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手裏剣術講座 Shuriken throwing instructions
「手裏剣術」講座、その他の雑談の「間」です。
手裏剣術の画像・動画が、
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[878]
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●「手裏剣」考、または「新・手裏剣論」
by:
崩残
2007/02/26(Mon)02:18:17
>2/26-11:43 最後の「左手打剣の効能」を追加しました。
●八角流では、「手裏剣」と書かずに、「手裡剣」と書くということは、
少し調べたことのある人であれば、知っていると思います。
この理由について私は半田師範に、今度、尋ねてみようと思っています。
しかし私の推測では、「裡」という字が中国で持っていた意味、
そして、それが明確に「裏」とは違う意味を持つが故に、
単に、古字として使ったのではなくて、
そこには、半田師範らしい、哲学的な深遠な意味があると思っています。
「裏」とか「表」というのは、私の専門分野であるところから言いますと、
表裏というのは、同じコインの裏と表のように、同一素材で出来ているものを
ただひっくり返しただけ、という意味でしか、裏とか表が意味を持ちません。
たとえば、それは、傲慢と卑下慢が、同じ穴りむじなであるようにです。
傲慢は自分の「力や知識」自慢をし、
卑下慢とは「謙虚や誠実さ」を自慢すること。
どちらも、同じく、「あさましい自己主張」であるということです。
エゴというものが、愛憎や、善悪判断のように、
形を変えては、時にはひっくり返るだけの現象、
今頃になって「自然保護」を叫ぶ人間たちの本音とは、
結局のところ「人間保護のための自然保護」に過ぎないというへの無自覚さ。
このどちらの面も、結局は、同じく、変わらないという不毛さ。
これを現すのが、裏という字、あるいは「表裏」です。
メビウスの環のように、どっちに転んでも、ぐるぐると
同じ面の上を歩いているだけであるということです。
●しかし、漢字の「意味」するところは「うら」でも、
「裡」の字は、裏ではなくて「内」です。
日本語では「内なる精神」とは言いますが「裏なる精神」とは言いません。
裏という言葉をそこで使うと「裏表のある人間」という意味になってしまいます。
「裡」とは、ちょうど「天体や人体」のそれのように、
「平面的な事象の裏表」ではなくて、
立体の中における「内なる」という意味です。
半田師範は、「内なる剣」「内なる意識の放つ剣」という深い意味をこめて、
「手裡剣術」という字に、自らの哲学をこめたのかもしれないと
私は推測しています。
ただ、本当のところは、今度、機会があるときに、ご本人に尋ねてみますが。
●一方で、私も「裏」という字が一般的であるために、
今日まで使用してきましたが、
私は自分で「飛剣」という言葉を著書の中で使っています。
打剣という造語が嫌いであり、私はそれを「貧語」とみなしているからです。
台湾の方のサイトを見ると「飛刀術」というような言い回しになっていますね。
私の感覚と哲学と宗教性に最も合一する漢字は、まさに、
>手裏剣の別記法でもある「手離剣」ですので、
今後は、もしも生きている間に、まだ続く著作を書くことがあれば、
「手離剣術」としたいと思います。
そこに私がこめる、私流の意味とは、
「人の、あれこれの計らいや、殺気や邪心の心を 離れて 飛ぶ剣」
「人の心の手を 離れた剣」という意味です。
自我という主人を離れた剣という意味では、
「主離剣」というのも、いいかもしれません。
**********************************************************
●さて、一部の外国の人というのは、すごい誤解をしていて、
中には、手裏剣というのは、「隠し武器だけを意味する」と
強烈に思い込んでいる「狂信的手裏剣信者さん」がいるのを見かけます。
私達日本人からしたら、笑ってしまうような誤解なのですが、
こうしたことの原因には、冷静にみると、2つの理由が考えられます。
ひとつは、日本の手裏剣の文献の「誤訳」によるもの、
あるいは「訳し漏れ」によるものです。
ごく一部の流派の除いては、手裏剣を小型の剣が本流である、
または、本質であるなどと思っている流派は日本にすら存在していません。
それが、なぜか、知ったかぶりをするアホウな外人さんが、
力説して「手裏剣とは16cmぐらいのものだ」とか言うのを
何度か見たことがあります。
こうした恐ろしいまでの誤解を生んだ原因のひとつが、
冒頭に述べた、「手裏剣」の「裏」という字を、
手の裏に隠すと「単純に」訳したことです。
日本において、そのような意味で使われる事も確かにありますが、
>それは手裏剣術全体の「ごくごく一部の側面」であるに過ぎません。
そのあたりの「隠し武器」ということを無意味に強調しすぎた本を
翻訳してしまったか、あるいは「翻訳漏れ」でしょうね。
日本のウィキペディアにさえ、「手離剣」という文字があり、
また、そもそも、その歴史の始まりには、大きな刀などを投げたとも推測されているのですから。
しかも、うちにある「藤田西湖」著の本をめくってみても、
失伝したとされる流派の剣には、7寸以上の長さの剣もざらにあるわけです。
●手裏剣は、手の中に隠して使うものだ、というのは、
手裏剣術全体の、ほんのわずか数割の要素でしかないものが、
それを力説しすぎた日本人、または翻訳者によって、
海外で勝手な一人歩きをさせてしまったという、
大変に恥ずかしい状態であるわけです。
●では、手裏剣が、「一本の釘から始った」とする説、または古人の言葉ですが、
これには私は、かなり疑問があります。
和釘そのものは、飛鳥時代などから、寺院の建築には使われていたようですが、
民間で鋳造によって製造されて大量に普及したのは、幕府が奨励して
作らせた、江戸の中期以後??かもしれません。
もっとも、専門的な鍛冶職人は昔からいたわけですが、
そんな人たちがいたのですから、
それでしたら、わざわざ釘など投げる必要もなく、
また高価な和釘を「加工」する必要もなく、
最初から、釘ではなくて手裏剣を作らせたはずです。
●手裏剣は釘などではなくて、人間が自然に行うことから考えても、
そもそも「槍や剣、刀などの投擲から始った」というのが、
私に確信のある推測です。
それは釘といった、小さなものから生まれたのではなくて、
大きな剣にそのルーツをもっているはずだということです。
●もしも「本当に釘から発生した手裏剣術流派」があるとしたら、
それは江戸時代以後に出来た「新しい流派」に限定される、
ということになるのかもしれません。
●平野の剣は、上遠野流らの流れの中にあるとも
思えるものですが、明らかにそれは、「釘の系列」のシロモノではありません。
あれは、むしろ「槍」です。
最も有名な根岸流もそうです。
和釘自体が、江戸時代以前には「貴重品」だったはずなのに、
そもそも釘などから発生した手裏剣術など、あるのだろうか?
というのが私の疑問です。
すでに言ったように、
釘を利用する暇があったら、最初から刀鍛冶に手裏剣を打たせればいいのですから。
●一方の「針型」となると、これは戸隠流などにあるようです。
私も長野の戸隠の民族資料館(忍法資料館)で見たことがありますが、
確かに、細く、それは香取神道流や九鬼神流の剣によく似ていました。
戦国時代であれば、細身の手裏剣が単体で武器としての効果を持つわけは
ないのですから、
おそらくは、毒物が併用して使われたことでしょう。
●毒で、突然に思い出したのですが、
武田信玄関連の資料館には、長さ約3メートルの「吹き矢」が展示されているそうです。
3メートルものものがあるというのは、吹き矢が好きな私も初耳でしたが、
それは城の中にあったもののようです。
3メートルというのが、一本のものなのか、それとも接ぎがあるのか
現物を見ていないので分かりませんが、
竹でなくて木製なのであれば、精度のいい吹き矢の筒(内穴)を作るのは、
当時は、大変な労力だったかもしれません。
●だいぶ以前にも、武神館のとある師範の方や、武備舎の岩井氏にも
武術としての吹き矢の歴史について尋ねたことがあるのですが、
数は少ないものの、希に城の中から発見される骨董品の中に、
れっきとした武器として、城から外に向けて使われた、
狩猟で使うものぐらいに「長い吹き矢」があるそうです。
戸隠流のもので残っていたのは、短いものですが、
それは明らかに、竹筒に見せかけた「秘武器」の一種でした。
単に江戸の遊郭での遊戯の道具にあらず、
吹き矢が「武器として活躍した時代、または土地」というのもあったようです。
●ということで、毒の話をきっかけに脱線しましたが、
そもそも、手裏剣が、いつ始ったとも知れないその長い歴史の中では、
それが軽量小型である必要など、どこにもなく、
もしもそれが軽量小型である必要があるとしたら、
それは、相当に新しい時代に「創作された概念である」ということです。
戦国時代にも武器として、剣を投げるという行為があったわけですし、
しかも、「もっと原始的な時代からあった」とも言われていて、
それこそ、それは、「槍投げ」と似たような「自然発生的な術」ですから、
それこそ、もしかしたら、「千年以上前から」あったかもしれないものです。
その長い歴史の時の中で使われた剣には、
長短もあり、太細もあり、車剣や棒状のもの、
「もっと変形された奇妙なもの」と、
さまざまなものが、あったことでしょう。
●そういう、多彩で、長い歴史がありながらも、
失伝してしまった流派の多い手裏剣の世界で、
小型軽量剣の占めた割合や、それに武術的価値をおっかぶせた人々など
「ほんの一握りの一部の人たち」にすぎません。
にもかかわらず、「手裏剣」という言葉の「裏」だけが一人歩きしてしまい、
日本国内ではなく、海外で、とんだ偏見や誤解を生んでいるケースもある
ということは、なんとも、馬鹿げた話です。
●むろん、私はご存知のように「軽量小型剣」も多く試作してきましたし、
あらゆる剣に、それぞれの価値を認識しているので、
どこかの重量剣の盲目信者の師範のように、
他流の剣を単純に「弱い」と批判することはありません。
たとえば、昔の時代に毒物を塗ればそれらは使えた可能性はあるからです。
ただし、仮に「威力」という事を基準にすれば、
使い物にならない弱い剣はあきらかにあり、
しかし、一方で、威力が価値基準ではなくて、
競技性やスピードを重視するというのであれば、
軽量剣にはその部分における価値と利点があります。
>価値というのは「何を基準にするか」という前提なくしては語れません。
>それを、「あらゆる点で、最強である」などど口走り始めた時点で、
>その流派や個人は、無自覚のうちに、
>心の歪んだ「自滅の魔境」に踏み込んだことになります。
__________________________________________________________
●また、手裏剣術というものを剣術の動きとどうであるとか、
あるいは、それを「精妙な身体運動」の鍛錬と関係するとか言い出したのは、
甲野氏の影響を真に受けてしまった多くの人たちでしょう。
甲野氏が手裏剣というものを氏の独特の「身体理論」と
関連づけるずっと前から、その体系の中に手裏剣術を有していた流派もありますが、
そもそも、手裏剣術、投擲術とは、「精妙な身体運動」などではありません。
他人が言うから、「精妙なんだ」とすぐに「受け売り」をする人たちがいますが、
確かに、それは「難しい面」もありますが、
>難しいことと精妙であることは別問題です。デリケートと精妙も別問題です。
つまり、剣術に利することなど、本来何もないのにもかかわらず、
甲野氏、あるいは他人言ったから、という理由で、
自流の剣術の「レパートリー」に取り入れようとしている人もいるわけです。
ただし、「逆のこと」はあり得ます。
「剣術が手裏剣術の動作に影響する」、これはあり得ると私は推測しています。
ただし、だからといって、
「手裏剣術の上達を、剣術の状態のモニターとして使うこと」などは
決して出来ません。
つまり、手裏剣術の動作が剣術や体術に直接に影響したり利することは
私見では、決してありません。
これらは、甲野氏がそういったからという受け売りにすぎず、
自分で経験もしてみないことを、知ったかぶりをしているだけの人たちです。
手裏剣術が本当に剣術との接点を持っているのかどうか、
それは、やればやるほどに、「違うものである」という結論になるのが
正常な論理です。
ただし、関係ないものを、無理にひとつにするという「創作」は
人間には出来ます。
甲野氏は、氏の独自の理論全体の中に、「剣術」と「手裏剣術」が
「矛盾なく本人に中には歴然とある」、ということではあっても、
他者が、それを真似たり、受け売りしたところで、
やっている本人に明確な哲学がないのであれば、
しょせんは、なんとなく剣術とそれらしく組み合わせると「かっこいいから」
という「浅はかな、いいかげんな本音」が、その動機であると私は見なしています。
特に「剣術に利する」「合気道に利する」などという「関係」を語る者の多くがです。
●既に言ったように、剣術が母体にあって、
それが「手裏剣術の方法論に影響を及ぼすこと」はあっても、
その逆は、「ほとんど」あり得ません。
そういう意味では、
本当に手裏剣術を「単体で継承してきた流派」から学びたいなら、
私は、「根岸流へ行くと良い」と言うでしょうね。
前にも言いましたが、それは、独自の「工夫を重ねた歴史であった」
「実験的な流派であった」という点で、
私が最も親近感を持てる流派だからです。
ただし、根岸流は、もしかすると「家元の本家」では、
現在門弟をとっていない「かも」しれません。
もしもこの部分、違っていたら、現在お弟子さんを引き受けている
場所をメールでご教授ください。
もしもないのであれば、そこから枝分かれした分派に行くことです。
さもなければ、昔のような秘密主義ではなく、
世の中には、本も、ウェブサイトも、ビデオやdvdもある時代なのですから、
自分で独学で学び、独学で、すべてを
自分の心身で、ひとつひとつの物事を冷静に本当かどうかを確かめながら、
「草むら」や「獣道」を歩くことです。
>剣術と手裏剣術がセットになっているという、そのどうしようなもない
>「固定観念」を、捨て去ることです。
>そして剣術などと無理に関係させる必要はないのですから、
>「自分流」を作り出すことです。
>つまり、空手をやってきた人は、空手らしい動きの手裏剣を。
>中国拳法をしている人は、中国拳法を応用した手裏剣術を。
>そして、ボクシングをしてきた人は、ボクシングを応用した手裏剣術を。
>レスリングをやってきた人は、その動作を利用した手裏剣術を。
>野球をやってきた人は、野球の動きを応用した手裏剣術を。
>卓球やテニスをやってきた人は、それを応用した手裏剣術を。
>ナイフを投げてきた人は、それを応用した手裏剣術を。
>ダンスをしてきた人は、その動作を生かす手裏剣術を。
>さらには、音楽をやってきた人は、音楽構造を応用した手裏剣術を。
手裏剣術は、剣術の「グリコのおまけ」などではないのですから、
>自分が、今までの人生の中でやってきたことの上に、
>その自分の持っている大切な「財産」の上に、
>自分のスタイルを創ることです。
他人が敷いたレールの上ではなく。
なぜならば、投剣術の目的、すなわち手裏剣術の本質とは、
「物体を、標的に、投げて、刺すこと」
「これのみ」だからです。
そのために使われる手段と技術は、
剣術などという、ちっぽけな枠だけではなく、
「この世の中にある、何を応用したものであってもよい」。
>武術でなくとも、芸能でも、文学でも、気功だろうが、医学だろうが。
●もしも私がまだ生きている間に、
誰かに手離剣術を教えることがあったとしたら、
私は必ずこう言うでしょう。
「あなたがいままでの人生の中で得た知恵は何ですか?
それを使いましょう。
それを手裏剣で表現しましょう。
むろん、それは武術やスポーツでなくとも全くかまいません。」
と。
私の構築している手裏剣術とは、
>手裏剣術から、人が何かを学ぶのではなく、
>その人が、人生の中で今までに学んだことを、
>手離剣術に「表現」出来るような、打法や剣を、
>その人自身が「選択できるようなる」手伝いをすることです。
これが、幻の戦国時代ではなくて、
西暦2007年という「この時代」に存在している私の、
「新・手裏剣術論」です。
__________________________________________________________
●さて、話は戻りますが、
そもそも、本当の昔の戦闘的な時代には、人々は、手裏剣術など、
稽古などしていませんよ。
>だいいち、多くの人には、そんな「暇」は、ありません。
そんなものを稽古する暇があったら、より実用的な戦闘能力のある
槍や、弓や、剣や火縄銃の稽古に励んでいたはずです。
ちなみに、火縄銃は、天文12年(1543)種子島の領主が、
ポルトガル人から火縄銃を購入したとされていて、
それは戦国時代の後半のころです。
●従って、手裏剣が「剣術の修業に役立つから」とか、
「日本刀のサブキャラ」のアイテムなどとして位置させるという、
そんなのんびりとした理由で
手裏剣術をするようになった、「のんびりとした流派」があったとしたら、
そういう流派の大半は、泰平の世の、平和な時代に生まれた流派かもしれません。
そういう「こじつけ」あるいはこじつけでなくとも、
「剣術との関係の論理化や体系化」などは、
必死に戦っていた内乱の多かった時代には、あるはずもありません。
もしも、本当に手裏剣術が、
剣術その他の殺人技と「実用性」をもってして「共にあった流派」があり得るとしたら、
>たとえば、それは、その実態が忍びの集団であったという説もある
>柳生新陰流など、ごく限られた流派だけだったかもしれないと私は考えてます。
>あるいはそれ以外では、いわゆる御本家の「伊賀」「甲賀」「真田流」などです。
●それ以外の多くの流派というのは、
ずいぶんとあとで平和になった時代に、
「なんとなくカッコいいから」とか、「見栄えがするから」という理由で、
剣術の中に「レパートリーのひとつとして後から取り入れた」か、
さもなければ、
そこの道場主が「趣味」でやっていた、としか私には思えません。
そして時代が幕末になると、
確かに、手裏剣をも含む隠し武器というものの必要性があった
「わずかな時期」もあるでしょうが、
それは「原始的な、手による武器の投擲術」それ自体が持つ、
途方もない歴史の中の、ほんの1ページに過ぎません。
その「たったの1ページの部分」が、
手裏剣の「裏」という言葉の説明に乱用され、
本来は隠し武器だという主張に悪用されるのを見るのは、
私は非常に、嫌悪感を覚えます。
そういう誤解の蔓延は、
歴史の地層に消えていった、無数の「無名の手離剣たち」に、
あまりにも、申し訳なさ過ぎる。
●
●そういえば、最近、私が使っている剣は、
手裏剣なのかスパイクなのかと、とぼけた質問をした外人もどきがいました。
私の答えはこうである。
これは、「スパイク手裏剣、である」
それでも分からないならば、私の表題は、
7つのSと、ひとつのK、つまり、
>「Throwing Sword, Spear, Shuriken, Screwdriver,Spike, Stic, Saber and Knife」
であり、それは「S1フェスティバル」へのプロセスであると。
そして私は、それを、
「S1グランプリ」とも、「S1トーナメント」とも呼びません。
なぜならば、私のヴィジョンするS1とは、
人類の愚かさの延長に存在する「戦い」ではなく、
「祭り」だからです。
その中での「競技性」というのは、「祭り」の一部にすぎません。
競技そのものが目的ではなく、「祭り」が目的であるということです。
だから、私は、この上もなく楽しんでいるこの私の遊びを、
>「Neo-Shuriken-Style」と呼ぶ。
S1の「one」とは、一番になるの意味ではなく、
「一番好き」の「1」なのである。
***********************************************************
「参考サイト」
裏ではなく「うちがわ」としての「裡」
http://www.shinchosha.co.jp/shoushin/kanji_ichiran/kanji9909.html
「裡」の「哲学的随筆」
http://mazoero.hp.infoseek.co.jp/otaguno3.html
釘自体の歴史は飛鳥時代から?
http://72.14.235.104/search?q=cache:pht8B5dlBd4J:www.realitymakers.com/free/facts/japanese/%E9%87%98+%E5%92%8C%E9%87%98%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2&hl=ja&ct=clnk&cd=11&gl=jp&client=firefox-a
和釘の「一般普及」は江戸時代か?
http://72.14.235.104/search?q=cache:7pIKjLJYv0IJ:https://www.niigata-nippo.co.jp/nie/sanjyo1212.html+%E5%92%8C%E9%87%98%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2&hl=ja&ct=clnk&cd=3&gl=jp&client=firefox-a
__________________________________________________________________
●ところで、手裏剣が他の分野に利するものはないと書きましたが、
経験的には、ひとつだけ利することがありました。
それは左手での打剣をするようになってまもなくのころ、
左手でボールが投げられるようになっていたことです。
これをもしもボールを左手で投げようとしたら、もっと時間がかかったと
私は思っています。
手裏剣を投げるために必要な動作要素は、単純にボールを投げることよりも
何倍もありますから、非常に「注意深い投擲動作」を繰り返したわけです。
ということで、利き手でない手による物体の投擲の上達という点では、
手裏剣を使ったことは、あきらかに腕の神経の学習速度を上げました。
もしも利き手でない手で打剣練習をしている人は、
>一度、普通の野球のボールを投げてみるといいです。
>または、ゴミ箱にゴミくずを放り込むなど。
ボールで練習していたら、もっと時間がかかったであろうものが、
まったく簡単に出来るようになっているはずです。
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