
弟の出産のために、理由も聞かされず知り合いの家に預けられ、
今日は迎えに来る、今日は迎えに来る、いい子にしていれば。
そう耐えて過ごした1週間後、弟を大事そうに抱えた母がやってきた、
その時はかなり衝撃を受けたはず。
かすかに記憶に残っているのですが、その衝撃が完全なまでに蘇っていません。
これはあまり関係ないのか、その後は愛情もって育てられて解消したからか、
それは調教なのか、そこまではまだわからないです。
以上、報告を終わります。
・・・・・・・・・
******************
[1852]■ 無明庵日記●猫の足跡-その602● 【私も、欲しい、と言えないAC】
に関し、思い当たることがりましたのでメールしました。
>1/「相手も、自分と同じように、不幸になれ」と思ったことはありますか?
私の場合、仕事であります。
利益率の上がらない、ほとんどサービスのような内容で、
残業手当の出ない時間外の仕事や、
仕事を進める為に、都度、関係者(役所や団体、近隣住民など)と、
打ち合わせが必要なのだけど、打ち合わせ先はこちらに好意的ではない。
苦情処理も並行しながらの、進めにくい仕事などを納期も迫っているので、
プライベートの時間も割きながら進めていくこととなった場合で、
このような状況の仕事をまわしてきながらも、
「どんな仕事だろうと、会社の為に利益を上げてこい、
人員不足で、これ以上人はまわせないからおまえがなんとかしろ、
経理の都合があるから、どんなことをしても納期は遅らせるな、
仕事ができないのはお前の能力が低いせいだ」
と言いながら、ほぼ定時で上がっていく、上司に対し、
「お前も私と同じように、不幸になれ」
と思います。
>2/その場合、具体的に、どう不幸になればいいと思いましたか?
私と同じように、足りない納期に間に合わせる為、
出すのが困難な数字を上げる為、
毎回折り合いを付けるのに時間と手間がかかる、発生の予測が付かない苦情処理に、
プライベートの時間も割きながら、対応しろ、
そして、仕事以外のやりたいことが、十分にできないという不幸を体験しろと思いました。
>3/その他、どうして、そういう思考になったのか、
>(無理をして、分かったふりをせず)、
>ご自分で理解できている範囲で、解説をしてみてください。
私と同じ境遇に、上司がなれば、私の担当している仕事が、
納期が遅れがちになる理由や、
利益が上がり難い理由、
進めるにあたって、
時間や労力が条件の良い仕事に比べ多くかかる理由、
また、仕事を受注してきた上司や、会社の人員不足など、
うまく仕事が進まない問題点が、
私が上司や会社に言わずとも、
上司が理解することができ、
会社の問題点として対応され、結果、
上司や会社が、私に対し会議の度にきつく当たることが少なくなるだろう、
また、私自身も「こんなはずではない自分」
を、直視することがなくなるだろうという思いがありました。
「私が上司や会社に言わずとも」
という所に利点があると思ったのは、
私が直接上司や会社に主張することで、
会社に居づらくなるのではないかという思い、
対応できない仕事を他に振れなくなるという思い、
今よりも、状況が悪くなるのではないかという思いがあり、
このような思いを、私がしなくて済む為に、
上司に同じ境遇を体験させようと考えていました。
******************
梅の間に掲載されていた(猫の足跡-その602)質問について、
考えていました。
というか、今、私自身が、「同じように苦しめ」と思っている相手がいる。
そのことが気になって、メールを書いています。
私は、今、母に対して、そう思っている。
毒母に対して、そう思っています。
私は、前にも書いた「5円玉事件」のこと、とても根深いと思いました。
その時のことを、8月に入ってからも思い出しているのですが、
自分は、母が私が困ることをわかって、そういう仕打ちをしたことももちろんなのですが、
一番ショックだったのは、
やはり、店を出た時に母がいなかったことです。
私はスーパーを出て、くるりくるりと周囲を見渡しています。
そして、他の店にもしかして立ち寄っているのではないかと、その近辺を動き回り、
最後にもう一度スーパーに来て、もう一方の出入り口にいるのではないかと探して、
それから橋を渡りました。
自分を置いていったのが、しばらく、信じられなかったのです。
私はこの5円玉のことで、昨日、ようやく涙が出ました。
これがいいことなのか、どうなのかはわからないのですけど、
それまで、自分の骨がばらけるような感覚しか出なかったのが、
母を探す自分の足音に、じりじりと涙が出ました。
そういう「捨てられた」感覚と、
これまでの私の「扱われ方」とが一緒になって、
もう、母親の命は長くはないぞという兄からのメールを貰っても、
実家へ見舞いに行く気にもならない。
私は、「同じように、あなた(母)を捨ててやる。」と思っている。
見舞いに行く気にもならないどころか、母が亡くなったとして、
その葬式は教会で行われるし、その教会へ入ること自体、
もう、嫌だと思ってしまう。
もう、あの偽善的なキリスト教の雰囲気に触れるだけでも、
もう嫌だと思ってしまうのです。
私は、梅の間の、
>1/「相手も、自分と同じように、不幸になれ」と思ったことはありますか?
には、「はい。」と答えます。
今の、私自身がそうです。
あ、でも、言葉として「不幸になれ」というより、
「苦しめ」と思っている気がします。
>2/その場合、具体的に、どう不幸になればいいと思いましたか?
「娘に捨てられた」と自覚すること。
そのことに関して、最期まで、救いがなかったと自覚してもらうこと。
>3/その他、どうして、そういう思考になったのか、
捨てられた実感は、実際に捨てられなくてはわからない、
と思うからだと思います。
でも、梅の間の、
>なぜならば、既に書いたように、あなたと同じように苦しむためには、
>あなたと同じ敏感な感性や、才能や、容姿や、体力や、
>個性もそっくり、その毒親がまずコピーしないと、
>「あなたと同じ苦しみ」にはならないからである。
この崩残さんの文章を読んで、その通りだなと思う。
自分はどうなったら、「気が済んだ」となるのか。
でも実際、「気が済む」ということ自体、あるのか。
空っぽの私は、いま、ここに、いる。
その刻まれた過去は、変わらない。
今、すぐ、答えは出ないです。
そして、もう一つ、思います。
>たとえば、2人兄弟で、そのどちらかが優遇され、
>そのどちらかが、優遇されなかった場合に、
>「あいつも、私と同じように不幸になれ」と思うとしたら、
>それは、どういう精神構造だろうかということである。
この、崩残さんの文章で言うと、私は明らかに「優遇された側」です。
3人兄弟ですが。
それは、姉の調教というか、見せしめのための「優遇」でした。
私にだけ、絢爛豪華な贈り物が与えられる。
また、母は姉に向かって、よくこういうお小言を言った。
「ほら、見なさい!
**ちゃんはこうしてお片付けができるのに、
あなた(姉)はちっともできない!」
確かに私は机周り、きれいにしていた。
でも、実際は、机の中に学校で飲みきれない牛乳を隠して腐らせていた。
思うと、この腐った牛乳。
私自身をよく象徴しているような気がする。
そして、体裁だけはきれいにしておくという、
小学一年にして、もう、すっかり親のコピーが出来あがっていた。
姉が私の事を「私と同じように不幸になれ」と、思っていたかどうかはわかりません。
姉は「もう! いっつも**ちゃんばっかり!!」と言って、
ふすまをパーン!と閉めていた。
そういう意味では、変に我慢をしていなかったかもしれない。
はっきり、いつもムスくれた。
ムスくれて、ふすまをパーン!と閉めた。
よけいにねじくれてしまったのは、私の方かもしれないと思う。
「優遇」された、私の方。
明らかに差別をされる姉は「なんで、**ちゃんばっかり!」となるけれど、
私は私で、そこに変な「罪悪感」を抱いてしまう。
「いつも私ばかり優遇されてしまう(姉に悪い)・・・」という気持ちと、
「ひひ〜んだ! お母さんは私のものだヨ〜ン。」という意地悪な私が同居。
私はこの優遇された側も、同じように傷が入るということに気付くのに、
ものすごく時間がかかってしまったのだと思う。
そして、今思うと、
姉側は「どうして、**ちゃんばっかりなの!」と、
ストレートなアイスピック的な傷のように思えるけど、
私側は、そこで優遇されるので、傷が入っているのに、
そこでウニョンと傷が上向きに上がり、まるで釣り針っぽい傷になる。
そして、その釣り針の先っぽに、親からの糸が引っ付いていて、
そこで、ひょいひょいと釣られることになる。
毎日毎日。
毎日毎日、親にひょいひょいと釣られる。
そして、世間に出てからも、
私はひょいひょいと他人や彼氏に釣られることになる。
そして、いざ、傷を抜こうとすると、釣り針が胸にひっかかって痛い。
今まで人を見下してきた部分(無自覚でKYだった部分)を、
どうしても、えぐってかなきゃならない。
私は、優遇された側の多くの人も、
この釣り針型の傷を、抜かないまま死ぬのだと思う。
私の兄も、この釣り針型の傷を、間違いなく持っていると思う。
長男だからという優遇も、確かにあったというか、
母は、本当に女中さんみたいに、
部屋にコーヒー持って行ったり、至れり尽くせりだった。
でも、多分、兄は自分のそんな傷を見ることも無いと思う。
大学教授で、おまけに学部長にまでなって、
そのポジションにしっかりしがみついている。
それが「自分だ」と思っている。
また、私は「優遇された側」なのに、
「欲しいと言えないAC」になってしまったとも思う。
それは、優遇された時の「罪悪感」に根っこがあるように思う。
私は高校生の時に、昼休みにトランプやUNOが流行っていて、
そのゲームの時でも、1番になって勝つのが、とても嫌だった。
一番になったら、○○を決めていいとか、好きなお菓子を取っていいとか、
いろんな優遇ルールがあった。
でも、自分は一番になって、自分のいいように何かを決めるとかいうのが嫌だった。
私はゲームに勝つと、がっくりしてしまっていた。
素直にやったー!と喜んで、好きなお菓子を取ればいいのに。
そういうことにも、オズオズしてしてしまっていた。
もう一つ「欲しい」と自分が言えないのは、
母による調教(5円玉の時のような)も、大きいと思います。
私は「欲しいと言えない虐待」を受けたとも言えます。
そして、そう、この「虐待」で思い出しますが、
自分が姉を嘲笑する歌を歌っていたこと。
あれは、「私に対する虐待」でもあったなと、思いました。
先日、買い物の帰りに、あれは私に対する虐待だ・・・と、思い至って、
買い物袋を手にさげたまんま、涙が止まらなくなってしまいました。
私は今まで、姉に対して悪いことをしたな・・・という考え方をしていて、
確かにその通りで、兄からの指示とはいえ、ひどいことをしたのでした。
でも、これは、自分に対して、この私自身に対してどうだったか?と考えた時に、
ほとんど、虐待と言っていいのではないかと思った。
「自分に対して、肝心な自分自身に対しては、どういう影響があったのか?」ということを、
私は、まだ考えきれていなかったのです。
兄からの指示と言っても、元の根っこは、母にある。
母の本音を、兄がそのまま受け取って、
そして、ひどいことに、その肝心の姉を嘲笑する言葉は、
一番弱い「私」に言わせる。
なんて、ひどい!
姉が帰宅して、歌が始まっても、母は止めにやってこない。
そりゃそうだ。
母の本音を、兄のギターに合わせて、この「私」が歌っているのだから。
母からすれば、他人から、たとえこの事を責められたとしても、
「子どもたちの、たわごとですから。」と一言いえば、
母は善人のまま、助かるのですから。
5円玉事件の時もそうで、
母は「5円玉では、何も買えないのよ」というのを、
スーパーのおばさんに言わせている。
本当にひどいし、失礼だ。
私は、思い出すと、3回くらい、レジにお菓子を持って行っている。
おじさんとおばさんに、買えないよと言われて、
お菓子売り場に戻り、また別のお菓子を探す。
多分、スーパーのおじさん・おばさんは、
いくらなんでも母親が出てくるだろと思っていたのだと思う。
でも、一向に母親は姿を見せないとみて、
おばさんがレジのところから飛び出してきて、
私を諭してくれたのだと思う。
姉は、ふすまをパーン!と閉めながら、
自分の自我を守ろうとしていたのかもしれないです。
兄と姉は、同じように、同じような音をたててパーン!と、
ふすまを閉めていたけれど、
ニュアンスが違っていたかもしれない。
兄は、自分の存在を誇示する、または俺が一番偉いんだ!と誇示する音。
姉は、私の方からあなた達(父・母・兄・私)をシャットアウトする!
という、意志表示の音だったかもしれない。
そして、兄のふすまの音は、
今までは、姉だけに響かせていたと思っていたけれど、
結局は、私にも、そして母にも「俺の言うことを聞けよな!」
というアピールに使っていたと思います。
威圧感と恐怖感を出していた。
それは、兄の足音にもよく出ている。
兄は、家にいる時、とにかく自分の居場所を示すかのように、
ドタドタと大きな音をたてた。
それは、今も変わっていない。
話題がそれていってしまいました。
でも、思うと、パーン!と姉に閉められるこの「ふすまさん」が、
姉の変なねじくれを、一歩防いでいたかもしれない、とも思う。
これが、もし、毎日しずしずと閉められていたなら、
「**子も、私と同じように不幸になれ・・・」と、
姉は部屋の中で、私に念仏を唱えていたかもしれない。
でも、ここは、姉ではないと、実際はわからないので、
私の推測となります。
梅の間を読んでの自分の考えと、
トラウマ掘りの報告が少し混じった形となりました。
今回はここまでにします。
*中略*
全自我になるというのは、なんか落ち着いた人間性になるとか、
そういうのではない気がしてきました。
マグマの循環が大きくなるというか、
地球でもマグマがうごめいているみたいに、
当たり前にマグマが動き出すというか。
そのマグマを否定するでもなく、潰すでもなく、
正直に見れる自分になることなのかなと思います。
____________________________
久々に、自我判定の方に、「匂い袋」をつけました。
↓
_____________________________
★
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