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「性と死のホームページ」 http://www.mumyouan.com/
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●梅の間へようこそ●
掲示板
Title
助っ人リンク
2007年3月までは
「虹のオーガズム」と「性のレシピ」
の
読者専用の質疑応答用の掲示板でしたが、
2009年7月より禅書道日記に変更。
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[981]
■
【性と死の夜】 〓第2回〓
by:
ほ う ざん
2003/07/14(Mon)09:31:28
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◆そもそもの始まりは、
私が20代の後半に、
セックスを魔術の一貫として考えて、
セックスするときに、何かを上から引き降ろそうとか、
下の次元に何かの操作をしようとしたことでした。
むろん、単純に、普通のセックスにも好奇心旺盛だった
という面もありますが、
それ以上に、セックスと魔法は私には切っても切れない
関係にあった。
クローリーの性魔術などを読んでみたり、
仙道、タントラ、ツボ刺激、などなど読んでやってはみたものの、
何か違うな、という感じだった。
性魔術をしていたとき、私は本気で、
人工幽霊を作ろうともしていました。
人工幽霊とは、相手の女性の子宮を使って、
この世界に生まれたいけど、接点がないような
存在を、幽霊のような形で保育して、
連れて歩いて、育てる、という方法です。
そんなわけで、いつも、性と魔術は私の中に同居していた。
セックスをするベッドの回りに、
いろんな儀式的な物品を配列したこともしばしばでしたが、
何するにも、遊びっぽい雰囲気の私でしたので、
当時のパートナーも、気味悪く思うこともなく、面白がっていた。
◆そんな私が、普通の?セックスをしていて、何年も経過して、
だいぶ後になって、EO師のコメントに出会うこととなった。
そもそも、どうして、禅やタオイズムや悟りの問題を扱っているのに
無明庵が、
片手間に、セックスの問題を扱うことになったのか?
それは、特に、死人禅の瞑想、
またはいろいろな瞑想をする中で、
実習者のほとんどが、セックスの問題で壁にぶち当たることが
多かったからです。
EO師が1994年当時言っていたことは、
「連中は、瞑想の指導を受けに来たはずなのに、
少し、親しくなり、なれなれしく口が軽くなってくると、
蓋をあけてみると、
本人から出てくるのは、恋愛相談とセックスの質問ばかり。
呆れてモノも言えなかったが、
しかし、この際、その問題も片付ける方策を取ろうと思った」、
というような事らしかったです。
◆セックスというものは、人間としての当たり前の快楽として
とりあえず、不満のない普通のレベルぐらいには、満足させておく
というのが基本で、それをしなければ、
瞑想中に、本人がある地点以上に飛べなくなってしまう。
つまり、セックスの妄想、セックスが後を引くのは、
瞑想には「邪魔だ」、とっとと処理してしまえ。
それが無明庵のセックス道の基本となりました。
◆とっとと、片付けてしまった雑用のようなもので、
片付けてしまえば、思考として残らない。
死人禅とは、人生に何か目的がないと生きていけない
というような「行動中毒や思考中毒」をやめて、
どこかで、覚悟を決めて、
静寂や精神の死や、無為や、無思考へと向かうものですから、
そのプロセスで、邪魔な思考は、極力減らしておき、
「全く何も考える必要もない」という、「問題のない状態」から、
そこから、始めて、本当の「闇の穴」を掘るわけです。
その険しい道程の旅に出るには、
荷物は身軽にしなければならない、
というのと同じです。
◆そこで、どうやったら、セックスを楽しめるか?
ではなく、
どうやったら、セックスの事が頭から完全に消えてしまうか?
それが無明庵の方法論の基礎となりました。
一般的に言えば、満足したり、飽きてしまったり、うんざりしたり、
自分なりに、何かをやり尽くしたときには、
その後、足を引っ張られることはなくなります。
趣味でも仕事でも、なんでもそうです。
◆ただし、セックス、というか性欲の場合には、食と同じで、
日々の生理現象と同じですから、
たらふく食べたら、もう明日から食べなくていい、
という事が出来るわけでもないし、
クマみたいに、冬眠できるものでもない。
だからといって、たとえば、
思考をし尽くしたら、思考が消えるかというと、
そう単純には行かないように、
思考することは、悪い意味では、クセにもなりやすい。
セックスをやり尽くした、性感を極限まで高めた、
という事をしたとしても、それで、
セックスを超えられるわけではない。
酒飲みが、1升ビンを飲み干して、
ぐでんぐでんに、気絶するほど酔っ払ったからといって、
それで、翌日から、アルコールを飲まなくてよくなるわけではない。
したがって、性感が極限まで刺激されても、
快楽は大きいが、それでセックスが瞑想の邪魔をしないわけではない。
この点の問題について、
つまり、いわゆるイクが止まらない連続オーガズムなどについては、
実は、ずっと以前に、レズビアンの世界を通じて、知っていました。
彼女たちは、早漏の男性を相手にするのではなく、
ローターやバイブや双方擬似ペニスを使い、
女性の体の事をよく知っている女性とセックスをするわけですから、
延々と、何時間もクリトリスや膣を刺激し続けて、
その結果として、オーガズムが10回、20回となるにつれて、
だんだんと、触れるだけでイクとか、痙攣しっぱなしになる、
というのは、男女のセックス以前に、
レズビアンの世界では、知られていたことです。
のちに知りましたが、「SM」の世界でも、
イっても、なおも、強制的にイカせ続けることによって、
同じ、連続オーガズムになるのもまた、
多くあるうちの一種の「プレイ」であると。
また、身体的なハンデからずっと、セックスの相手がいなくて、
バイブを愛用していた女性が、連続オーガズムに痙攣が
止まらなくなった話も聞いたことがあります。
とりもなおさず、それらが生まれた土壌は、
その相手が、射精で終る「男性」ではなく、
バイブや、レズだったからです。
◆ところが、無明庵が問題にしたのは、
それによって、その女性の人格、というより意識や
思考内容に「変化」が起きたかどうかです。
私の知るかぎりでは、
「女の」喜びを知る、性の喜びを知る、というところ以上のものは
何もありませんでした。
むろん、そうした体験は人によっては、大切なことかもしれません。
自分の身体の持てる機能を全開に出来たことの満足感は
あるでしょう。
◆しかし、何ひとつも、肝心なことは起きていなかった。
たとえば、精神的な成熟とか、意識の変容とかです。
たとえば、俗なレベルでは、執着や嫉妬心や、怒りの感情の克服などです。
ただし、この肝心な事というのは、
一般的な幸福の事を指してはいませんので、
普通に言われる幸福な気持ちという面に限るのでしたら、
セックスの快楽を存分に味わうことは必要です。
しかし、「その先の問題」は置き去りにされてきた。
そのヒントが、ないかと探ったのが、
中国の仙道や、タントラですが、
あまりにも技術面での文献が少ないことと、
その目的が、違うということでした。
虹のオーガズムにも書きましたが、
中国の場合には、お国がらから、
健康法という面に方法論が行きやすい。
むろん、その中に、ツボの問題も含めて、
快楽を高めるという面もあるのですが。
インドの場合には、性エネルギーの転化、
つまり、性エネルギーをいかに節約したり、
瞑想の力に変換するかという事に主眼がある。
むろん、インド的手法にも、快楽道という面はある。
このふたつの領域のテクニックは、
現在の私の方法論の中にも、
むろん、それとなく、必要な部分だけは、
組み込まれています。
◆ただし、その最終的な目的が、違います。
すでに、前述したように、
私個人は、魔術的な事に興味がありましたし、
私個人とは別に、無明庵では、その、そもそもの始まりは、
いかにして、「性を消し去るか」、
または「性の妄想や、性の欲求や、性の不満」を片付けるか?
そして、全く動きのない静寂という死のような闇の中に
長時間入ることのできる基盤を整備する、
ということが、その最大の目的でした。
すると、ここに、セックスという事において、
ひとつの問題点が出てくるのである。
セックスというのは、当たり前の事ですが、
主に身体感覚を刺激するものです。
ところが、無明庵の論理は、
瞑想や禅定が、極度に深まるファクターは、
感覚の軽減、
思考の軽減、
自己主体の意識の軽減
です。
つまり、肉体に刺激を与えることは、
それらに反するわけです。
しかし、世話をされていない肉体からの
ボヤキは、性欲となり、妄想となり、
瞑想者の足を引っ張る。
いかに、聖人君子や、修行僧のようなことを言っても、
セックスに問題があれば、それは一生ついてまわる。
しかし、だからといって、
肉体だけを極度に刺激する方法は使えず、
それを使ったとしても、
それは一時的な放心や、失神は起きても、
それが、恒久的にその女性の内面に変化を及ぼすわけではない。
しかし、そうかといって、
精神世界的すぎるただのオーラ交流では、肉体がほっておかれる。
ならば、この部分に橋をかけられないか?
それが最大のテーマでした。
「肉体的ではあるが、本質は肉体的ではない、
肉体ではないが、肉体を使う。」
これが偶発的に発見されたのは、
セックス以前に、触れ合う前の状態での交流、
あるいは、触れ方において、
相手と融合しようと意志することで、
身体ではない次元の身体(俗に言う第何身体)が
動くということでした。
◆そうして生まれたのが、神秘学の技法でしたが、
得られた効果は、目的通りのものでした。
つまり、瞑想が深まった、全くの無心の状態が増したということです。
と、同時に、物凄く精神状態が落ちついてきますから、
生活の中で起きてくる、さまざまなトラブルに対しての直感的な対応力が、
その女性たちに育成されたという事でした。
◆こうした経緯があり、
私は、いわゆる「連続刺激による連続オーガズム」には
興味を持ちませんでした。
その中で、唯一、ESOに興味を持ったのは、
それが、男性のオーガズムも包含していたということです。
あるいは、前にも書きましたが、
それが、男女双方の「オーガズム」をテーマにしていたことです。
その手法の一部は、イッても、なお刺激を止めないという事による
連続オーガズムの誘発法に見えますが、
それだけではないものが、そこにあったわけです。
中国の技法においては、男性が射精しない、女性を使うなどの
いわゆる、「一方性」がありますし、相互に循環する方法もあります。
しかし、タントラにおいては、その合体を瞑想の領域に
高めるという思想が基盤にあります。
そこに照らし合わせたとき、
単なる連続オーガズムでは決定的に足りないものがあった。
それは、性感を高めるとか、性感を刺激するのではない、
何かです。
◆ちなみに、ESOは、書籍では、その技術のほとんどが、
曖昧なままに、されていますが、
ただあの本が、どういう経緯で書かれたかは容易に
察しがつきます。
その本のタイトルどおり、それは「ヒーリング」だったのです。
性医学者のカウンセリングから出発したものでしょう。
だからこそ、技術面に入る前に、
あれほどのページを、メンタルな面に置いているわけです。
それは、性虐待や、性のトラウマが先進的に社会現象であった
欧米の社会事情から生まれたものとも推測できる。
性感を高めるというところから出発したものではなく、
「精神療法」としての出発点が、そこにあったのかもしれません。
◆それが研究と実験を重ねて、
ある特定のカップルにおいて、ESO状態が発生したので、
それを研究したところが、あの本となった。
つまり刺激を中断しないという、テクニックの基本においては、
その部分のみは、連続オーガズムと同じ部分はあるのですが、
セックスではなく、メンタルケアーがなされていたこと、
問題のある夫婦に対して、心の面からの治療を入り口としていたこと
ここが、ESO「プログラム」と、連続オーガズム「テクニック」との
違いです。
ESOは、この基盤部分が、
女性の「女の心理」を操るものではなく、
「人間心理」、
つまり家庭や夫婦問題も含めた
心理的問題を、先にまず癒すという事が基礎としてあったこと。
◆ここで重要な事は、どんな本であれ、
その本の生まれた経緯が、
当初、「何を目的」にしていたかです。
ESOが、高速ではなく、ゆっくりとした刺激法で、
しかも、クリトリスではなく、
Gスポットなども刺激する方法を取っても、
同様に、連続オーガズムに至る原因は、
セックスの以前に、抵抗感のない開かれた状態が、
カップルの中に形成されているためです。
また、苦痛を超えさせろとばかりに、
強引に刺激を追加し続けるのではなく、
相手に苦痛を与えず、しかも、開かれた状態にするための
「事前の精神的ケアー」がある点。
これらの点において、単なるテクニック以上の「何かの交流」が
その男女の中に起きていたであろうと推測されたこと。
これが、私が、連続オーガズムではなく、
ESOにのみ、重点的に興味を持った理由です。
ESOテクニックの場合、おそらくは、事前のカウンセリングが
ちゃんとなされていれば、それは中毒化しない、
そして、カップル間の心のケアーもされてゆく。
それによって、セックスは、超えられてゆく可能性もある。
そのように、推測もされたのである。
◆そこで、それ(ESO)が、無明庵の目的とするものとは、
むろん、すべてが、共通するわけではないし、
むしろ、基本的にも違うのですが、
超越性という事から言えば、取り込む事を検討する要素がそこに眠っている。
それは、カウンセリングというファクターがあるがゆえにである。
この部分が、超さんの言う「ラポール」の問題に大きく関係も
してくるのです。
そこで、私がパラレルに、平行して同時にその全体を見渡してみよう、
それぞれに、時間をかけて、ゆっくりと、やってみよう、
比較してみようと思ったのが、次の3つです。
1/一般的な、「女性のみ」が楽しむ連続オーガズム
2/ESOの男女オーガズム
3/その他の古典的な方法による男女オーガズム
これらから、本当に肝心の部分だけを抽出したら、
何が残るか?
そして、それが、
「人が、無心の瞑想へと長く留まれる基盤、
無の闇を自分の中に受胎する基盤」を作るかどうか?
その結果は、今のところ、神秘学の技法以外では、
得られていなかったり、または、私の中において検証されてない。
それらは、ゆっくりとこれから、「私個人のテーマ」として
体系の中から、使い物になる部品のみを抽出しますが、
とりあえず、梅の間では、「神秘学の技法」を主軸とします。
◆しか〜し、
私も、そういう「研究事」ばっかりやっているわけではなく、
ソフトSMっぽいのとか、コスプレっぽいのとか、
そういう普通のプレイも、最近では、楽しみますので、
そうした、「娯楽」として楽しむためのセックスについては、
他のセクシャルサイトのBBSなどで、
心底、楽しんで書くこともあります。
近頃、プレイとして、やってみたいと予定している体位は、
「蜜壷裏えぐり」とか
「阿修羅崩し」とか
「よがり畜生」だったりする(笑)
うーん、なぜか、全部バックや側位になってるな〜。
で、どうも、やっぱ、
私は、和モノの体位名が、好きなようです(笑)
続く
★
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