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雑話集/第16話

庶民の『護心』術 武術の「存在価値」とは、もはやこの「現代」では3つしか存在しない。 1/行う本人または観衆にとっての娯楽・ゲーム・精神と肉体の修行の目的。 2/文化継承・文化保護や個人的な研究の要素。 3/そして実用性だが、この「実用性」というのは全くあてにならない。 よく武術に携わる者の「一部」が、 その実用性について唾を飛ばしながら熱弁をふるったり、 あるいは「どの武術が強いのか」などの、くだらない論争に陥っているのを見かける事が たまにある。 しかし、そもそも我々が「一般庶民」として生きているかぎりにおいては、 自らが大きな暴力犯罪の被害に出会う確率は「比較的」少ない。 例外としては、警官や警備員などの護衛、治安の仕事に携わる者である。 あるいは一般的なところでは、いろいろな店舗のレジにいる者だが、 それにしても、最近のセキュリティーシステムの発達により、 実際に暴漢と「相対する機会」などというものは、それほどあるわけではない。 また、さらに会ったとしても、そこで護身技術を使う事が絶対的に必要なケース というものは、それよりも、さらに少なくなる。 というよりも、かえって下手な護身技術を使うことで、 その後の危険や被害が増してしまう可能性もあるからだ。 ・・・・・・・・・ 動物を相手に格闘をするのではないかぎりにおいては、 我々が相手にするのは『人間』であり、人間は思考と感情の生き物である。 したがって、実際の生活における真の護身法とは、相手の「心の扱い方」にこそある。 つまり本当の護身術とは『護心術』であるとも言える。 出来る事ならば、相手にもまた暴力をふるわせないことが、 結果としては、何よりもベストである事は言うまでもない。   さて、そこで必要になるのは、『心理戦』や『話術』である。 つまり、最も理想的なのは、相手の戦意を喪失させる事だ。 といっても、相手を力でねじ伏せたりするのではなく、 そもそも「思考の段階」でその戦意を喪失させるような話術が必要とされるのである。 ただし、外国などで言葉が通じないケースは少々違ってくるので、 ここでは相手に「言葉が通じる」という前提で話を進めてゆく。 ・・・・・・・・・ ところでその前に、世間では、犯罪などの被害に会わない方法として、 平素より、「他人から恨まれないようにする事」を強調したりするが、 これは現実的には、少々の無理がある。 なぜならば、現実的には「逆恨み」というものもあるし、 また、何よりも、恨まれまい、嫌われまいとする動機から、 自らの言動を平均的な価値観に抑制したり制限する事は、 自分の一生にとって、なんの役にも立たないからである。 そんな生き方をしたところで、あなたが最期に死ぬときに残るのは、 ただの「後悔」のみである。 であるから、必要以上に他人に恨まれまいとする必要はない。 単純に、のびのび生きていればよいだけだ。 問題を起こさないようにと、常に神経質になるのではなく、 問題が起きたら起きたで、対処すればよいだけだ。 ・・・・・・・・・ さて、犯罪や暴漢に会うケースは大ざっぱには2種類ある。 ひとつは、全く理不尽に、または、突然に予測出来ない被害に会う場合。 これは、はっきり言ってしまえば、起きてしまった事そのものについては、 もう諦めるしかない。 その事後については、訴訟裁判なりで、後の事はなんとかすればいいが、 とにかく、その「実際の現場」では、避けようがなかったのだから。 80年間生きていても、一回もそんな被害に会わない人間もいれば、 たった20年生きているだけなのに、何度も暴力の被害に会う人間もいる。 これは、もはや、それぞれの運命や宿命、または生活環境の問題である。 だから、あなたがあまりに暴力的な不運に見舞われるようならば、 護身術をやったり、護身用具を買う遥か以前に、自分の平素の生き方や、 自分が心の奥で本当は「何を望んでいるのか」について内省した方がよい。 一見すると理不尽な現象であっても、たいていの場合においては、 自業自得、または自分の心の裏側で、どこかでそれを望んでいたという事が 多いからだ。(無論、すべてのケースにはあてはまるのではないが。) ・・・・・・・・・ 一方で、もうひとつのケースは、 自分が、今にも暴力の被害に会いそうな『予測』がつく場合である。 それは恐喝、窃盗、詐欺、痴漢や強姦、そして殺人と内容はいろいろだが、 あきらかに、このままだと危ないと予測がつく場合がたまにある。 そして、この場合には、大原則は、『隠れる』または『逃げる』事だ。 しかし、それが不可能な場合には、『戦意を喪失させる手』を講じることである。 下手に、「力や威嚇的な言葉」を使って、相手を興奮させたり憤激させる事だけは、 絶対に避けるべきである。 しかし、むやみに、ぺこぺこ「誤る」というのも難しい点がある。 誤って済むならば(誤るのはタダであるから)それが一番いいのだが、 あまりやりすぎて、ひらに誤ると、 かえって相手を「つけあがらせてしまう」ケースもよくあるからだ。 こうなると、残る方法は、心理戦である。しかし、ここにも2種類ある。   1/その場かぎりの発作的暴力、発作的な激怒の相手の場合には、 言葉によって、ある程度はなだめたりも出来る。 人間の感情は、助長するような刺激を全く与えないと、決して長くは続かないからだ。 また一番よいのは、相手を「笑わせる」ようなことを言う事だ。 「笑い」というものは怒りに対する最大の解毒剤、軌道変更であるからだ。 2/しかし強盗やストーキングなどのように、その目的が持続的かつ明確である場合には、 言葉によってそう簡単に回避できるものではない。なだめたり、誤ったり、説得したり、 あるいは笑わせたりという事が全く効力を持たないケースが多い。 こうなった場合には、まず何よりも相手の目的を明確に把握し、 その相手が自分の目的を果たすのには、あなたは不適格な人間であると、 その相手に思わせる必要がある。これを具体的なケースで言えば、 1/あなたが突然の暴漢から金を巻き上げられないようにするには平素から、 (特別な必要がないかぎりにおいては)質素または、貧素な服で暮らすことである。 格言に曰く。『貧乏人の家に泥棒は入らない』 私は、これで無事に暮らしている。(もっとも本当に貧乏なのだが)。 これ以外には極端に『妙な服装』を着るのもよい。 いかにも普通ではない変な格好をしていると、 暴漢は逆に近付くのすらも躊躇するからである。 2/次に、あなたが「一人でいて、しかも黙っていた時」のケースにのみ 限られるが、ちょっとした、ささいな事で、因縁をつけられた場合には、 瞬時に、耳が聞こえないふりをするとよい。 そして、すぐに筆談に切り替えるのである。 気が短い相手ならば、話にならないと思ってすぐに立ち去るだろう。 これも私が実際にやって、効果があった。 3/あなたが、もしも強姦に会いそうな危険がある場合には、 (もしも冷静さを多少でも維持できていたらばだが)、 自分が性病の治療中である事を言うことだ。それも、具体的に病名、 たとえば「ヘルペス感染症」などの病名を言うと良い。 さらに「化膿して膿がたくさんが出て、膣の中に白いコケのようなものが出ていて痛い」 などと症状を具体的に言うと、それは相手に大きな嫌悪感を生み出す。 いくらコンドームをつけたとしても性病の女性を相手にする事には、 男性は少なからず感染の危険性から、抵抗を感じるからである。 4/変な店で、ぼったくられた。これは、もう被害届を出すのが一番よい。 5/突然に、酒飲みにからまれた。 これは走って、あちこちの横道に入って逃げればよい。 アルコールが入っている人間は、長くは走れないからだ。 また観察力や記憶力が低下しているので、横道に何度か入ればわからなくなる。 6/しらふの相手が、逆上して、凶器を手にして、あなたを殺しに来た。 これは、どんないきさつがあるにせよ、「あなたも」悪い。 したがって、これには、安易で簡単な解決法などない。 7/犯罪というものではないが、もうすこしおとなしいところでは、 電話のキャッチセールスの場合に、最も有効なのは、 相手に{罪悪感}を持たせることである。 つまり、相手に「自分は迷惑な事をしている」と思わせる方法である。 今までに実際にやってみて契約勧誘の電話に対して最も効果があったのは、 1/『今、調理中で、火を使っているので、後にしてください』。 これは「火事にでもなったら大変だ」という思考が反射的に働いてしまい、 その場は、とにかくすぐに電話を切ってくれる。 2/『今、これから葬儀が始まるのでご遠慮ください』。 これは葬式や死に対する暗いイメージによって、 「かけてはいけない所に電話をしてしまった」と思ってすぐに電話を切る。   3/『眠いふりをする』。つまり、電話に出ても、話の途中で「いびき」をかく。 これをすると相手は「もしもし・・もしもし・・・・もし」と言うので、 しばらくしたら『すいません。居眠りしてました。で、なんでしたっけ』と言う。 相手は、もうやる気がなくなる。それでも話をしようとしたら、 『徹夜の仕事で今仮眠をとっているのです』と言ってから、黙り込み、 また少ししたら「いびき」をかく。間違いなく相手は謝って電話を切る。 4/また無言電話に効果的なのは「お経のテープ」などをかけるよりも、 さっさと『保留ボタン』を押せば良い。全く相手にされない事に加えて保留用の メロディー音の繰り返しにうんざりして相手は電話を切るケースが多い。 ・・・・・・・・・ さて、痴漢から暴行にいたるまで、あらゆる犯罪について言えることだが、 たとえば、その場は催涙スプレーやスタンガンの使用で、逃げてから通報する事で、 仮に犯人の逮捕が出来たとしても、出所参りというのもある。 こうなると、もしも相手があなたの居所を知っている場合には、 いかなる自衛手段を取っても、裁判でもしなければ、つきまとわれる。 ・・・・・・・・・ ということで、結局は、100%安全な護身法とは、 そもそも犯罪や暴力に巻き込まれない事であり、護身法や護身具を使用する事ではない。 そして、さらには護身用具を持ったり、または護身術を学ぶと、それによって、 かえって暴力に巻き込まれる可能性が増すケースがある点にも留意するとよい。 その原因は、主に以下の3つである。 1/護身用具や自分の力を過信して、危険な地域に踏み込んでしまう場合。 2/護身用具や護身術を使いたいという不純な欲望のために、   自分でも無意識のうちに、危険な状況を引き寄せてしまう場合。 3/護身用具、または護身術の初心者は、構えるという気配が外部に漏れてしまう。   一般には気力や気配が強いと自分を守れるなどと思いがちだが、   実際問題としては逆である。   最も効力があるのは、無防備な心、または、くつろいだ無心である。  なぜならば、どんな形でも「構えた心」には必ず緊張がある。   すると緊張は、おなじような緊張を引き寄せやすいのだ。   無心、無欲、無力、無防備である場合には、一見すると弱いので、   つけこまれると思いがちだが、実は、その分、気配が非常に薄いので、    『捕らえ所がない』。つまり存在感がないので、因縁をつける気がしなくなったり、   かかわっている相手の頭が『空白』になってくるのである。 逆に一番、危険なのは「もんもん」と考え事をしている時である。    「明確なテーマにそって考えている」場合は他人が付け入る隙がない。  しかし「漠然とした雑念が多く、注意が散漫」でぼーっとしている時は最も危ない状態 だと言える。暴漢ばかりでなく怪我や発病の危険がある。 ということで『庶民の護身法』として最もすぐれた方法は、 何も考えずに、気配を消すことに尽きるのである。 ・・・・・・・・・ ところで、全くの余談だが、『国民総背番号制』というのは、 つきつめれば、最終的には、国民の所在地をつきとめる技術に行き着く。 いずれ、未来社会においては、肉体の中、それも皮膚表面などではなく、 簡単な手術では摘出できない肉体の内部に、個人情報と発振器を埋め込み、 生まれた時から死ぬまで、国民全員の所在地の追跡が可能となるだろう。 衛星からの監視により世界のどこにいても、所在地が分かり、 そして、やがては、発振電波を遮断・撹乱・偽装する事も困難な発振器が開発されるに 違いない。 そうなった時、犯罪者はそのコードさえ分かれば逃げる事は不可能になり、 また、行方不明や、誘拐事件もその解決は飛躍的に早まるし、犯罪の抑止力にもなる。 しかし一方では完全にプライバシーが侵害される事にもなるだろう。     「素手の武術」と「武器武術」の明確な相違点、 そして、地上最強の兵士」とは何か? 素手の武術と武器武術との間には、 相違があるとする見解と、 相違はないとする見解のふたつがある。 つまり、武器は手足の技の「延長」であるとする考え方も多くあれば、 それとは見解を異にする者も多くいる。 また、武器や防具を使用することに武術としての「矛盾」を感じる者もいれば、 全く逆に、そこに「意義や正当性」を感じる者もいる。 さらに言うならば、武器というものを、一体どの範囲と種類までを、 「武術武器」として定義し、どの範疇からは国家間の大量殺戮兵器として定義するのか によっても、武器そのものの全体像は変わってしまう。 ・・・・・・・・・ このように、人間という動物の「力」や「知恵」や「科学」そして、 その結果である道具に対する考え方は、さまざまであり、 むろんどう認識するかは、全く個人の自由である。 しかし、人間がおのおのに勝手に考える武術論、武器論とは全く関係なく、 歴然たる「事実」というものもある。 『武器武術』と『素手武術』(仮に本論では便宜上こう呼ぶが)の、 このふたつの、どちらが良いか?、実用的か?、強いか?などと、 その是非を論じるためではなく、純粋に『その違いとはなんであるか?』について 考えたい者がいるならば、以下の小論は、 極めて明確な答えをあなたに与えるものとなるだろう。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ それでは、まず最初に結論から言おう。 1/素手武術は、生物学的には、人間を強化(または進化)させる。 2/そして武器武術は、人間を生物学的には退化させる。 この理由は至って簡単であり、反論の余地は一切ない。 人間がなぜ道具を使うのか?の根本問題を考えてみればよい。 一般には、二足歩行の始まりと脊椎の変化、そして手を使うことで脳が発達し、 その結果道具を編み出した事で、人間はあたかも他の生物よりも「進化」している、 などという妄想に陥る者は、この地上に掃いて捨てるほどいる。 しかしそれは『本来の生物学的進化』というものをまるで理解していない。 進化とは、それが次の世代に遺伝子または形状として伝わる事で成立する。 そのためには、本来生物が生き延びるための形状変化をするには、 何十万年もの時間をかけて、その爪や角を発達させたり、高速で走れる足に変化したり、 翼を発達させたり、または擬態や保護色を手に入れる。 ・・・・・・・・・ 一方で、人間が道具を作り出した理由とは、たったひとつである。 それは、自らの生物としての身体能力の無能さ、 無力さを補うために作り出した事は明白である。 道具の存在理由は、厳密にはたったひとつだ。 それは何かを道具に『代行』させる事だ。 そして、道具の種類は、石器時代から遠い未来の超エレクトロニクス時代においても、 そしてさらには、永久にわたって、2種類しか存在ない。 1/「本来は自分でも出来る事」でも、それを道具に代行させる目的。 たとえば、人間は、自分の爪や拳でも、ある程度は敵と戦えるが、 より有利に運ぶために、石器や刃物を作る事など。 2/「もともとも自分には出来ない事」を道具に代行させる。 煮立ったお湯や料理を、我々は自分の手ですくって飲む事はできない。 そこで食器などが作られる。この人間社会にあるすべての生活道具、電化製品、兵器、 武器などは、すべて1と2の基準(目的)で作られている。 しかし、もしも道具が発達してゆくと、その結果として、ひとつひとつの個体(個人)は それに比例して「無能」になってゆくのは当然の結果だ。 我々の社会は、電子ネットワークや流通ネットワーク、 そして産業や政治において、どんどん相互依存を強めている。 昔ならば部落や村として独立していたものが、 全体がひとつの管理体勢の下に置かれつつある。 そうなると、もしも、その管理体制のどこかにトラブルが生ずれば、 あっと言う間にそれは全体に波及するという弱点を持っている。 人類は、この、何でもシステムや道具に依存する「社会」という構造を 自分たちで固めることによって、他の動物よりも優勢を保っているが、 そうなればなるほどに、我々は『一人の個体』としては、 ますます無能化してゆくことになるのだ。 効率やスピード、つまり「自分が楽をしたい」という動機から人類は道具や武器を作った わけであるが、もしも道具や武器に依存すれば、いわずと知れて身体の内外組織は、 その「生物的な進化」を止めてしまう。 だから、銃器やナイフや殺虫剤、あるいは防護服がなければ、人間などは、 動物たちや昆虫たちに、いとも簡単に殺されてしまうわけである。 つまり、人間は太古より、結局は、『正常な進化』という意味では、 生物的には何も進化していないわけである。むしろ退化してしまったのだ。 それは腕力や体力ばかりでない。 食物を道具で細かくしてしまう事による歯の咀嚼力の低下、 そして服を来たことで、体温調整機能や免疫力を著しく低下させ、 そして火を使うことで不自然に高温な食物を摂取した事より、 内臓にも大きな異変を生じた。 また火や衣服や住居を作り出したことで、本来は生存が不可能な低温の地域に移動した ために、やがては、『繁殖のしすぎ(人口過剰)』という結果を招いてしまった。 何度も言うように、本来、生き物としての「まっとうな進化」とは、 環境に応じて、身体や生態そのものを変化させるべきなのである。 しかし、人間は「脳の肥大化」という一種の病気になり、 自分の身体を変化させるよりも、道具にそれを代行させる事となり、 (集団社会としてではなく)ただの『個』として見た場合には、 人間のサバイバル能力は、どんどんと弱くなってゆくのである。   地上最強の兵士たち では、地上に存在する最強の生物とは何であろう。 しかし、その前に、そもそも「最強」とは何であるのか?が問題だろう。 その種、または個人が、その繁殖能力や戦闘力や防衛力を増大させたり、その生存領域を 拡大するのが、一般的には「強い」という事の意味だ。 そうであるならば、地上で最も強い生物とは、あきらかに人間ではない。 また、それは猛禽類でもなければ、爬虫類や昆虫でもない。 地上で最も優れた種、そして最高の頭脳を持った軍隊、、、それは、ウィルスだ。 たとえば、医学界で問題になっている多剤耐性菌などは、 たとえどんな抗生物質を投与しても、半年から1年後には新たなる耐性を持った菌に 変化する。いずれは医学がこれを撲滅できると楽観視している者もいるが、 実際には、いたちごっこの「結末なき結末」となるのは必至だろう。 これがもしも複雑な有機体、たとえば哺乳類だったらば、こうはいかない。 人間を含む哺乳類が、自分の身体構造をモデルチェンジするには膨大な時間がかかる。 ところが、ミクロの世界では、たった数カ月で、文字通り新しい戦闘力と防衛力を持った 生き物に『進化』を遂げるのである。 原子力つまり核反応がそうであるように、宇宙の大原則として、 「よりミクロのものの中にこそ強大な力がある」という事だ。 だから、見かけが大きなものや、複雑なものほど、実際には生存力は弱い。 さらに言うならば、仮にその耐性菌が死んでも、元素は生き延びる。 そしてその元素も、やがて何十億年かの寿命はあるので核が崩壊するが、 そうなれば原子よりも小さい素粒子として存続する。 だから、もしも人間が最高の武器、最強の力を得たいのであれば、 結局のところは、素粒子以下の世界を支配するしかないという事である。 しかし、とりあえずは、現在地上に存在する最強の「有機体兵士」とは、ウィルスである。 また、生物ではない武器としては、細菌よりもさらにミクロの次元の異変の原因となる 要素である、高周波領域の電波・電磁波・音波などの振動である。 もしもこれに反論する者などいたら、私はその者に問うが、 医学は一体いつになったら、風邪を予防できるというのだね?? ごたいそうな臓器移植や、遺伝子治療は発達しても、 いまだに、風邪ひとつ完全には予防ができないのだから。 1999  6/18  鈴木方斬


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執筆監修:鈴木方斬(すずきほうざん)
HP作成:黒間玄元(くろまのりゆき)ハンドルネーム:bv



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