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手裏剣術講座 Shuriken throwing instructions
「手裏剣術」講座、その他の雑談の「間」です。
手裏剣術の画像・動画が、
他に類を見ないほど多く掲載されています。
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[1213]
■
手裏剣術講座【無冥流手裏術・武術編の総まとめ】
by:
鈴木崩残
2015/06/05(Fri)13:12:29
「形」の重要性
●一定の距離(3間、4間など)から、
同じ立ち方や、同じ打ち方で、5本ないしは10本の剣を刺す、
ということは、それほど難しいことではなく、慣れの問題です。
(それでも何年もやっていても、5本すら刺せない人もいるわけですが)
●しかし、移動距離は僅か(半歩ほど)であっても「前後に移動」したり、
「逆体と順体」の「打ち姿勢が、入れ替わる」と話は違ってきます。
たったそれだけで、刺さりにくくなる人も多いはずです。
●すでに2008年の3月に無冥流の「基本形」は完成しており
今日も、全くそれは変わっていません。(それほど完成度が高いわけです)
この「形」の中には、「逆体」「順体」の入れ替わり、
前進、後退、自然体、と、おおよそ全ての重要な要素が入っています。
この8年間に、無冥流に関わった人たちも、関わらずに自習していた人たちも、
この「形」をきちんと稽古したのか、疑問です。
この形さえ、最初からみっちりと稽古したり、
または基礎の「教習科目」に組み込んでいれば、
今ごろになっても、まだ基礎すら出来ていない、
などという醜態にならずに、済んだからです。
●この重要な基本を飛ばしてしまい、武術形の創作だの、
前後打ちだの、変化打ちだの、併用形などに、手を出しても、
「基本がおろそか」になっているのですから「ダメ」に決まっています。
下記のリンク先は、2008年当時の画像ですが、いかに重要かがわかるはずです。
基本形は、「足は固定して打つ + 踏み出して打つ」を基礎にしていますが、
ここ最近の「第三の形」である「武術形」は、
片足が浮いた瞬間に打つ、という違いはあります。
しかし、まず「基本」となるのはこれです。
↓
https://www.youtube.com/watch?v=kaS-NPJR8Ps
↑
ここは6/7に追記しました。
座打ちで五間と四間&抜刀遊び
>6/6夕方。投稿の後ろの方に、動画をひとつ追加しました。
>この冒頭の動画は、6/6に更新。
↓
●本論に行く前に、前回の投稿の動画で宿題にしていた、
「中距離での座打ち」を試してみましたので、冒頭に挿入しました。
とりあえず、4間、5間では問題ありませんでしたが、
あくまでも、これはスポーツ遊戯としての剣速です。
最後の「おまけ」は、座打ちからの抜刀ですが、
もしも手裏剣を避けられてしまったら、
これでは遅すぎて、相手に逃げられるか、反撃されてしまいますね。
↓
自己満足ではない体系が生まれる理由
●私は仕上がったこれらの術を見て、どこにも自己満足のかけらもない
ということを確認して、非常に安心しました。
これらは、主に手裏剣術をしている側の人たち、
剣術に組み込もうとして失敗し続けている人たち、
その両方の思い、気持ち、ジレンマを汲み取って、
きわめてパーフェクトな形にまとめることが出来たからです。
●なぜ、こうした非利己的で、自己陶酔に決して陥らないものが出来上がるか
という理由は、非常に簡単なことです。
それは、私自身が、
純粋に「何をどうしたいか? そのためにはどうすればいいか?」
これだけしか、物事をする時に、考えていないからです。
(手裏剣に限らず、放射能測定でも、男女和合の性の術でも、
仕事でも、何でも同じです)
●誰に勝とうとか、世間にどう見られるかとか、見栄えがどうだとか、
他人の為とか、自分の為とかすら、何も考えていません。
今回の技を生み出した原動力は、たったひとつの課題でした。
それは、
「敵が自分の投げた手裏剣を、避けて攻撃してきたら、どうすべきか?」
これのみです。
●奇襲的な、先制攻撃や、威嚇攻撃をかけて、
そこそこ自分の側を有利に運ぶ「チャンバラ劇」などならば、
それこそ、誰にでも出来るのです。
打剣はそこそこで、そのあとに、いかにも俺様は剣術やってます、
みたいに刀を振り回してしまえば、それでおしまいです。
というより、そういうことは、そもそも剣術の世界でやっていればいいのです。
しかし、手裏剣術、ことに「直打法」を、
他の武器術に「付け足す」ということがまず駄目です。
それはどう理屈をつけて説明しても、「見世物芸」です。
●今回の「打剣」「歩法」「刀術組み込み」(両手打ちは基本的に不要と考えています)
これは、手裏剣を専門とする流儀の側、剣術を専門とする流儀の側、
そのどちら側のスタンスにも、私は立っていません。
どちらのスタンスにも立っている、とも言い換えられます。
私が一環して言ってきたように、
ここで見つけようと試行錯誤していたのは、
>その二つの「接続部分」「接合点」
だったのです。
失敗した人々
●しかしそれに失敗し続けてきた人たちを私は見てきました。
そうした個人・道場・組織は、名前を具体的に列挙できるぐらいにあります。
少なくとも6つか7つは、その名前を挙げることが出来ますし、
おのおの、どこが間違っていたかも個別に指摘できます。
●一番失敗し続けたのは「剣術」側にいた人たちです。
剣術に自己同化しすぎて、価値観まで犯されているが故に、
手裏剣術の理を、無理やり剣術の側に定義づけたり、ひきこもうとして、
結果として出来上がったものは、
「剣術に見栄えを出すだけの、つけたしの手裏剣や、飛刀術」かまたは
「手裏剣術は、素人には出来ないのだ」という歪んだ精神状態の体系、
あるいは「昔からうちにも、こんな手裏剣と体系が伝わっているんだ」
という「捏造」の繰り返しです。
(これも多かったです。手裏剣術がブームになったあとから、
ここ10年で、いつのまにやら、
「昔から、手裏剣術は当流の武術の中にもあった」とか書かれているサイトも多く、
しかも記事内容や剣のデザインが、どんどんご都合主義で変わってゆく)
●ようは、この人たちは物事に向き合う動機が「汚れすぎている」のです。
ごく単純に、問題点は何かを拾い上げ、
ただ単純にそれを解決する方策を、一生懸命に探求すればいいだけであるのに、
そこに、「他勝への邪念」「歪んだ競争心」
「自己主張」「劣等感」「傲慢さ」「無知性」
そうしたものが干渉してしまっているからです。
ようは、「己自身が全く見えていない」のです。
●それもほとんどの剣士は手裏剣など、当然に無視したのですから、
剣術の「趣味」があった、ごく一部たちが、
とにかく、「じたばた」したのに対して、
逆に「手裏剣術」を専門とする流儀の人たちは、ごく一部の阿呆を除いては、
実に静かなものでした。
もともとそれが、「一人一流」、または「手裏剣術は一代限りのもの」であると
彼らは、自らの経験上からも、よく心得ていますので、
余計なものを手裏剣術にひっつけようとした愚か者は、ごくごく一部にしかおらず、
多くのマトモな人たちは、ただ淡々と、的に向かって打ち込んでいたのみです。
******************
●さて、なぜ、今回私が練り上げたような、
静かで、
殺気も目立たず、
足も楽に動けて、
しかも起こりの少ない、
強い速い打剣が出来て、
なおかつ「必要最低限の技だけに絞られた」、
こうした、透明感のある、しかも汎用性のあるものに至り、
あくまでも結果としてですが、
「手裏剣術の発展に寄与するもの」に至ったかと言いますと、
私は、「自分」の存在意義など全くどうでもいいと思っているからです。
●科学者が、人ではなくて科学それ自体の為ならば、時間も命も削るように、
私にとっても、「直打法それ自体」が重要であり、
自分の価値の有無など、全くそこに介在していません。
●このような文面を読むと、
まるで自画自賛しているように受け取る人もいるでしょうが、
今回の体系は、「私が作った」とは私は思っていませんので、
「自賛」には、なり得ません。
それぞれの領域の人たちの無意識的な悩みを汲み取って出来上がったというだけで、
私は単なる媒体者にすぎないと思っています。
だから、自画自賛をしているのではなく、
出来上がった「結果の作品」を賞賛しているのみです。
●ちょうどそれは、私が「書」を書いているときに、
とても信じられないような筆の動きの書が出来ることがよくあるのですが、
その時には「自分が書いた」などとは微塵も思ったことがないのと同じです。
******************
■さて今回、冒頭の動画で紹介したものは、あくまでもざっとしたものですし、
刀の「操作部分」は、基本的に本質と関係がありません。
前記した、打剣としての「接合部」としての位置づけとしては、
手裏剣術流派の側、剣術流派の側、
そのどちらからも文句などつけられない質の仕上がりになっているはずです。
もっとも文句や、イチャモンや、不満があるならば、
その人たちは、今までのスタイルの限界内の中で、満足したままで、
手裏剣を打ったり、手裏剣と刀を併用していればいいだけですが。
■なお、注意点としては、今回の打法と歩法は、あくまでも、
遠くとも3間、実質的には2間以内における攻防を想定したものであり、
それ以上の距離にまでは適応できるものではありません。
距離の確認( 6/6 夕方に追加 )
↓
●歩法や、見た目だけを真似ても、この打剣法は困難ですので、
きちんと稽古したい方は、書店からDVDをお求めください。
↓
http://bookbazar.biz/mumyo/hozan.htm#dvd2
なお、当方に直接にメールで注文しますと
30%引きで送料無料となります。
あるべき姿
ここのところ、やや煩雑になってしまった要点を、
もう一度まとめておきます。
身体運動論と関連づけるな
ある種の、鳴かず飛ばずの状態の「冴えない人」たちが、
甲野氏や、黒田鉄山氏に、どういうコンプレックスを持っているのか、
あるいは、模倣して便乗したいのかは知りませんが、
古流武術の身体操作論などは、居合いや剣術や合気道などに任せておいて、
そんなものを、手裏剣術という「芸当」に、持ち込みなさんな。
どうせ、武術とは大して関係ないのですし、
無理やり関連づけて稽古した連中は、
ことごとく距離も刺中率も「下手くそ」な手裏剣しか打てなかったのですから、
その「結果」がすべてを物語っています。
剣士は手裏剣を併用するべからず
これは剣士に限らず、他の武器術でも同じです。
アクロバットの見せ芸ではないのですから、
複数の武器で、複雑なことをする必要はありません。
演武では、「それぞれの武器に固有の良さ」を披露してください。
剣術家が打剣する時は「逆体」にせよ
すでに前投稿で、懇切丁寧に解説した通りの原理による。
順体では、力のタイミングが不合理となる。
「必読」
↓
http://www.mumyouan.com/k/?M1210
武術だと言い張るなら原型どおりにせよ
伝書にあるだの、古流ではあるだの言うならば、
あきらかに後世になって、一部で普及していった「直打法」とは明確に分離し、
石や、刀や、棒手裏剣は、刺す芸を目的とせず、
現実にそうであり得たように、敵に「投げ打つ」という形にのみ留めること。
距離は「2間以内」であるので、「自得」すれば良いだけ。
よって他者から教わる必要もなく、また他者に教える必要もない。
ただし、それとても決して品格のある行為ではない、と個人的には感じるし、
見る目のある武人が見れば、私と同様のことを必ず感じるであろう。
二刀流の剣道の試合でもないのに、
剣しか持たない相手に、刀以外に手裏剣を持って打ち付けることに
夢中になったりする事の中になど、礼法も糞もあったものではないのですから。
手裏剣術のみを披露する
他人様の前では、手裏剣術のみを披露し、
もしも、なんとしてでも、己の剣術も「ついでに」ご披露したいのであれば、
剣術流派の演武の中で行うか、または、まったく別のものとして演武すること。
直打法手裏剣術は「行ずる」もの
●「標的に向かって、3本〜9本の剣を、美しく刺す」
ただただ、単純な、この「的当て」の中にこそ、
そのすべての「価値」があり、「難しさ」があり、「自己対話」があり、
直打法手裏剣術の「妙」があり、「尊さ」すらそこにはある。
●だが、それを他の武器などと併用すれば、そのもっとも大切な部分の妙は、
希釈され、分散してしまう。
また、他の武術の理合や、身体論など持ち込めば、
もっとも大切な、その「妙」が乱され、犯される。
体、肩、腕、肘、手首などを痛めるような間違ったものでない限りにおいては、
どのような投法を、自分で独自に編み出しても良い。
ただし、原則として手裏剣術は、基本は「逆体」で打つべきものです。
●そして、そこに、
余計な武術を持ち込まず、余計な思考を持ち込まず、
「静かに 打ち込む という曲芸」を、「行」にまで昇華することである。
直打法手裏剣術を、武道、武術などとは思わず、
立禅や、経行(きんひん)だと思うぐらいで、ちょうど良い。
そして、幸運にも、それを行ずる中から、
会得するものが、「何か」あったのであれば、
それを、他の武術のみならず、「日常生活や仕事」で応用すれば良い。
「純黒」 「醸」
************************************
■近代の手裏剣術については、香取神道流の古い動画があったのであるが、
こんな感じで、楽しくやっていたようです。
とても、のびのびしているように私には見えます。
↓
https://youtu.be/iYkk7NC8Zqg?t=32m11s
■前田勇氏で検索をかけると、筑前手裏剣研究会というところが出てきて、
甲野氏も言及していた「寺坂進」氏の名前が出てきて、
こういう楽しい演武会が福岡であることを知るのであるが
(先頭にhを)
↓
ttp://chikuzen.3.pro.tok2.com/h27kasuga/h27enmoku.JPG
肝心の前田勇氏の著作については、古い冊子があるものの、
大学や個人コレクターからの「貸し出し」となる。
筑前塾については、こちら
(先頭にhを)
↓
ttp://chikuzen.3.pro.tok2.com/pos/syuriken.jpg
で、こういう活動状況のようです。
↓
http://chikuzenjyuku.blog.bbiq.jp/blog/2012/07/post-a8f5.html
この方、しっかりと、直打法、上手いですよ。
↓
https://www.youtube.com/watch?v=dOO09NWdneg
どうか、小難しいことや、凄そうな話や、理屈を、むやみに語らずに、
これからも、こうして童心に還り、「楽しんでゆくこと」を切に願います。
↓
https://www.youtube.com/watch?v=-VeR2aZp2CU
一方で、こういうの駄目です。
手裏剣術の演武というものは、打剣者と標的を必ず同じフレームに入れて、
距離や、刺中ミスも収録しないと、なりません。
↓
https://youtu.be/mhr7xWuOVUM?t=3m13s
お弟子さんが、ブログで「刺さるのかよ?」と書いたことが原因で
ムキになってしまったようですが、最後のドヤ顔はよろしくありません。
あの近距離では、単に誰でも出来る事しかしていないのですから。
これとは別の所もので、もっとひどい動画は、
刺さる音を「効果音」であとから入れていて、
これまた、打剣者と標的がこれまた「別撮り」。
目も当てられない、ひどいものでした。
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