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手裏剣術講座 Shuriken throwing instructions
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[756]
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●左手の打剣日記&雑記
by:
鈴木方山
2005/10/18(Tue)04:43:01
●左手での打剣は、一日に200本を上限と定めて、
なるべく、無自覚な無駄打ちのないようにして、
ようやく、一ヶ月が経ちました。
さて、最初の2週間は、
徹底したエンピツ投げと、素振りつきの打剣、
次の2週間は、振りの加速を重点的に稽古して、
ここへ来て、第5週目に入りました。
そこで、私は、ある意味では、非常識な練習を始めました。
ひとつは、常識的な練習法で、
打剣をするときに、足のスタンスをいろいろと変えることです。
左手に剣を持ち、
1/左足を前にして、そこからその左足を半歩踏み出す、
2/左足を前にして、そこから後方の右足を一歩踏み出す
3/右足を前にして、そこから後方の左足を一歩踏み出す、
4/左足を前にして、そこからその左足を半歩踏み出す。
5/どちらの足も、踏み出さない、または正座打ち。
などの足の移動によって、剣を運ぶというもので、
これは、まさに伝統的な訓練法です。
いままでは、左手で物を投げるという動作そのものに
慣れるための、初歩的な稽古だったわけですが、ここからは、
「体を使って打剣をする」ということに移行するわけです。
●そして、もうひとつの方法が、非常識な方法です。
それは、まだ、2間、最大でも2間半から、
やっとこ刺さるという程度の左手に、
ここへ来て、いきなり、複雑な打法を叩き込むわけです。
常識的に考えれば、ひとつだけの打法を、
きちんと稽古で、練ってゆく方がいいと思われがちです。
しかし、ここでの目的は、打剣の結果
(つまり狙ったところに刺さる刺さらない)を、上達させるのが
目的ではなく、左手に、わざと、複雑な操作を強いることで、
「左手の神経をもっと発達させよう」とするわけです。
一ヶ月もすると、一種類の打法だけでやっていますと、
そろそろ、剣も勢いが出てきて、良好な刺さりが出てくるので、
そのうちに、手の内の操作が雑になってきて、
自分の手に少しずつついてきた「力」に過剰に頼り始めるということに、
なりやすいようです。
そして力に頼り始めると、剣の保持や腕の振りが、
知らずのうちに、雑になりやすいのです。
私にもそれが起きたために、最近2日ほどだけ、左手が、
スランプになりました。
左手の打剣のタイミングが取れてくるようになると、
「あとは力さえ、つけばいいんだ」とばかりに、
打剣練習を繰り返してしまうと、
雑になった手の内の操作によって、変な「癖」がつきます。
そうなると、練習した分だけ、変な癖がついて下手になる、という
「最悪の、無駄打ち稽古」になってしまいます。
●そこで、私が考えたのは、
いまだ、幼児の手のように、おぼつかない左手に、
右手なみの複雑な打法を叩き込もうとすることです。
ここで問題なのは、叩き込めるかどうかではなく、
叩き込もうとすることで、
力に頼って、油断をして、だらけてきやすい、この左手に、
「新しい課題を背負わせること」なのです。
それを背負わせることで、左手の神経は発達を加速しますから。
●通常の伝統的な手裏剣術では、考えられないことが
無冥流では行われています。
それは、現在では、
約10種類以上もの、異なる打法を私の右手が覚えていて、
使い分けているということです。
これを今後は、下手以外のものから、左手に訓練してゆくわけです。
それら10種類の異なる打法というのは、
微妙な差であるとか、ちょっと違うだけである、
というのではなく、かなりのものが、打法の操作の根本からして
異なるものなのです。
●「中級手裏剣術」の本に出てくるのは、細かくわけても、
6〜8打法ですが、今では、使い分けている打法は、
10種類を超えるまでに及んでいます。
_________________________________
1/直進2点打法
2/直進打法
3/直進第二打法
4/握り打法
5/押さえ打法
6/無滑走二点打法
7/滑走打法
8/スナップ打法
9/側面打法
10/跳ね上げ打法
11/アンダースローの反転打法
12/八角流の打法
13/ナイフを使った直打法
14/同時2本打ち、3本打ち、
_______________________________
これらすべてが、ごく一部は、微妙な違い、というものもありますが、
その「大半」は、「まったく違う、かなり違う原理の打法」
だと思った方がいいです。
●この無理難題の課題を、わざと、今の未熟な左手に背負わせることで、
左手が「ついてきた力にばかり頼って、腕をぶん回そうとする」
という方向へと、だらけてこないように、するわけです。
語学でも、子供のうちには、「同時に数カ国語」を、学習することが
可能なように、まだ幼児である、私の左手にも、
同時に、数種類の打法を叩き込んでゆくわけです。
●とともに、足の移動パターンによって、突進する体の重心の動きを
剣に乗せることも平行して行うわけです。
これらを、左手の打剣の「2ケ月目」の、私の課題にしています。
今は、これから1ヶ月は、とにかくこの訓練方法を続けて見ます。
________________________________
>●さて、ここで、無冥流独特の理論を再度、説明します。
利き手でも、利き手でない手でも、手裏剣術の
「最初の稽古の距離」をどう取るかという事には、
各流派によって、多少の違いはありますが、
たいていの場合においては、
最初は1間、そこから半間(約90cm)ごとに距離を増やしていきます。
私の知るかぎりでは、現存する、ほとんどの流派がそうしています。
その距離にする理由のひとつとしては、
初心者に「まず刺さる感覚を、楽しませよう」
というものがあります。むろん、他の理由もあります。
●しかし、私はこのやり方に、かなりの疑問を持っていました。
その最大の理由は、「中級手裏剣術」の本にも書きましたように、
打剣を可能な限り早い月日で習得するには、
何が一番大切なことかと言えば、
「ミスがどこにあるか」「良い打剣はどういう飛行だったか」を知ることです。
そのためには、投げた剣の軌道、姿勢、勢いなどが、自分の目で見て、
よく分かる距離を取らねばなりません。
そのような意味では、特に「力のある利き手」では、
2間程度の至近距離から始めてしまうと、
刺さるにしても、刺さらないにしても、
剣の速度が速すぎて、目視で自分の剣が、
どうなっているのかを見ることが出来ません。
これでは、
「刺さったか刺さらなかったかという的上の結果」だけからしか
自分の打剣のよしあしを、判断する手立てがありません。
かといって、わざとゆっくりと弱く打ったのでは稽古になりません。
そこで剣の一部に色をつけたりもするのですが、
それが打剣に支障をきたすようなタイプの剣もあります。
(特に短い剣の場合は)
●しかし、これが、思いっきり打っても、
自分の剣の飛行が見えるような距離であると、
打った瞬間に、手の感覚ではなくて、「目」で剣を追うことで、
打法の誤りに気がつきます。
このためにも、剣は軽量剣を使わず、
80グラム以上の重量のある剣の方がいいのです。
そうすると、必然的に、剣の速度も、落ちてくれるからです。
●これをするためには、もしも、
通常の「男性の利き手での打剣」であれば、
稽古の、一番最初の距離は、どんなに最低でも、
2間半〜3間ほどから開始するべきです。
私は左手の打剣は、最初は、ひょろひょろの飛跡でしたので、
2間から開始しましたが、今では2間ですと、
現在の100gの重量の剣でも、
速いときには、目視では、追いづらくなってきたので、
2ヶ月目からは、稽古の距離を2間半にしました。
こうすると、ふたつの利点があります。
ひとつは、目視で剣が見えるので、すぐに間違いを修正できること。
もうひとつは、2間半という距離は、
まだ利き手でない左手の未熟な神経にとっては、
かなり「無理のある距離」なのですが、
それでも、その距離を、なんとかして届かせようとすることで
身体や筋肉の使い方を速く進歩させられること。
●無冥流では、刺さらなくとも当てる、とか、または
近距離での命中精度を練る稽古は、少し、後回しになっています。
それは手裏剣術に対する、考え方や「目的」の違いからくるものです。
実戦を想定する流派は、近距離でも、必殺性を要求されますから、
確実に、1間、あるいは2間の距離から、
7寸的に、7割あるいは9割以上を当てるか、または刺すという事を、
訓練課題の大原則として、
それが出来てくるにつれて、そこから距離を伸ばしてゆきます。
しかし、無冥流では、狙ったところに当てることではなく、
「刺すこと」を第一に考えます。
その理由は、やはり、実戦性よりも、
「剣の飛行についての学習と研究」というものを、その根底に
おいているからです。
この方法は、実戦的な意味は、薄くなりますが、
「研究という目的」において、非常に、重要なことになります。
あまりにも性急ではないかと思えるほどのペースで、
過酷にどんどんと、半間づつ、的までの距離が伸ばされてゆくことで、
それに対応できる手の内や、腕の振りを、速く覚えなくてはならなく
なります。
だから、まず「刺す」ことを優先します。コントロールもむろん
課題に含まれます。が「威力」は、そのあとの課題となります。
とはいえ、打剣距離が、ハイペースで伸ばされてゆくことで、
結果として、2間などの近距離に、戻したときには、
威力も精度も、前よりも、ぐっとアップしているという、
「結果」には、なりますが。
●そういうわけですから、他の流派とは考え方が違う部分はここで、
打剣を上達させるためには、その手で「打った剣の飛行状態」を
「目視で認識できるだけの充分な距離を取る」、ということです。
当然、こうした距離を取る稽古をすると、
自分の打剣した剣は、比較的ゆっくりとしたものに、目には見えます。
目では剣が見えなくとも、
短い距離で、スバン、ズバンと、刺さるようになってくるほうが、
稽古をしている人の感覚の「快感」にとっては、
「気持ち」はいいでしょうが、
その距離での稽古だけに専念しすぎますと、
そのあとに、いきなり、「飛距離の壁」にぶつかることになります。
つまり、そこから長期的に、いつまでも、3間半以上には、
剣がほとんど刺さらなくなるなどの弊害が出ます。
これは、なぜそうなるかといいますと、
2間半程度の近距離でフルパワーで打つことを、あまり長く続けすぎると、
その打ち方は、あくまでも、その至近距離でのみ有効なものだからです。
特に、剣の打ち出される傾きの姿勢に、一定の「癖」がついてしまい、
その傾きを、自在に補正したりコントロールすることが出来ない人を
以前に、軽量剣流派の生徒さんに、よく見かけました。
またそのタイプの人の剣は、2間半程度では、いかにも速いように見えるのですが、
それが3間、4間、となると、剣の姿勢も不安定で、威力も、
極端にダウンしているのでした。
(これは、どんな軽い重さ、あるい重い重さの剣を使ってもそうですが、
たったの半間、距離が増えただけで、
あきらかに、見た目の速度も、ガクンと落ちるものなのです)
ですから、近距離での打ち方は、そのままでは、
特に、4間、5間となったときには、
使っている「剣の種類」や打法によっては、
なんとかして、滑走率を変えたり、手離れを早めにしたり、
打ち出しの角度を変えたぐらいでは、全く通用しなくなってくるのです。
●しかし、ここにこそ、
手裏剣術というものの、「奥の深さと面白み」があります。
力がついてきたら、どんな距離でもその投げ方で、あとは力で押し通せる、
という「ボール投げ」のようなわけには行かず、
ある距離を境に、全く刺さらないということになるわけです。
これを打破するために、結局は、剣の性能改良を考察することと、
打法や身体の使い方に、
それまでとは、別の要素をまぜないとならないのです。
特に無冥流では、実に、いろいろなタイプの剣を、いろいろな打法で、
打ってみた経験から、
その最初の難題となる「壁」を4間以上から、と考えています。
その次の、大きな距離の壁は、約7間以上からとなります。
なお、この距離の壁の基準になる間合い、使用する剣が、
どんなに最低でも「約70グラム以上のものを想定して」の事です。
それ以下の重量の軽量剣は、
(太さや長さや、先端の鋭利さによる、個体差はあるものの)、
強引に、ぶん投げれば、距離は伸ばせます。
ただし、軽量剣は必ず、あるところからは、失速をしてしまいやすく、
到達しても、やわらかい畳や木に、なんとか刺さっている程度という
弱い力になります。(つまり実戦的には、ほとんど無力ということです)
______________________________
>自分が、唯一の「モルモット」。
●ところで、目下のところの、私個人の思案のしどころがあります。
それは、利き手でない手は、満足できるまでの状態になるまでに、
一体どれぐらいの時間を要するかというテストです。
聞いたところによれば、利き手でない手は、
仮に一日に、5時間以上の稽古を、一年、ほとんど休みなく行ったとして、
威力的なメドが立つまでに、1年、
そこから、さらに命中精度を上げて、距離4間以上を完成するには、
そこからさらに2年以上の歳月がかかるといわれています。
そこで私の最大の関心というのは、
その歳月は、果たして、腕力その他の身体の筋力強化の鍛錬を
含んだ総合的なものであるのか、
それとも、神経開発に要した歳月であるか、というこの一点です。
筋力トレーニングと、打剣を併用して行ってしまうと、
その歳月が、何に要されたものであるかが分からなくなります。
もしも自分だけの技能向上を目指すというのであれば、
私は、筋力強化と打剣の両方を行います。なるべく早く上達したいからです。
が、後世にまで続く、未来に手裏剣を実践する人たちの事を思うと、
既に、誰かが行って成果をあげた稽古方法ではなく、
間違いであったとしても、あえて、違う稽古方法を行うことによって、
その稽古時間が、筋力に必要な歳月であるのか、
神経開発に必要とする歳月なのかを、
私の生きている間に、明確にしたいわけです。
もしも一切の筋力トレーニングをしないで3年の歳月をかけて
左手の打剣が、満足の行くものに完成すれば、
それは、左に不足しているのは、筋力ではないということになります。
むろん、たとえば、バッターとして、
「片手でバットを振って」、ボールを打つとしたら、
右手が10に対して、左手ではおそらくは、6以下でしょう。
また握力も、左の方が右よりも劣っているはずです。
しかし、単に物を押す動作をしたら、
または、手にもった手裏剣を的に突きたてる動作をしたら、
この比率は10:8ぐらいになるかもしれません。
つまり、潜在的筋力を引き出す、投擲神経の開発必要な歳月であると
仮定をするならば、その部分だけの開発体系を、
部品のパーツとして構築することが出来るわけです。
もしもここに、筋力トレーニングを入れると、何によって
左手の打剣がスムースになったのかが、分かりにくくなります。
古来の方法を受け継ぐ人たちは、連綿と受け継がれた稽古方法の
正しさを、己の身を投じて証明しているわけですが、
私は、結果として、その古来の方法が優れているということに
なるにしても、それを「別の角度から」証明する必要があるのである。
つまり、もしも、この私の方法が、明確に間違った方法であるならば、
それが間違いであると言い切れる結果を出すことによって、
改めて、古来の方法の正しさも、証明できるわけです。
ひとつの流派に属してはいない私であるからこそ、
自分個人の上達速度を早くする、という私利を犠牲にしても、
それよりも重要なデータを取るために、
自分自身を長期的にモルモットに出来るという利点と自由があります。
だから、「完全なる行き詰まり」にいたるまでは、
あえて、左手には、筋力トレーニングなどを施さずに、
投擲神経の開発のみで、
左手は、「一日、何時間、何本の稽古で、
何年で、どこまで、いけるか?」というのを、
試してみるつもりです。
●私は決して、打剣が上手かったのではありませんし、
手裏剣術の才能があったのでもありません。
事実、私は、長くアパート暮らしという、稽古環境の悪さも手伝って、
何年も、全く距離を伸ばせない時期もありました。
また、最初のころには、原理を何も分からずに、
ただただ、剣を打っていたのでした。
●しかし、おそらく私は、国内、あるいは世界中で、
上達の結果と比較したときに、
「もっとも稽古時間の少なかった人間」である事だけは、自負できます。
いろいろな人から話を聞いたのですが、
私はどうも、時間的には、最も稽古をしない人間のようです。
そして、私にとっての、最大の関心は、この稽古時間の短縮です。
なぜならば、これは武術訓練ではなく、「研究」だからです。
何でもそうですが、その体系の論理的是非が試されるのは、
第三者に対する、「再現性」があるかどうかです。
●私は朝から晩まで手裏剣を打っているのではなく、
むしろ、朝と晩だけに、少し、打っているだけです。
ただし、その中では、徹底して、自覚的に打剣し、
膨大なミスの山を、チェックをしながら
今までに構築した、打法論理を、確認しつつ、反芻しているだけです。
知らない間に、夢中で投げてしまったというような打剣がないように、
一本一本を、打つだけです。
私の右手というは、稽古時間の量によってではなく、
打剣論理について、来る日も来る日も悩み続けて、摸索し、
その「原理」を探ろうとすることによって、
おそらくは、世界中の、誰よりも短時間で、
手裏剣術を、学んできましたから。
_____________________________
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