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無明庵日記●猫の足跡-その594● 『戦車さん祭り』 ●
by:
鈴木崩残
2013/07/21(Sun)04:11:13
「戦車さん祭り」
●これは「自我復元」に関する記事ですが、
桜の間のメインストリートには分類できない、ローカルな話題なので、
今回は、ここ「梅の間」に書きます。
●実は、「戦車さん」の7/10 と 7/17の記事(以下のアドレス参照)
に関しては、戦車さんへの「エール」のメールが数通届いていました。
7/10
http://d.hatena.ne.jp/hukugensensya/20130710
7/17
http://d.hatena.ne.jp/hukugensensya/
>>(この記事は7/23の朝に削除されていましたが、
この投稿の意味が分かりづらくなるため、
梅の間は、このままにします)
●しかしながら、
自我復元者の方から戦車さんへのエールが私のところへ来る前に、
既に、私から「戦車さん」へは、
メールで、問題点の「ごく概略のみ」ですが、伝えてあります。
その内容を、編集の上ですが、一部、以下に記します。
また、後半では、
その後、数名の方から、戦車さんの二つの記事についての、
「エール」または「見解」を戴きましたが、
それについて、戦車さんが、それを、
「エール」ととるか、
「批判」ととるか、
「仲良しゴッコ」ととるか、
それは、戦車さんと、読者の方の判断に委ねることとします。
少なくとも、1回の表の攻撃は、
「スリーアウト・チェンジ」になったのですから、とりあえず、
「1回の裏」に移行すべきであると、私は思ったからです。
でも、大丈夫です。
まだこれから、「9回裏」までは、長いですから。
●以下は、皆さんからメールが来る前に、私が戦車さんに送ったものです。
******************
2013年07月18日
戦車 様
トラウマ掘りをする場合には、誰に対してもそうでしたが、
本人が、過去の(現実の)記憶にアクセスをしやすくするために、
「メール上では」、本人の戸籍上の名前にシフトするので、
主要な掘り出しが、終わるまでは、ブログネームやハンドルネームではなく、
メールでの呼び名は、******様、とします。
*中略*
気にかかることは、十分に気にかけておき、かつ、わざと後回しにするほうが、
無意識の計算が進むという基本原則があります。
なんでも思い立った時に勢いでやればいい、
というものではありません。
●実際、今回の7/17の記事は、7/10の記事で凡打したあとに、
観客に向って、悔しい顔と、照れ笑いとを、演技的に演出した結果、
ベンチに戻る前に、球場で、頭から突っ込んで、すっ転んだ、
という絵になっています。
恥の上塗りのようになっているので、私としては、
最新の投稿は、削除するのがいいと思うのですが、
あえて残して記録にするという手もあります。
●それで、問題は、
この「記録として残す」という動機にある「不純さ」です。
自我復元記録として、「貢献」をして戴くのは、
むろん、「研究室」としては、喜ばしいことですが、
ただ、それが目的になると、
「どうだ、ワシのブログは一味と違うだろう、
この(ワシの参考にならない何割かの)ボケブロガーども。」とか
なりかねません。
では、それがいけないのか、
そうした自己主張や、為になるブログにしようとする姿勢が、
いけないのとかというと、
自己主張そのものが悪かった試しは人類史上ありません。
問題は、
動機、つまり今のそうした動機の「起動燃料」になっているものを、
まだ掴んでいない事です。
その燃料とスイッチを抜いたら、萎んでしまうモチベーション
というのはよくあります。
●ですので、最新記事を残すか、消すかは、そちらに任せます。
私はどちらでも対応できますが、
これ以上、そちらの仮人格が、サマにならないピエロを、
観客の反応に気づかずに演じるというのも、苦しい気がしますので、
「最新記事」だけに関しては、6:4で、削除に軍配があがります。
●さて、部分的になりますが、次の点を読むと参考になります。
>>トラウマかよ・・・めんどくせえ。
●これは本心の8割だと思います。
>>とは思うのですが、んなこと言ったって仕方ないので、
●自我復元の「課題・宿題だからしかたないからやるか」と取れます。
>>「おし、掘る!」と腹を決め、一息つきました。
●決意したというポーズです。
>>わし、どーしても地球に生まれたくない。
●これは後付けの目的です。
あるいは、掲示板や他者の意見の影響でしょうね。
どうしても生まれたくない場合には、
治療師という道も、諦めないとならない場合もありますので、
本当のところは、過去にリベンジするために一旗あげたいのか、
それとも、今のAC人格を、さらに強化して自活できるようになりたいのか、
それとも、人生に本当に絶望しているのか、
そのあたりも、まだ詰めていませんので、
「どーしても地球に生まれたくない」の部分は聞かなかったことにします。
>>わしは、自分のブログのコンテンツが充実するのが嬉しいのです。
●優越感に浸れたりする、という以外に、
「充実感のないものには価値がない」とする歪みの一種ですが、
これについては、すでに自身の中に違和感があるはずです。
>>そりゃさすがに、トラウマ発覚は衝撃でしたし、
>>凡打記事にはしばし落ち込みますが、
●これが、もしも、戦車さん自身が発見した発覚ならば、
あるいは、私とのメールの中で浮上した問題意識でしたらば、
それは本当に衝撃的に落ち込むと思いますが、
あくまでも、桜の間の掲示板上でディスプレイされたものですので、
この言葉自体が、リアリティーに欠けるのです。
「今さら、めんどくせぇな」という意味では、落ち込みの動機に
なっていますが、
「問題意識」が生じたわけではないという意味では、
嘘っぽいフレーズなのです。
>>ひと段落すると、いーんじゃないかこれサンプルとしてー!!
>>と思っちゃうのですね。
●ここに、滑り込んで、
自分を納得させる「帳尻」が 合ったと思っているとしたら、
それが問題のACトラウマ人格そのものです。
>>わしは相当に、いまのAC人格を握りしめているようです。
●この認識が正しいですが、
表現が断定ではなく、「握り締めている、ようです」なので、まだまだです。
*中略*
何も、ご自分をネタにして記事を書くことで、
問題に「麻痺する」のが、ブログの目的ではありません。
それをすると、以前の「根路理さん」とそっくりになります。
実際、なりかけていますので。
>>トラウマ問題ってわしの中ではかなりの大事なのですが、
>>それでも、根拠も無く、「絶対掘れるもんね」とか思うのは、
>>AC人格の表れなのかね。
●「かね?」の語尾をつけることで、まだ「AC人格」を甘くみていますが、
「それぐらい、ちゃんと注意しているもんね」と言っているように聴こえます。
>>これ、「絶対掘らせないもんね」の間違いとかじゃあないだろうね……。
●掘らせないもんねの間違いなのですが、
ここも、断定せずに、だろうね・・・とくくる点でも、
これらの一連の文章は、
すべて「観客向けディスプレイ」となっています。
それは、本当の正直さや、あけっびろげさや、
懐の深さからくる、サービス精神の結果ではなく、
凡打を引きずった結果なので、問題を感じています。
つまり、一般用語では「ごまかし」の部類に入ります。
むろん、自分自身へのです。
>>トラウマシリーズ展開を妄想して楽しくなっているのは、AC人格か?
●その通りですが、
それが本当に分かるのは、まだ先です。
>>そういうことで、わしにはガッツリ掘る場所がありますから、
>>それらをトラウマシリーズとして展開していこうと思っています。
●「ガッツリ掘る場所がありますから」という表現は、
「問題は提示さているのから」掘るぞ、というディスプレイですが、
ここは本来は、
「ガッツリ掘りたいから」が普通です。
場所があるからというのは、他力本願的表現、
または「掘る理由を自身の意思決定の結果としていない事」になっています。
>>なので、野球パロディするのに、
>>そこらの事情に明るい参謀が欲しいと思いました。
●重要な問題なのですから、パロディーにする必要はありません。
*********
■前回と今回の投稿の全体を通して思ったことは、
実際には、ずっと以前(ヒラーのところに行く少し前)
から浮上した違和感の要素ですが、
普通のACより数重に屈折していますので、少し難航します。
私は1/2自我以上の者が難航したり、
または、1/4自我未満からの人でも、掘り忘れた人が難航する、
と受け取られることを書きましたが、
もっとはっきりと言えば、
「自分は、今までもやってこられたから、自我復元を付け足して、
その今までの自分のツラを強化してやれないか」
というこのタイプの人が、戦車さん以外にも、
全く同じパターンで、何人かいますが、
これが、自我復元と、トラウマ掘りでは、一番難航するのです。
●逆に、ずっと自己嫌悪が酷く、達成感の無かった人たちは、
「不幸中の幸い」に過ぎませんが、それが原因で、
ずっと「自分はおかしい、自分が狂っている」と思っていたので、
狂っている原因に向き合えたのですが、
生来または、復元による自我率に関係なく、
「この自分でイケる」と思ってきた人たちは、
その自分がACトラウマに汚染されたものにすぎないことに気づかずに、
そのまま、つき進んでしまいます。
●そういうわけですから、
トラウマ掘りには、
エンターテイメントも、パロディーも必要ありません。
またシリーズにする必要もありません。
トラウマを掘るには、本人の問題意識の強さに呼応して、
周囲の条件が揃ってきてから、
「掘れるタイミング」というものがあります。
ですから、「トラウマ掘り」とは別に、
「生活雑話」「復元効果日記」などで、
パロディーや、お茶らけや、高度なお笑いを盛り込めばいいと思います。
「トラウマ掘り」で、それをすると、
「根路理さん」の「ほか子シリーズ」と同じ、無残な結末をブログが辿ります。
(「本人」は無残ではなくても、「ブログとして無残」という意味です)
なお、今回の私のメールは、全文コピーして掲載してもよろしいですし、
胸に内に秘めて、内省の資料としてもいいですし、
どちらでもいいです。
あくまでも、参考と、私個人ま見解からの助言ということですから、
今のまま、パロディーと、実況ゲームの演出を加えた、
真剣なトラウマ掘りの記事を、今後書かれてもいいのですが、
はたして、そうした「演出部分」は、何かの効果を自他に向けて持つかとなると、
それは、真に迫ったリアリティー(つまりは、ご自分の意識)に、
泥を塗る以外の効果はないと、私個人は思います。
●掘る箇所は、すでに前回メールしたとおりの区分となりますが、
むろん、お父様の他界「前」は重要ですが、
実は、水商売「直前あたり」も重要です。
それは、そこで女性を捨てたということですから。
水商売や風俗というのは、女性を磨く場ではなく、
女性を道具として貶めることで、自身の中の女性を捨てることです。
これについては「梅の間」で、詳しく解説してあります。
いっぽうで、家庭内では、お父様の「他界の前」から、
すでに「子供を捨てる」ことが始まっていたために、
戦車さんの場合には、
「子供」「女性」と、ダブルで、捨てた(気になっている)ことになり、
これが、他の、自覚的トラウマ持ちの人よりも難航することが
予測される部分です。
今回は、ここまでにしておきます。
崩残
________________________
●と言うことで、私からは既に、戦車さんご本人に、
早い段階で、メールで、私の見解を伝えてあります。
戦車さんの場合には、自覚的なトラウマ持ちの方たちとは違い、
気づきにくいタイプのトラウマなのです。
********
●また、前述の7/17の記事の「最後の藍色のフォントの文」は、
私からのメールのほんの一部の部分引用となっていますが、
あれですと、「全体像」が分かりにくいので、
私の方で、もう少しだけメールの「原文」から引用します。
なお、文中に出てくる
「>>部分」は、戦車さんの言葉の「一部」です。
ブログの書き方では、
戦車さんが不真面目に見える読者の方もいるかもしれませんが、
私とのメールでは、真面目にACトラウマ問題を掘ろうとされており、
そこは、戦車さんも、きちんと使い分けていますので、その点は、ご理解ください。
******************
2013年07月16日
戦車さんへ
●実は、そちらが掘ったAC、または「はい、これACですね」
と戦車さんのブログに書かれているのは、非常に部分的なものなので、
「原主体」に行き着くのは、もう一度掘らないとならないため、
じっくりと取り組む時間が必要です。
原主体に、いきなり行き着くことは出来ず、
その前に、戦車さんが、
「自分で自分のことを徹底的に、虐待」した原因を自分で調べないとなりません。
「自分で自分を虐待した」とは、
「こんな弱っちい自分はいらん」と、切り捨てた部分の
亡霊ということになります。
よほど、大嫌いになった「ご自分の側面」があったはずですが、
それには、ひとつひとつ、「理由」があるはずです。
●人間の生き方には、自己嫌悪の原因を直視して、
1/それがエラーである事を理解する方法と、
2/自己嫌悪をもたらす自己の側面を切り捨てる人がいますが、
後者は、切り捨てられた感情が分離して、
(あくまでも喩えですが)亡霊のようにその人から離れず、
人生全体に影響し続けます。(足をひっぱるものとして)
戦車さんの場合には、
「こんな自分は、ゆるせん」となった原因は、
「母親」との関係(母親の子供たちへの接し方)が主なのですが、
私は最近、「他界したお父様」や、「貴女の両親の夫婦としての関係」を、
かなり疑っています。
*中略*
>>妹が誕生した時には(その前に流産した子供がいただけに)、両親が大変に喜んだので、
>>自分も「赤ちゃん、かわいいね」という(両親への)迎合をやらかしていました。
●これは、「妹をかわいいと特別に思わない」、といったさめた感情からではなく、
思いっきり、両親の様子に嫉妬したことを意味します。
その不安を「迎合」という形で子供なりに解消しようとしたことになります。
むしろ、そうならない子供の方が病気です。
*中略*
●蛇足ですが、科学的姿勢の第一は、
「現象と、善悪は、別問題である」ということです。
何かに対して、早急に、
「悪い、うざい、気に食わない、こんな私は失せろ」
とやってしまうと、原因究明にならないのです。
性急に「悪者扱い(自己の嫌悪部分の自己隠蔽)」をすると、
その原因が分からずに、また同じパターンを繰り返すことになるわけです。
>>妹が生まれる以前から、何か家庭内に歪みがあったような気がします。
●もしも、貴女よりも妹の方に両親の愛情が行くことへの子供なりの嫉妬と、
「これは、自分への両親の関心が少なくなってヤバイ、
そんなの、私は、寂しいじゃないか、
うあー、嫌だよ、妹なんかいらない!」となったのならば、
それはしごく「正常」ですので、それならば歪みはありませんが、
さめた目で妹さんを見ていたとしたら、異常です。
●妹さんの誕生の部分もそうですが、それ以前に、
軍曹と、貴女、その両者に対する両親の態度の違いがあったか、
または、違いがないのに、戦車さんが勘違いをして、
兄が差別されていると思い込んだか、
など、いろいろな可能性を、現在、私は視野に入れています。
>> 覚えているのは、恐らく夫婦喧嘩の後の、母親の不機嫌でした。
>> 無言で、何回も何回も包丁をまな板に叩きつけていたのを見て、
>>怖かったのを覚えています。
>>これは、正確な時期は思い出せませんが、妹の誕生以前です。
●非常に重要なのは、その「怖かった」という率直な感情です。
本来、そこを徹底的に巻き戻して、感情を掘るわけです。
実は、こういうことは、他の復元者の皆さんと同様に、
当事者の親が、まだ生きているうちに、(この場合はそちらの母親)
「なんで、包丁をガンガンやっていたか、覚えていますか?
大事なことなので、教えてください」と、母親に聞くのがベストです。
子供が親を現在、どう思っているのかは関係なく、
親は、家庭内事件の「情報源」だからです。
そこでは、事実確認の「取材」が目的であって、
母親への、嫌悪や否定や、
または「無視」、あるいは「中途半端な肯定」
などが目的なのではありません。
ですから「もう関係ない。今更親に聞く必要などない」とならずに、
まだ生きている間に、「あれは、どうして、親がそういう事をしてたのか」
を親に聞くか、または、そちらの場合には、
もしも同じ母親の様子をお兄さんが見た記憶があるとしたら、
軍曹に聞くという手もあります。
*中略*
これから少し、傾斜のきつい山道になりそうです。
その山道を登るときのキーワードを、ひとつだけ覚えておいてください。
キーワードは、たったひとつだけです。
『どんなに、自分で見るのも嫌な、自分の感情や、
情けなさや、弱さや、惨めさや、嫉妬心や、恥も、
それを、否定したり、「切り捨て」を、絶対にするな。
それらを、「今後、どう扱うかは、後回し」にして、
どんな自己の側面も、否定と惨殺だけはするな。
もしもそれをしたら、
あなた自身が、自分に対する毒親になります。
なぜならば、貴女の中の、子供を、
お前(のような馬鹿でトロくて、甘ったれの私自身)など殺してやる、
と言って、虐待して、いびり倒して、殺したのだから。
しかし、それは、物体ではないので殺せませんし、
「中絶」も出来ません。
ずっと、自分の背中に背負った、亡者となり、
「私のことを、無視しないでよ」と泣き叫び続けます』
↑
ここが「戦車さんの」7/17の記事で引用された部分です。
_______________________________
皆様からの「エール」
または「私への質問」に答えて
●復元ブログを持っておられない自我復元者の方からです。
●おひとりめ
鈴木崩残様
戦車さんの最新ブログ記事を読んで私なりに思ったことがございます。
私の主観も入っております事は言うまでもごさいませんが、
今回のブログ記事には、私はいろいろな違和感と矛盾を感じました。
今回の戦車さんの記事は随分と、トゲトゲしい記事ですが、
なぜそのようにトゲトゲしくなっているかについて、
思ったことを以下に書いてみました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>>桜の間の「おたより」の内容読むと、どーやらわしにジェラシー感じちゃう人がいるようです。
>>しかも後天性全自我。
>>わしのどこにジェラシー感じるのでしょうか。
>>わしにはさっぱりわかりません。
>>わし、嫉妬されるほどにはいい生き方してねーんだけどなあ。なんせ凡才だし。
どういう、意図を持って、戦車さんがこの文章を書かれたのかを察しますと、
「全自我になってもジェラシーを感じるとは何事だ。何をやってんだ」
と言いたいのではないかと、私には思えました。
桜の間で、崩残さんが、戦車さんに継いでもらいたいと言ったらば、
ジェラシー感じる人が出ることぐらいは、戦車さんなら分かると思うのです。
それすら分からないほど、戦車さんは鈍感ではないと、私には思えます。
そして、もしも戦車さんが、ご自分が、嫉妬したことあるのであれば、
「嫉妬」の感情を持っていたいとは思わないであろうと、私は考えます。
嫉妬の気持ちを克服するために、ものすごくがんばったと、書かれているので、
実際そうなのだと思います。
そして、そうであるのであれば、それを、
他人に伝えることも、どれくらい惨めなことなのかを
戦車さんは分からないわけないと思います。
それでも、嫉妬されたことに対して、
ちくちくと、相手に対してトゲを刺しに行くのはなぜでしょうか?
結局、頑張っても、戦車さん御自身は、克服が出来なかったのだと思います。
だから、「がんばってもダメだったんだから、仕方ないじゃない」と、諦めてしまい、
「嫉妬」の感情を「そんなものは最初から持っても無駄だ」と、
なかった事にしたのではないかと思います。
その時に、「頑張って、もがき苦しんだ自分」に対して、
「馬鹿なことをやってたもんだよね」と、卑下をするために、
わざわざ「凡才なのに」と、ご自分のこと言うのではないのかと私は思いました。
ですから、次の戦車さんの文の
>>1・・・「嫉妬してんじゃねえ!!やれ!!」 ではなく、
>>2・・・「飽きるまでやっとればいーんじゃないでしょうか。」と思うのです。
ここにも、私は非常に違和感を感じました。
戦車さんは、本気でそれで良いと思っていらっしゃるのだろうか?と。
私には、1も2も、どちらも結局のところは同じこと言ってるように見えます。
何も変わってません。 2は、むしろ1よりも悪化してるように見えます。
「あなたと、私は、違うから、私はもう、大丈夫なのですよ。」と、
言いたいのではないだろうか?と思いました。
この違和感は、実は、ヒラーのレポートの、最後のほうにもありました、
「ボロクソに言われたのに、自分のために泣けなかった」
という、復元の効果を実感したと、戦車さんが言われていたところでも、
感じました。
それは、本当に、自我復元の効果が出てるからなのだろうか?と。
なぜなら、
「嫉妬」=弱い=嫌だ
「泣く」=弱い=嫌だ
”だから「嫉妬」も「悲しみ」も、私は、もう感じないから「弱くない」のです”
と、戦車さんは言おうとしているように見えます。
では、そのように言いたがる「主体」は誰かと考えますと、
ACの傷を持っている「主体」だと、私は思います。
自我復元をしても、「感情が無くなる」ことはあり得ないと思います。
むしろ、激しくなって、無視できなくなるのが普通であると思います。
感情というものは、そのように簡単に見ない振りを出来るものではない思います。
そして、戦車さんも、本当には、克服できていない自分にも、
少し苛立っておられるように見えました。
自我復元をしていたら、感情や嫉妬心を克服できると、
戦車さんは、思ってらっしゃったのだろうと思います。
ですので、
>>ところで、全自我でも嫉妬するんだね、と思いました。
>>へー、そういうもんなの…という感想です。
と、戦車さんは感想を書かれてましたが、本心の部分では、
「なんで全自我にもなって、嫉妬などしてるんだ!」
と、ちょっと怒ってしまっておられるのではないでしょうか。
「全自我になったら、嫉妬なんてしないで済むと思っていたのに、
あろうことか、後天性全自我の人に私は嫉妬されてしまった」と感じ、
ちょっと、裏切られた気持ちになられたのだろうと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
また、
>>「風呂掃除の才能を搭載し、自宅のふろをどこのご家庭よりも美しく清潔に保つ」とか、
>>そんな感じの大して面白くなさそーな「目的」であっても欲しいんですか。
という、記述の部分では、、
「他のブログ記事は、つまらない」との意味にも取れます。
(おそらくは、天音さんという方のブログの記事を指しての事だと思いますが)
もしも、その「目的」が分からなかったらば、
分からないままに、好き勝手にすればよろしいのに、
わざわざ、「もう、目的など、どうでもいい」と戦車さん自身が
言ってしまうのは、とても不思議です。
なぜ、ご自分のことなのに、そこまで投げやりなのでしょうか。
なぜ、そんなにも急いで、結論を出そうと必死なのでしょうか。
戦車さんの中では、
「目的なんて、まぁー、探してれば、そのうち見つかるかなー。
とりあえず、好きなことを、やりまくってみるかー」
という、余裕があるわけでは決してないと思いました。
むしろ、
「探してもみつかんねーし、わかんねーから、もういらん。しらん」
「だから、知りたがり屋の私は黙れ」
という、投げやりな姿勢にすら見えました。
しかし本気でそれでいいと、戦車さんが思ってらっしゃるようにもみえません。
「知りたい」と思ったご自分までを否定しなくても良いと思います。
「嫉妬心を克服したい」と頑張った自分を否定しなくて良いと思います。
戦車さんには、ご自分のことを、ないがしろにしないで欲しいと思います。
辛かったり、苦しかったり、怖かった。
そうやって、涙を流して素直に泣く人間性というものを私は誇りに思います。
私の中では、「人間」とはそういうものだと思っているからです。
むろん私は、戦車さんのことを、ブログでしか存じあげません。
情報も少ないために、私自身がとても偏った見方しかできていないと思います。
ただ、今回は違和感を持ちましたので、
もしも、私の違和感に何か間違ったところがありましたら、
崩残様に教えて戴きたいと考えて、
今回は崩残さんにメールをさせて戴きました。
よろしくお願いいたします。
■以下は、私からの返信です。
***** 様
>他人に伝えることも、どれくらい惨めなことなのか、
>分からないわけはないと思います。
あのメールをくれた人が自我復元をして
最も変わったのは、ああした内面の本音を私に書いてくれるようになった、
ということでした。
それ以前の彼は、自分でも言っていましたが、プライドが本当に高かったのです。
だから、あの一文だけでも、彼が自分の等身大の姿に自分で悩めるようになった、
という、自我復元の非常に大きな成果があります。
さて、ご指摘の通り、今回の戦車さんの挙動は、かなり変です。
推測できる理由はいくつかありますが、
基本的には、「焦り」と「怒り」だと思います。
ただしその怒りは、まだ「屈折」したままのものです。
また「見下し癖」というのが、かなりありますが、その原因について、
戦車さんは、自身のACの問題を、まだ掘っていないと思います。
>「嫉妬」=弱い=嫌
>「泣く」=弱い=嫌
>だから、「嫉妬」も「悲しみ」も、私は、もう、感じないから「弱くない」のです。
> と言ってるように見えます。
いえ、あのヒラーとの局面では、十分に弱くて、ダメで、
実際には、悔しくて、自分の為に泣いても良かったのです。
あの事件は、とにかく、危機を切り抜けるので精一杯でしたので、
渦中で分析するように、戦車さんに助言させて戴くのは無理でした。
しかし、解決していない部分があると、今後、必ず、
もう一度、同じようなことが縮尺と形を変えて起きる可能性があります。
>そして、本当には、克服できていない自分にも少しいらだっているように見えます。
その見方は正しいです。
また戦車さんは、全自我、特に後天性の全自我について、
「あらぬ期待」を持っているのだと思います。
しかし、そこは、あのメールをくれた彼が言っていたように、
後天性の全自我というものは、
病気が治って、準備が整ったという段階に過ぎないので、
別に、人間として面白くなる必要はありません。
>もしも私の違和感に何か間違ったところがありましたら教えて戴きたいと考えて、
どこもおかしくありません。 かなりの部分が、正しい見解です。
人間というのは、わずかでも自己否定した感情があると、
それは生き延び続けるということです。
戦車さんの場合には、否定せずとも良いものを否定してしまったということと、
それについて、自分は理解していると思い込もうとする癖が、まだあります。
それと、「目的」についてですが、たとえば
「きれいなお風呂を作るのが目的」であっても全く悪くはないのです。
人それぞれに楽しめることが正しいのであって、
本人が好きならば、そこに「しょぼい目的」なんてありません。
そうした他人の目的、
(おそらく「天音さん」というブロガーの方を指していると思います)
を、安易に「しょぼい目的」と短絡的に感じてしまうのにも、
違和感がありました。
(ただし、戦車さんから皮肉っぽく書かれた側の、天音さんという方は、
私が知る限りでは、お風呂掃除が「好き」なのではありません。
お風呂は、天音さんにとっても、
単に、会社のお仕事の「疲れを癒す場」であり、
何もそれが、今回の、あの人の人生の「目的」ではありません。)
●さらに言うと、
「目的を知りたくない」という事自体が、復元作業ではダメなのです。
なぜならば、もしも自分の目的を、しっかりと掘ってみたら、
自分の目から見ても「本当に、しょぼい目的」と見えるものであったらば、
それを、自分で、どうにかしないとならなくなります。
どんなものでも、「自分の足を引っ張る可能性」があるのならば、
それを掘らないとならないのです。
そうしないと、「しょぼい目的と本人が思っているもの」に、
一生足を取られたままになります。むろん、死んでもそのまま同じです。
*********
●おふたりめ
鈴木崩残 様
戦車さんが、ブログに「凡打集」って作ってはりましたけど、
あれさー・・・。やっちゃあかんやろ、と思いました。
「自分の傷を、さらしものにしても平気だよーん、と思える自分は、
ダメな自分も、ちゃんとネタにできるから、大丈夫なんですよ」
ってことか?
だったら、なにも、わかってないやんか。
なぜ、凡打だって言われているのか、
本心からは理解できておらんやろな。
だって、わかっておったら、あんな記事は、消してしまいたいやろから。
それを、わざわざ「凡打集」に仕上げようとせんでもええのに、
めっちゃ不自然やし、見てて、痛々しい。
傷は全くふさがっておらんし、今でも血が出ておるんとちゃうやろか。
そんな状態で、「ネタ」にしよーなんざ、
「自分の傷」から目を逸らしているだけやないかい。
ブログなんて、そんなものに構ってる暇あったら、
自分の感情の中に、さっさと行かんかい!!
いつまで、そうやって、斜に構えて、
「大丈夫や。ワシは、なんて楽観的や人間なんや!」なんて、やってんねん。
本当なら、本心、煮えくり返ってて、当たり前やろうが!
「自分自身」のこと、なめてんじゃねーぞ!
ワシは、「嘘くさい」こと言うとる「自我復元実践者」には、
めちゃくちゃ腹が立つ。
何のために復元しとるねん。
自分のためにやっとるんやないのか。
自分、なめてんじゃねーぞ!と。
復元していない奴ならば、それも仕方のないことだと思えるが、
復元やっとる人には、ワシはムカつく。
*********
●さんにんめ
鈴木崩残様
不思議なことに、戦車さんの、あの例の大凡打記事を見ていると、
膝を抱えて、うずくまってる女の子が頭の中に浮かびます。
涙を流すまいと、ものすごくこわばってる、そんな女の子です。
小学校の低学年ぐらいの姿です。
戦車さんには頑張ってほしい。
でないと、この先、絶対に復元作業が止まると思います。
私にとっても、他人事とは思えないのです。
私も他の皆さんと同様に、復元している人に対しては、
私の勝手ですが、仲間意識を持ってしまいます。
ですから梨々さんのことも、今でも、応援しています。
つらくとも自分の力で、這い上がれるように願ってます。
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●以上が、「1回の裏」でしたが、
私の性格が、ひねくれているのかもしれませんが、
私には、どのメールも、全て、
戦車さんへの「遠慮のないエール」に私は感じました。
●なお、最初の方は、「御自分の見解が変かどうか」を、
私に問うてきた事が、この方の目的ですので、
「それは、戦車さんに直接に言ってください」とは私は言いませんでした。
二番目と三番目の方は、特に私に質問をしたのではありませんので、
本来であれば、意見があれば、戦車さんに直接にメールをさせるのが、
筋だったかもしれませんが、私の判断で、それをしませんでした。
●以前にも書きましたように、自我復元者同士が、
メールアドレスを共有して、横で繋がること、
あるいは、メール交換に気をとられることは、
掲示板の書き込み中毒と同様に、その意見交換にばかり中毒してしまい、
「自分自身の自我復元を遅らせること」になります。
直接に、お互いの意見を言い合うのは、全自我になってからが良いので、
そういう、「自我復元終了者専用の掲示板」を用意することを、
こちらで「予定」していますので、それまで、お待ちください。
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- BlackVoid BBS CGI 2006.08.30 -