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手裏剣術講座 Shuriken throwing instructions
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[985]
■
■忍術の真実と嘘の側面■ その2
by:
崩残
2007/12/19(Wed)16:20:22
忍術の定義の曖昧さ
以下では、私が海外にいる、少々「忍術かぶれ」の人の何人かに
メールで語った内容の「パーツ」です。
人によって語る内容を変えていますので、全体像がつかめないかも
しれませんが、
私から、いわんとしている骨子の主旨は、誰でも理解できるはずです。
■すなわち、結局のところは、
歴史がどうであったか、資料や残された武具がどうであるかに関係なく、
それに「関わる人の側」に、
明確な目的と、明確な方向性がはっきりとしてなければ、
それは、ただの「武器オタク」「ごちゃまぜ忍法オタク」に成り下がる
ということです。
そして、日本の頭の悪い武術家たちがやってきたように、
忍術の中に含まれる、
武芸の要素、精神論の要素、諜報機関としての要素などから、
その時の状況と自分に「都合のいい語り草」だけを選んでは、
場当たり的に、他者に語るという、悪循環が起きるのである。
以下がメールの断片です。
________________________________________________________________
●武神館のデモンストレーションは、外国の人には人気があると私は思う。
それらは他の地味な剣術などよりも、異国の人の目には、
より神秘的に見えると思う。
また「武器の種類」においての面白さも他の武術よりも多くあるだろう。
だから多くの人が魅力を感じる。
それはとても良いことです。
大人も子供の時の心(童心)に戻るだろう。
しかし、とても注意が必要です。
それは忍術の歴史は日本でさえ明確でないことです。
そこには、曖昧で懐疑的な部分が多くある。
資料によれば_____
■忍術は、その発生が「山岳信仰の修験道」に開祖を「設定する場合」
もあります。
役小角(えんのおづの、えんのおづぬ、えんのおつの、634年伝 - 706年伝)
などと呼ばれた人物は、飛鳥時代から奈良時代の呪術者である。
実在の人物だが、伝えられる人物像は後の伝説によるところが大きい。
通称を役行者(えんのぎょうじゃ)と呼ばれ修験道の開祖であるが、
役小角にまつわる話は、後に成立した『日本現報善悪霊異記』にも採録された。
これが後世に広まった役小角像の原型です。
「荒唐無稽な話」が多い仏教説話集であるから、
史実として受け止められるものではないが、
著者の完全な創作ではなく、
「当時流布していた話」を元にしていると考えられています。
■一方では、1700年ごろに「組織化された諜報機関」が出来たという見解もあります。
しかし、実際には、それもまた忍術集団とは関係がないようである。
>>御庭番は忍者と同様に思われがちだが、誤りであり
>>八代将軍・徳川吉宗が紀州から連れて来た薬込役を
>>伊賀者と同格に格付けしただけでしかなく
>>彼ら御庭番は忍者とはかかわりがない
↑
【ウィキペディアより】↓ここを参照。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%8D%E8%80%85
■そしてまた、初見氏が伝承している技も、
その全てが現実性があるわけではないと推測されます。
たとえば昔の人によって考案されたが、
しかし実際には、使われなかった武器や、その武器の図面もあると思う。
また技においても、時には、とても非現実的なものがある。
■例えば、日本の鎧を着ていた時代の戦争(戦国時代)では、
体術は、たまには使われても、「頻繁に使われるケース」は、
ほとんどなかったと推測される。
またその後の日本刀が主流だった時代にも、体術や「隠し武器」は、
現実的には「頻繁には」活躍はしなかったと推測される。
多く流派や、後世にみる「多彩な技」は、
刀の実際の使用が大きく制限された徳川の時代に、
武家や剣術師が、自分の道場を開く上で、
創作されたり、作られたものも中にはある事だろう。
ただし幕末の倒幕の画策が暗躍していた時代には、
いわゆる欧米人がイメージするところの
「侍 Samurai」は、現実に少しの間、活躍をしたかもしれない。
■また、技の現実性についての一例として、
「車剣」を腰の位置から逆手で横向きに投げることには、
実は、賛否がある。
日本の「棒手裏剣主義者」は、それに対しては、
非現実的だという理由で、否定的な見解が多い。
しかし、忍術的な発想から、
「相手をかく乱する」という目的ならば、
それは効力があるとする説も一理ある。
どっちも部分的には正しいし、
どっちも部分的には正しくないと言える。
それらをまとめれば、次の動画のようになる。
↓
●ちなみに、飛んでくる車剣や棒手裏剣を、
正面から刀の面で避けるという方法は、全く現実性がない。
なーなーの、ひょろひょろの投げ方なら可能でも、
実際に、3間から時速約60キロで飛んでくる剣を、
正面から刀で受けることなどは不可能である。
また中段や足を狙われたら、剣で避けることは出来ない。
また、手裏剣が縦向きに飛んでくることも多いのであるし。
安全なラバー手裏剣を使って、これを行い、
「神経を研ぎすます訓練」としてはむろん良いが、
実戦では、何の防御にもならないことは、
私が「無冥流投剣術」の「DVD」の中で詳しく説明したとおりです。
>■さて、技の「資料」、または「武器」が、
>骨董品や書物の断片などとして残されているという事実と、
>その技や道具が「実際に多く使われた戦績がある事」。
>この二つは「全く違う論点」ですので注意してください。
●日本の歴史学者は忍術については懐疑的な見解が多いです。
一部は正しいのですが、
一部はかなり新しい時代に作られた話や道具である場合もあるかもしれない。
だから、私は武神館の「歴史的な技」については、
「文化の継承というジャンル」と考えている。
むろん一部の技は現代の警察の武術への指導もされているだろう。
そして、もしもあなたが「忍術」や「日本の古い時代の武器」について
何か知りたいことがある場合には、
武神館や、それに人脈のある人「以外の」、
日本の武術史の研究家にも質問すると、客観的な知識になるだろう。
むろん武神館の人に尋ねるのことは有益だ。
しかし、「いろいろな角度の意見」を知るほうがよい。
*******************************************************
●そもそも忍術というものを、
広義な意味で、「謀略活動」「諜報活動」「工作活動」と定義するならば、
現代のSWATなどは、「陽忍」ということになるし、
北朝鮮の工作員やアルカイダなどは「陰忍」ということになってしまう。
そこまで話を広くしないと、本質的な意味での忍術を語ることは
出来ないはずなのであるが、
なぜか、物語というフィクションの中で作られた忍術は、
ある特定の「スタイル」や、「特定の目的だけ」が、
人々の目には、クローズアップされて、ディスプレイされているようである。
●もっともチープな言い方をすれば、
「忍者とは、300年以上前の、ジャパニーズ・ジェームスボンドかいな?」
ということになってしまう。
面妖な武器を使ったり、スパイ活動をするという意味においてです。
■ただし、こうした「特殊部隊」というものは、
私の推測では、合戦をやっていた時代に、各将軍の下には、
かならず「多くても数十名の小集団」として育成されていたはずである。
むろん使用する武器や、諜報活動の方法は各地域の方針で異なるので、
必ずしも、私達がイメージしているような忍者ではないし、
姿も、ほとんどが農民や商人のような平服であったろう。
今のようなGPSもろくな地図もない時代であるから、
戦場となる場所の地形や、周辺住民や、敵の陣地の様子についても、
それを事前に調べる能力に長けた人達がいたはずである。
■では、一体どこが、忍者として区分されるものであったり、
その原型となったであるかということになると、
>私達は、残された、
>「奇怪な武器の形や、装束」そして、伝書と「称するもの」によってだけ、
>それが忍術かどうかを判断したり、評価しようとする「癖」がある。
■結局のところ、忍術にだけ「固有の道具や技」というものが
忍術と、他の日本の武術を区分する線になるのだろうが、
十八種の武芸は、別に忍術に固有のものではない。
>つまり、一部の暗器や、隠し武器や、車手裏剣や、
>忍び刀の形の特徴など、
>我々は、それをもってして他の流派と区別している、といった、
>かなり曖昧な判断によっているのである。
●また冒頭に述べたようにも、広義な意味での
「諜報活動」「破壊活動」「潜入活動」というものは、
何もそれは忍術に固有のものでは全くなくて、それは、
「軍事的な戦略法」に包含されるべき分野である。
********************************************************
密教までもが、ごた混ぜ状態
■これ以外には、ちょっと参ったのは、欧米の人達が、
忍術で使う「九字」とかを、「武術には何の実用性もない」のに、
取り込んで、「アメリカンメディテーション」みたいな「面妖なもの」を
作っている人もいるという点です。
だいたい、日本の武術家で、九字なんか斬ったり印を結ぶ人なんか
いませんし、
だいたい、ご本家の日本の忍術継承者すらも、
日常的にそんなことをしていませんよ。
それをするのは、本来は、真言宗の僧侶です。
彼らは九字どころか、100近くもある印を結び、真言を唱えます。
しかも、その上さらに困った問題は、
密教は英語で、エソテリックブッディズムにされているが、
これは、完全な「誤訳」です。
現実には、それは「ヒンズー教」または日本のシャーマニズムである。
つまり仏教という言葉の使用がここでは全く間違っているのである。
西洋で知られている「秘教的仏教」というものは、
正しくは「真言密教」や修験道という分野のものだ。
それは多くの呪文を持つ。
多くの護符を持つ。
多くの指の形を持つ。
またサンスクリット文字(凡字)も使う。
それはまるで東洋の「カバラ」とすら言える。
それは非常に魔術的で、現世利益の要素か強い。
従って、それは全く「ブッダの説いた仏教」とは根本的に異なる。
●また次の点も、どうか誤解をしないように。
忍術と九字は「元来は」関係ありません。
歴史的には、日本の山岳信仰と武術が混合した結果、
忍術の中に九字があるようだが、
しかし現実にはほとんど使うことはない。
また「仏教と九字」も関係ない。
「瞑想と九字」も関係ない。
九字というものは、強いて言うならば、
清めの儀式で使う魔除けのようなものだ。
また印の形は、全てインドのヨーガから発生している。
それは「指のヨーガ」だと言うことが出来る。
■そもそも、
自分に利益が帰ってくる事を期待し、
そして(神仏)に頼るのは、全て「利己主義」である。
つまり、ご利益主義というやつです。
これらは、結局は、あなた自身が臆病だから行うことである。
また他者の為と言いながら自分の為に行う行為も同じである。
だから九字を斬るよりも、
純粋に自分の好きな武術の稽古をした方がいい。
■しかしもっと良いのは、「座って自分を分析することである」
なぜならば我々は自分に利益のあるように見える分野に興味が分散する。
その結果、実際には使い道のない知識だけが、
貴方の頭の中にゴミのようにたまる。
そして正しく分類しないままに学び、
自分の本当の目的を見失う人が多くいる。
●世の中には「良い混合」と「悪い混合」がある。
それは「料理」によく似ている。
>良い混合は「両方の味の良さを生かす結果」を生む。
>しかし悪い混合は、「両方の味を殺してしまう」。
私の意見では、
同じことが欧米の武術と日本の武術や文化の合成によって起きている。
「それを面白そうに思うから何かを混合する」という姿勢は良くない。
なぜならば、それぞれの技や文化には生まれた歴史と背景がある。
正しく混合された「武術の味」は美味しい料理だ。
しかし間違った混合は、まずい料理だ。
私によれば、「良い混合」の定義はこうなる。
「混合された全ての部品が有機的な作用をする」
「そして、はっきりとした現実的な効果のある要素以外のものを
不注意に混合しないこと」
【愚かな論議】
●たとえば、一例として、
剣道、居合い、剣術、3つのジャンルが仲が悪かった場合の話。
この人達が互いに陰口を使って批判しているとする(仮に、の話である)。
これら3つは同じように剣を使う分野だ。
しかし、この3つは生まれた時期が違うし、生まれた背景が異なる。
もしも、これら3つがお互いに自分のスタンスを明確にしていれば、
いがみ合いは生じない。
しかし、試合におけるルールや目的がお互いに違うという事を
彼らは忘れている。
そのせいで、「論理的でない中傷」がお互いに起きている。
ルールや伝統が互いに異なるジャンルであるにもかかわらず、
互いに、卑怯な陰口を言うのである。
>これと似た「論争」が、
>実戦武術、競技武術、演技武術、伝統武術、
>これら四つの間に起きるのである。
■しかしそれらは全て異なる目的であるべきものだ。
競技に勝つための武術は実戦とは違う。
また実戦で使う技を競技で使ったら罰則を受ける。
しかしこれらは、どれが正しいのでもなく、
どれが間違っているのでもない。
「それぞれの分野」には「それぞれの目的」があるからだ。
●つまり、武術というジャンルは、
>いろいろな歪んだヒーロー願望を、
>「ミックスジュース」のようにしてしまう弊害がある。
そこに武術家たちの頭の混乱の原因がある。
>●何かの物事の価値を語るときには、
>私達は「前提条件と基準」を明確にする必要がある。
しかしそうした論議が可能な武術の人は僅かしかいない。
日本のほとんどの武術の先生は不当に社会で高く評価されている。
実際には武術以外の場になると、
彼らは「とても馬鹿な人間」である場合が多いように私には思えた。
●むろん「伝統を守る人々」は必要である。
私は彼らを尊重している。
伝統の継承というものは、
「それが生まれた国に生きている人」によって行われるだろう。
私達が西洋の文化と心を守れないのと同じように、
欧米の人が東洋の文化と心を守ることは出来ない。
●ただし日本には大きな問題がある。
たぶん世界でも同じことが発生している。
それは「伝統」という「看板」を人々に示しているが、
伝統に「自分の創作」を加えた人達だ。
彼らは、伝統に対する卑劣な「冒涜者」だ。
私はそういう日本の「自称武術家」を、数人知っている。
もし伝統の技に自分の何かを混ぜたら、
その時点で彼は「それが自分の作った技である事」を人々に言うべきでる。
しかし彼らは、それが「昔から存在した伝統なんだ」と嘘をつく。
彼らには、「伝統名」や「伝統流派名」を名乗る資格は全くない。
***********************************************************
■基本である
「九字の解き方」すらも、やっていない人達■
・注意-1
絶対に人間に対して行わない
絶対にこれは人体の治療には使えヲない。
これを切って良い対象とは、肉体のない霊的な敵のみである。
またはその場の悪い「気配」などに対して。
・注意-2
切った後に呪文によって必ず「解く」
・注意-3
呪文はコンピューターのコマンドと同じである。
少しでも手順を間違えると効力がありません。
もしも日本語が分かる人は、必ず資料を読んでください。
http://www.mumyouan.com/k/?T3818
分からない時には正式な僧侶に聞いてください。
大切なことは、九字を切ったまま放置してはいけない。
必要がなくなったら必ず呪文を解くこと。
音節は次の音を3回言う。
オンキリキャラハラフタランバソツソワカ
そして最後に言う
オンバザラドシャコク
決して、斬りっぱなしにしないこと。
九字を斬ったままにするということは、
それはまるで鞘から抜いたままに刀を、
その場に置きっぱなしにするのと同じように危険なことである。
それは不必要に、「場」の霊気を乱す結果となる。
●また一般的に使われる九字は
「臨兵闘者皆陣裂在前」であるが、
真言宗では「臨兵闘者皆陣【烈】在前」。
又、天台宗では「臨兵闘者皆陣【列】前行」と唱える。
また、九字の法を唱え最後に一字加えたのが10字の法。
加える字は目的に応じて違う。
余談だが、中国の九字は次のようになる。
「青龍・百虎・朱雀・玄武・空珍・南儒・北斗・三態・玉如」
********************************************************
___________ごたまぜにすると、「病気」になる_________________
■重要な要点は、次です。
世界中にはいろいろな神秘学の体系がある。
ただしそれらはその土地の文化の内部に制限される。
つまり、日本で生まれた呪文は中国や欧米の土地で効果がない。
欧米の土地では、西洋の神秘主義の呪文が効力がある。
そして絶対にやってはいけないことは次のこと。
二つの異なる文化の神秘学を同時に行なわないほうがいい。
それは「2種類の抗生物質」を飲むのに似ている。
それは、危険である。あなたは体を壊すだろう。
たとえば、
もしも私が北アメリカにいたら、
私はアメリカの原住民の呪文を使うだろう。
もしも私は南米にいたら、南米の呪文を使うだろう。
つまり、呪文に力をバックアップしているのは土地の霊たちである。
_____________
アメリカで日本や中国の呪文を使うことには全く意味が無い。
アメリカではむしろヨーロッパの文化で生まれた呪文や図形や発音を
使うほうが効果的だ。
しかしもしもあなたが日本にいたら、日本の呪文は役に立つ。
これらは私の実体験による結論である。
つまり特定の文化の中で生まれた神秘体系は普遍性を持たない。
むろんあなたがインドのヨーガをやったり、
東洋の瞑想をするのは問題はない。
ただし、その中で使っても意味が無いものは次のものである。
その国の文化に固有のもの。
「文字、発音、真言、マントラ、幾何学図形、数の神秘学、
色の神秘学、生命の樹」
これらは正しい儀式によってしか作動しないコンピューターシステムに
酷似している。
●今回の話の要点とは、
人間が作った国境ではない「境界線」が地球上にあるという事実です。
例えば、日本で幽霊や悪霊が出た場合に、
聖水や十字架は無力である。
逆に、アメリカで出現した幽霊に対しては東洋の呪文は効果がない。
これらの「精神世界の境界線」を日本では「結界」と呼ぶ。
あなたたち西洋の文化の中には、レイラインの概念があると思う。
全く同じではないが、少し似ている。
■ちなみに、これは九字の一般的な概要について
↓
______________________________________________________________
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