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手裏剣術講座 Shuriken throwing instructions
「手裏剣術」講座、その他の雑談の「間」です。
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[1112]
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■手裏剣術講座■「第二の翠月剣」■・・・そして「国防論」/青山繁晴氏のビデオ紹介
by:
鈴木崩残
2010/12/04(Sat)05:50:54
剣尾の巻物についての雑感
●打剣は、この投稿で既に見せましたので、説明部分だけ
アップしました。
実は撮影は1週間以上前なのですが、あんまりにも仕事が忙しくて、
撮影したまま、今日まで、編集できなかったものでした。
↓
http://www.youtube.com/watch?v=WNqLBCLRdm4
このあと先日アップした動画「長距離打剣の安定化」に繋がります。
________________________________
直打法の小さな欠点
●直打法による打剣の際に、
「自然発生」してしまう「弾丸のような回転」は、
ゆっくりしたもので、それほどの高速回転ではありませんので、
「刺中の瞬間」には、影響は、それほどないと考えても良いです。
ただし、「理想」を言うならば、全く回転しないに越したことは
ありません。
しかし、それはかなり難しいのです。
↓
■今回の動画には、
良くないケースとしては、
距離1間半でさえも、半回転してしまうこともあり、
良い場合には、
4間でも、半回転以下しかしていない場合も撮影されています。
●参考までに、
いかに回転打は、回転軸によってナイフの姿勢が安定するか、
というの見てください。
↓
【回転打法の刺さり方】
http://www.youtube.com/watch?v=EaZ_8rhY73Y
【標的側からの撮影による回転打の刺さり方】
http://www.youtube.com/watch?v=Oon82FsW4eU
【反転打でも、距離が遠くなると回転してしまう例】
http://www.youtube.com/watch?v=AsFLSdPtk-s
【ジャックダガー氏の超絶的な技】
http://www.youtube.com/watch?v=mgFhe4rqRwA
■ちなみに助手の女性は、奥さんではなくて、妹さんです(^_^)。
【一般的なスピンスロー】
http://www.youtube.com/watch?v=7z00PEVaYsE
_______________________
長距離打剣の安定化
●今回は、フライングスチールコムの短めの棒手裏剣を使用して、
6間から8間の間の命中率と刺中率の安定を稽古しました。
一辺7.5mm、長さ240mmの剣です。
この鋼材の炭素含有は0.75%ですが、焼入れ技術が、かなり良いようで、
標的の背景の恐ろしく硬いコンクリートに、先端からド真っ直ぐに
当たっても、先端に全く損傷がなかったのでびっくりしました。
●ここ約3週間ほど、書の注文の仕事が、めいっぱい入っていたので、
土日もずっと忙しくて、全く稽古できませんでした。
その為、前回よりもコントロールが少し乱れていますね。
http://www.youtube.com/watch?v=T73Ftoo-OWA
↑
●とりあえず、他道場での講習会に向けての準備は、このように、
なんとか進んでいます。
「翠月剣」第二案の試作
●翠月剣の幅を10ミリから13ミリに広くしてみました。
見た目のフォルムの印象に、
想像したよりも違いがなかったので、安心しました。
↓中央写真の左端が、今までの10ミリ幅の剣です。
●持った感じ、打った感じでは、すこぶる安定します。
10ミリは、刃付きとはいえ、威力と手の内に、僅かにですが、
不安を感じていましたが、これは全く問題なしです。
少し、重くなったせいか、打剣に安定感があります。
↓中央写真が今までの10ミリ幅の剣です。
●10ミリだったときには、巻き物を含む総重量が、約「87グラム」。
今回のは、「110グラム」あります。
●手の内はこんな感じです。
巻物は、右写真のように、糸の太さを二種類作ってみました。
↓中央写真が今までの10ミリ幅の剣です。
■10ミリ幅の翠月剣には、ひとつだけ私は問題点を感じていました。
それは、翠月庵のように「武術」として手裏剣を扱う道場では、
帯などに刺した状態から、剣を抜くことがあります。
その場合、10ミリ幅の剣は、とっさに抜いて構えたときに、
手の内が、縦打ちや、横打ちに、瞬時には定まらないことがあります。
つまり手の内のセットに、少し時間がかかるのです。
また、さらには、左手に束ねて持った剣を右手に持ち替えるときに、
剣の向きを、縦あるいは横にセットするのに、
僅かにですが「手間取る」のです。
これは剣の断面の寸法の比率が、1:2という形だったためと思われます。
■しかし13ミリは、打つ側の手に持った瞬間に、
縦打ちの手の内にすぐに安定します。(ナイフと同じ明確な感覚です)
この点からも、13ミリの剣に期待が持てます。
____________
●こちらは、フライングスチールコムの「剣」。
翠月庵のもう一つのサブの候補ですが、
今回は、剣尾に巻物をつけてみました。
↓
剣尾の「巻物」についての所感
●剣尾に巻物をする剣を規格剣とする流派は、私が知るかぎりでは、
国内では、根岸流と、八角流と、無冥流のみです。
それぞれに理由は違います。
根岸流と、八角流(半田宗家個人の剣)においては、
剣尾側が、かなり絞られて細くなっていますので、
必然的に、柄の部分を物理的に太くしないと、手の内で安定しません。
●無冥流の場合にも、基本的には「手の内の安定」の為に
巻物をしていますが、
先端を研磨しただけで、剣尾が細くなっていない棒手裏剣に対して、
巻物の拵えを施す流派は、国内外に「無冥流」のみです。
国内外どんな流派でも、このような巻物を「普通の棒手裏剣」につける
流派はありませんでした。
●「3本を越える、多本打ち」がしにくい、という点はありますが、
そもそも、実戦で、そんな多本打ちをすることは、ほとんどありませんので、
その技は、切り捨てて良し、としています。
翠月剣も同じく、最初は巻物はありませんでしたが、
それを施すことで、長さが23センチか24センチ程度であるのに、
8間内外の距離をカバーできました。
●巻物が持つ最大の効能は、
「剣底の直径」が「約10ミリよりも細い剣」の場合には、
剣尾を太くすることにより、手の内での安定を実現するとともに、
「掌の力を、無駄なく効率よく剣に伝える」という大きな役目があります。
●巻き方は、個人の好みや手の大きさにより、微妙に違いまして、
太いのが好きな人もいれば、細めが好きな人もいます。
●どのような打法を使うかという事の違いにより、
この巻物を必要としない流派や、
滑走の邪魔になるとして、なんと否定する流派すらありますが、
無冥流では、直径12ミリの「穴あき剣」以外は、
すべて、巻物をするのが規定となっています。
(穴空き剣ですら、軽く糸を巻くことがあります。)
●なにしろ、一度、この巻物を剣尾に施すと、
その打剣の「安定性と、飛距離」に魅せられてしまう人が多いものです。
●前述したとおり、
後部が細くもなっていない「普通の剣」の剣尾に、巻き物をするのは、
現時点では、「無冥流」と「翠月庵」でしかやらない方法ですが、
超流派や個人として、どこの伝統や、流派にも属さないで、
一人で手裏剣術を嗜まれている方たちは、
ぜひ、糸の太さを替えたり、巻物の形を工夫したり、
また表面の摩擦の加減を変えたりして、
いろいろと試行錯誤をされて、お試しください。
***************************
2間から5間までの
距離変化での命中率の向上
●前回の松の間の手裏剣術の動画では、
「7間、8間、9間、10間」での命中率の向上の成果をお見せしましたが、
今回は、2間から5間の間で、距離変化を伴っても命中率を維持する
稽古をしている場面です。
http://www.youtube.com/watch?v=REaomO53EJ8&feature=player_embedded
■教材用のテキストどおりに、自分自身が、生徒さんの前で、
何度でも同じ事を繰り返し再現出来ないと、話にもならないので、
自分の論理を裏付けを確認しつつ、稽古を続けてゆこうと思います。
青山繁晴氏【国防論と武士道論】
http://www.youtube.com/watch?v=-pVW83OGjIc&feature=player_embedded
______________________________________________________________
すばらしい話です。
ただし、この話の中には、論点が複数ありますので、
その中には、一部同意できない点はあります。
たとえば、日本国内の日本人同士が培った武士道を、
諸外国の価値観、人間観とは共有できないと私は考えています。
そもそも武士道論そのものが、
江戸時代、幕末、大東亜戦争の時代では、微妙に変化しているはずです。
幕末に倒幕派の人たちが持った「精神」が、
それまでの時代の武士道と、同一だったかどうかは別としても、
彼らなりの、
「自分の命を捨てても、国を思う気持ち」がそこにはあった事でしょう。
むろんグラバーがユダヤ資本の手先で、龍馬がその片棒を
担いでしまったとか、そういう話は、ここでは無しとして。
●一方で、青山氏が言った点で、重要だと私が思ったのは、
武士道とは、
「思い悩んで生まれた」一つの「論」であったということです。
その思い悩むプロセスを作ったのは、その前時代の戦国時代でのあり方や、
江戸時代での自分の在り方が、「これで良いのか悪いのか?」という、
回想や、反省や、自己分析そのものです。
●そういう作業は、今この現代でも、武術家の人たちは、
常に、自問しなければならいのですから、
今の時代には、今の時代の「武士道」を各自が自分で再構築しないとなりません。
_________
●また私は、「核武装」が、「即、日本の主権回復になる」とは全く
思っていません。
核武装に反対はしませんし、良いことであると思いますが、
ただし、それは、
「実質的にも、あるいは外交戦略としても、
核兵器を、威嚇や政治手段や、軍事力としても、
使いこなすだけの実力」を、まず日本の軍隊や政治家が身につけた、
その「後」の話です。
「翠月庵」の市村氏の言葉を、借りさせていただくならば、
>「型稽古と、組太刀の稽古もしないで、真剣を持っても、
>武術としての意味がないのではないか」
という言い方もできます。
この場合、言うまでもなく、真剣が「核兵器」の喩え。
組太刀は「核戦略の基盤となる、通常兵力を高度化する為の訓練」です。
斬れ味がいいからと、いくら振り回したり、相手を威嚇しても、
たったの1発打ったら、とたんに周辺国からフルボッコにされるような
北朝鮮のような、「張りぼての核」では意味が全くありませんから。
>「あの日本が、核を持ったら、脅威だ」、
と、本当に(アメリカやロシアや中国を含む)諸外国に思わせるには、
まだ、日本は、通常の戦力と情報網が、不足していると思います。
____________
●同意できないもう一つの点は、
「恋心」ならば、相手に接することなく無私の精神で構いませんが、
ともすれば、それは「無私の精神」とは、おおよそかけ離れた、
単なる「独りよがり」あるいはストーカーにすらなりかねない
という点です。
恋は距離を持っても良いかもしれませんが、
「恋愛」は、距離を持ってはなりません。
嫌われたり、拒否する覚悟を持って、相手に接して「なんぼ」の世界です。
相手にフラれて惨敗しようが、転んでもタダでは起きず、
その経験を次の恋愛に生かす、それが私の説く恋愛道です。
■ちなみに「性恋愛教本」という私の著書には、そのことについては
最も詳しく書いてあります。
●脳内で「勝手に恋焦がれる」のであれば、距離があっても良いですが、
「恋愛経験」をしたいのであれば、離れていてはならず、
肉体も接触し、性行為もした上で、
そして相手の嫌な部分にも直面した、その上で、なおも、
自分の心情を貫く必要があります。
それが私欲だろうが、欲望だろうが、結果が泥沼になろうが、幸せになろうが、
悔いを残さないまでに、「経験しつくしてこその恋愛経験」であり、
自分に対する「現実直視」こそが、私の恋愛論の基礎です。
●その点では、その「恋」に関する文言も、
「武士道とは死ぬことと見つけたり」の句と同じく、
大変に誤解され、曲解され、身勝手に悪用される危険性のある言葉ですね。
相手に知られる事なく、無私に尽くすのでしたら、
それは、分類上は、「恋の経験」ではなくて、
また、それは、「愛」ですらもなくて、
単に、
「無私を動機とする、と本人が思い込んでいる行為全般」を
意味することになります。
むろん、それが本当に無私なのか、
無私という形に化けた「我欲」に過ぎないのか、
微妙な場合が、多いわけですがね。
そもそも、本当に無私だったら、
「無私」とか「相手に知られる必要はない」とか言いませんから。
知られようが、知られまいが、お構いなしです。
●それが、相手にとって、必要ならば、知られることも必要であり、
相手が自分を知ることが、相手の為にならないならば、知られずにと、
臨機応変に、在るべきものです。
まー、こういう親切な解説を私が、いくらしても、
結局は、臨機応変の、本当の真意、その実像も知らずに、
身勝手に、「そうさ、臨機応変でいいんだ」とか、
私の言葉を「悪用する人」が多いわけですがね。
第一、
そもそも、
「無私」というのは、
他人の為に自分を捨てることでは断じてありません。
「自分が愛想が尽きた自分を、自分で捨てる」ということです。
まー、実際には、
捨てる主体が「自分」では、
最後まで、自分を捨てられないのですがね。
それは私の、手裏剣術における「無心剣」を見ていれば分かるはずです。
「無心になれば、これは成功するのさ」などと考えていたら、
成功するわけもないのです。
自分を捨てた後に、
自分にやってくると予測している、その報酬が欲しくて、
自分を捨てたところで、
あなたは、自分捨てた「気になる」だけで、
ちっとも、自分を捨てたことにはなりません。
●私は「無心剣」が成功したときには、
むろん、「有心」の世界に戻って、率直にその成功を喜び、
ガッツポーズすらすることがあります。
しかし、投げるその「直前」には、
そももそ、自分がこれから何をしようとしているのかすら、
私は意識していません。
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