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[984]
■
■忍術の真実と嘘の側面■
by:
崩残
2007/12/19(Wed)15:01:50
【糞味噌ごちゃまぜのアメリカン忍術】
日本人のせいなのか、誰のせいなのか?
■結局のところは、人種や国境に関係なく、それは、
「人間の悪い癖」のせいである、と言えます。
物事を曖昧にして、自分に都合のいい情報だけを盾にして、
論議をするといった、子供っぽい姿勢のせいで、
多くの文化が捏造されたり、歪曲されたりしてきたわけです。
昨今の欧米の忍術ブームなどを見ても、
それは確かに、日本人から見ると「おいおい、それ違うだろう?」
といいたくなものが沢山あります。
しかし、こうなってしまった原因は、国内ですらも、
情報が錯綜しており、また武術家に頭のまともなロクな人格者もいない
という現状が招いた結果でもあるので、
日本人自身がまず反省するべき点が沢山あります。
情報というものは、原作者の手を離れて流れてしまうと、
その先で勝手な発展をするものです。
さて、まず武術全体そのものも、怪しい伝承だらけや、
後世の捏造物が多そうですが、
その中でも、とりわけ「一番怪しい」ものが「忍術」です。
そこで、この「忍術」というものに情報として、
あるいは、武術の一分野として向き合うときに、
私達が絶対に混同をしてはならない要素があります。
それは次のものです。
一例として、忍術の普及に貢献した初見氏を例にします。
諸外国では、(悪い意味では)ほとんど教祖扱いですから。
1-初見氏が忍術というものの資料と技の保存に貢献したことと
他の問題は「別問題である」ことに注意せよ。
2-初見氏が世界各国に忍術を広めた功績と、その他の問題は、
「別問題であること」に注意せよ。
3-初見氏の実力がどうであるかという問題と、
他の問題は「別問題であること」に注意せよ。
4-残された文献や資料に書かれている武器や使用法の「記述そのもの」と、
それが実際に使用されたのか?、という事実の痕跡や証拠は、
全くの「別問題であること」に注意せよ。
■つまり、これらの問題や効果、功績、要素は、
すべて、「個別に評価される問題」である。
たとえば、代々何かの資料がある家系に残っていたとしても、
それがいつ誰によって改変されたかも不明なものが多い。
その上、そこに書かれた資料が、単に考案の段階にすぎず、
実際には使われなかった道具も多くあり得る。
つまり、私が皆さんに最も警笛を鳴らすことは、
初見氏に限らずとも、相手が誰であったり、何の分野であったにしても、
前述した4つの要素は、すべて「別問題」であるにも関わらず、
人間というものは、そのうちの一つか二つを見て、
他も真実であると信じたがる悪癖があるということである。
■特に注意が必要なのは、
その人間が実力があった場合、実力は歴史的資料の正しさを
何も証明するものではないということ。
同様に知名度もまた、何も事実関係の保証をしない。
広めるという功績と、実力はまた別問題であるのも当然である。
また資料価値があるということと、
資料が事実であることは、微妙に異なる問題である。
資料が本物でも、内容に価値がないものもあるからである。
このように、相手の中に何かひとつの優れたものを見たときに、
それとは別問題であるものまでをも、盲信してしまう、
この傾向は、人種に関係なく、全ての人類に共通する盲点なのである。
__________________________________________________
■忍術ということについては、
そもそも、何を忍術として定義するのか、
いつの時代のものをそう呼ぶのかで、全くいろいろな側面が
現れてくるのであるが、
欧米のみならず、日本でも、いろいろなものが混同されているように思える。
■甲賀流、伊賀流などにも忍術は残されているようであるが、
ここで、最も有名な初見氏について述べる場合には、
結局のところ、
その師匠である、高松氏について知らねばならないし、
よく調べる必要がある。
初見氏が、忍術の継承者、そして普及者として非常に優れている、
という問題と、
「実際の忍術がどうであったか」という歴史的な事実は、全くの
別問題であるからだ。
たとえば、初見氏の師である、高松寿嗣氏についての資料の幾つかを見ると、
私には、氏が、本当に忍術の後継者であったのかどうかには、
懐疑的な部分が、いくつか出てくる。
■高松氏は、確かに、幼少のころより、複数の古武芸を稽古していたようだが、
しかしその後に、
韓国や中国での経験や知識も混在しているように見受けられる。
高松氏は、1887年3月10日に生まれて、1972年4月2日に他界したが、
橿原市(奈良県)の橿原神社の前に家があったようである。
高松氏は21才で中国に韓国とモンゴルを旅行して決死の覚悟で多くの武術を
学んだとされている。
高松氏は韓国で中国の格闘技をキム氏から学んだ。
そして彼は、中国の英国学校で格闘技を教えていたときには、
1000人以上の学生がいたらしい。
そして、彼は、最後の中国の溥儀天皇のボディガードであったとされる。
そして彼は、1919年に天台宗の僧侶になった。
問題となる武術資料になどについては、
1921年に、彼は九鬼家の伝書の書き写しを許された。
しかし第二次世界大戦の間に消失した。
1949年に、彼は記憶をたどって、書き直した伝書を九神家の人に提示したとされる。
______________
■しかし問題になるのは、忍術というものは、
むろん複合的な、複数の古武術の合成体系であることは事実でも、
いわゆる欧米人や、日本のアニメ好き、小説好きの人達が
イメージしているようなものは、本当に存在したのかということである。
たとえば、こうした資料がある。
■戸隠流忍術とは、高松寿嗣が、
「大正後の忍術読物」の「流行を利用して新しく編成した系譜」である。
戸田真竜軒の口伝による伝承とされる。
その戸田真竜軒( 一心斎 )は、明治十三年に七十三歳にて死去。
高松はそれより四年後の生誕である。
戸田真竜軒( 一心斎。明治十三年死、七十三歳 )の口伝では、
この系譜によれば、その発生以後、
養和年間の白雲道士の白雲流より分かれ、
甲賀・伊賀両流の忍術になり、
百地三太夫の系統を経て紀州落名取流に入り、
戸田信綱以降は戸田氏に伝承したことになっている。
しかしその系譜は諸伝の資料や口伝を参照して潤色を加えた点が多く、
系譜にのっている人物も実際より年代を古くしているなど、
なかなか「苦心の労作」であり、
真竜軒が「幕末のころに新しく編成したもの」と思われる。
傳系図は次のようになっている。(事実かは不明)
1.戸隠大助 (1161)
2 志摩小三太源兼定(1180)
3.戸隠五郎(1200)
4.戸隠小三太
5.甲賀鬼三太
6.金子友春
7.戸隠龍法
8.戸隠岳雲
9.木戸小石
10.伊賀天龍
11.上野利平
12.上野千里
13.上野万二郎
14.飯塚三郎
15.沢田五郎
16.大猿一平
17.十又八郎
18.片岡平座衛門
19.森宇源太
20.戸田五兵衛
21.神戸青雲
22.百地幸兵衛
23.戸張典善
24.戸田盛柳信綱(1624-1644)
25.戸田不動信近(1658-1681)
26.戸田観五郎信安(1681-1704)
27.戸田英三郎信正(1704-1711)
28.戸田新兵衛正近(1711-1736)
29.戸田新五郎正良(1736-1764)
30.戸田大五郎近秀(1764-1804)
31.戸田大三郎近繁(1804)
32.戸田真竜軒正光(1824 - 1909)
33.高松寿嗣翊翁(1887 - 1972)
34.初見良昭 Masa aki Hatsu mi (1931より 現在に至る)
つまり、本当に明確な傳系は、
今から僅か360年前という時代になって、
やっとその人物の存在が明確になっているに過ぎない。
次回に続く_________
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