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★分割自我復元★その121 ●「4才からは親子を引き離す生育環境の薦め」●
by:
鈴木崩残
2012/09/25(Tue)18:23:23
>「松の間」に、桜の間と少し関係する話を書き込みましたので、
>あわせてご覧下さい。(ごくたまに松の間に精神世界に関係することを書きます。)
私が考える、今よりマシな子供の環境
●これまで、特にこの「桜の間」と隣の「梅の間」の一部の記事で、
>これだけは、親は絶対に、子供にしてはならない、
ということと、
>最低限これだけは子供に必要ということ、
その要点を、限界まで、絞り込んできたが、
幼児期の子供に必要なことは、次のたった三つしかない。
>■どのような理由があっても、生後3年までは子供に「身体的苦痛」を与えるな。
>■どのような理由があっても、生後3年までは子供には恫喝などによる「恐怖」を与えるな。
>■生後3年までは、「母親」だけは、子供にとって「安心」できる存在であれ。
では、その3年が終了したらどうするか。
そこから、1年から2年をかけて、子供が状況と社会システムを理解した上で、
>親子を切り離し、学校のような施設にすべての子供を成人するまで移す。
急激に親から引き離すとトラウマが生ずるので、1年から2年の時間をかける。
むろん、その後は、月に一度か、三ヶ月に一度、親と面会するのは良いだろう。
しかし基本的に、その子供たちの、約12年から16年の生活空間には、
親という存在はいない。
■その学校のような施設が、その後、5歳から自立して、
社会に出るまで、ずっと続くわけであるが、
もしも、ここで、軍隊式の教育や規律や、教師を絶対とするような、
洗脳的な教育をしてしまったら、
それでは、「毒親」と大して変わりなくなってしまう。
しかし、現在、家庭でも、抑圧され、虐待され、
学校でもいじめ、いじめられているのであれば、子供への苦痛は、
「ダブルよりも、シングル」の方がまだしも「マシ」であると私は考えている。
へまをやると、北朝鮮よりも酷くなるので、
子供の自立にとって何が必要かを考え抜いた教育システム、
そして哲学性が必要になることは言うまでもない。
●ここで、ひとつの学校のモデルケースがある(かつてあった)。
どこの県のどこの学校かは忘れたが、日本の中で、
興味深い試みが行われたことがあった。
それは、
>学校の「校則」は、生徒ら自身が作る、
というルールを教育現場に持ち込んだことだった。
折りしも、「厳しすぎる校則」の是非や「ゆるすぎる校則の弊害」が、
論議されていた時代であった。
その結果、子供たちが自分で自分たちの校則を作るという試みは、
ある程度成功したものと思われるが、その後、どうなったかは分からない。
●ということで、もう、子供は、親に育てられるべきではなく、
生後3年だけ、理不尽な苦痛や、虐待や、恐怖にさらされず、
せめて、その3年間を安心して過ごせるのであれば、
>その後は、ゆっくりと、「親子というものが存在しない社会」へと
>シフトすべきだと私は考えている。
子供が、親の勝手によって、親に怒鳴られて、叩かれて支配されて、
自立できない子供に育つ、
そんな、狂った家庭環境「ではない社会システム」になじめば、
「親が子供と関わらない事」によって起きる子供の「不利益」よりも、
「親が子供にかかわった事」による「害悪」の方が、
地球の歴史の中で悲劇を作り出してきた原因のひとつだったと分かるだろうから。
だいたい、地球人が、ほざいている「親から子への愛」よりも、現実には、
「親から子への代理復讐 (=制圧と洗脳を使った、親から子への虐待の連鎖)」の方が、
今の子供の生育環境の「9割以上」を占めているのだから。
子供は、親が育てるものではなく、そこにある社会システムが育てる、
となれば、それが父親であれ、母親であれ、
>誰が、働いて、お前たちを食わしてやっているんだ
という馬鹿げた台詞は地球上から消滅する。
また、
>「俺のおかげでお前たちは・・・」という親からの文言に、
>子供が恐れを感じて、親に歯向かえずに、いい子を演じてしまい、
>あれこれの我慢を子供が自分に強いてしまうという事も消え去る。
もっとも、この毒親の、唯一無二の脅迫の台詞が、世の中から消えても、
>この社会システムこそが、お前らの命を、どうにでも出来るんだぞ。
となってしまうと、
さながら、ありがちな、三流のSF映画の「完全管理社会」となるのであるが。
■別の視点から見れば、このコテコテの油っぽい、粘着質の、
親子関係や、男女関係は、「地球だからこそ経験できる」
と言いそうな人もいそうですが、
はっきり言って「悪趣味」です。
異なる世界に対する「結合媒体」が何であるかが理解できたら、
その時点で、とっとと、地球型の「心的依存」をやめて、
自分を構成し直さないと、
いつまでも、「作物原料」として、感情その他を、上位次元に搾取され続けます。
___________________________________________________________
●さて、そんな事を、しみじみと考えさせられた、最近の報告を紹介します。
読者の方からの報告
9/4の夜寝る前でした。
崩残さんに書いて頂いた全ての禅書および滲み書をクリアファイルにまとめ、
枕元に置き、寝る前に見たりしているのですが、この時は、いつもと違っていました。
禅書で、「欲」という字を書いて頂いたのですが、その書を見ていた時に感じました。
もしかしたら、この「欲」という書が、私の自我復元にかなり効果があったのではないか。
この書から意識が離れてから、自我復元が順調に進まなくなり、
モチベーションも下がってきたのではないかと思いました。
実際、復元が順調に進んでいる頃は、この書を鑑賞することが多く、
この書に対して常に意識があり、
「欲」ということについて考えることが多かったのを思い出しました。
ああ、またしても、自分の欲望や感情を疎かにしてしまったなあと反省しました。
これからは、自分の欲望や感情に正直に生きていこうと心の底から思いました。
そして、なぜか、そうだ、この書でTシャツを作ろうと思いました。
このTシャツを着て、呼びかけをしたら効果が上がるかもしれないと意味もなく思いました。
そう思うと行動が早かったです。以前の私なら、思うだけで終わっていましたが。
早速、Tシャツ始め、アイロン転写紙を購入し、作成しました。
禅書の「欲」をデジカメに撮り、その画像をアイロン転写紙に印刷し、
Tシャツにアイロンがけをしました。
書いて頂いた禅書の「欲」という字が2種類ありましたので、
2枚のTシャツを作成しました。
1枚目は要領が分からず、出来はイマイチでしたが、
2枚目はなかなかきれいにできたと思います。
細かいことを言えば、もっときれいにできたと思いますが、
初めてにしては、上出来だったと思います。
それよりも、自分自身が自然と作りたいと思い、
自分の力で作ったことがとても嬉しかったです。
実際、作っている時は、本当に楽しかったです。
自分で物を作ることが、こんなにも楽しいことだとは思いませんでした。
以前の自分なら、このような場合、お金を出して他人に作ってもらっていたと思います。
そのようにプロに任せて作った方が、よりきれいに出来ていたと思いますが、
これは自分で作ったことに価値があります。
しかも、私専用に崩残さんに書いて頂いた禅書で作ったTシャツですから、
少々出来が悪くても、世界でただ一つしかない私だけのTシャツです。
この価値ある「欲」Tシャツを着て、毎晩寝床に入り、復元の呼びかけ・回収を行っています。
効果のほどは、正直分からないですが、モチベーションと集中力の維持には良さそうです。
・中略・
トラウマの掘り起こし
>>●2−6.本当は不幸なのに、幸せであると思い込む悪癖(7/11)
「親の夫婦仲は良く、親父は母親に怒鳴ったことがない」と妻に言いました。
妻からは、「嘘をつけ」と即座に指摘されました。
実際は、そうではなく、暴力そのものはなかったが、
怒鳴ったりするという言葉の暴力は常にありました。
私は、真実を隠そうとしている。
私の両親や家庭に何も問題なかったと思い込もうとしている。
本当は不幸だったのに、幸せであったと思い込む、これは精神病です。
自分は本当は不幸で不満だらけなのに、そうではないと思い込む、または、
よい点を見つけて、誇大妄想して、悪いことや嫌なことを封じ込め、幸せを演じる。
つくづく、気持ちの悪い、男なのだと、痛感しました。愕然としました。
私は、母親と同じようなことをしている。
本当は、色々な問題があるはずなのに、
表面だけでもいいように演じようとしている。これでは、母親と同じだ。
母は、次の様なことをよくします。
実際は、私と弟は仲良くないのに、兄弟仲良くしていればいいのよとか、
親子等で何か問題があっても、見て見ぬ振りして、
その問題をなかったことにして、幸せを演じようとしている、
そういう気持ちの悪い母親と同じことをしている、今、初めて気づきました。
今の自分が、どんなに悲惨な状況にあろうとも、逆にどんなに幸せな状況にあろうとも、
常に、自分自身および周りの現実そのものを直視し、その状況に応じて対応していく、
そのような、現実を現実として、自分自身にとって都合の良い勝手な妄想を付け加えず、
自分に対しても他人に対しても、行っていく人間になろうとしているのに。
何も立派な人間になろうとしているのではないはず。
自分のそのままの状況、そのままの感情、そのままの想いを認識していき、
そこに問題や不満があれば、けっして着色することなく、その状況を改善していける人間になりたいはず。
もう、嘘をつくのはやめよう、偽るのはやめよう、弱い自分を隠すのはやめようと思いました。
すると、過去の否定的な感情が出てきました。
今の自分は、自我が復元され、別の意味で、幸せ感を感じることが多くなったが、
けっして満足できている状況ではない。
仕事も惨め、情けない、また、親に対しても堂々としていない。
まるで子犬のようにしっぽをふってしまっている。
情けない、気持ちが悪い、私は何をしているのだ。
親に負けている。子供の頃の私は、情けなく、力無く、親に完敗していた。
その時の自分は、弱かった。親に勝てなかった。
母親の言いなりになるしかなかった。
良い子でいようとしていた。
また怒られるかもしれないといつも不安で怯えていた。
いつも母親の顔色を伺っていた。
自分なんて、生まれてこなければよかったと思っていた。
なんで生まれたんだろうと思っていた。
間違って生まれたと思っていた。
他人とうまく話せなかったし、気が弱かったし、いつもビクビクしていた。
身体も弱く、顔色も悪かった。悲しかった。
どうして、こんなにも身体や心が弱いのだろうと思っていた。
心は折れやすかった。
そして、守ってくれるはずの母親が頼りにならなかった。
母親の懐にどーんと飛び込みたかった。
・中略・
>>●2−1.親から受けたトラウマの記憶を探る(6/28)
母親、そして父親から受けた、虐待や言葉の暴力の悪影響で、
他人、特に、女性恐怖症に陥っていることは疑いようがないです。
このままでは、進んで行けません。どのような虐待や暴力を受けたか、記憶を探ってみました。
・母親に怒られて、押入に閉じ込められた。怒られた理由が思い出せない。
・母親に怒られて、正座させられ、膝の上に内職の重い物を乗せられた。
その際、ガムテープで口を塞がれたこともある。
場合によっては、晩御飯を食べさせてもらえなかった。
・母親に怒られて、家の外のコンクリートに正座させられた。
・私は、中学生の頃、一生懸命勉強をしていた。とにかく勉強ばかりしていた。
それなのに、母親から「今は、お前の方が勉強をしているから弟より成績が良いが、
もし弟がお前と同じくらい勉強をしたら、弟の方が勉強ができる」と、ひどいことを言われた。
「なんで、こんなことを言われないといけないのか。余りにもひどすぎる。
ちょっとくらい誉めてくれたっていいじゃないか。」と思いました。
・父親から「弟は、女性からプレゼントをもらってくることが多いが、
お前は、もらってきたことがないな」と言われた。
・父親から「お前は、何をやってもドンくさいからな。運動が駄目だからな」と言われた。
・「弟と同じことをやっても、お前の方が、険があり、腹が立つ」と、
父親、特に母親からよく言われた。
「同じ失敗をしても、弟は怒られないのに、
なんで僕ばかり怒られるんだ」と思っていました。
・「弟は人当たりはいいが、お前はきつい」とよく言われた。
・「勉強ばかりしていないで、外で遊べ、友達を作れ」と母親からよく言われた。
勉強して成績が良かったが、一度も誉められたことがなかったです。
以上、思い出せば、かなりひどいことをされたり、ひどいことを言われたりしてきました。
これでは、ひねくれた、卑屈になった人間になってもおかしくないと思います。
>>●2−2.自分の子供の頃の感情を探る(6/29)
母親に虐待されていた当時の感情を思い出しました。
過去の事ですので、時間が前後しており、ぼやけている部分もありますが、
今、思い出すと、つらい気持ちになります。とてもひどいことをされていたのだな。
優しい包容力のある母親の姿というものが、私の心の中にはないです。
経済的には恵まれていた方で、食べることや、
欲しい物を買ってもらうという物質面では、それほど悪くはなかったですが、
心温かい、血の通った親子の交流というものが、ほとんどなかったです。
これでは、私自身が、血の通わない、冷たい、
温かみのない人間になって当然だと思います。
以下に、思い出した当時の感情を書き出してみます。
どうして怒られたのだろう。虐待されたのだろう。思い出せない・・・
膝が痛かった、足が痺れた、膝の上の物が重かった。
いつ許してくれるのだろう。謝った方がいいのかな。
でも、謝りたくない。でも、嘘でも謝らないと、
このままずっと、つらいままだ。許してくれない。
なんで、僕をこんなひどい目にあわせたまま、母は勤行が拝めるのだろう。
どうして、そんな恐ろしい顔で拝んでいるのか。
僕は悪くない、でも、謝らないと。いつまでたってもこの辛い状況が続く。
お父さんが帰って来るまで、待とうか。
そしたら、もういいだろうと言って許してくれる。
こんなひどい目に遭わせてひどい、ひどい人だ。
お母さんは、鬼にしか見えない。
お父さんが天使に見える。でも、どうして怒っているのだろう。
なんでこんな重たい物を膝の上に載せるのだろう。
背中に手を廻して、紐までくくって。押入に閉じ込めた。
なんで、こんな狭い暗い所にとじこめるんだ。
もう謝ったんだから許してくれたっていいじゃないか。
口先だけで言っているだけと言っているが、
どのように謝ったら僕の想いが伝わるのか。
そんなに何回も何回も謝らないといけないのか。
でも、どうして怒るんだ。僕の何が悪いんだ。
怒られた理由が、思い出せない。どうして。
お母さんは、自分の段取りがあって、
その計画通りに子供の僕が動かないと気に食わないみたいだけど、
お母さんの都合で、ご飯を食べたりしないといけないのか。
ちょっとご飯の時間に間に合わなかったぐらいで、
そこまで、することないじゃないか。
全部、お母さんの思い通りに合わせないといけないのか。
なるべく合わせて、家に帰ってくる時間も守るようにしているじゃないか。
ちょっとくらい、できなくたって、そこまで僕をつらい目に遭わせることないじゃないか。
つらい、痛い、でも謝る理由が分からない。
でも、謝らないと許してくれないし、この嫌なつらい、痛い状況からは抜け出せない。
いったいいつまで、こんなひどい目にあわせるのか。
早くお父さん帰ってきて、お父さんが帰って来たら、きっと許してくれる。
そうだ、そこまで我慢すれば、解放される。楽になれる。我慢しよう。
思い出せないのではなくて、僕が謝る理由なんてないのではないか。
いつも僕なりに、お母さんの言うことを真面目に聞いているじゃないか。
おかしいよ。お母さん、優しくしてよ。
優しく抱いてよ。そんなことしてくれたことないよね。
お母さんの顔を見ていると、怖かった、怯えていた、不安だった。
お母さんの優しく柔和な顔が思い出せない。
今は、弱くなり、多少優しくなったけど、
それで、子供の頃のことが、許されるわけではないからな。
・中略・
自我が復元されて、色々と変化があり、
自分の意識や感覚がより明確になって拡がりが出てきたことに対して、
喜んでいて、ここ数ヶ月、毎日がとても楽しかったです。
しかし、今は、楽しくないです。苦しいです。
過去の記憶を辿っていくと、このような後悔ばかりが出てくるからです。
自分自身がしてきたことが間違いだったということがよく分かるからです。
仕事、結婚等、ほとんど全てのような気がします。
その根本は、いつも自分自身の心に不安感があったからです。
その不安感を穴埋めするために隠すために、自分で都合の良い妄想をしていました。
現実を見てしまうと、より不安が増大するからです。
でも、今は、たとえ苦しくても、その不安と向き合っていきたいです。
この現実と向き合っていきます。
この不安、特に他人と接触したり、コミュニケーションをとったり、
他人と付き合ったりすることの不安。
やはり、子供の頃からのものです。
親と一緒にいて安心感を感じていなかったからです。
経済的な不安はなかったが、特に母親と一緒にいて、
普通なら感じるはずの、安心感がなかった。
母親に抱かれて、安心を覚えたという記憶がありません。
包容力を感じたこともありません。
小学生の頃は、いつも母親の機嫌ばかり気になっていました。
感情的でいつ怒るか分からなかったからです。
でも、怒られて虐待された理由が思い出せないです。
どうして母親が怒ったのか思い出せないです。
・中略・
>>●2−4.親に言いたいこと
過去に、親に言いたいことを書き出したことが、あったのですが、
今回、これを読み返して整理している時(9/22)、
当時の感情に行き着いたようで、とうとうたまらず、泣いてしまいました。
身体の中から感情がどんどんと押し上げてきて、涙が止まりませんでした。
親のトラウマ掘りをしていて、悲しくなり、涙が出そうになることは、たびたびありましたが、
ここまで泣いたことは初めてでした。
泣いている時は、悲しくて、悔しくて涙が止まらず、大変でしたが、
ようやく、溜まっていた感情を外に出すことができました。
何か苦しい、寂しい等、感情が心の奥底に抑圧されているような感覚があり、
これを解放したい、または、叫びたいというような感情がありました。
今回、思わず泣いたことで、この感情が解放され、ちょっと心が軽くなりました。
記憶の空白期間があり、掘り起こせていない、
思い出すことができていない部分が、まだまだありますが、
以下に、親に言いたいこと、または、言いたかったことを感情のままに、
書き出してみました。
___________________________________________________________
あなたは、一度も誉めなかったね。
当時は、外で遊ばず、友達も作らず、勉強ばかりしていた。
そして、それなりの成績も上げた。でも、一度も誉めなかった。
頑張ったね、すごいねと言って欲しかった。
確かに他人との接触が苦手で、不安で、勉強することが、
それで成績を上げ、成果を出すことが、唯一、私が安心できることでした。
勉強に逃げていたことは、間違いありません。
勉強は嫌いではないけれど、大好きと言うほどでもない。
誉めないどころか、私が勉強ばかりしていることに対して、
非難したり、けなしたりしていたよね。
外で遊べ、友達を作れ、挙げ句には、
同じくらい勉強すれば◇の方ができるとか、ひどいことを言った。
中学生の時、学年では、一番にはなれなかったけど、クラスでは一番だった。
そのことを言っても、テストの成績を見せても、当然のような顔をしていた。
よくやった。頑張ったね、と、どうして誉めてくれない。
他のことは駄目だったけど、勉強は頑張って、
それなりにいい成績をあげたじゃないか。
それに対して、一度でもいいから、ちょっとでもいいから、
誉めてくれたっていいじゃないか。
ひどいよ。ひどすぎるよ。
一番だよ、クラスで一番だよ。通信簿だって、5教科はオール5だよ。
すごいと誉めたかい。何かご褒美でもくれたかい。
親として、頑張っている子供には、それぐらいすることは、当たり前ではないか。
運動がドンくさいとか、女にもてないとか、話し方に険があるとか、
そんな悪いことばかり責めて、ほんとんどいい所は無かったけど、
いい所を誉めたっていいじゃないか。
私にも良い所があったのに、悪いことばかり責めましたね。
そういえば、良い所より悪い所の方がよく分かると言っていましたね。
違うだろ。お前たちが、私の良いところを探そうとしていなかっただけ、
認めようとしていなかっただけだろう。
私だって、悪いことばかりしていたわけではない。
失敗ばかりしていたわけではない。
勉強でいい成績を上げたり、一つくらいはあったはずです。
なのに、その時は、何も言わないで、
悪い時ばかり、責めてばかりするのだから。
間違っている。それでは片手落ちだ。
性格も、険があるとか、そういう悪い面ばかりを責めたりしていました。
真面目で、几帳面な所や整理整頓がきちんとできているところを誉めたり、
認めたりしないのだから。
そういえば、通信簿に学校の先生から、
そういう几帳面で整理整頓がきちんとできること長所として書かれていても、
誉めるどころか、それが駄目なんだ、
几帳面過ぎるから駄目なんだと言う始末です。
本当にひどい、とにかく、他人の欠点を探すことばかりして、
たとえ良いところを見つけても、知らぬふりをしたり、
逆に、だから駄目なんだと言ってくる。
とにかく、息子の僕を責めてばかりして、認めることをしなかった。
認めてほしかったです。
誉めてほしかったです。
よく頑張ったねと言ってほしかったです。
寂しかったです。
いつもいつも欠点ばかり悪く言って、僕はそんなに駄目な人間なのか。
そして、弟と比べて、弟の方が、性格がいいとか、人当たりがいいとか。
僕を責めることばかり、悪く言うことばかりしていたね。
親として人間として最低です。
あなたの親である、おばあちゃんにいじめられたから、
その仕返しを僕にしていたのか。
そういえば、おばあちゃんのことは、恨んでいたね。
でも、そんなこと僕には関係ない。それは、言いがかりだ。
そして、怒り方も異常です。
お母さんは、精神異常者です。
病院に入院した方がいいのではないか。
叩かれたことはないけど、正座させ、膝の上に重たい物を乗せ、
手を紐で縛り、ガムテープで口を塞ぐのは、どう考えても、暴力です。
押入に閉じこめたことも、
玄関の外のコンクリートの上に正座させていたことも、暴力です。
おばあちゃんに、同じようなことをされていたから。
お父さんは、お母さんに比べて、そこまでしなかったけど、
言葉の暴力はあったね。
お前は、運動がドンくさいとか、彼女の一人でも連れて来いとか。
こんなことを言ったら、この親不幸者と言うかもしれない。
そこまで言うことないじゃないかというかもしれない。
でも、けっして取り返しのつかないことを、あなた達はしたのです。
それが影響して、社会に出るのが不安になり、
他人と接触することが、不安になったわけですから。
ことの最初に、初めての他人であるあなた達から、不安に覚えること、ひどいことをされたからです。
社会で、他人に不安を感じたり、怯えたりするのは、当たり前です。
今まで、経済的にも不自由なく育ててもらい、大学まで無事に行かせてもらい、
とてもありがたいと思っています。
でも、それで、過去のことが帳消しになったり、
悪いことをしたことが消え去るわけではありません。
それとこれとは別です。
あなた達は言うかもしれない。子供として、息子として、
長男としてどうなんだと。
問題をすり替えるな。
以上です。
____________________________________________________________
・中略・
>>●2−7.繰り返し出てくる感情(8/9)
最近、繰り返し出てくる感情があります。
体調が悪い時、苦手な仕事がきた時等、自分にとって都合が悪い状況になった時、
この感情に襲われることが多いです。
暗く沈み込んでいく、暗い穴に落ちていくような感覚に襲われます。
そして、自分から進んでその状態になっていきたいと思ってしまいます。
誰からも話しかけられたくない。関わらないでほしいという感情が湧き出てきます。
やる気を無くすというか、考える力や仕事をやること等の力が失われていく、
意識が遠のいていく感覚に陥ってきます。
一人で殻に閉じ籠もって、布団の中に入って出てきたくないという感情に襲われます。
その時は、もう駄目だ、何をやっても駄目だ、全て否定的な感情になります。
単に逃げ出したいだけなのかもしれない。
目の前の状況、苦しい状況から目を背けたいだけなのかもしれない。
このような感情が、ここ毎日襲ってきます。とても嫌です。苦しいです。
でも、この感情は昔からあったことを思い出しました。
ちょっと苦しいことや嫌なことがあると、
その状況から逃げ出したい為、このような感情になっていました。
そして、このような感情が出てくるのは、自分が欠陥人間だからだと思っていました。
以上のように、この時期は、この感情に翻弄されているだけでした。
しかし、8/30の頃だったと思います。
このような感情が出てくるのは、
ビクビクした不安な子供の頃に戻っているということだ。
それは、自我率が向上し、
それを受け止められるようになったから、出てきたのだ。
そのようなことに、ようやく気付き、受け入れることができました。
このままの自分で生きていこうと決心することができました。
>>●3−1.親から受けたトラウマが影響して猫背になっていた(8/18)
・以下のこの方からの報告は、かなり感動的な物語ですが、省略します・(崩残)
この方の年齢は、50歳に近い方です。
トラウマというのは、もしも放置したら、
死ぬまで(たぶん、死後も)影響すると、心しておいてください。
トラウマや、それに付随して発生するACの問題は、
宗教だの、瞑想だの、座禅だの、願望実現法だの、
スピリチュアルカウンセリングだの、前世療法だの、薬物治療だの、
そんなもので、治るわけがありません。
そして、本来は、それをすべきなのにしない、今の精神科医どもは、
患者を、ただベルトコンベアに乗せて、薬物を与えて放り出すか、
入院させるしかしない、「犯罪者」です。
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