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★雑 記★NO.632【 精神世界という面倒な世界 】●
by:
鈴木崩残
2016/09/23(Fri)09:13:50
必然的に面倒な世界となる
地球に生まれて、地球で生活して、地球で死んで、また地球に生まれるか、
または別のところに生まれる、
という生活の中で、必ずしも精神世界といったものは必要ないが、
逆に言うと、精神世界的でないものなど、何一つもないと言えます。
ただ、地球で過去数百年から今後も、私たちが接している精神世界の書籍や体系の多くが、
「人間の回復」を目指しています。
では、何がどうなったら「回復」と言えるのか、これも難しい。
単に回復するだけではなく、新しい変化を加えようとする場合も、常にあるのだが。
これは、近代の精神世界系の、特に指導的立場にいる誰もが痛感していることであるが、
古い時代よりも、より回復が困難な問題をどんどんからませてしまったために、
より低い層の問題から始めなければならないことである。
皆さんにとって、とても分かりやすいたとえで説明しますと、
ある社会、または村、コミュニティー、なんでもいいですが、
欲望や衝動を抑圧しない社会環境があったとします。
極端な例ではフリーセックスの村とか、極端でない話でいえば、
子供が、踊りたくなり、歌いたくなったら、いつでもそうすることが出来る社会です。
しかし現代では、どうなっていますか?
子供は、空気を読んで、場所をわきまえて、親の顔色を見ないと、
踊ることも、歌うことも、泣くことも、笑うことも出来ない。
古代までいかなくとも数十年前まですら、そこまで抑圧的な社会ではありませんでした。
これがもたらしたのは、(ここで話は精神世界的になりますが)、
チャクラの分裂と断絶です。
知覚した感覚や考えが、感情になり、身体を動かす、このプロセスを
何も阻害しなければ、少なくともそれに関連する中枢は断絶しません。
過去の精神世界体系で、なんなく可能だったこと、または今と比較すれば、
今よりも多数の人に可能だったことが多かった原因は、
このチャクラの連結を阻害するような、社会的なルールがゆるかったからです。
たとえば思ったことを口にしない(または表現しない)で抑圧すると、
それだけでも2つ以上の中枢が不協和音やリズムのズレを放ちます。
今でも世界的に見れば、地域差はかなりありますが、
現代社会では、あまりにも一人の人間の中のチャクラ同士が、
歩調がもつれてしまい、歩けない、またはすぐに転ぶという状態になっています。
このチャクラという概念は、とても古いものですが、
原則として、地球で人間の形の生物に乗り込んでいるかぎりは、
今後もその構造と効果は、普遍性を持ちます。
もしも人間に、尻尾のチャクラ、
頭頂から隆起したもうひとつのチャクラや、角のようなチャクラ
あるいは、背中に翼のチャクラなどが加算されるような時代になれば、
それはまた少し変化が出てきますが、当分は今のままでしょう。
(人によっては、すでにそういうものを持っている人もいます)
それで、精神世界に足を踏み入れた場合に、「回復」を面倒にしているのは、
より近代に生じた社会的抑圧であり、これに対して個人が対抗するということはかなり困難です。
出来たとしても、相当の年数がかかります。
たとえば、自我復元というものは、主に、
脳の中心(客体化する力としての自我)、記憶、感情、という、
上部の3つのチャクラを通すパイプを作ろうとした作業です。
それが整ったときに、はじめて頭頂部が正常に起動できるからです。
最初から私が言い続けたように、自我復元とは、
悟りの「前段階の準備」を目的にしているものでした。
ただし、ここで書いておきますが、この悟りというものが、
非常に複雑な構造化にあって、それはレベルが高いとか低いという問題ではなくて、
極端に言えば、一人一人が、異なる体験をして、異なる表現をする、
ということに、地球では意味があるので、
悟りの体験が、どれだけ他者と違ってたり、共通性を持たなくとも、
全く構わないのです。
おそらくは、「地球の人間が経験し得た意識体験」というファイルに、
すべからく、皆さんの経験が収集されてもおかしくはありません。
というのも、(私が知るかぎりですが)地球という環境の中で、
人々がどのような種類の精神的な経験をし得たか、
ということをコレクションしている者たちもいるからです。
誰の意識体験も、それぞれに価値というか「整理される位置」を持ちます。
どれよりどれが優れているかという問題ではなく、分類があり、
またそれが生じた原因が(非人間たちによって)分析されていると思います。
私は最近、もっと極端な推察をしていたことがあります。
それは、地球というものを、
「人間に、何を摂取させたら、どうなるか?」という実験地として、
見なしている存在がいそうだ、という推察です。
どういうことかと言いますと、人間に、あらゆる種類の、
植物、動物、薬物、添加物、毒物を摂取させてみて、
その結果、地球の人間の脳がどうなったり、精神がどうなったか、
それを見るために、ある時代から、貿易に壁がなくなり、
さまざまな種類の食物を流通させたとも思えるからです。
私たちは自分たちの意志で、いろいろなものを食べたり、摂取した、
というよりは、もともと
「あれこれを食べさせてみて様子を見てみる実験用の生物」
であると考えることも、面白い視点のひとつだからです。
この数十年で、私たちが体内に取り込んだ、食品添加物から合成食品、
ありとあらゆる体に悪いといわれるもの、
本来、人が食べるべきではないといわれているようなもの、
健康志向ではないもの、農薬や、薬物や、毒物、ドラッグ、
それらすべてを含めて、
私たちは、その後どうなったのかの研究サンプルなのかもしれません。
実際、これほど多様で多彩な、食用植物、鉱物、動物が繁殖している惑星であれば、
そうした「摂食効果」の実験地になってもおかしくはないからです。
「火星では、こんな実験はできないよね」、というようなものです。
こうしたこと(摂取している物質と意識の関係)に興味を持つ、
非人間型の存在がいないとは言えない根拠のひとつとして、
神秘体験とかその手の体験は、その体験の内容と、それが表現される時の様相に、
その人間が摂取していた、食べ物、薬物、水、気体などが無関係ではないからです。
たとえば、これも分かりやすい極端な例をあげれば、
脳が地球人と違う宇宙人が経験する彼らにとっての神秘体験は、
私たちのものとは、大きく違ってくるはずですし、
そもそも呼吸している大気の成分が異なれば経験する神秘体験も異なります。
高次元的な層での体験ならば、脳とか身体とかの物質的な差異には影響されないはずだ、
というのは一理ありますが、
しかし、それでは(ある種の非人間型の存在たちには)意味がないのです。
高次元では、生命は、何を認識しているのか、とか、
そんなことは、とっくの古代宇宙から分かりきっているので、
原初に近い部分の意識が、形ある層に流出するとどういう違いを生み出すのか、
それに対して関心があった者たちがいるわけですから。
彼らの関心は、高次意識の経験する共通項ではなく、
「原初の意識の屈折」=多彩さです。
むろん、これらは物理的な身体や脳という枠で思慮したい場合の話であり、
より上層の次元にシフトしてまえば、何でも抽象化してゆきますので、
上層の次元で起きる神秘体験ほど、内容が単純で共通項もありますが、
ただし、単純化されて共通項はあっても、それは下層次元では応用が全くできません。
簡単に言うと、ある次元で神秘体験をすれば、
「何も全く問題なんか、そもそもないのさ」という視点を獲得するものの、
それをもってして、目の前の何かを解決するには、その視点と下層の視点の間に、
繋がりとなる回路が必要になります。
たとえば、悟りの意識には、トラウマやAC問題は扱えません。
だからこそ、悟りの意識の一つか二つ下層部にある全自我を、
無明庵では、その「繋ぎ」としようとしたのです。
しかし、そうした繋ぎの回路は、必ずしも必要というわけではありません。
それが必要になるとしたら、周囲の要求によるか、
または本人が、高次の意識を保ちながらも、身体を維持するためです。
ところで自我復元において、多くの人たちが、
とにかくそれまでやったことがなかったほど、
日記をつけ、自分に起きた思考と知覚と感情を言語化し、
膨大な努力をしてやってきたそれらのことは、一体何に寄与していたかというと、
自分に対する「観察点」です。
この観察の視点それ自体は、悟りの意識では全くなく、自我の核ですが、
この自我の眼が熟して純化されないと、あるいは、そのバランスが整わないと、
その上にあるものとの接続は起きません。
精神世界という分野に足を突っ込むと、こうした「整備」が、
とにかく面倒なのです。
たとえば、死人禅の頭頂留意というものは、それ以下のすべてのチャクラが
整備されないかぎり、機能しないということは、無明庵の初期の本にも書いてあります。
そのために、自我復元では、
頭頂の真下にある3つの中枢を主に作動するような方法をとりました。
それが回収物を胸から脳に回すという方法です。
また中心の技法もそれです。
しかし、それでも整備されない問題が残り続けるのです。
たとえば、自我復元を始めたものの、途中で挫折したとしたら、
原因は、その3つの中枢の連結に(今のところは)苦心しているということもありますが、
それ以外に、腹から下の3つのチャクラが全く整備されていない、
ということがよくあります。
だからこそ、自我復元者の何人かは、自分の「身体の世話」をやり直して、
それによって自我を復帰させられた人もいるわけです。
必死にやっているのに、あるところから進まないと思ったら、
上部の3つのチャクラからは、少しステップバックして、
下部の3つのチャクラを調整して、世話をすることが役立つことが頻繁にあります。
余談になりますが、サハスラーラチャクラを酷使する死人禅というものは、
それが燃料として特に必要とするのは、腹のエネルギーです。
丹田だけ鍛えてもどうにもなりませんが、丹田がある程度整備されていないと、
決して頭頂まで、引き上げた集中力を維持することは出来ません。
死人禅は、その消費電力が半端ではないのです。
普通のことだけをしてきた人には、最初から無理だったのです。
なので、時代が、近代になるほどに、
下からやり直すということが必要だったりします。
逆に言うと、近代の方が、
記憶力や思考力、応用力は優れている「場合もある」ので、
思考中枢の通過と整備が早い人もいるかもしれませんが、
たいていは、感情や身体の調整不足で、それも阻害されます。
とにかく、その回復プログラムは何を目指すのかと、
では、どうやれば目的とするものが回復するのか、
そして、そもそも、そのバランスが崩れたのは、どこで。なぜそうなったのか?
こういう問題で、一生の間、ずっと振り回されないとならないのが、
精神世界であり、またここの星での経験なのかもしれません。
_________
というような、偉そうなことを
人間としての全機能が、機能不全になっている私が書いてみたわけですが、
以前の15%も内容や勢いがありません。
それなのに、たったこれだけ書いただけで、ヘトヘトです。
そして、こうした経験を通じて、希釈された自我の人たちその他が、
どれだけ辛かったり、苦労したり、困難さを抱えているかを、
私自身が現在、感じています。
昨年あたりから始まり、今年の入院を経て現在に至るまで、
私が今経験しているのは、希釈自我の人の立場と、
もうひとつは、虐待などで脳が萎縮した人の立場です。
昨年に、私の本体成分が、少なく見積もっても50%ほど持ち去られたので、
その段階で私の自我率は1/2です。
おそらく入院したのも、その希釈のせいで免疫機能が弱ったのだと考えています。
しかも、脳内物質の枯渇という現在の状態は、
そこに虐待という原因がなくて、単にその結果として生じる、
脳の不具合のシミュレーションに過ぎない、とは言っても、
人間がどれだけ脳内物質の乱れに振り回されるか、ということを体験できています。
こうした人たちのことを、深く考慮する時間もエネルギーないままま、
自我復元を「見切り発車」したわけですが、そのために苦労をした人、
今苦労している人はいると思います。
しかし現在、それに対して打つ手は、私からは何も提供できません。
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