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[1226]
■
手裏剣術講座【自分の側から真に縁を切るということ】
by:
鈴木崩残
2015/07/06(Mon)07:41:52
真の絶縁状とは
●少し武術の話題からは離れますが、
いわゆる「かっこ悪い人」というのが世の中にはいます。
多くの人と、浅くではなく比較的常に深くかかわってきた経験の中で、
私が唯一、「絶縁状」をたたきつけたのは、自分の父親に対してです。
それ以外は、社会に出るようになってからは、
会社でも自分からは決して退職願いなど出さず、社長のほうから、
「頼むからやめてくれ」と言わせるまで戦いました。
ある会社ではバブルがはじけた後だったのに、小額ですが支度金まで
用意してくれました。
(私が法律事務所から社長あてに、
「解雇権乱用である」との内容証明を出させたせいもありますが)
●一方で、精神面での相談を受ける機会が多い中で、
逆に私からメール拒否の設定をしたり、お断りするケースがありますが、
非常に稀です。
その稀なケースというのは、たとえば、
「今、精神病院からメールしています。助けてください」とか、
「あきらかな刑事的な脅迫をする者」
「あきらかな精神異常者(軽度ではなく重度の人格障害)」
などです。
これは、かかわると、のちのち、その相手と私だけの問題ではなく、
相手の家族、相手の周辺の関係者(主治医など)も巻き込むこととなるために、
非常に注意が必要であったためです。
それを除けば、私の側から誰かを絶縁したことは、
自分の父親以外にはありません。
●一方で、私に対して「メールをもう出さないでください」
とか言った人物も、非常に少なかったです。
一人は、現実には面識のない女性で、著作物の執筆を依頼したのですが、
言葉(文章)に不審な点が多々あったために、ごく簡単な質問をしただけで、
突然に怒りはじめました。
もう一人は、家庭内でトラウマまみれの若者、
あと一人は面識のある、同じく心の問題のある男性。
その人たちには明確な共通項がありました。
それは、ヤバくなったら「逃げる」という癖です。
何から逃げているかは明白でした。
●言うまでもなくAC人格(偽人格)や、幼少期のトラウマを掘られる、
または自分でそれを「直視する」という行為からの逃避です。
掘られそうになると、逃げるわけですが、その手段というのが、
「絶縁状」などです。
あるいはメールで「もう二度とメールしてこないで下さい」などで
振り切ったつもりになることです。
こういう人は、いずれ他で必ず同じ現実の自分の姿を見せられることになります。
●通常は「うやむや」にすることで上手に絶縁する方法がとられますが、
緊急性があったり、焦りに支配された人は、
たいてい、自分から先に絶縁を図ります。
これは、「自分の方から縁を切ってやったんだ」という自尊心を維持したいがためと、
もうひとつは、「もう、ほっといてくれ」という恐怖心からです。
それを本人が自分の精神安定を図るために、なんとかして、やりすごすのが、
「一方的絶縁」というものです。
(すでに言ったように相手が人格障害者などへの縁切りは別問題です)
●ところが、そもそも、絶縁というものの「意味」「道理」「道義」を
分かってもいないで、絶縁したがる者もいます。
絶縁、絶義というものは、その時点から、
>その対象となる相手が手がけたもの、その相手から教わったもの、
>その相手が作ったもの、その相手が(有料無料にかぎらず)作った物、
>それらをすべて捨てて破棄する事が、本来の絶縁の道義であり、筋を通す事です。
●すでに言ったように、今回の半世紀を越える人生の中で、
私のほうから明確な絶縁状をたたきつけたのは、唯一、父親のみでした。
自活を始めて、アパートに引っ越す段階で、私は父親が関係した、
「すべてのもの」をゴミに出しました。(「遺伝子」以外は)
それから、自分の安月給の中から、少しずつ新しく自分で買ったもので
部屋を作ってゆきました。
●つまり絶縁というものは、「完璧な絶縁」でないかぎりは、
非常にみっともない、かっこ悪いものになる、ということです。
前述の「精神異常者・人格障害者」らからは、
私は何ひとつも物品を受け取ったことがないので、
私の側に捨てるものは何もありませんでした。
ないものは捨てられませんから。
●そういうわけで、皆さんも、かっこつけたり、
何よりも、逃げるための「絶縁」をしないことです。
一見するとそれは潔いように見えるだけで、
どういう後付の言い訳をしても、ほぼ100%、それは、
「厄介な問題から、いち早く逃げる」のが「動機」ですから。
●通常、もっとも健全な離別というものは、実は、
対立したり、あるいは疎遠になって、
「なんとなく縁が切れる」という現象です。
これは自然現象に近いもので無理がありません。
一方で、男女関係でも、職場でも、家族関係でもその他の関係でも、
絶縁を「申請する側」というのは、
それだけ大上段に構えて、見栄を張ったのであれば、
絶縁した相手の作ったもの、
かかわったもの、もらったもの、教えてもらったもの、
そのすべてを、ゴミに捨ててこそ、初めて「絶縁」したと言えます。
そうでなければ、まったくの「虚構」であり「インチキなお芝居」です。
●こうしたことがあるために、隣の桜の間では、
毒親から離れるため、毒親と縁を切るためには、
その毒親が資金提供したり、その毒親から無料でもらった物品や権利は、
すべてのものを破棄するようにと、相談者に、常に言っています。
経済的に、いっぺんに捨てるのが無理ならば分割して捨てるということ。
■桜の間掲示板(親子間のトラウマ問題が主)
↓
http://www.mumyouan.com/k/sakuranoma.html
*********
■ところで、父親に絶縁状をたたきつけたのが、20歳ごろだったと思いますが、
文字どおり、たたきつけでした。
テーブルもぶっ壊すぐらいの力で叩きつけました。
その父親が死亡したために、絶縁状を叩きつけてあっても、
法的には、親子関係、親類関係までは、解除することができないために、
遺産相続の問題が起きました。
そこで、私はまず考えました。
「法的な権利であっても、これは、受け取るべきか否か」
そこでまず、半年近く経過しても、関係者(父親の後妻やその弁護士から)
状況の説明が全くなかったので、父親に債務があるのかないのかも分からないために、
「相続放棄の伸張」の書類を裁判所に出しました。
■自分で調べてゆくうちに分かったことは、
それは完全に「法律を逸脱した遺産相続」であったことで、
父親の遺言書も、分割方法が、はっきりしていない
「めちゃくちゃな内容」でした。
かといって法定相続では単純に計算できない面倒な内容でした。
そして、父親の配偶者であった継母(つまり父親の後妻)が、父親の
90%以上を相続するという形に、もってゆこうとしていました。
●遺産問題にかかわった人は、知っている人も多いでしょうが、
「遺留分」というものがあり、これは通常の法定相続率の「半分」が
法的に各相続人に、最低限保障されるものです。
この範疇をとっくに超えていた脱法的な遺産相続を、
継母とその弁護士がやろうとしていました。
そのことが原因となり、
私は自分の最低限の遺産分を多くするとか、もぎ取るということではなく、
私には、その「不正」が許せなかったので、
この時点で、戦う相手は、死んだ「父親」ではなく、
その父親が残した「理不尽な遺言」の「内容」となり、
敵は、継母の雇った「弁護士ら」となりました。
■私が、絶対にこうすると決断して、実行しようとしたことは、
きわめて単純なことでした。
それは、自分がより多くの遺産をとることではなく、
>他の全相続人にも、正当に、合法的にちゃんと配分するように計算し、
>それを、相手や裁判所に促すことでした。
>異常かつ効力のない遺言書の内容を、ただ「当たり前」に正すのみです。
■と同時に、たとえ最終的に私が受け取る金額がどんなに小額であっても、
自分が絶縁状を叩きつけた父親という腐ったお金をどうすれば、
マネーロンダリングできるのか?
その答えは簡単でした。
自分自身が、それを得るに相応の「労働」をすればよい。
すべての手続き、弁護士と裁判所と、調停委員を相手にした戦いを、
自分ひとりで、背負うということでした。
結果として、私がやったことは、一人のプロの弁護士が、
報酬として受け取るほどの作業量になりました。
弁護士に依頼しっぱなして、寝っころがって楽をして得たのではありません。
■一年半にわたり、本業の合間に、一日も休むことなく、
毎月行われる家事調停の前に、法律について調べ、
弁護士のやり口について調べ、裁判所の制度について調べ、
しかも、相手の弁護士は本当にずるい手段を使ってくる。
それに対するあらゆる種類の対抗策を、
まったくの素人の私がやることになりました。
■私の部屋には資料のコピーが散乱し、月に一度の調停の日までには、
裁判所に「準備書面」というのを送付するわけです。
相手の弁護士が主張しそうなことを推察して、先に読み取って、
すべて事前に、裁判所に書類を提出して論破したり布石を打ちました。
この話は自慢話ではなく「現実に起きた」一種の武勇伝のようなものなので、
長くなりますので、短く切り上げますが、
結果的には、協議の終盤で、
私の方のちょっとした不注意で、私が窮地に立たされたのですが、
そのときに、裁判所側がやってしまった重大なミスを逆手にとって、
(武術でいうなら、会場大喝采になるようなカウンターパンチです。)
状況を一変させました。
普通の素人ならば、この裁判所側のミスに気づきません。
(相手方の弁護士のミスではなく、
「裁判所のしてしまったミス」は、明確に公的記録にも残ってしまっているために、
絶対に言い逃れのできないものだったのです。)
素人ながらも徹底的に、調停の制度について調べていたので気づけました。
そして、調停を一部振り出しに戻し、
ほぼ私の案に従った落着をした調停調書となりました。
■すでに書きましたように、私の目的は、自分の取り分を増やすことではなく、
すべての相続人に「法律に従った最低限の遺留分を配当すること」であり、
またその他、相続人全員を納得させ得る形で、
非常に複雑な方法での遺産分割法を提示し、
もう二度とやりたくないような面倒な計算式を何度も計算しました。
(遺留分減殺請求に必要となる、相続人同士の間に発生する、
「遺留分の侵害額の計算」が、最も頭が痛くなりました。)
私以外の相続人4人は、まったく「何もしていません」でした。
ただ、弁護士に丸投げしただけです。
●つまり、「楽に得たお金」などではまったくなく、
一年半という期間は、猛烈な学習と、調査とで、
本業よりも遥かに多くの時間と労力と体力を割いたわけです。
■その結果、私にとっては、単に父親が残した遺産だからそのまま頂戴する、
というのではなく、その金額とまったく同等のハードな労働をしたことによって、
絶縁した父親のお金でも、それは私のものとして使えるものに変わりました。
弁護士が、一人の依頼人の代理人となって、
その案件ひとつを、まる一年半かかって調停を成立するのに、
依頼者に請求するであろう金額
+「争いのある案件」での「成功報酬」の一般的な合計額の概算、
これと私が最終的に受け取った金額が、ほぼ同額になったのも納得できました。
金額にすれば、わずか、たったの数百万円でしたが、
胸を張って使えるお金に、変化しました。
●ちなみに、担当した調停委員も、裁判官も、
私のような申立人は「初めて見た」そうでした。
弁護士なしに、自分ひとりで調停をやる人という人は、
むろん、たまいるようですが、
素人のくせに、弁護士二人と、裁判所と、渡り合ったという意味で、
初めて見たタイプの相談者だったようです。
最初に出した遺産目録の調査結果や主張の書類を見て、調停委員の方から
「本当に、この申立書は、敬服に値します」と言われたときには、
その意味がよく分かりませんでした。
私としては、ごく当たり前に必要な書類をそろえたつもりだったからです。
●しかしあとで読み返すと、調停委員と裁判官へ、きわめて分かりやすく要点を説明し、
ついでに相手方の弁護士の怠惰さを、率直かつ辛辣に批判してあり、
裁判所への心証が、相当良い文面になっていました。
自分で言うのも何ですが、いくつかの書類は「名文」でした。
調停委員も、長い歳月の職務の中で、そんな文面は見たことがないと思います。
弁護士が書くような事務的な文面でななく、
一切媚びることなく、かつ相手の心情に響くように
「温度のある文」を書いたからです。
そのせいで、逆に、相手方の弁護士の態度の悪さや、
調査や書類の提出方法が悪すぎるのが際立って、目立ってしまい、
調停委員は、最初から最後まで、ほぼ私の側に、ずっと好感を持っていたのでした。
*********
●といった長い余談となりましたが、
そのお金の出所は、絶縁した父親の遺産とは言え、
これっぽっちも楽などしませんでした。
調停委員二人と、お別れの日に、彼らは言いました。
「お父様が残した最大の遺産は、この調停の経験でしたね(=勉強)」と。
ということで、
私は、父親を通じてなど、何ひとつも学びたくないので、
その間に勉強したことも、経験したことも、
今後の人生に生かすつもりは、一切ありません。
裁判所での「経験と学習」が、裁判所の職員の方々の言うように
「父親からの、最大の遺産だった」ならば、
その最大の遺産こそ、私は受け取りません。
*********
●本題に戻って締めくくりますと、
徹底的な戦いや、論議や、関わりから逃げるための絶縁というのは、
ほんとうに、情けなく、みっともない。
それは結局、誰が相手であるかという問題ではなく、
「自分自身の問題から逃げ続けている」ということなのですから。
しかし、現実逃避を動機として、
見栄で、大上段に構えた絶縁であるならば、
その相手の関係したものは、
すべてゴミとして廃棄処分するのが筋である。
そうでなければ、本当に、何もかもが、口先だけの者にすぎません。
この場合に、相手の人間が、
「変な人間であるか、まともな人間であるか」は全く関係ありません。
絶縁、絶義というものを「自分の側からする」からには、
相手の人格に関係なく、物品、精神、すべてをゴミに出せということです。
そういう、筋と道理を伴わない、中途半端で、自己満足的で、
(ある意味で偽善的な)見てくれただけの絶縁というものこそ、
悪縁、不運を、自分の部屋の物品として溜め込むことになるのです。
■蛇足ですが、この話をしていて、思い出したことがあります。
古い武家の子孫、またはそうした家の蔵などから流れてきた武器や資料には、
おうおうにして、悪縁、人の怨霊などが染み付いていることがあります。
なので、肝心な時に限って、計画が思うようにならないとか、
死亡や、不幸や、病が続く家には、わりとそういうものがあったりします。
素人の手では、祓えるものと、祓えないものがありますが、
私が見たり、または手で触れると、けっこう一見で、
危ないものだと、分かるものがあります。
ただし私は、残りの人生では、そういうことには一切関わりたくないので、
心当たりがあったり、自分の持っている骨董品や武具に不安を持つ人は、
大金をはたいて、どこかの霊能者にでも依頼してください。
もっとも私の場合には、無心剣の状態でその物体をほうり投げれば、
一発で消せますが。
なにしろ、どんな邪霊も、呪いも、
形のないもの、心のないもの、
つまり「無形の無心」の前では、「無にされるに等しい」のですから。
無形の無心とは、ブラックホールのようなものですから、
善良なものも邪悪なものも区別なく、すべてを無にして飲み込みます。
■ただし、大概のものは、単に「自分から遠いところへ捨てれば」
廃棄物として粉々にされるか、金属として再生されるか、
または、焼却されたり、朽ち果てますので、それで大丈夫です。
何もお金まで払って、祓う必要はありません。
その物品の怨霊の一部が、
持ち主の貴方に移動(転写)していないかぎりはですが。
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