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「性と死のホームページ」 http://www.mumyouan.com/
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●梅の間へようこそ●
掲示板
Title
助っ人リンク
2007年3月までは
「虹のオーガズム」と「性のレシピ」
の
読者専用の質疑応答用の掲示板でしたが、
2009年7月より禅書道日記に変更。
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[986]
■
【性と死の夜】 〓第5回〓
by:
ほ う ざん
2003/07/22(Tue)00:24:28
fe033088.fl.FreeBit.NE.JP:219.112.33.88:Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; MSN 2.5; Windows 98)::::ja:
では、いよいよ、「第5話」から、「本題」に入ります。
なお、テキストとしては、
【セックスの神秘学】については↓のページ中にあります。
↓
http://www.mumyouan.com/o/aa-93.html#RET
(書籍「虹のオーガズム」をお持ちの方は、112Pからです)
●まずは、また、私的な話からです。
大好きな女の人、女の子と、デート。
楽しいですね。
大好きな異性とのデート。
本当に、楽しいですよね。
始めてその肩に触れて、
肩を引き寄せて
二人で歩くときが、
一番幸せなのかもしれません。
で、事の流れとして、キスしたり。
ところが・・・
服を着たままで、強く抱き合った瞬間から、
何かが違ってくる。
何かが、盛りあがるのではなく、
逆に、盛り下がってくるものがある。
誰もが、特に多くの女性の方は、
これには覚えがあるはずです。
そして、いよいよ、体を接触して、
抱き合っているし、さらには、
そのあとでは、服を脱いで肌を触れ合うのだから、
性欲・・・つまり「性的」には、
盛りあがってゆく方向へと向かっているはず・・・。
ところが、それに逆行して、
何かは、確実に冷めてゆく。
それは一体「何」なのか?
●私は大好きな女性とは、手をつなぐのが好きです。
肩を寄せ合って歩くのは一番好きです。
でも、抱き寄せて、からだを密着した瞬間から、
何かが満たされない。
「それ」が何であるのかが分かったのは、
もの心ついて、始めて相思相愛の恋愛というものを経験してから、
その後、何度かの恋愛を経験して、
なんと、あれから10年以上もの歳月が流れた時だった。
●女性の方は、こう思ったことはないだろうか?
「体が邪魔なのよ!」と。
大好きな彼と、抱き合っている、
そして、こんなにも近づいているのだから、
距離はこんなに近づいているのだから、
こんなに強く、体を密着しているのだから、
心も満たされるはず・・・・・
・・・なのに、
決定的な邪魔がそこにある。
それは、「体」。
「体という物体」が邪魔して、
お互いが、相手の体の中の方へ交ざりたい!、
吸収されてもいい!とまで思っているのに、
体があるために、その「限界」を意識さぜるを得ない。
二人の恋人が抱き合うとき、
その二人は、体を密着させるだけでは、
到底、足りないのである。
その体が、粘土のように、溶けて、
相手と一体になりたい、
そういう衝動が、本当はそこにある。
●ところが、どう、強く抱き合っても、
体の表面を押しつける以外にない。
「それよりも深く」相手の中に食い込むことは出来ない。
しかし、本当に私たちが望んでいるのは、
その「食い込み」なのである。
それを満たすための、とても、物質的な行為が
挿入なのである。
つまり、体のごく一部だけでも、相手の中に入ること。
相手のものを受け入れること。
●しかし、それでも不満は残る。
なぜならば、私たちが本当に欲しいのは、
もっともっと、確かな「一体感」だからである。
しかし、肉体の表面が、それを邪魔する。
そこで、私たちは、しかたなく、
相手の体のすみずみを、むさぼるように愛するが、
どこまでも、体は、体なのであるという現実にぶつかる。
体のすべてを相手に許しても、それでも、
「何か」が交ざることが出来ないままに、取り残される。
●こんな事を「繊細に感じ取る人」が実は、多くいるのである。
もしも、そうした「いらだち」のようなものを感じ取らないのだとしたら、
その人は、恋愛をしたことがないのかもしれない。
セックスはしたことがあっても、恋愛をしたことがないのである。
恋愛と言うのは、その相手と、そこで死んでもいいと思う、
いわば、そういう感覚なのである。
別には、それは、ほんの一時的な感覚でもよいのである。
ほんの一瞬の、幻のような感覚でもよい。
●ところが、それだけ大好きな相手といても、
ベッドに入り、全裸の肌を触れ合った瞬間から、
その大好きだという感情とは、「別の世界が始まる」ということに、
繊細な心を持つ女性たちは、戸惑うのである。
それは何も、セックスが怖いからではないし、
セックスが恥ずかしいのでもない。
そうではなく、セックスに行為が移行することで、
確実に、「失われるものがある」ということを、
彼女たちは直感的に知っているのである。
その、セックスという性感によって失われるもの。
それは、
「相手とひとつになりたい」という衝動である。
何が恋愛の本質かといえば、
この「相手との一体化」、これに限る。
●しかし、性感を刺激することは、
よりいっそう肉体的な感覚を強め、
より、性感と快楽の世界への出発となる。
その分、何か、とても「ピュア」なものが、
そこで失われるのである。
いくら、相手の男性に肉体を委ねて、
何をされてもいいと心を開いても、
それは、表面的な刺激に対しての受容でしかない。
全身にキスをされ、どれだけ優しく愛撫され、
どれだけ何度もイクことをしても、
ますます、その分、何かが失われて行く。
その「何か」とは、
相手とひとつになりたいという気持ちである。
肉体をどれだけ激しく刺激して、ぶっつけても、
どうにもならない限界。
それが、肉体の宿命なのである。
******************
●多くの女性が、
ポルチオタイプのオーガズムを最終的には好むようになる、というのは、
単に、それが一番自然なセックスだからということに留まりません。
奥まで、もっと奥まで来てほしい。
そして、その奥まで男性の体の一部が入ってくる。
ここで励起されるもの、ここで、高まっているのは、
単なるポルチオ「性感」とかいうものではなく、
「合一感」に近づいているという感覚なのです。
むろん、膣内には、その奥に「性感帯」もあるでしょう。
しかし、女性側の内的な、精神的な、メンタルなその高まりは
単なるポルチオ「性感」によっているものではありません。
体の表面では、1センチすらも交わることが出来なかったもの、
1センチすらも縮められなかった距離が、
少なくとも、体の一部が十数センチでも、ひとつに結びつくことで、
「何か」が満たされているわけです。
その「何か」とは、「一体感」です。
または、その体のごく一部だけの合体を通じて、
精神的な合一感にも近づいているという事です。
●ならば、その一番必要なもの、
一番、ピュアなもの、
一番、おいしいもの、
一番、本当は、望んでいるもの、
その合一感、満足の行く本当の一体感、
「それだけを抽出」したメソッドに出来ないか?
その結果が、「神秘学の技法」でした。
●話はまた戻りますが、
私たちが、本当は、「一体化」を望んでいるのに、
極端に言うと、
抱き合うという行為は、それとは逆行してしまいかねないのです。
たとえば、大好きな人と頭を抱き合ってみてください。
それは、むろん、幸せかもしれませんけど、
でも、「痛い」と思いませんか?
色気のない具体的な話ですが、
もう大好きで大好きで、たまらなくなって、
相手と強く、強く抱き合ってみてください。
公園とかで、立ったままで、抱き合っていたら、
肋骨が痛いとか、
肘が変なところに当たって痛いとか、
恥骨が痛いとか、
相手の身につけているベルトが痛い、
ブラジャーが気になるとか、
髪の毛が、くすぐったいとか、
そういうのって、ありませんか?
あるでしょ。
●はっきり言って、「相手とひとつになろうとすると」
体が、「痛い」ものなんですよ。
つまり、体が「邪魔」なんですよ。
何しろ、体は物体だから、「ぶつかる」のですから。
●じゃー、どうしたらいいか?
ぶつかるところで、しかたなく諦めて、性感刺激とかに走らずに、
諦めずに、そのまま、めり込んでしまえ!
これが、基本なのです。
だけど、ホラー映画じゃあるまいし、
肉体が、実際に、めり込むわけは、ありません。
でも、めり込みたい、相手の中に交ざりたい。
相手の胸と自分の胸を、重ねた位置に一体にしたい、
相手の頭と自分の頭が、ひとつのものになってしまいたい、
そんな気持ちをこめて、
互いの体を引き寄せて、
「相手の中に入ってゆきたい」という気持ちそのものを
そのままストレートに、現して、抱き合ってみてください。
体という物体は、それを邪魔するでしょう。
しかし、ふと、ごく簡単な気持ちのコツさつかめば、
何かが、相手の中に到達するのです。
肉体という壁を超えて、
その気持ちが、「届く」のです。
しかし、このためには、
この、「相手と交ざりたい、ひとつになりたいという気持ち」は、
「男女双方から、積極的に発する必要」があります。
どちらかが「受身ではいけません」。
両方から、激しく、その気持ちをこめて抱擁し合い、
自分の身体の内側にあるものを、
相手の体の内側の同じ場所に到達させたり、
重ねようとする。つまり、一体にしようとするのです。
●二人とも、「交ざりたいよ、もっと、溶け合いたいよ」と声に出して、
言いあってもいいでしょう。
そうやって、まるで、仲むつまじい動物の前戯のように、
頭をこすりつけ、胸をこすりつけ、
ディープなキスをして、とにかく、肉体が粘土のようになって、
相手と交ざってしまいたいという思いを高めたとき、
「カチッ」とそのスイッチが入るのが分かるようになります。
体では届かない場所に、
何かが届くのです。
それを「気」といっても、オーラやエネルギーと言っても、
なんと呼んでもいいですが、
決してそれは荒唐無稽なものでもなく、
単なるイメージの思い込みでもなく、
誰にでも分かる形で、「はっきりと感じ取れる」はずです。
とてもはっきりとした、合致の感覚です。
体でない何か、純粋な気持ちが、
確かに、「一体に重なる」という感覚です。
その感覚は、最初のうちは、一瞬でしょう。
しかし、慣れるごとに、強くなります。
このとき、イメージセックスに慣れている人の場合には、
実際に体に単発的な「痙攣」を起こします。
●まずは、
1/頭同士だけをこのように交ぜる練習をして、
2/次は、胸同士を交ぜる。
3/次は、お腹同士を交ぜる。
4/そして、手のひらを合わせて、
相手の手の中に自分の手を{めり込ませたい}と思ってみる。
慣れると、手だけを強く押しつけているだけで、
とても強い快感がします。
●そのまま体を抱き合って、ひとつになろうと二人が
同じぐらいの強さで念じれば、
体の中心部、いわゆるチャクラと呼ばれるものがあるような内部の位置に、
独特の「炸裂」するような感覚が生まれます。
この快感は女性がよく言う
「子宮から全身に広がる快感」に、とてもよく似たものです。
そのまるで「子宮発」のような快感が、
男性の胸や頭の中にも起きるのです。(むろん、女性の頭や胸にも)
(慣れると、合図もしてないのにこの痙攣は「同時に」起きます。)
●私たちは、愛し合うと、必死に互いの「体」を求め合ってしまう。
しかし、本当に求め合っているのは、
体ではなくて、その中身、その体の内側にあるものなのです。
体の表面への刺激の圧力をかけ続けることで、
その近くまでなんとか到達することが出来ないわけではないが、
それぐらいならば、最初から「内部から繋がる方」が、より、
本質的な部分で、相手と交わることになります。
この、内部が繋がったという、感覚の高まりから、
自然に、挿入〜〜そして、ぴったりと同時にオーガズムとなったとき、
「あー、本当は、これこそが、したかったんだ。」と、
男女が二人とも、全く同じ事を思うことになります。
これによって、二人の絆は、外側や性感からではなく、
「内部から」繋がります。
もうこれさえ、今皆さんがやっているプレイの中に、
ひとつのオプションとして取り入れる出来たら、
あとは、普通のいろんな「性感」を刺激するプレイを
楽しむ事も良いでしょう。
いつもいつも、こんな激しい「一体感を求める技法」を使う
必要はありません。
でも、たぶん、一度コツを知ってしまうと、
きっと、二人ともクセになると思いますよ。
ちょっと「合体」したくなったら、
裸にならなくとも、服を着たままで、
ほんの数分の「融合」で済みますから。
●次回は、細かいところまで、
テキストに添って説明しますが、
初回の今回は、とりあえず、「概要だけ」を説明しました。
続く
★
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