▲
控えの間
-
全館目次
- 松の間
■
BBS
- 竹の間
■
BBS
- 梅の間
■
BBS
- 桜の間
■
BBS
■
松竹梅の間:ログ表示
松の間
竹の間
梅の間
桜の間
★ 番号指定:
1ページの表示件数:
件
☆ 検索語 :
検索表示 新着から
古い方から
タイトルだけ表示
タイトルと5行
全部
「性と死のホームページ」 http://www.mumyouan.com/
.
より詳しい使い方の説明(9月11日変更)
■松の間へようこそ■
掲示板
Title
手裏剣術講座 Shuriken throwing instructions
「手裏剣術」講座、その他の雑談の「間」です。
手裏剣術の画像・動画が、
他に類を見ないほど多く掲載されています。
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[1088]
■
■手裏剣術講座●「手裏剣術は、伝統の古武術とは呼べない」論と、「忍術も、またしかり」論
by:
鈴木崩残
2010/04/08(Thu)07:23:51
手裏剣術は日本の伝統武術ではない
これまた、激しく賛否の起こりそうなテーマですが、
私はそう断言したくなります。
ただし、
むろん、日本の手裏剣は、外国から渡来したものでもありません。
(法具説には、私は懐疑的です。)
さて、よく考えもせずに、異論を唱える人は多いですが、
下記の論をよく読まれることです。
そもそも「伝統」と「古物」の違いすら分かっていない人がいます。
古物とは、単に年代が古いもので、骨董品もそれに含まれます。
一方では「伝統」の定義とはこうです。
1−確かな史実(史料文献と物品)が多く存在すること。
2−それらが長い時代の中で、
形式においても、多彩な変化を経験してきたこと。
つまりその分野において、多くの人の手で試行錯誤がされたこと。
そうでないと、伝統文化と呼べる価値を持つまでに「洗練」はされないからです。
3−ただしそれらの発展が、
ある時期に、ある形式や、ある様式の部分が「止まったもの」。
(そうでないとそれらは、
「伝統の上に基づく「現代流の●●」となるので」)
「現代落語」とか「商業書道」がこれに該当します。
もしも、現在のパソコンの基本ソフトの構造が、2040年に廃止したら、
その時点から、約100年ほど経つと、
今のパソコンは、「伝統のパソコン」と言われるわけです。
___________________
●この最も基本的な前提の上で、考えた場合、
日本の手裏剣術は「伝統」には該当しません。
ですから、決して海外に対して、日本の手裏剣術を「伝統」などと
命名してはなりません。
手裏剣に「伝統の」とつけたら、その時点で、間違いです。
それは、
単に、古い時代からあった「古物(正しくは「古武器」)」にすぎないからです。
また日本人がもしも手裏剣術に対して、「独自性」を主張したいのであれば、
それが許されるのは、「直打法」という技術のみです。
確かに、それだけは、他の国で発展した形跡が私が知る範囲では、
全くありません。
武器発展の歴史の中で、取り残されてしまい、
それ以上に発展する必要がなかったのでしょう。
●そういう意味では、私は現存している根岸流も、香取神道流も、その他の
流派も、「伝統の手裏剣」を名乗るのは間違いであると、強く思っています。
「伝統の」手裏剣術を名乗る資格があるものは、
前述した3つの条件の、特に「1と2」を満たすもののみです。
そのような点で典型的な伝統に定義づけできるのは、むろん
「日本刀」です。
むろん、雅楽、茶道、花道、書道、剣術、居合い、弓道、
歌舞伎、能、折り紙から、歌詠み、寿司に至るまで、
多くの人たちが日本の伝統であると思っているものの大半は、
明確に、確かに「伝統足り得る」ものとしての条件を満たしています。
たとえ、それが現代まで続いて、さらにその発展を今もなお続けていたり、
また、ある時代に、ふと実用性が消えてしまったにしても、
それでも、伝統に定義されるかどうかの問題は、
前述の「1と2」の条件を満たすかどうかです。
忍術は伝統武芸なのか?
●ちなみに「忍術」なるものを「日本を代表する伝統武術か?」
という論議になった場合には、
私見では、「かなり苦しい」と思います。
1−まず、それが実際に活躍した時代が、
非常に限られていると推測できること。
それ以前に、そもそもその「実際の」と称する「忍術の定義」が
出来ていない。
これについては、この投稿の次の投稿の、
[1089]■ 手裏剣術講座「本当の忍者の推測図」を参照して下さい。
2−次に、それを諜報術・謀略術として定義すると、
それは日本に固有のものではなくなること。
スパイ活動や謀略は、世界中に存在したからである。
3−連綿と体系づけられて、沢山の人たちに訓練され、
実戦の中で試行錯誤されて「洗練」された形跡が、
仮に他の武術と「比較」した場合にですが、少ないこと。
4−史実系図、さらには、歴史研究として普通ならば当然行われるはずの、
残された道具の年代測定すらもしておらず、事実関係が明確でないこと。
5−いくつかの武芸や、政治的謀略術や、果ては昔の手品の類や、
絶対にあり得ないような、まるで「魔女が作る薬の類」まで、
そこにクロスオーバーしてしまっているので、
厳密に、他の古武術と区分することが出来ない。
6−結局のところ、多くの外人や日本人がイメージしているところの、
映画に登場するようなイメージになるのだが、
ご存知のように、そもそも、黒装束も嘘、忍者刀も嘘、となれば、
どこをクロースアップして、
これは「伝統の武術である」と主張できるのかも不明確である。
強いていいますと、講談、小説、映画、アニメの中で、
連綿と、そのイメージが変化した「古物的・武術体系」という意味では、
「日本の伝統的・文化」と言えるかもしれません。
●もしも、その元が、古武術なのであれば、
「何何流などの武術の混合」+諜報術+危機管理術+ゲリラ戦技術
と明確に、書けばいいのですが、
実際には「忍術」「現代の忍者」「最後の忍者」などとして
「売って」しまっています。
たとえば、武神館の場合ですと、
正しくは「武神館武道」というのだと思います。
さらに見ますと、免許皆伝や昇段など「証書の文中の文字」も、
最初は「武神館・忍法・体術」だったものが、
その後に、「武神館・武道・体術」などへと変化しているように見えます。
●さて、では、武神館とは別の話として、
その「一般に」世間で言われているところの「忍術とは?」となりますと、
確かに確実に「存在したもの」と思われますが、
「伝統」とだけは、私は言いたくありません。
言うまでもなく、実際の「ゲリラ戦」がなくなった江戸時代から、
それは、急に「フィクション」になってしまったからです。
ただ、それに比べて、他の剣術や柔術が生き延びたのは、
そこに、体系化の元になる実戦記録や手法が、
元々の戦国時代にあったからです。
江戸時代に、まとめられ、作られたと称する「忍術」の文献(万川集海)には、
自分たちの先祖に、あらぬ威厳をつけようとした創作や、技の記述や、
武器の捏造まで混じっていなかったとは断言できない箇所は、
何箇所もあると思います。
●つまりは、「忍者」は江戸時代の後に、その後も
イメージだけが、一人歩きをしましたが、
実態は、「虚実が、よくわけのわからんもの」なのです。
客観的な専門研究をした人ほどに、この結論にたどり着くようです。
もしも、忍術で名を売っている人たちが、
奇妙な武器も見せず、
政治的命令下での戦略、謀略、ゲリラ戦について何も語らず、
淡々と、古武術を見せていたら、
彼らは「忍術」と呼ばれるでしょうか?
何が、他の古武術や、戦略術と、忍術を「分ける境目」なのでしょうか?
つまり「それらしい道具と、それらしい説明と、それらしいスタイル」
それ以外には、それを分ける境界線がありません。
●「伝統」と言うには、「忍術」と命名されたその「分野」は、
あまりにも定義が曖昧であり、信頼できる証拠に乏しく、
かつ、いろいろな人によって、技術的に、試行錯誤されて
「発展した」「洗練された」という形跡も見られません。
むしろ、過去の「実際の事実」と「捏造」との混合に基づいて、
後世に伝えようとした「古物」のように私には見えます。
ですから、私は正直に言いますと、個人的には、ですが、
「忍術」「忍者」は、日本の「伝統武術」とは呼ばないで欲しいのです。
ただし、文化的に変化し続けたという意味では、充分に、
「日本の伝統"文化"」とは呼んでいいと思います。
■しかし、ひとつだけ明確な疑問点を頭に入れておいてください。
忍者というものは、
たとえ、隠密だったのだろうが、
秘密厳守だったのだろうが、
また自然発生した集団であったのだろうが、
また、身分を隠したので、家系も詳細不明だったと言うのであろうが、
いろいろな種類の文化を必ず守り続けてきた性格の日本人なのに、
どうして、忍術だけが、その確かな系図が消えたのでしょうか?
江戸時代に、別に忍術道場が、ひっそりとあっても良かったはずですが、
まー、仮に実在したとしても、その仕事内容や稽古内容からしても、
おそらくは、表だっては、活動は出来なかったことでしょう。
しかし、本当に確かな体系だったのならば、
たとえ「表舞台ではなくても、着実に、継承されているはず」です。
大戦の戦火によってどうこうしたのは、それは他の武術だって同じ境遇です。
しかも、忍者は「日本全国にいた」と言われていますから、
空襲を受けなかった地域も多くあるはずです。
■しかも、時代はその後明治になり、昭和になったのですから、
なぜもっと多くの忍術の子孫や継承者が名乗り出なかったのでしょうか?
考えてもみてください。
他の武術には、どうして継承者や資料が存在するかを。
いくら秘密主義や、身分を隠したから系図がない、とか、
忍びの道具は「武器として価値がないので捨てられたり、
鉄の素材として売られたから、残らなかった」と主張しても、
常識的な基準で考えて、何かが「変」だと思いませんか?
■つまり、本当に、源流さえ確かならば、その分派であれなんであれ、
この今の時代には、少なくとも10人以上は、
忍術の後継者(異なる宗家)がいてもおかしくはないのです。
つまり、忍者のような集団や道具は存在したが、
やはり、それらの「技や知識の継承は途絶えた」、と考えた方が良さそうです。
つまり、忍術、忍者を「看板」にしてしまうかぎりは、
せっかくの本物の忍術や、本物の武術もその中に歴然とあるのにも関わらず、
「怪しさ」も、ずっと、いつまでも残るということです。
________________________________
手裏剣術の「悲しき、身の上話」
●さて、ここで手裏剣術の話に戻りますが、
書店の武道コーナーへ行ってみてください。
あなたは現代書物で、手裏剣に関する本を何冊見つけられるでしょうか?
ビデオは昔の根岸流のものと、明府真影流のものだけです。
神保町で、古書を探っても、
出てくるのは、たったの数冊のみです。
明確に「現代流派であること」を公言して名乗っているものとしては、
うちの無冥流から出ている、
「中級手裏剣術」の本と、無冥流の二つの「DVD」のみです。
●だとすれば、
一体、「どんだけ」の「歴史や史実」を手裏剣が持つというのでしょうか?
手裏剣術は、他の武術と比較したらば、
伝統と呼べるレベルになど、到底到達などしていません。
成瀬氏の本には、いくつかの逸話の記述もありますが、
正しそうなものと、曖昧なものが入り混じっています。
しかも、どう「記述を寄せ集めて」も、とんでもなく少ないのです。
●一方で、では古流と呼ばれる「有名な手裏剣の流派」では、
何をこの数百年の間にやってきたでしょうか?
基本型、標的への打ち込み、それだけです。
確かに同じこと(稽古の単純化)は、弓道においても起きましたが、
実際に主戦力として槍とともに活躍した弓とは、事情が全く違います。
●たとえば、日本で、公式的には、
最初に「模擬剣」を使用してみたのは、明府真影流です。
無冥流では、それより遅れること、約5年後の事です。
(ただし、やや危険な重量の模擬剣でしたが)
つまり、近代まで「記録が残っていない」という「言い訳」ではなく、
実際には、手裏剣術というのは、
以前にも書いたように、はっきり言ってしまえば、
「投げ物の曲芸」のように見られた面があるのです。
それは今日のメディアによる扱いだけが原因だけではなく、
おそらくは、昔からそうです。
■それは、剣術師範の間でさえも、「脇に追いやられた稽古であり」
物品としても、日本刀のような芸術価値も持たない、使い捨てのもの。
こうした事情の中では、
(使われた可能性のある、「刀の放り投げ(直打法ではない)」は別として)
手裏剣術など、発展するわけもなく、研究されるわけもなく、
魅力を持つわけもありません。
●それこそ、もしも、甲野氏がテレビで広めていなかったら、
あなたが、表で畳や板に向かって打剣していて、
稽古中に警官に職質されたら、
「君、何やってんの?そんなもの投げて危ないじゃないかね」
の世界です。
そこで、あなたは
「いえ、これは、いわゆる忍者ごっこのような手裏剣ではなく、
古来からある、侍も使用した棒手裏剣と申しまして、云々云々」
と言い訳をしますが、
もしも、道場という後ろ盾がなかったり、運が悪ければ、
そのまま交番行きです。
そこで、稽古着や袴を履くことで、
なんとか「古武術」を名乗るポーズを多くの人は、しているものの、
やっていることだけを冷静に客観的に見たら、ただの「刃物投げ」です。
●社会的認知も低く、武術の世界の中での権威や位置も何もない。
そういう意味では、若干ですが、世間の誤解も手伝って、
「忍術」と被る部分はあります。
たとえばですよ、
もしも、武神館という後ろ盾がなかったら、
私有地でないところで、「刀や棒や」「変な武器」を振り回していたら、
一般的には、あなたは「単なる怪しい人」に過ぎません。
木刀を振るとか、空手の型をするのとは、
あきらかに、「社会的な位置づけ」として、わけが違うもの、
それが忍術であり、おそらくは最もランクが低いのが手裏剣術です。
●どうしてそのような位置に、手裏剣術が追いやられたかといえば、
言うまでもなく、昔は、戦いの中での投石や、刀を投げつけることなど、
当たり前だったはずなのに、
江戸時代の「武家」の価値観によって、
卑怯な行為とされたからだと思います。
■隠し武器の類が、もう一度脚光を浴びるのは、
幕末の動乱期のようですが、
既に外来の携帯用のピストルまで出回っていたと想定すると、
どれぐらい、本当に「隠し武器」「暗器」が、
(造られたか、ではなく)「使われたのか?」は、大きな疑問です。
一方で、棒手裏剣は、忍者も使っていたとは言われるものの、
それが忍術の主たる稽古ではありませんから、
継承したり、発展させる人はいませんでした。
●また、根岸流その他でも、
既に言いましたように、基本型まではありますが、
戦術書がありません。
もしも、れっきとした「武器」であれば、
戦術書を残さないということは普通はあり得ません。
「手裏剣は、不意打ちに投げるものだ、
また、戦術は秘密にしたから、残っていない」
というのは、完全な嘘です。
忍術に関して、一体どれほどの事実と嘘が、
後世に作られたと思っているのですか?
剣術で、一体どれほどの技が、体系化されたり、公開されていると
思っているのですか?
一般に入門者に実際に指南されている技が100あったとして、
本当に秘密にされるのは、そのうちの1割にも満たないのが普通です。
そうでなければ、道場として商売など出来ませんから。
■つまり、手裏剣術には、
打剣のわずかな型と、それぞれの流派の剣の形があるのみであり、
戦術が、もともと、ないのです。
体系的に発展させようとした人がいないのです。
棒手裏剣ではなく、「車剣」の場合には、相手に隙を作ったり、
逃げるときの為、または、手に持って掌剣術として使う方法も
僅かにはあるようですが、
基本的には、棒手裏剣の場合には、体系と言えるものがありません。
●知新流の伝書になるものも、また一般にも広く知られている、
藤田西湖氏、成瀬関次氏、岩井虎伯氏、染谷氏らの書籍にも、
対戦で、どう戦うかの記述などありません。
それどころか、特にそれが古い本になるほど、どう投げるかの記述すらなく、
「とにかく何年もやれ」だけです。
あげくに、言うに事欠いて、「一人一流だ」ときてる。(おいおい。)
つまり、手裏剣術という分野は、
「未整理」なのではなくて、整理したい史料と物証そのものがないのです。
こんなものは、剣術や居合いには、あり得ません。
否、「伝統武術」には、あり得ません。
●こうした理由から、私は、手裏剣術というものを、
単に、袴をはいて、いかにも古武術らしい姿で投げたからといって、
「伝統」なんぞを名乗るのは、
おこがましく「恥ずべきこと」だと思っていますし、
また、史実も不明確なものを「伝統の古流手裏剣術だ」
などと嘘をついて自称するのは、それより遥か以前に論外です。
●単に、武士の習得の「目録の中」にあっただけ、
実際の稽古人数は、
昔の時代に「天下に名のあった人も、名のなかった人」も含めて、ごく僅か。
これでは「伝統」になど、なり得ません。
だから、手裏剣術は、単なる「古物(古武器)」なのです。
●ただ、一点、冒頭に述べたように、
「直打法」だけは、中国ですら発展しませんでした。
だからその技術の部分は、日本独自のものですが、
「伝統武術」を名乗ることも出来ないのが本質であり、忍術のような、
「伝統文化」すらも名乗れません。
*********
自流、いかにあるべきか?
●こうしたことが理由で、
私は決して、自分の動画に、「伝統」という英語を使いません。
それは、むろん、私の編み出した体系が、かなり多くの点で、独自であり、
また、私の経歴が、ナイフ投げに由来することと、
個人的に、日本の武術に興味がないことも理由ですが、
仮に研究途中で、
古い文献にあるような技を再現した打剣をした場合には、
それらは、一切公開せず、「非公開動画」として、
親しい知人にだけ、プライベートビデオとして見せています。
ですから、単に「その原型が古い」「古武器である」というだけでは、
>「歴史の中を、ふんだり蹴ったりされながら、駆け抜けてきてこその"伝統"」
>という、本当の意味での「伝・統」という言葉を使いたくないので、
外人さんを、「からかう目的」以外では、
私は決して「伝統の」とは書きません。
そして、そもそも現存する、古今の日本の手裏剣術それ自体が、
今回の論のように、それを「本質的」に見れば、
「伝統武術」にも「伝統文化」にも属するのが困難である、
ということが、よく分かったと思います。
■知能を使わずに、
脊髄反射的に感情的に反論するのは簡単であり、個々の勝手ですが、
日本の現在の手裏剣術を、あたかも「伝統武術」であるかのように、
海外に流布することだけは、絶対に止めて欲しいのです。
あとあとで、絶対にそれは「面倒なこと」になりますから。
「確かに、古い時代から存在した武器ですが、
詳細は不明。複雑な投げ方の記述とかはなく、
実戦での戦い方も、どちらも散文的なものしか残っていません」
それが事実であり、真実であり、「現実」なのですから。
●だから、私は、くだらないコメントを書いてくる外人さんに対しては、
「うるせぇーな、これは作務衣といって、私の平服だって説明しただろう。」
「手甲というのは、忍者のものじゃなくて、巡礼者や、
農家のおばさんもしている、手の保護のためのものだよ」
「だから、忍者じゃねぇーって、言ってんだろ、このヤンキー野郎。」
というわけです。
その上さらに、私は、
手裏剣術が「伝統」に該当するのかどうかというと、
それは、自分自身の「伝統」に対する価値観に反するので、
手裏剣術を語るときに、
常に「無冥流という現代の研究流派」であることを何度でも言います。
●そしてさらには、
「伝統だとか、古典だとか、本物の手裏剣術は?だって?
そんなものは、You−Tubeやインターネットには、
ただの一つもないから、諦めなさい」と言っています。
手裏剣術それ自体を、とても「伝統」とは言えないので、
私は徹底して、「勝手に好きなように投げろ」と言います。
「お好みの距離から、狙ったところに刺されば、それでいい。」
「そして、ナイフ投げのときに、もしも参考になるなら、
私の方法で、四分の一回転で投げなさい」と。
●ただし、朝鮮忍者のように、
日本人の人がやっていることを、なんでもかんでも
「伝統や歴史や、権威あるものだ」と勘違いをして、
あげくに、パクったあとで、自分を権威づけるために、
日本人から教わったと言うどころか、それよりもっと醜悪に、
「これは朝鮮半島の忍者に伝わっていた手裏剣術だ」
(どこぞかの、劣等感と、脳内妄想全開の「小狸」にそっくりですが)
とか、やる馬鹿者がいるので、
私は、重要性のある技や「説明」ほど、とことん公開しません。
公開しても、日本語の分かる人しか分からないようにしています。
●ところで、同じように私が違和感を感じるのが、
実は「忍術」という分野ですが、
これについては、「要約」していいますと、
忍術を日本の「文化」として伝えるのは、悪くないと思います。
また、その「実用性」も、現代で充分にあると思います。
(最新機器による近代戦ではなくて、
治安などにおける、捕縛、逮捕、制圧などのセキュリティーにおいてです)
●ただし、それは、そこから生まれ出てくる門弟の人の人格や、良識や、
筋の通し方、最低限の日本的な「礼儀」をも含めて、
私たち日本人が、「誇り」に思えるものであって欲しいのです。
その「技や道具や理念」が、
素晴らしいとか、どうであるとかの問題は「また別問題」として、
「あー、恥ずかしい」「嘆かわしい」と私たち日本人が思うような
「組織体制」や「教育体制」であって欲しくないのです。
私たち市民の勝手な、贅沢過ぎる望みなのかもしれませんが、
「海外の生徒さんも含めて、
武神館の生徒さんは、本当に誇らしい」と、
どこへ行っても言われるようなものであって欲しいのです。
実際、そういう、私たちがいつも誇りに出来る日本の伝統文化は、
他の分野では、あると思います。
また、もしも、そうならないときには、
宗家や本部が、「恥」を感じたり、弟子を破門するのが、
日本の武道の、あるべき姿だったのではないでしょうか?
_______________________________
★
.
<<-- これ以前の投稿 10件
(1088 番)
これ以後の投稿 10件 -->>
松の間 の最新投稿
全館目次
C mumyouan 当サイトのコンテンツの無断転載は著作権法により禁じられております。
- BlackVoid BBS CGI 2006.08.30 -