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手裏剣術講座 Shuriken throwing instructions
「手裏剣術」講座、その他の雑談の「間」です。
手裏剣術の画像・動画が、
他に類を見ないほど多く掲載されています。
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[754]
■
■手裏剣の「目的を明確にする」ということ。
by:
鈴木方山
2005/10/06(Thu)09:08:59
■私個人は、手裏剣術というものに接したきっかけと、現在に至る
原動力は、たった2つしかありません。
ひとつ、
それは、自分の放った剣が、僅か90度の回転で、
遠い標的に刺さるという、
そんな面白い感覚と、その練習の困難さの面白さは、
他のものでは味わえないこと。
ふたつめは、
剣を放つうちに、自分の中によぎる、かすかな雑念を除去する事と
その結果生まれる無心の剣が、
人間の心理的操作(正しくは心理的現象)として、
大変に「面白い作業」であること。
______________________________
■さて、人間の身体というものは、たった一本の細い針で
あっけなく死んでしまったり、あるいは最近事故があったように、
フェンシングの試合で出血性のショックで死ぬという、
専門家にも全く信じられないことで死亡してしまうこともあります。
現在までに耳にしたことのある、刃物の投擲による事故というものは、
最近では山梨だかで、幸いに傷害事件済んだようですが、
投げたデザインカッター(先端約1cmだけ刃がついているもの)の刃が
頭に刺さったというものと、
ずっと以前には、夫婦喧嘩の挙句に投げた包丁が、偶然に、
家族の頭に刺さり、死亡という事故をニュースで見たことがあります。
あとは、ナイフ投げの名人が、助手の女性を傷つけてしまったなどです。
それ以外は、私は、ほとんど耳にしたことはありません。
■そして、このどのケースも、「刃物」であることに注意してください。
刃つきの投げ物というのは、
以前に紹介しました、超重量剣の貫通レポートに
ありましたように、らくらくと皮膚を切り裂いて、
血管や内臓を「切る」という損傷結果を引き起こします。
それに比べて、「仰天ニュース」「衝撃映像」の番組などで、
何例かを、皆さんも見たことがあるように、
家のまわりにある、先端が尖った柵の上に落ちてしまい、
身体が完全に突き刺さったまま、奇跡的に生きていたとか、
車内に飛びこんできた物体が、運転手を完全に貫通して、串刺しになっても、
レスキュー隊に救出されて、手術の結果、生きて生還したとかいう
ニュースがありましたね。
■このように、尖ったものが、人体に刺さる場合には、
その場所が、脳の深くまでとかでない場合には、
致命傷となる内臓(心臓など)を偶然に避けていたことで、
奇跡的に助かることがあります。
しかし、これが先端が刃物状になっていた場合には、致命的になります。
仮に刺さったときにはまだ生きていても、病院へと搬送するときにも、
身体を少し動かすだけでも、その刃物がさらに内臓を損傷する危険が増す
という危険もあります。
______________________________
●さて、ここからが本題です。
私は、自分が両手をある程度自由に使えるまで、
そして、利き手では、直打法で、最低でも、6間の距離を、
ある程度の実用的な剣の「速度と的確なコントロール」で安定して
打てるようになるまでは、手裏剣術というものを
他人様に教えるということは、したくありません。
私に分かる範囲での「アドバイス程度」の事は出来ても、
本格的に他人様に教えられるようなレベルではないと
自分では思っています。
実力といっても、現在は、ナイフ投げにおいては、
直打法で、コントロールは重視せず、ただ畳に刺すだけでしたら、
70〜120g程度のナイフですと、射程距離は最大で9mほどです。
ただし、実用的な(つまり避けることが困難になる)スピードでとなると、
おおむね、7メートル半ぐらいが、有効な射程距離です。
手裏剣は、多本打ちでは、3本同時に、直打でしたら、4間半程度、
そしてまた、スローイングナイフを片手で2本同時に打って刺すといった、
ナイフ投げの芸当も、ようやく最近では、出来るようになってきました。
距離の目標は、とりあえず私が生きている間に、
実現できるかどうかは未定ですが、
八角流宗家のように10間(18メートル)の直進弾道打ちですね。
届いても、やたらに大きな山を描いてやっと届くというのでは、
ちょっと不満ですし、また充分な殺傷力をもって標的深くまで
刺さっている必要があります。
ですから、遠間を打つのでも、約85グラム前後の剣で、
その距離を出すことを、現在は、目標にしています。
_________________________________
●しかし、現在は、個人的に極めたい、
または調べたい研究課題が山積みなので、
ひとつの型に決定した体系や稽古方針を、
強固に保持するという気がありません。
そのために、「がちっとした形として手裏剣を学びたい」という人は、
「中級手裏剣術」その他の本で、独学されるか、または他流派へ行ってください。
私の位置というのは、先人の手裏剣術の知識と技を尊重して学びながらも、
人が入ったことのない原始林に一人で入ってゆくようなものですから、
その未知な領域では、誰も道など教えてはくれません。
______________________________
■しかし、将来、もしも他人様に、手裏剣術を教えるといった機会が
出てきた場合、私は、まず、相手の人に、
「何のために手裏剣術をするのか?」を問い正します。
というのも、手裏剣術と一言にいっても、
その「目的」によって、次の要素が変わるからです。
そもそも、手裏剣を使うことの「目的」によって変わるのは
以下のファクターです。
1/飛距離(射程)の設定
2/使用する剣
3/使用する打法
4/稽古場所として必要になる環境(横の広さや距離です)
■つまり、その手裏剣術が目指している目的で、
この4つの要素は、変えなければならないということです。
また、他の武器や武術、たとえば、各種の隠し武器や、抜刀術を
併用するのか否かでも、全く、打法も違ってきて、
一番変わるのは、打剣距離の設定の違いです。
目的とする結果を確実にするには、
打剣距離が、至近距離に限られてくる場合が多いからです。
■そして最も問題になるのは、その手裏剣が相手に与える
ダメージを、「どこのレベルに限定するか?」です。
法で裁かれる現代は、単純に殺せばいいという戦国時代とは違います。
実戦ということを論ずるときにも、
1/鎧を着て馬上にいる戦国時代の時代背景を想定した「実戦」なのか
2/武家が道楽でする、立会いの「試合ごっこ」なのか、
3/それとも、「本当の現代における実戦」なのかを
区分しなければなりません。
■手裏剣を使う人そのものが、目的をどこに設定するかということの
要素のひとつに、
手裏剣で、相手を殺したり、とどめを刺すのが目的か、
それとも、よく耳にタコが出来るほど連呼される「削闘」つまりは
戦闘力を削ぐ目的で使うのか、
ということで、使われる剣、必要になる打法も、距離も
大きく違ってきてしまいます。
もしもこの法治国家の中で、相手の戦闘力を削ぐということを
論じるならば、見るからに先端の尖った物体を相手に投げてはいけません。
もしもそれをすれば、裁判となったときに、
あきらかな「殺意」を被告は原告から指摘されるからです。
しかし、もしも先端が尖っていないが、重量が150gもある
ただの金属棒を、頭部以外の部分に投げつけた、とすると、
ここには法廷で、殺意を否定できる要素が出てきます。
本人は、直打法に熟練していたとすると、そうした物体を
7メートルほどの距離から正しく、棒の先端部だけが当たるように
投げることは、いとも簡単に出来るわけですが、
法廷では、そうした技が自分が使えることを、決して口にしてはなりません。
であれば、殺意によるものではなく、
「意図せぬ偶然の重なった事故」という判決の余地が入ってくるからです。
■一方で、仮に相手がどんな凶悪犯であれ、または、
護身という言い訳であれ、手裏剣を投げるなどということは、
法廷では、一切(またはほとんど)、正当な理由が通用しません。
自分が確実に殺されかけたから、というぐらいの正当防衛でなければ。
■さて、実際に、一撃で人間が死亡してしまうであろう剣というのは、
私は、現存する手裏剣の中では、一種類の手裏剣しか知りません。
その一種類以外に、もしもあり得るとしたら、重量のあるナイフです。
どちらも、「刃付き」です。
ただし、頭部に当たった場合には、頭部自体が急所ですから、
通常の70g内外の、ただの尖った手裏剣でも、
頭蓋骨を損傷してしまうと、死亡してしまう事故に繋がります。
が、首から下の衣服をまとった人体というのは、
そう簡単に、なまじな剣では、投げても「威嚇にすらもならない」ということは、
以前に述べたり、実験したとおりです。
布を振ることで、飛んでくる弓矢さえも、巻き取って、
無力化してしまうことが出来る、というのを演技の中でやっているのを
最近、時代劇で見まして、なかなか面白かったです。
(雷蔵さんの、「眠狂四郎」のシーンでしたが。)
■そんなわけですから、手裏剣の実用性といった場合に、
「法的な背景を配慮して、どこまでのダメージに押さえるのか」、
または、「ダメージを無限大に拡大してしまうのか」という論理いかんでは、
どういう剣や打法を開発するのか?という部分が、
そのふたつは、「全く違う手裏剣術」になってきます。
仮に、一本ではなく、数本を打ち込むにしても、
それで、とどめをさせる手裏剣などというものは、
ほんの僅かにしか、世の中にはありません。
一方で、相手に混乱やショックを与える、または少し深い傷を負わせて
戦闘能力を減らす、ということになると、
やや使える剣の種類は出てきます。
しかし、一番問題となるのは、
与えるダメージの「加減」が、実に微妙なものなのです。
下手をすれば、70グラム以上の剣であれば、
もしも剣の先端が非常に鋭かったり、刃先であったらば、
70グラム程度でも、衣服を貫通し、
予定以上の、大きな怪我を負わせてしまう可能性もあります。
(約65g以下の重量では、眼球以外では、たとえ頭部直撃でも、
「必殺」というレベルの次元の話では、ほとんど論外的な弱さです)、
このように、「頭部」を標的とするのか、
それとも、「衣服をきた人体全体」を標的とするのか、
この想定する「標的の違い」によって、
そして「相手に与えるダメージの予定の違い」によっては、
その手裏剣術の、
打剣距離が設定され、
剣の形状や、重さが決定され、
打法が決定されます。
そして、そのための稽古場の環境が決まります。
この稽古場所の環境というのは、
たとえば、的をいくつも並べておいて走りながら打つなどの稽古には、
普通の家屋内や普通の小さな庭では無理だからです。
また7間以上を打ちたいと思ったら、そういう長さや
天井の高さのある環境が必要になります。
また木の的を使いたいなら、近所への騒音対策をせねばなりません。
使う剣が大きい場合には、必要となる、壁や床の保護の度合いも、
軽量剣とは、かなり違ってきます。
●つまり「目的とする事が、どういう事であるのかが明確」でなければ
手裏剣術というのは、それを
「正しく、有益な対話として、語ることが決して出来ない」のです。
■たとえば、武術観点を全く度外視して、
打剣距離だけを実験的に伸ばそうとすると、
これまた剣の種類も、重量も、打法も、全く違ってきてしまいます。
もしも「必殺」ということを念頭におくならば、
さして面倒な思考は必要ありません。
しかし、最も、「事が面倒」なのは、
ちまたで、どこでも、まかり通っている「削闘剣」という
「かなり、いいかげんな概念」です。
私が見てきたかぎり、とても削闘剣とすらも呼べないほどに、
非力な軽量剣の流派もありましたし、
逆に、削闘剣というには、これでは少し危険すぎるのではないか?
という種類の剣もありました。
この「加減」というものを、本当にコントロール出来る技量を持ち、
その加減を念頭においた、剣を選び、打法を決定し、
打剣距離を決定し、
実際に戦闘現場での加減の「調整が出来る人」というのは、
現在、日本でも、皆無であると私は思います。
もしも「削闘剣なのだ」と「自称する」場合には、
たとえ、間違ってでも、
相手を殺してしまうような剣を使うことは絶対に許されません。
また、逆に、削闘にも威嚇にも何にもならないような軽量剣では論外です。
となると、その場合には、非常に、剣の種類は限られてくるのです。
皮下の主要な動脈などに損傷は与えてはならないという点からは、
一切の、刃つきの手裏剣はご法度になります。
また、食い込む深さを適度に押さえるために、先端の加工を調整し、
そして、重量も150g以内に押さえる必要もあります。
つまり、単細胞的な頭で、
「実戦的であるとかないとか」という論議を開始する以前に、
では「その実戦」とは、
必殺を目的としているか?、
相手を最小限度の怪我で済むようにした上での、
「捕縛」を目的としているのか?
あるいは、最終的には、殺人に繋がるような、
刀剣や、分銅その他の隠し武器による攻撃の、
「前段階の攻撃の手段」として位置づけているのか、
これらの違いで、
手裏剣術の「内容」というものが決まってくるわけです。
そして、その「目的」がどこにあるのかによって、
大きく変わってくる術や技の「内容」とは、繰り返しますが、
・射程距離、
・剣の種類、
・打法の種類
・稽古場所の種類
この4つです。
_______________________________
■ですから、手裏剣術を独学で勉強したいという人も、
剣術などの道場での、稽古の一部に取り入れたいという師範の方も、
そもそも、その手裏剣術が、
「どういう結果を、どこまで目指す、手裏剣術であるのか?」
を、まず自分でよく自問して、
お弟子さんを始め、自他ともに、「明確にする必要」があります。
つまりは、世の中でも、武芸以外の何事においても、基本となる、
「それで、何をしたいのか?」ということを、
そもそも、本人が明確化していなければ、
手裏剣術というものは、「論も、稽古も、成立しない」ということです。
●もっとも、このことは、別に古武術に限らず、
現代の格闘または、護身術と呼ばれるもののすべてに
言えることですが。
その後の、法による闘争というものや、
相手の家族に対する配慮を観点にいれるか、それとも、
あるいは、自らが、投獄される覚悟で、
そうしたことを考慮に入れないかなどです。
そして、もしも「こうした事を考えるのは面倒だ」という人の場合には
そもそも実戦という事を軽々しく論じないことです。
1/ただ実力だけが、ものを言う戦場や「無法地帯を想定」しているのか、
2/それとも「ルールのある競技の場での実戦」を想定しているのか、
3/それとも、「街角での暴力に対する護身」であるのか、
その場合には、どうやって過剰防衛とならないものにするのか、
4/それとも、武装した組織犯罪集団に対するものなのか、
そうしたことをひとつひとつ、本当に思慮してゆくならば、
武術というものは、
1/とにかく本人が好きで行うということと、
2/また研究の対象とすること、
3/あるいは伝統的な文化継承という枠の中に留まること。
こうして、それぞれが、自由に研究したいことを研究するのが、
一番健全な姿勢であることは、以前にも言ったとおりです。
もしも、強いて言うならば、
実戦的であるか否かを「本当に問われる事に意味がある」のは、
特殊部隊や軍隊という、
「相手が、銃や刃物や爆弾で武装している現場」で採用している、
体術または、捕縛術、または殺人術、のみです。
しかも、そうした現場では、単独での実力だけではなく、
「チームプレイでの作戦」が最重要になるのです。
■さながら、現代の忍法のようにして、
音の出ないサイレンサーが発達し、
目潰しとしての催涙ガスが発達し、
犯人を殺さないためのゴム弾も採用されている現代では、
「殺すのか、殺さないのかも、中途半端な」手裏剣術などには、
一切、出番はありません。
■ですから、手裏剣術というのは、
私のように、とことん、
1/「純粋に、そこにある研究課題を、楽しむこと」か、
もしくは、
2/最初の教えを「正しく曲げずに文化として継承する」こと、
でなければ、
3/徹底的に「本当の殺傷性を追及すること」、
これら以外に、手裏剣術を実践することに、意味はないのです。
もしもこれ以外の目的があるとしたら、
それは、実戦という次元の話ではなく、
無冥流、または弓道がそうであるような、
動禅として修行法としてのみです。
______________________________
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