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■松の間へようこそ■
掲示板
Title
手裏剣術講座 Shuriken throwing instructions
「手裏剣術」講座、その他の雑談の「間」です。
手裏剣術の画像・動画が、
他に類を見ないほど多く掲載されています。
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[1081]
■
■手裏剣術講座●「直進打法」+「滑走打法」=「完全滑走打法??」=「疑惑の打法」■その他、各流派による打法の違い■
by:
鈴木崩残
2010/02/11(Thu)11:51:34
日本の武道家の皆様へ
You−Tubeを利用するに当たっては、
私からひとつの「提言」または「勧告」があります。
それは重要性のある技は決して公開しないことです。
これは何も国外に限ったことではなく、国内においても
昔からそのようにしてきたわけですが、
ただし、海外では、モラルが遥かに悪いと覚悟しておいてください。
■私がYou−Tubeに動画をアップしたのは2007年の1月でした。
そのころに手裏剣術の動画というと、明府真影流と、スコットさんのもの、
他にはニュージーランドのトーマスさんら、ごく一部の人たちによる、
ごく僅かなものしかありませんでした。
私も当初は、手裏剣ではなくて、いわゆるナイフ投げをしている人たちが
直打法を取り入れることでナイフ投げの楽しみを広げてもらいたい
という素直な気持ちから、誰でも直打法を応用できて、
かつナイフのようないろいろな突起物を持つものでも応用が利く
無冥流の「重心理論」による方法を、紹介しました。
当時は、今よりも、もっとクラムジーな目も当てられないような英語でしたが、
それでもおかげさまで、何人もの外人の方たちが、すぐに、
5間6間をナイフ投げで直打で通すことが出来るようになりました。
また、私がそうした方法を惜しみなく公開したのは、
それが私自身の創作したものだったからです。
それが伝統流派のものでしたら、私がそれを公開する資格はありませんので。
また、他の流派が、
(ただし、どこにでもあるような発想や、既に記述されている事や、
誰でも思いつくようなことではなく)
「明らかな独自性、独創性」をもって行っていることは、
引用するということはしません。
◆そんな折に、皆さんもご存知の朝鮮忍者のようなものが現れて、
日本の手裏剣術や、忍術道具の情報ばかりではなく、
日本の居合いや剣術の動画を、You−Yubeから集め続け、
その中から、ありとあらゆるものを盗作し、
かつ、それは非常にチープな形で盗作され、
それらに対してそのすべてを、
「朝鮮に古くから伝承されている技(と道具)なんだ」と抜かしました。
◆全く日本いたこともなく、日本についても、さらには、
なんと、「韓国についてすら何も知らない」、単なるアメリカ人が、
あたかも日本人に関係あるような振る舞いをしては、
諸外国の人たちに、自分が日本人に関係あるかのような印象操作をし、
それ(つまり日本という「海外で売れるブランド」)を悪用し、名前も、
朝鮮語ではなく「Ninja」と名乗って、信者を集め続けたわけです。
日本人ならば、そのような恥ずかしい漫画のようなNinjaなどという
アカウント名は、冗談以外では、決してつけません。
◆私が最初に違和感を持ったのは、自分で「先生」などと自称していることでした。
まだ初期のころに、英語が分からない私は、彼の妹にメールで、
彼の家族の経歴を問い正しましたが、彼らには大変に都合が悪い
質問だったようで(つまり国籍詐称や経歴詐称か?)、返答はありませんでした。
そもそも、先生という呼称は、
他者が自発的に相手に対して言う敬称であって自称するものではないことぐらい、
日本人ならは当たり前です。
◆さてそういう枝葉の問題はどうでもいいとして、
私がYou−Tubeにアカウント持つ、日本の武術界の皆さんに
これだけは注意したほうがいいという事を書きます。
登録者を全員、調べ上げる
まず、手裏剣術の動画をアップされている方たち。
おそらく、皆さんのチャンネルに登録している者は、
多くても数十人ですから、たいした時間はかかりません。
まず、ご自分のチャンネルに登録している、
その「登録者全員」のアカウントへ行ってみて、
1−その登録者が、どのような動画を、お気に入りにいれ、
2−どのような動画をアップしたり、またはアップがなかったり、
3−そしてどのようなチャンネル登録と、友達登録をしているか、
4−どのようなコメントを最近書いたのか、
または書かないでコレクションするための、
ただの捨てアカウントなのか、
そうしたことを、つぶさに全員見てみることです。
すると、現在、手裏剣術の動画をアップしている全ての日本の人たちの
「登録者」には、必ず朝鮮忍者の信者がいます。
そして、日々アップロードされる動画から何かを盗んでは、それを
朝鮮のものだという機会を狙っています。
これらの偽装チャンネルの中には、朝鮮忍者自身のものも含まれます。
◆どういう部分からそれが怪しいチャンネルであるかを判別すること
においては、私は「達人級」だと自負しています。
ちょっとした偽装ミスやコメントの動機も、私は見逃しません。
アニメオタクや、武術好きに見せかけているだけのアカウントや、
わざと媚るために、皆さんの動画を「お勧め動画」に、
大きくいれていたり、沢山登録している連中も、数多くいます。
むろん中には、稀には、まじめな人もいますが、
手裏剣というものを動画でアップした場合には、99%以上、
必ず朝鮮忍者の手下が、徘徊していると思ってください。
◆次に剣術や柔術や、その他の武器術の動画の場合。
これもかなりの日本人のチャンネルのところに、
朝鮮忍者の手下が徘徊してしまっています。
ですから、まず皆さんは、ご自分のチャンネルに登録している相手の
チャンネルの中身を、注意深く見ることです。
そして、怪しい者は、ブロックすることです。
◆私は今年に入ってから、かつて1500人いた登録者を
現在は、200人以下にまで削りました。
調べてみると、もう何ヶ月も前からログインしてない、
死んでいるようなアカウントもあったり、
また、朝鮮忍者やその信者のチャンネルや動画を登録しているような馬鹿も
多くいたからです。
◆皆さんにおいては、登録者の持つ悪意というものに、無頓着で、
気にしない人もいるでしょうが、
たまにチェックしてみると、
そこには面白い朝鮮忍者の信者らの人脈と情報網が存在することがすぐに分かります。
◆そういうわけですから、
重要性のある技は、決して公開しないことをお勧めします。
また、特に「日本の伝統」として保持されている武術の技のうち、
重要性のあるものは、なるべく公開しないことをお勧めします。
◆実は、私は、2008年の、ある時期までは、
自分が作り出した体系に基づくものについては、
比較的フランクに公開していたのですが、その時期を境にして、
無冥流の中に、まだ公開せずに残存している重要な体系を、
全く出さないようになりました。
◆そのかわりに、朝鮮忍者には、真似の出来ない、
圧倒的な実力差を見せ付けるような性質のものを、
わざとアップするようにしました。
たとえば、8本を同時に4間から直打で刺したり、
6本を5間から同時に刺したり、直打の10間投げなどです。
これらは、実は、日本の人に見せるためではなく、
日本人の人たちのものを盗用して、なおかつその起源まで捏造する
朝鮮忍者のような者を威圧し、抑制するためです。
これらの技は、本来的には、たいした意味を全く持ちません。
◆ただし、もしも、打剣距離が2間や3間ぐらいですと、
玄人目に見ると、「実は、かなりすばらしいであろう技」を見せていても、
その距離だと、朝鮮忍者らは、何十回も撮影したりビデオを編集して、
自分も簡単に出来るんだと、信者にアピールするネタにされてしまうのです。
◆そのことがあるために、そして、
朝鮮忍者が、どう逆立ちしても、たったの3間からすらまともな
コンスタントな直打法が出来ないということを知っていますので、
わざと、ほとんどすべての曲芸的なデモンストレーションを、
私は、かならず4間、5間の距離から行うのです。
本当に効果的な手裏剣の技は、
本来は、そんな距離で行うものではありません。
しかし、盗作を避けるために、私はあえて、そうした距離から
ハイスピードカメラによる撮影で、直打でナイフを投げます。
近距離だと、うわべの形だけを模倣されるからです。
また仮に3間4間の距離であっても、
常に、距離変化の中で打剣するようにしています。
多本打ちも、3本程度ですと、チープな真似をされるので
4間以上の距離から、5本以上で打つこともしばしばです。
◆また最近アップしたシリーズの、
「DVDの中央部の穴を貫通させる打剣」も、
直打法でしか、それが行えないことを、私は知り尽くしていますし、
しかも、それが4間以上の距離からのハイスピードカメラによる撮影となれば、
朝鮮忍者が、まる一日撮影しても不可能なことを私は知っています。
だから、そうしたものをアップしたのです。
(むろんそれだけではなく、無心剣の検証という目的もありましたが)
剣術も居合いも起源捏造されます
◆このように、You−Tubeという場所は、
手裏剣でも、剣術、居合い、その他の武術の動画にしても、
気がついたら、朝鮮人にすべてパクられて、しかも、
パクるだけではなく「これは朝鮮に古来からある文化だった」と
捏造されます。
ですから、くれぐれも、「公開しても良いようなレベルの技」や、
「簡単には、真似の出来ないような技」をわざと見せる事を別にしては、
「本当に重要な技」は、決してインターネットにはアップロードしないで
下さるよう、願っております。
うっかり見せると、
「撮影回数を重ねて、あたかも出来るように」朝鮮忍者が
必ず編集して、パクってしまうような性質のものも多くありますので。
スコットさんも、その他のスローワーも、全員それをやられました。
◆昨年からは、安っぽい、斬れ味の悪い日本刀モドキを振り回しては、
日本の伝統剣術の動きを、うわっつらだけ真似ては、
それもまた「朝鮮の剣術だ」「我が家に古くから伝承された忍術だ」
などと、いい腐っています。
いずれは、町井勲氏の試斬のデモンストレーションなどすらも
模倣(しかも、とてもチープに落ちたレベルで模倣)しそうですが、
幸いに、町井氏の技は、どれひとつとっても、
とても朝鮮忍者に真似の出来るようなレベルではありません。
◆しかし、最も困った問題というのは、そうした全く日本人ではなく、
かつ、もっといえば、「東洋人ですらない」ような単なるアメリカ人に
過ぎず、典型的な朝鮮顔の容姿の朝鮮忍者を、
「あれは東洋人だから、東洋のことを教えているんだ」と
とんだ勘違いをしてしまう欧米人が、
あまりにも多かったという事実です。
ちょうど、それは韓国人の「キムチ野郎」がやっている、
偽の寿司屋に騙されるアメリカ人と同じです。
●しかし、私たちとて、ヨーロッパのいろいろな国々の人たちの民族の差や、
中東や東南アジアの人たちの国籍や、文化背景を、
ただ見ただけでは、識別できませんので、
それは、無理はないことなのですが、
しかしです、、、少なくとも、
朝鮮忍者の、その言動や、言い訳じみた不安定な主張だけから見ても、
正義感と合理主義を持っている筈のアメリカ人であれば、
すぐに違和感を感じてもいいはずだと思っていたのですが、
そう思っていたこの私が、甘かったようです。
モラルの低下や、知性や理性の低下は、
欧米のほうが、日本よりも、よっぽどひどいのです。
◆繰り返しますが、朝鮮忍者の目的とは、You−Tubeからの
広告収入のみです。
つまり、奴は、「広大な土地を手に入れたので忍者教室を開く」とか
大きな口を叩いていますが、
決してそれを出来ません。街中に小さな道場すら持ちません。
いや、持とうとしないのです。
なぜならば、実際に本当に生徒が集まってしまったら、
彼が何も出来ないという事実が暴露されるからです。
たとえば、拳法も剣術も下手糞で、忍術もデタラメで、
棒手裏剣も投げられず、合気道や柔術も使い物にならない、
そのすべてが、ただのアクションシーンの真似事程度であることを、
すぐに、来訪者に見抜かれることを、奴は内心恐れているからです。
彼が動画の中で集めた数人の生徒に見えるのは、
すべて奴が属するキリスト教の信者の仲間にすぎません。
この者たちは奴の妹も含めて、
たびたび、インチキ動画を捏造した「共犯者ら」でもあるのです。
◆つまり、実際にはほとんど無能なのですが、
You−Tubeで登録者をかき集め、インチキでもなんでも、
ウケだけを狙った動画をアップし続け、
時には、日本の文化や歴史について、デタラメな動画を作り、
「閲覧数」を増やすことで、
奴は「広告収入」を得ることだけに必死なのです。
そのことをよく認識しておいてください。
◆◆◆
代表的流派の映像に見る、
打剣フォームの違い。
●前回の投稿の補足となるものです。
【剣術に属する打法】
■「翠月庵」の市村氏と氏の武友の方の協力により、試作された形。
翠月庵___
http://www.youtube.com/watch?v=sXFxXpbFq3s
■剣術の形をかなり守ろうとしているように見える形。
武田流___
http://www.youtube.com/watch?v=INx_CSA_I78
■確かに身体軸は古武術に見えますが、
腕は剣術の動きでないように「私個人」には見えます。
甲野流___
http://www.youtube.com/watch?v=nAEcRmlZZ9o
【創作的な打法】
■特にスローの部分では、
見事なまでに、腕の軌道が直線的であるのが分かります。
私が言うところの「腕のしなりによる直線運動」です。
明府真影流___
http://www.youtube.com/watch?v=JbMCVfxfprE
■スコットさんによる卍字の型で、
厳密に言うと、完全には教本どおりではありません。
残念ながら根岸流によるオリジナルのBABジャパンのものや、
斎藤師範のご自宅での取材ビデオは、著作権の関係でアップされていないので、
これを使いました。
腰の捩れをも同時に利用していると思われる打法。
ただしこれはあくまでも最も基本的な「基本型」なので、
根岸流全体を意味するものではありません。
卍字の型___
http://www.youtube.com/watch?v=a2Hl0uc_jQs
別の外人さんによる、動きながらの打剣です。
http://www.youtube.com/watch?v=sQFwUie66ag
■冒頭の「最後の四打目」が、ほぼ横からの撮影なので、
コマ送りにしますと、分かりやすいと思います。
八角流___
http://www.youtube.com/watch?v=7NBF-FCFqR8
■打ち終わりの手の位置が、こんなにも肩と水平に近い位置にあるのは
この人以外に、私はほとんど見たことがありません。
Wu老師___
http://www.youtube.com/watch?v=f0kmq-O6guM
■この動きならば胴体の極端な上下運動は避けられそうです。
腰と腕のしなりを利用しています。
パトリックさんのサイドアームスロー___
http://www.youtube.com/watch?v=t3l3bCALv2E
■一見しますと、とても地味なビデオですが、
私個人が貴重な動画記録だろうと自負するものです。
「同一距離から、約5度ずつ異なる角度の姿勢で発射される剣」
を収録した極めて珍しい記録ビデオだと思います。
無冥流___
http://www.youtube.com/watch?v=udW8s8VUw1Q
_____________________________
「手裏剣」成瀬関次 著
■余談ですが、ここのところ、成瀬関次氏の著書を読んでいました。
昭和18年と著者によって記されていますが、何か面白い記述はないものかと
探していました。
古文体を含むので、読むのに時間がかかってますが、
昔の武勇伝の中には、やはり、
信憑性のあるものがある一方では、
講談などで語られたり、小説のようになってしまった結果、
信憑性のないものが混在していますね。
たとえば、利根川孫六翁の話。
「3間距離にて。
1本目が刺さった時には、2本目が手から離れていた」
ところが10本打って9秒強とある。
つまり3間距離で、一秒?
それは、片手による連続打ちの「動作」としては標準的速度だが、
1本目が刺さったときに、既に2本目が手から離れたとすると、
そうなると、3間距離にしては「初打の剣速が遅くないか?」という疑問。
「その他」の章の中では、こうした資料の中には、
「3間の距離を、30間と書き間違えている」ことを
成瀬氏が指摘しているものあります。
つまり昔の資料には時々、とんでもない記述ミスもあるという点には
注意したいですね。
あとは、「どこの土地での戦地だったか」は記されていませんが、
どうやら、成瀬氏は、前田氏が使ったものと同形の根岸流タイプの手裏剣を、
死んで間もない死体(推定、敵兵)に「試打」した「らしき」
次のような記述がありました。
「四間で、左肋骨間を通り、深さ三寸余り、優に心臓達して余りあり。
顔面では眼球を貫き、脳の一部に達していたものがある。」
また前田氏の場合、敵の顔面に当てたのは、
どうやら1本だけではないように、その記述からは受け取れる。
距離は、5間か6間。
また、それだけで敵が即死したのではなく、
最後に自ら止めをさしたようである。
あとは、「逆二刀流」の話は面白いですが、
ここでは出さないことにしておきましょう。
_____________________________
伝統武術という事の意味
■世の中には(数は少ないですが)伝統でもないものを、
伝統と称するものがあります。
伝統という言葉が、古いということだけを意味する場合には、
それは単なる「骨董品」と同意になります。
つまり物の価値と「体系の価値」は違うということです。
たとえば、日本で長い歴史の中で発生した武術が戦後の朝鮮で、
へんてこな武術に改変されて、それが朝鮮の伝統と言われることに
嫌悪感を持つ日本人が多いのと同様に、
また、たとえば、ひとつの何らかの武具が、たまたまそれを作り出したり
またはその体系を作り出した人物の手を離れて、
全く原型と違う扱い方をされていたらば、それは問題です。
◆私が常に伝統武術に一定の敬意を払う理由は、
そこに「体系」という形での伝統があるからです。
剣術しかり、その他の何の武術でもそうです。
ところが、困ったことに手裏剣術というものは、
そもそも、体系がほとんどありません。
しっかりとした「体系」がないものについては、
私は文化的価値も、伝統としての価値も見出すことは出来ません。
◆戦術としての「手裏剣に打つ」という行為に関しては、
数は極少ですが、市村氏が発掘しようしているような兵法的な側面は
残っています。
しかし、肝心の手裏剣の打ち方については、
伝統や歴史があると言われるわりには、全くといっていいほど、
何も残っていません。(ごく一部の正統な古流派でも少量。)
おそらくは近代で、その後のいろいろな別の人たちの著書の基礎になった
と思われる成瀬氏の著書ですら、
数個の基本型以外には、肝心の打ち方については何も書かれていません。
もしもあの文脈だけから、行間を読み取って学べというのでしたら、
それは現代の人たちには無理です。
また無理だからこそ、その後出た白上氏の著書にしても、
その本だけで手裏剣を打つことが出来た人は、ほとんどいません。
さらには「秘術だから隠された」というのは明らかな嘘です。
◆成瀬氏の執筆に際しての、あの姿勢、信念、ポリシーであれば、
氏の存在したその時代には、隠すべきものは何もなく、
むしろ、成瀬氏は、可能なかぎり資料と技術を後世に残そうと努力した
はずです。
にも関わらず、打法については、標的と自己の間に引く基本の形、
距離による手の内の変更、打剣の心構えといった初歩的なことしか
書かれていません。
◆結局のところ、それは過去においても体系化されなかった、
という事を意味すると私は考えています。
体系化されなかった最大の理由は、
わが国の時代と文明の変化の速度です。
その時代の中にあって武具を手裏剣に打つという行為が、
通用した局面(戦況)と時代が、非常に限られたものであった
ということです。
たとえば、刀による記録のように、
手裏剣による果し合いや、試合が「頻繁」に行われていたのであれば、
それは独自の発達を遂げる「体系」となったかもしれませんが、
結局のところは、隠し武器としての使用や、隠剣という発想から、
あまり見せて使うものではなかった事もあり、また、
ある時期には隠れてさえ稽古できなかったようです。
従って、その打ち方は、
簡単に言ってしまえば、各自によってかなり違っていた、
といった、「無法地帯」だったのだろうと思います。
つまり確たる体系そのものが実はなかった。
(根岸流や香取神道流における手裏剣の体系が形として作られたのは、
かなりの時と人の遍歴を経て、近代に近い時代だったろうと私は考えます。)
その結果として、伝統、古武術の一部だと「表」では言われるわりには、
なんと、最後には「一人一流です」とかいう言葉に要約した形で、
面倒なことを、押し付けられてしまったわけです。
通常、剣術やその他の武術で、そんなに「一人一流」という言葉は
乱用など、されない筈です。
(究極的にはそうであったとしても)
◆つまりは武術界にあって、武具としても文化的価値を認められず、
「体系」においても、ほとんど「管理放棄された分野」、
それが手裏剣術だったと私は認識しています。
◆そして私が1999年ごろから手裏剣という世界に関わってから、
何かがおかしいと感じたのは、
普通、本当に体系化されている伝統と言える武術なのでしたら、
確実な「上達法」や「戦術法」が残されており、
それが脈々と継承されているはずです。
またそうなった場合には、ある側面では昔の人が現代の人よりも
優れていたとしても、逆に現代だからこそ、
「昔よりも発達していても良い側面」というものが常に武術には存在します。
ところが、本にかかれているような事を実際にやっている人を
私は見ることが出来ませんでした。
むろん、中には既に他界してしまった人もいたからですが。
◆手裏剣術が、結局は、その事の最初から体系を保持できなくて、
すなわち、伝統体系としては成立できないままに、
現代に至っては「管理放棄された」と私が断定する大きな理由は、
その「扱われ方」です。
以前にも書きましたがメディアは、それを忍者の一部のように放映し、
剣術の世界ですら、「手裏剣の体系を持たなかったほとんどの流派」は、
ブームにあやかろうとするその前までは、
「卑怯な飛び道具」「漫画の世界のようなもの」として、
一定の距離をもって冷笑すらしていました。
◆そして数少ない手裏剣術の流派間でさえ、
全く統一的な見解はありませんでした。
つまり手裏剣術という分野の中ですら、「用語の概念」ひとつすら、
共有できる部分すらなかったのです。
こういうものは「伝統」とは呼びません。
体系を欠いてしまい、ただ道具の残影しか残らなかったものは、
それは、伝統ではなく単なる「出生不明の骨董品」です。
◆さて、そんな日本の中で、唯一、私の心に刻まれたのは、
八角流の半田師範でした。
しかし、それは打剣距離や命中率が凄いからだけではありません。
その全身から発している「気配」が全く他の人たちとは違いました。
一言に言えば、軽薄な武士道論を振り回す人たちや、
一般的に武術家と言われている人に多く存在する、
偽善者たちとは全く違う
「純粋さ」を氏の中に感じました。
それは、とことん武術を楽しんでいるという姿勢です。
何か「他の自己主張」をするための道具として武術を悪用しているのではなく、
武術それ自体を、まるで少年のような無垢な心で、とことん楽しんでいる点。
実は、この基本姿勢の人が本当に少ないのが武術の世界なのです。
武術を実は、別の自己主張のダシにしていて、そのことにすら無自覚で、
他人には「武術が好きでやっています」と口では言いながら、
実際には、「違うことがその視界にずっとある」、という人たちが
私の目には多く見えます。
このタイプの人は、特に、武術と宗教の世界には、
ものすごく多かったですよ。
◆半田師範の場合には、その奇異な行動を含む部分も含めて、
そこから出てくる技の気配には、
殺伐とした殺気などは、一切なく、
古武術の人たちにありがちな傲慢な姿勢もなく、
また心にもなく卑下する「卑下慢」の姿勢も一切なく、
徹底して、「楽しそう」な気配しか出していませんでした。
秘伝の編集部の方も、
「半田師範は、話したいことが本当に沢山ある方なんですよね」
と言われていましたが、半田師範の脳の中では、
さまざまな情報がひとつの宇宙観を作っているようです。
そうした人柄から出てくるものは、
人によっては、癖を感じたり、賛否や違和感を持つ人もあるでしょうが、
私個人は、「探していたのは、これだ」
「この姿勢での研究法だ」と思いました。
足並みの揃わない国内の手裏剣術
◆さて、手裏剣術という世界にも、妙な対立や軋轢は絶えないわけですが、
たとえば一例として、甲野氏が、10間を通したと聞いても、
手裏剣の世界というのは、実に冷ややかなものでしたよ。
「そんな距離は、実戦では何の役にも立たない」というのが
ほとんどの意見でした。
しかしその人たちは、7間も通していなかったと思います。
手裏剣術といわれる、実に「狭い世界」の中ですら、
伝統を維持していると称する人たちはあくまでも4間以内の距離に
踏みとどまり、
それだけならばいいのですが、
では、その3間内外の間合いでの、
「手裏剣の攻防における使い方の演武は?」というと
それも公開されたことはありませんでした。
別にそれは秘伝だったからではなくて、
単に放置して研究してこなかっただけです。
◆そんな中にあって、甲野氏が10間を通したと聞けば、
それにすぐさま反応したり、時期的に平行して研究していたのが、
半田師範や大塚氏、その他の僅かな人たちです。
これらの伝統といった、しがらみからは、自由だった人たちは、
「武術的運用」という問題よりも、
まずは手裏剣という道具の「魅力」にとりつかれた人たちです。(この部分は私見ですが)
かくいう私もその一人です。
ある古流では、6間内外が射程距離とされていたはずの手裏剣が、
それを見ることすらほとんど出来ないという状況の中にあって、
古流がどうであったかではなくて、
まずその距離に直打法が到達できるのかどうかを試した人たちです。
「そんなものは、実戦には関係のない距離だ」と冷笑して切り捨てるのではなくて、
好奇心にあふれていた人たちです。
◆そして実際には、現在、日本の手裏剣術という世界を
見えないところで、陰で引っ張って行ったのはこの人たちです。
いわゆる古流と称する手裏剣術をしていた人たちが、
平均距離を、もう一度、4間、5間へと実際に伸ばしていったのは、
ほんのここ数年のことだと私は思っています。
それまでは(古流と称されるものでは)3間内外のものしか、
私個人は見たことはありません。
◆そして、もちろん、重要な問題は、
打剣距離を伸ばすことそれ自体ではないことは言うまでもないことです。
距離もまた多くの中のひとつの課題として、
「もっと多角的に研究してみよう」というその「姿勢」の違いです。
◆もしも過去から連綿と、
手裏剣というものが他のほとんどの武術のように、
明確な「体系」の出来ていたものであれば、
それは過去の教えや稽古法を厳守すべき部分が出てきますが、
体系がない以上は、または体系が極端に「不足」している以上は、
それは現代に作り、そして検証するしかないのです。
◆そういう意味で、私は常々、無冥流というのは、
無冥流という「手裏剣 研究術」である言って来ました。
何をまだ研究し忘れているのか、
そして、どのテーマは、どういう方法で検証すべきなのか、
どれは信じてよくて、どれは疑うべきか、
どんな稽古法が効率的か、現状の体系に問題はないか、
そうした自問自答と他問と、
うんざりするようなテストの繰り返し、
それが無冥流の基本姿勢です。
_______________________________
◆さて、最後になりますが、
最初に私は、「単なる骨董品は伝統ではない」と言いました。
体系がそもそも原点の最初になく、体系が、後付けされるようなものは
「伝統」とか「古流」ではありません。
私が根岸流を尊重する大きな理由のひとつは、
その史料に、一定期間の歴史的背景が明確にあることと、
その剣の造形や剣尾に見る、先人たちのなした、
明らかな「工夫の形跡」です。
そういう意味では、(論理面では同意できないものの)、
染谷氏が何種類もの剣をテストして、短くしたという試みや、
それまで氏が不満だったであろう点について
解き明かそうとされたその功績というものを尊重しています。
◆一方で、伝統や古流と自称するのに、
史料もなく独自発想の努力のあともなく、
実質的には、まぜこぜの創作流派であるにも関わらず、
あちこちから、古流のように見えるものを寄せ集めては、
古流だ伝統だとわめく者もいます。
こういう人というのは、結局は、
自分自身の中身が空っぽである事実から目を背けて逃げるために、
権威づけが欲しいだけのような人が多いのですが、
しかしさらに「滑稽」なこと、
古武術だなんだという権威付けが欲しいという一方では、
「オリジナリティーがない」と周囲から揶揄されると、
そういう者は、すぐさま、
「ボクちゃんにもオリジナリティーはあるんだ!」とばかりに、
その出来損ないの悪い頭で、「ない知恵」を寄せ集めては、
即席のオリジナリティーなるものを捏造するようですね。
そしてたとえば最初とは違う打法を、後から捏造し、
それを「伝承されていた」と言ったりするわけです。
そしてさらにこうした事を第三者から突っ込まれると、
あげくには、言うことがなくなり、苦し紛れに、
「ボクは古武術の検証実験をしているのだ」とか言い出す馬鹿者もいます。
「おいおい、それを真にやっているのは、市村氏であって、
あんたじゃないよ。」
◆まー、こういう点では、権威に媚びたり、
逆に、寝返って、オリジナリティーを主張したりと
その場でころころ主張が変わり続ける、朝鮮忍者と全くクリソツです。
「お前さん、最初に自慢げに言っていた、伝統、単純な稽古とやらを
厳守して保持するのか、それとも現代流派に衣替えするのか、
はっきりしろや」と言われてしまうほどに、
そういう者は、そもそも本人が、本当は何がしたいのかも自覚できずに
「自己矛盾し続けている」ということです。
◆さて、そんな中で、私が昨年の「ゴミ出し」のときに、
ひとつ出し忘れていた「小さなゴミ屑」があったので、
今回動画にしてみました。
題して、
「打法の正しい証明法を伝術しましょう」です。
人間性が奇形化して、捻じ曲がったような者は、
今後は、これを良き参考として動画を作り直し、
生徒さんの信頼を回復することですね。
そういう意味では、他流の生徒さんの事まで心配する、という、
なんとも親切な指南動画が、今回のトークです。
↓
「疑惑の打法」の証明法の伝授
パート3まであります。
↓
http://www.youtube.com/watch?v=VcxiHeVdTsE
http://www.youtube.com/watch?v=4NNl_ifIhvU
http://www.youtube.com/watch?v=Yw29Q9z3oro
【全く大した話ではないので、
私の常連さんたちに見せるのは、あまりにも申し訳ないので、
ここ最近、全く使わなくなった、
どうでもいい、古いアカウントにアップしました】
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- BlackVoid BBS CGI 2006.08.30 -