▲
控えの間
-
全館目次
- 松の間
■
BBS
- 竹の間
■
BBS
- 梅の間
■
BBS
- 桜の間
■
BBS
■
松竹梅の間:ログ表示
松の間
竹の間
梅の間
桜の間
★ 番号指定:
1ページの表示件数:
件
☆ 検索語 :
検索表示 新着から
古い方から
タイトルだけ表示
タイトルと5行
全部
「性と死のホームページ」 http://www.mumyouan.com/
.
より詳しい使い方の説明(9月11日変更)
■松の間へようこそ■
掲示板
Title
手裏剣術講座 Shuriken throwing instructions
「手裏剣術」講座、その他の雑談の「間」です。
手裏剣術の画像・動画が、
他に類を見ないほど多く掲載されています。
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[843]
■
年末。そして、最近、個人的にホットな、雑話。
by:
崩残
2006/12/19(Tue)06:46:21
●商売をやっている方は、この時期、年末になると、注文が増える
というのはご存知のはずです。
慣れていない人だと、「どうしてこんな数量の在庫の必要もないはず
なのに、こんなに注文が来るのだろうと思う人もいるかもしれません。
言うまでもなくそれは、経費として乗せられるからです。
仕入れは年内の締めまでに済ませておけば、
その分が納税のときに必要経費として申告できるかですら。
だもので、この時期、やたらに注文数が多いのです。
そんなわけで、ラルフ氏用のナイフ作りも、ちょっと中断しています。
_____________________________________________________________
●さて、ところで、最近私は、
「重量剣流派」の近江さんのところに、一本のメールを出しました。
内容は、質問と意見の両方です。
それに関して、質問に対しての回答のないときには、
松の間掲示板で、質問を開示しますからと、言っておきました。
これを言っておいた理由というのは、質問そのものは非常に
私にとっては重要なことなのですが、
今までに観察してきた、近江さんご自身の性格からして、
いろいろな議論や、あるいは武術とはまったく関係のない日常的な雑話
の中でも、諸問題の要点部分で、
「だんまり」とか「勘違い系の、沈黙は金」という傾向がありました。
そこで、質問は、私にとっては比較的重要なものであったために、
ある意味で、回答を強制しておくために、回答なくば、
質問を開示しますよと、釘を刺しておきました。
個人メールで、私がこういう告知方法を取ったのは、
ネットをはじめて以来、今まで初めてのことです。
もっとも、その必要性があると判断して行ったわけですが。
しかし、「重量剣流派」のホームを見ると、
きちんとした「回答」がなされていましたので、
質問状の開示の必要性は、ここ「松の間」では、なくなりました。
回答はこのようなものでした。
↓
さて、回答は、以下です。
________________________________________________________________
崩残氏から多岐に渡った質問状を頂きましたが、
今の私は、そうした一つ一つに答えている時間的余裕は無いです。
三日以内に回答が無ければ、松の間で公開するそうですが、どうぞご自由に公開して下さい。
凡そ伝統武術として今日に残る流派の中で、
誰が何時の時代に、何をどうしてどうなっているものやら、
明確でないのが殆どですよ。
私はタイムマシンを持っていませんから崩残氏お得意のオカルトレーダーで検索することを推奨します。
私は、オカルト的発想がどうも苦手なものでして・・・・・・・・。
信じているのは、人生を誠実に生きること、
そして、人を裏切らないと言うことを実践するのみですから・・・・・。
私が頂いた質問状と異なるものが『松の間掲示板』に掲載されたときは、
私が頂いたものを原文のままここに載せます。
___________________________________________________________________
●かいつまんで言えば、「多岐」でもなんでもないものであり、
私からの質問とは、「超重量剣」のページに既に記載されている、
複数の項目に対して、
すべてほとんど「同一の、次のような質問」からなっています。
↓
>◆〓これは、「平野流か」、「後藤流か」、「別流派引用か」、「近江流か?」
>◆〓そして「出典名」の明記、および見聞の場合には「誰」から聞いた話であるか?
●この質問が、主要な複数の項目に対してなされているのであるが、
全く回答に困るような類のものではないのである。
しかも、私は、わざわざ質問を「選択」形式にして、
どれかに、「ただ丸をすればいいだけ」の、
とても親切な状態での質問をしてのですから。
以上が質問部分。
それに対する回答は、
↓
>時間的な余裕がない
とのことなので、それが理由なのであれば、その時間的な余裕を
「3ヶ月」としましょうかね。
しかしながら、どうやら、言わんとすることは、時間があってもなくても、
↓のようであった。
↓
>誰が何時の時代に、何をどうしてどうなっているものやら、
>明確でないのが殆どですよ。
●それにしては、看板が「戦国武術」であるとして、人名が出てきて、
一部明確に明記してあるものが多くあります。
その部分について、分かる範囲でよろしいので、
「出所を回答してほしい」と私は質問したわけです。
この質問をした理由は、私が質問の最初に明記した
次のような一文に記されています。
↓
>◆貴ページの、あまりにも雑然とした内容に、
>一読者としては、次の点を質問したく思いました。
>◆貴ページ中の、後藤氏によれば、その他明記がある部分は問題なしとしても、
>「不明記」の部分について質問いたします。
>なお「〜〜ではなかろうか・・」「に違いないと思う」などの、
>「推測であることを断っている」、非断定口調の部分は対象外である。
>各項目の「断定口調」についての私からの質問は、
>すべてに同じ質問である。
●つまり、これは私が最初に「超重量剣」のページを見たときに
感じたことなのであるが、
だれがどうしてどうなったという歴史的な記述の合間に、
私見、個人的経験からの見解、果ては銃の話、ボクシングの例、その他、
幼いころの経験や、習ったこと、そして手裏剣術、居合い術、分銅術、
これらが、散乱した状態で記されている。
しかし、これは一体、何流なのか?という疑問が一読者にあったのである。
平野流?というにしては、後藤氏の教えらしきものが混在し、
後藤流?とするには、どうも、違うらしきものが混合されている。
何流であろうが関係ない、そもそもそんなものは不明確だ、と、
もしも言うのであれば、
そもそも、何流とか記する必用もないわけである。
しかし、そこに複数の流派または伝承者の名前が記されているかぎりは、
私からすれば、まずは、ひとつの「区分け」が、
読む側にとっては必要であろうと思ったわけである。
しかし、それが読む側の事の配慮ということを無視して「別」にしても、
ひとつの疑問を感じたために、
私は、質問に付け加えて、後半部では「意見」を書いておいた。
簡潔に言えば、その内容とは、以下の通りである。
↓
>私見では、死者や「古人の、心の中の本意」を配慮するのであれば、
>「近江流」を、名乗るべきだ、という一点である。
________________________________________________________________
●と、「部外者の皆さん」から見れば、なにやら、面白い展開ですね。
いずれにしても、意見というのは時に、こうして対立するものです。
人の世の常です。
なにしろ、こうしたことは、今に始ったことではなく、
今までにも、防犯とか護身とかへの考え方の根本的なズレ、
実戦性とか、武道がとか、人間性とか、死生観においても、
「ほとんどの部分」で、私は、近江さんとは、この一年以上、
意見が、「全く合いません」でしたから。
ただし、こと「剣」という、同一の分野においては、
双方で、言葉を交わす縁が、これまでに、あったということです。
近江氏は私から学ぶことは「何もなかったはず」ですが、
私の方は、(平野流ということではなく、)重量剣に関する、
いくつかの重要な「利点」を吸収し、学びました。
●そこで、一時でも、世話になった人には、
それなりの「お礼」を返しておくのが、私の主義ですから、
今回の質問状というのは、この約1年半の私から近江氏への
お礼をこめた「意見」メールでした。
それを、表面的にだけ見て「批判」と受け止めるか、
足を止めて「考える機会」と考えるか、
どう受け取るか、それはあとは「本人次第」です。
たとえ、今、私の言っている真意が、今は、全く分からなくとも、
それは3年と経つうちに、
「実生活の実体験」として理解されるはずですから。
なにしろ、画数の分かる人ならば、分かると思いますが、
「近江流」というのは、今の名称よりも、遥かに字画数としても、
良いですから。
こういうものを馬鹿にしてはいけませんよ。
中国の武将たちや、日本の武士も、さんざんに方位学や風水を
その戦術の中に取り入れてきたのですから。
そもそも、戦争において必要があったから生まれたのが鬼門理論です。
ということで、現在の「超重量剣」のページは、
看板の表札が、ごちゃごちゃして、しかも「字画数」も、言霊としての「音」も、
非常に悪いので、
「近江流」とされると良い、というのが私のアドバイスの要点のひとつである。
その他、本人が誠実であるかどうか、
そんなものは、本人は自分をどう思うかという問題であり、
一方、他者からは、「そう思わない人もいて、そう思う人もいる」、
というだけの話である。
そして「あなたの言う誠実とは、いかがなものかな?」、
「私には、あなたの言う誠実というのは、ご自身にも無理があって、
どこか解せないですね」、と、私見を言ったまでのことです。
むろん、それに対する御「返答」は、戴きましたので。
______________________________________________________
〓雑記〓
それが、どういうものであれ、本人が掲げる、「座右の銘」とは、
「本人の歪みと、過去の痛み」が、
実に、よく現れていると思う次第である。
たとえば、裏切られた痛み、または裏切った痛み、または
他者の中に見た、それらの痛み。
だが、人間の中にあるコンプレックスや痛みというものは、
何かで上塗りをしたり、または出来ない事を出来るように克服することでなくなるものではないのですよ。
そもそも、最初から、劣等感などという、くだらないものは、
「全く意味のないものである」という確たる経験的な認識に及ばねば、
それが永久に消えることはないのである。
そうなれば、対人関係において、常に、平素はいいが、
何か起きれば、すぐに自閉し、びくびくとしなければならない。
コンプレックスというもの、いかなる人生の「バネ」にもなり得ない。
ただの人間の「故障」であるに過ぎない。
それは、パニック傷害の相談や、多くの問題をかかえる子供の相談を
本人や親御さんから受けてきた、現場にいた私の実感である。
そうしたことは、これまでも竹の間に、「現場の現実の話」として、
重々語ってきたことです。
人間は、他人に向かって正直である以前に、
まずは、自分の本心に正直であるのが一番である。
もっとも、その自分の本心それ自体が、見えない人が多いのですけど・・・・
●
私は悪意のある皮肉を言うほど、曲がった人間ではありませんので、
剣を愛する私としては、これは、心から応援しています。
↓
「強力な貫通力」のある剣の実現、どうぞ、頑張ってください。
それと、あなたの剣を「汚した」つもりはありません。
鍛冶屋が打ちなおすのは、私が依頼した「レプリカ」ですから。
そしてまた、「剣がどう投げて欲しいか」それは、
「私」と戴いた「あの剣」との「一対一の関係」であって、
あなたに言われる筋合いのことではありません。
私は貴方に送った何本かの剣でも、
それを、どう投げて欲しいなどと他人に注文などつけていませんから。
まー、いずれにしても、平野甚右衛門も、
別に、そんなことを私に言わないでしょうね。
彼は、
「なんでもいいから、好きに投げろ」で終わりです。
甚右衛門とは、そういう奴ですから。
◆
______________________________________________________
■もうひとつ、「雑談」をしましょう。
ここに、あるボクサーがいたとします。
そのボクサーは、今までの試合で、相手に「主導権」を握られて、
それで大切な試合で、敗退した、苦い記憶があったとします。
松の間で前に書きました「リズム」の違いなどによるものです。
対戦スポーツでは、誰にとっても、
「やりにくい相手」というのは、必ずいるものです。
そして、その結果、
ほとんど「手も足も出せないままで」本当にも惨めな負け方をしたとしましょう。
さて、そんな敗退の仕方をしたボクサーというのは、
「相手に主導権」を取られるということが、
試合中だけではなく、心の「トラウマ」になります。
すると、そうしたことは、「平素の生活の中」での対人関係においても、
表面的には、「謙虚に振舞いつつも」、
一度、主導権といったものが揺らぐと、
そのときの試合での敗北の嫌な記憶が、「パニック」を起こすわけです。
その結果、症状の悪化の傾向として起きることは、
「せこいプレイ」です。小銭拾い。本質を見失った「小さな勝ち」を
あさましく、あさり始めることです。
●こうした問題にぶち当たったときに、
それを克服する方法というのは、
実は、全く「逆説的」な方法なのです。それは、すなわち、
「相手に主導権を取られたくなかったら、
相手に、主導権を取らせろ。」
これが私が過去生で教わった「兵法」です。
●
本当の戦の「本質」というものは、流血戦なのではありません。
そこで流れるのは、人の心の血です。
良くも悪くも、心の血です。
出さねばならない心の血もあれば、
流してはならない心の血もあります。
それが、プロアマ問わず、何の試合であっても、
また、家族関係や、夫婦関係や、対人関係や、恋愛関係であっても。
本当の実戦の「本質部分」というのは、
見た目の流血の事ではなくて、
「心の流し合い」であるということです。
その、相手と自分の双方の、
心の血の流れ方を見極めて読み取った者が、
結果として、勝っても負けても、
戦から「学ぶ」ことが出来る資質の持ち主です。
___________________________________________________
●さて、亀田選手、
明日は、主導権をどう取るか見ものです。
もしも、相手に主導権を取られまいと「し過ぎれば」、彼は負けます。
前試合の記憶を捨て去って、心を無心にして、
わざと相手に主導権を取らせれるぐらいにリラックスすれば、
勝てる算段はあります。
彼がただの「兵士」か、それとも「兵法」を知っているか、
結果を、明日は、見物させていただきましょう。
●
_________________________________________________________
>12/20 6:45 更新
リンクをしておいた、近江氏のページではいくつかの部分が訂正
されているようです。
ちなみに、PCについては、私は大したアドバイスなどしておりません。
ただ、ファイル名のつけ方に注意をしただけです。
またセキュリティーに関しては、だいぶ以前に、PCがウィルスに感染しにくくなる
方法や、クラッシュしないための方法があるようですよ、ということを申し上げたのですが、
マイクロソフトの更新データを次から次へとインストールしてしまうという比較的
危険なことをされているようです。
海外製で、優秀なスパイウエアの検出ソフトがあるのでそうしたものを
知人に尋ねられて、使うべきでしょう。
そうしないと、お弟子さんの個人情報まで全部外部に垂れ流しになる恐れがあります。
私はpcに詳しくはないので、知人に尋ねたところ、
特に危険なのは、pcそれ自体へのダメージはないのですが、
情報が他者に見られるという意味では、
ブラウザ・ハイジャッカーというスパイウエアらしいです。
私やここの管理人は、
私にメールをくれる人達に、決して迷惑がかからないように、
pcには可能なかぎりのプロテクトをしております。
●「剣が泣いているから、汚すな」についても、削除されていましたが、
そもそも、「この世で最も泣く剣」というのは、
>「全く何の試打にも使われもしないで、飾られている剣」である。
(使われすぎて、疲れてしまった「老兵剣」は別としてですが・・・)
●さて、私は最初に近江氏に、平野流の剣を頂戴したときに、
「これは、一体、どう投げるのか?」と質問したとき、
そのときの近江氏からの返答は、「意訳」すれば、
「これに、残されたのは僅かな資料だけで、この剣をどう打つかが
全てである」といった言葉をメールで戴いた。
とすれば、その剣に固有の打法は、限定はされておらず、
また、平野氏が「ゆったりと投げろ」と言ったとか言わないとか言う
以外には、「こうしろ」といった打法の明記も原本にはなかった、と解釈される。
ならば、その剣の撃ち方と「向き合うのは個人の問題」である。
近江氏の、私に対する「剣を汚すな発言」について
この世に存在する、いかなる流派のどのような人であっても、
「弟子でもない他人」に対して、
自分からの「贈呈品に」ついて、
その撃ち方や、2本撃ちをしてはならんとか、
ワンモーションや、逆重力投法で投げるなとか、
「糸巻きの禁止」までを強要する者などは、通常、どこにもいやしない。
>一体、全体「何をもってして」私に向かって、「平野流の剣を汚さないでくれ」
などと暴言を吐いているのか、全く「意味不明」でした。
むろん、貴方のお弟子さんに対しては、
「それは、駄目だ、教えたことではないから、いかん」というのは
当然でしょうし、勝手ですが、私はあなたの「お弟子さんではありません」。
>一体私が「あの剣の何を汚したというのか?」、
>明確に答えて戴きたいものである。
●また剣の貫通力の実験方法については、
「重量を少し落とす方がやりやすい」ということは、あくまでも、
「私の剣の設計方針によれば」の話であると、きっちりと明記してあります。
また、兜を相手にした実験の際の「4種類の可能性」についても、
なんら非論理的なところはありません。
むしろ、後世に「正しい記録」を残すためには、
「ひとつの参考にされると良いでしょう」という事です。
>まー、既に、ご発言を「削除」をされたようなので、
>直接のメールでは、不問としますが。
さて、本題に戻りますが・・・
ちなみに、少なくとも、私が近江氏から戴いた一本の「剣は」、
私には、こう言っています。
「あんさん、えらい、変わった撃ち方するお人やなー。
おもろいなー。気に入った。(関西弁バージョンに勝手にしました)」
●次に、私にとって、投剣術とは、この上もない道楽であるので、
まさに、私は心から楽しんで「遊んでいるのは確か」である。
それは、私のこの長年のページからも、充分に読者に伝わっているはず。
「目的は各自で違えど、たかが剣を直打で刺すことに、大の大人が夢中になる。
これほど面白い道楽はない!」というのが私の「心情部分」である。
●まだ近江氏は、肝心の発端である「私の質問状」を開示しないようであるが、
最後に言っておけば、私が「質問と意見」の中で、言っている「要点部分」とは、
皆さんが、それをきちんと目に出来れば、一目瞭然であろうが、
私は、
>近江氏は、「平野流」を名乗るなと言っているのではなく、。
>近江氏は、「近江流」を名乗る権利と資格がある、と私は言っているのである。
そこには、
>「いにしえの時代の、平野氏自身の想い」あるいは、
>「通常の人間ならば、当たり前に想うであろう事」を、
私が察したところからの、「別の理由」もあるが、
いずれにせよ、名の知れた流派とは違い、平野流や後藤流に、
派閥があるわけでもない。
従って、
>それだけ、あなたが独自に、これはどう打つのか?
>という事に関して、そこまで打法を1人で探求したものなのであれば、
>堂々と「近江流」と名乗るのがいい、と言っているのである。
では、少しだけですが、私の別のメールの原文からここに引用しておきましょう。
ただし、これは「あまりにも部分的すぎる」ものですが。
↓
>近江流とすること、それによって、起きる悪いことは「何ひとつない」。
>そして、そのことで誰1人、あなたを悪く言う者は存在しない。
>なにしろ、他に平野流や後藤流があるわけではないのだから。派閥もない。
>だから「近江流」とする権利も資格も、「あなた」の意志ひとつにあるのですよ。
>そのことによって、これまでしてきたこと、
>これからすることの、全責任を「あなたの名において」引き受けることです。
>そのほうが、来年からのあなたにとって、新しい出発となってよろしい。
>なにしろ、すべてが、すっきりしている。単純でよろしい。
>「近江流」
________________________________
また、原文メールの中では、
↓
・・・前半省略・・・
>よって、看板を、
>【近江流古武術】とするか、
>または、【近江流 戦国馬上投剣術・分銅鎖術】とし、
>「副題」には、
>本流儀は「平野傳投剣術・後藤流古武術・日下流」などを元にしております。
>とすべきである。
・・・以下省略・・・
●
「別の理由」というのは、かいつまんで言えば、次のようなことである。
何事の道や、継承においてもそうであるが、
「宗家」というのは、後世にそれが「宗家自身の技量よりも進化した場合」には、
宗家自身が、「自分の名を語ってほしくはない」という、
人間として当然の「心情」がそこにあるものである。
>自分が編み出したものでもないものを、自分の名で語られるほど、
>先代にとって、「不本意なこと」はない。
彼らは言うだろう。
>「その栄誉は、私の名にではなく、【君】に与えられるべきものである」と。
■
■また、諸問題の根源に関する、「簡単なカルテと対処法」も、
既に私信でメールしましたので、
私からの近江氏に対する「役目」は、ここまでです。
私は誰であれ、相手と死に別れたときに、
「あれを伝え忘れてしまった、」などと、
決して後悔をしないように、毎日常にしておく主義ですから。
●
____________________________________________________________
★
.
<<-- これ以前の投稿 10件
(843 番)
これ以後の投稿 10件 -->>
松の間 の最新投稿
全館目次
C mumyouan 当サイトのコンテンツの無断転載は著作権法により禁じられております。
- BlackVoid BBS CGI 2006.08.30 -